三月十五日、バレンタインデーから約一カ月、今日は……正確には昨日がホワイトデーである。休日だったので渡せなかった色々な贈り物を、月曜日の今日に纏めて配る予定があった。
贈り物には返礼を、当たり前のことだな。俺もまた社会人の一員なのでこういったお返しも忘れてはならない。
実は毎年師匠からバレンタインデーにはチョコを貰っていた。何だかんだで誕生日であったりクリスマスであったりとイベント事を尊重する人ではあったので、バレンタインデーは楽しみな日であったりもする。
けれど今年はこの監獄のような学園に来たことで、悲しいことに師匠からチョコは貰えなかった。しかし代わりに縁を結んだ女性たちから色々と貰えたのでそこは嬉しいと言えるのだろう。
そしてそれは返礼の準備と数をしっかりと整えなければならないことを意味していた。師匠相手なら不意打ちで殴り掛かればそれはそれは嬉しそうに笑ってくれるので、それでお返しが完了するんだけど……。
いや、あの人は素面で「君が私を殺すのが最高の礼」だと大真面目に言う人だから、それで良かったんだけど、流石に俺だってチョコをくれた人たちに師匠と同じように殴り掛かるのは拙いということはわかる。
なのでお返しは、ケヤキモールのオシャレなお店で買ったお菓子の詰め合わせにすることにした。
三月十四日は休日だったのでその日に購入して、翌日の月曜日にそれぞれ渡していくとしよう。
中身良し、数良し、包装良し、それぞれ確認してから大きめのビニール袋片手に学校へと登校するのだった。
寮のロビーに向かうとそこでは同じようにホワイトデーの返礼に奔走する男子たちの姿が見える。清隆は昨日にポストに入れるという形で終わらせたようだが、今更ながら俺もそうするべきだったかと反省する。
いや、せっかくチョコをくれたんだから、ちゃんと渡すのも礼儀の一つなのだろう。
「あ、いたいた。愛里さん、波瑠加さん、おはよう」
学校へ向かう途中に二人を発見したので声をかける。この二人からもチョコを貰っていたのでしっかりと返礼は用意していた。
「おはよ~、テンテン」
「おはよう、天武くん」
「うん、丁度良かった。これ、一日遅れだけどバレンタインデーのお礼です。チョコありがとう、とても美味しかったよ」
「ふふ、昨日くれなかったから、てっきり忘れてるのかと思ってた。きよぽんはポストに入れてたけど、テンテンのは無かったからね」
「直接渡した方が良いかなって思ってね。どうぞ」
愛里さんと波瑠加さんにビニール袋の中から取り出した包装された小包を渡す。ちょっとしたお菓子の詰め合わせである。
「ありがとう、天武くん」
「いいさ、お礼を言うのはこっちだからさ。寂しいバレンタインデーにならなくて助かったよ。因みに返礼は少し高めの方が良いらしいからちょっとお高めなお菓子となってる」
「お、テンテンはその辺、ちゃんとわかってるね~」
少し嬉しそうに肘でこちらをぐりぐりと突いてくる波瑠加さんは、受け取った返礼を興味深そうに眺めて嬉しそうな顔をしていた。
「こういうのも良いかもね。去年まではなんか冷めた感じで見てたからさ」
「私も、ちょっと遠い世界に感じてたよ」
「喜んでくれたのなら嬉しいよ」
波瑠加さんは小包を開いて中からマカロンを一つ取り出して口に放り込む。
「お口に合うかな?」
「うん、ご~かくッ」
お墨付きを頂けたのでチョイスは間違っていなかったのだろう。この分ならば他の子たちにも呆れられることはない筈だと信じられる。
次に波瑠加さんと愛里さんは俺が持っている大きめのビニール袋を眺めて来る。そして苦笑いを作った。
「天武くん、大変そうだね、お返しが沢山あって」
「それだけ貰ったってことか、モテモテだねぇ」
「大半がクラスの女子チームのヤツだよ。個人で渡すのはそこまで多くはないさ」
松下さんが渡してくれたチョコはクラスの女子チームの代表と言う形だったが、それぞれポイントを出し合って渡してくれたのでとても感謝している。なのでお礼もしっかりと整えないといけないだろう。
