SAO RTA any% 75層決闘エンド 作:hukurou
フォールンエルフの村は本人たちの言う通り隠れ里なのだろう。もとより外からの来客など想定していないようで兵士のために武器や防具を取り扱う店はあったが、宿屋はなく、食事を提供する店も一件だけある酒場のみだった。
だがその酒場の店主は店に入って来たミト達を見ると、ばつが悪そうな顔をした。
「今夜は貸し切りなんだ。悪いが他所に行ってくれないか」
「他所って言っても……この村の酒場はここだけって聞いたけど……」
ミトが言いよどむと、店主は慌てたようにカウンターからでてきた。
「とにかく無理なものは無理なんだ。早く出てってくれ」
店主はミト達を押し出すように店の外まで出てくると、さっと扉の札をCLOSEに裏返し慌てたようにドアを閉めた。
「なるほど。こういう展開になるのか」
納得するように頷くケイにアスナが尋ねる。
「こういう展開って?」
「巫女の話だよ。後悔することになるって言っていただろう」
「まさか、嫌がらせでもされているってわけ」
ミトの疑問に答えたのはアリアだった。
「きっとボクがいたからだ」
アリアはフードを目深にかぶり、ケイの服の裾を掴んだまま肩を落としている。
「前に食い逃げでもしたのか?」
「そんなわけないだろう……」
軽口への反応もキレがない。
「どうしましょうか。他にお店はないみたいだけど」
ミトはあたりを見回す。
「やっぱりボクは帰る……」
少女が小声で言いかけた言葉をキリトの声が遮った。
「なあ、なんか匂わないか?」
キリトがスンスンと鼻を鳴らす。
「な、なによ……!」
アスナがさっとキリトから距離を取るが、キリトはそんなことお構いなしにスンスン鼻を鳴らしながら、一歩、二歩と歩き出した。
ミトもまねしてみると、確かにかすかにだが食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。風向き的には酒場の厨房から漏れ出てくる匂いというわけではなさそうだ。
「時間的にはNPCも食事を始める頃合いなのかもな」
ケイが村を見回す。
「行ってみようぜ。ごちそうしてもらえるかも」
キリトの言葉にアスナが呆れたように腰に手を当てた。
「そんなことあるわけないでしょ」
「いえ、そうとも言い切れないかも」
ミトは異論を述べた。
「このゲーム、結構NPC民家の役割が多いのよ。始まりの町の宿屋もINNの看板が出ている場所は少なくて、実際は家主に交渉して部屋を貸してもらう方が一般的なくらいだし」
「それにただの宿屋より民家の方が待遇は良かったりするしな。俺がベータ時代に愛用していた1層の農家なんかじゃ広々とした2階を全部貸し切れるうえに、風呂あがりにうまい牛乳も飲み放題だったんだぜ」
「お風呂? じゃあ、この村でもどこかにお風呂を貸してくれる家があるかもしれないってこと?」
アリアの家には簡単なシャワーはあるものの浴槽はついていなかった。そのことを残念がっていたアスナは目の色を変えキリトに顔を向ける。
「お、おう。でもまずは食事が先な」
「わかってるわよ。ほら、早くいきましょう」
風向きを確認してはスンスンと鼻を鳴らし先導するキリトはまるで犬みたいだとミトは思った。幸いにして忠犬キリトは道に迷わず、匂いの元へすぐにたどり着いた。
立派な家だ。生木を切れないという制約のためか土壁が多用されているこの村の家はどこか地味で質素な印象を受けることが多かったが、この家は違う。土台はしっかりとした石造りで重厚感があり、壁は白いタイルで装飾されている。
問題の匂いはこの家の煙突からなびく白い煙が元のようだった。
「この家だ。俺が探索しようとしていた場所」
