その日の朝は、インターホンの鳴る音で目が覚めた。
昨晩は結局何時に寝落ちしたのかわからないが、寝覚めの悪さから言って睡眠時間が間違いなく足りてなさそうだった。まぁ、ここ数日ずっとそんな調子なのだが。
……いや、もしくは、そもそも俺の思っているよりも朝が早いのか――そう思って一応スマホで時間を見ると、朝の六時だった。そりゃ眠いわって時間だった。
郵便とか配達だったら、申し訳ないけど不在通知入れといてくれ……とかなんとか一瞬考えたが、こんな時間に来る郵便も配達もないだろうとすぐに思い直す。
じゃあ誰やねん、と段々気になってきてしまって、俺はやっぱり布団から起き上がり、リビングへと向かった。
リビングの壁にあるインターホンカメラで外を確認するが、人影はもうなかった。一応声もかけてみるが応答もなかった。
それから寝癖でぼさぼさの頭を撫でつけながら玄関に向かって、郵便受けを確認すると――。
「……は? 矢?」
なんか棒が出てるなと思って引き抜いたら、矢だった。郵便受けに矢が刺さっていた。
こわ……と恐れおののきながら矢を見つめていると、何やら細く折りたたまれた紙が結び付けられていることに気が付く。……矢文? 戦国時代?
「……『果たし状』って書いてある……」
果たし状だった。矢文で、果たし状が送られてきていた。これもう絶対に戦国時代だ。
「どこの武将だまったく……ふむ……あぁ……?」
”今日午後六時、すたぁりぃにて待つ”と書いてあった。後藤の字で。
……いや半日後やんけ、と思った俺はマジでめちゃ眠かったのでとりあえず二度寝することにした。
次に起きたのは昼だった。
そして、午後六時。
俺は、スターリーへとやってきた。
最後にスターリーに来てからほんの数日だが、なんだかとても久々な気がする。ここ一年、丸二日以上来なかったのは年末年始くらいだ……そう考えると、すごいな。
ともかく、送り付けられてきた果たし状には、要するにここに来いと書いてあった。
ここで、この場所で決着を付けよう、ということなのだろう。
筋は通すと誓った。
逃げないと宣言した。
覚悟は、とっくに決めている。
「……よし」
俺は入り口のドアを開けて、受付を通り、それからライブハウスの中へと足を踏み入れた。
「おはようござ――」
「――みなさん今ですっ! 確保ーっ!」
「逃がさないわよ此崎っ!」
「逃げんな此崎オラァァァァァァァァ!!!」
「逃すかアノサキィィィィィ!!!」
「いっくん逃げるなぁ〜!」
「――なっ、何ィィィィィ!?」
次の瞬間、俺の四肢は完全に拘束されていた。
右腕にヨヨヨちゃんで左腕に店長さん、そのまますぐ下の左脚にはぽやみさん、反対の右脚にはきくりちゃんが絡みついて……もとい、それぞれ思い思いの形で、ガッチリとホールドしてきたのだ。ちなみに号令掛けてたのがPAさんである。
「おいなんっ、なんだこれなんですかこれ!! みだりに異性にくっつかないでくださいセクハラですよっっっ!!! 」
「此崎あんた意外と元気そうねっ!? じゃなくて抵抗するんじゃないわよ!! さもなくば……」
「――私がお前の腕を、折る!」
「シンプルに脅迫じゃない野蛮人! ……でも、やむを得ない場合はあたしも膝行くわよ!」
「私はね〜、おにころいっぱい持ってきたからぁ〜……ね?」
「廣井さん、それは此崎くん本当に再起不能になっちゃうやつですからやめてくださいね?」
「待ってくださいPAさん、流石にそれはきくりちゃんのやつが一番マシです」
俺は腕も膝も失いたくない。失うことを恐れてるんです僕は。失うならせめて意識がいいですマジで。
……てか、あの。
