「幻想郷と同質の結界を張ることで、幻想郷を再びこちらの世界に引き寄せる、なるほど、考え方は悪くないわね。実際、古い結界術に写しというのがあるわ。けれど、それは貴方の言う真実とは、程遠いものかも知れないわ」
「…貴方が私を巻き込んだ理由を聞きたいのだけれど」
「私に呼ばれた理由を貴方なりに考えた結果がこれと…」
紫は手に持つ扇で顔を隠すと…
「きゃはははははは//// いえ、上等よ。私が期待した通りだわ。期待通り過ぎておかしいわ////」
「私、何か間違えたこと言いました?」
「ええ、最初から最後まで全部間違い。なぜ自分で結界を張ろうなんて考えになった?」
「それは…、結界に関する能力しかない私には、結界に頼ることしかできないから…」
「そこが間違えているわ。仮に貴方に結界が張れたとして、それは貴方好みの幻想郷に作り変えられるだけ。貴方の友人は戻ってくるけど、それは貴方の友人ではない、貴方好みの友人になってしまうわ」
「そんな…それじゃあ私にどうしろと…」
「まだまだ視野がたりないわ。この世界を、もっと広いところから見渡してみなさい。そうすれば自ずと真実が見えてくるはず。知らないけど」
「ってことで、今回新たに加わった船員、マエリベリー・ハーン氏よ。大きな拍手で迎えてね」
教授の後に続き、政府中央議会の両院を思わせる広大な集会所に案内された私は、入るや否や盛大な拍手で迎えられた。
まさかこの船にこんなに人が乗っているとは思わなかった。
その数ざっと二百人、この船にこれだけの人数が収まることが、外見からは想像もつかない。
「彼女は二等航海士、所属は調査隊、ライセンスはAランクよ」
「ちょっと与えすぎじゃないか?」
「そんなことはないわ。彼女の能力にふさわしい階級よ」
「夢美様がそういうなら、そうなんだろうぜ」
この船では、各部署によって役割が分担されており、その中でも階級によって役割が決まっている。
私が所属する調査隊は、ざっくり言うと、観測地に実際に降り立ち、現地調査を行う組織。
魔力存在が認められた世界を調査し、あわよくば魔力を帯びた物品を入手するのが目的である。
ライセンスはAからDランクまで存在し、この船に関する機密情報にアクセスできる権限の範囲を指定している。
「私が調査隊隊長のエルヴィン・フォン・ハース。階級は一等航海士。よろしく」
真っ先に声をかけてきたのが、調査隊隊長という男性。
人種は欧州系で、金髪に青い目、身長も私より一回り程大きい。
全体的に紺色の制服と制帽を身に着け、胸に多くのワッペンを付けている。
「よろしくお願いします。私も着替えた方がいいですかね?」
「ああ、着替えなら君の部屋に用意されているはずだ。ついてきたまえ」
エルヴィンの後をついていく。
まるで客船の中にいるかのように、細い通路の壁にたくさんの小部屋がついている。
「ここの部屋は全て保管室だ」
「保管室?」
「ああ、旅路で得たあらゆる物品を保管するための場所さ。中には危険な物もあるから、ほら、こうやって部屋ごとにアクセスできるランクが決まっている」
扉には、『R-B or more』 『R-C or more』などと書かれている。
「ここが乗務員室ではないのですね」
「乗務員室にこれだけのスペースは確保できないな。あの集会の参加者もこの船員の一部に過ぎない」
「あれで全員じゃないんですか!?」
本当にこの船の構造はどうなっているのだろう。
「実は我々もこの船の正確な乗員数は把握していない。なにせ、航海中も常に並行世界を往来する行商人が出入りしているからね」
という事は、今もこの船に人が出入りしているのかしら。
私の感覚だと、果たしてどのようにして運行中の船に乗り込むことが出来るのか、全く想像できない。
「居住エリアへはこのエレベーターで行ける」
通路を進んだ先に今にも開閉扉が外れてしまいそうなほど歪んだエレベーター。
ボタンを押すと、金属が擦れる嫌な音とともに扉が開き、電灯が点滅したかご室が出現した。
中にはボタンがなく、扉が閉まると同時に上へと上がっていった。