ケイをたしなめるようにアリアが袖を引く。
「迷惑をかけるなよ。ここに住んでいるのは里の長老だ」
「長老か。物知りなのか?」
「里では一番」
「そうか。じゃあ、むしろ訪ねないわけにはいかなくなった。俺たちはこの階層の守護獣の情報を求めている」
そういってケイは止める間もなくドアをノックした。
「あっ勝手なことを……!」
アリアは不満げに口をとがらせる。
「開いておるよ。用があるなら入ってきておくれ。こちらは今手が離せないんでの」
長老の家は山奥のロッジを彷彿とさせるような間取りだった。日本式家屋ではないため玄関はない。廊下もなく、ドアの向こうがいきなり大きなリビングに直結している。右側の壁には暖炉に薪がくべられ向かいにはローテーブルと大きなソファーが置いてある。それとは別に部屋の中央には8脚の椅子が備えてあるダイニングテーブルまであり、誰かを家に招いても不自由する心配はなさそうだ。
声の主、この家に住むという長老は暖炉を真剣な表情で見つめていた。視線の先にあるのは串焼きだろうか。炎から程よい距離に刺さった金属製の串には小ぶりな肉が刺さっており、老人はそのうち一つを手に取ると壺に入ったたれを塗り込み再び火にくべる。
匂いの原因はあれだろう。今もミト達の目の前でジュージューと炙られるたれ付きの肉はてらてらと炎を照り返し、得も言われぬ香りを部屋に充満させている。
「時にご老人」真っ先に部屋に入ったキリトが素早く長老に近づくと真面目な顔で語りかけた。「そのお肉はいくらで譲っていただけますかな?」
「ほほほほほ」
老人はにっこりキリトに微笑んだ。それだけだった。
キリトがそーっと手を伸ばすとザンっと老人とは思えない動きで繰り出された鉄串が暖炉の灰に突き刺さる。キリトはすごすごと戻って来た。
「なあ、ケイ《秘鍵》と交換だったらいけると思うか?」
「ばかなこと言うんじゃないわよ」
アスナが呆れた顔でため息を吐く。
「あっ、じゃあアスナはもし串焼きが手に入ってもいらないんだな」
「そんなこと言ってないでしょ! ミト、なにかいい考えはないかしら?」
なにを馬鹿な事をとはミトも思えなかった。この食欲をそそる匂いは間違いなく醤油かそれに準ずる調味料だ。アインクラッドの町には色々な国籍の料理を出す店が軒を連ねているが、不思議と醤油味の食べ物というのには出会ったことはなかった。
そのことに思い立ってしまうと、漂う香りは鼻腔を突き抜けミトの日本人としての魂を揺さぶってくるようで。
つまり、ありていに言ってしまえばミトも食べたい。
「俺に一つ考えがある」
やはり頼りになるのはこの男だ。そう思ってミトが振り返るとケイは剣の柄に手をかけていた。その後ろではエルフの少女がシャレにならない目付きで彼を見張っている。
「冗談よね……?」
恐る恐る尋ねるとケイは軽く肩をすくめた。
「なあ、お爺さん。ものは相談なんだが、その串焼き……いや串焼きはいい。そのタレだけでも分けてくれないか? お礼は《フォレストラビット》の肉をおすそ分けってことで」
「ほう……?」老人はピクリと眉を動かすと、先ほどよりも感情のこもった笑みでタレの入った壺を差し出してきた。
「そういうことならば、存分に使うといい」
◇
ということでミト達は急遽、長老宅の台所を借りて料理をすることになった。初めはレストランを探し、その次は料理を食べさせてくれるNPCを探していたはずだが、何がどうなったのかミト達がNPCに料理をふるまうことになってしまった。
だが、醬油味のタレのためなら惜しくはない。
「ふっ、つくづく倒せてよかった。いや、こいつはこうなることをわかっていて俺たちの前に現れてくれたのかもな……」
