「――あ、もしもし?」
『おはよ。どうかした?』
「いや、ちょっとご相談がございまして……今時間平気?」
『平気よ。車で移動してるだけだから。で、何?』
「えーっと……まずあれ、進路のことなんだけどさ」
『好きにしなさいよ』
「いやそう言われるのはわかってたんだけど宣言くらいさせて……えっと、とりあえず大学進学、とは思ってるんだけど。学部とかはまだ調べてなくて」
『うん、それで?』
「うん、で、あー……その先のことが本題なんですけどね?」
『何よ、もったいぶるわね。ひとりちゃんたちのバンドのマネージャーやるんじゃないの?』
「おまっ、えぇ……いやあの、まぁ、はい……」
『あんた、まだとか言ってないで何を勉強したら役に立つのかとか早め早めに調べときなさいよ。あとわかってると思うけど、別に私立とか公立とかは気にしなくていいからね。私もお父さんも稼いでるし』
「あっはいどうもありがとうございます……あーじゃあ、それに関係して次のご相談よろしいでしょうか」
『はいどうぞ』
「えっと、そのマネージャーの話の続きなんだけど、実は結束バンドが契約する……かもしれないレーベルで、バイトとして雇ってもらえる……かもしれなくて」
『親の同意がいるとか? 書類送っといてくれたら書いとくわよ』
「あっはいどうもありがとうございます……あーじゃあ次」
『まだあるの?』
「はいあの、ちょっと口座から大きめの額おろします、10万……いや15万くらい」
『好きにすれば? っていうかそれくらいならあんたのバイト代の貯金で済むんじゃないの?』
「いや、たぶん今までの生活費の余りもちょっと混じると思う……」
『ふーん、ま、いいんじゃない? お父さんも全部使っていいのにっていつも言ってるし』
「あっはいありがとうございます……えっとじゃあ、最後」
『もう飽きたわ』
「飽きないで息子の大事な話……あー、えっと、俺さ」
『何よ』
「……俺、小さい頃……もっと、母さんと父さんと一緒にいたかったよ。結構寂しかったんだ。運動会とか、授業参観とか、いろいろ来てほしかった」
『……そうだったの?』
「……まぁ」
『……悪かったわね。少なくとも私は逆に過干渉が嫌なタイプで、子どもの頃うんざりしてたから』
「極端なんだよ……」
『それは言えてる。……恨んでる?』
「昔はちょっと。今は、別に。たぶん、干渉されたらされたで鬱陶しいと思っちゃいそうだし」
『贅沢ねぇ……それにしても、なんでそんなこと言う気になったんだか。良いことでもあった?』
「連想すんの良いことなのかよ」
『そりゃそうでしょ、あんた凹んだり拗ねたりしたら基本黙り込むじゃない』
「……お見通しじゃん全部……」
『親だからね。あんまり一緒にいてあげられなかったけど』
「自虐もスマートだぁ……」
『……で、話は終わり?』
「あっはい終わりです……まぁこの後出かけるから、切るわ」
『はいはい。……衣久』
「何?」
『ちゃんとご飯食べなさいよ」
「……うん。母さんも仕事頑張って。あと、運転気を付けて」
『はいはい、それじゃね』
「うん、じゃ」
♪ ♪ ♪
「――あらいっくん、おはよう~」
「いっくんおはよ~!!!」
「わんわんっ!」
「おはようございます……後藤、まだ寝てます?」
「ええ、そうみたい。起こしてくる?」
「いや、今日は午後から練習あるだけなんで大丈夫です。でも、俺はちょっと用事があるので、一人で来いって言っておいてください」
「ええ〜! いっくんあそぼうよ~!」
「ごめんふたりちゃん、明日……も無理だけど、えっと、明後日なら何も用事ないからさ……」
「む~っ! いっくんさいきんぜんぜんおうちきてくれなかったのに! うめあわせはどうなってるのよ!」
「う、埋め合わせって……いやまぁそうだよな、ごめんな。代わりと言っちゃなんだけど、明後日はふたりちゃんの言うことなんでも聞いちゃうデーにするからさ」
「え〜、ほんと〜? じゃあねじゃあね〜、まずはあさごはんでながしそうめんしてね~」
