SAO RTA any% 75層決闘エンド 作:hukurou
夜の部開始までの数時間を1階での定番ゲームに興じて資産の増加を図ったクライン達であったが、その成績は可もなく不可もなくといった所だった。コインは増えたり減ったりを繰り返しながら、結局は微増したところでバトルアリーナ夜の部が始まった。
「やっぱりこれよ! これ!」
クラインはテーブルゲームのうっ憤を晴らすように肩をぐるぐると回しながらチケットカウンターに向かう。
「掛け金はどうするんだ?」
「もちろん。オールイン!」
ぐっと突き出された親指。完全に味を占めている。
キリトの脳裏にベータ時代の記憶がよぎる。かつての彼もカジノ高額景品を目指してこのモンスターアリーナに挑戦したことがあった。結果はなんと4連勝。後一勝すれば目標金額に到達すると喜び、欲望に目がくらんだ彼が次の試合で全コインをつぎ込んだところ、最後の最後で勝利の女神にそっぽを向かれたのだった。
キリトはかつての教訓に苦い顔をしたが結局は何も言わずに見送った。言ったところで鼻息荒く列に並ぶクラインがそれを聞き入れるかは微妙な所だったし、風林火山のメンバーが納得しているなら部外者のキリトが口を出すことではないだろう。
「ふふふ。これで7000コイン……」
怪しい目つきで掛札を握りしめるクラインは次の試合の詳細が書かれた紙を凝視している。ラスティーリカオンVSバウンシースレーター。
2体のモンスターの名前の下にはオッズが書かれている。リカオンは2.38、バウンシースレーターは1.73。払い戻しの倍率は客のかけ金を反映して決定しているため、この闘技場ではバウンシースレーターの方が人気を集めていることが分かる。
しかしクラインが賭けたのはラスティーリカオン側だ。そちらが勝つと虎の巻に予想されていたためである。
試合開始まではしばらく時間がある。今はまだ光量の多い観客席でNPCの楽隊が奏でるBGMに包まれながらキリトは今一度虎の巻について思索を巡らせた。
結局、このアイテムは何なのだろうか。
午後の部の5試合すべての結果を的中させている以上、このアイテムがただのジョークアイテムという可能性は低くなった。単純な2分の1でも5回連続的中させる可能性は1/32――4%以下だ。偶然にしてはできすぎている。
ただ、数%以下の確率なんていうのが往々にして起こるのがゲームの世界というもので、キリトが過去にやっていたゲームでもドロップ率1%のアイテムがたまたま一回で落ちることもあれば、逆に珍しくもない敵が出て欲しい時に限って意地悪く出現しないなんてこともある。
これだけでは決定的な情報とは言えない。
虎の巻の真相を掴むことは攻略組に少なからぬ利益をもたらす。クライン達だけでもすでに相当額のコインを手にしているのだ。どこかで予想が外れて大負けする前にこのアイテムのからくりがつかめれば、皆に多額の利益を得たままギャンブルを辞めさせられる。
やはりカギとなるのはこのアイテムを売りに来たというNPCだろう。その人物を見つけることができれば何かしらの進展があるかもしれない。キリトはそう考えて夜の部が始まるまでの数時間、クラインとは別行動でレクシオまで足を延ばしたが、その足取りを掴むことはできなかった。
かくなるうえはアルゴにでも連絡を取ってみるか。SAO随一の情報収集能力を誇るあの抜け目のない情報屋なら、このアイテムに関しても何かしらの手がかりをつかんでいるかもしれない。
ただ、その程度のことをケイがしていないとも思えない。彼が皆にカジノを止めさせないということはおそらく有力な情報は上がっていないのだろう。
切り口を変えてみる。薬草を求める母親に病気の娘がいるように、あるいは造船禁止令の原因に木材の流通不足が起きていたように、SAOのクエストには必ず背景にNPCの物語が存在する。この虎の巻が何かしらのクエストがらみのアイテムだとするなら、その裏には何者かの思惑が存在しているはずだ。
だが今のところ、クエストの核心に近づくような物語の端緒は見つけられない。
