SAO RTA any% 75層決闘エンド   作:hukurou

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恒例の小説パートです


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悪気はなかった。

 

私はただ、この世界でもあなたと一緒に居たかっただけ。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

夕焼けの照らすコンクリートの上で、深澄と彼女の友人がスマートフォンを真剣な表情で覗き込んでいる。学校の屋上。昼休みとも違い放課後ともなれば生徒は滅多に訪れない。これは深澄と彼女の2人だけの秘密の会合だった。

 

「えい! えい! この!」

「ふふ、甘いわよ明日奈! そんな見え見えの攻撃が当たるもんですか」

「えっ! あっ! ちょっと! 深澄! ストップ! ストップ」

「勝負の世界に待ったはなしよ」

 

画面の中で深澄の扱うキャラクターが連続攻撃を仕掛け、あと僅かだった相手のHPを0にする。

 

YOU WIN!

 

勝利を告げるメッセージが流れると同時に、彼女の友人——明日奈が不満げな声を上げた。

 

「あーまた負けた。深澄強すぎるよ」

「そういう明日奈は相変わらずね。もっと練習した方がいいんじゃない?」

「練習って……ゲームセンターとかで?」

 

明日奈が揶揄うように笑った。

 

「そうね。ゲームセンターとかでよ」

 

深澄もすました顔で笑い返した。

 

今から数ヶ月前、深澄はこうして学校で友達とゲームをするなんて考えてもいなかった。

そもそも深澄には友達と呼べる相手がいなかった。

 

寡黙で真面目で孤高な生徒。

それが深澄の評価であり、周囲に貼られたレッテルでもあった。

 

むろん、深澄だって年頃の女子学生だ。友人が欲しくないわけじゃない。だが、深澄はあまり人付き合いがうまくなかった。

 

体育では男子顔負けのパフォーマンスで周囲を圧倒し、勉学では入学以来学年一位を維持してきた彼女は、生来の愛想のなさと相まって、早々にクラスメイトから近寄りがたい相手だと認識されてしまった。

 

それからずっと彼女は一人で過ごしてきたし、これからもそうだと思っていた。それが変わったのはある日の放課後の事であった。

 

深澄には皆に言えない趣味がある。皆に言えないと言っても、何か後ろ暗い事があるとかそういうものではない。

 

深澄はゲームが好きだった。それもとりわけ格闘ゲームに関しては界隈ではちょっとした有名人になるほどにやりこんでいる。

 

深澄の通う私立エテルナ女学院は裕福な家庭の子女が集まる、いわゆるお嬢様学校と呼ばれる場所だった。その学校の模範生と見做されている深澄が他校の男子のようにゲームに熱中し、あまつさえ放課後は私服姿でとは言えゲームセンターに通っているなどと周知するのは憚られる。

 

諦めにも似た感情もある。

優等生である兎沢深澄にはそんなものは似合わないし、育ちの良さが伺えるクラスメイトにもまた似合わない。深澄は周囲に自分の趣味を理解して欲しいとは思っていなかった。

 

幸か不幸か深澄には放課後の予定を教え合う相手もいなければ、趣味の話をする相手もいない。だからこの事は深澄の秘事として終わるはずだった。

 

まさか深澄の遊んでいたゲームセンターが、格闘ゲームの筐体の様子を外に映し出しているとは思わなかったし、それをたまたまクラスメイトである結城明日奈にみられてしまうだなんて、誰が想像できるだろう。

 

筐体が空いている間、宣伝のために数分前のリプレイ映像が流れていることに深澄が気づいたのは店を出てからだ。

 

「ええっ!?」

 

聞き覚えのあるような驚きの声に振り向いた先にいたのが明日奈だった。

 

深澄は、今思い出すと恥ずかしいが、威圧するような口調で呼び止めた。表情は強気に。弱みを握られたなんて思われてはいけない。

 

「少しお話よろしいかしら。結城明日奈さん」

 

深澄は口止めするつもりだったが、明日奈の反応は彼女の想像を超えるものだった。

 

「ゲーム上手いのね」

 

驚きと、少々の困惑はあったが侮蔑や嘲りはなかった。ただ純粋に明日奈は深澄を、格闘ゲーマーとしての彼女を見つめて、称賛するような温かな表情だった。

「学校の様子と全然違うから、驚いちゃった。けど、今の方が生き生きしてて楽しそうだわ」

 

微笑む明日奈に深澄はあっさりと毒気を抜かれた。

 

明日奈と話したのはこれがほとんど初めてのことであったが、朧げながら彼女の評価は知っていた。成績は深澄と同じくらい優秀で運動もできる。ただ彼女はクラスメイトに遠巻きに見られることも、別物扱いされることもなく、いつだって沢山の友人に囲まれていた。深澄と違って。

 

その原因はたぶん彼女のこの性格のせいなんだろうなと思った。

 

そして一言。

 

「……よかったら結城さんもやってみない?あなたもきっと……楽しめると思うわ」

 

後になって思い返してみると、なぜ自分がこんな事を言おうと思ったのか、言うことができたのか、さっぱり分からない。

こんな言葉が言えるなら、深澄はもっと社交的で友達も沢山作れていただろう。

この時は混乱していたからなのか、相手が明日奈だったからなのか。

 

原因は定かではない。ただ一つ言えることは、この言葉が深澄に数年ぶりとなる友達というものをもたらしてくれたという事だ。

 

それから、深澄は明日奈と密かにゲームをする様になった。

学校では依然として一人でいることが多かったが、以前のように孤独を感じてはいない。

 

深澄は明日奈に感謝していた。一緒にゲームに付き合ってくれていること。友達として他愛のない話を聞いてくれること。

 

「あっ、そろそろ行かなくちゃ」

 

不意に時計を確認した明日奈が小さな声で言った。

 

「塾はもう少し後じゃなかった?」

「うん。だけど自習しておきたいところがあるの。わたし、高校は外部受験するから。頑張らないと」

 

学校では二学期の中間テストが終わったばかりだというのに、勉強量が変わってなさそうな明日奈に深澄は困ったような表情をした。

 

「頑張るのはいいけど、少し根詰めすぎじゃない? この前の模試も結果は良かったんでしょ」

「うん。……でも油断はできないよ。お母さんにもそう言われてるし」

 

苦笑する明日奈から深澄は目を逸らした。

 