「ごめんちょっと待ったふたりちゃん朝から流しそうめんって何?」
「いっくん、ふたりは今お父さんが先週買ってきた全自動そうめんスライダーマシンにハマってて空前の流しそうめんブームなんだよ。おかげで後藤家は毎日そうめんパラダイスなのさ!」
「あっお父さんおはようございます……俺のいない間にそんなことに……」
「ちなみにおばあちゃんのおうちからお中元でいっぱいそうめん送ってもらっちゃったからまだまだあるわよ~」
「そ、そうですか……えーっと……じゃあまぁ楽しみにしてるよ、全自動そうめんスライダー……」
「うん! あといっくん今日いっしょにねたい!」
「あぁ、それは大丈夫。お姉ちゃんと一緒に帰ってくるよ」
「やったぁ!」
「……じゃ、そろそろ電車の時間アレなんで。後藤によろしくお願いします」
「ええ、わかったわ。いっくんいってらっしゃい」
「いってらっしゃいいっくん!」
「いってらっしゃ~い!」
「わんわ~ん!」
「ん、いってきます」
♪ ♪ ♪
「――お?」
「あれ」
「佐々木さんじゃん」
「そういうあんたは此崎じゃん。おひさ~」
「おう、久しぶり。終業式以来だから一か月ぶりくらいか?」
「だね。元気してた?」
「ぼちぼち。佐々木さんは?」
「ウチもぼちぼち。夏暑すぎてだるいわ」
「それはそう。……で、なんでこんなとこに?」
「や、普通に友だちと遊ぶ約束してるだけだけど。……此崎こそ、なんでお茶の水なんているわけ? てか一人?」
「あぁ、まぁ一人だな」
「……じゃあ、持ってる
「あー、まぁ……ちょっと、一念発起みたいな?」
「……へー? なんか今更感あるけど、もしかしてマネ辞めようとしてた話と関係あったり?」
「ちょいとお待ちくだされ佐々木殿、なしてご存じですたい?」
「そりゃウチの情報源なんて一つしかないでしょ」
「……喜多ァ!」
「正解」
「普通に秘密にしといてくれよ喜多さん……恥ずかしいから……」
「ちなみにあんたが泣かされたことも聞いた」
「喜多ァ!!!」
「此崎ってばかわいいとこあんだね~」
「やめろめろめろ佐々木めろ!!」
「何言ってんの? ウケる~」
「ウケない~……はぁ、まぁいいけどな。もう一生分恥かいたし。……あっでもあんまりクラスの奴らとかには言いふらさないで……」
「……どうしよっかな~?」
「いいのか? 泣くぞ?」
「それ脅しになってないからね? ……ってやば、友だち待たせてるから行かなくちゃ」
「あ、悪い悪い。そんじゃ……学校で、になるかね?」
「たぶんね。じゃ、また」
「ああ、また」
♪ ♪ ♪
「――こんにちは~」
「あら此崎くん、いらっしゃ~い! 待ってたわよ~!」
「オー! イックンお久しぶり~! きくりからいろいろ聞いてたヨ~! 心配したんだからネ!」
「……此崎お前、
「あー、銀ちゃんさんイライザさん志麻さんこんにちは。お久しぶりです……
「あぁ、あいつらなら今裏に――」
「――あっ、此崎! あんた午前中には来るって言ってたから待ってたのに遅いのよ! ……って、あんた
「うぁ~いっくんいらっしゃぁ~……」
「廣井さん、もうちょっと自力で立つ努力してほしいっす……あ、いっくんさんこんちはっす」
「いっくんさんこんにちは~」
「いっくんさん……今日は守護霊さんはいないようですが~……
「あ、ヨヨヨちゃんきくりちゃんこんにちは。長谷川さんたちも。
「……此崎くんってこういうところがずるいのよね~」
「ウンウン、イックンはホントに罪な男デスヨ……」
「これで廣井に懐くような奴じゃなきゃなぁ……いや、それもまた罪の一つか……」
「自分ら何もしてないっすけどね~。まぁ結構心配はしてましたけど」
「そうだね~。でもヨヨコ先輩なんて毎日ソワソワしててもう全然練習に集中できてなかったんだからね、いっくんさん!」
「いつもより悪霊がたくさん集まってました~」
