アルバートに追い出されて西風教会を後にする。扉を開けると眼前に大きな円形の広場が現れる。中央に立つ巨大な石像が視界を上下に覆っている。背後の教会に見劣りしないほどの大きさを前にして足がしばし止まった。壮観だ。気を取り直して像の正面に回り込むとローブを着た中性的な人物の姿が目に映りこむ。背中から翼が空に向かって生えていて、まるで天使のように見える。
振り返るとモンド城の街並みが一望できる。広場は城内の高所にあるようで、天辺に位置取るこの像の重要性が伺える。翼をはじめとした神秘的な装飾を鑑みるに、おそらくこの像は神像なのだろう。モンド人の信仰を一手に集める風神、その姿が祀られていると見える。
観光名所として名を馳せているに違いないよくできた作品。しかし一つ気になることがある。像のできには文句などないのだが⋯⋯
「この顔どっかで見たことある気がするんだよな。天使の翼とか似合わない感じがする」
「オイラもだぞ。でも多分気のせいだぞ。もし本当だったらオイラたち風神に既に会ってることになるからな。そんなことより空、ご飯食べに行こうぜ。オイラたちアルバートのせいで病院食食べ損ねちゃったもんな?」
「いいや、あれはパイモンのせいだ。だいたいさっき俺のお金勝手に使って食事し終えたばっかりだろ。飯抜きだよ」
「そ、そんな⋯⋯くぅ、病院食が出てくるまで我慢すべきだったぞ」
おでこに手を当てて落胆するパイモン。気にするところはそこじゃない。懐からお金を抜き取ったことについての申し開きは一切ないのか。食いしん坊で済ましていいレベルを余裕で飛び越えている。パイモンが海で漂流していた理由はひょっとすると以前の仲間が逼迫する食糧事情に耐えかねて海に放り投げたとかそんな感じかもしれない。
高台の広場を降りて、街の中央通りを歩く。美味しそうなメニューを揃えたレストランがあちこちにある。店外のテーブル席で食事をとっている人たちの楽しげな会話が聞こえてくる。シチュー、焼肉、ピザ、目玉焼きなど料理は多種多様だ。漂う湯気が空っぽの胃袋をピクピクと刺激する。
飛び交う朗らかな声。今すぐ目の前のお店に入ってでき立てホカホカのご飯を頬張りたい。パイモンの涎が地面にポタポタと垂れる。しかし視線を逸らして先に進む。料理の単価はどれも100モラは下らず、パイモンに使い込まれた手持ちの数十モラでは足りない。まずはモラを稼がなくてはいけない。
「ううー!ひもじい、ひもじいぞ⋯⋯」
「どの口が言うパイモン⋯⋯お前が手持ちをもう少し残しておけばこんなことにはならなかった⋯⋯」
「ああ、オイラのバカバカバカ!一番高い料理を頼んだのは失敗だったぞ⋯⋯質より量を重視してさえいればオイラは今頃満腹だったのにい!」
「おい、非常食になる覚悟はできてるか?」
よりにもよって一番高い料理を買いやがったのか。そういうのは金持ちがするのであって、間違っても放浪中の旅人の財布を叩いてやることじゃない。そもそも自分の金ですらない。人の金で食う飯ほどうまいものはないというが、パイモンはさぞや美味しい思いをしたことだろう。これみよがしにただよう芳醇な香りが鼻に付く。
溢れる食欲を抑えて、中央通りを抜け城門へとたどり着く。見張りの騎士に会釈して門をくぐり抜ける。向こう岸へと湖にかかる石橋を渡るとそこは一面に広がる草原だった。辺りを見渡すとヒルチャールやスライムの姿が所々に見えた。遠くまで目をやれば宝箱らしき木箱が点在している。城内を歩いていたとき、モンスターの素材や武器を換金してくれる店を見かけた。数十分くらい粘れば食費を稼ぐのに十分な量の素材が集まるだろう。
「よし狩るぞ!」
「おう!頑張れ空!」
「何言ってるんだパイモン、お前も頑張るんだよ」
「え?でもオイラ戦えないぞ」
