初回は、4人が転移門を開通させようと、道無き道を進みます。
では、どうぞ!
渓谷を流れる水
上層に続く螺旋階段を登っていくと、青みがかった石造りの扉が見えた。すると、1番後ろを歩いていたキリトが最後の踊り場まで、3段を残した所で立ち止まった。
「あれ?」
「どうした?」
前を歩くライトがその声を捕まえ、振り返って声を掛けた。だが、キリトは4層の扉を凝視したまま、何の反応も示さない。不審に思った彼は、キリトが見詰める扉に目をやった。そこには、ゴンドラのような小舟を漕ぐ旅人のレリーフがあった。
「2人とも、何時までそのレリーフを見てるのよ?」
「この絵がどうかしたの?」
そんな少年達に、少女達が話しかける。これまでにも次層の扉に彫られたレリーフを見てきたが、キリトがそれを凝視する事はなかった。3人からの問いかけに、キリトは歯切れが悪いような顔で答えた。
「図案が違うんだ。βの時は、こんなレリーフじゃなくて、乾いた谷底を彷徨う旅人みたいなのが描かれてたんだ。けど見ての通り、今はゴンドラに乗った旅人が描かれてる」
「β時代は、どんな地形だったの?」
首を傾げたアスナが訊ねる。
「…フロア全体が砂地になってる渓谷が網目状に走ってて、そこを通るしかなかったんだけど、砂地だから歩きづらくってさ!」
「でも、今扉に描かれてるのは、ゴンドラに乗った旅人……って事はもしかして!」
「多分そうね!」
扉に描かれたレリーフが、何を意味するのかを理解した少女達は、その推測が正しいかを確かめる為、扉を押し開いた。隙間から差し込む光に目を細める4人だったが、直後に微かな水音が聞こえてきた。やがて扉が完全に開くと、彼らの視界に4層の景色が映り込んた。
キリトの話では、4層は乾ききった渓谷が広がるエリアの筈だが、今は底まで見える綺麗な水が流れていた。4人が登ってきた往還階段は、小高い丘の頂点にあった。
裏手には大きな木が1本だけ立ち、モンスターやNPCの姿は見えない。直径30mはある丘から周囲を見渡すと、周囲を囲む崖が目に映った。そして、南東と南西に2箇所だけ谷間があった。恐らく、別の渓谷に繋がっているのだろう。
「うわあぁぁぁ……すっごく綺麗だね!?」
「えぇ、本当に!」
空(次層の地面だが)からの光が渓谷を流れる水に反射して、キラキラと輝いている。アスナとユウキはとても感動した様子で丘を降りる。ライトも後に続こうとするが、キリトはどこか納得がいかない顔をしていた。
「おい、何時までボーッと突っ立ってるつもりだ?」
「へっ…あ、悪りぃ」
我に返ったキリトは、先を歩く少女達の背中を追いかける。すると、アスナとユウキが振り返って声を掛ける。
「2人とも、早く主街区の転移門をアクティベートしに行くわよ!」
「下の層で沢山の人が待ってるだろうしさ!」
「へ〜い…」
「りょーかい」
少年達は気だるそうに答えて、少女達に追いつく。
「ええっと、まずはアルゴにボス撃破を知らせないと…」
3層のボス《ネリウス・ジ・イビルトレント》は20分前に倒されたが、ダンジョン内では《インスタント・メッセージ》を使用できない。なので、ボス攻略レイド以外は、誰も3層が突破された事を知らない。ウインドウを開こうとしたキリトだったが、アスナが口を挟んだ。
「私がもう送っちゃったわよ。君がずっとボーッとしてたから」
「あ、そっすか」
「どうしたんだ? まさかβの時と違って、地形までが変わってるのか?」
「うそ!? じゃあ、案内できないの?」
浮かない様子のキリトに、ライトがそう訊ねる。もしその通りなら、この層はキリトですら未知のエリアという事になる。ライトの言葉に、ユウキが心配そうな表情を見せる。
