「この家には、相変わらずつまらんものしかないな」
「ならその菓子から手を離せ」
口調こそ粗暴であるが、やはりご丁寧にもお茶と菓子を用意してくれる馬鹿で愛おしい子孫に対し、賢神はやれやれと肩をすくめた。
それにしても、鉄面皮のくせに意外と分かりやすい奴だ。おふざけを演じているときより感情表現が豊かである。
声音からは、明らかな苛立ちが感じ取れた。この妖怪は、自分のペースを乱されることを極端に嫌う。
妖緑茶から立ち昇る湯気は、日輪の恵みを浴びて多少神気を帯び、そして部屋の空気に溶けていく。
「…………今日は“着て”いないのか」
「予備も含めてクリーニングに出した。貴様こそ、今日は省エネ形態ではないのだな。体力が有り余ってるなら外でも走ってきたらどうだ?」
「もう散々そうしたよ」
妹を探して、妖魔界、人間界、日本だけでなく海外にまで足を伸ばし、今日まで全国を飛び回っていたのである。
それがよもや、さくらニュータウンにいたとは。太陽神が灯台下暗しとは、間抜けな話だと我ながら思う。
賢神は自らの至らなさに痛みを覚えつつ、頭を下げた。
「先の件、感謝する。お前のおかげで、妹は無事帰ってきた」
「…………何のことだ」
「正直、お前が手伝ってくれるとは思わなかったのだ…………
「知らんな。私には関係ない」
「雨村モミジのこともか?」
相手が眉を顰める。お天道様の目からは逃れられないとは知りつつも、こうやって引き合いに出されるとは予想外だったらしい。
「雨村モミジ? …………あっ、ああ、例の新しいウォッチャーか。ヨミどろの事件解決に貢献したとかいう」
「他人事のように話すのだな」
「他人だろう。“私”は、彼のことなど何一つ知らない。
平静を装ってはいるが、目が泳いでいる。400メートル自由形金メダリストは、言うまでもなくこの男だ。
「ほう? …………そういえば、我が家の納戸で借り暮らししていた件、今回のことで帳消しにしてやってもよいぞ」
「マジで⁉︎ご先祖様大好き‼︎」
「……………………」
賢神アマテラスは思った。
コイツ、超めんどくせえ。
「なら、こっちも、『空亡復活前に退治しようとして失敗して三兄弟揃って全滅して弱体化して十数年行方不明になったと思いきや実は人間界で子守りしてました〜』なんて暴挙も許してあげますねっ‼︎血統尊重するくせに子孫にすらホウレンソウできないご先祖様大好き‼︎」
「その件は何度も謝ったぞ」
「ごめんで済むなら裁判所は要らないんですぅ〜。アウト〜。タイキック〜」
「う、ううむ…………」
反論できず、というかムカつきを抑えるために、アマテラスは唸る。
このブレーキぶっ壊れ自走型おしゃべりボケ野郎…………ではなく可愛い子孫。
後継者問題(今どき世襲制やるならせめて家族仲良好であれよ、なあエンマ大王様ヨォ〜問題とも言う)に揺れる妖魔界。
いくら無力な存在となって妖魔界への連絡・帰還が困難だったとはいえ、そして救ってくれた人間への恩義に報いるためとはいえ、60年前に大切なもの両方をほっぽり出したのは、紛れもない事実なのだ。
「ふっ…………貴殿がそこまで言うのであれば? 今後は私に毎月のお小遣い5京円を送金することで赦そう。あと米俵30トンとスイーツバイキングと図書カードと妖zonギフトカードと青春18きっぷとAIスピーカーとマッサージチェアとジャグジーとナイトプールと」
────その日、アーマーテラス邸から、1匹の妖怪が射出され、遂には星となって消えたとさ。
授業やリハーサルよりも格段に濃く、明確に引かれた白線。
グラウンドを囲むように立ち並ぶテント。
透明な青天を彩る万国旗。
袋の破裂音にも似た銃声を合図に、ランナーが4人飛び出した。
それと同時に爆発した、割れんばかりの歓声が耳をつんざく。少々疲れを覚えてしまって、僕は席を立ってグラウンドの隅に避難した。
カメラを抱えた保護者たちも、ここにはまばらにしかいない。花壇に腰掛け、幸せが逃げるような溜息をつく。
