転校する2日前に引っ越してきた新居は、緑色の屋根に雪白の壁、僕の部屋にはベランダ付き。避暑地の丘の上にポツンとありそうだけど、ここは住宅街。隣は赤い屋根のおうちだ。
引っ越しは二度目。保育園を卒業してからすぐに一回と、今回。でも、一度目の引っ越しはもう少しワクワクしていたと思う。新しい町。新しい景色。新しい人との出会い。全部に夢を見ていた。
鍵を回して、ドアを開ける。
「ただいま……なんてね」
玄関に靴はない。転居してきたばかりで物は少なく、前に見たホラー映画に出てきた事故物件みたいに薄暗く味気なかった。
両親は共働きで、夜まで帰ってこない。今更そのことを寂しいと思ったりはしないけど、引っ越してきたばかりなんだから……とは、考えてしまう。
とはいえ、「学校はどうだった? 友達できた?」なんて聞かれたら、虚実入り混じる“普通の”話をでっち上げるしかないのだが。ただでさえ2人とも新しい職場環境で忙しいのだ。下手に真実をそのまま話して心労をかけるわけにはいかない。
洗濯物は一度帰ってきたときに取り込んだから、真っ直ぐ洗面所に向かって手を洗い、うがいを済ませ、自分の部屋に戻る。
後ろ手でドアを閉めてから、あっ、台所からおはぎ持ってくれば良かったな、と気がついたが、戻る気力はなかった。
今日はいろいろありすぎた。新しい学校。新しいクラスメート。変なファンシーショップの店員さん。……あそこのお店に行くの、やめた方がいいかな。でも、可愛い商品いっぱいあったし……いやでもなんか怖い。
残った僅かな体力で、引っ越す前からのお気に入りであるライムカラーの丸いミニテーブルの上に、ハニワと腕時計を並べる。
「あー……かわいいなぁ……」
このハニワを見ていると、心がほっと癒される。えへへ、と思わず口元がほどけた。
ハニワのファンシーグッズはそう珍しくないけれど、こんなに心惹かれる物に出逢ったのは初めてかもしれない。
それにしてもこのフィギュア、鎧だったり頭の金色輪っかだったり刀だったりを着けてて、ちまっとした可愛さの割に装備はゴツい。なんだか妙な覇気を感じる。……実は神様だったりして。
家にひとりぼっち。メンタルの傾き。良い買い物をした高揚感。三つが手を取り合って、僕に柏手を打たせた。
「ハニワ様、ハニワ様……どうか僕にともだちの作り方を教えてください……」
なんて、祈ってみる。
天野くんには、熊島くんや今田くん、木霊さんっていう友達がいるみたいだった。いいな、いいな、僕もあありたいなぁ。願わくば、天野くんみたいに“普通”になりたいなぁ。普通に友達がいて、普通に人と話せて、普通に好きなものの話をして……。
あ、お賽銭やお供えも必要か。僕はおもむろに立ち上がって、おはぎを取りに行こうとした。
小学五年生にもなって何やってんだか、と内心苦笑いする。でも、どうせ明日も心臓は動いているだろうから、今だけは現実逃避してみたいのだ。
(────心得た。我の力を使え)
「……はい?」
足が爪先から凍りついた。
今の、声、なんか、聞き覚えが。
聴覚を研ぎ澄ますと、車の走る音、子どもがきゃあきゃあ遊ぶ声、風が吹く音、冷蔵庫のモーターの低い唸り声が聞こえる。それだけだ。なぁんだ、やっぱり気のせいか……
そう思っている、いやそう思いたいのに、僕の首は勝手に後ろを振り返っていた。
振り返ったら必ず“ナニカ”と出会うのは、古今東西のお約束だと言うのに。
瞬間、青い光が弾けた。
「うわぁぁぁぁ!?」
そう眩しくはない、だけど、光源もないのに、新体操のリボンのように宙に広がり重なり回り出す光の輪っか。その中心で、
『ぼける〜♪ こける〜♪ 前歯〜欠ける〜♪』
「ま、前歯!? 前歯がなんですか!? 折られるんですか!?」