「違う違う。地形は、βの時と変わってないぞ!」
両手と首を振りながら否定するキリトの言葉に、一先ずは安心だと分かったユウキは、胸を撫で下ろした。そんな彼女の隣から、焦れったい雰囲気のアスナが口を開く。
「じゃあ、早く道案内してよ!」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、どうするべきかなぁ〜…」
腕を組んで、頭を悩ますキリトの仕草に、アスナの雰囲気が焦れったさから不機嫌さに変わった。それを隠す事もなく、彼女はキリトに話しかける。
「だから、さっきから何に悩んでるのよ?」
「いや…βの時は、ここは《涸れ谷》だったんだ。街や村やダンジョンを繋ぐ為の道だったんだけど、今はご覧の通り、水に沈んでる」
「…つまり、道が無くなってるって事か?」
ライトの確認に、キリトは首を縦に振る。目的地に辿り着く為の道が、水に沈んでいるとは予想外だった。どうするべきかと、ライトが頭を悩ませていると、アスナが崖の上を指差して口を開いた。
「崖の上はどうなってるの?」
β時代のルートが封じられたとすれば、新しいルートが作られていると考えたようだ。βの時と地形は変わっていないと、キリトは言った為、アスナが指差す場所が正式版の道順だとも言える。
「分からない。βの時は、誰も登れなかったんだ!」
「システム的に登れない作りになってるのかな?」
しかし、β時代には誰1人登れなかったと話すキリトに、質問を投げかけるユウキ。
「いや、岩が脆すぎて転落死しちゃうんだ」
「無理だな。つまり、残された方法は…」
「あぁ……ここを泳ぐしかない」
それ以外に選択肢が思いつかないキリトが、重苦しい声で言う。仮想世界で泳ぐのと、現実世界で泳ぐ事が一緒だとは思えない。しかも、ここはHPの安全が保障されない《圏外》だ。不測の事態が起こった時、どのように対処すれば良いのかも、まだハッキリしていない。
「3人とも、この世界で泳いだ経験は……ないよな?」
「無いな」
「私もだわ」
「ボクも無いよ」
これまで水がテーマのフロアがなかった所為もあり、キリト以外の全員が泳いだ経験が皆無だ。そんな彼らにキリトが、仮想世界の水泳について説明する。
「簡単に説明するけど、SAOでの泳ぎ方は現実世界のそれとは、体の使い方が違うんだ。泳げるようになるには、結構な練習をする必要がある。それに、例え泳げたとしても、溺れる危険性が無くなった訳じゃない!」
「っ…」
彼の言葉を聞いた瞬間、ライトの肩が僅かに上下に震え、隣に立つユウキがそれに気付く。すると、更なる疑問が、アスナの口から問われた。
「…溺れるとどうなるの?」
「頭まで沈んで暫くすると、HPが減り始める。ずっとそのままだと、死ぬ」
簡潔なキリトの回答に、3人は渓水へと視線を移した。そして、再びアスナが顔を向けた。
「練習って、どのくらい必要?」
「うーん……人にもよるけど、俺は1時間以上掛かったかな、浅い湖で。でも、こんなに深くて流れが速い川じゃ危険すぎるよ」
渓谷を流れる川の勢いは速く、透明なお陰で水深はある程度まで予想できるが、体全体が間違いなく沈んでしまう深さだ。
「なら、こうしましょう? キリト君は泳いで主街区まで行って、転移門をアクティベートする。私達は前の層に戻って、適当な場所で泳ぎの練習をするから、パーティーは一旦ここで解散ね?」
「ちょ、ちょっと待った!」
アスナに待ったの声を掛け、思わず彼女の手を掴んだキリトと、いきなり手を掴まれたアスナの2人が、途端に薄っすらと頬を赤くした。
「「あっ////」」
「「………」」
その光景を近くで見ていたユウキとライトは、少し驚いた表情となった。そして、2人の視線に気付いたキリトが慌てて掴んでいた手を離した。
