ボクの夢、それは『怪獣たちと友達になること』だ。
子供の頃から、怪獣たちと楽しくお話が出来たら良いなと思っていた。
ゴジラ、モスラ、ラドン、アンギラス、その他沢山の怪獣たち……彼らに聞いてみたいこと、教えてもらいたいことは山ほどある。たとえばなぜ街を壊しに来るのか、好きなものや嫌いなものは何なのか、人間たちのことをどう思っているのか……とかね。
もしも怪獣たちがボクたち人間の言葉を喋ったら、一体どんな想いを表現してくれるのだろう。
その夢は、大人になっても変わらなかった。
怪獣と仲良くしたい、怪獣と話がしてみたい。そんな幼い頃からのボクの夢は、怪獣の研究者になってからは『人間と怪獣の平和的共存』という研究テーマへ発展した。
反響定位による対怪獣コミュニケーションシステム〈オルカ=システム〉に関する共同研究に参加したのもその一環だ。怪獣の生体音、つまり『怪獣の言葉』を話すことを可能にするテクノロジー、オルカ=システム。これをモノに出来ればあるいは、という考えがあったから。
だけどオルカ=システムでは失敗した。
怪獣たちが悪いんじゃない、人間側の問題だ。結局のところ人間側に怪獣の言葉を読み解ける者はいなかった。それどころか愚かな人間たちはオルカ=システムで怪獣たちの言葉を弄び、凶悪な宇宙超ドラゴン怪獣キングギドラを呼び寄せて世界中の怪獣を二手に分けた『怪獣大戦争』を引き起こしてしまい、最終的にはよりにもよってゴジラにその尻拭いをさせるという大失態を犯す羽目になった。たとえ怪獣の言葉を発し、怪獣の言葉を聞けたとしても、その想いが読み解けなければ通じ合えたなどとは到底言えないのである。
ボクが目指した次なる発明は、そうしたオルカの反省を踏まえてのものだ。
結局、人の身であるボクらがいくら耳を澄ませても、怪獣たちの言葉はわからない。怪獣の言葉は人に通じない。なら、怪獣たちに
転機となったのは、かつて世界を破局寸前にまで追い込んだあの『シヴァ紅塵破局事件』。あの大事件で一躍注目を浴びることになった『アシハラ論文』と
アーキタイプとは、いわば怪獣の素材になっている高次元分子だ。その名称は哲学者プラトンが提唱したイデア論のようなこの世のあらゆる生物から逆引きした末に辿り着く理想の“かたち”、つまり『原型:アーキタイプ』から生物の多様性を語ろうという進化論以前の生物形態学における試みに由来している。
かの分子にいち早く言及していた『アシハラ論文』によれば、この世界の怪獣は爬虫類や昆虫のような既存の生物たちがアーキタイプを因子とした変異を促された結果生まれたものであるという。さらに『シヴァ紅塵破局事件』後の調査で、アーキタイプの素となる紅塵がカンブリア紀の地層から多く産出されることが判明してからというもの、『先カンブリア時代に起こったという生物の門の爆発的多様化、いわゆる“カンブリア爆発”も実はアーキタイプが原因ではなかったか?』なーんてこじつける珍説すら出ているくらいである。
無論、何もかもすべてをアーキタイプだけで語り切れるほど怪獣の世界は浅くも無ければ一枚岩でもないが、それでもアーキタイプの発見は怪獣界隈、いやこの世界の科学や産業全般において大きな変革をもたらしたのもまた事実だ。
素材として精製すれば軽量堅牢、優れた剛性と展性、人体には無害でおまけに自己修復する機能もある。また触媒としては『空間のみならず時間を折り曲げて束ねてしまう』という特殊な性質があり、たとえば『ゴジラの放射熱線を一万倍にして跳ね返す鏡』だとか『答えを先取りして算出する魔法のランプのような超時間計算機』だとか、これまでになかった
理論上は怪獣ですら創り出せるという高次元分子アーキタイプ。にわかに研究が進み始めたそれらに対し、『ある種の指向性を与えてみる』というのがボクのアプローチだ。怪獣たちがアーキタイプによって作られたというのなら、アーキタイプに働きかければ怪獣の在り方を変えることも出来るのではないか? そしてその変化を任意の方向へと誘導制御することができたなら……?