「あの、マジでこれなんですか? その、店長さんとPAさん、あときくりちゃんもまだスターリーにいるのはわかるんですけど……ヨヨヨちゃんとぽやみさんは……」
っつーかこの二人面識あるか? なくない? ……いや、一応お互い一方的に知ってはいるか。
ぽやみさんが俺のことボコボコに言ってきた件を聞いているのがヨヨヨちゃんで、未確認ライオットを見ていたのがぽやみさん。
……うん、あんまり巡り会わない方が良かった二人な気がするけど……。
「私にだって見届ける権利はあるでしょ? どれだけあんたたちの世話焼いてきたと思ってるのよ!」
「あたしも、この件には責任があるわ。あたしがここにいるのは義務よ。文句ある?」
……とりあえず、今のところ俺という共通の敵がいるから問題ないみたいだ。敵の敵は味方だもんね。安心したぜ。
「ま、まぁ、そりゃここにいる皆さんにはいろいろご迷惑おかけしてるんで、何言われても謝るしかないんですが……それにしたってこの拘束はおかしいですって。俺、逃げないって散々言ってるじゃないですか。放して?」
「ダメに決まってるでしょ」
「ダメだ」
「ダメよ」
「ダメ〜」
「ダメです♪」
5ダメ喰らった。逃げられなかった。
「……さて、それじゃあ運びましょうか」
「えっ運ば……運ばれるんですか俺」
「あぁ、運ぶ。暴れんなよあぶねーから」
「じゃあ行くよ〜、いっせーの――」
――せっ! というきくりちゃんの掛け声と共に、俺の身体は持ち上げられた。
女子高生一人と成人女性三人……あっ間違えた女子高生一人と17歳一人と成人女性二人に持ち上げられたことが君にはあるか? 俺はある。
無闇に暴れると本当に危ないと思ったので、俺は首根っこ掴まれた猫みたいに大人しくしたまま運搬されて、それからフロアの真ん中にポツンと置かれた椅子の上に降ろされた。
「……えーっと、これは……」
「後ろに手を回せ」
「えっなんで……」
「さもなくば」
「あっはい回します……あっえっ?」
店長さんに脅迫されて指示に従うと、両手の親指同士を何かできつく縛られた……これもしかして結束バンドでは? なんかわからんけどなんかで見たことあるガチで拘束するためのやつじゃんね? マジで取れそうにないんですが?
「よし、あとは椅子の足にも縛り付けとこう」
「了解で〜す!」
「了解じゃないですきくりちゃん着々と俺のこと縛り付けるのやめ……ちょっと待ったそれ結束バンドの結束バンドですよね? 赤青黄色で繋げて縛らないで? きくりちゃんさん?」
「ちなみに後ろ手に縛ってるのはピンク色のやつですよ〜。サイン入りのやつです♪」
わぁPAさん教えてくれてありがとうこれやめさせてください。
「いやあの、あのマジで、いったい何が始まるんです? 尋問? 拷問? できれば基本的人権に十分配慮した扱いをお願いしたいんですが……」
「尋問も拷問もしねぇよ。……ただ、
……あー、まぁ。
多少、意図的におちゃらけていたわけだが、店長さんにきっぱりとそう言われてしまって俺は黙り込む。
だって、そりゃあ、わからないはずがない。
正面のステージには、マイクスタンドにアンプ、ドラムセットと、どこからどう見ても準備万端だ。
「……こんなことしたって、俺は……」
思わず俯いて呟いたが、誰も返事はしてくれなかった。
横目で視界に入っていた店長さんとPAさんはくるりと踵を返し、たぶん機材ブースの方に向かったのだろう。
それから他の三人、ヨヨヨちゃんとぽやみさん、きくりちゃんも順に、静かに俺の背後へと下がっていった。
――やがて、ステージとフロアが暗転する。
すぐに舞台の上に人の気配がして、俺は僅かに顔を上げる。