「ご、ごめん! でも、ちょっと引っかかるんだよなぁ」
「何にだ?」
「さっき言ったけど、この世界で泳ぐのはかなり難易度が高いんだ。しかも、1度失敗すればそれで終わり。まだたった4層までしかクリアされてないのに、ぶっつけ本番で泳いでマッピングするのは無茶苦茶だ!」
「…確かにそうだな。水中にmobが出ないとは限らないし、それで戦闘になったら、間違いなく死ぬぞ?」
今までの層は、当たり前のようにモンスターが湧出していた。それが、この層だけ出ないとは考えられない。泳ぎで街や村を行き来するにしても、水の中から湧き出るモンスターは十中八九、魚をテーマにした物だろう。
水中ではまともに身動きが出来ない上、剣を振る事さえも不可能に思われる。考えられるのは、この場所に何かヒントが隠されている可能性が高い。ライトが辺りに目配せすると、自分達が潜った四阿の背後に1本の木がある事に気付いた。
「(…何故あんな場所に1本だけ木が?)」
少し不自然に思ったライトは、丘の上に立つ木をじっくりと見詰める。すると、木の枝に何かがぶら下がっているのが見えた。
「おい、キリト。あれを見ろ!」
「んん? あれは…あっ!」
キリトは彼が指差す、丘の上に立つ木に視線を移す。アスナとユウキも2人が向ける視線の先を追うと、いきなりキリトが丘の上に立つ木に向かって、ダッシュで登り始めた。彼の後をライトも走って追いかける。
「ちょ、ちょっと…どこ行くのよ!?」
「待ってよ、2人とも!」
急に走り出した男子2人組に驚いたアスナとユウキが、彼らの後を追いかける。追い付くと、2人は四阿の裏に立つ木の枝に目を向けていた。少女達も揃って見上げると、そこにはドーナツ状にくり抜かれた沢山の木の実がなっていた。
「あれって、木の実だよね?」
見た目は変わっているが、豊富な色の実が生っていると分かったユウキが、3人に問いかける。だが、今はそんな事をしている場合ではない。
「ちょっと、今は木の実より転移門をアクティベートする方が先じゃない?」
「まぁ、見てなって。ライト、こいつを揺らすのを手伝ってくれ!」
「…分かった」
アスナを宥めたキリトは、隣に立つライトに呼びかけると、木に近付いて両手で力一杯揺さぶった。しかし、かなり頑丈でピクリとも動かない。
「これじゃ埒が明かない。キリト、肩車しろ。剣で木の実を取る」
「ええぇ!? と、届くか?」
木の高さはキリトとライトの身長を足しても、まだ少しだけ高い。
「やるしかないだろ? お前のSTRなら、1人だけ上に乗るのは耐えられる筈だ!」
「…そうだな……アスナ、ユウキ。ライトが乗ったら、2人で俺を支えてくれないか?」
「分かったわ!」
「オッケー!」
アスナとユウキから了承を得ると、キリトは一旦膝を折り曲げてしゃがみ込んだ。そして、ライトが肩の上に乗ったのを確認して、立ち上がった。そして、アスナとユウキがキリトの体に手を置いて支える。
ライトは背中に吊るす鞘から剣を抜くと、それをドーナツ状の実に空いている穴に差し込み、実を千切った。
「ライト、後もう3つ取ってくれ!」
「了解!」
下からの頼みに応じると、ライトは腕を伸ばしてサクサクとドーナツ状の実を取っていく。そして、4つを取り終えると、キリトの肩から飛び降りた。
「4つの実を取ったぞ!」
「ナイスだ!」
剣に鞘に収めると、両腕で2つずつホールドするライトから、片方の2つを取ったキリトに、アスナとユウキが話しかける。
「で、そのドーナツの実をどうするの? 食べるなら、そっちの黄色が良いんだけど!」
「ボクはライトが持ってる紫色が欲しいな!」
