「次元が、違う……」
掠れた声で漏らしたのは誰の言葉だっただろうか。
それを言及する者はいない。
何故なら戦場から離れた冒険者たちは、皆そのような感想を浮かべていたのだから。
そんな彼らの視線の矛先は、二人ぼっちで戦争を巻き起こす少年と槍兵だった。
金属同士がぶつかったとは思えない轟音が周囲を呑み込み、発生した爆風が民家を更地へと変える。
「はぁっ!」
「軽いな」
しかし、戦力の差は歴然だった。
脅威の猛攻を難なく退けた狂戦士は、ガラ空きの腹を蹴り飛ばし追い討ちとして槍を投擲した。
蹴り飛ばされ放物線を描いている少年は、身体中から流血しながらも迫る槍を逸らす。
獲物を失った槍は意思があるように持ち主の元へと翻し、元の状態へと戻った。
傷どころか埃さえ負っていない狂戦士を見て、少年は下唇を噛む。
「はぁ、はぁ…………!」
決して少年が弱いわけではない。先に退場したヴァレッタが相手なら数巡の内に片をつけられるだろう。
ただ、相手が悪かった。
狂戦士が槍を振るえば砂塵は舞い、大気に烈斬を刻む。
狂戦士が一歩踏み込めば一秒足らずに距離を詰め、推進力を全て注がれた殴打が待っている。
「あんな化け物、誰が倒せんだよ…………!?」
荒くれ者揃いの冒険者たちの心境は寸分狂わず同じであった。
【猛者】でさえあの槍使いに勝てるかどうかも分からない。ましてや子供が勝てるはずがないのだ。
(遊ばれているな)
少年は狂戦士が未だ全力を出していない事に気付いている。
男の槍や殴打には殺意が乗っていない。こちらを殺してやる、命を奪ってやるという気概がないのだ。
それは決して殺人の覚悟がないとか、そういう甘い問題じゃない。
単に、狂戦士にとって少年は全力を出すに値しない存在だからだ。
そこまで理解出来ているからこそ、少年の胸中には焦燥と戦意が燻る。
しかし、直ぐに仮面の下で笑みを浮かべる。
実力差などとうに理解している。
奴の姿勢は油断でなく余裕なのだと分かっている。
ならば、舐め腐られてる間に事を済ませるまで。
「む?」
狂戦士はキャスターの適正もある故、魔力をいち早く感知した。
発生元は眼前の少年から、魔力量はそこらの魔術師に過ぎず、脅威にも感じない。
期待外れか、と嘆息をして遊びを終わらせようと槍を握り締めると、自身の真横から
「……この程度の俺を止める気か?」
微かに目を見開いても、狂戦士の疾駆は止まらない。
予備動作なしの魔法陣には驚いたがタネが分かれば簡単なこと、おおかた予め罠の魔術を一体に埋め込んでおいたのだろう。
それなら、先ほどの微弱な魔力も説明がつく。
軽々とトラップを避けて次の一歩を踏み出す……はずだった。
「座標指定、着地点予想99.2%、
「……なっ」
「着弾魔力全体の約2割、魔力結合崩壊。半径3メートルの陥穽予想92.3%」
初めて男は驚愕の声を漏らす。
狂戦士の四方どころか360度全方位が魔法陣で埋め尽くされた。
機械的に譫言を呟く少年は、過負荷に細胞が悲鳴をあげているのを無視して、余計な思考を切断する。
全意識は狂戦士と交戦前に展開した罠魔術
「てめえ、いったいいつの間に……」
「悪いが恵まれた生まれでな。魔力操作と魔法陣には自信があるんだよ」
「ふざけんじゃねぇ。これほどの魔法陣の同時展開及び操作、才能程度で片付けられる芸当ではない。貴様、死ぬぞ?」
「……人の心配をしてる暇があるのか?」
「ッ!」
大気に浮かぶ幾重もの幾何学模様。
知神の叡智、少年の研鑽が詰まった数多の砲撃が一騎当千の狂戦士へと着弾する。
