大きな音を立てながら徐々に照明が灯る。夜のトラックを、無骨な明かりが隈なくライトアップした。
スペシャルウィークは眩しそうに眼を窄める。
「うぅ、眩しいです」
「俺はそうでもないけど……。やっぱ人間とは感覚が違うんだな」
耳をピコピコと動かすスペシャルウィークの隣で、棒付きキャンディーを加えた男、スピカのトレーナーは興味深そうに言った。
「もう少し明るさを調整してもらえるよう言っておこうかしらね」
そのさらに隣に立つ東条ハナも、一考の余地ありと顎に手を当てている。
「まあ、そういうのは個人差もあるし個人での受理は難しいかもな。それよりもスぺ、なんでわざわざ外出許可まで取って見にきたんだ」
「ちょっとグラスちゃんの様子が気になって……。トレーナさんたちの方こそどうして?」
「ん、ああ」
少し考えるような素振りを見せてから、トレーナーは口を開いた。
「お前のライバルの偵察、というよりはむしろ」
「ライスシャワー、でしょ」話を遮るようにして東条ハナが口をはさむ。「私もグラスワンダーのことはもちろん気がかりだけど」
「そうだ。ドリームシリーズに参入してくるなら間違いなく強敵になるだろうからなぁ。しかし……」
「宝塚記念のことですか」
スペシャルウィークが気まずそうに顔をしかめた。
「あれ以降これといった活躍もなくトゥインクルシリーズを終えたわけだからな。実績だけを見ればまず間違いないんだが」
「もともとライスシャワーが宝塚記念出走を決めたのも、中距離での実績が乏しかったから。ドリームでやっていくにはある程度距離適性に幅がなければ厳しい。スズカみたいによほど尖った強さがあるならまだしも、ライスシャワーは長距離でも安定した成績を出せなかった」
東条ハナも気難しそうに顔をしかめながらそう口にした。
「でも、仮にもライスさんは菊花賞に天皇賞春を二回制覇ですよ」
G1で一着をとることの難しさ、それを骨身にしみて理解しているスペシャルウィークとしては同意しかねるのか、不満げに口を尖らせる。
「まあ、普通だったらそうだな。だけど宝塚記念での一件以来、公の場で走る姿を見せなかったライスシャワーの現状の実力を疑うやつらもいる。怪我から復帰した選手が元のポテンシャルを発揮できるとは限らないからな。あれだけの怪我ならなおさらだ。どころかあの惨状を見たファンの大多数はむしろ「もう走ってほしくない」とすら考えているかもしれないライスシャワーに票を入れてた人は特にショックが大きかっただろうからなぁ」
「そんな……」
「どちらにせよ今日のライスシャワーがどれほどの走りを見せてくれるか、だな」
「そうね、ドリームにくるにしてもその実力がないなら止めるべきだから」
「……実力が足りないっていうのは、ないと思いますけど」
スペシャルウィークのその言葉に、彼女のトレーナーと東条ハナは思わずといった風に振り向いた。
「だって、グラスちゃんがあんなに本気になっているんです。生半可な相手じゃないんですよ、きっと」
〇
「こんばんは、ブルボンさん」
ミホノブルボンが照明の灯りに照らされた夜空を見上げていると、横から声をかけられた。無感情な動作で顔を向けると、そこで満面の笑みを浮かべたサクラバクシンオーとばっちり目が合った。サクラバクシンオーの額には「ライスさんガンバレ!(^^)!」の文字が描かれたハチマキが巻かれている。ミホノブルボンをすぐに視線を元に戻した。
「こんばんは」
「今宵は月がきれいですねぇ」
「そうですね」
「こんなところで応援ですか?」
サクラバクシンオーはキョロキョロとあたりを見回ていた。ミホノブルボンがいる場所はトラックの第四コーナー手前から少し離れた、小高い道なりだった。
「ライスを邪魔したくありません。それに、ここなら戦況を全て見渡すことができます」
「なるほどここなら確かにコース全域を俯瞰できますね。ではその中でも第四コーナー近くに陣どったワケは?」
「勝負が決まるとしたら、このあたりだと思ったからです」
