再び酒場内の空気が張りつめる。誰もが二人のハイエルフの一挙一動に視線を奪われていた。
若葉色の制服に身を包む純白のハイエルフは一見するとただの店員だが、【ロキ・ファミリア】幹部の睾丸を踏みつぶし、あまつさえ謎の力で熱した鉄板で焼き殺そうとしたヤバい奴。片や翡翠色のハイエルフは玉無し狼と同じ【ファミリア】のはずなのに、何故か連携を最大の武器にする派閥の方針を否定するかのように仲間に止めを刺したヤバい奴。
時には神に匹敵する『勘』を持つ
(本当にコイツは何をやっているんだ……!)
鉄皮面を維持しながら頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。
――リヴェリアにとってレティシアとはすごく、それはもうものすっっっごく手のかかる妹である。
今のリヴェリアを知る者からすればガレスやフィン以外は信じ難いだろうが、昔日の彼女は高慢で鼻持ちならないエルフを体現したかのような性格だった。神々の接触すら拒む森の奥深くにある隠れ里で外界を知らずに育ち、他者と比べて己が圧倒的な才覚を持っていることを自覚し、過保護な両親や従順な家臣達に甘やかされていれば仕方がないことかもしれないが。
それ故に自分より能力の劣っていた妹が政略結婚の道具にされる運命にあると知りながらも憐れむだけで、救いや慰めを与えてやろうとは思いもしなかった。むしろあの癇に障る弱弱しい笑みが視界に入らなくなるなら清々すると考えていたほどだ。
転機が訪れたのは彼女の気紛れだった。気紛れを起こさなければ、彼女は従者の一人と親愛を育むこともなく、美しき世界を知ることもなく、大切になる【ファミリア】と出会うこともなく、草木と同じようにただ生きて、最後には朽ちてその命を終えていただろう。
ある日、自分より出来の悪い妹が与えられた休息日に教養を深めようとせず、どこかに遊びに行こうとする姿勢に腹が立ち、嫌味の一つでも言ってやろうとリヴェリアはレティシアを尾行した。
そこで彼女が目にしたのは、
『やっぱり肉が最高だ。意味わからん儀式で冷めた上に不味くなった肉より、健康も考えずに香辛料をたっぷりかけた焼き立ての肉の方が美味いだろうに。毎日毎日、野菜と果物ばっか食わせやがって。私は兎じゃねーんだぞ。あー、肉うめー、肉食って死ねるなら本望だわー』
穢れを祓う儀式で清めなければ口にすることを許されていない獣の肉を枝に突き刺し、焚火で野菜や虫や魚と一緒に何本も焼きながら食べているレティシアだった。
長く生きてきて初めて脳が理解を拒む事態に出くわしたリヴェリア。しかし、レティシアの傍に転がっていた獣――エルフ達が『聖獣』と呼称して神聖視している――の死体を見て、妹の罪深き行為に罰を与えるべく、国王である父に報告しようと踵を返した。
リヴェリアの頭を掠めるように矢が突き立ったのは彼女が足を持ち上げた時である。思わず振り返ると、そこには口をもぐもぐと動かしながら矢を構える妹が。レティシアは肉を食べきって骨を吐き捨てながらこう告げた。
『ここで見たことを話せば殺す……立ってないで座れよ、リヴェリア』
初めての姉妹のまともな会話はまさかの脅迫だった。
全てを語ると長くなるため割愛するが、その後のレティシアのやることなすこと全てが長い年月をかけて築き上げた価値観を粉砕した。
作法を投げ捨てて油の滴る肉をもっちゃもっちゃと口の周りを汚しながら食らう姿。
美味しいから食ってみろと差し出された子供の腕ほどの巨大な虫。
『聖獣』が森の外には沢山いるという事実。
眩暈がして気分が良くなると飲まされたのが精霊に認められなければ手に入らない幻の果実、
