僕はリモコンを見失ったことがない。突如強烈な尿意に襲われたことがない。電話の電波が悪くなったこともない。嫌なことは寝たら忘れるなんてそんなことできるなら最初からやっている。多分、全くないわけじゃないんだと思う。ただ、周りが嘆きながら話すものと自分が体験するものは異質である気がしてならない。
他人の話を聞いていると、耳介がどんどん痛くなって、喉が捻りあげられている感覚になる。耐えられないこともないけれど、その重しはずっと僕を苛んでいる。呼吸で得られる酸素が平均より少ないのに、永遠にマラソンをさせられている気分だ。
塾に行っていて勉強はそれなりにできるし、いじめられているわけじゃない。でも、なんだか、集団の中にいると居心地悪さを感じてしまうのだ。全ての出来事が、僕の手の届く範囲の外で進行している気がする。なんだか自分が透明人間になったみたいだ。
学校は勉強だけをするところじゃない。“友達”と協力する力を養い、より良く生きるために大切なことを学ぶところだと、いつかの朝礼で校長先生が話していた。
なら、毎日毎日、わざわざ透明人間になるために学校に行くのも、生きる上で仕方ないことなのだろうか。
電気ポットのお茶をマグカップに入れる。おはぎをパックから小皿に乗せ変える。それらを持って部屋に戻った。
「お、お待たせしました」
ドアを開けると、ファンシーグッズで溢れた最高のリラックス空間の中に、大きなハニワがちょこんと座っている。
まさか妖怪を部屋に招くことになるなんて、今朝の段階では夢にも思わなかった。今朝は、とにかく“普通”に振る舞うことばかり考えていたから。……無理でしたけど。
柏餅のクッションをヤマトボケルさんに用意して、自分はシュークリームのクッションに座った。
ヤマトボケルさんが、細い手で────どういう物理法則で支えられているのか────なんの苦労もなくマグカップを掴み、人間と同じようにお茶を啜る。
「
「ど、どうも、それはよかった、です」
お手前も何も、スーパーで買ったお茶パックをお湯で沸かしただけなのだが、とりあえずお世辞を受け取っておくことにする。
目の前のハニワ様がカップを置いたタイミングを見計らい、どうにか話を切り出した。
「ヤマトボケルさん、は……ボケの妖怪、でしたっけ」
「いかにも。私のボケは世界一、それだけで既に完成しているんです。なので、ツッコミは不要です」
「なるほど」
「ツッコミは不要なんですよ」
なんで2回言ったんだろう。妖怪って不思議だ。
「私が取り憑いた人間は皆、私のように素晴らしいボケをすることができます」
「はぁ」
「あそこでフィギュアとして売られていたのは、妖魔界のイベントで少々やらかしまして。クイズ大会でボケ続けていたら
「……そうですか」
相槌を打ちながら、僕は自分が置かれている状況を客観視してみる。
僕は転校初日でロクに人と話せず、授業にも身が入らず、給食の味がせず、休み時間のトイレは人が多いので気が休まらず、失意に沈んでいた。そしてファンシーショップでハニワと時計を(無料で)貰い、今、自室でハニワの妖怪と会話している。
駄目だ。何も理解できない。文字にすると単純だが、なんだか脳内にしっくり定着しないというか、この摩訶不思議な状況が僕の頭を上滑りしている気分だ。
ヤマトボケルさんはボケが得意な妖怪。取り憑いた人は面白いボケができる、らしい。
そのとき、僕の口は心よりも先に動いていた。
「あ……あ、あの、の、ヤマトボケルさん。取り憑くの、ぼ、僕にも、やってくれませんか」
「ボケっ?」
断られたらどうしよう。いやダメ元で頼め。妖怪に会って話せるだなんて、そんなベリービッグチャンス、いくら僕でも逃せない。
「僕、ちゃんと上手く話せないんです。目を見て会話するの、なんか怖くて」
「私とは話してますが」
「そ、それはハニワの姿ですから………………今日だって、隣の席の子と話したかったのに、上手くいかなかった……」
僕が面白くて機転のきく発言ができたのなら、仲良くなるキッカケになったのに。
もし、変われるなら変わりたい。もっと普通に人と話せて、普通に友達がいる、ちゃんとした、“普通”の人間に変わりたい。
まともな人なら、「自分の力で頑張れ」って言うだろう。でも、僕は今すぐに、ちゃんとできる人間にならなきゃ駄目なんだ。妖怪の力でもなんでも構わない。呪われたって別にいい。
考えながら、僕は自分のどうしようもなさをあざ笑った。ここまで追い詰められたのは自分の責任なのに、何をカッコつけて覚悟決めてるのやら。
「お願いします。僕にはヤマトボケルさんの力が、ボケが必要なんです」
「え、えぇ〜? そこまでやってほしい? もう、しょうがないな〜」
ヤマトボケルさんは、頭を触って照れるような仕草を見せた。いつの間にか敬語がなくなっている。
「ではリクエストに応えまして……る〜け〜ぼ〜と〜ま〜や〜!!」
ヤマトボケルさんのハニワの身体から、紫色の煙とも炎ともつかぬオーラが発せられ、両手を広げるようにグワァッ! とこちらに落ちてきた。
思わず身構えた、その瞬間。
僕にぶつかった直後に、オーラが霧散した。デリートボタンを押したみたいに、跡形もなく、一秒も経たず。
え、と反応する間もなく。さっきオーラが通ってきた道を逆流するように、金銀の混じった電光が、ヤマトボケルさんを貫いた。