その試行錯誤の道程は決して容易いものではなかったけれど、それは成功した。
水爆大怪獣ゴジラは、アーキタイプから創り出したボクの発明により人間に
「やったあ、大成功だ!」
研究の成功を前にボクは、隣にいる自分の研究助手とハイタッチを交わそうと手を伸ばす。助手は少々戸惑い気味ではあったけれど、すぐに応えてくれた。
「まさかこんな日が来るなんて……」
「ああ。でもこれは奇跡なんかじゃない。科学の勝利さ!」
ボクと助手の研究について、『あそこの研究室はこの頃いったい何をやっているのだろう?』とモナークの中でも陰口を叩かれていたのをボクは知っている。
けれど、それも今日で終わりだ。こうして人類は怪獣と意思疎通する手段を手に入れた。しかし、これはまだほんの始まりに過ぎない。本題はこれから、ボクたちの研究はまだまだ始まったばかりなのだ。
……さて。ボクはさっそく、保護されて研究所に迎えられたばかりのゴジラの方へと振り返った。
ヒトへと姿を変えたゴジラの背丈はおおよそ120センチくらい、比較的小柄なボクでさえも見下ろせてしまうほどだ。シミ一つない艶やかに整った顔立ちとふわふわの髪、つぶらな目には宝石のように燦然とした光を宿していて、その瞳が秘める深淵さは奥にまで吸い込まれてしまいそう。
そんなゴジラに、ぼくは呼び掛けた。
「これでやっとキミとお話しできるよ、ゴジラ。さあ、何か話してごらん」
ところが、当の本人からは返事がなかった。
「えっと、どうかした?」
「…………」
ボクが促してみてもゴジラは無言のまま、辺りを見回しながら目をパチクリさせているだけだった。一体どうしたというのだろう。何か気になることでもあるのだろうか。それともこの天才のボクが何か失敗を? 言語パックのインストールは成功していたはずだけれど……??
「……はぁー、やれやれ」
そんなボクを横目で見ながら助手が溜息をついていた。
なんだよう、何か言いたいことでもあるの? そう訊ねるボクに、助手は「いいですか、博士」と眉をしかめた。
「いきなり違う生き物に変身させられて、しかも見覚えのないところに連れてこられて、『何か話せ』って、それは無茶が過ぎませんか? まずは新しい体や環境に慣れてもらわないと」
……ふむ、なるほど、一理ある。たしかにボクも気を急ぎ過ぎたかもしれない。
「博士のコミュニケーション能力がダメダメなのは今に始まったことじゃあないですけど、子供相手にするときくらいちゃんとしてください。可哀想じゃないですか」
「うっ」
ううぅ、助手の言葉のナイフはいつもながら突き刺さるなあ。
助手の鋭い舌鋒にボクが大いに凹んでいると、「……おい」と声を掛けられた。
振り返るとゴジラが口を開いていた。かつては鋭い牙と裂けた口、獰猛そのものだったゴジラの
その口から、これまた舌足らずでスイートな、キュートで愛くるしい声が言葉を紡いだ。
「おい、おまえ、だれだ?」
ご、ゴジラが、しゃべってる……っ!
ボクは感動のあまり卒倒しそうになった。言葉が喋れる、つまり脳の構造もちゃんとヒト化できているということ、ひいてはボクの長年の夢が叶ったということだ。
怪獣とコミュニケーションがとれる。怪獣たちと楽しくお話が出来る、友達にだってなれる。そんな夢のようなことが、本当に……っ!