あるいは……。誰がどんな目的でという考えはクエストの意図したヒントの方向性ではないのかもしれない。むしろ注目すべきはもう一つの謎なのか。
「難しい顔してるナ」
「ああ。このイベントの落としどころについてな……ってアルゴ!?」
さも当然のように話しかけてきた小柄なフードのプレイヤーが、予期しない相手だったこともありキリトは飛び跳ねた。
「ニャハハハ! そんなに驚くなヨ!」
「気配もなく近づいてくるなよ!」
恥ずかしさをごまかすように言ったキリトの抗議にアルゴはどこ吹く風で笑い声をあげる。その様子に目を向けたクラインがやや上ずった声でキリトに尋ねた。
「な、なあキリトそちらのお嬢さんは?」
その質問にはキリトが答えるより先にアルゴが返答した。
「オレっちは情報屋のアルゴ。良い情報があれば安く買い取るし、欲しい情報があれば高く売ってやるヨ」
「普通逆だろ」
キリトが突っ込むとアルゴがニヤリといやらしい笑い方をした。
「けちけちすんなヨ。お前たちがカジノでずいぶん儲けてるってネタはもう上がってんだゾ」
キリトはげぇっと内心でうめいた。最近になって実感してきたがこの小柄な情報屋はまったくもって油断ならない守銭奴なのだ。最低限のモラルこそ持ち合わせているものの、売れるものは何でも売ると豪語する彼女の手にかかれば世間話のネタにさえ値札がつけられて販売されてしまう。キリトが警戒して口をつぐんでいるとクラインが片手を差し出してガバッと頭を下げた。
「お噂はかねがね伺っています、アルゴさん! 俺はクライン24歳。絶賛彼女募集中です!」
「ニャハハハハ! 面白いやつだナ! 気に入ったヨ! 良い情報が入ったら特別料金で売りに来てやル!」
「よろしくお願いします!」
その返答は遠回しにアルゴからはお断りされているような気がしなくもないが、口に出すほどキリトも野暮じゃなかった。そもそもクラインも冗談で言っているだけだろうし。
「それで、アルゴもモンバトをやりに来たのか?」
「いや、わけあって今はカジノに参加するわけにはいかないんだヨ」
「それじゃあ、何しに?」
「ちょっとクエストでナ。キー坊の手を借りたいんダ」
「俺の?」
心当たりが全くなく首をかしげる。
「クライン、少しの間キー坊を借りていいカ?」
「おう。こんなのでよければ好きなだけ持って行ってくれ」
「おい!」
クラインの言いぐさには少々物申したいところがあったがキリトは素直にアルゴの後についていった。チケット販売カウンターから少し離れた壁際。そこには自由行動をしているはずのアスナとミトがいた。
「あ、キリト君」
「アスナとミトもいるのか。二人はカジノには興味がないからこの町を観光してるんじゃなかったのか? それともケイの姿を見てやっぱり賭けに来たのか?」
「バカね、そんなわけないでしょ」
ミトが遠くで席についているケイを一瞥してため息をつく。
「おいおい、オイラはクエストを手伝ってって言ったんだゾ。二人もクエストで来てるに決まってるじゃないカ」
「クエスト? こんなところでか?」
「ああ、そうだゾ。それより念のため確認しておくが、キー坊はモンバトに賭けてないよナ」
「ああ」
一緒に居るとはいえ入団テスト中のクラインとは適切な距離をとっている。カジノでの行動に関しては全て彼のパーティー内で完結しており、キリトは極力関与しないようにしていた。
「ならよかっタ。このクエスト中に賭けをするとクエストは失敗になっちまうからナ」
キリトは首を傾げた。戦闘に負けるでも物をなくすでもなく、ただ賭けを行うだけで失敗するクエストなんて聞いたことがない。
「いったいどんなクエストなんだ?」
「今パーティー申請を送るヨ。クエストフラグを共有してくレ」
アルゴからの申請を受け入れると視界の隅に3人分のHPバーが追加される。同一パーティーとなったことで共有されたクエストリストを確認するためにメニューを開いたキリトは眉根を寄せた。
【バトルアリーナ夜の部第1試合で、リカオンに仕掛けられた不正行為を見破れ】
やっぱり、という思いがなければ嘘になる。
キリトの考えるもう一つの疑問。それは仮に虎の巻が本物であるとして、いったいどのように勝敗を見抜いているのかというものだ。的中率100%の予想なんて普通に考えれば怪しくないわけがない。
