安眠できるのも、これが久しぶりかもしれない。
ベッドに入った瞬間から、いつ寝たかも覚えていない。
「そしてここは…」
久しぶりの夢の中の世界だ。
しかし、いつもと勝手がどうやら違うようだ。
私がいるのは四方を暗闇が囲う、謎の空間。
私の周囲のみが、見えない光源から差し込む光によって照らされている。
「ここ、どこ?」
私が移動すると、私を照らす光もそれに合わせて移動する。
いくら歩いても、いくら走っても、目の前の闇は永遠と続いている。
既に自分が歩いているのか、走っているのかもわからない。
「どこ?だれか!助けて!蓮子!」
私の心の中の声が、空間内に響き渡り、また静寂が訪れる。
「はいはーい、助けに来ましたよ」
空間のどこからか、誰かの声が聞こえた。
「誰かいるの?」
声がする方に呼びかける。
「こっちです。こっち」
返事があった。
後ろに振り向くと、私のと同じ、もう一筋の謎の光があった。
その光の中心に、何やら人影が見える。
ゆっくりと私の方に近づいてくる光は、やがて私に降り注ぐ光と交差し、大きな一筋の光となり、ここで初めて、人影の全体像を確認することが出来た。
丸い飾りを全体にちりばめた白黒のワンピース、青紫色の髪、そして何より特徴的な、腰のあたりまで垂れ下がった、赤いナイトキャップを被る少女だった。
「身構える必要はありません。もっとリラックスして」
少女は私の額に手を当てる。
不思議なことに、全身の力が抜けていくような気がした。
「身を案じる必要はないですよ。ここは今まで貴方が見てきた夢の世界とは違う、正真正銘の夢の世界。傷つこうと、殺されようと、貴方の身には何も起きません」
「貴方は、だれ?」
ゆっくりと、彼女は額から手を放す。
「ここで立ち話もなんだから、場所を変えましょう」
少女が右手を空に掲げると、大きな分厚い本が魔法のように突如として出現した。
彼女はその本を開き、ページを捲っていく。
「ええと、貴方が最もリラックスできる場所は…と、あった」
突然、空間内にノイズが走る。
景色が二転三転し、何もなかった空間に、椅子とテーブルが出現、あっという間に、見たことのある景色が現れた。
蓮子とよく他愛もない話をしていた、大学のカフェテラス。
「ここは?何かの食堂かしら。ああ、貴方の通う学校ですね。それにしても、気持ちがいいところね」
人は私たち以外にはおらず、音も聞こえない。
普段賑やかな分、どうしても違和感が浮き出てしまう。
「あら、ケーキが用意されているわね。私たちしかいないみたいだし、いただきましょうか」
少女は近くのテーブルに着き、ケーキを頬張り始めた。
「ほら、貴方の分もあるわよ。もっとも味はしないけど」
少女に薦められて、私も椅子に座る。
夢の中とは思えないほど、ケーキの質感はリアルで、フォークを通すこともできる。
ただ、彼女の言った通り、食べても食べた感じがするだけで、味がするわけでも、お腹が膨れるわけでもない。
なんだか虚しくなってしまい、フォークの手を止める。
「ところで、貴方は何者なのですか?」
そんな私をお構いなしに、おいしそうにケーキを頬張る少女に問う。
すると彼女はフォークの動きを止め、私に向き直った。
「ああ、ごめんなさい。出された食事は食べきらないとと、つい夢中になっちゃっいまして。私は夢の世界の管理人よ」
「夢の世界の、管理人?」
「ええ、夢の世界の秩序を乱さぬよう、あらゆる人の、ありうる夢を、全て監視し、管理するのが、この私の役目」
では、今までの不思議な夢も、彼女の仕業ということだろうか。
「いいや、実は今回貴方に会いに来たのはその夢についての話でね」
まず、人が夢を見る理由ですけど、貴方たちの中には夢魂と呼ばれるものがあります。私たちが起きているときは心の深層部で眠っていて、私たちが眠ると、その夢魂を通して夢を見るのです。
心には表層部と深層部がありまして、‥‥‥ええ、その通りです。表層部は常に外界と密接な関係にあり、必要性の高い記憶、意識、理性などを司る領域を総称してそう呼ばれています。そして深層部は、忘れ去られた記憶、抑え込まれた感情、無意識、潜在意識その他本能などの人間の普遍的な部分などを司る領域を総称するものです。
魂は、表層部から人格を形成し成長する、言わば人格そのものです。対して夢魂というのは、心の深層部に眠っていて、心の奥底に眠る本来の欲望、理性を排除した真の自我を形成します。貴方が寝ているときは、夢魂が自我を持ち、夢という現実を見せるのです。
貴方も聞いたことがあるかもしれませんが、意識というのは深層部のさらに根底、本能や、非常に単純な感情、無意識の領域で、他者と繋がっています。所謂集合無意識というやつです。なので、夢などの深層部の意識は根底で繋がっているのです。夢の中で知らない人物に出会ったり、知らない場所へと行けたりするのはそのためです。なので、夢の世界を客体的に管理する存在が必要とのことで、私がいるのです。
「なんとなくわかりましたか?」
「ええ、それなりに理解はできたはずよ」
彼女は一通りの説明を終えると、一口分残ったケーキを全て食べた。
「重要なのはここからです。貴方の夢魂、こちらに現れていない期間があまりにも長すぎる」
「…というと?」
「今の貴方は現の貴方です。人格を無意識の領域に引きずり込んできただけに過ぎません。夢を見ているようで、実は夢の世界にいるだけなのです。夢と現の境界をいじりすぎたせいで、その区別がつかなくなってきている証拠です」