「あびゃびゃびゃびゃびゃびゃァァァ!!??」
アニメでよく見る雷に打たれた演出そのままに、ハニワの影が光の中で真っ黒に点滅する。
光が消えた後、ヤマトボケルさんの身体は小さくプスプスと音が鳴っていて、焦げたようなあまり良くない色の煙が頭から昇っている。
「や、ヤマトボケルさん!? 大丈夫ですか!?」
「だ……大丈夫だ、問題ない」
そうは言うが、ハニワ様の足取りはおぼつかないし、寸胴の体がゆらゆら振れて、飲酒運転より不安定だ。
「テイクツー行きます……破ァ!!」
さっきの再放送。
さっきより早送り。
さっきよりオーラ強め。
電光はもっと強め。
「ぽぎゃあああああああああああああ!!??」
「ハニワ様ァァァァ!?」
テイクツーを演じ終えたヤマトボケルさんは真っ黒焦げになっていた。これがパンなら残念な匂いがするが、彼はハニワなので土の香りがした。
「お……おごふっ、お、恐らくですが……」
「それ以上喋るな、死ぬぞ!」と、この前に見たドラマで聞いたセリフが脳裏をよぎる。
「アナタは……もしかすると、
「……取り憑かれない?」
なんだって? 妖怪の存在すら今し方知ったばかりなのに、今度は自分が、妖怪に取り憑かれない体質だって?
ヤマトボケルさんはフラフラしながらも、元の場所に律儀に正座して、おはぎを一口で呑み込んでしまう。
「もぐもぐ……ごくん。ヨーロッパの風を感じますね……。ええ、稀にいるのです……生まれつき、妖力に強い耐性を持つ人間が。大昔、彼ら彼女らの中には、陰陽師、エクソシスト、シャーマン……その他諸々の霊能力者として、お祓いを生業に成功する者も数多くいました」
「“大昔”?」
「今どき、自力で妖怪を祓う人間は少ないのです。お札や御守りなど、それ専用の術具を利用した方が効率的ですから。技術の進歩とやらですよ」
ヨーロッパの風云々は、恐らくボケなので考えないとして。
ヤマトボケルさんの話によれば、そもそも昔は、人目に姿を晒して悪事を働く妖怪が多かったらしい。ゆえに、妖力への耐性がある人間が“発見”される事例はそれなりにあり、そういう人間のことが、妖怪退治の物語と共に書物や伝聞で伝えられたのだという。
しかし、現在は、妖怪たちも無闇に人前に出てこなかったり、人間が目に見えないモノを信じなくなってしまったので、僕みたいな……いわゆる“不思議な”体質の人間は、下手をすると死ぬまで自分の特性に気づかないこともあるとかないとか。
「……で、僕がそれだと?」
「これまで、『周囲のノリに何故か馴染めない』ことや、あるあるネタにノれなかったことは?」
「心当たりありすぎですね……」
クラスが盛り上がっているとき、どういうわけか自分はそこまで気分が上がらなかったり。誰かが『共感できるエピソード』として話していることを、素直に肯定できなかったり。そういう経験は、星の数ほど覚えている。
「この世で起きる不可解な出来事は、全て妖怪の仕業。人間は誰しも妖怪の影響を受けています。……しかし、一度も妖怪に取り憑かれたことがない人間がいるのなら、その人生は大なり小なり“普通”とは異なる道のりでしょう」
ふむ、とヤマトボケルさんは頷いた。どういう妖術を使ったのか、真っ黒焦げだった身体が、いつの間にやら綺麗に元通りになっている。
「原因に気が付けて良かったのでは? いやぁ、私のボケを与えられないことは残念ですが……まぁ取り憑きがダメなら……」
そうだ。どうしようもない。
僕は、何したってどうしようもないってことが、これでハッキリ確定した。
「助けようとしてくれてありがとうございます、ヤマトボケルさん。……でも、もう、もういいんです」
「ボケ……?」
頑張れ、と皆が言ってくれた。新しい学校でも頑張ってね、と、前の学校のクラスメイトたちは応援してくれた。共働きの両親だって、いつも頑張れって言ってくれる。ちょっとくらいテストの点数が悪くても怒らない。
僕は頑張らなきゃいけないのだ。頑張って、変わらなきゃいけない。期待に応えなきゃいけない。それが出来ないのなら、
────けれど、もう無理だ。
「妖怪の力ですら無理なら、きっと、もう何しても無理なんです。僕は……“頑張る”っていう、単純なことすらできない、ダメなヤツなんです」
僕は、自分の心が弱いことを自覚していた。だから、こうして簡単に投げ出して、人生を捨てられる。
この世には2種類の人間がいる。『結果を出す人間』と『結果は出せないけど諦めず努力し続ける人間』。ここに含まれない僕みたいな人は、世界から見捨てられるのだろう。結果を出す見込みがないから。
「せっかく頼み事を聞いてくれたのに、ごめんなさい。僕、たぶん、一生つまらない人間のままなんですよ。あはは……」
友達ってどう作ればいいの? 臆せず話しかければいい。臆せず話しかけるってどうするの? 目を合わせて話すのも、給食で同じ班になったグループの話に入るのも、永遠に聞き役が続くターンを打開するのも、公式があるなら教えてほしい。
気持ちってどうすればコントロールできるんだろう。人前で……というか妖怪の前で涙を流すなんて情けないこと、どうすれば止められるんだろう。涙ってどうやって止めるんだろう。
誰か教えてよ。みんなどうやって“普通”に生きてるんですか?