これは一筋縄ではいかなそうだぞとキリトは遠くに居座るケイを見た。
◇◇◇
その昔、今ではプライベートビーチとして開放されているウォルプータの海には水竜が住み着き、漁業で生計を立てていたウォルプータの人々を悩ませていた。水竜は毎年生贄を要求し、村人は内心で反発しつつも村の存続のためにこれに従わざるを得なかった。ある年、村人が生贄を捧げる季節になると、ふらりとある男が現れた。生贄を要求する竜の噂を聞いて来たという男は水竜に戦いを挑み、見事これを討伐した。
その男こそがこのカジノの秘宝《ソード・オブ・ウォルプータ》の初代所有者であった英雄ファルハリその人である。彼は生贄としてささげられるはずだった娘を嫁としてもらい、村に定住した。
そのころ、ウォルプータはどこにでもあるような寂れた漁村であった。そこに今のようなカジノができるようになったのはファルハリの家の家督争いに端を発するらしい。彼の息子は双子の男児であったのだ。
ファルハリには水竜を屠るだけの戦闘力の他に怪物を手なずける特異な力があった。ファルハリはその特殊な力を引き継いだ双子に、家督は優れた怪物を手なずけた方に譲ると宣言した。二人の息子は父の方針に従い、各々がこれだと思う怪物を手なずけて競わせることでその優劣を決しようとした。
しかし怪物を手なずけることもそれを戦わせることも初めての試みだった二人は、お互いの手懐けた怪物による決闘の前に、一度試しの勝負を行うことにした。当時これといった特産品もない寂れた村であったウォルプータの広場で、二人はそれぞれ5匹の怪物を戦わせた。これが村人にはこの上のない娯楽になった。これまで見たこともなかった迫力満点の催し物を前にして村人は双子に称賛の言葉を浴びせ、この娯楽の再演を求めた。
モンスターを戦わせる二人の評判はあっと言う間に他の街にも広がった。東のレクシオからも西のプラミオの街からも連日行われる迫力満点の戦いを見物するために観光客が訪れるようになると、さびれた漁村であったウォルプータの経済はかつてないほどに潤いを見せた。
後継者を決めるためだった試しの勝負がいつしか観客を楽しませるだけのショーに代わるのに時間はかからなかった。変化したのは勝負の性質だけではない。広場には大掛かりな柵と観客席が作られ、出店が立ち並び、ついには賭けさえ行われるようになった。ウォルプータグランドカジノの始まりだ。
それから二人の息子はそれぞれ家名をコルロイとナクトーイと名乗るようになり、子々孫々、今日に至るまで正当な後継者を決める決闘の試し……という名の興行を繰り返している。
というのがアルゴに聞いたこのカジノの成り立ちだ。不幸にもベータ時代にここで全財産を失ってしまったキリトは再起を図るためにウォルプータの町中で受けられるクエストは片っ端から受けまくった記憶があるのだが、その中にアルゴが語ったようなエピソードを話すNPCはいなかった。1,000万コルの景品や怪しげな虎の巻だけでなく、正式版でこの町に追加されたイベントは思いの外多いようだ。
自由時間を得たアスナとミトがアルゴと合流し回っていたクエストの一つがこのカジノを支配する2家のうちの一つナクトーイ家に関連するものだったらしい。その当主が言うにはこのカジノのもう一人の支配者であるコルロイ家が最近妙な動きをしており、おそらくイカサマをして金を集めているのではないかとのことらしい。
「なるほどな。それで冒険者に不正の証拠を見つけてほしいと」
「ああ。オイラの勘が正しければこのクエストは一度失敗すると二度と受けられなくなるやつダ。キー坊が協力してくれんなら心強いナ」
「まあ、やれるだけはやってみるけど」
頼られてうれしいやら、プレッシャーで気が重いやら複雑な気分でキリトはポリポリと頬をかいた。
これまでの経緯を聞いているうちに時間は経過し、試合が始まる。
「皆さま! 大変長らくお待たせいたしました! モンスターアリーナ夜の部第一試合! ラスティーリカオン対バウンシースレーター! まもなく試合開始です!!!」