「少しは息抜きしないと潰れちゃうよ」

 

中高一貫で内部進学生がほとんどのエテルナ女学院では珍しく、明日奈は外部の高校に進学するらしい。来年度になれば明日奈はもうこの学校にいないのだ。おそらくこの不思議な関係も終わってしまうだろう。

 

胸の中で感じた喪失感を掻き消すように深澄は努めて明るい声を出した。

 

「明日奈、これ見て」

 

深澄の差し出したスマホを明日奈が覗き込む。

 

「ソードアートオンライン?」

 

深澄にとってはかけがえのないものを彼女はくれていた。だからこそ言ってしまう。

 

「略称SAO。ナーヴギアを使った世界初のフルダイブ型VR MMO」

 

受験勉強で疲れている友達に対するちょっとした気遣いのつもりで言ってしまう。

 

「明日奈もやってみない? わたし向こうでもあなたに会いたいわ」

 

それが地獄への片道切符だとも知らずに。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

ピピピ、ピピピ、ピピピ……。

機械的なアラーム音がミトを眠りの世界から呼び戻した。

少しの葛藤を意志の力で断ち切り、目を開けるとポップしている画面を操作して目覚ましを解除する。

 

見慣れない部屋を見渡す。木造の一室。部屋は広くなく、二つのベッドとサイドテーブルを除けば目立った家具もない。昨日とった宿屋の部屋そのままだ。

思わず重いため息が出そうになる。

 

「おはよう、深澄……」

 

隣のベッドでは同じく目を覚ましたであろう少女が眠たげに目をこすりながら、挨拶をしてきた。

 

結城明日奈。いやここではただのアスナか。

昨日さんざん言った言葉は、ひと眠りしたらすっぽり抜けてしまったらしい彼女にミトは挨拶を返しながら、同じ言葉を繰り返した。

 

「おはよう、アスナ。それとこっちでは深澄じゃなくミトでお願い」

 

「あっ、そっかごめん」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

11月7日午前6時。

SAO正式サービス開始から二日目の朝。

 

結局、一晩経っても助けが来ることはなかった。そのことが朝からミトの感情に重くのしかかる。

昨日、11月6日。待望の新作MMOゲームであるソードアートオンラインは正式サービス初日にして、集まった1万人のプレイヤー達を絶望と混乱と恐怖の渦へ叩き落した。

 

その光景は一晩経った今でも鮮明に思い出すことができる。始まりの町の大広場に強制転移された大勢のプレイヤー達。重く鳴り響く鐘の音。空を埋め尽くす真っ赤なWARNINGの警告表示。そして空中に浮く深紅のローブのアバター。

このゲームの開発者である茅場晶彦は言った。このゲームは通常の手段ではログアウト不可能である。100層ボスを撃破し、このゲームをクリアすることだけが現実へ戻る唯一の方法であると。

 

そしてこのゲームでの死は――現実のプレイヤーの死を意味すると。

 

広場に集められたプレイヤーの反応は様々だった。

悲鳴を上げるもの。困惑するもの。冗談だと笑うもの。大声で文句を叫ぶもの。

直前に茅場晶彦の手によってアバターが解除されたのも混乱を助長する要因だった。プレイヤーはリアルの自分の姿を強制的にゲームに反映され、そのことに困惑し、憤るものも多かった。

 

ミトも周りの人間と大差なかった。大柄な男性アバターに扮していた姿は現実の兎沢美澄のものへと変わり、ボイスチェンジャーも機能しなくなった。そのうえいくら探してもメニューにはログアウトボタンがなく、おまけに命さえ脅かされているというのだ。

 

だが、彼女は周囲の人間よりも素早く立ち直った。目の前に困惑し不安そうな顔をしているアスナがいたからだ。

 

自分のアバターのことなどどうでもいい。ログアウトボタンも今は必要ない。

彼女を――アスナを守らなければならない。

そう思ったら思考は明確になった。

 

ミトは混乱する周囲の人を置き去りにしてアスナを連れて町をでた。

茅場晶彦の言葉が真実なら、今すぐに行動を開始しないと手遅れになるからだ。

 

MMOは本質的にプレイヤー間でリソースを奪い合うゲームだ。一定時間あたりに出現する敵の数が決まっており、得られる経験値やお金にも上限がある。始まりの町周辺のモンスターはゲームを開始した1万人のプレイヤーで奪い合いになり、早々に枯渇してしまうだろう。有利にゲームを進めるためには他者を出し抜き多くのリソースを手に入れなければいけない。

 

幸運にもミトには勝算があった。彼女はたった1000人しかいないSAOの先行テストプレイ――ベータテスト経験者だった。他のプレイヤーよりも有利なことは間違いない。

 

経験を生かしたスタートダッシュに成功したミトはアスナを連れて二つ目の町まで到達し、そこで宿をとって寝た。それが昨夜のことだ。

 

正直まだ完全に信じられていないこともある。特にHPがゼロになった時本当に人の命が失われるという点は半信半疑というのが実情だ。だが、少なくともログアウトが不可能であることは真実だろう。

 

そうでなきゃ一晩経ってまだこのゲームに捕らわれ続けているわけがない。

 

「私たち、ほんとにログアウトできないのかな……?」

 

昨夜、ベッドの上でアスナは不安そうにミトに聞いてきた。

 

「わからないわ。でも案外すぐに出られるようになるかもしれないわよ。日本の警察は優秀だし、こんな誘拐事件めいたこと許すはずがないわ。今頃は運営会社にもサーバーの管理会社にも捜査の手が入っているだろうし、明日の朝になったらすべて解決してるかもしれないわ」

「そう、よね」

「そうよ。だから今は寝ましょう」

「おやすみなさい。深澄」

「だからゲームの中で本名は……まあ、いいわ。おやすみアスナ」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

ともあれ朝だ。

ミトの願望と現実的な警察組織への推測が混じった言葉は実現しなかったため、今日もゲームを始めなければいけない。

 

起床後のミトは手早く身支度を整えて階下へ降り、宿の食堂で朝食を待っていた。こういう時ゲームの体は楽でいい。

着替えはメニューから指先一つで行えるし、服の洗濯もいらない。髪に寝ぐせもつかないから櫛を通したり、セットに時間をかける必要もない。

どうせなら食事もとらなくていいようになればいいのにと思う。実際には何の栄養素を取得しているわけでもないのだからゲーム内で食事をとる必要はないと昨日までのミトは考えていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。

