『兄上と旅行〜…………兄上と旅行〜…………この偉大で高貴な老婦人たるわらわが、たかが温泉旅行で楽しみなんて思わないけど〜…………正直いと楽しみ〜』
闇と焔に包まれた空間。あちこちに蠢く妖魔たち。常人が見れば、地獄を想起するような場所。そこに、人の営みに根付いたインテリアである畳や襖が配置されているのは、空間の異常性を助長していた。
そこに響く、ささやかで玲瓏な歌声。
歌は妖気汚染を清め、心にこびりついた悪感情を祓い、ムゲン地獄に虹を架けた。
『弟もいっしょ〜ビババァノンノン〜…………』
歌の主は、月神ツクヨミ。三貴神のひとりである。60年前の空亡撃退への貢献は、妖怪たちの記憶に新しい。
そんな彼女が何故かお風呂セットを抱えて歌っているのは、なかなか風変わりであったが、妖怪というのは元々変な連中ばかりなのでそこは誰も気にしなかった。
ムゲン地獄だなんてクリア後の裏ステージじみた場所に、
『いーい
ツクヨミはバナナの皮を踏んづけて思いっきり転ぶ────が、しかし。そのまま頭や背中を打つのを許すほど、ツクヨミは阿呆ではない。
素早く宙を蹴り、転んだ勢いを活かしてクルッと縦に一回転。数秒後には、何事もなかったかのように身を起こした。体操選手のそれより、遥かに優雅な演目であった。
『やれやれ…………ゴミのポイ捨ては邪悪の始まり、怠慢な心の表れ。看過できるものではない。ましてやこのわらわを斯様なもので陥れようなどと…………』
ツクヨミがゴミを拾おうとした、そのとき。
『どんどろ〜ん‼︎』
『ぎぇええええ‼︎』
たまたま上層に遊びに来ていたどんどろが、ちょうどバナナの皮を踏んづけて、すってんころりん大回転。
そのままツクヨミに激突。
コロコロ転がり、転がり、転がり、地獄に混乱を振り撒く。
周囲の妖怪たちは一目散に逃げ出す。
回転する巨大釜の行き着く先は、最奥の襖。
当然、激突。
強い衝撃。豊富な妖力。ちょうどいいお天気。なんかふたりの妖怪のピンチ。
そこで、
夢や眠気を誘い出す白煙が、空に溶ける。
ハクさんは、大変気まずそうに、僕たち
「い…………以上です」
僕たちの視線は、自然と一点に集中した。
膝を揃えて正座し、プルプル小刻みに震える月神と厄災である。
「た、大変申し訳ございませんでしたァァァァッ‼︎‼︎」
「どんどろどろどろ〜ん‼︎‼︎」
格の高そうな神様が、額を土に擦りつけて謝り倒す様子は、逆にこちらが申し訳なくなるくらいだった。
「オレの読み通り、不慮の事故だったな。まさかバナナの皮とは思わなかったが」
「それにしたって原因がしょーもなさすぎるニャン。というかどっちもアホすぎるニャン」
「ジバニャン! アンタなんてことを! いくら事実でも言って良いことと悪いことがあるんでうぃす‼︎」
「ウィスパーも結構ひどいよね」
エンマ大王やケータ先輩たちの容赦ない会話にトドメを刺され、ツクヨミさんとどんどろさんは更に項垂れる。
「うう…………浄化の神でありながらこの失態…………我ながらなんと情けないことか…………‼︎」
「どんどろ〜…………」
僕がパティシエさんと別れたあと。
気がつくと、僕とガブニャンさんは外に戻されていて、ヨミどろさんは消滅。ヨミどろさんがいた地点には、今回の事件の元凶たる妖怪がふたりして倒れていた。
妖術で傷を癒やしたあと、イナホ先輩が事態の真相を明らかにするためハクさんを呼び────そして、今に至る。
ヨミどろさんが分離したからなのか、あれだけ地を埋めていた無限のヒマワリは、跡形もなく消えた。暴走する妖気により汚された赤黒い空も、じきに元に戻るそうだ。
さっきまでバトルフィールドだったこの場所には、調査員らしき多種多様な妖怪たちがゾロゾロやってきて、クリップボードを手に指差し確認したり、いろいろ相談したりしている。
「残る謎は、自称すっぽんぽんのパティシエ武士…………モミジくんの危機を救ったその御仁は、果たして敵か味方か? これはもう1クールくらい引っ張りそうな伏線ですなぁ! うおー! 考察厨の血が騒ぐぜ!」
「イナホは何言っとるダニ…………?」
そう、あのパティシエさん。ヨミどろさんが消滅したのに、あのひとは現れなかった。「その手のキャラが死んだとは思えない。場の混乱に乗じて逃げたのかも」とは、イナホ先輩の推理である。