「きいてるか、おい。おまえ、だれなんだ」
苛立たしげに問いかけるゴジラの声で、ボクはようやく我に返った。おっといけない、たしかにボクはゴジラのことをよく知っているけれど、ゴジラはボクのことなんか知らない。
おほん、と咳払いで場の空気を締め直してから、ボクは畏まって告げた。
「ボクは〈セリザワ〉、モナークの科学者さ。ボクたちはキミと友達になりたいんだ」
そう言って自己紹介したボクを、小さなゴジラは宝石みたいな大きな目をぱちくりしばたかせながら見上げていたけれど、やがてこう答えた。
「……そうか、よろしくな、セリザワ」
「よろしくね、ゴジラ!」
さて、と。
挨拶は済ませたことだし、まずは互いをより深く知り合う必要があるよね。
「ではさっそく裸の付き合いを……」
「はいそこまで」
ゴジラを抱きあげて浴場へ向かおうとするボクだったのだが、それを助手は遮った。
「ダメに決まってるじゃないですか、博士とお風呂なんて」
な、なんでっ!? 戸惑うボクに、助手は白い眼を向けながら切って捨てる。
「だって博士、ロリコンですし」
ろ、ロリ……ロリコン!? ボクは憤慨した。
「失敬な、ボクは可愛い幼女が好きなだけだ!」
「どこに出してもけしからん立派なロリコンじゃないですか」
「ロリコンだなんて人聞きが悪い、柔らかいぷにぷにの身体をちょっぴり愛でさせてもらえたらなあ、って思ってるだけじゃないか! それのどこが悪い!?」
「何もかも悪いですね。そんないかがわしい下心全開な危険人物に、幼気な女の子のお風呂なんて任せられるわけないでしょうが」
そう言ってボクから庇うように、ゴジラとのあいだに割って立つ助手。
「『怪獣の
……はあ、やれやれ。ありがちな誤解だな。
ボクは嘆息した。天才のボクの助手ともあろうものが、イマドキそんな偏見にまみれたことをのたまうなんて。
「あのねぇ、言っておくがコミケこと『コミックマーケット』はそういういかがわしい本ばかりを扱っている場所ではないよ」
「はあ、どうだか……」
なおも懐疑的な助手に、ボクは「いいかね」と言って聞かせた。
「コミケには『評論島』というのがあってだね。ボクはそこに集まっている在野の怪獣研究家と交流を深めているんだ」
優秀な学者はなにもモナークや大学お抱えばかりではない。
GPN:ゴジラ予知ネットワークの主幹として注目を集めているシノダ親子や、ムートーの電磁パルスパターンを解析した核物理学者のブロディ博士、かの『シヴァ紅塵破局事件』の解決で一役買った自律機動ロボット:ジェットジャガーとその頭脳中枢である人工知能ナラタケを開発したオオタキ ファクトリーのアリカワ=ユン氏……怪獣に関して言えばこのボクですら舌を巻くような素晴らしい研究者や技術者たちが、在野の世界にも沢山いるのだ。
そしてコミケの評論島は、そういう人々が集まってくる大切な機会の一つなのである。
「博士はそういう方々とお会いになっている、と?」
「そうだとも。これも人材交流、立派な研究の一環さ。コミケの評論島と言えば、キミの甥っ子のケンキチ君だって参加してるんだぜ」
「はあ、ケンキチが?」
ケンキチ、という名前が出た途端、助手の様子が変わった。
「知らなかったのかい。ケンキチ君はゴジラ界隈でも名の知れたなかなかの大人物だよ。彼の書いた同人誌と研究論文、どれも正式な学会に出してはいないが、ボクの目から見ても幾度となく唸らされたものだ」
「そう、なんですか……?」
「ボクは専門分野、ゴジラに関して嘘は言わん」
ボクが初めて読んだケンキチ君の研究論文『A Private Consideration of Godzilla's Strucuture:ゴジラの体内構造に関する私的考察』――本来は彼が通う大学の卒業論文として書かれたもので、ケンキチ君本人は『不真面目』扱いされて卒業単位を貰えず留年する羽目になったのでかなり不貞腐れていたようだったけれど――は、ゴジラの心臓部とされる生体原子炉の暴走が引き起こす危険な破局を示唆したもので、それは微に入り細を穿ったとても見事なものだった。そういった彼の数々の論文はモナークでも高く評価され、ケンキチ君へモナークへのスカウトがあったほどだ。
その誘いについてはケンキチ君当人は『ゴジラ研究は飽くまでも趣味でやりたいから』と固辞していたけれど、昨今の日本学界におけるポスドク研究員は実入りが良くないとも聞く。他方ボクたちモナークはいつだって人手不足、優秀な人材は誰でも大歓迎だ。もし機会があればまた誘ってみようとボクは思っているのである。閑話休題。
「とにかく、キミも一度来てみると良い。難なら今年の夏コミ、ボクがエスコートしてあげようか? 面白いものがたくさん見られると思うよ」
「う、うーむ……」
そう言うボクの誘いに、助手は逡巡しているようだった。
今でこそボクの助手を務めているけれど彼女とて怪獣研究者、学究の徒の一人だ。興味が無いはずがない。
助手はしばらく悩みこんでいたが、やがて「あっ」と素っ頓狂な声を上げた。
「いーや、騙されませんよ!」
騙されない、って何が?