SAOでも食事をとる必要はある。自身を襲う空腹感を実体験で確認したミトはきちんと食事の必要性を再認識していた。

 

「お待たせしました」

 

エプロンを付けたNPCが料理を配膳して下がっていく。テーブルの上には黒パンと木の器に入ったスープが乗っている。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

ミトと向かいの席に座ったアスナが手を合わせる。さっそくパンを手に取り口に運んだ二人が一瞬硬直し、微妙な顔になる。

 

「さすがにホテルの朝食のようにはいかないわね……」

 

硬い。渋い。薄い。

ミトの感想はこの3つだった。

アスナも神妙な表情で咀嚼している。お気に召したようには見えない。

 

良くも悪くも値段相応ということか。もっと高いお金を払えばおいしいものも食べられるだろうが、装備にポーションと他に優先すべきことはいくらでもある。

なにせこのゲームには命がかかっている、かもしれないのだから。

 

「「ごちそうさまでした」」

 

2人が味わうでもなく作業のように朝食を片付けた後、気分を変えるようにアスナが尋ねてきた。

 

「それでミス……ミト。今日はどうするの? またレベル上げ? それともすぐに次の町に行く?」

 

アスナはMMOに慣れていない。それも想像を絶するレベルでだ。

プレイヤーネームを本名そのままで登録し、アバターを現実世界の姿そのままに設定していたことからも、それは嫌というほど伝わっている。

アスナは自然に行動方針をゆだねるようになっていた。

 

「いえ、今日は……始まりの町に戻るわ」

 

だが、このミトの言葉にはさすがの彼女も疑問を覚えたらしい。

 

「どうして? 昨日は急いで先に進まないといけないって言ってなかったっけ?」

「それが……どうやら2層が解放されたようなのよ」

 

言いながらミトは自分で思った。そんな馬鹿な話があるものか。

 

「それって1層がクリアされたってこと?」

 

アスナは声を弾ませた。

 

「ありえないわ」

 

ミトは断言した。このゲームがベータテストの時と同じならばという条件はつくが。

 

「でも、2層は解放されたんでしょ。それってフロアボス? っていうモンスターが倒されたってことじゃないの」

 

昨日の時点でアスナにはこのゲームの基礎知識を話してある。

アインクラッド。このゲームの舞台となる天空に浮かぶ鋼鉄の城は全部で100の階層で構成されている。次の階層に行くためには、各階層に存在するボスを倒す必要があり、2層の開放は1層のボス撃破を意味している。が――

 

「フロアボスはレイド戦なのよ」

「レイド?」

 

アスナが首をかしげる。

 

「レイドっていうのはパーティーの集まりのこと。フロアボス戦なら大体8~10パーティーが集まって50人くらいの集団で挑むものなの。それもただの50人じゃないわ。1層のボス戦だと適正レベルは最低でも6、安全を考えればレベル8以上のプレイヤーを50人集めるのよ」

「でも2層が解放されたんでしょ?」

「……そうね」

「どうやって?」

 

アスナは純粋な瞳でミトを見た。昨日からアスナが発してきたこのゲームの疑問の大半を即答できたミトは、ばつが悪そうに視線を切った。

 

「わからないわ……だから自分の目で確かめに行きましょう」

 

食堂を出たミトたちは、始まりの町を目指した。

道中、ミトは自身の懸念が実現している事を確認した。遭遇するモンスターの数が昨日より少ない。代わりに見かけるようになったのはプレイヤーの集団だ。

早くも始まりの町に見切りをつけ、フィールドの攻略を進めているパーティーが出始めている。目的はきっとミトと同じだろう。早晩枯れるであろう始まりの町周辺のポップに見切りをつけて、競争率の低いエリアに進んでいるのだ。

この分だと二つ目の町のリソースが尽きるのも時間の問題だろう。そんな中始まりの町に逆走するミトとアスナの行動は、見方によれば昨日のうちに稼いでいたアドバンテージをみすみす捨てているようにも取れる。実際、2層が開通していなかったらこの行動は大きな不利を招くだろう。

 

「嘘だったら恨むわよ。ディアベル」

 

また一組すれ違うパーティーを横目につぶやいたミトのつぶやきにアスナが反応する。

 

「ディアベル? 外国のお友達?」

「いえ、普通の日本人よ。ゲームのプレイヤーネームで何かを判断しようとするのはやめた方がいいわ」

「えー、難しいよーMMOゲームって。どうせなら外見だけじゃなくて名前も元に戻してくれればよかったのに……」

 

いじけるように文句を言ったかと思えば、アスナは好奇心を目に宿してミトを見てくる。

 

「それで、ディアベルって?」

「ちょっとまえ、私がSAOのテストプレイをやっていたのは話したでしょ」

「ベータテストってやつよね」

「そうよ。ディアベルはその時一緒にパーティーを組んでたプレイヤーで、今回2層が開通したことを教えてくれた人なの」

 

今日の朝のことだった。

ミト宛てに届いたかつてのパーティーメンバーからのインスタントメッセージが2層開通の情報源なのだ。

 

「親切な人なんだ」

「どうかしらね。嘘を好んでいう人ではないと思うけど。所詮ゲーム上での付き合いだったから。人格までは保証できないわ」

「でもわざわざ教えてくれたんでしょう」

「教えてくれたっていうより」ミトは顎に手を当てた。「探られたって感じかしら」

「探られた?」

 

ディアベルからのメッセージは要約すると三つの内容であった。

一つ目はデスゲーム化したことに触れつつ、お互いに頑張ろうという内容。

二つ目はベータテストのときのようにパーティーを組まないかという誘い。こちらは新しい仲間がいるからと辞退させてもらった。

そして三つめが2層開通のこと。率直に1層のボスを倒したかどうかを尋ねる内容だった。

 

「彼も――いえ本当に男性かどうかはわからないんだけど、あの人も2層を攻略したプレイヤーが気になっているみたいだったわ。どうも攻略者が不明らしいのよね」

 

これこそがミトにより強く1層攻略を疑わせた。

ゲーム開始初日に、いやデスゲーム初日に1層のフロアボスを攻略するというのは紛れもなく偉業である。それをなしたプレイヤーが名乗り出ないなんてことがあるだろうか。

 