激しい振動とともにエレベーターが止まる。
「着いた。ようこそ、我が街へ」
そこは船の中というより、外のような空間が広がっていた。
私たちは何かの建物の屋上にいて、上には空がある。
周囲には同じように数多くの高層建築物が立ち並んでいるが、屋上にもバラック小屋が並んでいたり、建物と建物の間が洗濯物干し場になっていたり、何を考えてこのような造りにしたのかわからない、かなり混沌とした場所だった。
「今は無き東洋の魔窟アジアン・カオスを再現した居住エリアさ。ここに三千人を超える船乗りたちが生活している」
建造物から剥き出した、下が透け透けの鉄筋階段を、なるべく下を見ないようになんとか下っていくと、切れかけの薄暗い光を放つ蛍光灯が照らす、細い路地が幾つにも分かれていた。
「こっちだ」
これは彼の後についていかないと、本格的に迷子になる。
通路も行く先々で右に、左に、上に、下に分岐しており、道を間違えただけでどこに繋がるかわからない。
所々に案内が出ているけど、それがロシア語だったり、中国語だったり、はたまたどの国の言語かも判別できないものであったりする。
私たちがいる階は地上(と呼んでいいのかはわからないけど)一階に相当するらしく、人の往来が上の階と比べて激しい。
ここに暮らす人々は、周りの景色とは裏腹に、身なりはきちんとしており、スーツ姿の人もいれば、半そで短パンでたばこをふかしている人もいる。
地上一階だからか周囲は商店街のように多くの店が密集しており、呉服屋、雑貨屋、飲み屋など、様々な業種の店が並んでいた。
「昼間から呑んでいる人もいるのね」
「ここに昼や夜という概念が無い。皆各々の時間感覚の中で生活している」
私たちは再び上の階へと上がっていった。
建物と建物が鉄筋のみの空中回廊で接続されているおかげで、上の階に行ったところで移動範囲が狭まるわけではないけど、上や下を様々なパイプやケーブルの束が通っており、ところどころかがんで進まなければならない。
それらのパイプは建物の側面を、むき出しの状態で血管のように張り巡らされており、ところどころ蒸気が上がっている。
建物と建物の隙間を通るときは、入れ違う人の顔も見えない程に暗く、各階の部屋の中から漏れる明かりが唯一の明かりとなっている。
「ようお嬢ちゃん、見ない顔だね」
更に上の階へ登ろうと、階段を上っていた時、踊り場のところで酒瓶片手に座り込んでいる男に話かけられた。
「え、ええ。今日来たばかりなので…」
「そうか、今夜一杯どうだ?」
「い、いえ、遠慮しておきます…」
「俺の連れに何か用かな?」
「…ちぇ、何だよ、つれねえな」
エルヴィンの助けもあって、何かされるようなことは無かった。
見かけ通りここの治安はあまりよろしくないようだ。
しかし、先ほどから気になっていた、私の前を歩くエルヴィンとすれ違う人々の反応に、多少なりとも明確な違いがみられる。
大きく分けて、敬礼しながら道を空ける人、敬礼をしないまでも進んで道を空ける人、特になんのリアクションも見せずに避けて通り過ぎる人の三種類がいる。
対してエルヴィンはそのいずれの人物に対してもなんの反応も示さない。
先ほどの男性も、エルヴィンに対して悪態をついていたけど、そのことに関してエルヴィンが何か咎めることは無かった。
エルヴィンの対応からして、あの男性がエルヴィンよりも身分が高いとは考えにくいし、人々の反応の違いは単に位の違いだけではないように思われる。
そもそもここに暮らしている人々の、この船での役割はなんなのだろう。
もちろん、答えは人数分用意されているのだろうけど。
「もうすぐだ」
建物と建物の間に、バラック小屋が立ち並んでいる区画があった。
どういった仕組みでこのバラック小屋が地上数階の位置に立っているのか、複雑すぎて見当もつかない(というより考えたくもない)けど。
「ここだ」
案内されたのは、周囲のバラック小屋となんの変りもないただのバラック小屋。
中は明りがついている。
「この中には同居人がいる。安心してくれ、性別は同じだ」
エルヴィンが先にドアをノックする。
