SAO RTA any% 75層決闘エンド   作:hukurou

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2層ボス《アステリオス・ザ・トーラスキング》と配下2体のフロアボスを討伐した後、ミト達は浮かれた足取りで3層に突入し、ケイのおすすめだという豪華な宿屋に部屋を取ると夕食を食べながら皆の健闘をたたえあった。

 

2層ボスの少人数撃破は文句なしの偉業だった。ケイに会う前の、いや実際に行うまでの自分にこの出来事を話してもまともに取り合ってはもらえないだろう。

ミトは、そしておそらくはアスナもあの日以降初めて心の底から笑顔になった。これまで漠然と抱えていた現実への帰還という目的に確かな一歩を刻み込んだのだ。ゲームクリアも夢ではない。心の底からそう思えた。

 

ミト達は高いモチベーションで3層攻略の計画を立てた。

 

この階層ではSAOで初となるキャンペーンクエストが存在する。通常の単発クエストとは異なり、キャンペーンクエストは複数のクエストが連鎖し一つの大きなストーリーを形成する。クリアのためにかかる手間は大きいがその分経験値や報酬アイテムも豪華であり、ベータ時代では攻略の王道ルートとして知られていた。

 

それ以外にも3層には重要なクエストが存在する。ギルド結成クエストだ。MMOおなじみのギルドシステムはSAOにも実装されており、ギルドメンバー専用のチャットやアイテムストレージといった機能の解放の他、同じパーティーを組んでいるとステータスに補正がかかるなどの実利ももたらしてくれる。デメリットとしてはメンバー間のトラブルが起きることや、獲得コルから税金のようにギルドへの上納金が徴収されるといったものがあげられるが、いずれもこのメンバーでは無視できる問題だった。

 

3層開通の翌日。ミト達はパーティーを3つに分けてこれに対応した。

キリトとケイはこれまで通りの迷宮区探索。イスケとコタローはキャンペーンクエスト。ミトとアスナ、シリカの女子チームはギルドの設立クエストを並行して攻略することにした。せっかちなケイの課した1日という短い期限にこたえるため休憩時間すら惜しんで最速でギルドクエストをこなしたミト達に、その日の夜送られてきたフレンドメッセージは少なくない混乱をもたらした。

 

『3層ボスを討伐したので明日からは4層を攻略します』

 

「はああああ!? ちょっどういうことよ!?」

 

宿で思わず叫んだミトを一体だれが責められようか。

確かにケイは(本人曰くだが)1層のボスを一日で倒した。2層のボスも普通は考えられない速度で攻略したし、その手腕はミトに彼の評価を改めさせた。だが、さすがにこれはありえない。ありえないはずだ。理性面より感情面で受け入れられない。いや、やはり理性面で考えてもあり得ない。とりあえず寝よう。

 

ミトはふて寝した。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

翌朝、3層の主街区に戻ってみると本当に転移門が開通しており、ミトは乾いた笑みを浮かべたものだ。

 

4層主街区はミトにとっては信じられないことに水の町に変化していた。ベータ時代の埃っぽい町並みは影も形もない。建物の外観すら変わっている。元は薄暗い灰白色の飾り気のない建物ばかりが並んでいた大通りは、水面の青とよく映える白い外壁が織りなすコントラストの美しい風景に代わっていた。

 

「わぁ、きれいな街……!」

「本当に変わっているのね。ベータ時代の4層は殺風景な荒野の町だったはずなのに」

 

事前に軽く説明されていたとはいえ、自分の目で見ると受ける驚きがまるで違う。

 

「見てくださいアスナさん! 小さな船がありますよ!」

「ほんとね! 行ってみましょう!」

 

先入観のないアスナとシリカはミトの困惑などどこ吹く風で広場の端に駆け寄ると、町中に張り巡らされた水路とゆったりと流れる小舟を見てはしゃぎだす。

これこそがこの階層の最大の変更点にして、最大の問題であった。

4層では町中の移動にはNPCのゴンドラを利用しなければならないのだ。そしてこの町の船の数はプレイヤーの数に比べて圧倒的に少ない。昨日の街びらきの直後には押し寄せたプレイヤー同士でゴンドラの奪い合いが起き、船着き場にはゴンドラ待ちの人々がひしめいていたという。

 