「此崎くん」
「衣久」
「衣久くん」
「……こっ、此崎くん」
……ほんの数日、会わなかっただけなのに。
俺の名前を呼ぶその声たちが、やけに懐かしく感じた。
「――聴いてね、わっ私たちの気持ち」
歌声とベースと、ドラムとギター。
音の波が、彼女たちの気持ちが、一斉に押し寄せてくる。
顔を下げることはできても、目を瞑ることはできても、耳を塞ぐことはできない。
俺はそれを、真正面から受け止めるしかない。
♪ ♪ ♪
此崎くんへ
此崎くん、私は怒っています。
此崎くんが、私の気持ちを全然わかってくれていなかったことに。
そして私が、此崎くんの気持ちを全然わかっていなかったことに。
あの時、責任を取るって言ったのも、責任を取ってって言ったのも、冗談のつもりはちっともなかったわ。
バンドが売れること、売れていくこと、売れ続けていくことの難しさはわかっているつもり。
未確認ライオットでファイナルステージに進めなかった……そんな悔しい経験をしたから、今は、もっとはっきりわかる。あの場所ですら当然のように上には上がいたけれど、これから私たちが目指すのは、それよりもさらに上がいる本当に厳しい世界。
ぽいずんさんが言っていたこと――努力は誰でもできる、結果につながらなくちゃ、という言葉も一理あるなって思えるわ。もちろん、意味がないとは思わないけれど。
だから、責任を取るなんて、今はもう生半可な気持ちでは言えない。
それでももう一度、伝えたいの。
私は、此崎くんの将来の責任を取りたいわ。
一年以上も一緒にいて、此崎くんは私たちにたくさんの時間と労力を使ってくれた。
四人分の、いえ、自分を合わせたら五人分のスケジュールを毎月組んで、素人だなんだって言いながらも練習メニューを考えるのも協力してくれて、バイトは私たちがお休みできるようにって率先して穴を埋めてくれて、ライブの準備も宣伝も、お金の管理だって……。
私一人を取っても、カラオケでの歌の練習にはいつも付き合ってくれたし、SNSの運用も手伝ってくれたし、バンド活動に関係ない愚痴や相談もいつだって聞いてくれた。
それに、何度だって言うけれど、今ここにいる私を、今ここに連れてきてくれたのは此崎くんなのよ。
私は、それも含めて、たくさんの恩を返したい。
返せないまま此崎くんが私たちの元を離れるのなんて、絶対に嫌なの。
此崎くんが取るべき責任って、私からの恩返しを受けることよ。
置いていかないんじゃなくて、置いていってあげない。
此崎くんが立ち止まったら、何度だって引き返して引っ張っていくわ。
これが、私の気持ち。
……私は、これが伝わったものだと思い込んで、でもたぶん、本当はきちんと伝わってなくて……此崎くんにこんな悲しい決断をさせてしまった。
私が一番最初に結束バンドには戻れないって逃げようとしてた時、それを引き留めてくれた此崎くんの言葉は私の胸にちゃんと響いたのに、此崎くんは一筋縄じゃ行かないわね。
まるで私が軽い女みたい。それとも、此崎くんが鈍感なだけかしら。
……うん、きっと此崎くんが鈍感なんだと思うわ。
此崎くん、ずーっと鈍感なふりをしてきたから、本当に鈍感になっちゃったのよ。
何に鈍感かって?
それは自分で考えてちょうだい!
ねぇ、此崎くん。
もう、鈍感なままじゃいさせないわ。
言葉に乗せても私の気持ちが伝わらないなら、今日は歌に乗せるから。
今度こそは、わからせてみせる。
だから、私の歌を聞いて。
これからも、この先も。
私たちと一緒に――
♪ ♪ ♪
衣久へ
まず言うけど、衣久は考えが甘い。
私たちが、私が、あの程度で衣久のこと諦めると思ってたの?
