あっ番外編なら俺のズボンが食っちまったので本編です。
春にはこれぞと言える風物詩がある。
「おねーちゃん早く出て〜! ふたりもトイレ行きたい〜!」
「もう30分も籠ってるのよ」
「毎年こうだな……」
入学式、始業式の日の、後藤によるトイレ立てこもりである。
いやぁこれがないと春って感じがしないですよね。春の季語だし、確か枕草子とかでも言及されてたと思う。
……とは言え、「それはおかしな話だ」という全国各地にお住まいの老若男女からの声にも頷ける。
どうして人は春の訪れにナーバスになるのか。
その理由として、人間関係の変化がひとつ大きなところだろう。
特に学生の身分であれば”クラス替え”という一大イベントを避けては通れず、丸一年間積み上げてきた人間関係がまったくのゼロにリセットされてしまうことも考えられる。
これを新たに人間関係を広めるチャンスと捉えることもできるだろうが、それでも2、3人、せめて1人でも仲の良いやつと同じクラスのままでいてほしいとは誰もが願うはずだ。
さてしかし、後藤にはクラスでの人間関係などもちろん皆無である。
まぁ文化祭で派手にやらかしてるのと主に俺と喜多さんで結束バンドの宣伝を精力的におこなっていることもあっておそらく例年以上にはクラスメイトから認知されているであろうが、残念ながら双方向的な関係性ではないのだ。
ゆえに、後藤はクラス替えで失うものなど何もない。
失うものが何もないのに、後藤はトイレに立てこもるのである。
要するに、自然現象みたいなものだということだ。
太陽が東から昇って西に沈むように。
海に満ちる水が雲となり、雨となって大地に降り注ぐように。
春から夏、夏から秋、秋から冬、そしてまた春へと季節が巡るように。
巡ってきた春のある日、後藤は自然の摂理の一環で、トイレに立てこもるのだ――。
「――じゃ、俺もう行くんで……」
「あっうん、いっくん気を付けてね〜」
「ちょちょちょちょちょっと待って! わわわ私も行く! 行くから!」
ほなはよしろや。
……なんて言ったものの、しかし結局俺は後藤を置いて学校へ向かった。
あの直後に「……やっぱりあと5分」とか言い出したので、無言で後藤家を出発したのだ。二度寝じゃねぇんだからよ。
ま、俺が最寄駅にたどり着いてちょうどやってきた電車に乗った頃、つまりは家を出てから10分後くらいには後藤ママから後藤が家を出たという連絡があったから、俺より一本か二本あとの電車で普通に間に合うだろう。
さて、それからいつも通り2時間くらいかけて学校に到着し、俺は迷わず自分のクラスの教室へと向かった。
……クラス替えがあったはずなのになんの確認もせずに俺が自分の教室を把握しているのは、別に
もったいぶるほどでもないのでさらっと言うと、喜多さんにネタバレされたからである。
「――あ、此崎くんおはよう! また1年間よろしくね!」
「おう、よろしく」
教室へ入るとさっそく喜多さんに捕捉され、大きな声で挨拶される。
若干教室がざわついたが、それはアレだ、クラス1の美少女にどこにでもいる平凡な男子が真っ先に声をかけられて嫉妬されてる的なアレだろう。別に俺の悪名が学年中に轟いて「うわ……」とかそういうリアクションをされたわけではないはず。俺って平凡だからなーつれぇわー平凡でつれぇわー。
「此崎おっすー」
と、俺が艱難辛苦に悶えていると、またもや聞き馴染みのある声が。
「お、佐々木さん。なんだよ佐々木さんもまた同じクラスかよ」
「ふっふっふっ、ウチと喜多の腐れ縁舐めんなよー?」
「そうよ? これでもう中学から五年連続だもんね〜」
「そうそう、そろそろ喜多の顔見飽きたわ〜」
あぁ、そういや言ってたな……喜多さんのこと名字の呼び捨てにしてるあたり、ホントに他の人たちとは一線を画す距離感だよな佐々木さん。強いんだわ。
……なんてちょっと他人事に構えていたら、佐々木さんがイタズラっぽい笑みのまま再び俺に水を向けてくる。
「……てか何此崎、『なんだよ』とか言っちゃって、ウチと一緒のクラスでなんか文句でもあるわけ?」
「いえいえそんなまさか、佐々木様と級友として共に学べることに感謝の念を禁じ得ませんとも……って、いやよく見るとなんか喜多さん佐々木さんだけじゃなくて一年五組のやつ多くね? 元委員長いるし、あと村田……木野崎もいるじゃねぇか」