転移門広場に併設された桟橋には既に長蛇の列ができていた。

プレイヤーの少ない朝早くに来られればよかったのだが、ミト達は昨日の時点で3層の中盤まで進んでしまっていた。そのうえギルド結成クエストが長引いて、昨夜は宿に入るのが遅く起床時間も遅めだった。

 

ただの寝不足と侮ることはできない。戦闘中に集中力が切れてミスが起きれば、命にかかわるのだ。無理して早起きはするなとケイに忠告されていた。

 

その代わりといってはなんだが、ケイは別の方法を提案した。

さて待ち人を探そうかとあたりを見回したミトの耳に少女の声が響く。

 

「シリカちゃーん」

「あっ……チカちゃん」

 

広場の端からかけてきたのはシリカと同じくらいの年の少女だった。

 

「こっちこっち! もうみんな待ってるよ」

 

少女の後に続き、船着き場とは反対側の岸に近づくと大型船が見えた。10人以上は乗れるだろうか。あたりを走っている船と比べて一回りも二回りも大きいその船には、5人の子供たちが乗っていた。

 

「シリカちゃん元気だった? あなたたちがアスナさんとミトさんね」

 

船頭のNPCを除けば唯一成人しているであろう女性がシリカに話しかけ、それからアスナとミトを見た。

 

「アスナです。今日はよろしくお願いします」

「ミトです。よろしくお願いします」

 

挨拶をして乗り込んだミト達を載せてゴンドラが出発する。

 

「うわースゲー」「かっけー装備だな。いくらするんだ?」「武器は!? 武器見せて!?」

 

既知の間柄なのか呼びに来た女の子に引っ張られるように子供たちのそばに座ったシリカは目を輝かせた子供たちに取り囲まれている。

ミトとアスナにはちらちら視線を向けているものの、年齢差があるからか初対面だからか話しかけてくる子はいない。年齢差という通りこの船に乗っている子供たちは皆中学3年のミトより一回り以上小さい。おそらくシリカと同じ小学生か、中学1年生くらいだろう。

 

この船こそケイの策だった。ゴンドラは船着き場で乗る以外に水路の途中で乗り込むことも可能なのだ。そして乗り込むゴンドラは無人のものでなくてもよい。乗船可能な人数さえ守っていれば他のプレイヤーが利用中の船に相乗りさせてもらうこともできる。ケイからはそれを利用して知り合いのプレイヤーにあらかじめ船を確保してもらうと聞かされていた。

 

しかし、知り合いのプレイヤーというのがまさかこんな低年齢層の子供たちだとは思わなかった。

 

「やっぱり驚きますよね?」

 

引率と思わしき女性がミトとアスナに話しかけてきた。

名前はサーシャというらしい。始まりの町の教会で低年齢層のプレイヤーを集めて皆で暮らしているそうだ。

 

「すごいですね。私たちは自分のことばっかりで……町に子供たちがいるなんて考えもしなかった」

 

アスナがどこか沈んだ様子で言う。

ミトも同じ気持ちだった。あの日自分は自分自身とアスナを守るためだけに動いていた。他のプレイヤーのことなど考えもせず、それどころか経験値を奪い合うライバルだと決めつけて。

 

家にも帰れず、家族にも会えず。

大人の怒号と悲鳴のなか、迷子のように立ち尽くす子供がいたなんて想像すらしなかった。

 

「私も同じですよ」

 

「えっ?」

 

苦笑しながらサーシャが言う。

 

「私も他人のことをかまう余裕なんてありませんでした。ただ、ゲームの世界にとらわれてそのうえあんな恐ろしいことを聞かされて……皆さんと同じようにうろたえるしかできませんでした」

 

「でも、こうして子供たちを笑顔にしているじゃないですか」

 

アスナが言い募るとサーシャは視線を遠くへやった。

 

「私はそんなにできた人間じゃありませんよ。立て札を見なければ皆さんと同じだったと思います」

 

その存在はミトも知っていた。だれが始めたかは定かではないが広場に設置された《立て札》と呼ばれるアイテムにはその階層の攻略情報が書き込んであり、プレイヤーの情報共有に多大な貢献を果たしている。

サーシャが言うには初日の夜にはもう設置されていたらしい。

 

宿代に食事代。装備品に比べれば微々たるものとはいえSAOでは生きていくだけでも毎日コルが必要になる。

2日目の朝。外からの助けはなく今しばらくアインクラッドでの生活を強要されたことに気づいた多くのプレイヤーは各々の手段でお金を稼ぎ始めた。大半のプレイヤーは命の危険がある圏外の活動ではなく、始まりの町のクエストに狙いを定め、サーシャも同じようにクエストの情報を得るため立て札を見に行った。