「ちょっとあんたたち余計なこと言わな……えっ幽々今なんかすごいこと言わなかった? 幽々?」
「……うぉぇ~……」
「……あの、ところでこれきくりちゃんはなんでこんなグロッキーに……?」
「青春の光に精神を焼き尽くされたからやけ酒しますとか言ってたわね」
「あ、あぁ……それは……えーっと、きくりちゃん、今からでも、俺でよければ一緒に青春します? 何をどうしたら青春なのかわかんないですけど」
「……え……いっくん……私と青春してくれるの……?」
「えぇ、いくらでも青春しますよ、きくりちゃんとなら……!」
「いっくん……!」
「きくりちゃん……!」
「何やってんだコイツら」
「さっきまでの健気なイックンはどこ行っちゃったんでデスカネー」
「あが……が……ね、姐さん、が、あが……!」
「ヨヨコ先輩、いっくんさんと廣井さんのあのくらいのじゃれ合いはもう慣れません? だいたいいつもあんな感じじゃないっすか」
「それは慣れちゃったらヤバいと思うよはーちゃん」
「あぁ~、ヨヨコ先輩が天に召されて行ってます~……!」
♪ ♪ ♪
「――あ、此崎くんじゃん、久しぶり~」
「久しぶり此崎くん、元気だった~?」
「お、1号さんと2号さんじゃないですか、お久しぶりです。まぁ、一応元気です」
「一応って何? 夏休みなんだからちゃんと休みなよー、フェスの予選ずっと頑張り通しだったんだから」
「いやぁ、もう十分休みましたよ。またこれからいろいろ頑張らないとなんで」
「へ〜? ……もしかして、何かいいことあった?」
「え、なんでです?」
「なんかそう見えたから。ね、そう思わない?」
「そうね、確かに……というか、
「あー、これはまぁ……とりあえず、理由の一つではありますかね」
「……え!? そうなの!? え、じゃあ此崎
「いやなんで
「え〜? なになに? それ、ファンとして喜ばしいお知らせが近々聞けそうな感じってこと?」
「ええ、そうですね、そんな感じです」
「…………」
「……あれ、2号さん? どうしました?」
「……どうしよう……結束バンド……メジャー……あぁ、嬉しいはずなのにまた一段と遠くに……でも未確認ライオットフェスに進めなかったとは言えすごかったしどこかのレーベルに声をかけられてて……うぅ……ああぁ……!」
「……あー、えっと、すいません俺、この後ちょっと人と会う約束がありまして……」
「あっうん、私たちもちょっと予定があるから。じゃ、また次のライブ行くから、お知らせ待ってるよ! マネージャーさん!」
「はい、楽しみにしててください。それでは」
♪ ♪ ♪
「――失礼します、こんにちは」
「こんにちは此崎さん。ようこそお越しくださいました」
「いえいえ、こちらこそお時間取っていただいてありがとうございます」
「あ、ぽやみさんもついでにこんにちは」
「ついでって何よついでって! こんにちは!」
「挨拶できて偉いぽやねぇ!」
「こいつッ!!! ……って、あんた
「それはもうほとんどの人に説明済ませたので……」
「めんどくさがるな! あたしは今ここで初めて見て聞いたのよ!!」
「やみさん、話が進まないので落ち着いてください。此崎さんもやみさんをからかうのは程々にお願いします」
「はい程々にしますすいません」
「程々じゃなくってやめさせてください司馬さん!!!」
「……さて、ではさっそく例のお話についてですが」
「はい」
「無視すんな!!!」
「親御さんの承諾はいただけましたか?」
「はい、大丈夫です。何か書類があればサインもする、と」
「わかりました。では、同意書の雛形はこちらで作っておきますので、追々で構いませんからご提出をお願いします」
「……あの、本当に面接とかしなくて大丈夫なんですか? ほぼ二つ返事で採用……ってことですよね?」
「ええ、大丈夫です。やみさんからは推薦以前にいろいろとお話は伺っていますし、私自身も直接お話をして此崎さんが信頼のおける方だと感じました。上の者とは追々面談していただくことになるとは思いますが、採用は既定路線です」