ケータ先輩にも相談してみたのだが、そんな妖怪は知らないようだった。エンマ大王も心当たりがないようで、「…………まぁ、そのうち分かるんじゃないか」と曖昧なことを返された。
剣を携えていたり、鎧を纏っていたり、どう考えてもパティシエではないのは明白。一体、何者だったんだろうか。
ちなみにヤマトボケルさんだが、ここにはいない。急に“めんどくさい親戚”の呼び出しを食らったそうで、妖魔界に行くそうだ。ツクヨミさんへの聞き取りが始まる直前、それだけ言い残して去ってしまった。
「会議なんてどうだっていいニャン! あのハニワ、オレっちたちが苦労している間どこで油売ってたニャン⁉︎」
「そうなんですよね…………先輩たちも、エンマ大王も、ボケルさんのこと見かけなかったみたいだし…………」
ボケルさんのことだから、空から落ちても致命傷で済み、ヨミどろさんに対してボケを繰り出していたのかもしれないと予想していたが、外れだったようだ。
やることもないので、エンマ大王がケータ先輩たちと何やら話しているのを眺めていると、ポンポンと脛辺りを叩かれる。
見下ろすと、学士の格好をしたテディベアみたいな可愛い妖怪さんがいた。
「キミたちはそろそろ帰るクマ。細かいことはボクたちが調査しておくから、後日連絡を…………」
「うんちく魔〜! 例のパティシエの正体を知っているリーナ? 実は、あの妖怪には衝撃的な秘密が────」
「ネタバレリーナァァァァ‼︎いつもいつもボクの先回りをするのはやめるクマ‼︎」
「なんだなんだ? それは我の知らないことか?」
うんちく魔、と呼ばれた熊の妖怪は、バレリーナ人形のような妖怪にプンプン怒りながらそっちに行ってしまう。そこに絡んでいるのは、この間ともだち妖怪になったばかりの難陀竜王さん。
「レジェンド妖怪がトリプルで…………これはもしや、結構デカめの
「あのメンツのことだから、暇で遊びに来たくらいの感覚だと思うダニ…………」
「ふん! レジェンド妖怪なんて、オレっちの敵じゃないニャン!」
「ユーは毎ターン強がり言わないと死ぬダニ?」
ガブニャンさんがふんぞり返るのを見て、USAピョンさんが呆れる。
今日は、ガブニャンさんに迷惑をかけてしまった。僕がもう少しテキパキ動いていたら、もっと早くガブニャンさんを見つけられたかもしれないし、もっと言うなら、空から落ちる段階でガブニャンさんをちゃんとキャッチしておけたのに。
なんだか今日、僕は何もしていない気がする。魂の分離だって、結局は僕の体質がたまたま作用しただけの話であり、僕が意図してやったことじゃない。ボケルさん、イナホ先輩、USAピョンさん、それにあのパティシエさんがいなければ、ここまで辿り着けなかった。
反省ばかりの日々である。ウォッチを手にして、妖怪の世界を知ったとて、僕自身はまだ何も変わらない。一歩、いや、半歩踏み出した程度だ。
今日のところは、言われた通り、まっすぐ家に帰ろう。そう思った直後。
「どんどろ〜ん!」
どんどろさんが、僕の目の前に出現した。
ただし、オリジナルサイズではなく、大型犬と同じくらいのサイズで。
「えっ? ち、小さいどんどろさん…………? 可愛い…………けどなんで?」
「どんどろの分霊ダニ」
振り向くと、確かに、元のどんどろさんは他の妖怪に囲まれていて、何やらワイワイ盛り上がっている。
分霊どんどろさんは、僕の足元までテチテチ駆け寄ると、闇を練ったような黒い手を伸ばしてきた。手のひらに乗っているのは、どんどろさんの妖怪メダル。
「どんどろ〜!」
「…………ふむふむ。『おまえとともだちになる』って言ってるダニね」
「えー⁉︎」
ますますなんで? 僕、どんどろさんに感謝されるようなこと、特にしていないのだが。
「どろ〜ん。どんどん、どんどろ〜!」
「『あのままツクヨミとくっついていたら死ぬところだった。おまえが穏便に対処してくれたおかげだ』…………そうダニ」
「いや、でも…………」
あれは本当に偶然で。だから、僕が誇っていい成果ではなくて。
けれど、イナホ先輩は僕の卑屈な考えを即座に否定した。
「モミジくん。過程がどうあれ、この事件を解決したのは間違いなくモミジくんなんだから、報酬たんまり頂いちゃっていいんだよ! ワタシなら、ギフトカード一万円分+セラピアーズの限定フィギュアぐらい貰わないと対価として相応しくないかな〜っていうか?」
「強欲すぎるダニ!」
「え〜。別にいいじゃん、そのくらい要求してもバチ当たらないって!」