マイクを持っているわけでもないのに良く通る声でアナウンスするスーツ姿の男の声に視線を向ければ、壁際に設置された大型の舞台がスポットライトで照らされる。
ほとんどが鉄格子に囲まれている檻のような空間。一部分だけ鉄格子ではなく壁に接している部分にスポットライトが集まる。ガコンと壁の一部がせりあがるように口を開けると、奥に見える暗がりの中からモンスターがのそのそと這い出してくる。
赤い毛皮の狼型モンスターに視線をフォーカスすると満タンのHPバーと共にモンスターの名前が表示される。ラスティーリカオン。反対側に現れた大型犬より一回り大きいサイズのダンゴムシにはバウンシースレーターの文字。
「どうキリト君? 何か不自然な所はある?」
小声で尋ねて来るアスナにキリトは首を振った。
「いや。今のところは何とも」
ラスティーリカオンとはベータ時代に戦ったことがある。常に2,3匹の群れで行動するあのモンスターはソロのキリトには手を出し辛いモンスターであったのだが、幸いにして1匹ずつ注意を引いてつり出す方法が分かってからは、経験値がうまいモンスターの筆頭になり果てた。下手をすれば3桁に届くかというほど戦ったモンスターの姿は今でも鮮明に覚えているが、檻の中に出てきたモンスターの姿に違和感はない。
分かりやすくふらふらと足元がおぼつかなかったり、血走った目によだれでもたらして異常に興奮していればわかりやすいのだが、ケイやクライン達のようにクエストとは関係なく賭けを行っているプレイヤーもいる中でそんなモンスターが登場するわけもなかった。
少なくとも外見上は目立った異常を見つけられないまま、モンスター同士の戦いが始まる。幾度かの攻防を経て、序盤を優勢に進めたのはラスティーリカオンだった。バウンシースレーターも反撃を試みるのだが、噛みつきも頭突きもすいすいとかわされ、背後に回り込んだリカオンの攻撃ばかりが有効打になっていく。
数多ある足を一本、また一本と食いちぎられたスレーターはゲーム的演出だろう、無口なはずのダンゴムシに似つかわしくない悲鳴を上げた。HPもみるみる減少していく。
「なんだか一方的な試合ね。リカオンが何かズルでもしてるからかしら」
「いや」
アスナの言葉をキリトは否定した。
総合的な強さでは両モンスターには大きな差はない。だがバウンシースレーターがどちらかと言えば耐久力や攻撃力に偏っているモンスターなのに対し、ラスティーリカオンは素早さに特化している。真正面から戦えばこうなるのはある程度予想ができる事態だ。それでもこれが試合として組まれたのはきちんとした理由がある。バウンシースレーターにはこの状況を打開するのに十分な特殊攻撃があるのだ。
キリトが説明するより早くスレーターはくるりと球型に体を丸めた。リカオンは畳みかけようとその爪を振り下ろすが、先ほどとは違い硬い甲殻に阻まれて有効打にならない。バウンシースレーターの外殻はソードスキルさえもはじき返す天然の鎧なのだ。あの状態でダメージを与えるのは難しい。
バウンシースレーター、直訳すると弾むダンゴムシ。体を丸めたあの姿がダンゴムシの由来なのだとしたら、当然バウンシーの名も理由なく付けられたわけじゃない。
「来るぞ……!」
バウンシースレーターの身体がグニッとたわんだかと思えばすさまじい勢いではね跳んだ。一度だけではない。戦うには十分だが決して広いとは言えない檻の中で壁に当たり天井にあたり、そのたびに弾み方を変えながら縦横無尽に跳ね回る黒い球体は、動きに翻弄され足を止めたリカオンを背中から強襲した。
「ギャウウウウンッ!!!」
弾き飛ばされ檻に激突したリカオンは悲鳴を上げる。耐久力が高くないリカオンには高すぎる威力の攻撃は一撃でHPバーの3分の1ほどを削り取った。
体勢を立て直したリカオンは今度こそ相手を仕留めんととびかかるが、それをあざ笑うかのように目前でクルリとバウンシースレーターの身体が丸くなる。牙の一撃は体に突き立つことはなく硬質な音と共にはじかれた。
そうしてまたスレーターがゴムボールのように跳ねまわる。