「俺だ、エルヴィンだ。中に入る」
「はーい、どうぞ!」
中から女性の声がした。
油切れのドアが出す耳が痛くなるような音を立てながら、ゆっくりとドアを開く。
「さあどうぞ、ここは貴方の家だ」
エルヴィンに通され、中に入る。
「え!?」
驚いた。
外装からは想像できないほど、内装はしっかりしていた。
床、壁、天井にはヒノキが使われ、部屋の中央にはテーブルクロスが敷かれた木製のテーブル。
カーペットの上にはソファーが置かれ、カレイドスクリーンも設置されている。
奥のキッチンでは、綺麗に整頓された食器棚の前で、一人の少女がマグカップにお茶を注いでいるところだった。
「あ!貴方は!」
「はい、一度お会いしたことがありましたね」
私を礼拝堂まで連れて行った少女だ。
「改めまして、貴方のメイドロボ、HM-12まるちです。掃除に家事、何でもお手伝いいたします」
「ロボット!?」
肌の質感、動き方まで、人間と全く見分けがつかない。
「はい、驚くのも無理はありません。培養された人間と同様の細胞組織がチタン合金の金属骨格を覆っているため、外見だけでアンドロイドと識別するのは非常に困難です」
「あ、貴方、作品間違えてない!?」
しかし彼女は、外見だけでなく、会話もスムーズに行えている分、「彼」よりかは上をいっている気がする。
戦闘力は別として。
「それじゃあ、仲良くやってくれ。私はこれからやることがあるから、失礼するぞ」
「あ、はい。ありがとうございました」
エルヴィンが部屋を出て行ったあと、私はまるちに部屋を案内してもらった。
「風呂にはシャワーと湯船が付いています。湯船はバブル式なのでお湯は必要ありません。
トイレはこちらに一か所のみです。瞬間分解可能なバイオトイレなので、流す必要はありません。
コンロは試験的なもので、仕組みはいまいちわからないのですが、何らかの魔法石が使われているようです。火を使う際には、スイッチに念力を入れて「ちんからほい」と叫んでください。いえいえ、冗談ではありません」
「ベッドが一つしかないんだけど…」
「その点は問題ありません。私はベッドでは寝ないので。そのことなんですけど、その…非常に申し上げにくいのですが…、就寝される際に、私をこちらの専用プラグで充電していただけませんか?」
「何かが引っかかる」
湯船につかりながら、そう呟く。
この風呂は、非常に小さな温かい気泡で身体を包み、身体表面の老廃物を泡の吸着力によって取り除くタイプの、所謂バブル式と呼ばれる風呂であり、使用する水の量もマグカップ一杯分と、環境にも経済的にも優しい次世代の風呂。
私はこの風呂にも引っ掛かりを覚える。
科学の分野はそこまで詳しいわけではないけれど、この船の構造といい、教授の世界は、科学文明が私たちの世界より遥かに進んだ世界であるはず。
しかし、今まで私が見てきた中で、大げさな技術を用いた物が見当たらない。
この風呂だって、私たちの科学技術でも再現可能な域だし、キッチンに関しては、コンロの火を使って調理しなければならない分、むしろ私たちの技術より遅れをとっているような気がする。
もっとも、コンロに使われている魔法などという分野がどれほど高度なものかはわからない上での話だけど。
この街にしても、高度な空間拡張技術を有しておきながら、迷路のような建築物群にわざわざ人を密集させる必要性がどこにあるのだろう。
船員に至っても、これだけ精巧なアンドロイドをつくる技術があるなら、わざわざ非効率な人間を船員にする必要なんてないはずだ。
まさか私以外全員ロボットというわけでは…否定できないところが恐ろしい。
人間に近すぎるアンドロイドも考えもの。
高校以来のセーラー服に袖を通した。
と言っても、高校のセーラー服と違って、ちゆりたちが着ているような、本格的なセーラー服。
妙に恥ずかしい。
「お夕飯出来ました」
「ありがとうまるち」
用意されていたのは一食分。
ミートソースのスパゲッティと味噌汁という謎の組み合わせ。
「まるち、貴方は食べないの?」