以前から感じていたことだ。
夢があまりにも現実味を帯びてきたため、どちらが夢でどちらが現実かわからなくなってきていると、過去に蓮子にも相談したことがあった。
「またそれが、さらなる深刻な事態を招こうとしています」
彼女の表情を見るに、それは単なる脅しやまやかし等の類ではない。
「貴方の魂は無意識の領域にて結界を超越し、夢の世界にて現実を投影しています」
「ということはつまり」
「ええ、貴方は夢の世界で現実を見ていたことになります」
夢と現実、その乖離した二つが結びつく様を、私の常識の範疇で想像することは不可能であると、彼女はこう前置きした上で。
「貴方の特異な能力に関しては、私の専門外の為、どうすることもできません。しかしながら、現実世界が夢の世界を侵すというのは、もっとも避けるべき
夢を見る、結界を越えるというのは、私の意識の範囲外で行われる、不可抗力によるもの。
意識して止められるものではない。
しかし、実際に最悪の事態に陥った時、なにが起こるのか、当事者である限り、最低限それだけは知る必要がある。
「それは貴方が知る必要のないことです」
きっぱりと断られた。
「だけど、何も知らない訳には…」
「ここから先は禁忌です」
「!?」
その言葉は、都市伝説上、政府直属のとある機関にて使われているとされる、これより先の情報は国家機密に触れることを迂遠に伝える隠語だと密かにささやかれているもの。
今回の私と彼女の接触は、政府によって計画的に行われたものである可能性が出てくる。
「私から伝えるべきことは伝えました。夢の世界での貴方の立ち位置をわかっていただければ結構です」
彼女がそう告げた後、周囲の景色にノイズが走り、私たちが座る椅子とテーブルを残して、再び元の無機質な空間に戻った。
「そして最後に、私たち・・から貴方に伝えたいことがあります」
テーブルを挟み、そう告げる彼女の表情は、今までの穏やかなものではなかった。
「岡崎夢美との接触は容認できません」
京都東寺、不明現象緊急災害対策本部
「関西原子力安全保安局より通達、都内の放射線量に異常な数値は確認できなかったとのことです」
「気象庁より、地震計に反応なし、同じく地上監視衛星からのデータにも特筆すべきことはありません」
「市内を流れる水道水からも精神作用系薬品に含まれる成分、その他規制薬品に含まれる物質は検出されませんでした」
「通信システムの通信状況から考えるに、電磁波による影響も低いと考えられます」
「クソ!一体何がどうなっているんだ!」
陸上自衛隊、福知山駐屯地
「依然状況不明のままです」
「そうか、防衛省、京都地本との連絡は?」
「未だとれておりません」
「政府が丸々行方不明になったというわけか」
非常災害対策本部、地方予備施設
「被災区域が京都市内に限定されていることは間違いないそうです。被害人口は1200万人と推定されます」
京都東寺、不明現象緊急災害対策本部
「了解、対象地域から半径五十キロ圏内を特別警戒区域に指定します」
「しかし、自衛隊の災害派遣ができない分、報道機関を通してのみでの対応を採らざるを得ません」
「プレスへの発表は対策情報、避難誘導のみ、サイバー部のほうで情報統制は行ってもらう」
「具体的な災害情報は抑える形でよろしいですね、官邸に連絡します」
日本放送局
「現在、京都市内での災害について、詳しいことはわかっていません。次の地域にお住いの皆様は、その場にとどまり、周囲の状況を確認の上最善の行動をとってください。該当地域は以下の通りです。京都市、宇治市、丹波市、‥‥」
首相官邸地下シェルター
「首相!対象地域の住民の避難が最優先です!直ちに住民の避難を‥‥」
「待ちなされ、これは唯の集団ヒステリーなどではない」
「結界大臣‥‥、どういうことですか?」
「これは未曽有の災害だ。もはや、今までの人類の経験から対処法を導き出せる次元の話ではない」
「寝ぼけたことを言っておるな!首相!直ちに自衛隊に災害派遣要請を」
「大臣の言う通りだ。ここから先は我々の管轄外のようだな」
「‥‥どういうことですか」
「当災害をスピリチュアルハザードと判断し、重篤事態宣言を発表する。非常識災害特別措置法と結界法の規定により、全指揮権及び全ての権限は結界省に委譲される」
「首相…ということはこれは!?」
「結界の即時封鎖を行い、高次元知的生命体及びその他二次災害を引き起こす恐れのある事象への応急危険度評価を徹底して行います。ここにいる皆さまも、私どもの指示に従ってくだされ」
慌ただしい様子で、複数の若造が大臣の職務室に入ってきた。
彼らは結界省直属の実行部隊、エージェントと呼ばれる者ども。
省直属でありながら、彼らは、大臣の私より強い権力を握る、とある人物の命令で動いている。
「都民の誘導は完了しました」
「ご苦労様。これより、第一次規定に基づき、京都を凍結します。対象地域外については、改竄シナリオ「ろ」を使用して」
「了解です」
エージェントが部屋から出ていく。
残されたのは、自分たち二人だけ。
「……八雲はん、ほんまに良かったんでしょうか?」
「あら大臣、今から怖気づいてどうするの?時間は一秒たりとも待ってくれない。今更どうすることもできないわ。それより、これから公式発表でしょ?もう一度原稿を読み直して粗を探していた方がいいわよ。報道機関はただでさえ偽りの世界に混乱しているのに、各々に満足いく説明ができるかしら?」