消毒や殺菌の手間を省くためだけに王族が飼っているユニコーンの角を盗んで作ったナイフと
レティシアの命令で死体や血痕、焚火の痕や煙を隠蔽する精霊達。
無理矢理食べさせられた焼肉の味。
熱くて吐き出した肉が目に当たって絶叫した妹。
夜遅くに見せられた貞淑なんぞ知ったことかと情事にふける両親。
リヴェリアの性格は激変した。妹の
樹液が出るのかどうかを確かめる為に『大聖樹』に振り下ろされた『武器化』した精霊を真剣白刃取りして、体調を崩した際に『大聖樹』の枝を肛門に挿入されそうになって、妹が契約した
ぶっちゃけ里を飛び出したのも外の世界に憧れてというのもあるが、同じくらい妹の傍から離れたかったというのが真実だ。彼女にとってレティシアの認識は『ダンジョンよりダンジョンしている女』である。
(レティシアは感情的な奴だ。睾丸を潰すほどの真似をしたならば、それだけベートに怒りを抱いていたということになる)
先程ベートがレティシアに襲い掛かろうとした時、リヴェリアは心底震えた。なにせ、
(他の者からすればレティシアが怯えていたように見えただろう……馬鹿馬鹿しい。この女が恐怖など感じるものか)
精神的に弱いくせに不死鳥の如く立ち直り、絶対に逆ギレするのがレティシアという女だ。あれは反射的に目を閉じたのではなく、攻撃の予備動作である。昔、わけのわからないことをほざきながら精霊の『魔法』を双眼から放っているところを見たことがあるリヴェリアにはわかった。
(神フレイヤの眷属になったと知ってから絶対に顔を合わせないようしていたというのに……『
助けるついでにババア呼ばわりされた報復を果たしたリヴェリア。妹の恐ろしさを知る彼女はレティシアの溜飲が下がっていることを願うしかない。
キリキリ……破天荒だった幼いアイズを育てていた時でも感じなかった胃の唸り声に、リヴェリアはそっとお腹を撫でた。
♦♦♦
「――姉様、この度は貴方の仲間に無礼を働いたこと、心よりお詫び申し上げます。ですからどうか、この店に罰を与えないでほしいのです」
姉の胃壁に盛大なダメージを与えているとは知らないレティシアは
もちろんレティシアに謝意はない。女神が言っていた都合のいい効果も期待していない。狙ったのは『
「顔を上げてください、高貴な御方! 謝罪など必要ございません!」
「その通りです! 悪いのは全て下劣な狼でございます! あの男にはいい薬となったでしょう!」
「貴方様が望むならあの男をブチ殺して骨をエルフの森に埋めてやります! ですから、そのような真似をしないでくださいませ!」
計画通り。狙い通りの反応をした【ロキ・ファミリア】のエルフ達にレティシアは伏せていて見えないのをいいことに、口端を思いっきり釣り上げた。
普通のエルフの感性なら土下座はこの上ない屈辱だ。しかし、レティシアにとって相手から要求されてやる土下座は恭順の証となって確かに屈辱だが、自分からやれば相手の社会的地位を貶められる暴力という認識である。しれっと床も精霊達に綺麗にさせているため、頭を床にこすりつけることにも抵抗はない。
(ハイエルフらしい高潔さのある
猫を被ってまで誠心誠意
(今まで何のために『
仮に【ロキ・ファミリア】を追い落とすことになったとしよう。民衆の人気を気にする派閥が担っていた仕事が全部【フレイヤ・ファミリア】にやってくる。団員は殺し合いをする余裕もなくなり、レティシアを含めた事務仕事のできる者は過労死する。絶対に嫌だった。
