俺は俺のことが知りたい。
自分が何者なのか、どうして生まれたのか知りたいんだ。
ようやく授かった命の成長を見ることなく失われた命。
苦痛を乗り越えたというのに、抱き続けられなかった命。
肉親を助けようと傷だらけになりながら立ち上がろうとしたが、目の前で無残に焼かれた命。
助けを求めて差し伸べられた手を掴むことが出来ぬまま、押しつぶされた命。
身体を蝕まれ、希望を持ち続けたが、絶望に包まれ、散ってしまった命。
そして……孤独に取り残され、拒み、崩壊し、忘却の彼方に消え行き、声の届くことの無い闇の底に沈んでしまったかつての自分。
身近に過ごしていた者達は、ほとんどがいなくなってしまった。
なぜ俺を置いていく。
俺が……から、……は死んだ。
俺が……から、……も死んだ。
俺が……だったから、あの人たちは……死んだんだ。
全ての絆──心の繋がりを断ち切られても今の自分がいるのは、俺に課せられた運命なのか? だとしたら、俺にこんなモノを背負わせた運命っていうのは何なんだ?
この血だらけに染まった俺の両手が掴むべきモノなんて何も無い。記憶の鎖が途切れ、寄るべき光を失ってしまった俺には歩むべき道も、帰るべき方向も、わからなくなった。生きたいという気力が欠けてきているように思うんだ。
その証拠に、俺からは様々な色が失われてしまった。いや、最初から失われていたんだ。まるで、自分の運命が決まっていたかのように、その身に現われていた。
あの日を境に、変わり果ててしまった俺を支えてくれている人はいる。
たった一人生き残った兄弟。ここまで育ててくれた母。
でも、そんな彼らの心遣いが、より苦痛を感じさせる。彼らがいなくて、自分だけがのうのうと生き延びているのに罪悪感すらも抱かせ続け、心もすり減らせ続けた。ましてや、自分がとある事実を抱えていたことが、耐えがたい苦しみだった。
人と関わることは億劫になった俺を兄と母は特に何も厳しく言うことは無かった。心配はしてくれるが、ただ自分の好きなように生きて欲しい、と。
心の中では他者との繋がりを築いて欲しいと望んでいたのだろう。でも、俺がそれを頑なに拒んでいた。これ以上、傷つきたくは無かったから。
そう──思っていたのに。
俺の前に、一つの星が降り立った。
◇◇◇
西暦2022年 11月4日
平日最後の金曜日は学生にとっては待ち望んだ休みの前にそびえ立つ乗り越えるべき壁とも言える曜日。朝の日差しが差し込む校門の前には親しき学友同士が朝の挨拶を交わしたり、調子を聞いたり、愚痴を零したりなどありふれた光景が広がっている。
その人混みの中、日傘を差しながら俺は登校している。チラチラとすれ違う生徒が奇異な目で見てくるのを自覚しながらも、表情を一切動かさず、教室を目指していた。靴を履き替え、無駄な寄り道もせずに廊下を歩いていると、唐突に声を掛けられた。
「おはよう、
「……別に、いつもと同じ方法で来たんだから大丈夫に決まってるじゃん。それに、早く学校に来たんだから教室にいればいいのに、いちいち俺が来たのを確認しなくても良いんだよ、過保護兄貴」
「それはそうだけどさ……」
うっ、と言葉を詰まらせながら素っ気ない星空に話しかけている一個上の先輩であり、兄の立場にいる男──鍵沢優一は、頭を搔きながら優しげな表情で弟を見つめる。
優一は普段、弟と共に学校に来ることがほとんどだが、この日は偶々教師から呼び出しを受けていたことやいくつかの事情故に早くに家を出なければいけなかった。その間、弟から指摘されていた過保護心は星空に向いており、若干うわの空だったのは内緒のつもりである。本人にはバレバレなのだが。
「あ、おーい優一! 俺達、先に教室に戻るからなー!」
「おう、先に戻ってろ。あっ、あと課題もしっかり終わらせとけよ! お前、今日の授業で当てられるんだからな!」
「うへぇ! そうだった!」
「おい走るな!……っと、じゃあな優一!」
友達、だろうか。兄を見つけた二人組の、かなり大きな声とやり取り、走り去っていく様子に若干顔を引いた。教師に見つかれば小言を貰いそうだ。