アスナが指差したのは、キリトが両手で持つ2つのうち、右手にあるレモンを思わせる黄色だった。そして、反対の左手には鮮やかなコバルドブルー色が握られている。ユウキが志望したのは、ライトが左手に持つブドウを連想させ、彼女のイメージカラーでもある紫色だ。因みに右手には、少し白っぽい灰色の実がある。
「いや、これは多分ドーナツの形じゃない!」
不審な顔をする3人を目尻に、キリトはドーナツ状の実に顔を近付けた。正確には、側面からはみ出した1cm程度の突起物に。そのまま鼻から大きく息を吸い、口へと送り込む。
キリトがそのまま空気を送り込むと、途端に、ポーン!と盛大な破裂音を響かせ、青い実は巨大化した。最初は直径が7〜8cmだったが、キリトが空気を送り込んだ事で1mとなった。
「…って事はこれ、木の実じゃなくて、浮き輪なんだ!」
「そういう事だ!」
頷いたキリトは、残る右手の黄色い浮き輪をアスナに渡した。ライトも、左手に持つ紫色の浮き輪をユウキに手渡す。3人もキリトに習って突起物を口で咥え、一気に空気を送り込む。先程のポーン!という音が3回連続で鳴り響いた。
「よし、後はこの情報をメモして…」
キリトはウインドウを操作し、白紙のスクロールを実態化させると、そこに『ドーナツ状の実は浮き輪になるから取るように』と書き、タップして白紙を丸め、四阿の床に置いた。
「ここに置いとけば、リンドやキバオウが気付くだろう」
「そうね…」
4人は手にした浮き輪を持って、転移門をアクティベートする為、渓谷を流れる水に近付く。すると、前から3番目を歩くユウキが、1番後ろを歩くライトの様子がおかしい事に気付いた。
「ライト、どうかした?」
「……何でもない」
口ではそう言うが、顔が明らかに大丈夫と言っていない。不審に思いながらも、川の近くに辿り着くと、アスナが半信半疑な表情で口を開いた。
「これがあれば、初心者でも泳げるの?」
「最初は俺が試すけど、そういう事だと思う。SAOでの水泳は、頭さえ出ればHPが減る事は無いかさ! 主街区はこの丘…じゃなくて、島の南にある渓谷を東に進めば見えてくる。ただ、重い装備は外した方が良い」
「…どの辺まで?」
アスナから問われたキリトは、3人の全身を見回して頭の中で整理すると、どれを外すべきかを話し出した。
「……まず、フーデットケープは外した方が良い。勿論、武器や防具も。出来ればベストやレザースカートもだな。チュニックは……まぁ…」
「そこまで外したら、装備なくなっちゃうじゃない!」
叫んだアスナが、キリトに向かって浮き輪を投げつけた。それは愉快な音を立てて、見事に彼の首にピッタリ嵌った。隣では、ユウキが両手で体を隠して頬を赤く染めていた。
異性の前で服を脱ぐのは、女子からすれば間違いなく恥ずかしい。しかし、重い装備は沈んでしまうと分かるので、恥ずかしさは我慢するしかない。落ち着いたアスナは、改めてキリトに話しかける。
「チュニックなら大丈夫?」
「だと思うよ?」
それを聞いたアスナは、四阿の方に視線を移した。誰か他のプレイヤーが来ていないか確認したのだろう。ユウキも同様に一応チェックすると、2人はウインドウを表示して操作する。すると、それぞれの主武器が消えて、装備が消滅していき、最後にはチュニックだけとなった。
誰がどう見ても美少女と思うアスナとユウキが、目の前でそんな姿になったが、キリトは首を振って心を落ち着かせた。そして、自分も装備を解除しようと、ウインドウを操作する。武器と装備を外し、パンツ1枚になった
ーーーその時
「「ブフッ!!」」
奇怪な声が聞こえた。見ると、アスナとユウキが何故か両肩を震わせている。一体何だと思っていると、2人は堪え切れずにいきなり笑い出した。