キョトンとするパイモン。確かにパイモンは小さく、また元素スキルが使えるわけでもないので攻撃力に欠ける。しかしそれだけが戦闘に求められる能力ではない。西風教会でパイモンが披露した連続飛び蹴りを思い出す。キックが当たっても痛くはないが、空中を自由に飛び回る能力は色々と役に立つ。
「実際にモンスターを仕留めるのは俺がやる。パイモンはモンスターの注意を引いて欲しい。上空を飛んでモンスターの背後に回って飛び蹴りをしてくれ。そうすればモンスターは振り向いてパイモンに集中するだろ?その隙に俺が背中を切る」
「おお、それならオイラでもできそうだな」
「タダ飯食らいの分、ここでしっかり働いて返せよ」
「どんと任せろ!」
威勢の良い掛け声を上げ、空高く飛翔したパイモンは近くを横切るヒルチャールの方へと移動した。ヒルチャールを少し追い越したところで下降し、背後に回り込む。体を水平になるように回転し、ドロップキックの姿勢を取って一気に加速する。漫然と歩き回るヒルチャールの背中をパイモンの足が蹴った。ヒルチャールの体はほとんど動かない。が、それでいい。石につまづいたかのように少しだけ前のめりになったヒルチャールが振り返り、パイモンを見る。
「ばっちこいやー!」
「ヤー!」
雄叫びを上げてヒルチャールがパイモンに襲いかかる。頭へと振り下ろされる棍棒をパイモンは後ろに下がって回避した。再び距離を詰めようとするヒルチャール。しかしパイモンは上昇して棍棒の届かない上空で浮遊する。ヒルチャールは何度かジャンプして棍棒を振るも、大きく離れた距離を埋めることができない。地団駄を踏み始めるヒルチャールの様子を見てパイモンはにんまりと笑った。
「おおー?どうしたどうした?ほらほらオイラはここにいるぞ!その自慢の棍棒でオイラを叩いてみろよ!」
「ヤー!ヤー!」
パチパチと手を叩いて煽るパイモン。馬鹿にされていることに気づいたのか、ヒルチャールは苛立たしげに怒鳴り声を上げる。パイモンに気を取られているヒルチャールは背後から近づく俺の存在に気づかない。草音を立ててこのチャンスを不意にしてしまうことがないように、ゆっくりと歩み寄っていく。歩幅一歩分の距離まで近づき、剣を握る手に力を入れる。
「今だ!かませ空!」
「はあっ!」
右肩から腰の左にかけて一閃。胴体を切断されたヒルチャールの体が切り口からぼろぼろと崩れ落ちていく。地面に落ちた仮面を拾う。安値でしか売れないだろうが、集めればそこそこの値段にはなるだろう。荷物入れにしまい、空中から降りてくるパイモンとハイタッチをする。
「グッジョブ!」
「イエーイ!どうだ!オイラもやるだろ?」
「文句なしだ。この調子でどんどんアイテムを集めていこう。次は空に上がって高所から索敵をしてくれ。近場にいて周囲に他のモンスターがいないやつを見つけくれ」
「おう!どんどん行くぞ!」
パイモンは再び空に上がってぐるりと辺りを見回した。当たりをつけたパイモンが指を指す方向へと静かに移動して次のモンスターを倒す。三十分ほど狩りを続けていると、周囲のモンスターが全ていなくなったらしく、パイモンが空から降りてきた。荷物入れの中身はアイテムで既にパンパンだ。
「大体このくらいじゃないか?オイラの見る範囲では新しいモンスターは見当たらなかったぞ」
「ああ。アイテムも十分集まった。これだけあればパイモンが使った分は全部取り返せるかもしれないな」
「おお!?つまりもう一度あの最高級ビーフシチューのまろやかな味わいを楽しむことができるということなのか!?」
「そんなわけあるか!宿代とか他にも色々使い道があるんだよ。しばらくは安飯三昧。お前は食パンの耳でも齧ってろ」
「うう⋯⋯まあ食パンの耳も結構美味いし別にいっか!」
もうちょっとごねるかと思ったが、ここにきて雑食魂を発揮するパイモン。財布に優しいんだか優しくないんだかよく分からないやつだ。その気はなかったが本人がいいというのならいいのだろう。食費カットのためにパイモンにはしばらく食パンの耳で我慢してもらおう。しかし、パイモンは美食家なのかとにかく口に入ればなんでもいいのか。機会があったら料理にスライムでも混ぜてみるとしよう。