兄の交友関係が広いことは知っていたが、実際に目にするのはあまり無かった。もしかしたら、片手で数えられるくらい少ないのかもしれない。羨ましくは思うが、自分のような男が同じようになれるとも思えない。
俺の考え事は他所に、まったくあいつは、と額に手を当てた優一の視線が向けられる。
「話は戻すとして、ほんとに大丈夫だったんだな?」
「はぁ……今日はそんなに日の光も強くなかったから良かったよ。口うるさい人も近くに居なかったからまぁまぁ静かだった」
心配してくれるのは嬉しいが、こうも何度も聞かれると面倒くさくなる。それでつい、皮肉っぽく言ってしまった。
「む……口うるさいとはなんだ。口うるさいとは」
「ごめんごめん、冗談だよ。俺が体調崩したときは自分のことそっちのけで看病してくれるし、色々と気を利かせてくれるし、いつも感謝はしてる。ありがと、兄さん。」
「あ、ああ……お前から自然に感謝の言葉が聞けるのは嬉しいが、何だかなぁ……」
「なに? 折角柄にもないことを言ったつもりなのに」
「柄じゃないって……いや、それをもっと他の、母さんとかに──」
言いかけたところで優一は口を噤んだ。それと同時に、俺の顔に影が差した。口が滑ったと気付いたのだろうが後の祭りだ。
あの日を境に関係がギクシャクしているのを理解している。あの人とも、それに一部のクラスメートとも。その原因の殆どが自分であることも。
何度か力になってあげるために手を貸そうかと兄は手を差し伸べてくれたが、自分で何とかするから、と兄を拒み、作り笑いで安心させようとする姿を見せては、伸ばされた手を掴みきれずに引かせてしまっていた。
兄さんには関係の無いことだから──そんなこと口に出すはずがないと思っているが、心の奥底では否定出来ない自分がいることを知っている。自身との関係が偽りなんじゃないかという疑問を今も持っていることを。そして全てが変わってしまった日、一瞬でも同じ思いを兄が感じてしまったことを察していた。
「星空……違うんだ。今のは、その……」
「…………」
「……ごめん。変なこと、言ったよな。お前にとっては、俺の気遣いなんて余計なお世話なのにさ……ましてや俺はお前と────」
「──言わないで」
「星空……?」
「……言わなくて良い……俺が無責任なことだったんだから」
優一が戒めとして抱えているであろうものを口に出させる前に止めさせる。
多分それを言ったら、気丈に振る舞っていても貴方が傷つくのは明白だから。以前のように、何もかもがモノクロのように偽りの光景に見えてしまうから。
「俺……もう行くよ」
「……あっ、うん…じゃあ」
別れの挨拶を交わし、足早に教室へと向かう。階段を上がるときに見えた兄の顔は申し訳なさで一杯のようで、あんな顔をさせるつもりじゃなかった。帰ったら謝っておこう。教室に着く頃には、そう思えるくらいには幾分か落ち着きを取り戻せた。
静かに教室の扉を開けると、何人かの目が集まる。誰が来たのか確認して、一瞬眉を顰めた者もいたが、またそれぞれの時間に戻っていく。1年前と今年の始めに比べれば落ち着いたものだ。
自分の席に座り、ホームルームがくるまでじっと過ごす。数分ぼーっとしていると、人もぞろぞろと増えてくる。
「なぁなぁ、お前アレ見た?」
「あー見た見た。マジで人めっちゃ並んでたよなぁ。俺も買いたかったのに」
「流石に、あんなに高いの俺は無理かな。世界初のVRMMORPGっていうからやってみたかったけどさ」
「だよなぁ」
朝のこの時間帯は様々な話題が挙がるが、ここ最近は似たような話題ばかり。先週発売され、今週末にリリースされるゲームのことだ。だが、俺個人からしたらあまり興味がない。ゲーム自体は兄や一人のクラスメートとよくやるが、人付き合いが得意じゃない自分からしたら……。
「…鍵沢」
「あ……」
考え事をすれば何とやら、か。件のクラスメートこと、中学の入学の時、席が近いことからそれなりに話をして、困っていたときに何かと付き合ってくれて、唯一友人と呼べるクラスメート──桐ヶ谷和人がそこにいた。
「今日、なんだけどさ……昼休みは俺、ちょっと用事あるから、それで……」
「放課後?」