「あ、ありがとうございます……」
「むしろ、こちらとしては此崎さんのことが心配です。結束バンドのマネージャー業務は私と共同でおこなう形になりますが、他の業務もどんどん覚えて、こなしていただくことになります。ライブハウスのバイトも続けるということですし、学業もお忙しいでしょうから、くれぐれも無理はなさらないようにしてください」
「はい、お気遣いありがとうございます。まぁ今までもスケジュール調整はしてきたんで、そこらへんは信用してもらえれば。……で、ぽやみさんも、改めてありがとうございます。俺のこと推薦してくれて」
「……あんたの頑張りは見てきたって言ったでしょ。ま、後輩ができればあたしの仕事も減るだろうし? せいぜいこき使ってあげるから、覚悟しときなさいよね」
「やみさん、此崎さんは確かに同じアルバイトですが将来的には正社員登用も見据えた採用になるので、正直なところ扱いに差があることは申し上げておきます」
「本当に正直すぎるでしょ!!! 薄々わかってても面と向かって言われると複雑なんですけど!!!!」
「ぽやみさん……俺はそれでもぽやみさんのこと、ちゃんと先輩として接するぽや……将来を諦めないでほしいぽや……」
「もう怪しいっていうか完全に舐め腐ってるじゃない!!! っていうかあたしはライターが本業なんだからいいのよ!!!」
「ぽやぁ!」
「推薦取消!!! 推薦取消よコイツ!!!」
「今更やみさんが推薦を取り消しても此崎さんは採用しますが……」
「ぽややぁ!」
「うがああああああああ!!! 失敗したあああああああ!!!」
♪ ♪ ♪
「――お疲れ様でーす」
そして俺は、今日も今日とてスターリーへと訪れた。
朝からあちこち歩き回って、いろんな人と顔を合わせて、なんだか異様に疲れた……まぁ、
「おう此崎、お疲れ……って」
「あら此崎くん、お疲れ様です……えーっと、
フロアにいたのは店長さんとPAさん。
二人は挨拶もそこそこに、さっそく俺の持ち物へと視線を向けていた。うん、まぁ今日一日あった人全員そうだったし、ちょっと自慢したい気持ちがあって持ち歩いてるから全然いいんだけど……。
「まぁまぁ、せっかくなので全員揃ってからお披露目したいな、と……みんなはもう来てます?」
「あ、あぁ、あいつらならスタジオに――」
「――あ、衣久くん! お疲れー!」
「此崎くんお疲れ様! 遅かったわね!」
「衣久、お疲れ」
「あっあっ、い、いっくんお疲れ様……」
「あ、お疲れっすー」
店長さんが呼ぶ……どころか言い切る前に、裏手から結束バンドの四人が現れた。俺がいない間、スタジオ練習に励んでいたのだろう。後藤もどうやらちゃんと一人で来たらしい。
「……え、あれ? 衣久くん
「え、此崎くん、えっ!?」
「ほう、ほうほう! 衣久、まずは私に見せるべき。ほら早く」
「えっあっえっ、あっえっ……えっ!?」
「さて、それじゃお見せいたしましょう――」
俺は、満を持して、背負っていた
そして中から、My New Gear……を取り出した。
「――カッ!?」
と、真っ先に鳴き声を上げたのは後藤――ではなく、喜多さんであった。
「えー、うわ、衣久くんそれ、えぇー……?」
「衣久、まさかここで郁代を弄りに来るとは……」
「あっえっあっ、えっえっあっ?」
「……なんだ? 喜多が何か関係あんのか?」
「ちょっと珍しいですけど、喜多さんと何の関係が……?」
事情を知る結束バンド三人と、知らない大人二人で反応が違う……ように見えたけど大体同じか。どちらも困惑している。
まぁ、そういうリアクションになっておもしろいかもな、というのはちょっと脳裏をよぎったが、さすがにこんな高い買い物でおもしろに全振りはしていない。
俺が、朝っぱらからお茶の水に出向いて、店員さんに相談しつつフィーリングで購入したそれは――。
