「ああ〜すっきり」
ためにためた膀胱を解放して、俺はじょぼぼと小便を出す。全裸の肌を優しく撫ぜる風が心地よい。
得体の知れない非常食もといパイモンを海辺で釣り上げてから数時間。俺は星落としの湖にいた。かなり前から尿意を催していたのだが、なかなか一息つけなかったのだ。
パイモンの誘導する先は大抵ヒルチャールの巣だ。こいつ無能なんじゃないかとぼちぼち思い始めたあたりでパイモンが俺にこの場所を教えた。そして遂に安息の地にたどりついたのだ。
今いる中央の小島まで湖を泳いで渡ってきたため、服はずぶ濡れになってしまった。休憩がてら服を乾かすために全裸になったのだが、思わず野外露出の素晴らしさに気づいてしまった次第である。
「おい空、今お前すっごい罰当たりなことしてるとオイラ思うぞ!?」
パイモンがあわわと動揺しながら俺を叱りつける。目前の七天神像はただならぬ威容を放っている。確かにこれの目の前で用を足すのは罰当たりかもしれない。しかし俺は放尿し続けた。頭の上でぶんぶん飛び回るパイモンを面倒そうに払い除ける。
「仕方ないだろ。綺麗なとこだけど、我慢の限界なんだからさ」
「そういう問題じゃないだろ!」
「じゃあパイモンの問題だ。テイワットのガイドなら公衆トイレの場所くらい頭に入れといてくれ」
「うぅ、それは確かにオイラの知識不足⋯⋯って何でだよ!?どう考えたってお前がおかしいだろ!」
ブチ切れたパイモンが俺の頭を引っ叩く。不意の一撃にぐげぇとよろめく。照準の逸れた小便が斜め前の乾燥中の服の方へと飛んでいった。服にかかった小便を見て俺は嘆息する。
「パイモン、これ妹にもらった大事な服なんだけど?」
「ぐぬぬぬ、ごめんな空。でも、自業自得だとオイラ思うぞ」
パイモンは一応謝るも、ひどく不服そうな表情をしている。なんでこんなやつに説教されなきゃいけないんだという業腹な思いがひしひしと伝わってくる。
パイモンは感情表現が豊かだ。見ていて楽しいからついいじりたくなる。釣り上げてからまだ少ししか立っていないが、この非常食とはいい旅ができそうだ。
「そういえば、お前が探してる妹ってどんな奴なんだ?」
「ゲロ可愛くて、性格女神な完璧少女。名前は蛍。後、俺のこと大好き」
「モンド城に着いたらいい医者紹介してやるよ。テイワットのガイドにまかせとけ!」
「悔しいかパイモン?あまりに恵まれた存在を認めるのは辛いことだよな。でもこれは揺るぎ難い事実なんだ」
ふふんと鼻を鳴らして、威張り散らかす。呆れた顔をしたパイモンを哀れに思わずにはいられない。俺は確かに碌でなしだ。だからパイモンは俺がそれに相応しい碌でもない環境で生きていると信じたいようだがそれは違う。
俺には妹がいる。完璧少女な妹、蛍がだ。蛍といるとどうして自分はこんなにも恵まれているのかと疑問に思わずにはいられないレベルだ。正直、神は俺のことを恵みすぎているとすら思う。
しかし、この世界に来て蛍と離れ離れになってしまった。蛍は俺のことを恋しく思っているだろう。今すぐに会いに行かなくてはいけない。そう、こんなところでくっちゃべってる暇なんてないのだ。早くモンド城に行こう。
「さて、そろそろ行くか⋯⋯小便どうやって取ろう?」
「どうせ湖入って泳ぐんだから、気にする必要ないだろ」
「それもそうか⋯⋯お魚さんには悪いけど」
この小島に来たときは湖を泳いできたのだった。また服を濡らすのは億劫だが仕方ない。全身水に浸かってしまえば汚れなんてあっという間に溶けて消えるだろう。
⋯⋯いや待てよ。それってつまり間接的に自分の体が小便まみれになるってことじゃないか?
「パイモンちょっと待⋯」
「ヤー!」
「ん?この声は⋯⋯」
後ろを振り返るとそこには案の定ヒルチャールがいた。赤い色をしているから、炎元素のヒルチャールだ。
しかし何故ここにヒルチャールがいるのだろうか?小島の周りにいた魔物は全て倒した。風元素の力を試す相手を血眼で探していたから、取り残しはないはずだ。
するとわざわざ俺を見つけて湖の対岸から泳いできたのだろうか。炎元素なのに?