「ええ、私はリチウムイオンバッテリーが内蔵されていて、家庭用電源から活動に必要なエネルギーを補充するので、食事はとらないのです」
ロボットだから仕方のないことなのだけれど、私一人で食事をするというのも気が引ける。
「もしお一人でのお食事が嫌でしたら、次回からお友達をお呼びしませんか?」
「友達?」
「ええ、ちゆりさんたちですよ」
そういえば、教授やあの二人はどこにいるのだろう。
先の集会で別れたきり、教授らの姿は見えない。
広い上にこれだけ人がいるのだから、当たり前と言えば当たり前だけど。
「御三方は船の上層部にいます。ここまで降りてくることはめったにございません」
「どうやって呼ぶのさ…」
そもそも一人での食事は慣れている。
わざわざここまでちゆりたちを呼ぶまでもない。
「飯が食えると聞いて!」「食いに来たぜ!」
「え!?」
ドアが吹き飛びそうな勢いで開かれ、そこに見覚えのある二人が立っていた。
「え、ちょっと待って!まだ準備が…」
「おまちどおさまです」
「いつの間に!?」
気がつけばテーブルに、同じメニューがもう二人分用意されていた。
「頂きます!」
「おい!赤いの!手ェ洗ったのか?」
「うるせえな、この船に有害物質も寄生性原生生物もいやしない!」
「慢心がこの船に混乱を招くんだ!目に見えないものに幾ら警戒しても警戒し過ぎることはない!」
そしていつも通りの喧嘩が始まった。
「まるちはさあ、元々私らのメイドロボだったんだ」
「へえー、それが何故私の元に?」
「一定期間主人からの命令が無かった時、契約破棄になるんだ」
「だから、私らが船を離れることになった時、彼女の所有権を夢見様に移したんだぜ」
「現在夢美様のご意向により、所有権はマエリベリー・ハーン様に移行されております。お役に立てるよう、頑張ります」
彼女にも利用規約のようなものがあるらしい。
消耗品といえど、彼女の寿命が人間よりも長い故、死亡などでオーナーから手放されることは想定して作られているのだという。
これはその時の為に、再び新たなオーナーを迎える為のプログラムなのだろう。
「それはそうと、教授や二人は普段何処にいるの?」
「私らは普段、艦長室にいるぜ」
「夢美様のそばについているぜ」
「ちょっとお邪魔していいかしら」
風呂の中で何やら騒いでいる二人を置いて、外に出る。
この外見からは想像もつかないほど防音性に優れたバラック小屋の中にいたせいで、ガヤが耳に響く。
空中にぶら下がる通路の手すりに上半身を預けて、街の様子を眺める。
複雑怪奇に入り組んだ街を灯す、ネオンや蛍光灯の色鮮やかな光は、きっと大昔の人が見たら百鬼夜行と見間違うかもしれない。
「変わんねえな」
私の左隣で声がした。
振り向くと、私と同じくらいの歳の黒髪の女性が、手すりにもたれかかってタバコを吹かしていた。
「何が変わらないって?」
「何もかもだ。ただただ同じ時間が流れて、同じ事を何度も繰り返して、嫌になるなぁ」
タバコの赤い火が映し出す彼女の表情は、酷い虚無感に包まれていた。
目に光がなく、顔はやつれている。
「この街を見ろよ、この光の数だけ人がいて、私はその中のただ一人。こんなちっぽけなタバコの光じゃ、通りに出りゃ光に飲まれ、路地裏に行きゃ闇に飲まれ、地下に行きゃ酒に呑まれ、ついには自分も街に飲まれる。この船旅はきっと、自分を見失うための旅なんだ。でも、こいつを吸っている時の快感が、自分って奴の存在を確固たるものにしてくれるんだ。あんたも一本どうか?」
「…それ、ほんとにタバコ?」
中枢神経への影響がニコチンのそれではない気がする。
「冗談はさておき、あんた、なんでこの船に乗ったんだ?」
「この船に乗った理由?」
「そうさ、この船に乗れるのは、この船に乗らなけりゃならねえ謂れがある奴だけだ。あんたの抱えるものはなんだ?」
「謂れ…」
「真実か…、漠然としているな。おそらく、あんたがこの船に乗っている理由は他にあるはずだ」
「他に?」
彼女はどこかへタバコを投げ捨てると、私の方へにじり寄ってきた。
