パリィィン!!
突然、その音が辺りに響き渡った。ガラスのような物が割れる音だろう。どこかのプレイヤーが、茅場が用意した手鏡を地面に落としてしまった。
「…いや……いやあぁぁ!!」
手鏡が砕ける破砕音が鳴り響いた直後、今度は少女の悲鳴が聞こえてきた。
「……ふざけんなよぉぉ!!!」
「出せ!!こっから出せよ!!!」
「こんなの困る!この後約束があるのに!!」
その声で、我に返った周りのプレイヤー達が、一気に騒ぎ始めた。無理もない。100層のボスが倒されるまで、この世界にずっと囚われ続けると分かってしまったのだから。そして、この世界で死ねば、現実でも本当に死んでしまうという事も。自分の命を懸けたデスゲームへと変貌したのだ。
「ライト、クライン、ちょっと来い」
ライトが冷静に周りを見渡していると、キリトが声を掛けて、彼とクラインの手を引っ張った。3人はその後、人気のない裏路地へと向かって行った。
周囲に人気が無い事を確認したキリトは、2人に向き直り、ある事を伝える。
「2人とも、よく聞いてくれ。俺はすぐに次の村へ行く、2人も一緒に来い!」
「…へぇ?」
ライトは彼の意図を察したようだが、クラインは状況をよく分かっていなかった為、キリトは説明を続ける。
「あいつの言葉が本当なら、この世界で生き残っていく為には、ひたすら自分を強化し続けなくちゃいけない。VRMMORPGっていうのは、プレイヤー間のリソースの奪い合いなんだ。俺達が稼げるコルや経験値は限られている! 多分、はじまりの街周辺は、すぐに他のプレイヤー達に狩り尽くされるだろう!」
従来のMMORPGをクリアするには、自分のアバターを強化するしかない。しかし、運営側は長く続けて貰いたいが為に、ゲームを簡単にクリア出来ないように設定している。それはSAOも同じだと考えられる。限られた資源で、自分を強くしていかなければならない。
「成る程。確かにここに残れば、効率は全く良くないと言っていいな。こんな状況なら、この場に留まるプレイヤーが殆どだろう」
モンスターに攻撃を受け、HPを0にされれば死ぬ。そんな世界で先に進める強者は殆ど居ない。
「そうだ。効率良く稼ぐには、今のうちに次の村に拠点を移した方が良い。俺は道も危険なポイントも全部知ってるから、レベル1でも安全に辿り着ける」
キリトは元βテスターだ。自分が辿ってきた道は正確に覚えている。それを元にして動けば、危険は限りなく低くなる。だが、クラインはその言葉に頷けなかった。
「…でも、…でもよ…俺は、他のゲームでダチだった奴らと、徹夜で並んでこのソフトを買ったんだ……あいつら、広場に居る筈なんだよ。置いては、いけねぇ!」
「っ!?」
クラインの言葉を聞いて、ライトは目を見開いた。そして、本当に仲間思いな奴だと改めて感じた。こんな状況になれば、仲間を見捨てて自分だけが生き残る人間が殆どだ。自分が知っているような奴らがそんな人間ばかりだから。だが、彼は決して見捨てようとしていない。
「(…こんな優しい奴、だったとわな)」
現実世界で知っている奴らとは、根本から比べ物にならないと思う程に優しいと、ライトは感じた。こんな良い奴だと知っていれば、もしかしたら彼の仲間達とフレンド登録していたかもしれない。
そんな中、キリトは葛藤していた。彼1人ならば連れて行ける。だが、それ以上増えてしまえば危険度が高くなってしまう。
「(…ライトは兎も角、クラインの仲間までは…)」
キリトはライトの事は特に、いや、全くと言って良いほど問題視していなかった。初日に共にレベリングをして、彼の戦闘を見て、初心者とはどうしても思えなかった。故に、心配なのはクラインなのだ。すると、その彼から声を掛けられた。
「わりぃ。おめぇにこれ以上、世話になるわけにはいかねぇよな。だから、気にしねえで次の村へ行ってくれ!」
「…クライン……」