再びの痛撃を食らったリカオンのHPは今やバウンシースレーターのそれより少なくなっていた。見事な逆転劇に湧き上がる歓声はバウンシースレーターに賭けたNPCのものだろう。ちら、と視線を向けてみればケイはすまし顔だが、クラインやレジェブレの面々は気の毒なほど顔を青くしている。キリトとてこの状況でリカオンに大金を賭けていたら平静でいられる自信はない。
檻に衝突し倒れていたリカオンが高ダメージによる行動阻害から立ち直りのそりと立ち上がる。その時にはもうスレーターの跳ね回り攻撃のクールタイムは終わっていた。くるりと体を丸める。バウンシースレーターの硬殻に文字通り歯が立たないリカオンにとって、唯一の勝機は体を丸める前に攻撃してダメージを与えることであるが、無情にもそのような展開は訪れなかった。
「ず、ずりーぞ! 正々堂々戦え!!」
NPCが飛ばす怒声の中に聞き覚えのある声を聴いたような気がするがキリトは努めてそれを意識の外に追い出した。視線はずっと檻の中。
普通に考えればこうなってしまった以上リカオンが勝つ確率は低い。先ほどまでの動きを見る限りスレーターの動きに対応できていなかったリカオンは、焼き直しのように体当たりを食らって負けるだろう。だが、クエストはリカオンの勝利を示唆している。
ここからの大逆転があればそれはイカサマによるものであるに違いない。
キリトの視線の先でリカオンは奇妙な動きをした。四肢に力を漲らせ一声吠えると歯をむき出しに唸ったのだ。何かの技の予備動作だ。これまでの戦闘経験からキリトはそれを直感した。
果たして、その予想は当たっていた。
バウンシースレーターが体をたわませる。同時にリカオンも飛び上がった。何かのスキルなのだろう。リカオンは明らかに物理法則を無視した動きで高速回転し、赤い竜巻となって飛翔する。跳ね上がったバウンシースレーターと回転するリカオンが空中で衝突。
左右から運動エネルギーをぶつけ合った両者は火花を散らしながら数秒間空中で拮抗しあった。重なり合ったHPバーがどちらも激しく減少し始める。効果エフェクトのポリゴン片が舞い散る中、拮抗する両者。時間にすれば数秒の衝突を制したのは深紅の旋風だった。
バウンシースレーターの動きが不自然に停止しその姿が四散する。ポリゴン片を舞い散らしながら着地したラスティーリカオンは、誇らしげに勝利の雄叫びをあげた。つられるように会場が悲喜こもごもの声援でわっと盛り上がる。
試合後の闘技場は勝利に酔いしれ得意になるものと、悔しがるものに分かれた。ちらと視線を向ければクラインは前者。キリトは賭けをしていたわけではないがその表情は後者に近かった。
「……なにか分かったカ?」
「最後の攻撃はイカサマ、じゃないわよね……?」
アルゴの問いに答えたのはベータテスターとしての視点を持つミトだった。キリトの記憶にある限りでもラスティーリカオンはあんな風にとびかかって来る特殊攻撃モーションが設定されていた記憶はない。
しかし、ベータ版で見覚えがないというだけでイカサマと思うのは早計だろう。正式版で新たに追加された可能性もあるし、そもそも特殊モーションの攻撃がズルならバウンシースレーターの攻撃も規制されなければいけない。
「確かに見たことない攻撃だったけどあれをイカサマだっていうのはな……隠す気がなさすぎる」
キリトの言葉にアルゴも頷く。だがそうなるとクエストの言う所のイカサマが何を指すのかさっぱりだ。最後の大技のインパクトが強かった以外はいたって普通の試合に見えた。
なんならキリトだって最後の大技まではリカオンが負けるとさえ思っていたのだ。あのモンスターが有利になるような細工が機能していたとは思えなかった。
頭を悩ませたキリトはふたたび視線を檻に向ける。勝者であるリカオンはカジノのスタッフの手によって再び壁の穴に再び収容されているところだった。この後はきっとポーションでも飲まされて治療されるのだろう。
その時ふと、キリトの視界に違和感が残った。金属で組まれた頑丈そうな檻の一部にシミのようなものがついているのだ。一瞬単なる汚れエフェクトかとも思ったがこれまでの試合でそういう演出が発生した記憶はない。
「どうしたキー坊?」