「そうですかね。相手がもっと早い段階から仕掛けてくる可能性もあるのでは?特に今回は一対一のガチンコバトルなのですから」
「ライスはそんなに軟弱ではありません。勝敗は最終局面で決まるはずです」
「そうかもしれないですね」
ミホノブルボンの双眸がちらりとサクラバクシンオーを見据えた。
「あ、お二人が来ましたよ!!ライスさーん!!」
手をぶんぶん振り回すサクラバクシンオーをじっと観察する。彼女が何を考えて言るのかよくわからない。あまり話したこともない上、ライスシャワーとの交友も全くと言っていいほどなかったにも関わらず、サクラバクシンオーはこうして応援に来ている。敵情視察といったふうでもない。
わからないことを考えても仕方がない。ミホノブルボンはとりあえず目の前の戦いに集中することにする。
この戦いで見極めるのだ。
ライスシャワーというウマ娘を。
〇
暗闇の中。
光る双眸が二組、浮かび上がる。
「いいレースにしましょう、ライスシャワーさん」
芝の上に立って初めて、グラスワンダーが口を開いた。ライスシャワーは奥にいるグラスワンダーに顔を向けた。そして、短く返答する。
「……はい」
それからすぐに顔を正面に戻した。
「えっと、二人とも……」
開始の合図を頼まれて二人の間に立っていたスペシャルウィークは、二人に気圧されて二の句が継げない。
「いいですよ、スぺちゃん。始めてください」
距離は約2600m。右回り。
「う、うん。それじゃあ、カウント行きます!!」
スペシャルウィークが手を挙げたのを皮切りに、二人は構えをとった。
「5秒前!
4
3
2
1
スタート!!」
スペシャルウィークが手を振り下ろすと同時に、二つの影が勢いよく飛び出した。
〇
「始まったか」
正面の直線を駆け抜ける二つの影を、スピカのトレーナーが目で追いかける。
「ライスシャワーが前をとったのね」
「そしてグラスワンダーが追走」
スピカのトレーナーは東条ハナに目配せする。
「今のは……グラスワンダーの作戦勝ち、ということでいいんだよな」
「ええ、おそらくは、ね」
〇
スタートの加速によって芝がめくれて巻き上がった砂塵に揉まれながらも、スペシャルウィークは前を走る二人をしっかりを見据えていた。
「二人ともスタートがゴタついてた……」
スタートから三歩の間は最大の加速が必要なため、ウマ娘の身体は大きく前傾する。それはあたかも地を這う様に駆ける四足の肉食獣のよう。そしてこのスタート直後の三歩はレースにおいて勝敗に直結する最も重要な要素の一部。
当然G1で勝利を収めている二人はスタートダッシュも上手い。だが今回は二人とも動きにキレがなかった。いや、グラスワンダーの方はキレを欠いた、というよりはむしろ自分の動きを抑えた感じだった。
「後ろを取りたかったんだ……」
ライスシャワーもグラスワンダーも、生粋の
そして、スペシャルウィークはグラスワンダーに追走された時の重圧を、体感で理解しているのだ。
スペシャルウィークは、第一コーナー手前に差し掛かった二人のウマ娘を固唾を飲んで見守る。グラスワンダーが今回のレースになぜここまで入れ込んでいるのか、スペシャルウィークにはわからない。だから、友人として、ライバルとして彼女にできることは、グラスワンダーの勝利を祈ることだけだ。
「頑張って……」
〇
ライスシャワーは後方に目を向ける。人間よりもはるかに広範囲の視界の隅に、グラスワンダーの鬼気迫る追走が写る。ライスシャワーはグラスワンダーに恐ろしさを覚えるほど接近されていた。
ぴったりと張り付かれる。
引き離せない。
グラスワンダーを引き離すことが、できない。
元々それほど目立つタイプではなく、誰に徹底的にマークされた経験もないライスシャワー。それに誰かに後ろを走られるのは嫌だ、というイージーな発想から来た、まず最初は後ろを走ろうという当初の作戦も、出鼻を挫かれる形でとん挫した。
自分はあのミホノブルボンにも、メジロマックイーンにも、マークに徹する形で勝負に勝ってきた。だが、逆にマークされて追いかけられるのは、いまだかつてないことだった。