事態の重大さに見合わない、軽快で気の抜けるようなリリックがどこかから降ってくる。僕はそれに翻弄されるばかりで、部屋から逃げることすら思いつけない。
『パンツ〜下げる〜♪ こ〜ま〜る〜♪』
「さ、裂ける!? 八つ裂き!?」
光が収束する。音楽もフェードアウトする。
直後、ピンクか紫っぽい、綿雲みたいな煙がポンと音を立てて現れ、視界を覆い────そして、消えた。
「な、だ、だれですか……!?」
こんな摩訶不思議な非常時に腰が抜けなかった僕を、未来の僕はちょっとでいいから褒めてやってほしい。自己紹介のときより落ち着いてるじゃん、っていうツッコミはナシだ。
「……ん? え、あれ!?」
煙の中から現れたモノを見て、僕は驚愕した。
そこにいたのは、大型犬サイズにまで巨大化した、あのハニワフィギュアだったのだ。
ハニワ様は腕(らしきパーツ)をニョロニョロ動かしながら、
「我が名は『ヤマトボケル』……“妖怪”です」
……喋った。日本語喋ってた。ハニワが自立して動いて、話している。僕は夢でも見ているのか。寂しさのあまりイマジナリーなフレンドを生産してしまったのか。
何度も目を擦ったり、頬をつねったりしてみるが、状況はちっとも変化を見せない。
いや、冷静になれ。落ち着け雨村モミジ。ハニワ様が大きくなったりとかヌルヌル喋って動いたりとかの超常現象は一旦考えないことにする。僕に科学の知識はないし、無理に分析することは不可能だ。
このひと……じゃない、妖怪はなんて言ってた? 妖怪? これ妖怪なのか? ろくろっ首とか、ひとつ目小僧とか、から傘お化けとか、の妖怪?
「えと……ハニワ様は、ハニワの妖怪なんですか?」
「ハニワ様? いいえ、私は全てのボケの生みの親、ヤマトボケルです」
「全てのボケの生みの親」
『の』が多い。でも、ボケって、お笑い芸人のボケ? 馴染みある単語を聞いたら、急速に頭が冷やされてきた。目の前の不思議現象が、理解できるレベルにまで落ちてきたからだろうか。
「全てのボケの生みの親……サンシャ○ン池崎さん?」
「そうと言っても過言ではありませんね」
「へぇ〜……」
そうか、ハニワ様はサ○シャイン池崎さんだったのか。僕、芸人さんと会話したの初めてだ。妖怪と会話したのも初めて。ハニワが動いて喋っているのだから、芸人が妖怪でもおかしくはないな。……あれ? なんか僕混乱してます?
混乱は良くないな。深呼吸深呼吸。酸素を摂取しよう。それから、えーっと脳を動かすには何が必要? 糖分と水分だっけ。台所のおはぎとお茶、取りに行こう。元々そのつもりだったし。
そこで僕は、今自分の部屋にお客さんがいることを思い出した。
「………………あのー、ヤマトボケル、さん……? おはぎ、お好きですか?」
────ある秋の暑くも寒くもない日。
僕は、『奇妙なモノ』に出会った。
本日も雑多に知的生命体が行き交う、アオバハラの街。隣に位置するニュータウンから買い物目的でやってくる人間も、
その端っこにあるプレハブの中で、『イナウサ不思議探偵社』は営まれている。
「もー、びっくりしたよ! セラピアーズのポップアップストアに行くぞー!! ……って思ってたら、道端にメラメライオンが倒れてるんだから! もしかして、熱中症ってやつでありますか? 妖怪も熱中症になるの?」
「メラ……メラメラ……」
「違うって言ってるダニ。ていうか、今9月ダニよ」
未空イナホは、氷水に漬けたタオルを絞って患者の額の上に置いてから、「チッチッチッ」とメトロノームのように人差し指を立てて振る。
「USAピョンは日本の気候が分かっておりませんなぁ。9月になったからって急に涼しくなるわけないじゃん。ここ数年は、9月でも結構気温高いんだよ? 天気予報でも、明日は28度まで上がるとか言ってたし!」
「そういうものダニ……?」