「お風呂ですよ、お風呂! そう言って話逸らして、適当に丸め込むつもりでしょう!? 騙されませんからねっ」
……ちっ、誤魔化されなかったか。勢いで行けないこともないかと思ったのに。
「それにコミケで買ってないとしても、通販でその手のいかがわしい本頼んでるの、知ってるんですからね」
「あ、なッ、それを持ち出すのは反則だ、プライバシーの侵害だッ」
「それが嫌なら、自分宛の荷物くらい自分で受け取ってください。いくら厭人癖だからって研究助手のわたしにその手のものを受け取らせるの、公私混同も甚だしいし下手すればセクハラですよ」
「ぐ、ぐう……っ!」
まさしく正論である。ぐうの音も出ない。
「ま、とにかく、ゴジラの身の回りの御世話についてはわたしがしますんで。博士は手出さないでくださいね、手出したら通報しますから」
ああん、殺生な!
それからは大忙しだった。
報道向けの記者発表に各関連機関との打ち合わせ検討会、そしてそれらと同時並行してロリ化したゴジラの経過観察も行わねばならない。
ようやく落ち着いたのは、実験成功から一ヶ月も経ってからのことだ。
「いただきます」
久々の休日。ボクと助手、そしてゴジラ、三人で囲うのんびりとした朝食。今朝のメニューはトーストとベーコン、そしてサラダと卵。ロリになったゴジラは慣れない手つきではあったけれど、それらを美味しそうにハムハムと食べている。
……うふふ、可愛いなあ。こんな風に“推し”と一緒にご飯を食べられる日が来るなんて、ボクはなんて幸せなのだろう。
「博士、いつまでもゴジラを見つめてニヤニヤしてないでさっさと食べてください。片付かないじゃあないですか」
うふふ、助手が何か言ってるけど聞こえなぁーい。
「……なあ、助手」
「なあに、ゴジラ?」
「セリザワ、いつも“こう”なのか?」
「ええ。キモいでしょう? こういうオトナになっちゃダメですよ」
「……そうだな」
うふふ、うふふふふふ……。
両手を頬杖について満面の笑みでゴジラに見惚れているボクを、助手は呆れ混じりの胡乱な目付きで睨んでいたけれど、当のボクは幸せ過ぎたのでまったく気にならなかった。
やがて助手は「……やれやれ」と深めの溜め息をついてからボクに言った。
「ま、良かったですね、博士。あのゴジラを再定義した発明、世間からは結構好意的に取られてるみたいですよ。もっとも、怪獣保護で有名な〈巨神擁護機構〉とか各地の女性権利団体とかからは批難殺到みたいですけど」
その一言で、ボクは幸せ気分の夢心地から急激に現実へと引き戻され、嫌ァ~なことを思い出してしまった。
……『世間が好意的』? ふん、何が良いものか。
「あら、不満ですか」
「ああ、不満だとも」
「やっぱり女性権利団体の方で?」
「いや、違う。見たまえよ、この見出し」
そう応えながらボクが助手に見せたのは、今朝のスポーツ新聞だ。
「〈ロリ化ジェンデストロイヤー〉とはなんだね、ロリ化ジェンデストロイヤーって。記者会見ではちゃんと正式名称も発表したじゃあないか」
ボクの発明、正しい名称は『ORD-ALICE:
無論、大手マスコミや国営放送のニュースともなれば流石に正式名称で呼称してくれるのだけれど、それより下のレベルになると酷いものだった。スポーツ紙、週刊誌、ワイドショー、インターネットニュース……どいつもこいつも、いつの間にかロリ化ジェンデストロイヤーなどといういかがわしい名称で囃し立ててばかりいる。
そんな現状にボクが憤る一方、助手は淡々と言った。
「でもちゃんとした由来があるようですよ。かの〈オキシジェンデストロイヤー〉に比肩するとてつもない発明だと」
「オキシジェンデストロイヤーだってェ?」
その言葉にボクはますます苛立った。
オキシジェンデストロイヤーと言えば、水中の酸素を一瞬にして破壊してあらゆる生物を窒息死させたあとに液化してしまう酸素破壊剤、『禁断』『悪魔の兵器』の異名でも知られておりその殺傷力は核兵器にも匹敵すると言われるほどの危険な化学兵器だ。その恐ろしい威力のあまり、開発者は製造法を明かさないまま自殺してしまったという都市伝説さえ残っている。そんな物騒な代物に因んだ命名をされるなんて、開発者としてはまったく心外も良いところである。