アイテムを整理して荷物入れに入れ直す。早速換金しに行こう。戦っているときは気が紛れていたが、今はお腹が減ってしょうがない。モンド城前の橋に向けて草原を歩んでいく⋯⋯ふと、違和感を覚えた。さっき通った場所だが何かが変わっている気がする⋯⋯草だ。風景の少し離れたところにある草が不自然なまでに激しく揺らいでいる。唐突に強烈な風が肌を吹きつけた。
「うおっ!?いきなり何だ⋯⋯台風でもくるのか?」
「おわわ!う、後ろに吹き飛ばされちゃいそうだぞ。一体何が起こっているんだ?」
風に飛ばされまいとパイモンが俺の肩を掴む。三日月のように伸びたパイモンの白の横髪が大きく揺れている。引っ張られる肩にはパイモンから感じるはずがない強い力がかかっていた。後方に吹き飛ばそうとする風の流れに逆らって止まり続けるも、風圧に体が押し潰されそうになる。その場に立っているのがやっとだ。
これほどまでに猛烈な風など今まで経験したことがない。旅の最中に台風に襲われたことは今までにも何度かあったが、そのどれもが体を揺さぶるほどに激しいものではなかった。尋常ではない何かの気配を感じる。
恐るべくは、風足は迅る一方でいまだ最大風速に達していないと思われることか。風の勢いが衰えることがない限り、モンド城へ帰ることはできそうにない。風神とやらは広場であれだけ盛大に祀られておいていったい今何をしているのだろうか。怠惰なのはパイモン一人で既に間に合っている。
「うぐぐ⋯⋯う、腕がー!腕がもげちゃうぞー!風が強すぎる。もう無理だ!空、オイラを抱きしめて胸の中から離さないでくれえ!どこにも飛んでいかないように!」
「おいいい!そのセリフは妹で予約済みなんだよおおお!」
そうこう話しているうちにも風威は増し続け、ついにパイモンの手が肩から滑って離れる。ぶわりと吹き飛ぶパイモンをすんでのところで掴んで胸の辺りに押し付ける。風が胴体と垂直に当たるため、俺が粘っている間はパイモンも風に連れて行かれることはない形だ。
業腹なことにパイモンの要望通りの状況になってしまった。近い未来、再開を果たした妹から甘く囁かれるはずだった睦言。寂しい旅の夜のお供。いつか妹がそれを口にしたとき、胸にひっつき虫のようにくっつくこのパイモンの、俺の顔に向いているプリケツを思い出してしまったら、この白いのを風神像の顔に向かって全力で投球することになるだろう。
前に傾いて姿勢を低くし、足元の地面を手で掴んで体をその場に固定する。風はさらに速度を増し、圧縮された空気に包まれれて体が重くなる。背中のマントがバサバサとたなびくのが耳にうるさい。マントが舞い上がるのと同時に、前髪も丸ごとめくれる。今の髪型はおそらくオールバックのようになっているだろう。毛根を引っ張る強い刺激に若ハゲの憂いを不覚にも抱いてしまう。
「くっ⋯⋯何でこう災難が続くんだ!」
「七天神像の前で罰当たりなことをしたからじゃないか?も、もしかしてオイラたち風神の逆鱗に触れてしまったのか!?」
「神を名乗るなら器をもっと大きく持つべきだと思わないか?」
「はぁ、これは妥当だな⋯⋯仕方がないけどオイラまで巻き込まないで欲しかったぞ⋯⋯ん?おい空、何か大きな影が近づいてきてないか!?正面の雲の中だ!」
風が入らないように目を細めて顔を斜め上に向けると、そこには確かに巨影が映っていた。何か大きなものが雲海を泳いでこちらへとやってくる。それが近づくにつれて風は一層勢いを増した。あれがこの異常を引き起こしている大元と見える。とすると、災害レベルの暴風を呼ぶ力を持つその影の正体は、風神なのかもしれない。しかし、七天神像も広場の神像もどちらも人の姿をしていた。影の形、大きさからして人のようには思えないが、一体どのような存在なのだろうか。