先程とは比べものにならない暴風に、盤外の冒険者たちは目を瞑った。
そして、希望を胸にする。
「これ、いけるんじゃねえか……?」
「勝てる、勝てるぞ! いけ、【妖梟】!」
暴虐の理不尽の最中に見えた一筋の光明。
希望の光に他ならない少年に対して、惜しみのない喝采と声援を向ける。
無数の光線に撃ち抜かれる狂戦士を見れば、少年に希望を抱くのは無理もない。
……それが、狂戦士の苛立ちを助長することになるとも知らずに。
永遠にも感じられた砲撃が止み、砂埃が男一帯に巻き上がっている。
周囲の民家は原型を留めておらず、ここで大災害が起きたと言われても信じるだろう。
否、比喩ではない。
文字通り二人の戦争という大災害は起きているのだから。
やがて、砂埃は晴れ始める。
数多の視線がそこを凝視した。
観客に成り下がった冒険者たちは期待の瞳を、
後方で己の英霊を補助する神は懸念の瞳を、
そして、砲撃をやめた少年は、
「今のは良かったぞ」
諦観の瞳を浮かべていた。
「…………は?」
「なんで、だよ……! 全部命中してたはずだろ!?」
「やっぱり、あのガキじゃ無理なのか……」
騒ぐ愚者たちに一瞥も与えず、狂戦士は少年を真摯に見つめる。
「これが現実だ」
「……」
「お前に俺は倒せない。戦う事から逃げた凡百どもは手のひらを返してお前を罵倒している」
「……あぁ、確かにな」
「抗う意思がない、安全地帯でしか吠える事の出来ない者を護る必要がどこにある?」
狂戦士が指摘するのは、先日女魔道士を含めた三人で対峙した際の詠唱魔術。
具体的な根拠などないが、男は他者のせいでその使用を妨げられていると確信していた。
今も奥で倒せなかった少年を責める声が鳴り響いている。
「右肩に一つ、左足に四つ、腹部に四つ、胸部に三つ、頬に一つ」
「何が言いたい?」
「俺の魔術でお前がつけた傷の数だ」
狂戦士は黙って続きを促す。
「神代の英雄に、齢十の子供がつけた奇跡だ」
数にしてたった十三の裂傷。
それを多いと感じる者は少ない。
「そして、まだ俺はトラップを幾つか残している」
男の近くに魔法陣が浮かび上がる。
「だから何だ?」
「勝ちを確信するのはまだ早いってことだ」
外野など気にせず、ただ己との戦いに集中しろ。
傲慢ながらも彼は神代のサーヴァントに、そう述べたのだ。その証拠に、彼の瞳は一点の曇りもない。
その愚かな宣告に、ただ狂戦士は失望の視線を持って応えた。
「小僧、なぜ俺がお前をすぐに殺さなかったと思う?」
「……本気を出すに値する存在しなかったからだ」
置かれた状況、彼我の実力差を踏まえて、明瞭に少年は応えた。
己を疑わないその姿に、狂戦士はますます落胆を深める。
「俺は戦闘に対して愉悦も、快楽も、恐怖も、情熱も感じない。ただマスターの指示通りに対象を殺すだけだ」
「……」
「そして、俺が殺す者は正義の女神の眷属。間違ってもお前ではない」
「じゃあ、どうして今まで俺と戦っていたんだ……?」
少年は気づけない。
目の前の男は本来の在り方とは別の、機械的に相手を屠るだけの側面を持った英雄。
そんな者がわざわざ少年との戯れに付き合う理由がない。
ならば狂戦士は少年と戦わなければならない何かがあったはず。
男の意思を捻じ曲げられる存在、少年はその存在に身に覚えがあった。
「まさか、コイオス……!」
『バーサーカー、もうサンプルは充分だ。例の“呪厄”も使わないようだし、本来の指令に戻ってくれ!』
「了解した」
昨晩のように、虚空から声が響く。