「パイモンこいつどっから来たか見てた?」
「いや、見てないぞ」
「まあ、倒せばいいだけか。七天神像でゲットした風元素の力をお見舞いしてやる」
手の平に風元素を集中させ、真空の渦を発生させる。ギャルルと空気を裂く音が勢いよく鳴り出した。後はこの渦を前方のヒルチャールにぶつけるだけ⋯⋯
「喰らえ魔物よ!旋風の剣!」
「うおおっ!いけぇ空!」
「はぁっ!」
ヒルチャールへと駆け寄り、顔を鷲掴みにする。そして旋風がヒルチャールの体を散り散りに切り裂⋯⋯いてない?
いつの間にか手のひらにあった旋風が消えてしまっている。手に伝わってくるのはゴツゴツしたヒルチャールの肌の感触のみだ。俺の旋風どこ行った。
ヒルチャールとの間に沈黙の時間が流れ出す。魔物相手なのに何だか気まずいな⋯⋯
微妙な空気が漂い始める中、どこからか風を裂く音が聞こえてきた。
「おい空!下みろ下!」
「下?」
下を見ると、旋風はそこにあった。ギャルルと勢いよく渦巻いている。旋風の剣は不発に終わったわけではないらしい。旋風は何と俺のイチモツをぶん回していた。渦の中でバグったかのように俺のイチモツは踊り狂っている。
「はあああ!?おいパイモン、どうなってんのこれ!?」
「ぷっ⋯⋯くくっ⋯⋯あははははは!空のイチモツぶるぶる動いてておかしいぞー!ぷぷっ」
「おま、何笑ってんだよ!?」
お腹を抱えて足をジタバタさせるパイモン。感情表現豊かなのは人を煽るときでも変わらないらしい。全身を使って俺のことを馬鹿にしてきてる。後で絶対引っ叩く。
「ふ、ふふ。ごめんな空、面白すぎて⋯⋯くーくっく!空、痛くないのか?」
「冗談じゃない。痛くは⋯⋯意識した途端結構痛くなってきたよこれ!?どうすんのよ!?」
「止めればいいんじゃないのか?」
「ああそうだな⋯⋯ってどうやって止めんのこれ!?全然俺の言うこと聞かないんだけど!?」
自分が放出した元素エネルギーはある程度自由に操作できるはずなのだが、この旋風には全く干渉することができない。
自然に漂う元素エネルギーですらここまで頑なではない。何というか、別の誰かに元素エネルギーを乗っ取られているような感じがする。
「ヤー!」
ヒルチャールが叫び声をあげる。目線をあげると、ヒルチャールが炎スライムを抱えていた。こいつらは毎度毎度どこからスライムを調達してるのだろうか?
一応距離を取って回避しよう。もっとも、ヒルチャールの攻撃など高が知れている。しかし念のためだ。一流トラベラーはどんなときでも用心を忘れない。
足に力を込めてバックステップ。が、体がびくとも動かない。いつの間にか胸の周りに誰かの腕が絡み付いている。背中には胸が押しつけられていて、後ろに下がることができない。
「んな!?お、お前誰だ!?」
パイモンが叫ぶ。いつから背後を取られていた?
人影なんてこの小島のどこにもなかった。ヒルチャールもそうだ。すると、こいつがヒルチャールを連れてきたと見て間違い無いだろう。
「離せ!旋風いじったのもお前の仕業か!?」
「そうだよ。僕の仕業さ」
通りの良い中性的な声が耳を打つ。
咄嗟に首を回して後ろを見ると、緑色の目と視線が合う。整った顔だ。男か女かははっきりしないが美人。正直俺的にはどっちでもいけるレベル。
風に吹かれる髪の色は藍色で、三つ編みの先にかけて水色へとグラデーションがかかっている。その水色の部分は淡く発光している。元素力がそこから放出されているのを感じる。
この世界で初めて会う人間だ。しかし、神秘的な雰囲気を纏っている。ここでは普通の人というのがどのくらいのやつを指すのかは分からないが、少なくともこいつは只者ではない気がする。
「とにかく離してくれ。何でこんなことするんだよ?」
「モンドは自由の国だ」
「え?」
そいつは口に笑みを貼り付け、こちらを探るような視線を俺にぶつける。じーっと注がれる緑色の目には妙な迫力があって、時が止まったように感じた。
妹と別れてしまった原因であるあの謎の神を思い出す。質こそ全く違うが、放たれる圧がどことなく似ている。もしかすると、こいつは結構なお偉いさんなんじゃないだろうか?