「へぇー。もしかしたら恥ずかしがり屋さんなのかもね」

「そうかもね」

 

アスナの能天気な言葉にミトは思わず相好を崩した。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

始まりの町の転移門広場を行きかう人の流れを見て、ミトは一先ず安堵の息を吐いた。ディアベルからの情報はガセネタではなく本当に2層の転移門が起動しているようだ。

 

「うわー、すごい人!」

「本当ね」

 

2層はサービス開始直後の始まりの町を思い出させるような人口密度だった。多くのプレイヤーがミトたちのように新しく開いた2層に来ているのだろう。学校の運動場より広いであろう転移門広場が手狭に感じるほどの密集具合だ。

 

たまらずミトは広場から逃げ出した。大通りを進みさらにその先の小道を抜けると、さすがに人通りも落ち着き、ようやく人心地がつける。

 

「じゃあアスナ。まずはクエストの攻略と装備の更新よ」

「クエスト?」

「簡単に言うとNPC向けの人助けのことよ」

 

ミトの目的は、暇つぶしに観光に来ているだけであろう圏内のプレイヤーとは異なる。わざわざ1層攻略を中断して始まりの町に戻ったのは、それが最も効率のいい攻略方法だと判断したからだ。

2層のクエストで得られる経験値は1層序盤のモンスターとの戦闘よりも量が多い。

プレイヤーの必要経験値はレベルの上昇とともに上がっていくことを考えれば、より高レベルの2層攻略者向けの経験値報酬が、1層のそれより多いのは自然な成り行きだった。

 

ミトはベータ時代の記憶を頼りに、クエストNPCを探して回った。幸いにも町中のNPCにはベータ時代から大幅な変更は加えられていないようだった。数時間をクエストに費やしたミトは取得した経験値とコルの額に満足すると、次に装備を整えに向かった。

 

2層の主街区《ウルバス》には武器や防具を売っている店が複数存在するが、ミトが向かったのは北部の裏路地にある掘っ立て小屋だった。

 

SAOではしばしば、街の片隅や路地裏の分かりづらいところで高品質な装備やレアなアイテムが売られていたりする。いわゆる探索要素の一つだ。

 

一見お店のように見えないこの場所は、とあるストーリークエストをこなすことで初めて武器屋だとわかる場所だった。ミトはベータ時代の知識を頼りに一直線に向かってきたが、本来は別のもっと先の町でクエストをこなさなければいけない。ある商人に手紙の配達を頼まれ訪れて初めて、この家が実は鍛冶屋だったとわかるのだ。

そのクエストの報酬替わりというわけなのか、ここでは一般の武器屋よりいいグレードの店売り品が売られている。

 

ミトはここで新しい大鎌を、アスナはレイピアを購入し、再び1層に戻り攻略を開始した。

午後の狩りでは正規ルートをはずれ穴場スポットを狙ったミトの思惑が功を奏し、他のパーティーに出会うことなく狩場を独占できた。

 

やはり装備の差は大きい。

クエストでレベルが上がったことやアスナがゲームに慣れてきたことを差し引いても、戦闘は大幅に楽になった。アスナ以外にビギナーが増えてもフォローしながら戦えると思えるくらいに。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「シリカちゃんも来ればよかったのに」

 

だからアスナのその言葉にはミトも心の中で賛同できる部分があった。

その日の夜。昨日とは違う村で取った宿の一室で、ラフな部屋着に着替えたアスナはベッドに身を投げ出し、今日の昼に出会った少女の名前を口にした。

 

「仕方ないでしょ。友達がいるらしいし」

「そーよねー」

 

穴場の武器屋でのことである。ミトとアスナは一人の少女とフレンド登録をしていた。2層ですれ違うプレイヤーを観察しながら中学生である自分たちがプレイヤーの中でも若い部類であるということを認識していた2人にとって、シリカというさらに年下の少女がこのゲーム――命がけのデスゲームに囚われているというのは少なくない衝撃をもたらした。

 

ゲームの攻略情報を教えてもらうためにベータテスターを探しているというしっかりした少女であったが、アスナはフレンド登録の後シリカをパーティーに誘っていた。年下の女の子が一人でいるのを放っておけないアスナらしい行動だ。シリカには友達を置いてはいけないと断られてしまったが。

 

「向こうには大人のプレイヤーもついているんでしょ。心配しないでも大丈夫よ。それに人のことを考えるより、まずは自分のことを考えなきゃ」

 

「そうね……」

 

ふいに部屋を重い沈黙が満たした。

アスナはどこか遠い目で窓の外を見上げている。おそらく現実のことを考えているんだろうな、とミトは思った。

 

今日もまだミトは、そしておそらくアスナも、心のどこかで外からの助けを期待している。だけどその望みは果たされないまま、こうして2日目が終わろうとしている。

 

日中は良かった。クエストに戦闘にと、やらなければいけない事に集中している間は雑念が入る余地はない。だが、今のように気を張らない時間になると、ふとした時にいい知れない不安が胸の中を這いずり回り、心が凍えるような感覚にとらわれてしまう。

昨日はアスナに偉そうなことを言ったが、本当はミトだって不安でいっぱいだ。

 

いつになったら元の世界へ帰れるのか。

 

現実はどうなっているのか。家族は心配してないか。学校はどうなるのか。

 

 

 

そして、アスナのこと。

 

ねえ、あなた本当は……。

 

 

 

心に秘めた…何かが喉元まで出かかった時、「あっ!」っとアスナが声をあげた。

 

「シリカちゃんからメッセージだ」

 

アスナが可視化したメニューウィンドウを操作して、フレンドメッセージを開く。

ミトは一度大きく深呼吸した。

 

間を置かず、アスナへのメールをのぞき込むかどうか、興味とプライバシーへの配慮がせめぎあい数秒目をさまよわせていたミトのもとにもメッセージが届いた。

 

『アスナさん。ミトさん。 こんばんは。お二人ともまだ起きていますか? もし寝ていたらごめんなさい。

今日2層の武器屋でフレンド登録してもらったシリカです。

 

まずは初対面の私とフレンド登録してくださってありがとうございました。お二人とこうしてメッセージのやり取りができることはすごくうれしいです。あの時はお断りしてしまいましたが、パーティーに誘ってくれたこともうれしかったです。

 

あらためてありがとうございます。

 

本題ですが、私のパーティーメンバーで元ベータテスターの方がお二人に会いたいといっています。時間があれば明日またお会いできませんか?