「これはですね、かつて喜多さんがギターと間違えて買った6弦ベース……の、5弦のやつです。いやー、改めて店に並んでるの見てたらかっこいいなーと思いまして」
「此崎くん!!! 私何か此崎くんの気に障るようなことしたかしら!? どういう当てつけなの!?」
「ま、まぁまぁ喜多ちゃん落ち着いて、さすがの此崎くんも……まぁちょっとそれもあるかもしれないけどメインの理由ではないでしょ、メインでは」
「あー、そういやなんか言ってたな。今使ってるギターとリョウが交換してやったんだったか?」
「うん、そう。まぁもう売って別のギター買ったけど」
「あ、あはは……でも、確かにかっこいいベースですね。というか、此崎くんベース始める……ってことでいいんですよね?」
「あ、そうです。此崎、ベース始めます」
そうでした、此崎、ベース始めます。
どういう風の吹き回しだと思われるかもしれないが、まぁ、ざっくり言えば心機一転ってやつだ。
これまで俺は、頑として楽器をやろうとしなかった。
それは結束バンドにかかわり始める以前、後藤にギターを触らせてもらった頃からのことだ。
俺が、後藤にギターを教わったものの三日も続かなかったというのは事あるごとに周りの人に言ってきたことで、それそのものは紛うことなき事実である。
しかし、その理由については、正直に白状するとずっと嘘を言ってきた。
俺は間違いなく飽き性だが、さすがに三日でやる気をなくすほど根性のない男ではないし、楽器への興味関心はたぶん人並み以上にある。
そうでなくちゃ、いくらなんだってこんなにずっとバンドのマネージャーをやっていられないだろうさ。
俺がギターを続けなかったのは……なんか、後藤に教わるのが嫌だったからだ。
勉強も運動もできない不器用の塊みたいだった後藤が、こんなに難しいことを俺よりも上手くできる。それがどうにもおもしろくなかったのだ。
……いや、マジで最低なのはわかってるけど、そう思ってしまったのは曲げようのない事実。
でも、そんな気持ちを抱いてしまった俺は、逆にそれをきっかけとして、本当の意味で後藤ひとりという人間を尊重し、尊敬するようになった。
認めざるを得ない努力がそこにあって、ギターは後藤を後藤たらしめるものなのだと思った。
今の後藤の実力を鑑みればおこがましいにもほどがあるが、俺がギターをやり続けてそのアイデンティティを奪ってはいけない、なんて考えたりも……いやそれ本当におこがましいな。登録者10万人のオーチューバーやぞ。今夏レーベルから声かかっとんのやぞ。
……まぁとにかく、そんな感情と思考が根底にあって、飽き性だからと自分に言い聞かせて、俺は頑なに楽器を始めようとしなかったわけだが――。
「――俺も変わらないと。意識的に変えていかないと。それで、安直かもしれませんけど、まずはこうやって形から入ろうかなと。今なら、もちろん後藤からギターを教わるのでもよかったんですが、まぁ正直リョウ先輩とかに触らせてもらってるベースの方が楽しかったのでベースにしました」
「あっあっ、えっと……わっ私今からベースヒーローになります……!」
「いやいやいやいやぼっちちゃんそれは違うでしょ!? 衣久くんに教えたいだけでベーシスト転向しようとすな!!!」
「ふっ、残念だったねぼっち、衣久にベースを教えるのはこの私……!」
「……くっ、わ、私もリョウ先輩にベース教えてもらいたい……!」
始まったようだな、人類ベーシスト化計画……まずはこの場の過半数がベーシストになるようだ。
これは人類にとっては小さな一歩だがベーシストにとっては大きな一歩である。たぶん。
「……ま、ともあれ、そんな感じで」
俺は、ベースを軽く持ち直して、ニヤリと笑って胸を張った。
「俺、またこれから頑張ります。ベースも、バイトも、マネージャー業も。みんなのために、俺のために!」
――自分のためにかいっ! と、虹夏先輩あたりからすかさずツッコミが入るかと思ったが……ドヤ顔をやめて見てみれば、なんかみんな微笑ましそうな顔してる。
……はずかしっ!
