「気張りや〜」
「あ、ありがとうございます…………」
ふさふさんに手(らしき毛束)を振られながら、僕は天高く上がっていく。
初めて乗る魔法の絨毯は、不思議な居心地であった。ここは空なのに、足元は見えない滑走路が舗装されているかのように安定していて、絨毯は床を滑るように動く。
フサフサバリアー範囲外に出た途端、自動的にヒマワリたちが猛攻を仕掛けてくるが、全て火炎の結界により弾かれた。
それでもなお、追いかけてくるヒマワリは、いつかテレビで見たウツボを想起させた。真っ暗闇の穴から這い出て、獲物に喰らいつく捕食者。
「────そろそろ、ヨミどろの真上に到着する。用意は出来てるよな?」
エンマ大王が聞く。いくら空飛ぶ魔法の絨毯だと言っても、その上で直立不動を維持できる肉体と精神は、尋常ならざるものだった。
「…………は、はい」
対して僕は、高いところが怖くて、絨毯に張り付いていた。魔法の絨毯に乗ることは生涯の憧れだったが、いざ乗ってみると怖い。足が小鹿の如く震えている。
この通り、準備なんて一つも整っちゃいないが、時間切れが来てしまったので、仕方なく準備を完了したことにする。
ああ、どうして僕は、あのとき自分が行くなんて大言壮語してしまったんだろう。口をつぐみ、先輩や大王様の決定を待てば良かったものを。今からでもキャンセルできないか? 無理か。
「はい、動かないでくださいね〜。チクッとしますよ〜」
「ハニワお前ハニワァ‼︎その注射器の中身が何か言えニャン‼︎」
「料理のさしすせそですが?」
「ニャンだって⁉︎」
ボケルさんは、ガブニャンさんが多すぎる毛のせいで動けないのを良いことに、オモチャの注射器で揶揄っている。…………オモチャだよね?
「今からお前には、上空からヨミどろの中に突入してもらう。オレが加護の術をかけておいたから大きな怪我はしないだろうが、何が起こるか分からねえ。用心しておけ。それと、ヤマトボケルから離れるなよ」
「は…………はい」
エンマ大王様曰く、ボケルさんは
ボケルさんに
「中がどうなっているのかは入ってみねえと分からない。…………ま、ちょっとした冒険だと思って、気軽に行ってこい」
ちょっとした気軽な冒険は、紐なしバンジーから始まるものだろうか。いや、そんなことはない。限界までシェイクした炭酸水のように、後悔が湧き上がる。
「一二の“三”で行け。オレがカウントしてやる」
「だ、大王さま、そのぉ…………」
「クソッ‼︎こうなったのも全部、雨村モミジのせいニャン‼︎ボス戦なんざ関係ニャいぜ、覚悟ォ‼︎」
やっぱりその、明日とかに出来ませんか? 無理? じゃあ、心臓が破けちゃうかもしれないので、やっぱり100数えてから行きませんか? 100数えたら絶対飛ぶので、というかこの作品のタイトル的にも100が収まりいいんじゃないかなっていうか、いや本当に3秒で飛ぶのは本当に胃酸が
「いーちッッッ‼︎」
「ぎゃあああああああ‼︎⁉︎」
エンマ様は、嘘をおつきになられた。
“一”で突き飛ばされた。
「必ず無事に帰ってこい、モミジ‼︎」
ごめんなさい、約束守れません。だって、既に吐き気と鳥肌と下痢と便秘と偏頭痛が同時に来てるから。
「ニャアアアア‼︎なんでオレっちまでぇぇぇぇ⁉︎おのれ雨村モミジィィィィ‼︎」
「あなたはただ足を滑らせただけ…………ヒャー‼︎ベルト壊れた‼︎ハニワ脱げちゃう、脱げちゃうううううう‼︎」
ガブニャンさん、ヤマトボケルさんの悲鳴をBGMに、僕は急降下する。
天上の月光と地獄の泥沼が入り混じる、巨大な釜の腹中へと。
結論から言うと、僕は怪我をしていなかった。まるで、上空何百メートルの位置から飛び降りた事実がカットされたように、
僕は尻餅をついた姿勢から立ち上がり、状況を把握するために周囲を見渡す。
「ここが…………ヨミどろさんの中?」
妖怪とは、知れば知るほど不思議が増えていくものだが、ここも例外ではない。
ヘンテコな空間だった。暑苦しく、ネバネバした霧状の闇が広がっているせいで、視界は劣悪。なのに、僕が立つ場所だけは、金色に輝いてよく見えた。足の裏側に、月がぽっかりと浮かんでいるみたいだ。
恐る恐る、何歩か進む。スポットライトは僕から1ミリも離れない。僕だけを照らし、前後は気にも留めない。