「う、うん。放課後に……その後も、良かったら一緒に帰らないか?」
「まあ……良いけど」
「そ、そっか……それじゃあ、もう時間だから」
時計に目を向けた途端チャイムが鳴り、桐ヶ谷や他の生徒も各々の席に座り始める。俺も椅子に座り直して数分待っていると、先生がやってきた。いつものように教壇に向かい、軽く今日の連絡についての報告をして、いつもと変わらない白く染まった一日が始まった。
◇◇◇
淡々と授業は進み、気付けばあっという間に放課後になった。
金曜日ということもあり、部活のない帰宅部の連中は我が世の春がきたー!と字面を見れば真逆の季節ではあるが、授業終わりだというのにはしゃいで帰って行った。教室の中には、勿論部活に行く生徒も残っている。
俺の兄さんは確かやらなきゃいけないことがあるとかで、家に帰らずにどこかに向かったはずだ。行き先は聞いていない故に詳細は分からない。
いつでも帰れるように準備だけして、荷物を持った俺は屋上に向かう。階段を上がっている最中に窓から見た外の景色は夕日に照らされている。
「寒っ……!」
階段を上がりきって屋上への扉を開けると、急に強い風が入り込んで肌を刺激した。寒かったのはその一瞬だけで、日差しに当たらないように日陰の中を進みながら待ち人の隣に座る。
「悪い、待ったか?」
「いや、俺も来たばっかりだから、そんなに待ってないよ」
人目を避けるように、俺達はこうしてよく屋上で会話をする。友人の少ない自分にとって、家族関係があまり上手くいっていない自分にとって、彼と過ごす時間は不思議と心が穏やかだった。何よりも最初の印象というのは強いもので、初対面だと必ず奇怪な目で見られる俺の容姿について、特に気にせずに普通に接してくれたから。ナチュラルに対応してくれたことが嬉しかったんだ。
「ほら」
「ああ、悪いな」
道中、自販機で買った飲み物を桐ヶ谷に渡し、自分の分の片方を開けて一口飲む。水分を欲していた喉の奥を満たして、夕焼けに染まった空を眺める。
「今日で、ちょうど1年と半年かな」
「ん? 何が?」
「いや、俺達がこうしてここで会話するようになってから、そのくらい経ったんだなって……意外と早かったな」
「お前、そんなに詳しく数えてたのか?」
「ううん。何となく、だよ」
日数なんて、一日も見逃さず記憶してた訳じゃ無い。ただ、そろそろかなと思ったのだ。中学の始め頃、俺はかなりピリピリしていたし、人から避けられていた。周囲が続々と友人関係を築いていく中で、俺は孤独を貫いていたんだ。まあ、この見た目だったから、その辺りは半ば諦めていたんだと思う。
俺の容姿は日本人とは思えないような、金色の髪に白い肌、目の色は淡青色。他者に比べられたら異物だった。
アルビノ──先天性白皮症、先天性色素欠乏症などの呼称があるメラニンの生合成に関わる遺伝子に欠損がある病気。生まれたときからこれを俺は抱えていた。周りと馴染めず、友達も作れなかった最初の理由の一つがこれだったんだ。
行く先々で誰しもが、俺を馬鹿にしたり、いじめられたり、苦労もあった。1年ぐらい前も慣れるまでは偏見の目に晒されて、そうして1ヶ月が経った日だったか。
学校でよくある校外実習で、二人組のペアを作らなければいけない時があった。ただ適当に余った人と組めばいい、あまり関わりすぎなくて良いと思っていた俺のところに、彼は…桐ヶ谷は「俺と組まないか?」と自然に、長年の友人を誘うかのような口調で俺を誘ってくれた。それが意外で、つい了承の返事をしてしまった光景は、今でも鮮明に覚えている。
「今思えば、あの時の理由って何だっけ?」
「えっ、確か前にも言ったと思うんだけど」
「誘ってくれたってところは覚えてるんだけどな……」
飲み物をもう一度口にして、目を隣に動かして促す。すると、桐ヶ谷は暫く指を動かして気恥ずかしそうに口を開いてくれた。
「その……お前の傍にいると、なんか落ち着けて……入学当初、俺みたいな女顔の俺を見ても、普通に接してくれたし、仲良くなりたかったから、とかじゃダメか?……って言った、はず」
「そう、だったな……」