……まぁ、衣久はバカだけどバカじゃないから、思ってなかったかもね。
でも、私たちが諦めるまで突っぱね続ければ、とかどうせ考えてたんでしょ。お見通し。
残念ながら、衣久はもう逃げられない。
これから一生私と結束バンドに尽くしてもらうし、これから一生私にお金を貢い……貸してもらう。衣久はもう私の人生の予定に組み込まれてるんだから、逃げるなんて神が許しても私が許さない。
……あと、それが満更でもないのは、もちろんわかってる。衣久は私たちのこと大好きだもんね。
結局のところ衣久は、確証が欲しかったんでしょ。
私たちが衣久のことを捨てないっていう確証が。
私たちみたいな美人を四人も掴まえて、衣久は本当に贅沢者。
まぁ、衣久は頑張ってきたし、そのくらいの贅沢はしてもいいと思うけど。神が許さなくても私が許すし、郁代も虹夏も、ぼっちだって許すでしょ。
仕方がないから、何度だって伝えてあげよう。
私たちは衣久のことを捨てたりしない。
私たちがそんな薄情な人間じゃないって、衣久だってわかってるはず。
もしも衣久が、私たちがそうしなくても、周りの人や状況、環境が……とか考えてるなら、それは衣久の覚悟の問題だよ。
衣久は、遠慮しいで心配性で、ビビりだから仕方がないかもしれないけど、だったらこれから変わって。
もっとわがままになって、変な我慢はしなくていい。そう、私のように。
……今まで、態度だけで示してきたのは私のミス。
私は寡黙でミステリアスな女だからそうせざるを得なかった……というのは冗談として、それでも背中で語ってきたつもりだったけど、つもりはつもりでしかなかったね。それはごめん。
私も、そういうところを、少しは変えていこうと思う。
大切なことは、伝えたつもりになって満足するんじゃなくて、きちんと伝えていこうと思う。
今日のところは、ひとまず音楽で。
寡黙でミステリアスなキャラは継続していくから、そう簡単に言葉にする気はないし、多くを語るつもりはないよ。
ベースの重低音、癖になってるのは知ってる。
衣久にはいろんな意味でベーシストの才能があるけど、それはそのうちの一つ。
ベースの音は身体の芯に響くから、伝わるに決まってる。
あとは私が、ありったけの想いを込めるだけ。
私の、生意気な、かわいい後輩。
衣久も行くんだよ。
私たちと、
♪ ♪ ♪
衣久くんへ
最初に言わせてもらいます。
衣久くんがバカなのは知ってたけど、ここまでバカだとは思ってませんでした。衣久くんのバーカ!
……けど、あたしも、同じくらいバカだ。衣久くんの抱えている不安をうっすらと察していたのに、衣久くんがこんな決断するのを止めてあげられなかった。本当に、ごめん。
ここ何日か、毎晩……ううん、夜だけじゃなくて四六時中、衣久くんのことで頭がいっぱいだった。
リョウと喜多ちゃんとぼっちちゃんと、四人で話したこと。
衣久くんと、今まで話してきたこと。
いろいろなことを思い出して、考えて、考えて。
それからあたしは、きっと、もっと早く衣久くんの悩みに気が付けて、寄り添えたんじゃないかって思ったんだ。
衣久くんが、ただでさえ結構寂しがり屋なのは知ってた。