「ボクがORD-ALICEを創ったのは怪獣たちと共存してゆく、共に生きてゆくためだ。オキシジェンデストロイヤー? ハンッ、縁起の悪い。あんな碌でもない人殺しの道具と一緒にしてもらっちゃあ困るねっ」
「ORD-ALICEなんて気取った名前よりロリ化ジェンデストロイヤーの方がわかりやすいし、よほど実態に即してる気がしますけどね」
「なんか言ったかい?」
「いえ、別に。ごちそうさまでした」
ぷんすか怒るボクを宥めながら、助手は朝食の片付けまで済ませて洗面所へと向かった。
「おや、どこかにお出かけかい?」
ボクの問いかけに、助手は「はい博士」と答えながらおめかしを終えて余所行きの上着を羽織る。
「今夜わたしは遅いので、博士の方のお昼と夕食は御自分で用意してくださいね。今日フィールドワークですよね、お小遣いはテーブルの上に置いてありますから無駄遣いしないで下さいよ」
「おいおい、ボクは子供じゃあないんだぞ」
「子供みたいなものじゃないですか。わたしがいなけりゃ着替えの下着も出せないくせに」
「うっ……痛いとこ突くね……」
反論しようにも事実“そう”だから、ボクとしては返す言葉がない。確かに助手の言う通り、助手が用意してくれなければボクは風呂上がりの着替えも用意できないのだ。
これ以上やりあってると却ってドツボにハマりそうなので、ボクは話題を変えることにした。
「で、どこに行くんだい」
「どこでもいいじゃないですか、そんなの。プライバシーの侵害ですよ」
そっけなく答える助手に「相変わらずつれないなあ」とぼやいたところでボクは思い出した。
……ははあ、そういえば今日は『あの日』だったか。ボクは言った。
「ああ、そうか。今日は〈オガタ〉とデートだったね。楽しんでおいで」
「ッ!?!?」
オガタという名前がボクの口から出た途端、助手がびくんっと僅かに跳ねたのが見えた。
オガタというのはかつてヤマネ博士の研究室で共に教えを受けていたボクの同期で、モナークでも同期にあたる研究者の男だ。科学者としてはごく普通の凡人だが正直者かつ正義感の強い男で、しかもボッチ……もとい孤高の天才であるこのボクと未だに友達付き合いを保ってくれている気の良い好漢である。
あとついでに言えば、オガタは助手の恋人でもあった。
「……オガタさんから聞いてたんですか?」
そう訊ねる助手の顔は、頬が僅かに朱く染まっているように見えた。どうやら今回のデートに関して、ボクに秘密にしていたつもりだったようである。
いつものクールビューティを装うつもりで動揺したままの助手に、ボクは颯爽と答えた。
「いや、別に? 他人のデートの予定を聞き出すような野暮な真似はしないさ」
「じゃあ、どうして?」
首を傾げた助手に、ボクは説明する。
「先日、キミのカバンからブダペスト弦楽四重奏団、クラシックのコンサートのペアチケットがはみ出していたからね。そんなところにキミがペアで行くとしたらオガタとデートくらいなもの、だろ?」
天才のボクにかかればこんなもの、推理でも何でもない。
そう勝ち誇りながら助手の顔を見たのだが……
「……ホント気持ち悪いですね」
「えっ」
助手は心の底から嫌そうな目をしていた。ずばりドン引きである。なんでや。
「博士のことは前々から危ない人かもしれないとは思っていましたけど、まさか他人のカバン覗くなんて……サイテーです、今度から気をつけなくちゃ」
「ち、違う! 今のはカバンの端っこからはみ出してただけで……」
「もう、いいです。わたしは出掛けますから。ではごきげんよう、博士」
「あ、ちょ、ちょっと待っ……」
ばたんっ。
ボクの目の前で、叩きつけるように扉を閉められてしまった。
呆然とするしかないボクの後姿を見ながら、トーストの切れ端を頬張っていたゴジラが呟く。
「……セリザワ。きらわれたな」
……ふ、ふん! ま、まあいいさ!