「やっぱり…………苦手かもしれません、運動会」
「フン、馬鹿め雨村モミジ! そんな甘ったれたこと言ってると、オレっちに寝首を掻かれるニャン‼︎」
「BANG‼︎」
「「きゃー‼︎」」
犬が吼えるような大声に驚いて、僕とガブニャンさんは揃って尻餅をついた。
見れば、ボケルさんが、ダンボール製空気砲を構えてそこにいる。心なしか、ぼやっとしたハニワ顔は、ニヤニヤ笑っているように見える。
「どうしたんですかガブ野郎。うるさいのを嫌がるのは甘えじゃないんでちゅか〜?」
「おおおおオレっちはいいのニャン! オレっちはヴァンパイア、ならば弱点である銃を恐れるのは臆病ではなく闘気を絶やさぬ強さの証…………」
「ヴァンパイア(笑)も何も、銃で撃たれたら大抵の生き物は死にますけど」
「うるせえバーカ‼︎」
ボケルさんがガブニャンさんを揶揄って遊ぶのも、最早見慣れた光景になりつつある。
先週のヨミどろ事件直後、親戚の家に帰省していたボケルさんは、全身ミイラ状態で帰宅した。聞けば、狭量な親戚から理由のない暴力を振るわれたらしい。僕は心配だったが、ボケルさんは一晩寝ればすっかり元の新品ハニワに戻っていた。妖怪、やっぱり丈夫である。
そうなると気になるのは、あのときの自称パンイチパティシエさん。なんとなく人間ではなさそうだが、妖怪だとしても、ヨミどろさん分離の衝撃で後遺症を負っていないか不安だ。今頃、どこで何をやっているのだろうか。
ちなみにツクヨミさん、どんどろさんに関しては、1ヶ月の謹慎処分ということになったらしい。
夜が消えたあの事件に関しては、人間界ではほとんど取り沙汰されていない。まるで魔法にかけられたように、そんな非科学的なことは最初からなかったかのように、時間が進んでいた。これも妖術なのだろうか。
「…………モミジくん、ここにいたんだ」
考え事をしていると、隣に座る人がいた。日影真生さんだ。
「あ、さ、さっきはどうも…………」
「さっき?」
「に、二人三脚のとき…………2位に漕ぎ着けたのは、日影さんの助けあってこそなので…………」
「ああ」
心配していた二人三脚だが、なんとか2位でゴールすることができた。せっかくなら1位になりたかったところだが、そこまで高望みすると不幸がやってきそうなので、考えないでおく。
「モミジくんが、ちゃんとリズムを守って走ってくれたから、僕も上手く走れたんだよ。だから、これはモミジくんのおかげ」
「え? い、いや、あはは…………いやぁ」
褒め言葉は素直に受け取っておかないと相手に失礼、とは頭で理解していても、体が知識に追いつかない。ついこの間まで、親とすらマトモな会話をしていなかったコミュ障の僕は、対人コミュニケーションに体が慣れていないのだ。
「ひ、日影さんも休憩ですか?」
「うん。まぁ、でも、それだけじゃなくて」
日影さんは、眼鏡の奥の目をひととき伏せる。
僕の足元で取っ組み合いをしていたボケルさん、ガブニャンさんが、訝しげに首を傾げた。
「モミジくん、君に話があるんだ」
「話…………って、なんですか?」
日影さんが切り出そうとしたとき。
突如として、業火が渦を巻いて顕現した。
「ひゃえ⁉︎」
火事かと思われたが、炎はすぐにかき消えて、中から人が出てくる。
古風な赤い装束。金色の髪。若々しくありながら、どこか歴戦の勇者を思わせる凛々しい顔立ち────
「うえっ、エ、エンマ大王様⁉︎」
「よぉモミジ。先週振りだな」
エンマ大王は、友達にするみたいに軽く手を振り、にこやかに歩み寄ってきた。
彼は非常に人間に似通ったシルエットではあるものの、あくまで妖怪だから、僕以外の人には見えないはずだ。急に僕が変なことやったり言ったりして、日影さんは僕を奇行少年と思ったかもしれない。
しかし、エンマ大王は日影さんの方を見やって、ニヤリと笑う。
「アンタも久しぶりだな、オ・ジ・サ・マ」
「その呼び方はやめてよ」
日影さんは気まずそうに、エンマ大王から目を逸らす。
「…………え?」
おじさま?