「あんたはこの船に選ばれた。いなくなった友人?世界の真実?そんなのは自分で見つければいい。Aランクなんだから、どこへ行くも自由だ。あんたはこの船に必要とされたんだ。期待に応えなきゃならねえ」
彼女の言葉には、言い表せない説得力があった。
というよりも、私自身、薄々気が付いていたのかもしれない。
結界の崩壊により、京都中の人々の内面世界にのめり込んだあらゆる幻想の数々が、虚構の世界となって私たちの目を通して可視化され、混乱の渦に飲み込まれていた只中、唯一、私と教授がその正体に近づいた。
この船が動き出したのはそれからだ。
世界がどんな状況にあろうと、私が乗り込むまでこの船は動かなかった。
かいかぶりかもしれないけど、この船が私を必要としていたのは、本当かもしれない。
「あんたがいた世界で、あんたは特別だった。だが、一歩外へ出てしまえば、それは通用するとは限らない。特にこの船の中ならなおさら。だが、あんたはこの船の中でも特別だ。あんた自身が特別なのか、それとも、他の誰かがそうさせているのか。なんにしても、何もかもあんたに味方している。選ばれしあんたに、皆も選ばれたいのさ。慎重になる必要はない。思うがままにやってみろ」
そう言い残し、去ろうとする彼女。
ふと立ち止まり、再びこちらに振り返る。
「ひとつ言い忘れていた」
「…何かしら」
「信念に背くことは、絶対にするな」
彼女の姿が見えなくなると同時、ちゆりたちが部屋から出てきた。
「待たせたな後輩、夢美様のとこへ案内するぜ」
彼女たちについていく。
「ねえ、貴方たちがこの船に乗っている謂れってなに?」
「は?なんだ突然に。私は夢美様のおともについていっているんだぜ」
「私もだぜ」
「は?あんたはついていっているんじゃなくて、ついてきちまった厄介もんだ!」
「なんだと!?前衛は必要だろ!?あんたなんて、夢美様の後ろをくっついているだけじゃねえか」
「前にいられると目障りなんだよ!」
「あ~ん!?」「やんのかゴラ!」
赤と青の薬品同士は混ぜるな危険っていうのは、他の世界でも同じらしい。
細い路地に入った瞬間、一気に周囲の景色が変化した。
「どうなっているの?」
「この船の面白いところだぜ。どこに繋がっているかわからない」
「この街は秒単位で座標が移動している。他のエリアも同じだ。私たちから方向感覚の一切を奪う事で、第六感が働きだすのではないかというのが夢美様の仮説だが、まだ答えは出ていない」
街が入り組んだ造りをしていたり、いきなり景色が変わったり、この船がわかりにくい造りをしていたのは研究のためかと納得する。
これほどの大人数と空間があるなら、他にも様々な研究を行っているに違いない。
「ただ事実として、私たちはこの船で迷ったりはしない」
「夢美様、お仕事中失礼します。新米船員がご挨拶にと参りました」
「どうぞ」
開け放された扉の向こう側から声が聞こえた。
病院の中のような空間に、白衣姿の人々が行き交う通路を抜け、案内された重厚な扉の上に、『船長室』と書かれたプレートがある。
「失礼します」
室内には、向かい合って置かれたソファと、教授の物と思われる、書類が山積みにされた仕事机がある。
教授はバリスタのような機械の前で、マグカップを持っていた。
「確かにお連れしました」
「ご苦労さん、下がって」
「「はい」」
ちゆりたちは部屋から出て行った。
「そんなとこに突っ立ってないで、ソファにでも座って」
教授は私の分のコーヒーも入れて、ソファに腰掛けた。
「失礼します」
普段大学で見ていた教授とは、やはり雰囲気が違う。
どこか、手の届かないところにいるような、そんな気がしてしまう。
「ハーン君、この話し方の方が、落ち着くかね?」
「ええ、まあ…」
教授の大学での口調だ。
普段聞きなれている分、こちらの方が親しみやすく感じる。
感じるのだが、いろいろあった所為なのか、やはり、いつもと同じように接することはできない。
「じゃあお望み通り、今だけ大学の教授として接しよう。時にハーン君、君がこの船に乗り込んできた理由は、真実を見つける為だったね?」
「え、ええ」