助手もなんだかんだ言ってちょろい性格をしているし、オガタとのデートが上首尾に終われば気分も上々で帰ってきてくれることだろう。
それよりも今日のことだ。諸々に追われて多忙を極めたこの日頃、ようやくフルで取れた休日だ。有効利用しなくては。
朝ご飯をぺろりと掻っ込んでから、ボクは告げた。
「さてボクとキミの二人だね、ゴジラ。食べ終わったら出掛けようか」
「でかける、どこへ?」
そう訊ねるゴジラに、ボクは微笑みかける。
「東京、フィールドワークさ」
ボクとゴジラのフィールドワーク。まあ要するに『東京見物』だ。
ロリ化ジェンデストロイヤー……じゃなくてORD-ALICEでヒト化したゴジラは、これから人間の世界で生きてゆくことになる。いつまでもこの研究所の中に閉じ込めておくわけにはいかない、少しずつ人間の世界に慣らしてゆく必要がある。
そんなわけで、ボクはゴジラを連れて東京見物に向かったのだった。
おめかししたゴジラ――ロリになったゴジラに似合うような良い具合のフリフリの可愛らしい服を助手が見繕ってくれた。助手曰く「博士もいい歳なんだからちょっとは興味持ってくださいよ」――と共に研究所を出たボクは、あらかじめ用意しておいたICカード乗車券を手に東京の中心部を巡る環状線へと乗り込み、しばらく電車に揺られて降りた先は環状線の東側。ここは東京でも有数のビジネス街にして歓楽街、東京らしさを一番感じられるのはここだろうと思ったのだ。
「ここが ニンゲンの マチか……」
ボクに手を引かれて歩くゴジラは、覚束ない足取りであちらこちらを見回していた。宝石の瞳には興味深げな光が灯っている。
ゴジラがかつて東京を襲ったときのことを覚えているかどうかはわからないけれど、こうして人間目線、それも子供の目線で見るのは初めての経験のはずだ。とても新鮮に思えるに違いないのである。
……さて、そうこうしているうちに第一目標に到着。ボクは足を止めて、ゴジラに紹介する。
「ここは日比谷! 昔は初代ゴジラの銅像が置いてあったんだよ」
「……いまは?」
「今はシン・ゴジラの像が置いてあるね。前にあった初代ゴジラの像は映画館の中に置いてあるみたい。そうだ、今度一緒に映画でも観に来ようか? 怪獣物とかSFとか色々揃ってて楽しいと思うよー?」
「えいが? テレビで見るのと ちがうのか?」
「ああ、そうか知らないんだよね。『映画』というのは本来テレビで見るものじゃなくて、こういう劇場で観るものなんだよ」
「……わざわざ 見にこないと いけないのか?」
「テレビで観るのとは全然違うよ。音響も映像の迫力も凄いんだから。今日はスケジュール的に厳しいけど、次また来ることがあれば行ってみようか」
「ふーん。おもしろそうだな」
「ここが数寄屋橋!」
「……どこが はし なんだ?」
「うーん。昔は橋だったらしいんだけどねぇ。昔は恋愛映画で有名だったんだって。よく知らないけど」
「『君の名は』か?」
「いや、あの映画に数寄屋橋は出てこなかったと思うけど……」
「そっちじゃないぞ」
「えっ(携帯端末ポチポチ)……あっ、ホントだ、『君の名は』って同じタイトルの映画に出てくるんだ、知らなかった……なんで知ってるの?」
「インネンの あいて だからな。『君の名は』には初代もシン・ゴジラも やぶれた。愛のチカラには ゴジラも かなわない」
「……???」
「まあいい。つぎは かつ。いくぞセリザワ」
「あ、ああ、うん……」
「ここが銀座! 美味しいものや綺麗なものが沢山あるんだよ」
「ヨクボウの はきだめ だな」
「……そういうの、どこで覚えてくるの?」
「助手が すきなテレビドラマ で やってた。黒革の手帳、ヨネクラ=リョウコ が でてるやつ」
「助手の奴、また教育に良くなさそうなものを……まあそういう世界はボクたち一般人には縁の無いものだから」
「そう、なのか?」
「うん、それにドラマは飽くまで作り話だからね。現実の世界の方がずっと面白いよ」
「ふむ、そうか……セリザワは いっぱんじん、なのか?」
「一般人……いや、違うかもなあ……まあ、少なくともそういう世界には縁の無い、善良な一般市民だとは自負しているよ」
「ふーん、そうか」
「銀座の時計塔! 凄く綺麗でしょう?」
「カネの おとが うるさいな。こわしてやろうか」
「いやダメだよ」
「これを こわすの ダメか?」
「ダメだよ。怒られちゃうよ」
「おこられるのか?」
「しばらく出入り禁止喰らうくらいには」
「そうか。こわしがい ありそうなのに」
「……ちょっと聞きたいんだけど、その『壊し甲斐』ってどういう基準で決めてるの?」
「うーん……きぶん?」
「気分、気分かぁ~……(気分で壊されたら堪らないだろうな……)」
「……おいセリザワ」
「どうしたの、そんなところに座り込んで」
「つかれた」
「え?」
「あるきたくない。どうにかしろ」
「ど、どうにかって……」
「おんぶしろ」