「おい、まだ言ってねえのか?」
「言うタイミングが見つからなくて」
おじさま?
って、誰が、誰の?
僕の脳内で、クエスチョンマークたちが円陣を組み、マイムマイムを踊る。
「あの、おじさま、って。というか、日影さん、妖怪が見えて…………」
「うん」
日影さんは首肯した。
「モミジ。コイツは…………日影真生は、先代エンマの息子だ」
「え」
「先代はオレのじいちゃんだから…………いろいろ因果関係は複雑なんだが、ざっくり表すと、コイツが叔父で、オレは甥っ子だ」
「叔父なんて名目上の話だよ…………年齢は君の方が上じゃないか」
「そんな
日影さんが、エンマ大王の叔父さん。先代エンマは今の大王様の祖父。今のエンマ大王は、日影さんの甥っ子。それすなわち。
「日影さん、妖怪だったんですか…………?」
「うん。もっとも、人間としての生活の方が長くなるけどね」
「じゃ、じゃあ」
見下ろすと、ハニワと吸血猫がポカンと口を開けて、日影さんを見上げていた。ひとりの人間と、ふたりの妖怪の目線が、バッチリぶつかる。
「ごめん。最初から見えてたよ」
「ニャニャー⁉︎こんなモヤシが王族なのニャ⁉︎」
「初めまして、ヤマトボケル、ガブニャン。ケータくんから話は聞いてるよ」
「ここで私のラップを聞け‼︎『人類全員寿退社』‼︎」
ガブニャンさんは喫驚し、ボケルさんはマイクをしゃもじに持ち替えてライムを刻み始めた。
「え、ケータ先輩は日影さんのこと知ってるんですか?」
「成り行きで助けてもらったことがあって…………」
「イナホもとっくに知ってんじゃねえの?」
「YO! YO! 私はYo-kai、ファンクな天才、投じるぜ私財、ストーカー許さねえ金輪際!」
「オレっちの腹巻きに石鹸をねじ込むのやめろニャン‼︎」
そうだったのか。まさか、クラスメイトにも妖怪がいたなんて。
でも、考えてみればそうだ。妖怪が人間に化ける話なんて、世の中に溢れている。じんめん犬さん、夜行さんみたいに、妖怪が見えない人でも見える妖怪もいることだし。それに、エンマ大王やツクヨミさんのように、何も知らなければ人間に見えるものもいる。
僕としたことが、妖怪が見えるようになっても、まだ見識が浅かった。
でも、なんでさくら第一小に通ってるんだろう? という疑問が浮かぶが、エンマ大王の顔を見て、別の用事を思い出した。
「そっ、そういえば! 大王様、あの…………」
「なんだ?」
僕は、ポケットからエンマ大王のメダルを取り出した。もしまた謁見できたら、すぐに出せるようにと入れておいたのだ。
アメジストの輝きを手のひらに乗せる。
「こ、これ、なんですが。“万が一の時のため”に預かっていたもので…………」
「ああ…………それか」
エンマ大王は、右の拳を口元に当て、暫し黙考する素振りを見せた後、簡潔に答えた。
「それ、そのままお前が持っておけ」
「は」
何を言っているのか分からない。持っておけと言ったか? これを? 重要文化財を? たかが小学生が、素手で持ち運べと?
「お前が妖怪との絆を失わない限り、今後も妖怪絡みのデカイ事件に巻き込まれるかもしれねえからな。
「ひ」
「アイツらにも渡してんだけどな。ケータは意味不明なことで召喚するし、逆にイナホは全然召喚しねえし。ま、お前も気が乗ったら使えよ」
「ふ」
へほ?