「男子の方が少し多いみたいけど座席表見ると女子も何人かいるわね。あ、此崎くんの席そこよ。さっつーの隣!」
「またかよ」
「此崎の前また木野崎だしこの並び去年と変わんないんですけど」
マジかよ。これってもしかして運命かしら。木野崎此崎佐々木で同盟組む? 3サキ同盟組んどく? なんだよ3サキ同盟って。Bo5かよ。
……いやまぁ、それにしても。
「……これ、ホントなかなかすげぇ席順だな。こいつぁ……こいつぁしばらく楽しめそうだぜ……!」
「ちょっと此崎くん、あんまりハメ外しすぎちゃダメよ……?」
「マジでイキイキし始めてるじゃん……キモいわー此崎」
あんまり褒めるなよ佐々木さん。泣くぞ――などと俺が強気で脅迫した次の瞬間、
ガラッ、と勢いよく教室の後ろの扉が開けられたかと思えば、そこには、そこには……。
「キャーッ! ひとりちゃん何その罰ゲームみたいな格好!?」
「ヒャーッ! 後藤お前なんだその罰ゲームみたいな格好!!」
上から順にヘアバンド、サングラス、クソ長ネックレスにバンドTシャツ、腕にはアホみたいな量のリストバンドを付けて缶バッヂだらけのトートバッグを肩にかけており、これ見よがしにギグバッグを背負っている――後藤ひとりファイナルエクストリームパーフェクトライジングアルティメットモードが、いた。目も当てられない様子であった。
「誰にやられたの!? 此崎くんなの!? 此崎くんに決まってるわよね!!」
「あっえっあっ」
「……ハッ、おいおい喜多さん、あんたそれでも一級後藤鑑定士かい」
「えっ、な、何を……?」
「えっあっえっ」
「あんたぁ大事なこと見落としてるよ。後藤が教室に入ってきた瞬間の――絶妙な、ドヤ顔」
「っ! そ、それは……でも、此崎くんは顔も動かさず、視界の端に捉えた程度だったはずなのにどうしてそんなこと……!」
「
「……くっ! 私の、負けよ……!」
「これは純然たる後藤の奇行。俺の関与はない……ふっ、俺の観察眼もまだまだ捨てたもんじゃあないな……」
「あっあっあっ」
「……あんたたちここから一年そんな感じで行く気?」
YES! I WILL!
♪ ♪ ♪
私はたぶん一年以内に死ぬでしょう。
前門の喜多ちゃん、後門のささささん、そして斜め後ろ門には此崎くん。
新しい一年の始まり、私の今後を占うクラス分けの結果、そこには無慈悲な包囲網が敷かれていたのだ。
喜多ちゃん本人の陽の気は、まぁお泊りも経験した今では決して耐えられないものではない……が、それは喜多ちゃん単体(失礼)での話である。
喜多ちゃんには友達がたくさんいる。もちろん残らず陽キャであり、そこにいるだけで陽の気を領域展開しているわけだが、さらに自然の摂理として彼女たちが喜多ちゃんを中心に集まってくる。
それはさながら全部太陽な太陽系。全部太陽な太陽系って何? いやつまり喜多ちゃんという一等星を囲んで太陽たちが廻っているかのようで……これもう地球温暖化の原因ではありませんこと? 人間に観測できるダークマターことわたくし後藤ひとりとしてはすぐにでも死ねることをお伝えしておきたい。
そして、ささささん――あぁダメだなんかヒップホップ好きらしくて喜多ちゃんのこと呼び捨てにしてる時点で生物としての格が違いすぎて心の中ですらまともに名前を呼べない。
さ、ささ、ささ……き、さん! 佐々木さん! ささささきさん! ささささん! さささんだ!(諦め)
ささささん、怖い。いやわかんない、喜多ちゃんの気安いお友だち? みたいだから絶対悪い人じゃないと思うけど、ちょっとこう、気だるげな感じで……あれだ、ギャル、ギャルだ……ギャルこわい……ギャル is とってもこわい……。
あとはまぁ、悪の化身此崎くん。説明不要。
まさに、今も私がささささんとのコミュニケーションに盛大に失敗してさっそく来年こそ頑張る決意を固めたさまを私の斜め後ろでほくそ笑みながら眺めている。鬼畜だ。悪魔だ。
遠からず、死ぬ。間違いない。この包囲網は危険すぎる。
……いっいやでも誰一人知らないクラスに放り込まれてまた教室の隅の観葉植物より認知されない一年過ごすよりは死んだり生き返ったりしている方がまだ刺激的でちょっとは楽しいかもしれないし……でもやっぱり……激しい喜びはないけどそのかわり深い絶望もない観葉植物の心のような学生生活こそを私の目標とするべきなのでは……?