「仕方ないなあ……よっこいせっと」
「おお、めせん が かわったな……これが オトナの めせんか」
「ゴジラをおんぶした科学者なんてボクが最初で最後だろうな……まあ、重くないからいいけど」
「ここが築地! 昔、魚市場があったところだよ」
「むかし? いま は ちがうのか?」
「ちょっと前に豊洲へ引っ越しちゃったんだって。今も細々とやってるところはやってるみたいだけどね」
と喋っているときに、ボクの背中に負ぶわれたゴジラは、これまでにない反応を見せ始めた。
くんくん、すんすん。
鼻を鳴らして辺りを嗅ぎ回っている。何を探しているのだろう、と様子を見守っているうちに、ゴジラが口を開いた。
「うみ の におい……」
海の匂い。魚の匂いがするということだろうか。そうこうしているうちにゴジラはスルリと背中から降り立ち、やがて振り返ってボクへと告げた。
「……はらへった。さかな が たべたい」
さかな、魚だろうか。そう言われてみればもうお昼、昼飯時だ。言われてみると確かに、ボクもお腹が空いてきたような気がしてくる。
魚が食べたい、ということは魚介、刺身か、それとも寿司かな。
「そうだねぇ。そろそろ御飯にしようか」
「よし、いくぞ」
「えっ、行くってどこに……ああっ、ちょっと待ちなさいったら!」
あーもー、さっき『疲れた』とか言ってたくせにっ、とボクがぼやく間もなくゴジラはスタコラ速足で歩いて行ってしまう。
……着いたのが昼過ぎだったのは幸運だった。築地市場の一番混む時間は午前中、それも朝方だ。昼過ぎにもなると人も疎らで、閉まっている店も多い。
しかし、かといって追い駆けるのが楽かというとそうでもない。通行人を掻い潜りながらちょこまか進んでゆくちっちゃなゴジラを見失わないよう、ボクは汗だくになりながら必死に追い駆ける。
「ちょ、ちょっと、待って……!」
そして息を切らして辿り着いた先は、築地市場の片隅にある小さな海鮮屋だった。
ボクがぜーはーぜーはー言っている一方で、ゴジラは店の看板へ食い入るようにしながら声を張り上げた。
「このあかいやつ! あかいやつ が たべたい!」
ゴジラが指差していたのは、看板のメニュー写真にある寿司の盛り合わせだった。ネタは大トロ、中トロ、赤身が2貫ずつ計6貫。さらにアオサの味噌汁がつくらしい。
……ふむ、マグロか。
ゴジラに関して意外と知られていない事実だが、 ゴジラの原種に当たる生き物は本来肉を中心とした雑食性であり、海洋生物であることを踏まえれば魚食、つまりゴジラは魚を好んで食べるのである。
ゴジラの名の由来となった大戸島の
……だけどまさかマグロが好物だとはね。『マグロを喰ってる奴はダメだ』って? 誰が言ったのそれ。
ヒト化した影響でゴジラの味覚が変わっている可能性はなくもないが、これまでの研究と照らし合わせても矛盾はないし、ゴジラの好物がマグロというのは間違いないことだろう。
「じゃあ、ここにしようか?」
ボクがそう確認すると、ゴジラはそのもちもちの顔を綻ばせながら「うん!」と元気良く頷いていた。
それから一時間後。
「いやぁ、くった、くった」
そう言って「けぷー」と満足そうにゲップしながらお腹をさするゴジラと、ボクは一緒に店を出た。
それにしても本当によく食べたものだ。こんな小さな体のどこに収まっているというのか、ゴジラはマグロ寿司の盛り合わせを山のようにモリモリお代わりしていた。
「たくさん食べたね……」
店の暖簾をくぐってからボクは、ちらり、と財布を見た。助手が用意してくれていたお小遣いもとい予算だけれど、ゴジラが予想以上に食べたおかげでかなりオーバーしてしまっている。足りない分はボクのポケットマネーで補うけれど、これちゃんと経費で落ちるかなぁ。まあ落ちるよね、一応研究名目のフィールドワークだし。
そんなことを考えながら歩いているうちに目的地へと辿り着き、ボクはゴジラへ告げた。
「ここが
ボクの紹介にゴジラは「ふーん……」と頷きながら橋をしげしげと観察していたが、やがて橋の欄干によじ登って手摺へと身を委ねていた。ぼんやり見つめる視線の先は築地大橋のその向こう側、つまりは東京湾の方だ。
そんなゴジラを見ているうちに、ボクもふと思い至る。
「海が恋しいの?」
ボクの質問に、ゴジラは頷くでもなく首を左右にするでもなく、ただぽつりと答えた。
「ニンゲンになったら、海では くらせないからな。おわかれだ」
「……そっか」
それもそうだ、とボクはようやく思い至る。時折上陸してくることこそあれどゴジラ本来の生活圏は海の中、海から上がった陸の世界は未知そのものだ。
しかし今後もゴジラがヒトとして生きてゆくのなら、海へ帰ることはできない。これからのゴジラは陸での生活を余儀なくされ、そこでの暮らしに慣れなければならないのだ。そんな生活がゴジラにとってどのようなものなのか、ボクは考えもしていなかった。
「……ねぇ、ゴジラ」
「なんだ、セリザワ」
本当はキミはどう思ってるの?