 

「そこに書いてあったんです。ゲームに不慣れなプレイヤーや子供を見かけたら北の教会に連れてきてくださいって。はっとしました。その時初めてこの命がけのゲームに、子供がとらわれているかもしれないって気づいたんです。そしたらいてもたってもいられなくなって、クエストを巡りながら困ってる子を見つけて教会に連れて行くようになったんです。だから私なんてすごくもなんでもないですよ」と、サーシャは困ったように笑った。

 

「サーシャさん。よければフレンド登録しましょう。何か困ったことがあったら言ってください。私たちこう見えて結構強いんですよ。いつでも力になります」

 

アスナの提案に反対する理由はなかった。フレンド登録が終わるとアスナはきょろきょろと船を見回した。

 

「今日はその人はいないんですか? 立て札に書き込んだり、初めに教会に子供を集めだした人。私その人ともフレンドになりたいです」

 

サーシャは困ったようなよくわからないような顔をした。

 

「もうしてますよ」

 

シリカの言葉は意味が分からなかった。

 

「……?」

「始まりの町で、その……困っていた私に声をかけてくれたのも。最初に教会に人を集めたのもケイさんなんです」

「「えええええっ!!」」

 

ミトとアスナは声をそろえて驚いた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

「わざわざありがとうございました。私たちのために早起きまでさせてしまって」

船から降り、ミトとアスナはサーシャに再び感謝の言葉を告げた。

 

「お気になさらず。私たちもゴンドラは必要でしたから」

 

サーシャと子供たちはこれから4層主街区《ロービア》のクエストをこなして回るそうだ。低年齢者が多く圏外に行けない彼女たちにとって新しい圏内クエストは重要な資金源なのだそうだ。

 

……なんとなくだが、ケイがあんなに急いで階層攻略を進めたがる理由の一端が見えた気がする。

 

「それに感謝しなければいけないのは私たちの方です」

 

サーシャはアスナたちに近づくと声を小さくした。

 

「ケイさんと一緒にいるということは皆さんフロアボスに挑まれているんですよね。どうか無理はなさらず」

 

そう言い残すとサーシャは再び船に戻ってしまう。

「じゃーなー」「気を付けてねー」「がんばれー」

 

子供たちの声とともに船が遠ざかる。何とも言えないさみしさを感じながらミトは彼女たちを見送り、気合を入れて振り返った。

ロービアの町は正方形の市街を大小さまざまな水路が縦横無尽に区切っている。その中でも特に大きいメインチャネルは町の中心、転移門広場を交差する形で縦横に走っている。こうして分けられた4つの区画のうちミト達が船を降りたのは南東区画の端っこだった。

視線の先は町中ではない。眼前にそびえる門を超えた先にあるフィールドだ。

 

完全武装の衛兵NPCを横目に圏外へと繰り出したミトは《ロービア》から唯一陸路でつながっているフィールド《熊の森》に足を踏み入れた。

 

「それにしても本当にあるなんてね。造船クエスト」

 

砂と石だらけの荒野から水の豊富な地形へと一新された4層は、その景観で多くのプレイヤーの目を楽しませたが、こと攻略においては大きな問題をはらんでいた。町中の移動はもちろん、迷宮区までのフィールドにおいても歩ける陸地が存在しなくなってしまったのだ。

 

しかしNPCの小型船は圏外までは乗せていってくれないらしい。つまり現状《ロービア》の先のフィールドに進むためには水路を泳ぐくらいしか方法がない。

 

剣技が売りのアクションRPGにおいてモンスターと戦うわけでもなく、1層まるまる遠泳するだけの階層が設定されているとは考えづらい。

 

先行してこの階層を調査したケイとキリトは何とかして町の外に船を持ち出す方法があるはずだと考えた。例えば圏外を探索するための許可証を発行してもらうクエストや圏外まで船を出してくれる特別なNPCの捜索。あるいはプレイヤー自身が自分の船を作るクエスト。結果的にはこれが正解だった。

彼らは一晩のうちに正式版で追加されたクエストを突き止め、造船クエストの存在を明らかにしてみせた。

 

フレンドメッセージで情報をやり取りしたミトはたいしたものだと素直に感心した。

 