わづかな思考の合間に影は既に頭上の空まで泳ぎ着いていた。雲の切れ間から飛び出てその姿が明らかになる間際、吹き荒れる風の激流が迸り空間を飲み込む津波と化す。土を掴んでいた手が風に弾かれ、全身がぶわりと浮いて巨浪の中に飲み込まれた。宙に放り出されてしまっては踏みとどまることなどできず、強風のなすがままに運ばれていく。
数十メートルほど回転しながら吹き飛ばされ、受け身をとる暇もなく草むらに突っ込む。固い地面が衝突する体を強烈に打ち付け、身骨に痛苦を響き渡らせた。衝撃に息を詰まらせ喘ぐ。しかし、心中を占めているのは五体から発されるそれらの危険信号ではない。地面に仰向けに倒れた視線の先、颯爽と雲から現れた影の正体に釘付けになる。
トカゲのようなほのかに丸みを帯びた四角錐状の獰猛な顔。黒い鱗で覆われた手足の先で鋭い鉤爪が光る。体躯は青緑に彩られ、地に向けられた胴体の腹には白い羽毛が生えている。青と紫の蝶のように華やかな紋様が輝く六枚の大翼を力強く羽ばたかせ、それは後方に広がる森の中へと消えていった。暴風もそれと同時に鳴りを潜めた。
まだ痛みで痺れる体を鞭打って立ち上がり、遠くで生い茂る木々の山を眺める。追いかけようと一歩踏み出したところで、パイモンがいなくなっていることに気づいた。別の場所に吹き飛ばされてしまったのだろう。周囲の草むらをぐるりと見渡すと、少し離れたところで濃紺色のマントがチラリと顔を覗かせていた。そこに行くとパイモンが伸びて気を失っていた。首の辺りでひょいとつまみ上げて、耳元で声を張って目を覚まさせる。
「おい!起きろパイモン!」
「ほわっ!?な、なんだなんだ?きゅ、急にうるさいぞ空⋯⋯そうだ。何か大きな影が見えたと思ったら、いきなり吹き飛ばされたんだった!」
「そうそう。それで、その影が何だったか見たか?ドラゴンだよドラゴン!でっかい青緑色のドラゴン!」
「ドラゴン?なんかそんな感じのものを見たような見てなかったような⋯⋯嘘ついてるんじゃないだろうな?」
額に手を当ててうーんと唸るパイモン。どうやら意識を失っていたせいで記憶があやふやになっているらしい。しかし無理もない。あのドラゴンが頭上を飛んだときに吹いた風の荒ぶりっぷりは本当に凄まじかった。俺ですら浮いてしまうレベルだったのだから、体がずっと軽いパイモンの場合はさらに大変だっただろう。
しかし、あのドラゴンの姿を覚えていないとはもったいない。広場の神像が霞むほどのインパクトだった。巨体のドラゴンという見た目ももちろんだが、何というかオーラが違うのだ。この世界では元素力というべきだろうか。遠く離れた地表からでも、放たれる濃密な元素をびんびんと感じ取ることができた。風神そのものかどうかは分からないが、あれだけの存在、風神と何かしら関係があると見てもよいだろう。もしかしたら妹の居場所へと繋がる足掛かりになるかもしれない。
「あいつはあの森の中へ入っていた。探せば見つかるはずだ。ドラゴンだぞ?見に行かない理由がないだろ!換金は後回しだ!」
「ええ〜?オイラは早くご飯食いたいんだけどな〜。これ以上変なことに首を突っ込むのはやめたほうがいいと思うぞ?あれ絶対風神の眷属だろ⋯⋯追っても絶対ろくな目に合わないってオイラにはわかる!だっておまえ七天神像でやらかしちゃったもん!」
「うるせェ!!!いこう!!!!」
「うおおォ!!!HA☆NA☆SE☆!!!!」
じたばたと暴れるパイモンを腕に抱えて出発する。ドラゴン、それは男のロマン。厳つい顔、空飛ぶ翼にうねる尻尾。全てが最高にかっこいいファンタジーな存在。それが目の前を飛んでいったのだ。心惹かれずにいられるだろうか?いいやいられない。
ワクワクと鼻歌を口ずさみながら、もがくパイモンのプリプリと揺れる尻を小気味良くしばいて森の中へと歩いてゆく。待ってろドラゴン今行くぞ。