そう訊ねようとした時、向かいの歩道から声がかかった。
「あぶないっ!!」
へ、何が……?
と振り向いた瞬間、ボクの視界へと飛び込んできたのは、顔を真っ赤にした一人の男が此方へ駆け寄って来るところだった。手には刃渡り30センチもあろうかという大きなナイフが握り締められており、切っ先がぎらりと光っている。
「ひゃァ!?」
咄嗟にゴジラを抱きかかえ、ボクは尻餅をつきながら身を躱す。ナイフの一撃を回避された男は、舌打ちしながら怒鳴り散らしていた。
「くたばれ、このゴジラ狂信者め!!」
ご、ゴジラ狂信者? 何のこと??
状況が理解できないボクたちに構うことなく、男は訳の分からないことを喚きながらナイフを振りまわしてくる。だけど今のボクはちっちゃなゴジラを抱きかかえて、しかもその場に引っ繰り返ったまま。さっきは咄嗟に避けられたけれど今度ばかりは逃げ切れない、そう思った。
ところが、次の瞬間。
「どりゃぁっ!!」
歩道の向こうから別の青年が飛び込んできて、ナイフ男めがけてショルダータックルをぶちかました。
不意を突かれたナイフ男は「ぐぇっ!?」と手に握っていたナイフを取り落としてしまった。ナイフ男が慌てて拾おうとするけれど、タックル青年は抜け目なくナイフを蹴り飛ばし、橋の欄干の隙間から川へと落としてしまった。
凶器を失ったナイフ男だが、タックル青年に取り押さえられながらなおもボクたちへ襲い掛かろうとする。
「は、はなせ、怪獣至上主義者の、
「大人しくしろ、このイカレ野郎めっ!」
他方、タックル青年は武道の心得もあるようで、なおも暴れるナイフ男を相手に巧みに立ち回り、懐に入り込んでから背中へ担ぎ上げた。豪快な一本背負い、ナイフ男の身体がふわりと宙を舞い、コンクリートの地面へ思いきり叩きつけられる。
「ぐぼおっ!」
ナイフ男の口から、肺から空気を絞り出されたときの間抜けな呻き声が漏れる。かくしてナイフ男はノックアウトされてしまった。
そうこうしている間にもう一人、今度は若い女性が「ハルオ先輩!」とタックル青年の方へ声をかけながらこちらへと駆け寄ってきた。手には携帯端末、さっそく警察に通報してくれたようだ。
ナイフ男を倒したタックル青年とその場で警察に通報してくれた女性、安全を確保したのを確認した二人がこちらへと振り返る。
「あんた、怪我は!?」
「大丈夫ですか!?」
そう言って口々にボクたちの心配をしてくれる若いカップル。彼らはどうやらたまたまの通りすがりで、ボクたちの後ろから襲い掛かろうとしたナイフ男にいち早く気付いたので助けに入ってくれた、ということらしい。
正直状況についていけてなかったけれど、ボクはなんとか言葉を絞り出す。
「ええ、なんとか……ありがとうございます」
ボクが御礼を言うと、男女は「……よかった」「すぐに警察が来ますからね」と心から安堵してくれていたのだった。
続きます。