それに原因となったレティシアは恨まれるだろう。昔から陰口や悪口に対して打たれ弱く、原初の幽冥を司ってる神に『他人に恨まれるようなことをした子供は地獄に落ちるよ』と教えられてからより弱くなった。弱り過ぎて友人に『天界に逝ったら審判を担当する神をボコボコにしておいてくれ。どうせ行先は地獄だろ、お前』と縋りついたほどだ。『私は意地でも妹と同じ場所に逝く。一人で逝け』と言いながら払いのけた友人はとても薄情だった。
「……ハァ」
レティシアの思惑に気付いたリヴェリアが溜息を吐きながら場を収めようとしたその時、
「嘘やな、今の言葉。自分、申し訳ないとか欠片も思ってへんやろ」
頬にもみじを張り付けた女神が金髪の少女の肩を抱きながら割って入った。
((余計な真似をするんじゃない
二人の意思がシンクロした。リヴェリアだってレティシアの言葉が嘘だとわかってる。でもクソ生意気な男のタマタマだけで妹の機嫌が直るのだ。安いもんだろ、【ファミリア】のためなら睾丸の一つくらい。なんなら陰茎を引き抜いてやってもいいとすら思っていた。
傍迷惑そうなリヴェリアに気付くことなく子供想いなロキは怒りを滲ませながらレティシアに詰め寄る。
「自分が悪いとちっとも思ってへんやろ。ウチの
「――当然だろう。私の息子を殺しかけた連中に悪いと思うものか。頭を下げてやっただけ感謝してほしいくらいだ」
土下座をやめて立ち上がったレティシアは、見開かれたロキの視線を真っ向から受け止めた。彼女の言葉に嘘がないとわかるロキは思わず怒りを霧散させる。
「息子やと?」
「ああ……貴様等に酒の肴にされて飛び出したのがそうだ」
「! じゃあ……あの子が……」
「私が貴様等を嗤いたくて仕方なかったよ。あの子が無様だろうと逃げて生き延びていなければ、今頃貴様等は酒なんぞ飲んでいられなかっただろうな。おっと……冒険者だから自己責任、なんてつまらんことは言うなよ? 自分達にとって遥かに格下の『ミノタウロス』を私の息子にけしかけて殺そうとした……それが事実だ」
「……」
ベルを笑った【ロキ・ファミリア】の面々が顔を伏せる。特に王族の御子息を殺しかけた挙句に笑い種にしたと気付いたエルフ達の顔色は悪い。レティシアは勢いで有耶無耶にできればそれでいいと思っていたのに【ロキ・ファミリア】が弱る姿が見られてウハウハだった。
「つまりあれか? 息子の代わりにベートに報復したんか?」
そんなことも口にしないとわからないのか? という表情で見つめる。そんなつもりは微塵もない。あれはただのうっかりだ。ついうっかり睾丸を潰して、もう手を出したんだから止めを刺しても変わらないと思っただけだ。もし報復するなら平等に男の股間を踏み抜き、女の股ぐらにアツアツのステーキを叩き付けている。
殺人鬼のような考えを見抜かれないために沈黙を保っていると、
「格好悪いな、自分の息子。自分の喧嘩に母ちゃんが割り込んだんやから、いっそう惨めになるで」
「神からの助言に感謝しよう。私からも助言をするならそうだな……負け犬の遠吠えほど惨めなものはないと思うぞ」
「……けっ」
白けたわー、みんなー、飲んで仕切り直すでー、と宴のテーブルに戻るロキ。それにつられるように他の客も席に座っていき、いつも通りの喧騒が起こりだす。
「ふっ……他愛ない」
勝利の余韻に浸りながら伸びをするレティシア。ぐいーっと背や腕を伸ばす彼女の肩にポンっと手が置かれ、ミシミシと骨を砕かんばかりの力で圧迫する。レティシアは己の運命を悟った。
その後、厨房でたんこぶを頭に乗せてめそめそ泣きながら仕事をするエルフがいたらしい。
レティシアは息子の命を差し出してまで生きたいとは思いませんが、尊厳くらいなら平気で担保にします。
「真の英雄は眼で殺す」某太陽のランサー。