造船クエストでは船を作るための材料が要求されたそうだ。そしてその素材が取れるのがこの森エリアなのだ。

 

ミト達は一足先に到着していたキリト達と合流し探索を開始した。《熊の森》のメインモンスターはクマ型のモンスターだ。まさしく名前の通りといったところだろう。

 

そしてこの熊のモンスターからは今回のクエストアイテムである《熊脂》がドロップする。ただこのドロップは確定ではなく《熊の爪》や《熊の毛皮》といったはずれアイテムが出ることもある。

 

そしてこういう時、ネットゲーマーにはあまり喜べないジンクスがある。

 

「あーー! また毛皮! これで4連続よ」

 

物欲センサーだ。欲しいと思ったアイテムだけが確率操作でもされているかのように出なくなる。

憤慨するアスナに真面目腐った顔でキリトとケイがアドバイスをする。

 

「《熊脂》を欲しいという気持ちを抑えると出やすくなるぞ」

「逆に考えるんだ。《熊の毛皮》でもいいと」

「わけわかんないわよ!」

 

本格的にゲームをやったのはSAOが初めてというアスナにはゲーマー特有のお約束というものがわからないらしい。

 

「そもそも、いったい何個集めればいいのよ!?」

「「たくさんだ」」

 

造船クエストに要求されている《熊脂》の数は分かっていない。クエストログには表示されていないし、キリトとケイも確認していなかったらしい。森に入ってからそのことに気づいた二人は個数を聞かれるたびに同じ回答を繰り返している。

憤慨するアスナを横目にミトは一本の木に近寄った。

 

「みんなちょっと集まって」

「これは……縄張りのマークか?」

 

キリトがつぶやく。

この森で時々見かける天を突くような巨木の幹には4本の爪痕が刻まれていた。

 

「さっき倒した奴の? だとしたら大きさが合わないわよ」

「クロー系のソードスキル《ジャンピング・クロー》という可能性がないわけでもない」

「ケイさんは物知りですね」

 

アスナが感心したようにケイを見上げる。

 

「いや今のは適当に言っただけだ……アスナ、足踏んでるんだが」

「これはあれじゃないのか、森のヌシってやつ」

「森のヌシ?」

 

キリトの言葉にミトは首を傾げた。

 

「ああ、ロモロの爺さん――船大工が言ってたんだ。この森にはヌシと呼ばれる大熊が出るから気をつけろって」

 

キリトの言葉と同時にヒュウと強い風が吹いた。

 

「………………」

 

誰からともなくきょろきょろとあたりを見回すが、そこにあるのは先ほどと変わらぬ森の風景だけだった。

 

「……ま、まあ、あの感じだとレアエネミーだろうからそうそう遭遇はしないだろう。むしろ出会えたらラッキーくらいに思っていた方がいいかもな」

「それを言うならアンラッキーでしょ」

 

キリトに突っ込むアスナを見てミトは口元を緩めた。

 

「アスナもわかって来たわね。物欲センサー」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

「それにしても熊の脂が船の材料になるなんて不思議な話ですね」

 

本日十何体目かの熊を討伐し、シリカが《熊脂》のドロップを報告した後にポツリとつぶやいた。

 

「木造船なら珍しい事じゃないわよ。材木をそのまま使っちゃうと水がしみ込んじゃったり腐ったりしちゃうから、脂を使って木材を保護するのよ」

「へえー、アスナさん物知りなんですね」

 

ミトはふと顔を上げキリトを見た。

 

「船匠は船の材料がないって言っていたのよね」

「ああ。あの町を牛耳ってる海運ギルドが町全体で造船を禁止して、その材料も流通しなくなっちゃったらしいんだ」

「木材はあるの?」

「……へ?」

「その人の工房に船を作るための木材はあったの」

「いや、どうだろう。工房の奥までは見てないけど……」

 

答えながらキリトは顎に手を当てた。見回せばシリカとアスナも興味深そうに注目している。

 

「確かに木材が足りない可能性はあるな」

 

キリトはおもむろに背を預けている木をこぶしでたたいた。

 

「壊せるぞ。これ」

「そんなことわかるもんなの」

「感触でなんとなく……?」

「なんで疑問形なのよ」

 

言いながらミトもまねして木をたたいてみるが、帰ってくる感触は普通に木だ。それ以外の情報は得られない。

ケイの陰に隠れて目立ってないがキリトも相当アレよね。とミトは心中でつぶやく。

 

「ちょっと試してみるか」

 