「……えーっと、あっそうそう、スタジオで音出ししてみてもいいですか? まだ店でしか弾いてなくて」
「おー! いいじゃんいいじゃん! っていうかスタジオなんて言わずにステージで弾いたら?」
「え、いやそこまでは別に……」
「いいですね! 此崎くん、オンステージよ! どうせならみんなでセッションもしちゃいましょう! 此崎くんに合わせてあげるから大丈夫よ!」
「いや待った郁代、まずベーシスト道における作法を教授する必要がある。ベーシストは一日にして成らず。何事もまずは基礎基本から…… 」
「ふふっ、じゃあセッティングお手伝いしますね〜。店長、いいですよね?」
「……ま、今日は開店休業状態だし、好きにしろよ」
あ、店長さんも止めてくれないんだぁ……試し弾きがしたいくらいのつもりだったのが、あれよあれよといううちにステージの上に立つことになってしまった。
「――よーし、じゃあとりあえず衣久くん、お好きにどうぞ!」
「すごい急に振ってきますね虹夏先輩……なんか無駄に緊張してきたんですけどやっぱりスタジオじゃダメですか?」
「ダメよ此崎くん! 初めての音出しがステージの上なんて贅沢、なかなかないわよ? このチャンスを活かさなきゃ!」
「贅沢なのはわかってるけど活かすとか活かさないとかじゃないと思うんだよ喜多さんや」
「まぁまぁ衣久、今まで私のベース弾いた時のこと思い出せば平気。開放弦でもいいから、まずは思いっきり弾いてみればいい。アンプはフルテンにしといたから」
「いやフルテンてリョウ先輩。道理でノイズがすごいわけだよ。知らずに弾いてたら心臓止まってるところでしたよ」
まったく恐ろしい……しかしとにかく、気が付けば機材の準備もばっちりでもはや逃げ道はないらしい。
マジでリョウ先輩にちょっと教わって弦一本押さえながら指弾き? がちょっとできるくらいなんだけどな……あ、あとサムピング? は教えてもらったことあるな。スラップが好きなもんで……。
「……じゃあ、まぁ、弾いてみます」
俺はステージの真ん中で、右手でサムズアップをし、腕を振りかぶる。
ちゃっかりフロアから見上げていた店長さんが「スラップでもする気か?」と呟き、PAさんがその隣で「お~、此崎くんすごいですね~」と言ってる。気が早い。
そして、ステージの脇に集まる結束バンドの四人――虹夏先輩、喜多さん、リョウ先輩からは期待の眼差しも一身に受けつつ、最後に目が合った後藤は、なんともぎこちない、下手くそすぎる愛想笑いをしていた。
「どういう顔だよ、ったく」
俺は思わず苦笑いしてぼやきながら、7フレットをおさえた4弦に狙いを澄まし、親指を振り下ろしたのだった。
♪ ♪ ♪
最寄り駅に到着し、改札を出て、家までの道のりを後藤と歩く。
八月も半ば過ぎて順調に暑い毎日だが、今夜はどことなく風が涼しかった。
「……お前これ、よく毎日ギター背負って登下校してんな。重くてめっちゃ肩だるいんだが」
が、俺個人としては、残念ながらあんまり爽やかな気分ではなかった。
昼間歩き回っていても思ったが、ベースがマジで重い。
今日は19時くらいにはスターリーを出たので、帰りの電車は少し混雑していて座ることができなかったのだ。
あんまり弱音を吐きたくないのだが、マジでベースが重い。本当に重くてめちゃくちゃ疲れて、それでついつい後藤相手に愚痴をこぼしてしまった。
「それは慣れ……かな。あと、ベースの方が重いと思うし……しょうがないよ」
「そうか……」
しかし、ばっさり切り捨てられてしまった。仰るとおりです。
まぁバンド練習するわけでもないし、別に毎日持って行く必要全然ないんだが……あのでかいアンプで出す大音量の重低音、自分で、自分のベースで出してるとだいぶ癖になったねぇ……あの環境でもっと練習したいねぇ……。