おうちのことは教えてもらってたし、いろんな人とすぐに仲良くなっちゃうところってそういうことじゃないかなって思う。衣久くんは恥ずかしがって否定するだろうけど。
で、それってやっぱり、お父さんやお母さんと一緒にいられる時間が少なかったせいなんだろうなって。
ぼっちちゃんや、ぼっちちゃんの家族がいつも一緒にいてくれたのも知ってるけど、それでも埋まらないものってあると思うから。ぼっちちゃんやその家族、衣久くんだって悪くないよ? ただ、そういうものだと思うって話。
だって、あたし自身がそうだったから。
お母さんがいなくなっちゃって、お父さんも仕事が忙しくて家に帰ってこなくなっちゃって……お姉ちゃんが、幼馴染のリョウが、他にもいろんな友だちが一緒にいてくれても、その寂しさが全部埋まることはなかった。
衣久くんが怖がっている変化、その先にある孤独と寂しさは、きっとそれと同じもの。
衣久くんも、それがわかってるから怖くって……いつか不意に失くしてしまうくらいなら、なんて考えたのかな。
だとしたら、うん、やっぱり衣久くんはバカだね。
寂しがり屋の衣久くんが今更あたしたちから離れたって、もうどうしようもないくらい寂しいに決まってるじゃん。
もちろんあたしたち……ううん、あたしだって寂しいよ。他の誰にも埋められないくらい、絶対に寂しい。
衣久くんが、本当に、心の底からあたしたちと一緒にいるのが嫌になったっていうんなら、あたしは寂しくても止められないよ。
此崎くんがマネージャーを始めたのはあたしが無理やり誘ったからで、これまでたくさんあたしたちを助けてくれて、それでもう十分でしょって言われたら反論できないもん。
でも、そうじゃないなら。
今、そんなに泣きそうな顔であたしたちを見上げているのが、あたしやあたしたちの想像している通りなら。
あたしたちの、片想いじゃないのなら。
……ねぇ、衣久くん。
あたしの夢、知ってるでしょ?
あたしは衣久くんに、あたしと同じ夢を見ていてほしいよ。
それで今度は、衣久くんの夢も教えてほしいな。
あたしも衣久くんと同じ夢が見たいから。
そう言えば衣久くんには、あたしがどうしてドラムやり始めたか話したことなかったよね。お姉ちゃんはギターやってた……っていうのももしかして知らないかな? まぁとにかく、ギターでもベースでもなく、ドラムを選んだ理由。
それはね、ドラムが一番音が大きくて、最強だからだよ。
ということで衣久くんには、あたしの目一杯を喰らってもらいます。
あたしの気持ちを全部、全部このドラムに乗っけて、衣久くんに叩きつけてやる!
遠慮も不安も、寂しさも!
あたしがドラムで吹き飛ばしてあげるんだから!
行こうよ、衣久くん
あたしたちと、
♪ ♪ ♪
此崎くん――ううん、
……とりあえず、私にギターという特技があって本当に良かったなって思いました。本当に。
だって、ただでさえ口下手な私が、いっくんに改まって何かお話するなんて絶対無理だし……「あっ」とか「うっ」とか「えっ」とか言ってる間に……いっくん、いなくなっちゃったかも……。
……あっ危ない具体的に想像して死ぬところだった。死んでる場合じゃない、死んでる場合じゃないんだ……!