キリトが遠い目をしながら取り出したのは今日の探索中に偶然遭遇した《フォレストラビット》のお肉だ。
SAOのモンスターはアクティブモンスターとパッシブモンスターの2種類が存在する。前者はプレイヤーが索敵範囲に入ると問答無用で襲い掛かってくる好戦的な敵で、後者はこちらから攻撃するまで襲い掛かってこないおとなしいモンスターだ。
しかし、中には稀にこの分類に従わないモンスターも存在する。こちらを発見するや否や一目散に逃げだすレアエネミーがその典型であり、《フォレストラビット》もベータ時代に数件の目撃情報が上がっていた有名なレアエネミーの一体だ。
各階層の森エリアで稀に見られると言われているこのモンスターは、広い索敵範囲と逃げ足の速さからベータ時代にはついに撃破報告が上がらなかった。ミト達もケイの高レベルな索敵と隠蔽による先制攻撃が決まらなければ倒すことができなかっただろう。
そうしてドロップしたのがこの食材アイテムというわけだ。こういうゲームのお約束ではレアエネミーは多くの経験値を持っていたり、有用なアイテムをドロップしてくれるものなのでミトとしては少しがっかりしたのだが、これに食いついたのはキリトだった。
レアエネミーからドロップする食材など絶対美味しいに違いないと喜び、大切にストレージに保管していた。それをここで使ってしまうらしい。いや、あの肉を一番おいしく食べる方法をこの香ばしい匂いに見出したのだろうか。
まな板の上に肉が乗る。ウサギから取れるものだからだろう、ずいぶんと小ぶりだ。それを前にして包丁を持ったキリトが固まった。
「なあ、俺《料理》スキルを取ってないんだが、包丁を入れたら耐久度がなくなって食材がパアなんてことにはならないよな?」
「じゃあ、他のもので試してみたら。どのみちそのお肉だけじゃ足りないでしょ」
「それもそうだな」
アスナに言われてキリトはいったんウサギ肉をしまうと、脂ののった塊肉をだし一口大にカットすると串に通していった。幸いにもこのくらいの工程ならばスキルがなくとも大丈夫なようで、キリトが危惧したような展開にはならなかった。
「私も手伝うわ」
ミトが腕をまくるとアスナも隣にならんだ。
「私、次のスロットが解放されたら取ってみようかしら、《料理》スキル」
「いいんじゃない。次は簡単な串焼きじゃなくて、ハンバーグとかシチューとかにしてもおいしそうよね」
準備は手早く進んでいく。ケイは出来上がった串を暖炉に運び、長老と共に焼き具合を確かめている。食材は肉ばかりではなく、魚を丸ごと豪快に焼いてみたり、暖炉の灰の中で焼き芋を作ったり、簡単なスープもついて下手なレストランよりも豪華な食卓になった。
「おいしい……!」
アリアも串焼きを食べ、ひそかに目を丸くしていた。食事中の口数は少なかったが、その表情を見れば彼女も満足してくれたであろうことは疑いようもない。
ミトはアスナと目を合わせてひそかに微笑みあった。
食後、上機嫌な老エルフがふるまった、香りのよいハーブティーを楽しみながらゆったりとした時間を過ごす一行の中で、ケイが思い出したように口を開いた。
「なあ、爺さん。俺たちはこの階層の迷宮区を攻略するつもりなんだ。待ち受けるボスについてなにか知ってることはないか?」
ミトは緩んだ表情を引き締めて耳を澄ませた。老人はケイに目を向けると一度マグカップに口をつけ、長い口髭の奥からゆっくりと言葉を発した。
「……天柱の守護獣は摩訶不思議な数字とパズルの怪物じゃ。かの魔物に触れられるのは難解な謎解きに挑み、知恵を示した者だけだと言われておる」
「……数字とパズル? ねえ、もしかしてだけど……」
どこかで聞いたことのあるような組み合わせに想像力を掻き立てられたアスナはこわごわと周りを見渡した。