「「あはははははは!!」」
「なっ…そ、そんな笑わなくても良いだろ!?」
美少女2人に爆笑されたキリトは、声のボリュームを上げてそう言う。
「だ、だって…反則でしょ、それは!? あはははは!!!」
「アスナ、言わないでよ!あはははは!! ボクもうお腹痛いよ!!」
「…な、何なんだよ一体?」
尚も笑い続けるアスナとユウキに、キリトは自分のどこがおかしいのか把握できていない。すると、後方から忍び笑いが聞こえてきた。振り向くと、ライトが顔を伏せて、腕で口元を塞ぎながら笑いを堪えていた。
「ら、ライト…お前まで! 一体何なんだよ!?」
「…キリト、自分のパンツを見てみろ…くく…」
「へっ? 別に何も…って、何じゃこりゃあぁぁぁ!!?」
ライトにそう言われたキリトは、自分が履いているパンツを改めて見て、絶叫を上げた。彼が履いているパンツの後ろに、牛の顔が大きく描かれていたからだ。持ち主のキリトも、こんなデザインがあったとは知らなかったらしい。
「ごめんなさい、もう笑わないわ」
「ごめんね、キリト」
笑いが収まった少女達は、揃ってキリトに謝った。流石に笑い過ぎたと反省しているが、牛のデザインが描かれたパンツで笑い者にされたキリトは溜め息を吐いて、ふと何気なく気付いた。ライトが未だに装備を除装せずに立っている事を。
「どうした、ライト? お前も装備を外した方が良いぞ!」
「そのままだと、浮き輪を付けてても沈んじゃうわよ?」
「っ……」
しかし、キリトとアスナが呼びかけても、ライトは小さく反応しただけで、何の返事も返さなかった。すると、紫色の浮き輪を持つユウキがまさかの可能性を口にした。
「…もしかして、ライト……泳げないの?」
「っ!」
図星とは正にこの事を言うのだろう。ユウキの言葉にライトは明らかな反応を示した。そして、思わず顔を伏せてしまった。少しの沈黙の後、またも笑い声が生まれた。
「あっはははは!! ライト、すっごく恥ずかしそうな顔してる! へぇ〜、何だか意外だなぁぁ」
「う、うるさいな! 誰だって、得意不得意はあるだろ!?」
「はははは!! 見た目の割に、結構大人びてると思ってたけど、案外可愛いところもあるんだな?」
「うふふ!! そうね、子供っぽくて良いと思うわ!」
抜群の戦闘スキルに冷静沈着な観察眼と洞察力、瞬時に状況を見極める判断力、感情の起伏が少ない大人びた性格をしている割に、顔は女の子のように幼く、あどけなさが残る。はっきり言って、女子と間違われてもおかしくない。
完全に年不相応に思えるが、顔を赤くして恥ずかしがる顔は年相応の反応だと思った。すると、そんな彼にユウキが声を掛けた。
「大丈夫だよ、ライト…何かあったら、ボク達が助けるからさ!」
「っ!?」
彼女のその笑顔に、ライトは眩しさを感じた。その笑顔を見ているだけで心が安らぐような、そんな不思議な感覚を覚えたが、すぐに意識を切り替える。
「あぁ!」
彼はウインドウを開いて操作し、身に纏う装備を外していく。そして、キリト同じ格好になって渓水に近付く。近くで見ると、現実世界よりも透明度が高いと感じたライトは、視線を右左に向けて、何も居ない事を確認する。慣れない場所での戦闘は、命を落とす可能性がある為、細心の注意が必要だ。
「まず、俺が試してみるからちょっと待ってくれ!」
キリトはそう言って、ゆっくりと川に入った。すると、ドーナツ状の実を改め《浮き輪の実》が性能を発揮し、彼の体を水面に浮かせた。そして、暫く経っても沈む気配がなく、とても安定していた。
「大丈夫そうだ」
キリトが手招きすると、最初にアスナが慎重に入り、次にユウキが入って、最後に誰よりも慎重な様子でライトが入水を完了させた。
「はぁぁぁ…」