――否、否である。
私にはまだ、汚名挽回名誉返上のチャンスが……ある!
「えー、此崎衣久です。なんか『うわ出た』みたいな顔されてる気がしますけど、たぶん噂よりは普通で健気な生き物なのでよろしくお願いします。それと、みなさんご存じ結束バンド、夏のフェスに向けて頑張ってる真っ最中ですのでよろしくどうぞ。以上でーす」
「おーい半分宣伝になってんぞー。まぁいいけど。とりあえず拍手ー」
ぱちぱちぱち……と。
そう、新クラス恒例、自己紹介のターン……!
ここで起死回生を狙うしかない。さもなければ死だ。
ふっ、それにしてもさすがはナチュラルコミュ強此崎くん、押しつけがましくないボケを軽く挟んで確実に笑いを取っている……あとしっかり結束バンドの宣伝してくれてるありがとう……。
ともあれ、私の斜め後ろの席の此崎くんが自己紹介を終えて、さらに数人の男子の自己紹介が済む。小ボケを挟んだ此崎くんと違って割と無難にこなしていたけど……ふふっ、彼らは大丈夫かな? 新しい人間関係、掴みが大事だよ、掴みがさ……。
担任の先生が「じゃ、次~」と少し気だるそうに言うと、私の目の前で喜多さんが立ち上がる。
「はい、喜多郁代です! 喜多ちゃんって呼んでください♪ 趣味はイソスタなので映えスポットに行くことあったら私も誘ってね!」
……明るい! さすが喜多ちゃん、声のトーンからして完璧……ッ! 見習いたい、その生きざま……。
「……それで、今さっき此崎くんが言った結束バンドっていうバンドでボーカルしてます! みんな知ってると思うけど! あとこれも此崎くんが宣伝してくれたけど、夏のフェスに挑戦中なの! オーチューブに新しいオリジナル曲のMVアップしてるからみんな見てね! そしてきちんと拡散すること!」
はーい、と女子を中心に喜多ちゃんの言葉に返事が。
素晴らしい……芸術的な自己紹介だ……対話……そうだコミュニケーションの基本である対話もこなしている……自分のことを紹介するという一方的なものだけでなく……!
「ちなみに! 私の後ろの後藤さん!」
「……カッ!?」
「ぶふっ」
そこぉ! 此崎ィ! くん! ちょっと変な声出ちゃっただけだから笑わないで! 笑ってもいいけどもう少し隠して!
し、しかし喜多ちゃんどうして急に私の名前を呼ぶなどという暴挙を……と、若干恨みがましく喜多ちゃんに目を向けようとして、次の瞬間には己の不明を恥じることとなった。
「後藤さんがね、リードギターなんです! すっごくすっごく上手だから、一度は生で見ないと損よ! って、文化祭とかで見てくれた人も多いかしら? 上手だったでしょ~?」
神はここにいた。
私は何もしていない、いやちょっと変な声出しただけなのに、クラス中から「おぉ〜」とか「へぇ〜」とか「あぁ〜」とかいう声が、承認欲求にキく声が聞こえてくる。
神様仏様喜多ちゃん様。
少し振り向いてサムズアップする姿のなんと神々しいことか。
私は心の中で感涙にむせびながら、自然な流れで喜多ちゃんからのバトンを受け継ぎ、立ち上がった。
そして、昨晩日付が変わるまで机に向き合って用意してきた台本に視線を落とす。
「あっ」
「……後藤さんのこと知りた~~~い!!」
「あっうっ、ごっ後藤ひとりですあだ名はぼっちです……」
……あっあっあっ。
「なっ名前の通りリアルぼっちで……へへっ。あっしゅっ出身はかっ神奈川です……中学の人がいない高校がよかったので2時間かけて通学してます……まっ毎朝寝不足でこの学校にしなきゃよかったってこっ後悔してます……」
あれ、心の中に納めていたはずの感涙がちょっと表に……どうして……?
「……あっえっと、けっ欠点は人の目を見れないことと、あっあと喋る前に絶対『あっ』って付けちゃうこと……ってそっそこ笑うな……あっえっと……シバくぞ!!!!!」
「何言ってるの!? ひとりちゃんさっきから何言ってるの……!?」
「……ッ! ……ッ! ッ!」
あぁ……斜め後ろから机をバンバン叩いて悶えるような音と必死に笑いをこらえる声が聞こえてくる……そこ笑うなシバくぞ……。
……こ、こ、こうなったら最終手段……!