「ここのボスって殺されたパイサーグルスさんの怨霊だったりしないかしら……?」
「い、いやさすがにないだろう……ここのボスは手足の生えたルービックキューブのはずだぞ」
ベータの知識でキリトが答える。
「でも、これまでだってボスは変更されてたじゃない」
「それは、確かに。でもそうすると領主クエストがなぁ……」
キリトが首をひねっていると長老が意外な反応をした。
「パイサーグルスか、懐かしい名を聞いたな……」
「爺さん。パイサーグルスを知っているのか?」
キリトが反応すると老人は一度頷いた。
「お互い長く生きていると奇妙な縁を持つこともある……。かの御仁とはスタキオン建立以前からの付き合いじゃ。それにしても、そうか、殺されたのか……」
「いえ、まだ殺されたって決まったわけではなくて……」
アスナはスタキオンのクエスト内容と、ベータ時代の結末をあくまで予想だがと前置きして語った。
「……その予想は正しいじゃろうな。あの御仁が我を忘れるほどの怒りなど抱けるはずもない。ましてや、たかだかパズルを巡って人族を殺すなど考えられはせん。解けないパズルなど渡されれば、むしろ喜んで何年でも頭を悩ませ続けるだろうよ。なにせ時間はたっぷりとある」
ケイが尋ねた。
「さっき爺さんはスタキオン建立以前からの付き合いだと言っていたな。パイサーグルスは何歳なんだ?」
「正確な年齢は分からない。じゃが、人族の範疇は超えておるじゃろうよ……。ともすれば儂より長く生きておったかもしれない……」
「ええ!? もしかしてパイサーグルスさんって人間じゃないんですか?」
アスナが驚きに目を丸くする。ミトもベータ時代には明かされなかった設定に興味をひかれた。
「詳しいことは分からぬ……。じゃが、人族というよりはわれらエルフに近い存在であった……」
老エルフは目を細めると、姿の見えぬ誰かに祈るように黙祷をささげた。
「……それで、守護者がかの御仁の怨霊かという話じゃったが、それはありえないじゃろう……。パイサーグルス殿は生前、天柱に挑み守護獣を調伏しておる」
老人は目を開けるとアスナにそう言った。
「えっと、じゃあもうボスは倒されているってことですか?」
「倒すまでには至っておらん。あくまで調伏しただけじゃ。彼は守護獣の摩訶不思議な力を奪い取り、街づくりに利用したのじゃ」
「街づくり?」
言葉を肯定するように老人は頷く。
「おぬしらも見たじゃろう。スタキオンの町はすべてが小さな立方体で作られている。あれこそが守護獣から奪い取った力の御業じゃ。かの魔物の力を封じ込めた黄金のパズルを手にもち《ブレイク》と唱えれば無機物はたちまちそのまとまりを失い小さな立方体に分解されてしまう。立方体は《バインド》の力により自在につなぎ合わせることもできる。パイサーグルス殿はそうして森と岩ばかりのあの地にたったの7晩で立派な街を作り上げた」
あの町の隠された設定にミト達が驚く中、ケイは即座に疑問を口にした。
「《バインド》や《ブレイク》ってのがプレイヤーに使われたらどうなる?」
「ブレイクが意味を成すのは金属や植物だけじゃ。ネペントなどなら効果があるが、人には効かぬよ。直接はな。しかし身に着けている武器や防具は壊れてしまうじゃろう……。そしてバインドだが、これは人にも効果がある。一時的にではあるが体が地面につながって動かなくなってしまうのだ。ゆめゆめ気を付ける事じゃ」
「その力は元は守護獣のものなんだよな。まさかボスも使ってくるのか!?」
キリトが顔を青ざめさせた。ミトも顔を引きつらせる。ブレイクとバインドはどちらも厄介極まりない特殊攻撃だ。装備が破壊されてしまえば戦力低下は避けられないだろうし、拘束攻撃を受けてしまえば追撃は免れない。何の対策も持たずに挑めば甚大な被害を受けることになるだろう。