「ああ。あそこの所……檻に何か汚れがついているなって思って」
キリトが指さす先を見てアスナが眉を寄せる。
「血、かしら……?」
「いや、このゲームでは攻撃を受けても血液は描写されないはずだ」
さすがに悪趣味が過ぎると考えたのだろうか。SAOでは切られても刺されても赤い粒子のようなエフェクトこそ出るものの明確に血液と呼べるものは描写されない。装備に泥汚れが付くことがあっても返り血で赤く染まるなんてことはこれまで一度もなかったはずだ。
キリト達の足は自然とその檻の汚れの前に進んだ。近くで見てもやはりそれは血というには少し違和感のある粘性の液体に見えた。いうなればペンキのような。
「よっト!」
アルゴが器用に鉄柵にしがみつきハンカチで拭うと赤いシミはきれいに拭き取られた。
「んー、やっぱり血じゃなさそうだナ。匂いが違うヨ……おっと、どうやらこれで正解らしいゾ」
クンクンと小さい鼻をひくつかせながらアルゴが言った。
【リカオンに仕掛けられた不正を突き止めた。依頼人に報告しよう】
更新されたクエストログを見ながらミトが疑問の声を上げる。
「この赤い汚れがイカサマの証拠って事? なにかの薬品なのかしら?」
「いや、これは薬品っていうより染料なんじゃないカ?」
「毛皮を染めて他のモンスターをラスティーリカオンだって偽っていたって事かしら」
アルゴの言葉にアスナが続くがミトはなおも首をかしげる。
「でも、ベータ時代に赤くないリカオンなんていなかったと思うけど……」
「正式版で追加されたって事かもナ……そのあたりについてはオイラ達よりニル様の方が詳しそうだし、一度戻って聞いてみようヨ」
「ニル様?」
聞きなれない言葉をキリト復唱すると、アスナが振り向いた。
「そ。このクエストの依頼人よ。私たちはこれから彼女にクエストの報告に向かうけど……キリト君はどうする? クラインさんのところに戻る?」
アスナに言われてキリトは視線を客席に向けた。そこに人に見せられないようなだらしない顔で換金所からコインを受け取るバンダナ姿の男を見つけてキリトは視線を戻した。
「いや。このままクエストに混ぜてくれ」
◇
クラインにしばらく席を離れることを伝えたキリトは熱気あふれる地下闘技場を後にした。一階につながる階段を登りきるとあれだけうるさかった歓声がピタリとやみ、楽団のNPCが奏でる品の良い音楽が耳に届くようになる。思わず気の抜けたようなため息が出たのはかつて全財産を奪われた場所で無意識的に緊張していたからだろうか。それとも友人が全財産を賭ける姿をはらはらしながら見守っていたからだろうか。
「それじゃあいこうカ」
アルゴに先導される形で2階への階段を登る。
ウォルプータグランドカジノは少なくとも外から見る限りは4階建ての建物になっている。ベータ時代には未実装だったと思わしき4階に何があるかは分からないが、1階はポーカーやルーレットなどオーソドックスな賭け事の場、2階は高額レートのVIP専用遊技場、3階はこれまたVIP専用の階層で宿泊用の部屋が用意されていたはずだ。そして件の依頼人は3階にいるらしい。
2階のVIPエリアにつながる階段は黒服の警備員とロープで仕切られていた。アルゴは彼らに慣れた様子でなにか通行証らしきものを見せると、NPCは赤いロープの端をポールから外し無言で頭を下げた。階段を登り2階へ。フロアの赤絨毯を横切ってアルゴが向かったのは正面の階段だ。それをさらに上ると3階につく。
3階のホールはこれまでと違って絨毯が黒く、控えめな照明と相まって落ち着いた雰囲気だ。思わず背筋が伸びてしまう。これまでの作りで言えば正面に見えるはずの4階への階段がない事、八角形のホールの真ん中に奇妙な半魚人の石像があることなど気になることがあったが、その静謐な空気と正面カウンターにホテルコンシェルジュのように待機している黒服NPCの雰囲気にのまれてキリトは口をつぐんだ。
アルゴは受付に再び通行証を見せると彼らは恭しく一礼する。不届き物を排除することが仕事と思われる屈強な黒服NPCの視線を気にせず、慣れた足取りで廊下の奥に進んでいくアルゴが立ち止まったのは十七号室と書かれたドアの前だ。