「どっちに進めばいいんだろう…………?」
地図もない。案内板もない。当然ながら、こんな怪奇ダンジョンで人間のインターネットが役立つはずもなく。僕は途方に暮れて、なんとなく歩くしかなかった。道に迷ったときに一番してはいけないことである。
ボケルさんとガブニャンさんがどうなったかも気になる。頑丈なボケルさんはともかく、ガブニャンさんはツクヨミの力で祓われてしまったのではないか。そんな恐ろしい予測が、脳裏をよぎった。ふたりとも、無事だといいのだが。
しばらく道なき道を歩いていた、そのとき。
大きな人影が出現した。
「うわっ⁉︎」
霧と暗闇の向こうに、身長おおよそ180センチの影が見える。それ以上の情報はない。何せ、暗くて顔も髪型も服も見えづらいのだ。
「…………ヨミどろさん、ですか? それとも、ツクヨミさん?」
一拍置いて、返事があった。
「────違う」
低い声だ。どこか剣呑としていて、ピリッと締まっている。こんなドロドロした空間なのに、そのひとの声は随分聞き取りやすかった。
しかし、ヨミどろさん関連ではないとなると…………このひとは、何者なのだろうか。
僕は、エンマ大王のメダルを落とさないようしっかり握りしめながら、相手に
「な、なら、あなたは誰ですか? どうして、こんなところに…………?」
「私は、通りすがりの…………アレだ。アレ」
「アレ?」
「パティシエだ」
「……………………」
アホで幼くてコミュ障な僕でも分かる。
絶対嘘じゃん。
しかし、ここで嘘を指摘することで、状況が好転するとは思えない。前に読んだ都市伝説の本では、こういう不審な嘘を普通に指摘すると死ぬと書いてあった。
「そ、そうですか。パティシエさんでしたか」
「そうだ」
「パティシエさんは、何故ここに?」
「おフランスのパリに向かうつもりが、飛行機がいい感じに墜落して…………」
いい感じの墜落って何? とはツッコまない。ツッコむとやばいことになりそうだから。
それより、僕には気になることがある。
「あ、あの、ボケルさんとガブニャンさんを見かけませんでしたか?」
「ボケル…………」
「あ、ボケルさんっていうのは、ヤマトボケルという名前の妖怪で、ハニワで、可愛くて、ボケてて可愛い御方なんですが。ガブニャンさんは猫で吸血鬼で、可愛くて、あと僕の宿敵を名乗っている妖怪です」
「────さあ、どうだかな」
パティシエさんの影は、首を捻ったように見えた。
「ご覧の通り、この黒霧は何もかもを隠している。貴殿にも、私の顔が見えていないだろう」
それはそうだ。この暗闇では、僕は、パティシエさんの身長くらいしか知ることができない。それは相手にとっても同じことのはずだ。
だが、僕より前からここにいたはずのパティシエさんがふたりを見ていないとなると、どこに行ってしまったのだろうか。侵入に成功したのは僕だけで、他ふたりは弾かれた可能性もある。
そうなると、僕は単独行動になってしまう。危険、寂しい、何すればいいか分からない。早すぎるが、もうエンマ大王を呼んでしまおうか。
「というわけで、貴殿に着いていっても構わないだろうか」
「というわけで」
話が飛躍した。
「貴殿は、何やら目的があってここを訪ねた様子。ならば、貴殿が目的を達成し、ここを出られるまで、この私が必ずやお守りしてしんぜよう」
「…………え、そ、そんな」
パティシエさんは僕に傅くような姿勢を取った。さっきから薄々勘付いてはいたが、これじゃあ、菓子職人というより武士ではないか。僕は、そんな態度を取ってもらうほど偉い存在ではない。
というか、どこからどう見ても(何も見えないが)不審な、人間か妖怪かの判別もつかないこのひとを、
僕が頭を抱えていた、そのとき。
「ギニャアアアアアアア‼︎オレっちまだ
ガブニャンさんの絶叫。何かから逃げ惑っているような焦燥が感じられる。発声地点は、そう遠くない。
「ガブニャンさん⁉︎どこですか⁉︎」
「あのアホ猫…………くたばってなかったか。しぶとい迷惑防止条例違反者め」
「え?」
「いいや、こちらの話だ。手遅れになる前に急ぐぞ、モミジ」
「はっ、はい!」
確か、声は9時の方向から響いていた。僕はそっちに駆け出して────ふと、ある疑問が微かに形成される。
パティシエさんに、僕の名前…………教えたっけ?