「いや、その心配はない。パイサーグルス殿は優れた術師でもあったのだ。黄金パズルの魔力の源は確かに守護獣から奪った力であったが、それを今のように引き出しているのはパズルに施されたまじないの力によるものじゃ」
「ならよかった」
キリトが安堵の息を吐いた。
「じゃあ、ボスはどんな攻撃をしてくるんですか?」
ミトの質問に長老はゆるゆると首を振った。
「わからぬ。わしも直接は見ておらんでの。パイサーグルス殿がいうには、やはり知恵を示した者だけが守護獣に挑むことができるとのことじゃ」
それからミト達はどうにか情報を聞き出せないかと質問を重ねた。中には興味深い昔話を聞きだせるものもあったが、ボスに関してはこれ以上有用な話は得られなかった。話題は次第に脱線していき、ケイがベータ時代の話に触れた。
「そういえば、知り合いの冒険者から聞いた話だとこの周辺には《瞑想術》を得意とする老人がひっそり暮らしているらしいんだ。爺さんは知ってるか?」
《瞑想》はベータテスト時代に唯一その存在と獲得方法が知られていたエクストラクエストだ。習得クエストをくれるNPCが6層西の湿地帯、つまりこのエリアにいるというのも有名な話だった。
「……ほう? 人族に出会ったのは久しかったはずじゃが。奇妙な噂もあるものじゃ……」
老エルフは興味深そうに片眉をあげると、一度頷いた。
「まあ、よい。いかにも儂が瞑想術の達人にして伝道師であるよ。して、お主らは《瞑想術》の習得をお望みか?」
老人の頭上に【?】マークが出現する。クエスト開始のフラグだ。ここで頷けばこのまま瞑想スキルの修行に移るのだろう。
「ちょっと待ってくれ。今考える」
キリトが老エルフに断りを入れると、皆を見た。普段ならエクストラスキルと聞けば真っ先に飛びつきそうなものなのに、今はどこか迷っているように見える。
「どうする?」
「どうしましょうか?」
ミトもあいまいな返事を返す。キリトが悩んでいる理由は彼女にもよくわかった。ベータテストでは《瞑想》スキルの効果はとにかく微妙で使いどころに乏しかったのだ。
「ねえミト、瞑想術っていったい何なの?」
アスナは話の展開についていけないように目をパチクリとさせている。
「このゲームには特殊な条件を満たさないと習得できないエクストラスキルがあるって話はしたわよね。《瞑想》もその一つなの。」
「エクストラスキル? イスケさん達の《体術》やケイさんの《吟唱》みたいな?」
ミトが頷くとアスナは明らかにひるんだ様子を見せた。
「わ、わたし髭の落書きなんていやよ」
ケイが《体術》スキルの習得クエストの際に顔に髭の落書きをされていたことを思い出したのだろう。初対面の時はイスケやコタローのように顔の下半分を覆うマスクをしていたので分からなかったが、その後食事の際などに彼の顔にある特徴的なフェイスペイントを見たときは相当特殊なセンスの人なのかと驚いた記憶がある。今となっては笑い話だが。
「うっ。いやでも、瞑想術のクエストは体術ほど面倒じゃなったはずだし、あんな特殊なイベントは起きなかったはずだ」
あの後ちゃっかり自分も《体術》を習得しに行き、被害にあったキリトが頬を抑えながら老人に聞いた。
「なあ、爺さん。瞑想術の修行って何をするんだ。何かいたずらとかされたりしないよな」
「瞑想術の修行は瞑想そのものじゃ。そうじゃのう。心を静め一時間も瞑想を維持できるようになれば、まずは及第点といったところか。……いたずらはされたいというのなら考えてやろう」
「い、いや。遠慮しておきます」