にへーっと笑うイナホ先輩。そんな先輩を咎めてポンポコ怒るUSAピョンさん。会話のリズムも慣れた様子で、これが歴戦のバディなのだろうなと思う。
確かに、イナホ先輩のおっしゃる通りだ。ここで意固地になってメダルを受け取らない方が失礼に当たるだろう。
「…………ありがとうございます、どんどろさん」
「どんどろ〜!」
ポンッと、軽い音と煙を立てて、分霊どんどろさんは消えた。僕はメダルを、カバンのポッケに仕舞う。
すると、今度はUSAピョンさんが妖怪メダルを手渡してきた。
「ついでにミーからも
「い、いいんですか?」
「あたりまえダニ! モミジはもう、イナウサ不思議探偵社の仲間ダニ!」
困ったことがあれば、いつでもヘルプに呼ぶダニ。そう言って、USAピョンさんは笑いかけてくれた。
「姉上!」
「スサノオ!」
ふと向こうを見やると、上空から駆けつけてきた武士らしき巨躯の妖怪が、ツクヨミさんに抱きついた。記憶でも語られていた、ツクヨミさんの弟だろう。
ツクヨミさんとどんどろさんを傷つけずに、この事件を平和に解決した、その一端に僕はいるのか。
ひとりのウォッチ使いとして。不思議探偵社の一員として。
少しは、誇れるような仕事ができたのだろうか。
「さっ、ケータきゅん! それに皆さんも! 早くお家に帰りましょう! おいしいごはんにポカポカお風呂、あったかいお布団で眠り、明日の授業の準備をしなくては!」
「げっ‼︎そうだ、明日も学校あるんだった…………」
「ねえUSAえも〜ん、簡単にズル休みさせてくれる妖怪出して〜‼︎」
「いいからさっさと帰るダニ。うんがい鏡呼べば、直で帰宅できるダニよ」
「すぐ帰りたいわけでもないんだよなぁ、もっとこう、探偵としては? エピローグ的な? 余韻に浸らせてほしいっていうか…………」
僕はUSAピョンさんのメダルもちゃんと仕舞い込みながら、元気に不満を話す先輩たちの後についていく。
トンネルを抜けると、そこには。
「…………わぁっ」
無数の星が、群青色の天を満たす。星は赤、青、金、銀と様々な色彩に磨かれていて、遥か遠くで夢のように灯っていた。
この世のものとは思えない、けれど実際にこの世にある、美しい景色が広がっていた。
「もうすっかり暗くなってるダニね。こうしてジャポンの夜の街並みを見ていると、USAを思い出すダニ…………」
「ケータ、オレっちお腹空いたニャン! 早く帰ってチョコボー食うニャン!」
「モミジ、もっと早く歩けニャン! 早く帰って、オレっちをチョコボーで労うニャン!」
「ウィス〜…………猫妖怪って、みんなこうなんですか? ジェントルに欠けていますねぇ」
「ウィスパーもそこまでジェントルじゃないよ」
「ガーンッ‼︎」
家のひとつひとつに、星とは異なる、人工の光が灯る。そこに、僕の知らない人の営みが、物語が、息づいている証拠。
夜は、暗くて怖い。けれど、僕が夜を好きなのは、これまで過ごした一日がひと段落して、明かりのある落ち着く
この空を、この夜を、取り戻した一因が僕であるというのなら。
それは、100万ドルにも勝る喜びだ。
【現在のともだち妖怪 13/100】
◇ツクヨミ
種族 ポカポカ
ランク S
分類 “元”守護霊
好物 天ぷら
月に代わって悪しき存在をお仕置きする守護神妖怪。まばゆき夢幻の光をもって地上を浄化するが、「ヒーローらしさを出したい」とのことで、基本的にキックで戦う。すなわちライダー派。
実力、権威共に妖魔界でも最高峰だが、現在は守護神業を引退して、後継の育成に精を出している。
兄弟大好き。子孫のことも好きだが、しつこく「靴下を履け」と言ってくるのは気に入らない。
◇どんどろ
種族 ウスラカゲ
ランク S
分類 ボス妖怪
好物 そば
戦争で散った妖怪たちの魂が集まって生まれた妖怪。強大な力を制御できず、妖魔界に大きな災厄をもたらしたため、暫く封印されていた。
かつてはその名を禁句とされるほど恐れられていたが、とある妖怪ウォッチ使いの少年の活躍、どんどろ自身の弱体化、あと近年の敵の味方落ちパターン多発などもあり、その扱いは有耶無耶になりつつある。
元が負の感情由来であるためか、あらゆる負のエネルギーを吸収する能力を持っており、普通の攻撃は効かない。全盛期のどんどろを倒す手段があるとすれば、強い妖怪による暴力のゴリ押し、お笑い大会、どんどろを可愛いと思ってる無知な物好きをぶっこむくらいだろう。