……えっと、いっくん。
最初に、ごめんなさい。
私、いっくんの幼馴染で、一番近くにいて、一番長く一緒にいたのに、何にも気が付かなくって……ごめんなさい。
リョウさんが、近すぎたから気が付かなかったんだって言ってくれたけど、私がそれを受け入れてしまうのは甘えだと思う。だから、きちんと罪悪感を持ちたいと思います。ごめんなさい……。
……私は、いっくんがすぐ側にいるのが当たり前だと思ってた。ずっと、ずっと。
でも、少し思い返せば、そんなことはなかったんだって、すぐに気が付いた。
小学校5年生か、6年生の頃。
いっくんが思春期に突入して、急に私にそっけなくなったあの頃。
私はあの時に一度、いっくんが私のそばからいなくなっちゃうんじゃないかって物凄く不安になったんだ。
宿題も勉強も見てくれなくなって、遊ぶ頻度も少なくなって、挙げ句の果てに名字で呼ばれるようになって……あとは、いっくんの意思ではないと思うけど、ずっとお隣さんだったのにいっくんが今のマンションに引っ越しちゃって、うちも一軒家に引っ越しちゃって……。
幼稚園の頃から少しずつ近くなっていった距離が今度はますます離れちゃって、いっくんさえいればいいやとさえ思っていた私が、あの頃どれだけ寂しかったか……わからないわけではない、のかな。
とにかく、いっくんが私の側から離れようとしたのって、実は初めてじゃなかったんだよね。
……それに、いっくんがそういうふうな態度を取るようになってくれたから、今の私があるのは間違いない。
まず何より、いっくんがずっと私の面倒を見てくれていたら、ギターを弾き始めることはなかったよね。
中学に上がって、クラスは一緒だったけどいっくんとはますます一緒にいる時間が減っていって、でも相変わらず私は友だち皆無のひとりぼっち街道を爆走していて……だから、ギターを始めたんだ。
陰キャ脱却はさすがにもう諦めてた(無意識の嘘)けど、それならせめて陰キャのまま輝こうと……まぁネットでちやほやされるようにはなったもののバンドのバの字も見当たらない中学三年間ではございましたが……。
……えっと、そうじゃなくって……とにかく、いっくんが私を突き放した……
……でも、でもね、いっくん。
いっくんは、なんだかんだ言っても、ずっと一緒にいてくれたよね。
小学校の頃に比べれば、もちろん距離感は変わったよ。
それにいっくんは、私の前に立つんじゃなくて、後ろから……見守ってくれるようになった感じ、かな。良く言えばね。悪く言うと観察するようになったよね。黙って見過ごすようになったと言ってもいいかもしれない。ぐぎぎ……!
……ま、まぁここはひとまず好意的に捉えておくとして、とにかくいっくんはなんだかんだ、結局ずっと私の側にいてくれたから、それで私は忘れちゃってたんだよ。
いっくんが一緒にいてくれることは、決して当たり前じゃないんだって。
……いつか、言ってくれたのにね。
いなくならない、って。
約束ではなかったのかもしれないけど……私は信じてたし、そうであってほしいって、今でも思ってるよ。
いっくん、私、嫌だよ。
いっくんがいなくなるの、嫌だ。
いっくんは……私が嫌いになっちゃったわけじゃないんだよね? もしそうだったら、私は仕方なく世を儚んで死ぬけど……そうじゃないよね? そうじゃなくあってほしい。お願いします……。
……私は、虹夏ちゃんにバンドに誘われて、リョウさんと曲をたくさん作って、喜多ちゃんにそれを歌ってもらって、この夏はフェスに挑んで、みんなと一緒に、たぶん、少しくらいは成長したんだと思う。私は、自分のことだから、あんまり自信がないけど……いっくんの目にはそう映った、ってことだよね。
……うん、こんな私でも、少しずつ、少しずつだけど、やっぱり変わっていくよ。
コミュ障で、陰キャで、バカで運動音痴で、人の目見れないし喋る前に必ず「あっ」って付けちゃう……そんな自分を変えたいからギターを始めて、今は、途方もない幸運で、バンドをやっている。
私は、ちょっとずつでも変わっていって、成長していく。していきたいと、思ってる。
だから、いっくんが……変わらないでほしいって思っていても、ごめんね、それはきっとできない。
……でも、一緒にいることはできるよ。
私は、変わっても、成長しても、ずっといっくんと一緒にいたいよ。
……うん、まとめると、たったそれだけ。
けど、面と向かって言葉では言えない。絶対。恥ずかしくて、言う前に私は溶けてなくなっちゃうと思うから。
私にギターがあって良かった。
いっくんが言ってくれたよね。
私にはギターがあるから、無理に言葉になんてしなくていいって。
伝わってほしい、私の気持ち。
このギターをかき鳴らして、言葉よりも確かに伝える。響かせる。
いっくん。
私を見て。
私を見ていてよ。
私をずっと、見ていてよ!
これからも、この先も……!