 

 

from shirika』

 

内容に目を通した後、ミトとアスナは目を見合わせた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

結局、待ち合わせには応じることにした。

 

正直なとこを言うとミトは消極的反対。シリカのパーティーメンバーとやらに会うのに尻込みしていた。理由はいくつかある。まず二日続けて始まりの町に戻ることで生じる攻略の遅れを気にしてだ。今度は装備の更新やクエストが目的にあるわけではない。純粋な意味でのタイムロスにつながる可能性が高い。

 

そして、これは非常に個人的で小さな理由だが、見知らぬ人と会うのは気が引けた。今は大柄な男のアバターでロールプレイをしているミトではなく、匿名性が限りなく薄れた現実ありのままの姿の兎沢美澄なのだ。

率直に言って、彼女は人づきあいが苦手であった。

 

しかしアスナはシリカに会うことを強く要望した。

シリカの知り合いのベータテスター。その人物が良い人ならば会っておいて損はないだろう。だが仮に何かを企んでいるような人物ならシリカが危ないかもしれない。悪い大人に騙されているのなら助けなければいけないというのがアスナの主張だ。

ミトには思いもつかない発想だった。

 

そうして2人は翌朝の10時に2層の南門に向かった。広場にはシリカはおらず1人の少年がいた。年はミトと同じくらいだろうか。中性的で少し幼い顔立ちをしている。なんとなくだがミトは少年に既視感を覚えた。ひょっとしたらどこかで見かけたことがあるかもしれない。あるいはベータテストの際に出会っていたのかも、と思ったがプレイヤーのアバターはすべて解除されている。あの少年がどこかの誰かのように現実の姿そのままでベータテストをプレイしているのでもなければ今の姿に見覚えはないだろう。

大方昨日、《ウルバス》を巡っているときにすれ違いでもしたか、単なる他人の空似だろうとミトは思索を打ち切った。

 

アスナとミトは南門の柱のそばに立った。少年とは反対側の柱になる。

 

少年に注目したのはミトだけではなくアスナもだった。もっともこちらは既視感ではなく彼がアスナたちを呼び出したベータテスターなのではないかという疑問からだった。

 

実際フィールドとの出入りがなければ立ち寄らないこの広場には、他のプレイヤーの姿がほとんどない。そこでじっと動かずにいる少年は異質な存在であったが、目が合うと何も見てませんよーとばかりにわざとらしく空を見上げた少年が自分たちを呼び出した相手だとは思えなかった。

 

待ち人はややもせず現れた。

 

「ミトさん! アスナさん! キリトさん! お待たせして申し訳ありません」

 

ミトは虚を突かれた。来るのなら町中からだと思い無意識に背を向けていたフィールド側から声をかけられたからだ。やや緊張して硬い声に振り向けば頭を下げているシリカがいる。

 

そしてその横には若い男の人。

 

ミトは息をのんだ。シリカの装備に見覚えがあったからだ。

 

 

《コート・オブ・ミッドナイト》

店売り品とは一味違う風格を醸し出している黒革のロングコートは、この世界にたった一つしかないユニーク装備だ。ミトが見るのはベータテストに続いて二度目になる。もちろん入手方法も把握していた。

 

「やあ」

シリカの隣にいた男は軽く手を挙げたあと、天気の話題でも振るように告げた。

「君たちには2層ボス戦を手伝ってほしいんだ」

 

何を馬鹿なと笑うことなどできない。

自己紹介などしていないが、それでも十分だった。男が何者かは装備が雄弁に物語っている。

 

1層ボスの攻略者だ。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

男の名前はKayabaといった。

あまりに不吉な、そして問題を呼び込みそうな名前であるため、シリカはその頭文字をとってケイと呼んでいるらしい。ミト達もその名前を呼ぶ勇気はなくシリカの提案に従った。

 

彼の要件はシンプルだった。というか目的以外の説明をすべて省いているせいで言葉足らずですらあった。彼はどうにもせっかちであるようだ。

 

5日以内に2階層を突破すること。そのためにパーティーメンバーを探していること。

 

それがケイの話のすべてだった。普通ならまともに取り合わない内容だ。だが1層を突破したという実績が印象のすべてを覆していた。

 

「どうして俺、たちなんだ? ベータテスターは他にもいるだろう?」

 

ちらりとこちらを見ながらキリトという少年が尋ねた。

 

「君が片手剣使いのKiritoで、あっちが大鎌使いのMitoだからだよ。君たちベータ時代からキャラネーム変えてないだろ」

 

ケイは肩をすくめて見せた。彼はベータテスターであるらしく、ベータ時代のミトとキリトを知っているようだった。確かにあの当時、大鎌使いのMitoはそれなりに名の知れたプレイヤーだった。攻略組の中でも最前線のパーティーに所属し階層ボス戦にも参加している。

 

「人違いかもしれないわよ」

 

反射的にミトがそう言ったのはベータ時代、そして正式版でも最初の数時間は今とは似ても似つかない姿だったからだ。背の高いぎょろ目の大男。正統派主人公よりも癖のあるキャラを好んで使う、格ゲーマーとしてのミトの好みを全面的に押し出したアバターだ。ボイスチェンジャーだって使っていた。

いくら名前が同じとはいえ、あの印象から今の兎沢美澄の姿を連想されるのは乙女としては少々業腹だ。

 

とはいえ「人違いなの?」なんて素直に返されるとそれはそれで困るのだが。

 

「違わないけど……」

「まあそうだろうね。大鎌なんて癖のある武器使うやつ。そうそういないし」

 

ケイはミトの武器を見ながら言った。

 

「あの、私は?」

「君はついで」

 

ケイはあっけらかんと答えた。

何とも言えない表情で口をつぐんだアスナを横目にミトは悩む。

 

現状、ミトの最優先事項はアスナを無事にもとの世界に返すことだ。万が一外からの助けがなかったとしてもミト自身の手で責任をもってアスナを現実に帰して見せる。

そしてそれは圏内に引きこもるのではなく、リソースの奪い合いに勝利し続けて達成できるのだ。始まりの町を即座に抜け出して今までレベルを上げてきたのだってそのためだ。ケイが本当に2層攻略を目指しているなら協力するのはやぶさかではない。

