「うう、やっぱりここに来ると気持ちが悪いわね」
霊峰の真下に来ると、体調にも影響が出てくる。
しかし、今回は前回よりもそれが顕著に現れる。
「霊峰の真下にバイパスを通すなんて、畏れ多いことをしたものね」
ここに差し掛かると体に異変が起こるという情報は、今のところインターネットでも確認されていない。
もしかすると、異変を感じるのは私だけなのかもしれない。
「ところで、蓮子の曾祖母、やっぱり探すの?」
「ええ、ひいおばあちゃんは間違いなく幻想郷に訪れた。その方からお話を訊けるなんて、最高の機会だと思わない?」
「でも、亡くなった人の話なんて、どうやって訊くの?」
今度は青森に向かって絶滅したイタコでも探すのかしら。
「そんなの決まってるじゃない。夢の中で、だよ」
「蓮子と寝るのも久しぶりね」
蓮子にも同じ夢を見せるため、なるべく前回の成功例を参考にして同じ布団の上で寝ているわけだけど。
「ええ、夢の共有…。人は無意識の根底で繋がっていて、時に意識そのものを共有することもあり得るという話を聞いたことがあるけど、どういう理屈なんだろう」
「それを裏付ける間接的な証拠として、集合的無意識というのがあるわけだけど」
集合的無意識。スイスの心理学者が提唱した心理学における概念で、無意識の深層に存在するとされる、普遍的な構造。個々が持つ自我には多少なりとも個人差が生まれるものだけど、深層心理学はそれが先天的に存在していた認識に外的要因が作用しただけのもので、人間の深層心理には全くと言っていいほど同じ構造が見られたとのこと。
それが個人個人が持ち合わせているものではなく、逆に意識そのものが一つの無意識から枝分かれしているものだとしたら、或いは意識というのは膨大なネットワークのようなものなのかもしれない。
「ま、今はどうでもいいわ。今考えるべきことは私のひいおばあちゃんの事ただそれだけ」
「そうね、おやすみなさい」
視界が暗転した。
「ここはどこ?」
足の踏み場もない程大量の物品が転がる部屋。
明らかに見覚えのある空間。
「香霖堂ね」
「ここが香霖堂?話では聞いていたけど、想像以上にごちゃついてるわね」
「ご挨拶だな。こっちの方が趣があると思わないかね?」
うす暗い店内での二人の少女のいきなりの出現を、驚く素振りを見せず平然と受け止めたその男は、椅子から立ち上がると私たちの方に近づいてきた。
「いやあ、久しぶりだね。と、そちらの彼女は初めましてかな」
「ええ、メリーの友人、宇佐見蓮子と申します」
「宇佐美か。丁度おなじ名字の子が外の世界から来たばかりでね。噂をすれば」
店の入り口の鳴子が鳴った。
入ってきたのは、学生服の上に蓮子がつけていそうな黒いマント、蓮子と同じようなハットという、いつの時代のどの国のファッションスタイルにも合わなそうな個性的な格好の、分厚い眼鏡をかけた茶髪の少女だった。
「おはよう、店主さんはいるかな?」
「…ひいおばあ、ちゃん?」
「もしかしなくても私の事かな?ここの店は喧嘩の安売りも始めたんだね」
「ほう?ひいおばあちゃんか。なかなか興味深いな」
「久々にチャカでもぶっ放そうかなと思ってたところでさ」
彼女が懐に手を入れたところで、私が割って入った。
「あの、すみません。宇佐見菫子さんでいらっしゃいますか?」
「…あなた、私と同じ学校ってわけでもないよね?なぜ私の名前を?」
私たちは、董子と名乗る彼女と霖之助に事のあらましを説明した。
「成程。じゃああなたたちは同じ空間平面上に本来は存在していないんだね」
「ええ、私たちは貴方たちとは異なる座標時上にいる」
「で、ここにいる黒髪が私の子孫だと」
「そうよ。宇佐見蓮子。貴方のひ孫」
「ふーん」
彼女の反応は、思ったより面白みのないものだった。
私の想像を語ると、蓮子を自身のひ孫と知った瞬間、言葉を失うか、鼻で笑うかのどちらかの反応を見せてくれるものとばかり思っていた。
彼女は中央のテーブルに座ると、私たちにも座るよう促した。
「この幻想郷という場所には様々な能力を使えるものがいる。中には時間というものに干渉できる輩も。その者に訊いたことがあるわ。時間の流れというのは、逆らうことは難しい。時間の矢という言葉を聞いたことはある?」
「ええ、一方向にしか進まない時間の流れを一度放つと戻ってこない矢に例えたものよね」
「私たちは経験則から過去と未来は全く異なるものと考えがちだけど、実際には過去と未来は対称でなければならない」
「つまり時間というのは幻想にすぎないと?」
「いいえ、私たちの世界には確かに時間というものが存在する。それは宇宙の膨張によるエントロピーの増加によって過去と未来に対称性の乱れが生じるから」
「成程。私たちがこの宇宙空間にいる限り、不可逆的であるべきだ、という事か」
暫く蓮子と彼女の世代を超えた言葉のキャッチボールを続けたところで、霖之助がコーヒーを運んできた。
「ガールズトークの中に男が混ざるのは無粋なのだろうが、少し僕も混ぜてはくれないか。なかなか興味深い」
霖之助は彼女の隣に腰掛ける。
「霖之助さんはどう思う?私たちのタイムリープを唯一信じているのだけれども」
「うーん…。君の能力は、結界の境界を見ることが出来るというものだったね」
前に話した私の能力。
日に日に強さが増していき、最近では夢の中で現実的な経験をすることも少なくない。
まさに今がそのような状態なのだけど。
「もしかしたら、君は結界の境界そのものを操れるようになってしまったのかもしれないね」
「境界そのものを?それはどういう…」
「あらゆるものには境界がある。境界が生まれることで概念が生まれ、概念が生まれることによって認識が生まれる。逆に言えば、境界がなければ概念が無く、概念が無ければ認識が生まれない。これがどういう意味か」
境界を操るということは、新しい概念を創造し、また既存の概念を破壊すること。
それはすなわち、
「今現在、過去と未来の区別がなくなっている…」
「っということは、今時間の矢は完全に停止していると!?」
私がこの夢を見ているとき、現実では時間の流れが止まっているということになる。
「過去と未来の区別が無くなれば、君たちの夢魂はどの時間軸上の点にも容易に移動可能だ。歩くような感覚でね」
境界を操るという行為、それが世界にどのような影響をもたらすのか、私には一切想像できない。
怖い。
私の能力が、世界を操っている。
自分の意思に反して、世界は私に操られる。
今まで私はあくまで傍観者だった。
境界を見ることはできても、操ることは叶わない。
時間を操作することなんてできない。
世界の理に触れるなどという畏れ多いことはしない。
それが今は違う。
新たな概念を創造し、既存の概念を破壊する力を持つようになる。
この宇宙全体の認識を改める。
この宇宙を、自分の思い通りに、作り変えることが出来る。
この夢も、現実も、世界も、宇宙も、蓮子も、私の手の中で踊らされる。
私が宇宙創造の爆心地となる。
「あくまで僕の一仮説に過ぎん。ただ一つ言えることは、董子君の夢魂の遊離とは少し勝手が違うということくらいかな」
瞬間、目覚めの合図が輝きだす。
「タイムオーバーだね」
「またの機会に」
「ええ、コーヒーご馳走様」
「また来ます」
視界が暗転した。