このままでは、多分負ける。負けたくないけど、私はグラスワンダーさんに負ける。
恐ろしいまでの重圧を背後に受けて、ライスシャワーの顔に動揺が広がった。
〇
「先頭の景色はライスさんが取りましたね!!」
サクラバクシンオーはその顔を喜色に溢れさせながら叫ぶ。対するミホノブルボンは無言かつ無表情だ。
「……」
ミホノブルボンは、あまりレース展開を考慮するタイプのウマ娘ではない。逃げ足を抑える走り方よりも、走る気のままに走った方がいいと、マスターに教わったからだ。特に何も考えずに、機械のように走る。
その性質上、ミホノブルボンはレース展開の機微に疎かった。トゥインクルを出走していた当時はそれでいいと思っていた。スプリンターであるが故のスタミナの不足を補うための坂路などのトレーニング、それのみに集中し、戦略や何やらの小難しいことはすべてマスターに丸投げしていたのが仇となったのだ。だが、不幸中の幸いというべきか、ジャパンカップ出走直前の怪我が原因でトゥインクルシリーズでの出走は打ち止めになってしまい、怪我の治療の間、己を見つめなおす機会が訪れた。マスターの助力もあって、それなりにレースに関する知識を得たが、マスターからは「培った知識をレースに応用できるほどお前は器用じゃない」と言われてしょんぼりとしたというのはまあ関係のない話だ。
つまりミホノブルボンは、色々と勉強はしたが結局レースのことはあまりよくわかっていない。
それでも、戦いの展望がライスに対し不利に働いていることが、直感でわかった。
なにより、前を走るライスの顔に、動揺の色が浮かんでいる。
「……どうしたんです、ライス」
「ン?」
きょとんとしたサクラバクシンオーに目を向けることなく、ミホノブルボンは唇をかみしめるようにして声を漏らした。
「しかしああもべったりくっつかれると、ライスさんは走り辛いでしょうねぇ」
グラスワンダーはライスシャワーにほとんど接触寸前の位置をずっと維持しつつ走っている。あれほど接敵したレースをミホノブルボンはあまり見たことがなかった。
「……スリップ……ストリーム、を狙っている……?」
ミホノブルボンは何とかその言葉を頭からにじりだす。独り言ようなそのつぶやきにサクラバクシンオーが返答する。
「そうですね。しかしグラスワンダーさんの位置取りはライスさんの斜め後方ですか」
サクラバクシンオーは顎に手を当てて何やら考え込んだ。
「風圧を防ぎたいならライスさんの真後ろを走るべきでは……。あれじゃスリップストリームの恩恵が半減じゃないですかね?」
〇
「グラスワンダーはいい位置についたな」
「でも、あの位置じゃスリップストリームは……」
スペシャルウィークはスタートとゴールの立ち合いをグラスワンダーから任されているが、レースの邪魔にならないよう一時的にトレーナーの元に避難していた。
「相手の真後ろにつかなきゃ風圧は防げませんよ」
自らの経験をもとにそう語るスペシャルウィークに対し、トレーナーは首を振る。
「いや、本来のスリップストリームはあれが正しい形なんだ。なるべく相手に接近して、斜め後ろにぴったりと張り付く。あれだけ接近できていれば、グラスワンダーは相手に引っ張られるような感覚を受けているはず」
「真後ろでもスリップストリームの効果は十分に感じられる。だけど本来のスリップストリームはああして斜め後ろに張り付くのが基本なの」
東条ハナがトレーナーの話を補足するように説明を挟む。
「真後ろにつくと、相手の足と接触しないように若干距離を開ける必要があるわ。土埃などが顔に飛んでくる危険性もあるし、それにランナーの真後ろは横に流れた気流が再び集まって乱気流が発生しているから、むしろ空気抵抗を受けるの。斜め後ろならば流れる足との接触を気にせず接近できるし、横を流れる風は安定しているからそのまま自分も避けて横を流れてくれる。空気抵抗を減らせるどころが、相手に吸い付くような空力を得られるはずよ」