USAピョン、と呼ばれた小動物の妖怪は、相棒の説明に首を傾げた。
生前、ヒューリー博士が話してくれたことによれば、
「でも、今朝はずいぶん寒かったダニ」
「あれは妖怪のせいだったって、ケータさんが言ってたよ?」
イナホの隣のクラス、5年2組に在籍する天野景太。イナホよりもずっと前から妖怪ウォッチを所有しており、妖怪マスターとして有名な彼が、今朝もまた妖怪不祥事案件に遭遇したという話は、USAピョンも近くで聞いていた……のだが。
「何か引っかかる? ナメ吉の勘?」
「まぁ……って、テメー!! ミーはナメ吉じゃないダニー!!」
USAピョンが手足をバタバタさせて烈火の如く怒ると、「ごめんごめん、でもよく似てるじゃん」とイナホがケラケラ笑う。全く、コイツは何度ベイダーモードの歯牙にかかってもちっとも反省しないのだから。
小さな肩をすくめると、患者────妖怪『メラメライオン』が、上半身を起こそうとする。
「メ、メラ、メラ……」
「あっ、まだ安静にしてるダニ!」
比喩でなく、文字通り炎のように燃え上がるたてがみの勢いは、以前見たときより若干色褪せている。体力をかなり消耗した証拠だ。
「メラ……メラメラ、メラ!」
「……なんて言ってるの、USAピョン」
「『熱中症じゃない、人間に取り憑こうとしたらいつの間にか倒れてた』……ダニ?」
人間に取り憑こうとしたら、という部分に強い印象を受ける。「こりゃ見事にあからさまな伏線ですなー!」と、イナホは内心ウキウキし出した。久々の難事件の予感がする。きっと、その人間が事件の鍵を握っているのだろう。
「じゃ、そのときの状況を分析したら、メラメライオンを襲った犯人が分かるかもしれないよね! ……ハッくん、お願い!」
「はい、お任せください〜」
早速イナホは、横で待機していた、真っ白な
ハクは記憶を“映す”という、探偵向きの能力を持つ妖怪だ。上手く使えば億万長者になれるだろうに、金銭欲がないため無給で働いてくれている。まぁ、大半の妖怪にとって、ただ生きるだけなら労働は必要ないものなのだが。おばけは死なない。受験も会社もない。
記憶を調べるなんてそんな大げさな、とUSAピョンは一瞬考える。しかし、こういう所轄の小さな事件が、いずれ国の暗部を揺るがす大事件に発展してゆくのはある種の
「それでは〜、ハァ〜……クゥ〜!」
メラメライオンから、ガラスの欠片のような“記憶”を吸い込み、ハクがそれを吐き出すと、ガラスは薄いスクリーンとして再形成される。
映し出されたのは、イナホたちも見慣れたアオバハラの通りだった。これはメラメライオンの視点だろう。
正面から歩いてくる少年に目が行く。少年はイナホと同じくらいの背丈で、きちんと切りそろえられた黒髪をヘアピンで綺麗に纏めている。どこか浮かばない表情で、緑がかった両目を伏せていた。
「メラ! メラ、メラ!」
「コイツに取り憑こうとしたんダニ?」
確かに、少年はぐったりドンヨリした雰囲気で、『とりつき』で燃やしがいのあるモヤシボーイだろうけども。
画面の中で、取り憑きの際に発生する紫色の妖気が少年の頭上に降り注ぎ────直後、画面がブラックアウトした。
「ここで記憶が途切れてる……つまり、メラメライオンの言う通り、取り憑こうとした直後に何かあったってことかな……」
「さっきのヤツ、小学生みたいだったダニ……イナホ、心当たりはないダニ? 同じ学校のヤツかもしれないダニ」
「うーん……」
イナホは、先ほどの少年の顔をじっくり思い返してみた。あの子、どこかで見たことが……見たことが……見た、ことが……
「────うん、全然心当たりナシ!!」
未空イナホ、全方位オタクの11歳。
彼女は、隣のクラスの事情に疎かった。
全く関係ないんですが、お互いを『さん』付けで呼ぶケータとイナホの関係性が大好きです。