個別に渡す相手はBクラスだと鈴音さんと桔梗さん、そして愛里さんと波瑠加さんくらいだろうか。別クラスや美術部の二年生や三年生を除けばだけど。
後は神室さんにもチョコを投げつけられたんだったな。当然ながら彼女用のお返しも用意してある。
三人で教室に入るとホワイトデーということもあってか、桔梗さんが大量のお返しを受け取っている光景が目に入って来た。彼女はバレンタインデーに大量のチョコを贈っていたので、この日も大忙しのようだ。
クラスの男子から多くの贈り物を貰って少し困った顔をしている彼女だが、その内心を知っているとどこか貢物を要求する女王様のように思える。
大量の貢物の上でほくそ笑む桔梗さんを想像していると、彼女と視線が結び合う。
ふふんと笑ってさあ贈り物を献上せよと言いたげな彼女に、俺は用意していた返礼を渡す為に近づいていく。
「女王様、貢物でございます」
「女王様!? それに貢物って人聞きが悪いよ!?」
「いや、大量の贈り物を貰っている桔梗さんを見たら、つい」
「もう、私ってそんな風に見えるのかな、失礼しちゃうな」
プリプリと怒りを露わにする桔梗さんはそっぽを向くのだが、こちらがホワイトデーの贈り物を見せつけると興味を向けてくれた。
「はい、これがお返しです。チョコありがとう、とても美味しかったよ」
「はいどういたしまして」
返礼のお菓子の詰め合わせが入った小包を手渡して、ウインクしながらこう伝える。
「君のはちょっと特別。どこが違うかは自分で見つけてみて欲しい」
「ふふ、どこか違うんだろうなぁ~」
こんなやりとりも忘れない、大切だからね。
次に松下さんたちの下へ向かう。女子チームが共同でポイントを出し合ってチョコをくれたので、こちらに送るのが一番量が多い。というか袋の中に入っている大半が彼女たちの分である。
「松下さん、はいこれ、お返しです」
「ありがとう、昨日くれなかったからちょっとヤキモキしたかも」
「直接渡そうと思っていたからね」
松下さんの机の上にどっさりと贈り物を置くと、すぐに女子チームが群がって来る。こうやってみると結構な人数が合同で贈ってくれていたようだ。足りなくなっては困るだろうと大量に買っておいて良かったと思う。
軽井沢さん、佐藤さん、篠原さん、等のワイワイ組と、あまり自己主張しない静かな子たちも合わさって小包の山はすぐに減っていった。
これでクラスの大半の女子にはお返しできただろう。後は鈴音さんだけだな。
彼女の席を見てみるとまだ登校はしていないようなので、机の中にでも入れておこう。彼女は変に噂されても困るタイプだろうから。
人目を盗み、そっと机の中に小包を置いてミッションコンプリート、隣の席に座っている清隆だけが何をしているんだという目で見て来るが、今は無視だ。
後は放課後に美術部の先輩たちと神室さんにも渡しておくとしよう。それに他クラスでは一之瀬さんと木下さんにも渡す必要がある。流石に放置するなんて薄情なことはできない。
そんなことを考えていると、教室の扉が開かれて鈴音さんが姿を現す。
当然のことながら自分の席に座る訳だが、そこで机の中に見慣れない物があることに気が付いたようだ。
最初は不審そうにしていたのだが、昨日がホワイトデーであることを思い出したのかハッと視線を上げてこちらを見て来る。
「あ、ありがとう……」
そして少し照れた様子で小声でそう言ってくる。とても可愛らしいと思う。
「こちらこそ」
あまりこういった時に目立つことは嫌だろうと思っていたので、小声と視線でそんなやり取りをしておこう。
なんだろう、これはこれで青春っぽいので凄く好きだ。教科書に載せたいくらいに青春的な時間である。
「清隆はもうお返しは済んだのかい?」
何だかんだでチョコを複数貰っていた清隆にそんな確認をすると、彼は当然とばかりに頷きを返してくる。
「ポストに入れておいた」
「直接渡した方が良いんじゃないかな」
「いや、それは……迷うだろ、色々と」
「そうかな? 深く考えすぎだと思うけど」