「誰だ……?」
「アルゴだヨ。カジノの調査が終わったんで報告に来タ」
ノック音の後に続いた誰何の声にアルゴが返答するとカチリと静かな解錠音が響き扉が内側に開かれる。
暗い。それがキリトが真っ先に抱いた感想だった。3階の廊下も窓がなく光源と言えば等間隔に設置された控えめな照明だけで明るいとは言えなかったが、この部屋はそれに輪をかけて暗かった。警戒して足を止めたキリトであったが、アルゴやアスナが気負う様子もなく入っていくのを見て後に続く。
部屋の中はいったいどこの高級ホテルだと突っ込みたくなるほど広々していた。奥の壁は一面ガラスでおおわれており、計算しつくされた角度からたっぷりの夜景が顔をのぞかせている。月光を除けばこの部屋唯一の光源であるランプが置かれたテーブルは一目で高級品だとわかる代物だし、付随するソファーも大人が優に寝ころべるほど大きなものだ。
そしてその中央に座るのはまるで等身大の西洋人形のような美しさを誇る線の細い少女。
「武器をこちらに」
「わひゃっ」
と、そこで予想外の方向から声をかけられたキリトは奇声を上げて飛び上がった。見ればドアの左側、壁際に張り付くようにメイド服を着た女の人がこちらに手を伸ばしている。正確にはただのメイド服ではない。胸部は黒い金属の軽金属装備で保護されているし、スカートや手袋も端々に金属で補強がされている。メイド服のらしさと金属防具の堅牢さを危ういところで行き来するその服装はバトルドレスという言葉がしっくりきた。
思わず頭からつま先までその装備を見分していると、ずいと無言で手を差し出される。
「あ、えっと、はい」
キリトはほとんど反射的に腰から片手直剣を外し手渡す。メイドの頭上にはNPCを表すアイコンと共に【Kio】と書かれている。
「……問題ないでしょう。ニルーニル様に失礼のないように」
キオはキリトから渡された武器の刀身をじっくりと見分し何らかの基準を合格したのか一つ頷いた。
「アルゴ、その子は?」
澄んだソプラノボイスはソファーに座った少女――キオ曰くニルーニル――から発せられたものだ。明らかに自分より年下の女の子にその子呼ばわりされ、キリトは何とも言えない顔をする。
「新しい助手みたいなものだナ。こう見えて目端の利くやつだヨ。ほらキー坊、ニル様に挨拶しなヨ」
身長が低い癖に自称お姉さんといった態度を崩さないアルゴまでが便乗してきたが、大人なキリトは冷静に必要最小限の情報だけを口に出した。
「どうも。キリトです」
「キリト……であってるかしら?」
かわされた会話は初対面のNPCがほぼ必ず行う発音チェックだ。プレイヤーの名前のイントネーションを確認するための定型的な会話にキリトが頷くとニルーニルは視線をアルゴに戻し、クエストの本題を尋ねた。
「それで、ラスティーリカオンの謎は解けたのかしら?」
「まあナ。こいつを見てくレ」
アルゴがストレージから檻に付着した赤色の何かをぬぐったハンカチを見せるとニルーニルは手にも取らずに首を横に振った。
「これは、血……じゃないわね」
「こいつが試合の後の檻についてたんダ」
ニルーニルの眉間に皺が寄る。そのまま差し出された手にハンカチを渡すと、彼女はそれを光にかざしたり匂いを嗅いだりとした後、その正体を言い当てた。
「《ルブラビウムの花》ね……。軽微な毒があるから素手で触ったのなら良く手を洗う事を勧めるわ」
「毒なのカ……? 勝ったのはリカオンの方だったのニ?」
「毒性はそれほど強くはないわ。戦闘の勝敗に影響はないでしょう。この花の主な用途は毒物としてじゃなく染料としてのものなのよ」
ニルーニルは染料がついたハンカチを乱雑に放った。テーブルの上に乗ったそれを見つめる彼女の顔に前髪がかかりその表情が見えなくなる。
「この赤い染料が闘技場の檻に、いえもともとはリカオンの毛皮についていたという事は……あのワンちゃんが本当はラスティーリカオンじゃなく、似た形の別のモンスターを赤く染めて偽っているってことになるわね?」
「オイラ達もそう思うヨ」
ニルーニルが再び顔を上げた時、彼女の瞳はらんらんと怪しく光っていた。その色は血のように深い赤。