この世界には存在しない念話の魔術、隠す気など毛頭ない交信に少年は遅まきながら全てを察した。
脳裏に蘇るのは非力な学者風の男神。
マスターたる彼が、本来の指令に戻れと告げた。
今までの戦闘は彼にとってお遊戯、これからが本番。
ようやく理解出来た瞬間、少年は弾かれたように背後……リヴェリアの護衛をしているリューと輝夜の元に走る。
狂戦士は初めて呪槍の真意を解放した。
「【蠢動しろ、死棘の魔槍】」
「ちっ! 【此処に幻想を、此処に奇跡を。顕現するは絶魔の神器、アルマテイアの皮、コルヌコピアの角、ネクタルの泉】」
比べ物にならない闘気……殺意が少年の背中を刺すが、絶えず詠唱を続ける。
女神から学んだ『高速神言』、セイバーから継いだ『九■■の鎧』を発動させつつ、無意識のうちに並行詠唱を完成させているのは、彼の才能か、出自ゆえか。
一瞬にしてリューたちの元へ辿り着き、すぐさま態勢を反転させる。
すなわち彼女たちを背にし、守れる状態に。
突如現れた少年にリューは驚きを隠せなかった。
「ラクス、何をして……っ」
「リオン、ゴジョウノ、アールヴ! 俺の後ろから離れるな!!」
突飛な命令とも言える少年の発言に、三人は頭に疑問符を浮かべる。
説明している暇はない。その証拠として、嘶く呪槍が獅子のように顎門を向けている。
象徴するは『死』。逃れられない必中の因果。
それこそ、アイルランド最強の英雄たる由縁。
すなわち――
「――【
「――【
相対するはギリシャ最硬の盾。
左腕を掲げ、幾重も編まれた魔術の盾が少年を含めた四人を守る。
遍く総てを絶やし妨げる、その輝きは蛇の怪物を殺害した薄鈍色。
真紅の一槍と白銀の防壁。
宿る意思は奇しくもお互い同じだった。
――『使命』のため。
男は主人からの命令。
少年は女神との約束。
冷徹な殺意と意固地な決意の行く末は、今決まろうとしていた。
リューと輝夜は状況が分からず、リヴェリアは眼前の魔法に瞠目する。
そして、呪槍と銀盾が激突する。
「「「「「「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」」」」」」
何度目か分からない爆風と熱気が背後の三人のみならず、安全地帯の
多くの者は撃風に目を瞑り、レベルの低い者は吹き飛ばされる。
ただ、レベル5であるリヴェリアだけが、その一幕を見る事が出来た。
……否、見てしまった。
「……………………ぇ?」
弱々しい声が、あの【
そんな声を漏らす程、今の状況は度し難かった。
次いで、息を呑む音が聞こえた。
それがいち早く戦場に戻れた輝夜のものだと気付いたのは、数秒経ってから。
最後に目を開けたリューの瞳に、ブラリと宙を浮く
赤い粒をたくさん撒き散らしながら、放物線を描く。
「ラクス!! 腕が……腕が!!!」
それは、ラクスの左腕だった。
「やはり、貴様は守ったか」
男は既に帰還した槍を携え、ラクスに侮蔑を注ぐ。
その視線だけで私は尻込みしてしまいそうだが、幸いにも男の方に意識を割く暇がなかった。
「輝夜、早く応急処置を! 私は
「あ、ああ……!」
先が千切れた左肩を抑えるラクスに駆け寄り、私は詠唱を始める。
「血が、止まらない! っ、今すぐ治します、【今は遠き森の歌、」
「大丈夫だ、リュー」
「え……?」
そこで、腕が千切れたとは思えない、儚い声が耳に入った。
顔を上げれば、真摯に此方を見つめるラクスの瞳がある。
呼び方も変わっていて、別人格にでも移り変わったと言われた方がまだ納得できる。