いうやいなやキリトのソードスキルがひらめく。立木はすぐに耐久値の限界を迎えたのかポリゴンが砕け散り――

 

「……チークの心材、らしいぞ」

 

木材をドロップした。

 

 

「おそらくこれは同じ場所を何度も往復して素材を集めるタイプのクエストだな」

というのがβテスターとしてのキリトの読みだった。

 

十分な量の《熊脂》がそろったころ、《チークの心材》に加え、念のため《熊の毛皮》と《熊の爪》をもインベントリに詰め込んだケイはさすがに一人で持てないからとシリカと共に船大工のもとへ戻った。

 

ミトとアスナとキリトは引き続き熊森でレベル上げを行うことになった。移動手段がなく他のエリアに行けないための消去法のような決定だったが、ここで手に入る素材が造船クエストに使用するものだとしたらいくら手に入れても無駄になることはないので都合は良い。

 

ケイはモンスターに壊されたときの安全面もかねて、中型船を2艘以上は建造する予定だと言っていたし、それでも使い切れなければ他のプレイヤーに売ってもいい。現状ゴンドラに需要があることは町中の様子から確実だし、きっと欲しがる人は多いだろう。

 

しばらくしてケイから造船クエスト完了の報告が来る。完了といいつつも実際に船ができるのは数時間後になるらしい。また彼らはちょっとした用事があるようでしばらく2層に向かうそうだ。

 

結局、船づくりに必要な素材は《熊脂》に加えて《チークの心材》、さらに座席のシート用に《熊の毛皮》、釘代わりに《熊の爪》も必要になるらしい。次に作る予定の中型船や大型船の必要素材数も判明した。

 

また午後からは3層のエルフクエストを終了させたイスケとコタローも合流し、熊森のフィールドマップも6割以上が埋まろうとしていた。

 

実を言うと熊の爪痕がついた古木は探索中に何度か見かけていた。そのたびに何もなかったため、マーキングを見てもさして思うところもなくなっていた。

 

ズズンと地鳴りの音が響いたのはそんな時だ。

 

「待って何か聞こえるわ」

 

ミトの声に皆が立ち止まったことでより鮮明に聞こえるようになった音は、遠くから連続して聞こえてきた。次第に近づいてくるその音がまるで巨大な何かの足音のようだと思った時、それは現れた。

 

木陰の奥。ルビーのように輝く深紅の瞳に敵意をたぎらせ、小山のように巨大な体躯を揺らしながら走ってくるのは灰色の大熊だった。ミト達から数メートル離れた位置で止まると前足を上げ、二足歩行で威嚇のポーズをとる。

 

「ギャズゴロアアアアアア!!」

 

大きい。規格外の大きさだ。四足歩行時でも2層の中ボス《ブルバス・バウ》に匹敵するほどの威圧感があったが、立ち上がると格別。全長5メートルに届こうかという巨体は固い針金のような毛皮に覆われ、その下には躍動する太い筋肉が見て取れる。

 

「どうする!?」

 

キリトが叫んだが、返事はなかった。いつも指示を出しているケイがこの場にいないからだ。

 

敵を表すカーソルはやや黒ずんだ深い赤に染まっている。SAOでは敵モンスターの強さはカーソルの色から読み取れる。明るい赤は適正レベル以下の相手であり、敵が強くなるほど黒に近くなる。

大熊――マグナテリウムの色は警戒するのには十分な強さを表していた。

 

だが逃げるにしても、いきなり背を向けて走り出すわけにも行けない。

 

戦うか、逃げるか。

 

ケイの不在がパーティーメンバーの意思統一に乱れを生じさせた。皆が中途半端な立ち位置で立ち止まる。敵前でさらした隙の代償は最悪の形で払わされた。

 

マグナテリウムがガバリと口を開ける。よもや嚙みつきかと思ったがそれにしては距離が離れすぎている。いぶかしんだミトだったが、その口腔の奥にチラチラと輝く火の粉をとらえた瞬間――背筋が凍った。

 

「ブレスが来るわ!!」

 

それはベータ時代に何度か経験したファイアブレスの事前動作だった。さらに悪いことに熊の狙いはミトではない。

 

「アスナ!!」

 

ほとんど絶叫に近い声を出しながらミトはアスナのもとに向かった。合流したからといって何ができるわけでもない。火炎ブレスはミトが盾になったところで止められるものではなく、二人まとめてダメージを受けるだけだろう。だがそれでも足は動いた。