キリトは俊敏に首を振ると、ミトとアスナに目配せをした。
「とりあえず覚えるだけ覚えておく、ってことでいいか?」
「それでいいんじゃないかしら? ケイもそれでいいわよね?」
ミトが会話に参加してこないケイに話を振ると、彼は興味なさげにお茶を飲んでいた。
「いや、俺は遠慮しておくよ。使い道が思い浮かばないからな」
「どういうこと?」
アスナが尋ねるとケイは指を2本立てた。
「《瞑想》の効果は2つある。HPの回復速度上昇と状態異常耐性バフだ。だが、戦闘の前に数十秒も瞑想をする時間を確保するのは現実的じゃない。使えるのはボス戦くらいだろうけど、ボスの使う状態異常は少しばかり耐性スキルを上げたくらいじゃ防げそうにない。HP回復に関してももっと汎用的な《戦闘時体力回復》を取った方が役に立ちそうだ」
ケイの言葉はベータテスターが《瞑想》スキルを低く評価した理由そのものだった。
「そ、それでも俺はエクストラスキルの可能性を信じるぞ」
ミトはケイの言葉にやっぱり習得は先送りでいいかと思いかけたが、キリトは逆にやる気をだした。ケイはその言葉に一度考えるそぶりを見せる。
「可能性か……。確かにベータ時代の情報を過信しすぎるのもよくないな。正式版ではクエストNPCも変化しているようだし、そもそも以前はスキルレベルが低い時点での評価だ。大器晩成型のスキルという可能性も否定できない」
ケイは口元に手を当てると、老エルフに視線を向けた。
「そこのところどうなんだ?」
「ほほほ。そなたは多少瞑想への理解があると見える。じゃが、瞑想とはまことに奥が深きもの。入り口に立ったくらいでは深淵は見通せまいよ」
「ではそこには何がある。伝道師殿」
「それは己の精神で感じ取るものじゃ。……だが、それでは納得しなさそうであるな。いうなれば瞑想の極致とは精神の盲目と束縛からの解放にある。なればこそ、極めれば覚醒に至ることもできよう」
「覚醒?」
聞きなれない言葉をミトが復唱する。
「然り。瞑想術とはすなわち自己を見つめなおし内なる世界を見出すもの。世界に意識をめぐらし、外なる世界を感じ取るもの。内と外、二つの世界が一つに重なる時、心身は肉体という軛から解き放たれ、真なる自由を得ることじゃろう」
「なんだかよくわからないが……」
ケイは口角を釣り上げた。
「面白そうだ。やってみよう」
老エルフの頭上のマークが【!】へと変化する。クエストの受諾状態へと移行したのだ。
「お主もやってみると良い」
「……ボクは遠慮しておきます」
「瞑想には聖樹の呪いを鎮める効果もある」
アリアは最初老エルフの誘いを断っていたが、続く言葉で考えを改めたようだ。ミトはNPCがエクストラスキルを習得することなんてできるのかと疑問に思ったが、止める理由もないので流れに身を任せた。
皆がテーブルから降り暖炉の前に車座になると、老エルフは言った。
「ではまずは、瞑想の型を伝授しよう。わしの動きを真似してそのまま1時間維持してみよ」
老人は座禅を組むと手の平を上に向けて膝の上に置いた。
「ゆっくりと呼吸を行い、そのまま、精神を静かに保つのだ」
パチパチと薪の爆ぜる音だけが静寂に響いている。
瞑想術は目を開けたまま行うらしい。ミトは老人に言われるがままに頭を空っぽにした。時折浮かんでは消えていく考え事を極力頭から追い出す。身じろぎもせず、頭も使わずにいると、確かに感覚が研ぎ澄まされていく感じがする。自身の心音に呼吸音。誰かの小さな衣擦れの音。暖炉の熱。床の感触。空気に残った食べ物の匂い。
1時間は想像より早く経過した。
「ここまでで良かろう。これでお主たちも瞑想術の戸口には立てたはずじゃ」