その状態で、彼は手持ちのポーションをかけようとしていた輝夜の方を向いた。
「輝夜も、わざわざポーションなぞ使わなくていい」
「っ、だが、お前の腕が、」
「……まあ、これは慣れているから問題ない。里じゃ、もっと酷かったからな」
まるでお昼の道を散歩するように、彼は立ち上がって千切れた左腕を拾った。
「それに、覚悟はできた」
そして、片方の右腕で、仮面を外す。
少しだけ彼の素顔に根拠のない異物感を覚えたけど、そんなものを打ち消すほど、彼の顔は整っていた。
予期せぬ美形に、頬が意図せず染まるのを肌で感じる。
言葉を失う私と輝夜を、彼は物珍しいそうに見つめた。
「不快感があるはずだが……呪槍を受けたエネルギーで、幾分かマシになっているのか。叶うならば、この状態でアリーゼと会いたいものだ」
「貴方は、いったい……」
私のうわごとを流して、彼は先程以上に目を見開き、彼を見つめているリヴェリア様に話しかけた。
「リヴェリア。アリーゼづてに頼んだ
「……あと5分もあれば完遂するだろう。アリーゼ・ローヴェルとガレスも配置についている」
「それは重畳。やはりアリーゼは素晴らしいな」
聞き逃してはならない言葉が聞こえた気がしたけど、私にその言葉を吟味する余裕はなかった。
己の失言に気づいていないで、彼はリヴェリア様に再度目配せする。
「リヴェリア・リヨス・アールヴ、王族の身でありながら自由を求めた勇敢な妖精よ。清廉な判断の下、どうか、俺と契約を結んで欲しい」
「何を、言って……」
「今からするのは懇願でも命令でもなく、契約だ。貴方の願いを一つ聞く代わりに、今から行う罪禍だけは見逃してくれ」
リヴェリア様は、私たちと同じく彼の言うことに理解が追いついていない。
罪禍……すなわち、今から彼はハイエルフの琴線に触れるような所業をする、ということか……?
未だに首をかしげるリヴェリア様に彼は軽く微笑んで、返答を待たずに棒立ちになっていた狂戦士の方を向いた。
「さて、待たせたな」
「くだらん、俺が止まる理由なら分かっているだろう」
「また
「慣れん煽りはやめておけ。
彼らの話す内容は一つもわからない。
まるで、別世界のことのように、私たちと彼らとの間には決定的な線が引かれている。
「まさか、アイルランドの神子がこのような所業をしでかすとは、影の女王が嘆くぞ」
「御託はいい。さっさと貴様の切り札を見せろ」
待機のスタンスを崩さない狂戦士の言葉に、彼はニヤリと弧を描く。
「なあ、バーサーカー。お前の槍、そして鎧となる外骨格は『呪い』が源なんだよな」
「ああ。如何なる芸当で俺の槍を逸らしたのかは知らんが、不治の呪槍を食らった以上、お前の左腕は二度と戻らん」
どんな万能薬を持ってしても、細胞の活性化さえ妨げる『呪い』たれば、治すことは不可能。
驕りでも、油断でもなく淡々と手の内を明かす狂戦士はただ事実を告げる。
常人ならば絶望する事実に、彼は嘲笑する。
「あぁ、やっぱり――――俺とお前、相性最悪だよ!」
「「「〜〜〜〜〜ッ!」」」
裂かれた左肩から、闇が溢れ出る。
「此より呼び戻すはある種族の宿業にして、憎悪と羞悪の集合体!」
手が、足が、彼の肉体が、漆黒に染まっていく。
「憎き妖精たちよ、我らを辱めた怨念を此処に解放しよう!」
不治の呪いを喰らい、左腕は取り込まれる。
「刮目せよ、滂沱せよ、我こそは〝呪厄″の末裔なり!」
人としての輪郭が消え、蟲のようにゲラゲラと蠢く。
呪厄・限定解放
ここに、『呪』の化身が現れる。