私を、私のロックを――"ぼっち・ざ・ろっく"をっ!
♪ ♪ ♪
歪んだ残響が次第に止んでいくと、ライブハウスには嗚咽だけが響いていた。
俯けた顔、床を捉えているはずの視界はぼやけて歪み、ろくすっぽ見えやしない。
それでも俺は、必死に声を絞り出した――。
「――てっ、店長さんっ、ぐすっ、俺より泣くのやめてくださいよぉ……!」
「だっ、誰がっ、ふぐっ、誰がおまえより泣いてるかよぉ……!!」
めっちゃ泣いてるじゃん……っ! 俺より泣いてるじゃん……っ!
「……あーあーもう店長ったら、せっかくの余韻が台無しですよ……」
「せんぱ〜い……もうちょっとこう、堪えましょうよ〜……」
うぅぅ……ふぐぅ……! あと僕の腕を解放してぇ……滂沱の涙と鼻水が拭けなくってお顔がぐちゃぐちゃなのぉ……!
……はい、ということでとりあえずヨヨヨちゃんとぽやみさんが近寄ってきて俺の拘束を解いてくれましたとさ。
ついでに両方からハンカチを渡されて、汚してしまうのが申し訳ないと思いつつも遠慮なく使わせてもらった。両方。一枚じゃ足りんかった。
ずるずると鼻を啜りながら、俺はようやくステージの上を見上げる。
すると、四人それぞれが、それぞれな表情で俺のことを見下ろしていた。
「……えっと」
……何を、なんて言ったらいいのか。
泣きすぎて頭がぼーっとしてるのもあるが、そうでなくても、俺は何を言うべきなのかわからなかった気がする。
「――衣久くん!」
「あっはい虹夏先輩!」
やがて、虹夏先輩が勢いよく立ち上がった。
たぶん俺と同じくらいに目を真っ赤にしながら、俺を鋭く睨みつけていた。
そして――。
「……吹き飛んだ!?」
と、怒鳴るように聞いてきた。
……ともすると訳のわからない質問に思えるかもしれないが、俺にはその意味がわかる。
答えは明白だ。
「……はい。吹き飛びました」
「……ならよし!」
虹夏先輩は、花が咲いたようにパッと笑顔になって、再びどっかりと椅子に座ったのだった。
「衣久」
「あっはい、リョウ先輩」
次は、リョウ先輩が俺の名前を呼んだ。
リョウ先輩は、珍しく頬を紅潮させていて、やはりどことなく目元が赤い……ような気がした。
「……伝わった?」
「はい、伝わりました」
「ん、結構」
俺がすぐに答えると、ふっとリョウ先輩は満足げに微笑み、親指で目元を拭った。
「……此崎くんっ!」
「あっおう、喜多さん……」
さらに続けて、喜多さんだ。
はっきりと目を潤ませたまま一歩前に出てきた喜多さんに俺は気圧されて、逆にちょっと後ずさりしてしまった。
「
「……ああ、わかった、わからされたよ」
それでも俺がそう返事をすると、喜多さんはしばらく頬を膨らませていたが、やがて優しい笑みを浮かべて、よかったわ、と快活に言ってくれた。
「……あっうっ、い、いっくん……?」
「……おう、後藤」
最後に、後藤。
後藤だけは、汗だくにはなっていたがなんだか間の抜けた様子で、俺もかえって冷静になれた。
「あっえっと……えっと……」
「――大丈夫、響いたよ」
そして、問いを待たずにそう言うと――。
「――あっへへ……」
と、後藤はふやけた笑顔を見せたのだった。
「……虹夏先輩、リョウ先輩、喜多さん……後藤」
それから、俺は四人に向けて言う。
結束バンドに向かって、まっすぐ。
「まずは、いろいろとすいませんでした。それで、これからも、この先も――どうか、よろしくお願いします」
#76 此崎へ / この先へ
次回、最終回です。