「……あ、そういや借りてたストラップ。あれ家帰ったら返すわ。今日はふたりちゃんと約束したからお前んち行くし」
「あっうん、わかった……」
ストラップ、ベースと一緒に買ったのに、自宅用のアンプとかとまとめて配達してもらう方に入れちゃったもんで後藤の予備のやつを借りていたんだよな。前のギターで使ってたのと同じやつで、新品だったらしい。
「……い、いっくん、よかったらそれ、あげよっか?」
「え、いいのか?」
「うん、まぁ、予備とかで持っててくれれば……」
「いや、付けたり外したりするのもめんどくさいし、とりあえずそのまま使うよ。サンキュ」
もらえるもんはもらっとこう。黒いベースに黒基調のストラップで見た目も合ってたし。
「……ね、ねぇ、いっくん?」
「何?」
家まであともう少し、というところで、ふと後藤が話しかけてきた。
「あの……い、今更なんだけど、“いっくん”って呼んでも……いいの?」
「あぁ……まぁ、別にいいよ。お前がそう呼びたいなら好きにすればいいんじゃねぇか」
そう言えば、あれから後藤が俺のことを”いっくん”と呼ぶようになっていた。
特にこちらから指摘する気にもならず、後藤も素知らぬ顔でそう呼んでくるから、そういう感じで行くのかなとスルーしていた。
改めて意識すると、むず痒い気はする。
しかし、単に呼び方が昔に戻ったわけじゃなく、どちらかと言えば一歩先に進んだように思えて、それなら別にいいと思ったのだ。むず痒いのはこっちで我慢してやろうと思う。
「……へへ、えへへ……そっか……」
後藤が、軽く俯きながらニヤニヤと笑っている。
俺はその横顔を見て、なんとなく、口を開く。
「なぁ、ひとり」
「えっ何……えっ?」
呼んでみる。
しっくりこない。
「後藤」
「あっうん……」
呼んでみる。
しっくりくる。
……うん、やっぱこれでいいわ。
とりあえず、後藤が後藤であるうちは。
「……おーい、突っ立ってんなよ」
「……あっえっ、あっうん、ま、待ってよいっくん……!」
「別に置いてかねぇよ。早く帰ろうぜ、後藤」
俺には幼稚園以前からの幼馴染がいる。女の子だ。羨ましかろう。
幼馴染の名前は後藤ひとり。
ざっくり一言で言い表すならば、やべー女である。
後藤ひとりは筋金入りのコミュ障だ。……いや、コミュ障なんてちょっと可愛らしい略し方をするのが不適切なくらいに他者とのコミュニケーションに難がある。最近もまぁ、残念ながらその辺はあんまり変わってない。
後藤ひとりは他人の目を見て話せない。というか、目を見なくてもまともに話せない。したがってもちろん友達はいなかった。まぁ、最近はそんなことないが。
後藤ひとりは立っていても座ってても姿勢が悪いし、基本的に挙動不審で稀に良く奇行に走る。特に奇行に関しては、中学の後半くらいからその頻度が右肩上がりになっていて末恐ろしい。これは最近さらにすごい。
後藤ひとりのやべーところはまだまだある。挙げれば本当にキリがない。後藤ひとりのやべーところ山手線ゲームで一晩明かせると思う。なんならあいつのことを詳しく知ってる人間もだいぶ増えたので交代制で三日三晩はできるな。
でも。
でも、後藤ひとりにはすごいところがあって、俺だけでなく、彼女の周りのたくさんの人もそれを知っている。
後藤ひとりは努力家で、めちゃくちゃギターが上手くて、やるときはやるやつなのだ。
そして俺は、そんな後藤ひとりの幼馴染として。
これからも、この先も、彼女をずっと見守っていくのだ。
うぉっち・ざ・ぼっち! 了
これにて完結!
ご愛読ありがとうございました!
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あとなんか此崎がトゥイートしてたので晒します、
【挿絵表示】