「じゃ、じゃあどうして本来のスリップストリームを教えくれないんですか!そんなに効果的なら!」
思わず声を荒げるスペシャルウィークを、スピカのトレーナーはどうどうと手で押し込める。
「テクニカルすぎて学生には難しいんだ。それにリスクも高い」
「接近するということは、それだけ衝突の危険がある、ということよ。プロならともかく、生徒を無闇に怪我を負わせる危険にさらすことはできないわ」
東条ハナの鋭い眼光に射抜かれたスペシャルウィークはしおしおと委縮した。
「そ、そうなんですね。すみませんでした……」
「ま、そういうことだ」
スピカのトレーナーは、しおれた耳を奮い立たせるようにスペシャルウィークの頭に手を乗せる。それから東条ハナに問いかけた。
「で、グラスワンダーはなんでこんな危険なことを、ライスシャワーに仕掛けているんだ、おハナさん?」
トレーナーの言葉に耳がぴんと立つスペシャルウィーク。
「ましてこれは口約束の野良試合だぞ。公の場じゃ逆に使い辛いってものあるかもしれないが……」
「少なくとも私の指示ではないわね」
「じゃあ、グラスちゃんが自分で練習して習得した、ってことですか」
「グラスワンダーの性格上あり得る話ね。……あとでキツく言っておかなきゃ」
東条ハナの怒気交じりの低語を聞いたスペシャルウィークは黙祷する。ナンマンダブ、グラスちゃん。
「まあこればっかりはなぁ」
呆れ交じりに後頭部をさするスピカのトレーナーは、それから遥か前方、第二コーナーを抜ける二つの影を見やる。
「それにしても、そこまでして勝ちたいのか、グラスワンダーは……」
〇
不思議なウマ娘だ。
あれほどの走りを身につけておきながら。G1で名だたる選手を下し、レコードを生み出したものながら。
追い詰めると驚くほど脆い。
第二コーナーを抜けた時点でライスシャワーの走りはガタガタだ。
サイレンススズカなど尖った能力を持っているタイプのウマ娘なのだろうか。だが、彼女ほどではない。だから、ドリームでは絶対に通用しない。
ライスシャワー。
あなたは、ドリームにくる資格がなかった。
第三コーナー手前で、グラスワンダーは加速を始める。本当はもう少し様子を見るつもりだった。
だけど……ここで勝負をつけさせてもらう。
〇
「どうしてブルボンさんはドリームシリーズに来ないのですか?怪我はもう治ったんですよね?それにドリーム参入をすでに表明しているにも関わらず」
「ライスは私のライバルです。ライスが来るまでは、私も」
「彼女はあなたのライバルたり得るのでしょうか」
ミホノブルボンは、サクラバクシンオーを咄嗟に睨みつけた。
「ライスは強いウマ娘です」
「そうですね、でも……」
サクラバクシンオーの笑みに、ほんの少しだけ影が差す。
「強いだけでは勝てません。だって、みんな強いんですから。トゥインクルならともかく、ドリームは「強いだけ」のウマ娘ならたくさんいます」
サクラバクシンオーはミホノブルボンをしっかりと見据える。その力強い言論に、ミホノブルボンは不覚にもたじろいだ。
「ブルボンさんは、まだライスさんにしか負けたことがないから、ライスさんをライバル視するのもわかります。でもドリームに来たら、きっとあなたは吐くほど負けますよ。みんなそうです。そのうち、ライスシャワーは特別じゃなくなる。あなたはライスシャワーに見向きもできなくなるんです」
ミホノブルボンは何か言い返そうとして、何も口にできなかった。もともと口が回るわけではない。それに、サクラバクシンオーの言葉には有無を言わせない力がある。
「……」
パクパクと口を開閉させるミホノブルボンを脇に、サクラバクシンオーは再び目線を戦況に戻す。
「……あっ、グラスワンダーさんが仕掛けますよ!」
〇
ライスシャワーとグラスワンダーが、えぐるようにしてコーナーに侵入する。二人は遠心力に抗うため体を大きく傾斜させた。
この遠心力が厄介だ。さほど強い力ではないが、それでも体の自由は利かない。コーナーを曲がる間は、戦況が硬直しがちだが、だからこそここで敢えて仕掛けるウマ娘も少なくない。