張り詰めた空気に息が詰まりそうになる。するとそいつはぱちりと瞼を閉じた。次に瞼を開けたとき、圧迫感は霧散していた。空気が弛緩する。こほんと咳払いをしてから、そいつは話を続けた。
「けど君は奔放すぎると僕は思うな。七天神像の前で用を足すなんてどうかしてるよ。それも全裸で。恭しくしろなんて言うつもりはないけどさ」
「⋯⋯つまり、ライトな信者をぷっつんさせちゃったてこと?」
「まあ、そんなとこだよ」
なるほど、神像の前で用を足している場面など信者が見たら怒って当然だ。罰当たりなことだというのは俺も分かっている。まあ、我慢できなかったんだから反省するつもりはないけど。
しかしこいつの気がそれで済むのなら、ヒルチャールの攻撃を受けるのもやぶさかではない。ヒルチャールの攻撃なんてパイモンに叩かれるくらいのもんだからお茶の子さいさいだ。
「とりあえずあの炎スライムが俺に当たってくれれば満足なんだよね?それなら全然いいけど」
「うん。自信ありげだけど、君は痛みに強いのかな?」
「そういう訳じゃない。けどヒルチャールの攻撃は大したことないって話」
「ふむふむ。それじゃあ早速行ってみよう!」
意気揚々と開始宣言をした後、そいつは一瞬したり顔を浮かべた。怪しく思うが、特にこの状況で危惧するようなことはない。
こいつがかなり拗らせた信者だったら、ヒルチャールにワンパンされるだけでは済まなかっただろう。そのことを考えるに俺は十分悪運が強い。ごちゃごちゃ考える必要はないだろう。
「どんとこいや!」
「ヤー!」
眼前のヒルチャールが炎スライムを投げる。放物線の行先は旋風渦巻く俺の股間。常人なら衝撃と熱量に耐えられないかもしれないが、俺は違う。
数多の世界を渡る中で、体の体は知らず知らずの内に頑丈になっていた。特段鍛えた覚えはないのだが、生半可な攻撃では俺の体に傷一つつけることはできない。
炎スライムが着弾して爆発を起こす。若干の痛みが下半身から流れてくるが、やはり大したものではない。
「余裕、だな」
「おい空!今すぐその場を離れるんだ!」
パイモンの焦り声が唐突に響き渡る。
離れるも何ももうヒルチャールの攻撃は終わっている。一体何をパイモンは焦っているのだろうか。
「パイモン、どうした?」
「風元素の真価は他の元素を拡散させることにあるんだよ!お前調子乗ってオイラの話聞いてなかっただろ!」
「え?それってどういう⋯⋯」
「お楽しみはこれからだ☆」
癇に障る声が聞こえた瞬間、旋風の音に変化が生じる。元々の空を裂く音から、ボォオと何かが燃える音へと。何事かと下を見ると、何と旋風が炎の渦になっていた。
炎スライムの爆発で生まれた炎を纏った風が荒れ狂い、周囲の風を巻き込んで炎の勢いを増してゆく。これが拡散反応。何故この強力な技をもっと早くパイモンは教えてくれなかったのだろうか?