桐ヶ谷の容姿は中性的な顔立ちで童顔。本人もそれを気にしていたらしく、コンプレックスにもなっていたんだ。容姿に振り回された点では、俺達は似た者同士。そこに似たような何かを無意識に感じ取ったのかもしれない。
校外学習を終えてからも、暇なときは話し相手になって、お互いゲームの話題でも盛り上がったし、やる事なす事、色々と馬が合って仲良くならないはずが無かった。
「まあ、あの時の鍵沢は普段ずっとぼーっとしてたから話すのは少し躊躇ったのが、あったけどな。俺と組んだ時だって最初の方は少ない受け答えだけだったし、何か感じ悪くなってたように見えて内心オドオドしてたと思う」
「そうだったか? 俺も、自分から話しかけてくれたのは桐ヶ谷が初めてだったから、どうすれば良いのか分からなかったから。お前の最初の印象だって教室の隅でぼーっとしてる奴って感じだったと思うけど」
「何だよそれ……というか、ぼーっとしてる割合はお前の方が多いと思うぞ。いつも窓際や屋上で黄昏れててさ」
「ひっで!」
「お前こそ酷いだろ!」
他愛のない話で盛り上がって軽口を叩き合い、笑いが出る。普通なのかは、普通じゃ無かった俺からしたら分からないけど、友達って言うのはこういうものなんだろう。
「そういえば桐ヶ谷、お前もあのゲームやるんだよな。えっと、確か《ソードアート・オンライン》だっけ?」
話題は切り替わって、今最も注目されているとあるゲームの話へと移る。
《ソードアート・オンライン》──略称SAOと呼ばれる世界初のVRMMORPGについてだ。
「ああ、勿論やるよ。ベータで予習もしっかりやっといたし、終わってからも新しい情報の収集もしてる。後は明後日の13時を待つだけだ」
「ベータだと10層まで行けたのが桐ヶ谷だけだったなら、正式サービスが始まってもトッププレイヤーとして異名が出来るくらいに活躍したりして」
「止めろよ。そういうの、お前に言われると恥ずかしくなるんだよ……っていうかお前もやってみたら異名が出ると思うぞ、俺は。もしかしたら俺よりも上達するかもしれないし」
「俺に異名なんて……」
頬を搔いて照れ臭そうに、それでいて俺の前だと満更でも無さそうな表情を見せる友の姿が面白くて、微笑ましい。また、俺が異名で呼ばれた様を想像して、その姿を想像したら笑いが出てしまう。それを受けた桐ヶ谷も同じことを思ったのか、笑いが零れて、屋上に二つの笑い声が響いた。
いつまでもこんな日々が続いて欲しい。こんな俺の、本当の姿を明かしても、桐ヶ谷とはずっと友達で居たい。そう願うのは、きっと悪いことじゃない。
「よっと、そろそろ帰ろう」
「そうだな」
もっと話をしたかったというのが本音だが、あまり話が長引きすぎると更に暗くなってしまう。会話を切り上げて、荷物を持って校門へと向かう。日傘を差しながら歩いていると、ふと桐ヶ谷の足が止まった。
「なぁ、星空」
「なに?」
「えっと、あのさ……」
「どうしたんだよ急に…」
途切れ途切れに口を開いたり閉じたりする桐ヶ谷に、急に下の名前で呼ばれたことに首を傾げる。何か大切なことを言いたい、そんな気がした。
「お前とさ……
「っ!」
「……ダメ、かな?」
桐ヶ谷……いや、和人から告げられた言葉を聞いて、胸が震えた。
不安や期待、喜びや驚き、様々な感情が綯い交ぜになっているのかもしれないが、本心なんだろう。しかしながら、俺はそのゲームをやるために必要な機材を持っていないし、買うつもりは無かった。
それでも、もしも叶うのであれば──。
「うん。俺も和人と、そうなれたらいいな」
俺の言葉に和人は安心したように顔を綻ばせて、俺の横に並んだ。帰路を共にする最中も、笑いや笑顔が途切れることは無かった。
その二日後──まさか同じ世界で再会することになるとは、この時の俺達に知る由もない。それも、あの男の手によるものによって、俺達の運命が左右されることになるなんて……この世界が俺にとって本当に本物なのかどうか疑問を持つようになるなんて……
そんなの考えたこともなかった──。
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