 

パーティーはいずれ結成する必要があった。アスナと二人だけというのは気楽でいいが、人数というのは戦力に直結する。戦闘での安全性を考えるならいつまでも二人でいるのは間違っている。その相手がおそらく現在最前線にいるであろうパーティーなら文句はない。それどころかこちらから頼むべき好条件かもしれない。

 

「アスナ」ミトは耳元に口を寄せた。「この話受けた方がいいかもしれない」

「ミトに任せるわ」

アスナの無償の信頼がミトの表情を崩させた。

 

とりあえず仮パーティーを結成することでまとまった5人はお互いにパーティー登録をし、2層でレベリングをすることで合意した。

 

「このあたりで一番経験値がいいモンスターって言ったらあれだね。《ブルバス・バウ》」

 

ケイは冗談を言うように笑ってフィールドボスの名前を告げた。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

《ブルバス・バウ》はベータ時代の記憶通りなら大きなウシ型のボスモンスターだ。

 

SAOでは階層内のエリアが山や谷で区切られていることが多く、限られた通行可能部分には必ずと言っていいほどフィールドボスと呼ばれるボスモンスターが配置されている。

 

2層ではちょうど真一文字に存在する峡谷がマップを南北に分断している。主街区のある北部から迷宮区のある南部を目指すためには、中央にある通行可能エリアを通らなければならないが、そこで待ち構えているのが《ブルバス・バウ》だ。

 

ケイの言う通りフィールドボスは確かに通常より多くの経験値を持っている。しかし、その分強敵だ。

 

通常、フィールドボスには複数パーティーで挑む。戦力的には少人数でも撃破可能だが、それはレベルと装備を周到に準備した場合だ。

戦闘前、《ウルバス》周辺でケイによるパワーレベリングをうけ、ミトとアスナのレベルは8になっていたが、《ブルバス・バウ》と戦うにはいささか心もとない。

 

その懸念に対するケイの反応は「当たらなければどうということはない」という楽観的なものだった。

 

「《ブルバス・バウ》は単一ターゲットで突進攻撃主体のモンスターだ。基本的な動き方は《トレンブリング・オックス》と変わらない。遠距離攻撃手段はないし、厄介な状態異常攻撃も持たない。突進を躱して止まったところに攻撃を叩き込むだけ。簡単だろ?」

 

確かにベータテスト時代に《ブルバス・バウ》が強敵だという話は聞いたことがない。当時の前線がそこで止まった記憶はなかったし、正直に言えば名前すらうろ覚えだった。だが、仮にもフィールドボスを片手間であしらうように倒せるものなのか。

 

ミトの懸念はいい意味で裏切られた。

 

 

 

 

「ブモオオオオオオオ!!!」

 

荒々しい雄たけびを上げながら大きなウシ型のモンスターが突進してくる。外見は戦い慣れたウシ型mob《トレンブル・オックス》と同型だが、体は二回り以上も大きく、だというのに素早さも上がっている。

ミトとアスナは防御を考えず即座にサイドステップで進路から逃れた。突進を躱すとすぐに反転して、走り去るモンスターを追いかける。

 

突進攻撃をかわされた《ブルバス・バウ》は、そのまま数メートルを走ると急激に速度を落とした。方向を変え、再度の突進攻撃を行う腹積もりだろう。

だがそんな目に見える隙を見逃す道理はない。

 

「アスナ!」

「うん!」

 

自分と同じく突進をかわしていたパーティーメンバーに声をかけ、ミトは大鎌を構える。肩で支えた金属製の柄がうっすらと光を帯びたのを視界にとらえ、ミトは鎌を思いっきり振り下ろした。

いや、振り下ろすというのは正確ではないかもしれない。ソードスキルは発動と同時に自動で体を動かす。ミトがやったのは金属の塊を振り回す行為ではなく、モーションアシストに従って動く手足をほんの少し後押ししているに過ぎない。本来感じる武器の重量や慣性を感じることなく振るわれた大鎌は狙い過たず振り向きざまの大牛の胴体をとらえ、派手なダメージエフェクトが舞い散った。間髪入れずアスナが放ったソードスキルも逆側の胴体に突き刺さりモンスターが苦悶の声を上げる。

 

「スイッチ!」

 

声がかかるかどうかのタイミングでスキル後の硬直時間が解けたミトははじかれるように後退する。入れ替わるように前に出たのは南門で出会った少年――キリトだった。彼が振るう片手剣がモンスターの首の裏を通りぬけ、血液と見まごうような真紅の斬撃線が刻まれる。

少年だけではない。忍者風の男たちのソードスキルが争うように殺到し、皆が即座に散開した。

 

ボス戦前に合流した二人のベータテスターはイスケとコタローと名乗った。ベータ時代から忍者風のロールプレイをしているらしい彼らは口調から外見まで全力で忍者だった。ミトはひそかに彼らを変人に分類していた。

 

しかし仮にもベータテスターということか。真面目とはいいがたい風貌とは裏腹に腕は確かだった。AGI型ビルドと回避主体の作戦がうまくかみ合っていることもあるだろうが、ボス戦中は危うい場面を見せていない。

 

他のメンバーの実力も確かだ。シリカはケイの指示で戦闘への参加は最小限だったが、ケイとキリトの動きはβテスターでもなかなかいないレベルといっていい。

 

事前の取り決め通りの一撃離脱で再び散らばったミト達は数メートル離れたところでモンスターの挙動を注意深く観察する。《ブルバス・バウ》は連続して受けたソードスキルの威力にめまいを払うような仕草で頭を振ると、再び地面を前足で搔き始めた。

 

1回

 

2回

 

《ブルバス・バウ》は牛型のモンスターであるため武器など装備していない。だから《ソードスキル》と呼ぶことには違和感があるが、とにかく、SAOでは敵もスキルを使ってくる。このモンスターの場合は突進攻撃が一つのソードスキルとして設定されているようで、予備動作に合わせ雄牛の体がうっすらと輝きだす。

 

視線はアスナに向けられている。次の突進は彼女を狙ったものになるだろう。それをかわせばまた皆で攻撃するチャンスが来る。

 

そう思っていたミトの予想はあっさりと覆された。3度目の地ならしと同時にこれまでにない機敏な動きで棹立ちになった《ブルバス・バウ》は即座に方向を変えると、突然斜め後方に駆け出したのだ。