炎が強まるにつれて、下半身から流れてくる感覚が激しくなっていく。若干痛かったのが、今は普通に痛い。
「い、痛あああああ!?あ、熱い!すごく熱いよぉ!?どうなってんのこれぇ!?」
「おや?ヒルチャールの攻撃ごとき何でもないはずじゃなかったのかい?」
俺が悶絶しているのを見て、後ろのやつはケラケラ笑いながら茶々を入れてくる。ライトな信者と思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
腹の内ではドス黒い思惑を渦巻かせておきながらそれを全く表に出さない異常者。ちょっと粗相を働いたくらいで人を躊躇いなくいたぶる激重サイコ信者。
こいつは絶対怒らせちゃいけないタイプのやつだった。
「生意気言ってすいませんでしたぁ!あの、止めてもらえないでしょうかこれ!?」
「そうだぞ!空の肌だんだんと焦げてきてるし、血が拡散されて凄い酷い感じになってるぞ!」
「まじで!?」
慌てて旋風を見ると炎のオレンジ寄りの赤に血の黒みがかった赤が混じっていた。旋風付近の肌には裂傷が目立ち、その中心部でぶん回されている俺のソーセージはいい感じに焼けて食べごろになっている。
「本当、取り返しのつかないことになってる気がするんですけど!?」
「これは流石にやり過ぎだとオイラ思うぞ!ここは自由の国なんだろ?多めに見てやってくれよ!」
「むかつくやつに報復するのもまた自由なのさ☆」
「ひぃぃぃ!?お助けぇ!」
こいつは自由を履き違えていると俺は思う。だってこんな酷いこと俺の身に起こっていいはずがない。
この国はあれだ。ときどき見てきたアナーキーで世紀末な感じの蛮族国家なのだ。すると俺が行こうとしていたモンド城はその総本山な訳だから、このノリのやつが魍魎跋扈している魔境ということになる。
「も、モンド城にいるのもあんたみたいな鬼畜ばっかなのか?」
「ん?優しくて、気のいい人たちだよ。というか、僕も普段はそうなんだけどね」
「絶対嘘だ!」
「ふーん、そういうこと言うんだ。じゃあその期待に応えないとね。君の元素スキル、旋風の剣だっけ?さっき見たけど、最後の爆発はすごい威力だったよね」
恐る恐る振り返ると、ヤツはにんまりと笑っていた。ただし目は全く笑っていない。ハイライトが消えていて酷く不気味だ。こいつは本気でやる気らしい。
旋風の剣は最後に渦を解放して、その力を一気に放つ。今ですら結構やばい状態だというのに、渦を爆発させてしまったら俺の体はどうなってしまうのだろう?
冷や汗が頬をだらだら伝っていく。
「やめろ!やめてくれ!洒落にならない!」
「あはは、大丈夫!モンド城にいるバーバラって子に頼めば、どんな傷でもあっという間に治してくれるから」
「違うそうじゃない痛いのは嫌だ!」
「がんばれ☆」
その一言を皮切りに、旋風が速度を増して一気に拡散する。元々手の平サイズだったのが、全身を覆い尽くすほどに大きく広がる。炎と血が飛び散り、体のあちこちを風が裂いていく。
目の前にいたヒルチャールは吹っ飛ばされて、その僅かな体力を全て失い消滅した。律儀にも用意されていた二発目の炎スライムが置き土産とばかりに爆散した風に放り込まれてフィナーレを勢いづかせる。
全身を高温の炎が包み、風に裂かれて開いた傷を次から次へと焼いていく。風が傷を開き、炎がその傷から体内を焼く。そしてまた傷が風で開いて、体の奥深くへと炎が⋯⋯
地獄のループが俺の体をあっという間に蝕んだ。
「うわあああああ!!」
「そ、空ぁ!お、お前、あんまりだぞ!」
「確かにこれはやり過ぎかも⋯⋯えへっ☆」
「えへってなんだよ!」
無限に続くかに思えた風が止み、体の拘束が解かれる。体は傷だらけで、目に付くところには傷がない箇所がどこにもない。力の入らない足がよろめき、地面に顔から倒れ込む。
「ぐはっ!」
「空!」
飛び寄るパイモンの血の気の退いた顔を横目に眺める。意識が朦朧としていて、今にも途切れてしまいそうだ。
上からサイコ信者のぼやき声が聞こえてくる。
「あちゃー、これは不味いな」
「どうすんだよお前!」
「⋯⋯仕方ない。僕がバーバラのところまで運ぶしかないな」
二人の会話が頭に響く。うるさくてしょうがない。今はただ静かに眠りたい気分だ。
そういえば、これは久しぶりの感覚だ。たくさんの世界を旅してきた。楽しいことがいっぱいあったが、危険な目に会うこともあった。確か何個か前の世界で瀕死の重体になった⋯⋯これはそのとき味わった気分とよく似ている。
俺はここで死ぬのだろうか。前は怪我をしたときは蛍が俺のことを治してくれたのだが、今あいつはいない。ああ、せめて最後にもう一度蛍に会いたかった⋯⋯
「モンド城まではまだ距離があるぞ。お前に運べるのか?」
「もちろんさ。僕は風元素の使い方が上手くてね⋯⋯モンド城のみんなには内緒にしてね?」
体がふわりと浮かび上がる感覚を最後に、俺の意識は闇へと沈んでいった。