「君らが求めているのは、嘘偽りの無い世界。それには、この世界を塗り固めている嘘偽りを見破る必要がある。それで結成されたのが、「秘封倶楽部」ー秘密を暴く者たち」
全ての始まりは、大学が始まってすぐの頃。
授業を終えた私は、当時借りていた郊外のマンションへと帰るところだった。
東大路京大前駅の5番線ホームから比叡山方面へと向かう学生はほとんどおらず、時間も遅かったこともあり、私以外にホームに人はいないはずだった。
…はずだったけど
「誰かしら?」
ワイシャツに赤いネクタイにマントという、相当に何かをこじらせたような格好の人物が、点字ブロックの内側に立っていた。
同じ大学の学生なのだろうけど、少なくとも同じ学部の学生ではない。
自分が乗る予定の電車が来た。
彼女も同じ電車に乗るのだろう。
そう予想していたけど、彼女は電車の扉が開いても、その場を一歩も動かなかった。
私は自分が乗る予定だった電車を逃してまでも、彼女のその後の行動が気になって仕方がなかった。
その次に来た電車も、その次に来た電車も、各駅停車、快速、関係なく、全て逃している。
終電と前の電車の間位に、彼女は途端に空を見上げた。
都会の光に薄まった星空は、太陽系内の惑星と、星空の中でも有名星座を形作る恒星しか見られない。
すると彼女は大きなため息をつき、駅のホームを離れようとした。
考えるより先に体が動いたのは、この時が初めてかもしれない。
彼女を背中から線路の方へ突き飛ばし、自らも線路へ身を投げるように、駆け込み乗車した。
裏世界へと続く電車に
電車に乗った彼女は、驚いた表情のまま固まっていた。
それもそのはず、電車を視認できない彼女は、線路に突き落とされたと錯覚しただろうから。
「ねえ、あなた、すたか駅の住人?」
彼女の第一声はそれだった。
「すたか駅?聞いたことないわね」
「じ、じゃあ、この時刻表にない電車は、どこへ向かっているの?」
私と彼女しか乗客がいない車両に、彼女の声が響き渡る。
「裏世界よ。貴方が待っていた電車じゃなくて?」
「そ、そうよ。じゃあ、貴方は裏世界の住人?」
「いいえ、貴方と同じ世界の住人。裏世界の住人までは、今は貴方の目には見えないわ。完全に裏世界に入ったわけじゃないから。その逆も然り。今この電車には、多数の乗客が乗っているわ。彼らからは私たちが見えない。それから、裏世界は私たちが行っていいような場所じゃない。次で引き返すのが吉よ」
「裏世界に入ったら、裏世界の住人に会えるの?」
「それはもちろん。でも、裏世界の住人からは私たちが表世界の住人だとは気づかれないかも。姿かたちは同じよ」
「それでもいいわ。私は裏世界の住人に会いたいの」
やがて、徐々に裏世界と入っていったのだろうか、車内の光が消え、満天の星空が車窓から見える。
周囲の乗客の姿も彼女は確認できたのだろう。
彼女の表情が一気に明るくなり、いきなり現れた少女に驚く裏世界の住人が、彼女を見つめていた。
『南下鴨裏、八咫烏本庁前』
ここで降りる人が多かったために、私たちも流されるまま下車した。
駅を出てすぐ、改札に大きな鳥居がある。
改札の仕組みは私たちの世界と大きくは違わないようで、人々が改札に足を踏み入れると同時に開いていく。
しかし、私たちの端末には対応していなかったようだ。
禁止マークが表示される。
「お客様はどこから来ました?」
駅員と思われる男性が近づいてきた。
「東大路京大前です」
駅員は驚いた後すぐに、困惑した表情を見せる。
「表世界の方ですか。困りましたね。本来ならお引き取り願いたいところですが、本日の電車はあちらが最後となります。とりあえず、その場で待機してください」
そう言って、駅員はその場を後にした。
暫くして、スーツ姿の男性二人と、複数の警官服姿の複数の男女が現れた。
「公安部のもんです。しんどいけど、手続きがあるさかい、いっぺん本庁に来てもらえます?」
「え?ちょっと!押さないで!」
私たちは警官に背中を押されるような形で、三台止まっている内、一台のパトカーに押し込まれた。
隣の彼女は必死に抵抗する。