 

だが、新たに攻撃の対象になった少年――キリトは危なげなく躱した。直後動き出そうとしたキリトにケイから声が飛ぶ。

 

「追いかけるな! 新モーションだ! 様子を見る!」

 

果たしてその指示は正しかった。

 

いつもなら突進後は減速する《ブルバス・バウ》はこの時ばかりはがむしゃらに走り続けた。速度を落とさぬままに二度三度と急速に向きをかえ、連続攻撃を仕掛けてきたのだ。

幸いにも、ミトたちは引っかからなかったが、それはモンスターの最後のあがきだったのかもしれない。

先ほどの攻撃で《ブルバス・バウ》のHPはレッドゾーンにまで落ち込んでいた。あともう一、二回の攻撃チャンスでこの戦闘は終わるだろう。

あるいはそうして油断したプレイヤーに食らわせるための最後の牙なのか。

 

じきに体力が限界を迎えたのか、雄牛の暴走が止まる。それがモンスターの最期だった。パーティーメンバーに取り囲まれソードスキルのラッシュを食らった《ブルバス・バウ》は小さく一つ雄たけびを上げると、ぴたりと動きを停止し無数のポリゴン片に姿を変えて砕け散った。

 

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 

結局、《ブルバス・バウ》はあっさりと討伐された。あっさり討伐されてしまったといった方が良いのかもしれない。おかげでミト達はパーティーを解散するタイミングもこの野良パーティーの行く末を話し合う機会も失ってしまった。

 

「で、どうする?」

 

南側の新エリア。2層の中間地点となる町でボス戦後の一晩を過ごしたミトとアスナは翌日、宿に併設された食堂でケイたちと朝食をともにしていた。この場にはシリカはもちろん、イスケとコタロー、キリトもいる。

 

周辺のモンスター情報やいつの間に集めてきたのかこの町のクエストNPCの情報など、半ば情報交換会じみた朝食の終わり際に発せられたケイの言葉は短かったが、意味はしっかり伝わった。

 

昨日、お互いの強さや戦闘スタイルを確認しあうためにもとりあえず組んでみようと結成された仮パーティーに期限は設定されていなかった。今のこの集団はただ何となく一緒にいるだけの不安定な関係に過ぎない。

 

もう少し様子見をするか、正式にパーティーを結成してしまうか。あるいは彼らとは別の道を進むのか。

 

「俺はあんたたちと一緒に行くよ。ソロで進んでもあんたたちを追い越すのは苦労しそうだからな」

 

口を開いたのはキリトが先だった。愛想笑いと苦笑の中間くらいの表情をしながらケイと握手をする。

 

おそらく昨日のうちに答えを決めておいたのだろう。それはミト達も同じだった。宿の部屋でアスナと話し合い結論はすでに出してある。

ミトはアスナに目を向けた。視線に込められた信頼を感じ取り一度うなずく。

 

「改めて確認したいんだけど――」

パーティーの方針。金銭・アイテムの分配方法。脱退時の取り決め。

ミトは穴がないように細かく確認していく。ミスはできない。何せ自分だけじゃなくアスナの命もかかっているのだ。

 

「わかったわ。私たちも参加させてもらうわ」

「皆さん。よろしくお願いします」

 

アスナが軽く頭を下げる。

 

「拙者らも異存はないでござる」

 

最後に追従したのはイスケとコタローだ。彼らとケイの関係は分からなかったが、いまだ正式パーティーには至ってなかったらしい。

 

「歓迎する」

「皆さん。よろしくお願いします!!」

 

ケイは淡白に、シリカは笑顔で皆を歓迎した。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

それから3日間は迷宮区の探索が中心だった。出会い頭に述べた通りケイの、ひいてはこのパーティーの当面の目標は2層ボスの撃破だ。そのためには道中のマップを完成させることはもちろん、パーティーメンバーのレベル上げも必要だった。

 

ケイの拙速ともとれるフィールドボス戦はこのためでもあった。迷宮区は2層主街区から最も遠く、そして最も強い敵モンスターが出現する。経験値効率は北部のフィールドモンスターより断然いい。もちろん敵が強くなればその分リスクも増えるが、その点に関してはケイは頑なであった。

 

レベル制のRPGでは序盤のレベルは上がりやすい。SAOでも例にもれず初めてソードスキルスロットが解放されるレベル6までは一日あれば到達できる。しかしそこから先は成長が鈍化する……のだが、ミトとアスナはおそらく他のプレイヤーを突き放す速度でレベルを上げていった。

 

レベル上げ3日目の昼。シリカのレベルも10になり、これでパーティーメンバー全員が目標レベルに到達した。休憩のタイミングでケイは今日の夜に2層ボスに挑むことを提案した。

 

「危険すぎる」

 

ミトはこの意見に反対した。考えるまでもない。フロアボスはフィールドボスとは違うのだ。7人で挑むような敵ではない。

 

「7人じゃない。シリカは見学だ」

 

ケイの発言にショックを受けたようにシリカが顔を伏せたが、ミトはそのことにかまっている余裕はなかった。

 

「なおさら無理よ」

「無理じゃない」

 

ケイは本気で言っているようだった。

 

「2層ボスは3体構成だ。一体一体の強さは単独のレイドボスより弱い」

 

呆れたことに、それがケイの勝算であるらしかった。

 

《アステリオス・ザ・トーラスキング》

ベータ時代には存在しなかった2層の追加ボスの情報がもたらされたのはつい先日のことだ。

 

レベル上げに適した場所を探すため迷宮区周辺の地形やモンスターを調べていた時、偶然発見した木こり小屋の中には誰も見覚えのないクエストNPCがいた。迷宮区のボスを匂わせるような意味深な言葉とともに始まったこのクエストはイスケがレベリングを中断して進めたのだが、そこからもたらされた情報は皆を驚かせた。が、ケイにとっては福音であったらしい。

 

確かにケイの言うこともわかる。実際ベータテスト時も2層のフロアボス《ナト・トーラス》と《バラン・ザ・トーラスジェネラル》のコンビは2体構成ゆえか他のフロアボスより控えめなステータスをしていた。そこにもう一体加わるのならば、それなりのバランス調整が行われている可能性は否定できない。だが、すべては可能性の話だ。

 