一方、ボケルさんはガブニャンさんをdisりつつ石鹸を腹巻きに捩じ込み、ガブニャンさんはハニワの穴の部分にスナック菓子の食べカスを捨てていたが、僕には注意する余裕がなかった。
そこへ、観客席の方から走ってくる人が2人。
「モミジくーん! マオくーん!」
「午前の部、もうすぐで終わるから戻りましょー…………って、なんでエンマ大王がここに⁉︎」
ケータ先輩とイナホ先輩だ。エンマ大王の姿を見つけると、一瞬2人とも目を丸くしたが、すぐに平素の表情に戻る。
「お前ら、運動会は楽しんでるか?」
「いやまぁフツーにやってるけど…………どうしたの? 急に学校まで来るなんて」
「なに、ちょっと人間界の視察がてら、お前らの様子を見に来ただけだ」
「そんなこと言っちゃって〜。さっき、探偵社のおしらせったー垢に
「げっ、バレてたのかよ」
先輩は2人とも、あのヨミどろ戦のときと同じく、遠慮も不躾さもなく、親しげにエンマ大王と接していた。流石は先輩たちだ。コミュ障の僕とは違って、積極的に前向きな会話が出来ている。
エンマ大王は、一つ咳払いしてから言った。
「それより、お前ら早く戻らないとまずいんじゃないのか?」
「あっ、そうだった! 午前の部終わるから、グラウンドに集合する用意をしないと」
「モミジくん、マオさん、行きましょう!」
「は、はい…………ボケルさん、ガブニャンさん、大丈夫ですか?」
「これが大丈夫に見えるかニャン⁉︎お気にの︎腹巻きがヌルヌルニャン‼︎おのれ‼︎殺してやるぞ雨村モミジ‼︎」
「このハニワ、クリーニングしたばっかりなのに‼︎どうしてくれるんですか‼︎側溝にハマって死になさいガブ野郎‼︎」
「ぼ、僕がクリーニング代出しますから…………」
僕は喧嘩する妖怪ふたりをどうにか宥めつつ、ある重要なことを決意した。
────そうだ、スイス銀行に行こう。
【現在のともだち妖怪 14/100】
「オロチがお弁当作ってくれたんだ。君も一緒にどう?」
「いや、もうお暇させてもらう。ぬらりが
「そっか」
マオは頷く。サボりも勿論あるだろうが、様子を見に来たというのはあながち嘘でもないのだろう。この片割れは、かなり面倒見が良い。自分に敵対したぬらりひょん等を、簡単に切り捨てないくらいだ。その性格が、王の器に相応しいと認められたに違いない。
エンマ大王は、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら歩く、猫と武士と小学生3人の背中を見送る。
赤い炎の光だけで構成された鋭利な眼差しに、ほんの僅かであるが、涼しい郷愁の影が滲んでいた。
「マオ」
「ん?」
「────ともだちってのは、イイもんだな」
「…………そうだね」
エンマ大王がマオを叔父と呼ぶのは、冗談半分の取り繕いだった。
ふたりは表裏一体。優劣のない、相似どころか合同の存在。叔父と甥、人間と妖怪、王位を譲ったものと譲られたもの。立場こそ正反対だが、本質的には対等だ。しかしながら、それは出生に関わる機密事項であるから、それを表立って態度に出すことは、双方がしない。
「僕も、そろそろ行くよ」
「おう」
マオはエンマ大王の隣から離れ、ケータたちに合流する。
エンマ大王は、空を見上げた。
人間にとって妖怪とは、昼のお星のようなものだ。
見えぬけれども、妖怪はすぐそばにいる。夢見る夜にしか会えない、なんてことはない。
たとえどれだけ遠く離れても、年月が経っても、人間と妖怪は同じ世界にいる。
今頃、どこかで同じ空を見上げているであろう友を想い、王となった少年は瞼を閉じる。
「シン。タエ。…………お前らの守護霊、なんとか守れたよ」
もはや太陽の加護を必要としなくなった少年は、再び炎と共に消えた。
後に残されたのは、妖気を含んだ生温い風。
◇マオくん
本名、
メカクレ眼鏡という儚げな容姿だが、実は先代エンマ大王の息子である。なんやかんやあって当初は記憶を失っていたが、なんやかんやあって妖怪ワールドのことを思い出した。
エンマとしての力は目覚めているようだが、そのときには既に甥っ子が王位を継承していたので、諸々のことはそっちに任せている。
◇エンマ大王
種族 エンマ
ランク S
分類 王族
好物 駄菓子
妖魔界を統べる覇王。本名は閻魔
自由奔放に見えて責任感が強く、どんな困難があろうとも最後まで投げ出さない。人間と妖怪が共に生きられる世界を実現することが野望。上記の通り、肉体面でも精神面でも圧倒的に強い光属性のため、他者のクソデカ感情をウェルダンに焼きがち。
マオくんは叔父にあたるが、年の差はあまりない(むしろエンマの方が年上)。かぐや様とマキちゃんみたいなものである。