「チッ………………ナメんじゃねえよ」
急に、視界が暗くなった。
ぼやけた視界を上に向けると、ハニワ様は大型犬サイズから更に大きく、部屋の天井を突き破るんじゃないかってくらい巨大化していた。
関節のない手足は、筋肉らしきものがついて逞しくなっており、ゆるい顔はいかめしく変貌している。妖怪というより、お寺の仁王像に似ていた。
「は、はい……? ハニワ様……?」
「こっちにもプライドがあんだよ……妖怪の封印解いておいて、何もされずに終われると思ってんじゃねぇぞ坊主……」
口調が完全に荒くなっている。比喩抜きで涙が引っ込んだ。これは死んだ。僕の人生終わった。
覚悟を決めて遺言書の準備をすると、急激にヤマトボケルさんの身体がみるみる縮小してゆき……すっかり元のサイズに戻った。
元のヤマトボケルさんは、咳払いをして語り続ける。
「……えー、コホン。今のは悪い夢です。忘れてください」
「は、はっ、はい」
「『友達の作り方を教えてほしい』のでしょう? ……この世で最も面白いのは私なのですから、それ以外の大半はつまらなくて当然。なので、アナタがつまらなくても問題はありません」
そしてヤマトボケルさんは、テーブルの上に置きっぱなしになっていた……完全に僕の思考の埒外に置かれていた、あの腕時計を手渡してくれた。
「これは魔導きょ……いえ、『妖怪ウォッチ』。妖怪と人間のコミュニケーションツールです」
妖怪ウォッチ? そんな凄いモノだったのか、これ。え、ってことは天野くんも?
「そして、これは私の妖怪メダル」
「メダル?」
続けて渡してきたのは、太陽がデザインされた硬貨────
「あ、間違えてアルゼンチンペソを渡してしまいました」
「アルゼンチンペソ……?」
「こっちです、こっち」
妖怪も海外旅行に行くんだ、と思いつつ。
仕切り直して、ヤマトボケルさんが渡してくれたのは、硬貨よりも大きくて分厚く、ラメ加工なのかキラキラしているメダルらしき物質。表面にはヤマトボケルさんの顔と名前が描かれている。
表裏をくるくる返して観察していると、ヤマトボケルさんが淡々と説明した。
「ある契約を交わした人間に、妖怪が授けるもの。自身が妖怪たる証明であり、召喚の媒介であり────友情の証ですよ」
「ゆう、じょう?」
有情。友情?
ハニワの顔からは、感情が読み取りづらい……けど、なんとなく、口角が上がっているように見えた。
「
ヤマトボケルさんは、どこから取り出したのか2枚のピザ生地を、指先でぐるぐる回しながら言う。なんともおかしな光景だったけど、僕は感慨深さで笑う余裕がなかった。
「や、ヤマトボケルさん……!! あの……!!」
でも、言わなきゃ。僕が今一番言いたいこと。
「か……『顔見知り』からでお願いします……」
近くでカラスが鳴いた。
ごめんなさい。初対面で『ともだち』は、僕には荷が重いです。
◇ヤマトボケル
種族 ニョロロン
ランク S
分類 秘宝妖怪
好物 おにぎり
全てのボケの生みの親を自称する秘宝妖怪。自分のボケに多大なる自信を持っており、ツッコまれると怒る。
一見、飄々とした飛び道具系ボケ要員だが、意外と沸点が低い、褒められるとすぐデレる、サンタさんからのプレゼントを楽しみにしているなど、まぁまぁお可愛い一面がある。
スキル『超がまん』は、HPが0になっても“2回”だけ耐えることができる。