「頑張ったね、ライト?」
「おい、子供扱いする…っ///…」
何も起こらなかった事に、ライトが安堵の息を吐くと、先に水に入ったユウキが笑顔で褒めてきた。完全に揶揄っていると分かった為、彼女に文句を言おうとして気付いた。
水に浸かっている所為でチュニックが透けて、彼女の下着が見えてしまっているのだ。ライトはすぐに目線を外して、内心で呟いた。
「(ここまで忠実に再現する必要あるか!?)」
幸い、ユウキはライトが下着を見てしまった事に気付いていない様子だ。気付かれれば、殴られるだけでは済まないだろう。
「…よし、じゃあ行きますか!」
そうして、一行はキリトを先頭に進み始めた。円形の断崖に囲まれたここは、2つの出入り口がある。一方は大量の水が流れ込む為、必然的に流れに身を任せ、もう1つの出入り口を目指す。バタ足で移動を開始するキリトだが、すぐ後方からアスナの声が届いた。
「あっ…なんか変な感じ!」
「水の感触や抵抗感がリアルと違うだろ? だから、浮き輪なしで泳ぐの難しいんだ…ライト、大丈夫か?」
泳げない事が判明したライトが少し心配になった為、後ろに向けて声を掛ける。
「…あ、あぁ。なんとかな」
「大丈夫だよ、ライト。浮き輪があれば、沈まないんだから!」
「そうよ。頑張って、ライト君!」
「兎に角、頭さえ出てたらHPが減る事はない。落ち着いてれば、大丈夫だ!」
後ろでは浮き輪をしっかり掴み、バタ足をしながら泳ぐライトと、それを支えるユウキが見えた。今のところ、特に問題ない為、このまま行かせてくれと、ライトは密かに願った。すると、先頭を泳ぐキリトが呼びかけた。
「そろそろ出口だ。ここから流れが急になるから、離れないように注意しろよ!」
その言葉を聞いた途端、ライトの顔が青ざめた。泳ぐのが苦手な彼からしてみれば、最悪と思ってもおかしくない。すると、前方で泳ぐアスナが、キリトの胴体と浮き輪の間に手を突っ込んだ。
「こうしとけば安心よ。ユウキ、ライト君。2人も来て、4人で固まりましょ?」
「オッケー。行こう、ライト」
離れる可能性が無いとは言い切れないと思ったアスナが、ユウキとライトに呼びかける。返事をしたユウキは、ライトと共に泳いで近付く。
「ええっと、どうするの?」
「1列になるのはちょっと不安だから、正方形の形にしましょう! ユウキは私のを掴む。ライト君はキリト君のを。それで最後に、キリト君が私のを、ライト君がユウキのを掴む!」
3人は言われた通りにしていく。これなら、ちょっとやそっとの事ではまず外れない。
4人はそのまま、幅3mの谷間を抜けていく。曲がりくねった道を進むと、前方に広い水面が見えた。川幅は10mを超えていて、とても開放感がある為、流れもそこまで速いとは感じない。
「地形はβと変わってないか。」
「なら、安心だ。早く行こう」
珍しくライトが弱気な雰囲気で言う。慣れない場所での戦闘は避け、早く陸に上がりたいのだ。そんな彼の様子を見たユウキが、子供っぽい反応をするなと、微笑みながら思った。すると、アスナが唐突にキリトに話しかけた。
「ねぇ、βでの《涸れ谷》が川になっとすると、地形だけじゃなくて、他にも色んなのが変わってるんじゃないの?」
「…と言うと?」
「素材系のアイテムだとか、…モンスターの種類とか」
納得がいった。つまり、何も装備していない無防備な状態でモンスターに襲われでもしたらと考えているのだ。それは、全員にとって最悪の可能性だ。
「いや、大丈夫だよ。β時代にモンスターはそんなに出なかったし、そもそもフロアボス撃破から30分までの間は、モンスターのPOP率がかなり下がるんだ!」
「待てよ、30分ってもうとっくに過ぎてるだろ?」
ちゃぽっ!