ライスシャワーは、後ろの重圧が一気に膨れ上がるの感じ取った。グラスワンダーが大きく距離を詰めてきたのだ。ともすれば接触しかねない距離まで。
「ッ!!」
咄嗟に衝突を避けようと身を捩った。いや、捩ってしまったというべきか。
元々グラスワンダーに煽られて速度を上げていたのと、カーブの途中で不用意な行動をとってしまったことで、ライスシャワーの身体は強い慣性を受けて外に大きく追いやられた。と同時に大きく減速してしまう。
その隙を逃すグラスワンダーではなかった。
ライスシャワーと内埒の間に、グラスワンダーはするりと入り込む。
〇
「これは……勝負あった、か?」
第四コーナーを抜けた先で、グラスワンダーとライスシャワーの差は一目瞭然のものと変わっていた。
スピカのトレーナーと東条ハナの前を走り抜けた二人には、すでに三バ身ほどのひらきがあった。
「そうね、ライスシャワーの走りは乱れ、グラスワンダーはすでに自分の走りに徹している。こうなった以上は……」
東条ハナもスピカのトレーナーに同意を示す。
「……あ、私そろそろ戻ります」
スペシャルウィークはそう二人に断りを入れてからコースに入っていった。
「ここまで撃たれ弱いとはなぁ……」
いそいそとコース内に入っていくスペシャルウィークの後姿を眺めながら、スピカのトレーナーはボリボリと頭を掻く。
第三コーナーで煽られたライスシャワーは大きく調子を落とした。グラスワンダーはかなり強いプレッシャーをかけていたが、あれくらいの駆け引きはドリームでは日常茶飯事だ。中には違反ぎりぎりの接触をためらいなくする奴もいる。
「ドリームシリーズ移籍は厳しそうね」
東条ハナの言葉に、スピカのトレーナーは頷きで返答する。
「そうだなぁ。
……ん?」
〇
「ありゃりゃ、抜かれちゃいましたか」
頭の鉢巻きを外しながら、サクラバクシンオーが嘆息する。
「あそこから巻き返すのは難しいでしょうねぇ……」
「……」
ミホノブルボンはもはやサクラバクシンオーの言葉を聞いていなかった。頭の中には言葉にならない感情やらが混沌と渦巻いていた。
ミホノブルボンがライスシャワーの実力を疑ったことは一度もない。菊花賞で負けて以来、ライスシャワーに打ち勝つことを次の目標に今まで頑張ってきた。それと同時に、ライスシャワーというウマ娘の一ファンとなった。
だが、今のライスシャワーは、弱い。
ミホノブルボンは有馬記念8着の敗走を思い返す。ライスシャワーはここぞという場面で勝ちきれない、走りにムラのあるウマ娘だということはわかっていた。だが……
「ここで負けては、ダメです……」
ドリームは甘くない。
ウマ娘には、負けてはいけない場面があるのだ。ライスシャワーは今だ。今ここでの負けは、ライスシャワーにとって決定的な敗北になる予感が、ミホノブルボンにはあった。
負けたものが悪。勝ったものが正義。
ライスシャワーの決定的な敗北、つまり、心が折れてレースから姿を消すということは、ミホノブルボンにとってのヒーローが、ヒールに負けてしまうことを意味する。
「ライス……」
握りこぶしが震える。
「おや?」
その時、サクラバクシンオーが少しだけ嬉しそうに口から零した。
「まだあきらめてないみたいですよ、ライスさん」
その言葉を聞いて、ミホノブルボンが弾かれたように、顔を上げる。
〇
……差が開かない?一気に引き離されると思ったのに。
グラスワンダーの顔を見る。余裕をもって走っているようには見えない。ということは、これが彼女の精一杯の走り……?
速さに大して差がない。
……。
だったら、
だったら私はまだ負けてない。負けたくない。
まだやれる。いや、やるんだ。少しでもこの差を詰めて。
1mでも、1cmでもいい。
グラスさんに、近づくんだ……っ!!
〇
「うおおおおおぁっっ!!!」
「っっ!!?」
グラスワンダーは、鬼気迫るライスシャワーの咆哮を受けて、思わず振り返った。そして、異常な程光り輝く青白い焔の眼光に射抜かれた。