「だからこそ、挑むべきだと思うけどね」

 

「……っ。それに例えバランス調整を受けているにしても、いえバランス調整を受けているからこそ、今挑むのは無謀だと思うわ。だってフロアボスはレイドパーティーで倒すような強さにしてあるんでしょう?」

 

ミトの目的はアスナを無事に現実に返すことだ。ゲームをクリアすることもボスを倒すことも手段であって目的ではない。

 

「ボスに挑むのは他のメンバーが集まってからでいいと思うわ」

「時間がかかりすぎる」

 

ケイはやはり頑なだった。

確かにミトはこの3日間迷宮区はおろか最寄りの町でも他のプレイヤーを見かけていない。当たり前だ。まだ正式サービス開始から6日しかたっていない。2層の最奥まで到達しているこのパーティーがおかしいだけで、他のプレイヤーは2層序盤を攻略していれば早い方だろう。レイドを組むのに必要な人数――40人以上のプレイヤーが集まるのはしばらく先のことになるだろう。

 

だがケイは思い違いをしている。彼らを待つ時間は安全を得るためにかけるコストではない。そもそも必要経費なのだ。方針の違いで語るべき話ではない。

 

それでもケイは譲らなかった。今のメンバーでも十分に勝算があるといってはばからない。そしてミトもその持論を崩しきることはできなかった。嘘か真か疑わしいものだが、ケイは一人で1層ボスを攻略したというのだ。2層ボス攻略が不可能だと言い切るためには彼の実績を否定しなければならなかった。

 

言い合いを制するようにキリトが声を上げたのはその時だった。

 

「俺は2層ボスに挑むのは悪くないと思う。もちろん少人数だから突破は難しいと思うし、リスクも高いのは承知している。だけどボスの実物をこの目で確かめておくのは悪い事じゃない…………と思う」

 

「これまでもまるっきりベータテストと同じってわけじゃなかったんでしょ。最後のボスのトーラスキングはまだ誰も見たことがないし、予習は大事よね」

 

アスナも賛成したことで会議の趨勢は決まった。

 

午後6時。夕方まで念入りにレベル上げを行ったおかげでアスナとミトのレベルは11まで上がっていた。ボス部屋を前にしてメンバーの表情はそれぞれだった。

ケイとキリトはいつも通り。

イスケとコタローはやや緊張をうかがわせるものの、少し浮かれるような様子で手にした新しい武器をいじっている。金属製の輪っかのようなそれはチャクラムという投擲武器だ。

 

イスケがこなしたクエストで得られた情報は追加された3体目のボスの情報だけでない。そのモンスターの攻撃方法や弱点についても明かされている。曰く『《アステリオス・ザ・トーラスキング》は頭上にいただく王冠をなにより大事にしている。投擲武器で傷をつければうろたえるのは確実だろう』とのこと。

 

これを受けてイスケとコタローは新たな投擲武器を用意した。迷宮区中層のトーラスリングハーラーがまれに落とすチャクラムは使いこなすためには《投剣》だけでなくエクストラスキルの《体術》が必要なのだが、二人はこれを習得していた。ことあるごとに手裏剣手裏剣と騒ぐその様子から、二人の忍者はその武器をいたく気に入っているようだ。

 

このボス戦で存分に活躍させるべく戦意をたぎらせている。

 

シリカとアスナは初めてのボス戦ということもあって張り詰めた顔をしている。

2人はベータテスターじゃない。フロアボス戦も初めてだ。緊張して当然だろう。

 

見学だというシリカはともかく、アスナはミトが責任もって守らないといけない。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「――そう思っていた時期が私にもありました」

 

光を失った目でミトはそう独りごちた。

 

「ミト! スイッチ!」

「ああ、うん」

 

溌溂と声を上げながらソードスキルを放つアスナと入れ替わりにミトは大鎌をふるう。

 

「グモオオオオオオオオオオ!!!!」

 

おぞましい雄たけびを上げながら見上げるように大柄な牛の巨人が、反撃のため武器を振り上げるが――すぐにバランスを崩してたたらを踏んだ。

 

「スイッチお願いしますっ!」

 

はじめは実力不足としてボス部屋の外で待機していたシリカも今や攻撃に参加している。

シリカの実力が急激に上昇しベータテスター並みの動きを身につけたわけでも、予備戦力を投入しなければならないほど追い詰められたわけじゃない。

 

むしろその逆だ。

 

ケイの言うようにバランス調整の結果なのかどうかは疑わしいものだが……

 

 

 

《アステリオス・ザ・トーラスキング》ははっきり言って弱かった。

 

 

 

おそらくステータスやスキル自体は文句なしに強いのだろう。攻撃のたびに減るHPの量から少なくとも防御力に関しては前2体のボスより強化されているのは間違いない。だが、弱点が大きすぎた。

 

連続確定ノックバック

 

これがすべてを台無しにしていた。《アステリオス・ザ・トーラスキング》の王冠にイスケとコタローが投擲武器を当てるたびにボスは攻撃も防御も移動すらもキャンセルされてのけぞるのだ。おそらくこれは本来の仕様ではないのだろう。バグか、設定ミスか。

 

「こりゃナーフ確定だな。二度目があればだけど」

 

キリトのつぶやきに全面的に同意だった。

 

始めはいかにもレイドボス戦だったのだ。

《ナト・トーラス》と《バラン・ザ・トーラスジェネラル》の同時出現に対してケイが選択したのは片方を集中的に撃破する方針だった。バランをAGI型のイスケが引き付けている間に、残りのメンバーでナトを倒し、ステータスの高いバランの方は1対複数で囲んでたたく。戦況は予定通りに推移した。そして《バラン・ザ・ジェネラルトーラス》のHPがレッドゾーンに到達したとき、最後のボスが出現した。

 

《アステリオス・ザ・トーラスキング》

 

トーラス族の王。先の二体に輪をかけて筋肉質の巨体で周囲を睥睨しながら現れた威風も今はどこへやら。最初に感じた緊張や不安はもうない。

 

ノックバックに次ぐノックバックで初期位置からろくに移動できていないこのボスの命は風前の灯だろう。当初はこのボスの姿を拝めるかどうかと考えていたミトの予想は根本から覆された。

 

「なんか違う……」

 

ミトのつぶやきはボス撃破によるファンファーレにかき消され誰の耳にも届かなかった。

 

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