行かないでくれというのは簡単だ。だが、クラインは行けと言っている。それが、どれだけ勇気が必要な事なのか、計り知れない。その事が更にライトを驚かせるが、それに気付かずにクラインは続ける。
「俺だって前のゲームじゃ、ギルドの頭張ってたんだ。おめぇに教わったテクで何とかしてみせらぁ!」
右手でグーサインをしながら、クラインはそう伝える。こんな状況でも明るく振る舞える者は居ないと言って良い。彼は強い人なんだとライトは感じた。
「…そうか、ならここで別れよう。何かあったら、メッセージを飛ばしてくれ」
キリトはとても辛かった。こんな恐ろしい死の世界で、クラインや他の仲間を置いて、先へ進むのがどんなに辛いか。
初日に一緒にレベリングをしてとても楽しかったと、キリトは思っていたから。見捨てたくない、出来れば連れて行きたかった。だが、クラインの仲間全員を連れて次の村へ行くのは、今のキリトには出来なかった。
隣に居るライトの腕は一流と言って良いだろう。だが、この世界の情報は持っていない。闇雲に進めば命を落としかねない。だから、人数が増えれば危険度が増してしまうのだ。
「おう! ライト、おめぇはどうすんだ?」
「………」
ライトは迷っていた。βテスターで、この世界の情報を持っているキリトと共に次の村に行くか、それとも、クラインとその仲間達と共に行動するか。
この選択を他のプレイヤーに問えば、ほぼ間違いなく前者を選ぶ者が殆どだろう。このソードアート・オンラインには、キリトのようにβテスト版を経験しているプレイヤーも必ず居る。その者達はβ版の細部の情報を持っている。
あるいは、はじまりの街に残り、クラインとその仲間達と行動を共にして、自分がキリトから教えられたソードスキルのコツを教えて、このゲームを攻略していくか。
2つの分かれ道で、彼は迷っている。クラインは本当に優しい人だとよく分かる。こんな状況になっても、自分の事を気にかけてくれる。この場に置いて行きたくなかったが、自分は大丈夫でも他の人達の命の保証は出来ない。それに現実世界では、何時も自分を心配してくれる母が待っているから。
「(結局こうなる…って事か)」
だから、ライトは覚悟を決めた。
「…オレは、キリトに付いていく」
クラインを残して、キリトと共に次の村に行く事を選んだ。元の世界に帰る為に。
「…そうか、分かった。」
クラインは嫌な顔一つせず、ライトの答えに笑顔で頷いた。他のプレイヤーなら、彼の選択を否定する者が殆どの筈だが、クラインは違った。こんな状況になったとしても、自分達が行こうとする道を受け入れている。そして、仲間の元に行こうと背を向けて走り出したが、途中で止まり振り返った。
「キリト、ライト。おめぇら、案外可愛い顔してたんだな。結構好みだぜ!」
最後にそう言ってくれた。それだけで、キリトとライトは笑う事が出来た。例え、こんな世界になってしまったとしても。
「…お前もその野武士ズラの方が、10倍似合ってるよ!」
「右に同じ。」
2人の返答を聞いたクラインは、最後に笑顔を見せると、背を向けて走り出した。
クラインが走り去っていった方向を、ライトはずっと見ていた。その顔は苦しい表情を浮かべている。一緒に連れて行きたかった、彼の仲間達と共に。
だが、彼らと攻略に乗り出すにしても、戦闘に不慣れな状態では、動くに動けない。それを考えると、キリトと行動した方が得策と言える。しかし、それでも彼は、自分が選んだ選択が正しかったのかに悩んでいた。だが、何時までもここに留まる訳にはいかない。
「行こう…ライト!」
それを分かっているキリトは後ろを向きながら、ライトに呼びかけた。目に溜めた一筋の涙を流しながら。
「……あぁ」
2人は走り始めた。この世界で生き残る為に、この世界から脱出する為に。今、己の命を懸けたデスゲーム《ソードアート・オンライン》が始動した。
まだヒロイン達は、登場しません。もう暫く、ライトとキリトの話が続きます。