「そない荒くたいせんでも、なんもとって食おうちゅうわけとちゃいます」
前後パトカーに挟まれた状態でそんなこと言われても、説得力の欠片もなかった。
やがて、私たちは大きな洋館へと連れてこられた。
大きな門をパトカーに乗ったまま通り抜けると、正面のロータリーには、翼を広げるカラスのような石像が中央に佇んでいた。
その石像を大きく迂回するようなかたちで、洋館の正面玄関の前に三台のパトカーが停止した。
「おいでやす。中でお偉いさん方がお待ちしてはります」
パトカーを降りてすぐ、私たちを迎え入れたのは、複数の舞妓さん。
スーツの男と私たちは、舞妓さんの後に続き、如何にも舞妓さんのイメージとはかけ離れた洋館の中へ入った。
赤い絨毯が敷かれた廊下、壁や天井は大理石で、何が書いてあるか見当もつかない文書や、奇妙な怪物や人々が描かれた古い絵画が、額縁に入れられた状態で壁にかけてある。
「こちらになりますえ」
案内されたのは、『来賓』と書かれた部屋。
「本庁のお偉いさんがお見えになられるさかい、楽にして待っといてください」
そう言い残して、スーツの男性はもう片方の男性を置いて部屋から出ていった。
ソファに座って十分くらい経った頃だろうか。
私たちの前に、法衣に身を包んだ一人の中年男性が現れた。
「おまっとさん、物部縁もののべよすが申します。今から簡単な質問をするさかいに、正直に答えてください」
それから彼は、私たちに簡単な質問をした。
まず、どこから来たのか。
この世界に来たことは過去にあるのか。
どのようにしてこの世界を知ったのか。
誰かに接触はしたか。
などなど
(神童、結界省の連中と連絡取れました。なんでも、通例の手順をすっ飛ばしてでもはよう返しとくれと要求してはります)
先程出て行った男性が、受話器らしきものを手に握って帰ってきた。
中年男性になにやら耳打ちした後、受話器を受け取った中年男性が席を外す。
「そういえば、私たち自己紹介がまだだったわね」
「え、ええ。そうね、まだ名前言っていなかったわ」
隣の彼女は、この薄気味悪い静寂を断ち切るように切り出した。
「私は宇佐見蓮子。理学部、超統一性物理学専攻よ」
「私はマエリベリー・ハーン。医学部で最先端の精神学を学んでいるわ。短縮形はメリー」
珍しいと思った。
理学部は年々規模を縮小しつつあり、募集定員も急激に減少している。
なので、理学部所属というだけで珍しく、おまけに物理学専攻ともなれば、レア中のレアだった。
「堪忍、唯の野暮用です」
複雑な表情で戻ってきた中年男性は、改めて私たちの方へ向き直る。
「十三条の規約に則り、あなた方を表の世界に送還いたします。お二方のみ、こちらへお越しください」
案内されたのは、洋館の裏にある山の崖。
「この縦穴の存在は他言無用です。どうかご内密にお願いします」
そう言って彼が岩肌に手を触れると、一部が陥没し、穴が現れた。
彼はその穴の中に手を入れ、何かをいじくると、岩肌が突如として引き戸のように動き出し、見えないくらい奥まで続く縦穴が現れた。
「この扉は本来内側から開けるものなので、こうしないとあかないのです」
彼は、私は初めて見るマッチという着火道具で、翼を広げるカラスのようなイラストが描かれた提灯に火を灯した。
「お足元にお気をつけください。やや上り坂になっています」
縦穴に一歩足を踏み入れると、空気の流れが一気に変わる。
ここが、ほどの空間とは異質な空間であることを、私の感覚が感じ取っているのだ。
ゴゴゴゴゴゴ…
重々しい音をたてながら、背後の岩が自動的に閉じた。
よって、提灯の明かりだけが唯一の明かりとなる。
私たちの足音しか聞こえない不気味な静寂に、耳鳴りがする。
「この縦穴は本来、何をするためのものなのですか?」
蓮子の声が縦穴全体に響き渡るも、彼からの返答はない。
再び、辺りは静寂に包まれた。
「間もなくです。あなた方をもとの世界へとお返しできます」
とうとう行き止まりが現れた。
一見すると何の変哲もないただの岩肌、しかし、先ほどと全く同じ仕掛けが施されている。
岩戸が開くと、橙色の光が差し込んできた。