 

アスナもミトのもとへ走ってくる。だが、今は数メートルが何よりも遠い。

 

間に合わない。

 

空中に伸ばした手が届くことはなく、ミトの目の前でアスナは火炎に飲まれた。

 

「アスナッ!!」

 

ごうごうと燃え盛る火炎の奔流は実際は数秒だろうが、ミトにはとても長く感じた。

そして炎が途切れた時、そこにアスナのアバターはなかった。

 

ペタンと力なく尻もちをつく。伸ばした手が地面に落ちた。

 

「まだ敵がいるぞ!! さっさと立ち上がれ」

 

キリトが何か言っているが、ミトの頭は真っ白になっていた。

 

「アスナが……アスナが……」

「落ち着け!!」

 

グイッと肩をつかみあげられてもミトは脱力したままだった。うわごとのように友達の名を繰り返していると、耳元で大声が響く。

 

「アスナは死んでない! ウィンドウをよく見ろ!」

「へ……?」

 

緩慢に視線を動かすと視界の端にはまだアスナのHPバーが表示されていた。しかも全く減っていない。

 

「ぷはっ!」

 

思考停止から戻りかけたミトの目の前でアスナの頭が地面から生えた。次いで腕が出現し水に濡れた上半身が現れる。よく見ればそこにはマンホールを大きくしたようなサイズの水たまりが存在していた。

アスナは間一髪そこに飛び込んで難を逃れたらしい。

 

「口から火を噴くなんて、あんなの絶対熊じゃないわ」

 

「アスナっ!!」

 

ミトは思わずアスナに抱き着いてしまった。

 

「ちょっとミト! 今は戦闘中よ!」

 

アスナの咎めるような声を聴いても離す気になれない。

 

「よかった。死んじゃったかと思った……!」

 

「ああもう! みんな悪いけどしばらくモンスターの相手をお願いね!」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

マグナテリウムは最初の奇襲を除けばたいしたモンスターではなかった。火炎ブレスは厄介だったが、特徴的な事前動作と地面にぽっかり空いた泉に飛び込むという対処法さえ分かっていれば、回避不能というわけでもない。

基本動作は散々戦った熊モンスターと同じであるし、突進攻撃には簡単な対処法がある。森の中にぽつぽつと存在した大きな古木の裏に隠れるのだ。驚くべきことに熊の突進は直径2メートル以上もある巨木を一撃に粉砕してのけるが、半ば相打ちという形で熊の突進も止まる。

 

ミトは前半のふがいなさを挽回するように、そしてアスナに危害を加えようとした害獣への怒りで鬼神のごとく立ち回り、マグナテリウムはじきにその姿を散らすことになった。

 

戦果は上々。《幻の熊脂》をはじめとした熊系の上位素材のドロップに加え、熊の突進で倒れた古木からは期せずして《銘木の心材》という上位の木材を手に入れることができた。

 

ストレージを圧迫された一行は荷物を整理するために一度町へ戻ると、タイミングよくケイからも帰還の連絡があった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「やっぱりここは緑の方がいいかな。うーんでも青も捨てがたいのよね」

「ベージュっぽくてもいいんじゃない? アスナの髪とおんなじ色の」

 

ケイより一足先に船匠の家に到着したミト達は次の船の注文に取り掛かっていた。使う素材はもちろんアグナテリウム戦で手に入れた上位素材のオンパレードだ。最高のゴンドラを作れると上機嫌なアスナとともに、空中に浮かぶ造船ウィンドウをのぞき込む。男性陣は船体の色や形にさほど興味はないようでミトとアスナの二人が数十通りはありそうな船のデザインを変更し、カラーパレットで彩色していく。

 

「船のデザインを決めるのもいいけど、一回完成品に試乗してみないか? 実際に乗ってみたら気づくこともあるだろうし、後から不便なところに気づいたら悲惨だぞ」

 

遅れて合流したケイの発案で船のデザインはいったん中断。皆で船匠の家の周りで完成したゴンドラの試運転をしてみることになった。

 

「船を進水させるとき一回やってみたけど、やっぱり難しいぞこれ」

 

船と一緒に渡された操船マニュアルを読みながら四苦八苦しているのはキリトだ。その姿を見て笑っていたアスナもいざ実践してみると右へふらふら左へふらふらと危なっかしい運転をしている。ミトも似たようなものだった。

 