「――モノボケやります!!! 武田信玄の軍配!!!!」
「そんな下らないことするためにギター持ってきたの!? あとその兜はもはや何!!!」
「はいありがとう。もう座って良いぞー」
「じゃ、次ー」
「はーい。佐々木次子で~す。ヒップホップやってます、よろしく~……ねぇ此崎笑い過ぎじゃない? なんかウチ変なこと言った?」
「ちがっ……ッ! はぁ、はぁ、ちょっと待っ……ッ! ッ!」
「此崎ーさっきからうるさいぞー」
「ひとりちゃん、あとで人と人とのコミュニケーションについて二人でみっちりとお勉強しましょうね……」
「あっはい……」
……ふぅ、どうやら私の一年が終わったようだ。
今までありがとう! お疲れ様!
……と、まぁ何もかもがおしまいになったかと思ったけれど、放課後にはささささんが声をかけてくれた。喜多ちゃんや、どうやら去年もクラスメイトだったらしい此崎くんを介さずに、だ。
「さっき言い忘れてたけど、去年の文化祭の時のギターかっこよかったよ。や、喜多とか此崎とかからいろいろ話は聞いてたんだけどさ、あれが印象的だったから後藤のことは結構覚えてたんだよね~」
ささささんはそんなことを言い残し、私の返事を待たずに「そんじゃね~」と去っていってしまった。学校頑張って来なよ、なんて一言も添えて。
「……い、良い人……?」
「おい失敬だな、佐々木さんはもちろん良い人だぞ。喜多さんと共に虐げられている俺を救ってくれたお方だ」
「えっ何それ」
「此崎くん、それ本当に何……?」
喜多ちゃんもわからないって本当の本当に何?
……ま、まぁでも、此崎くんが言うならたぶんそうなんだろうな……わっ私なんかのこと覚えてくれてたみたいだし……。
「ま、文化祭だけじゃなくリベンジライブに来てくれたやつも結構いるぜ、このクラス」
「えっあっ? そっそう……?」
「ほとんど俺がチケット売ったんだぞ? 間違いねぇって」
「そ、そっか……」
じゃあ……私がギター弾いてるとこ、見てもらってるんだ……。
「あっ、そうそう! ほらひとりちゃん、スマホ出して!」
「えっ? あっはい……こっこれは……?」
「さっきね、みんなでクラスのロイングループ作ったのよ! ひとりちゃんも誘うから入って入って!」
「あっはい……」
わ、私も入っていいのだろうか……と、悩んだのも束の間、喜多ちゃんからグループへの招待が届く。
ちらっと此崎くんの顔を見ると、小さく笑いながら無言で頷かれた。
「あっ……へへっ」
此崎くん経由で中学の時もクラスのロイングループに入れてもらったことはある。
けど……私は、あの時よりも少しだけ、このクラスで楽しい思い出が作れるかも、という予感を強く感じたのだった。
♪ ♪ ♪
「――おはざーっす。お疲れ様でーす」
「おはようございます~!」
「あっおはようございます……」
「あっ、みんなおはよー! おつかれ~」
「おはよう」
「いやー、ロインしたけど三人とも同じクラスでよかったね!」
「はい! 先輩たちも同じクラスで良かったですね!」
「最高」
「いやいや喜多ちゃん! リョウと同じクラスになるってことは課題写させたり移動教室で起こしたりリボン直してあげたり制服にアイロンかけてあげたり脱いだ洋服洗濯機に入れてあげたりしないといけなくて大変なんだよ!? 寄生されるんだよ!?」
「虹夏先輩、それ後半同じクラスなの関係ないです」
「でも私リョウ先輩になら寄生されたいです! リョウ先輩に栄養吸い取られたい!」
「喜多さんも急に怖いこと言わないでくれ」
「……あっそっそうだ私も同じクラスになったから課題とか此崎くんに見せてもら」
「誰が見せるか」
「ひんっ……」
「……先言っとくけど喜多さんもダメだぞ」
「えっ、此崎くん見せてくれないの……?」
「ちげーよなんで見せてもらう側の想定なんだよ。後藤に見せるなって言ってんの」
「はいはい、とりあえずその辺にしてー! さ、今日も練習がんばるよー!」
「はーい」
「へいへい」
「ん」
「あっはい……」
此崎がついに進級した……なんかちょっと感慨深くね?
ぴったり(?)#60なのはたまたまだけど区切りが良い。