「改めて言いますが、くれぐれもこの件はご内密に」
彼はそう言って、私たちを岩戸の外側に追い出した。
暗闇から目が慣れてくると、木でつくられた小さな小屋のようなものの中にいるらしく、彼女と抱き合うような形で密着していた。
「あ、…」
「ご、ごめんなさい…」
互いに恥ずかしそうにしながら、小屋の外を出る。
見ると、私たちが入っていたのは、古い祠らしい。
私たちは山の中にいた。
「メリー、道があるわ」
蓮子が指さす方、祠へと続く獣道を抜けると、石畳の山道に繋がっているのが確認できる。
「整備されているのね。街からそう遠くはないみたい」
立ち並ぶ杉の木を割くようにしてはしる山道は、どうやら神社の参道らしい。
石畳の上に立つと、奥に階段が続き、苔で緑色に変色した石造りの鳥居と、その更に奥には獅子と狛犬が向かい合って鎮座しており、彼らが守る今にも崩れそうな社が建っていた。
「ごめんなさいね。貴方を危険な目に遭わせてしまって」
今回運良く元の世界に戻れたからいいようなものの、やはり軽はずみで行くような場所ではなかったのは確かだった。
彼女には恐ろしい体験をさせてしまった。
頭を下げると、彼女は頭を下げさせまいと、人差し指で私の額を押し返す。
「貴方、どうしてあの電車の存在に気が付いたの?」
「‥‥‥」
私の目の事は、周囲には話したことが無かった。
自分でも、この目が時々、気味悪く感じてしまうから。
しかし、ここではぐらかしてしまえば、彼女に頭は下げられない。
「私はね…、見えてしまうの。皆には見えない物、結界の、境界が」
それに、彼女は私の人生に今後関わってくることはないだろうから。
「…上を見て」
彼女が東の方角を指さす。
神社の参道によって切り裂かれた杉の森林の裂け目から覗く空は、まだ星が輝く西の空とは反対に、東の空はもうじき差し込むのであろう朝日の光で東の空から紫色に変色していた。
「見えるかしら、あの光」
木々の間から、薄っすらと見える青白い光を彼女は指さしていた。
「明けの明星ね」
「今の時刻は午前四時二十一分三十秒。場所は北緯三十五度十分三十・六秒、東経百三十五度四十分十一・九秒」
「え?」
彼女は時刻を正確に知れる物を身に着けていなければ、位置座標がわかる機器を持っているわけではない。
「私にも見えるのよ。他の人には見えないものが」
貴方の目よりはまともだけどと、笑いながら話す彼女の姿が、徐々に歪んでいくのがわかった。
私が見えているものがおよそ普通では無いと知った時から、私はこの目に悩まされ続けた。
自分の感覚を誰とも共有できないというのは、深い孤独感に苛まれるだけでなく、自分の見ているものを疑わざるを得ない、言わば疑心暗鬼のような状態に陥ることもあった。
だから私は、この目を持って生まれた意味を、どうにかして見つけようとして、これまで様々な結界を覗き歩いた。
しかし、幾ら探しても答えは見つからない。
元より悲観的な性格の私は、自分は生まれてきてはいけなかった存在かもしれないと思うようになり、しかしそれは受け入れられなくて、元より人という存在には意味などないのだという虚無的思想に逃げ、するとやはり他とは違う特性を持つ自分が気味悪くなってしまう悪循環。
いっそのこと目のことは忘れてしまおうと、ある種の楽観的な考えに落ち着いた私でも、やはり心のどこかにやり場のない感情を押し込め、疲弊が蓄積されていたのかもしれない。
秘封倶楽部――周囲からは不良サークルと思われているこのサークルは、私の唯一の居所であり、私という存在の価値そのものなのだ。
「あの世界で、君たちのように異能を備えて生まれた者は精々両手があれば数えられる程度。そんな二人が出会う確率なんて、まさに天文学的数値だ」
「まさに運命」
「そう、これはまさしく運命。予め仕組まれていた出来事。起こるべくして起きた出来事。この世界の観測者に、君は対象として選ばれた訳だ」
教授の説明では、この世界を動かす、何者かが存在しているということになる。
それは意思を持った何者なのか、それとも、世界の真理なのか。