特筆すべきはケイとイスケ、コタローだ。ミト達と入れ替わりで乗船した3人のうちケイの操船技術は群を抜いていた。まるで船頭NPCみたいにすいすい船を動かす。

 

「現実の船とも通じるところがあるな。少し感覚が違うがコツがあるんだ」

 

イスケとコタローは別の意味で特徴的だ。

 

「あぶねえぞ!! このへたくそが!」

 

船頭がイスケに代わってすぐに、すれ違った船の船頭が陸路を並走しているミト達にも聞こえるほど声を荒げたのだ。

 

「すまんでござる!」

 

確かにイスケは水路の中央を走っていたが、邪魔ではあるものの危険というほど接近してはいない。

 

「ちんたら走ってんじゃねえぞ! ボケ!!」

 

「すまんでござるぅ!!!」

 

「なんかいやな感じ」

 

アスナがつぶやく。その後イスケはコタローに船頭を変わったが、浴びせられる罵声は相変わらずだった。

 

わざわざ猛スピードですれすれを走っていく船や、舌打ちしながら水しぶきをかけてくる船など、今まで見たことがないほど荒々しい運転をしている船さえ現れ始めた。

 

「おかしいわね」

 

ミトが疑問に思っているとキリトが一言。

 

「これクエストじゃないか……?」

 

「本当でござる……! ロモロじいに話を聞くでござるよ」

「よかったでござる。拙者の運転が下手すぎてイライラされたのかと不安だったでござる」

 

メニューウィンドウをいじったイスケたちは安堵のため息を吐くと、すぐさま船匠の家にUターンした。

 

【水運ギルド所属の船頭の様子がおかしい。船匠にもう一度話を聞け】

というのが、イスケとコタローのクエストウィンドウに表示された内容らしい。謎は残るがロモロに再び話を伺うと、彼は直接的な言及は避け一つだけアドバイスをくれた。

 

――水運ギルドの連中のことが知りたいなら夕方に町の外に出る貨物船を探るとええ。船には気性の荒い水夫連中が乗っているから見つかれば安全は保障できないがな。

 

「よくわからないわね……尾行クエストってところかしら」

「イスケとコタローにだけ反応してるってことは、おそらくエルフクエストの一環だと思うけど……エルフに水運ギルドは関係なさそうだけどなあ……」

 

ミトとキリトがベータ時代にはなかった展開に頭を悩ませている中、ケイはシンプルな解決策を示した。

 

「まあ、ここでいくら考えたって仕方がなさそうだし、ちょっと行ってくるよ」

「行ってくるって、ケイもか」

「見つかって失敗しないためにも腕のいい船頭は必要だろう?」

 

キリトにそう答えると。ケイはイスケとコタローを連れてさっさと出発した。

ミト達はとりあえず船の注文をしてから、その日は休むことにした。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

翌日。一晩かけて作成した船に分乗してミト達は町の外に出ていた。移動手段も手に入り今日からは本格的に階層の攻略を始める予定だ。さしあたっては道中に立ちふさがっているフィールドボスと戦うことになるだろう。

 

4層の町並みはその印象をガラッと変えてしまったが、実のところ岩や崖などの地形自体に変化は起きていない。この傾向が階層後半も続くのであれば、迷宮区までの道筋は大まかに把握できている。そしてフィールドボスの居場所にも見当がついていた。

 

「やっぱりいるか……」

 

階層のちょうどど真ん中に存在する湖の入り口で船を止めたキリトがつぶやく。

円形の湖には北と南に1つずつ水路が連結している。ミト達が今いる方《ロービア》につながる水路は北側だ。そして迷宮区につながる南側の水路の前には門番のように双頭の亀が待ち構えていた。

 

ベータ版ではここは単なる広場だったがやはりフィールドボスが存在していた。正式版でもどうやらそれは変わっていないらしい。

 

「ベータの時とは違うな」

「何が?」

 

自分と真逆の感想を述べたキリトにミトが質問する。

 

「前はここのボス、のっそりしたゾウガメみたいなやつだったんだよ。水没したフィールドに陸ガメなんてミスマッチだと思ってたけど、やっぱりウミガメに変えられてる。これじゃベータの時の情報は使えないな」

 

よく見てみればボスの手足は陸地を歩くためのものではなく、ひれになっている。

 

「ウミガメ……? 拙者の記憶にあるウミガメには頭が2つもないでござるが」

 