ふう、と皆がこわばった息を吐き背筋を丸めた。ミトは自分のスキルスロットに新たに《瞑想》の選択肢が表示されたのを確認するとひそかに笑みを浮かべた。
「して、これからさらなる《覚醒術》の修行に入る。お主らは3時間瞑想を維持するよう努めるのじゃ。ただし、今度は儂が瞑想の邪魔をする。心を乱されれば修行は最初からじゃ、良いな」
そのまま《瞑想》の極致にあるという《覚醒術》の修行に入ったミト達であったが、修行は一筋縄ではいかなかった。3時間という長さもそうだが、鼻歌を歌ったり、話しかけてきたり、またあの串焼きを作り出したりと老エルフの妨害がことさらに厄介だ。5感から刺激が入るたびにミトの集中は乱れ、なんども老エルフからやり直しの宣告を受けた。
そもそもNPCにミトの精神状態なんてわかるのかと疑問に思ったが、考えてみたらこうして体を動かしているのだって脳波を読み取っているからなのだ。集中力の有無や大まかな感情を読み取るくらいはできても不思議ではない。なによりあてずっぽうにしては老エルフの言葉は的確過ぎた。
苦戦しているのはミトだけではない。アスナもキリトも集中を切らしてはリトライをし、アリアにいたっては早々に習得をあきらめてソファーでハーブティーを飲みだした。
ケイのことは本当に分からない。この男だけは一度も集中を乱さずに死んだような目で静止し続けている。
結局アスナは覚醒術の修行が開始してから1時間後に4度目のやり直しの宣告を受けてあきらめてしまった。いや、もともと彼女の興味は長老宅の浴室にあったのだから本懐を果たしに行ったとみるべきか。しばらく後、髪をしっとりと濡らし肌を赤く染めた彼女は、満足そうな表情で長老宅から出て行ってしまった。
それから1時間後、ケイはついにノーミスで《覚醒術》を習得し、部屋を出ていった。
「ほほ。末恐ろしい男じゃわい」
老エルフが茶碗を叩く箸の動きを止め彼を見送った。
長老の大きなくしゃみに驚き6度目の再スタートを宣告されたミトは、ソファーに座って徒労感と戦っていた。時刻は既に11時に迫ろうかとしている。今から3時間と考えれば習得は深夜になるだろう。頭ではアスナのように諦めてしまうことが最善だとわかっているが、素直にその選択を選ぶのには抵抗がある。
これはミトの持論だが、格ゲーマーに負けず嫌いでない人間はいない。
この難易度の高いクエストに対して久しぶりにミトはそのことを思い出していた。命の危険もないというのなら意地を抑える必要もない。
とはいえ、現実はもどかしいばかりだ。
ミトは何かがつかめそうで、するりと指から抜けていくような感覚を覚えていた。最初の5分程度は乗り越えられるのだ。だが数時間となるとどうしても集中力が切れ雑念が入ってきてしまう。
悩むミトに30分前から座禅を組んでいるキリトが静かに独り言を言った。
「心を無にすると刺激に対して却って無防備になる。ただ静かに一つの物事を集中して考え続ける方が良い」
老エルフはキリトに失格を告げなかった。彼は話しながらも瞑想状態を維持し続けていたということだ。そしてそれはアドバイスの有用性を証明していた。
ミトは再び座禅を組む。彼女は暖炉の前に陣取っていた。
キリトのアドバイスを実行に移すとして何を考えればいいのか。
現実のことは気が滅入りそうでやめた。ゲームの未来を考えると不安に押しつぶされそうでやめた。仲間のことを考えるとどうしてもアスナが出てきてしまい、やはり現実のことを意識してしまうのでやめた。
結局、ミトはただ一心に揺らめく炎を見つめ続けた。無限に姿を変え続けるオレンジの光はいつだってミトの予想と違う動きを見せた。いつまでだって見つめていられた。
彼女が課題をクリアしたのはキリトが小屋を去ったさらに後、深夜2時半を過ぎてからだった。