「やってくれたわねぇ……コルロイの爺ィ……!」
ひったくるように卓上のワイングラスを手に取ると、グイッとそれを飲み干すニルーニルの姿に、ゲーム内とはいえ子供がお酒を飲むのはどうなんだとキリトは少しモヤモヤしたが保護者的立ち位置のキオがなにも言わないならとその行為は見逃すことにした。
ワインと共に鬱憤も飲み込んだのか、ニルーニルはグラスをテーブルに置くと長いため息を吐いてからアルゴに視線をやった。
「……とにかく……イカサマを見破ってくれたのには感謝しないとね。キオ」
「はい。お嬢様」
音もなく隣に移動していたキオが懐から革袋を取り出すと、アルゴに手渡した。
「毎度!」
軽く中を覗いた後アルゴが袋をストレージにしまうと、キオの頭上に浮かんでいた【?】マークが消失する。これで一先ずクエストはクリアということなのだろう。キリトはそのタイミングで口を開いた。
「あの、ニルーニル様。一つお聞きしたいことが」
「何かしら?」
「イカサマはラスティーリカオンだけに行われているのでしょうか?」
ニルーニルは心底から憂鬱だというような長いため息を吐いた。主人の機微を察してかキオがワインをグラスに注ぐ。それをまたしても一息に飲み干して少女はけだるげにグラスを置いた。
「バトルアリーナの勝敗を予想した怪しげな書物が出回っている話ならアスナから聞いているわ。それの的中率が高いこともね。これで6連勝、だったかしら」
キリトは思わず横を見るとアスナが小さくうなずいた。どうやら考えることは同じらしい。
「そして……ええ、こうしてリカオンのイカサマが現実のものとして明らかになっている以上、他の試合でも何かしらの勝敗操作が行われている可能性は否定できないわね…………。いえ、おそらく、ほぼ確実に、あの爺の悪だくみはこれだけじゃないでしょう」
一周回って愉快そうに笑うニルーニルは目だけがピクリとも動いていなかった。
「イカサマが行われるなら、試合を中止することはできないんですか?」
「無理ね」
アスナの言葉にニルーニルは首を振った。
「……グランドカジノの成り立ちは覚えているかしら?」
「はい。水竜を討伐した英雄ファルハリの二人の息子が後継者を決めるために使役したモンスター同士を戦わせるようになったという話ですよね」
「正確には、後継者を決めるための決闘を行うための試しの儀よ。当時作られた決闘の掟では試しの儀は一試合でも行われなくなれば充分に準備ができたとみなされ、翌日に本番の決闘を行うよう明文化されているの。つまり一試合でも中止すれば翌日にはこのウォルプータグランドカジノは正式にコルロイ家かナクトーイ家のどちらのものか決定しなければならなくなる。負けた方の家は資産のほとんどを失いこれまでのようにカジノを運営することはできなくなるでしょうね」
「そうなんですか」
残念そうに引き下がるアスナにニルーニルは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさいね。本当ならイカサマが行われている可能性があるなら見過ごすべきではないのだけれど……決定的な証拠がない今のままだとやれることに限界があるわ」
そこで、ニルーニルの頭上に【!】マークが出現した。次のクエストフラグの出現だ。すかさずアルゴが質問する。
「なあニル様。オイラ達にまだ何かできることはないカ?」
「そうね。もし協力してくれるというなら《ナーソスの木の実》と《ウルツ石》を集めてきてもらえるかしら。ナーソスはこの町の北にある揺れ岩の森に、ウルツ石は町はずれの河原でそれぞれ手に入れられるはずよ」
「木の実に石カ? 集めるのはかまわないけどいったい何に使うんダ?」
「二つを混ぜて煮詰めると脱色剤になるのよ。コルロイはあのリカオンを明日の最終試合にも出場させようとしているわ。そこで衆人環視の中イカサマを暴いてやれば、いくらあの爺でも言い逃れはできないはずよ。そしてイカサマの証拠さえつかんでしまえば、その代償も思う存分払わせることができるわ」
ニルーニルはほの暗い笑みを浮かべてくつくつと笑った。