イスケは異様なボスの姿にたじろいている。

 

「どうするでござるか?」

 

コタローの言葉にケイは少しの間目をつむるとこう答えた。

 

「試してみたいことがある。もしかしたらこのボス、簡単に倒せるかもしれない」

 

 

 

 

今回のフィールドボス戦にあたってミト達は計4艘の船を用意した。二人乗りの小型ゴンドラが2艘。6人乗りが1艘。上位素材をふんだんに使った豪華な8人乗りが1艘だ。

 

わざわざ4艘の船に分散している理由はいくつかあるが、一番は沈没した時のことを考えてだ。

 

水路で出会ったモンスターの攻撃は船にもダメージを与えてくる。そして耐久度が尽きれば船は破壊されプレイヤーは水面に投げ出されることになる。そうなった時予備の船を用意していなければ、水中でモンスターと戦わなければいけなくなる。

 

もう一つの理由はターゲットを分散させるためである。皆で一つの船に乗って正面からやりあうより、入れ代わり立ち代わりボスの気を引いて、背後から攻撃できた方が安全に戦えるだろう。

 

複数の船を使う利点を説いたのはケイだったが、今彼はミト達を一番大きな8人乗りの船に集めていた。そして空になった2人乗りの船に乗り込むと何やら奇妙な光沢をもつ布を広げた。

 

「消えた!!」

 

驚きの声を上げたのはアスナだ。

 

「《忍法水面隠れ》でござるよ」

 

イスケの言葉は無視された。

 

コタローによるとあれは昨日の水運ギルドの尾行クエストで手に入れたレアアイテムらしい。水上限定かつ恐ろしい速さで耐久度が減っていくため長時間の使用には難があるものの、目にした通りのすさまじい隠蔽効果を持っているらしい。

 

無言の時が流れる。

 

ケイは何をするか具体的に説明していかなかったので、ミト達はただ待つしかない。変化に真っ先に反応したのはキリトだった。

 

「船が、ボスの横に出現した……!」

 

それからケイは合計3回ボスの前を往復し、最後にボスの顔の目の前で6人乗りの船を停泊させると泳いで戻って来た。

 

「なんていうかあなた。よくこういうの思いつくわね」

「誉め言葉として受け取っておく」

 

ミトの呆れを含んだ言葉に悪びれもせず船に乗り込んできたケイは、いたずらっぽい口調で宣言した。

 

「さあ、ボス戦を始めようか」

 

 

ここに至ればケイのしたことは明らかだった。ケイは3艘の船をボスの左右と正面に配置し動きを封じたのだ。ボスは噛みつきや頭突き、それから突進らしきものと正面範囲を狙った攻撃を繰り返したが、方向転換できない今、回り込んだ船を攻撃する手段は存在しなかった。8人乗りの船で近づき背後から無造作にソードスキルを放っているだけであっけなく倒せてしまった。

 

「でも、どうして船が壊されないの? あんなに攻撃されてたのに」

 

戦闘終了後、アスナの疑問にケイは操船マニュアルを見せることで回答した。

 

「船はもやい綱を係留柱につないでおくか、錨を降ろして無人状態にしておけば固定状態になると書いてある。昨日のうちに軽く仕様を確認してみたが、固定状態というのは持ち主以外は動かせないし、耐久度も減らない状態だったよ」

 

「それならモンスターにあっても船の心配はしなくてよさそうね」

 

昨日こだわってデザインした船に少しでも傷がつかないようにと丁寧に操船しながらここまで来ていた彼女は、戦闘でも船にダメージを与えない方法を聞いて声を弾ませた。

 

「ところがそう簡単な話でもない。船を停泊できるのは非戦闘状態の時だけで一度戦闘が始まってしまえば錨を降ろすことができないんだ。今回みたいな特殊な状況でもなきゃ嫌がらせくらいにしか使えない抜け道だよ」

 

「なぁんだ」ケイの言葉に落胆したアスナは首をかしげた。

 

「でも嫌がらせって?」

 

「例えばこの水路の横一列に船を停泊させて通行止めにするとか」

 

ミトは呆れたようなため息をついた。

 

「よくそんな悪だくみをポンポンと思いつくわね。その調子で4層をクリアする方法も思いついてくれないかしら」

 

「その事なんだが……」

半ば皮肉で言ったつもりのミトの言葉にケイは悪い笑顔を浮かべて言った。

 

「一つ試してみたいことがある」


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