「「「「っ!?」」」」
突然、何かが落ちる小さな水音が響いた。
「…今、何か音がしなかったか?」
「い、石か何かが落ちたんじゃないかな?」
4人はぎこちない動作で首を回して、音が聞こえた後方に視線を向けた。10m離れた場所で、水の中に何かが出現した。それは30cmはある三角形のヒレで、カーソルは見事に赤色を示していた。
「みんな、全力で泳げ!」
キリトの合図と同時に、4人は最大出力で泳ぎ始めた。谷を右に曲がり、次に左に曲がると、右側に岩肌の垂直な切れ込みが見えた。
「みんな、あそこだ!」
「おう!」
「えぇ!」
「うん!」
後ろから迫り来るモンスターであろう魚から逃れる為、懸命に足を動かして泳ぎ続ける一行。しかし、水中型のモンスターの速さに距離をどんどん詰められていた。それでも、今はただ必死に足を動かし続けるしかない。
「み、右ターン用意!」
「了解!」
「わ、分かった!」
「オッケー!」
瞬間、4人は体を右方向へ向ける。急な方向転換の影響で、スピードがかなり減速してしまったが、止まる訳にはいかない。幅5m程度の支流に到達すると、その先に白い砂浜が見えた。陸にさえ上がれば、身の危険は去ったも同然。力を振り絞り、最大加速で突入する。
そして、砂浜に衝突する勢いで到着しても尚、4人は10m以上も走り続けて振り向いた。すると、なんとライト達を追跡している背びれが水中からジャンプしてきたのだ。ライトはすぐにウインドウを操作し、《クイックチェンジ》で剣を装備しようとしたが、それは杞憂に終わった。
「……はえ?」
「…へえ?」
アスナとユウキが、間が抜けたような声を出した。何かと思って見れば、彼女達がそんな反応をしたのも理解できた。何故なら、その体は30cmあるヒレと比べて、どう見てもミスマッチな縦幅50cm、横幅10cmしかないオタマジャクシのような小動物だったからだ。
「……なんじゃそりゃ」
ペタリと砂浜に座り込むキリトが、心底疲れた様子で呟いた。ライトも人騒がせな奴だと内心で思い、一気に押し寄せてきた疲労を吐息に乗せて、体から吐き出した。周りを見れば、同じく疲れた様子のユウキとアスナが砂浜に横になっていた。濡れた髪が顔に張り付き、チュニックもびしょ濡れで、砂が付いている。
「はぁぁぁ……ボク、もう絶対《圏外》で泳がないって決めたよ!」
「同感だ…」
力なく呟かれたユウキの言葉に、ライトがすぐに同意した。その隣で、今度はアスナの囁き声が聞こえた。
「私、次にあのモンスター見つけたら、やっつけて、肉にして、料理して、キリト君に食べさせるって決めたわ!」
「…自分で食べて」
「嫌よ、不味そうだし。毒ありそうだし!」
「………」
そう返されたキリトは、何も言えなくなった。水の中でもモンスターが湧出すると分かった以上、浮き輪を使って移動は間違いなく危険だ。何かしらの打開策があると祈るしかない。もう少しゆっくりしていたいが、早く転移門をアクティベートする必要がある。
「兎に角、転移門をアクティベートしに行こう!」
「そうだな。ここじゃ、風邪は引かないだろうけど」
何気なしに呟いたキリトだったが、それが間違いだった。アスナとユウキが、2人から差し出された手を握ろうとして、自分達がどんな格好をしているかに気付いた。
忽ち顔を赤くする2人に、少年達は嫌な予感を覚え、すぐに距離を取ろうとするが、神速の速さに手を掴まれ、そのまま引き寄せられると腹部に膝蹴りを喰らった。
ドスッ!!
「「ぐはぁぁっ!!」」
今回はここまでです。
泳げない事が判明したオリ主ですが、完全なカナズチではなく、浮き輪があれば何とか泳げる設定です。