「順番とか、タイミングとか、後は人目とかも気にするくらいなら、ポストに入れた方が楽だ」
効率的な考え方である。ホワイトデーらしき情緒はまるで感じられないけど。
けれどしっかりと返礼をしているのなら安心だ。少し常識外れで世間知らずな所があるのが清隆なので、下手したらホワイトデーって何だと真顔で言われるんじゃないかと危惧もしていたのだが、杞憂で終わったらしい。
まあ彼がロマンチックにお返しをしている姿はあまり想像できないので、らしいと言えばらしいのかもしれない。
彼はそれで良いとして、後、俺がお返しをしなければならないのは他クラスと美術部の先輩たちだな。後者と神室さんは放課後で良いとして。残りはお昼休みにでも渡しに行くとしようか。
午前中の授業をこなしてお昼休み、さっそくとばかりに向かうのはDクラス。あまり赴くことのない場所だけれど、別に造りが違う訳でもないので面白味はない。
ただ人が異なればクラスの雰囲気もまた異なる。こっちは何というか……やはり龍園がいるので空気感がこっちのクラスとはガラッと変わってしまう。
言うなれば、ここだけ不良漫画の世界と言った感じになるのだ。石崎とアルベルトと龍園がいるので余計にそんな空気が漂っている。
「あん、笹凪? 何してんだよ」
教室の扉を開いて中を窺っていると石崎が俺を見つけた。
「木下さんは……いないようだね」
「アイツなら食堂に向かったぜ。つうか何の用なんだよ?」
「こんな日に女性に用があるんだ、目的は1つだよ」
「ん? 今日って何の日だっけか?」
「え……いや、ホワイトデーじゃないか、今日は……いや、正確には昨日だけどさ」
「それでお返しか……え、木下はお前にチョコ渡したのかよ!?」
「あぁ、それは別に変な話でもない。だからちゃんとお返ししないとね。君だってホワイトデーには色々と忙しい筈だろ?」
「煽ってんのかテメエッ!?」
何で彼は急にキレ始めたんだろうか、やっぱりこのクラスはダメだな。ガラが悪すぎる。一之瀬さんクラスをもっと見習った方が良い。
怒る石崎から遠ざかるように教室の扉を閉めて、木下さんが食堂に向かったとのことなのでそっちに歩を進めると、彼女の後姿はすぐに見つけることができた。
丁度、食堂に入る直前だった彼女に声をかける。
その直前、一之瀬さんの姿も発見する。どうやら彼女も食堂でお昼を過ごすつもりだったらしい。
「お~い、木下さん。ちょっといいかな?」
「え、あ、笹凪くんッ」
振り返った彼女は弾むような声を聴かせてくれる。後、一之瀬さんもこちらに気が付いたのか、食堂の入口付近に何故か体を隠して顔だけを出してこちらを覗き込んでいる……彼女は何がしたいのだろうか?
「これ、チョコの返礼……とても美味しかったよ、ありがとう」
「別に良かったのに……あはは、こういうのちょっと照れちゃうね」
「君のおかげで寂しいバレンタインにならなかったんだ。とても感謝しているよ」
お菓子の詰め合わせが入った小包を彼女に渡すと、とても嬉しそうな表情を見せて来てくれるので、こちらとしても渡したかいがあるというものだ。
小包を受け取った木下さんは挙動不審と思えるくらいに視線を右往左往させて、何かを言おうとしているようにも見えるのだが、最終的には儚げに微笑んでからお礼を伝えて食堂に向かうのだった。
これで良し、もう少しでミッションコンプリートである。
次の標的は食堂の入口から顔だけを出してこちらを覗き込んでいる一之瀬さんだ。こちらと視線が絡み合うと彼女は何故か慌てて顔を引っ込めてしまう。
ここ最近の彼女はどこか変な感じだな。いつも通りと言えばそうなのだけれど、朗らかで太陽のような笑顔が印象的であっただけに、ああして引っ込んでしまうのは何とも言えない気持ちになってくる。
「えっと、一之瀬さん」
「な、ななな……何かな?」
食堂の入口付近に引っ込んでしまった一之瀬さんに声をかけると、ギクシャクと体を動かしながらこちらに向き合って来た。
「いや姿が見えたからさ、渡しておこうと思って。ほら、昨日はホワイトデーだったけど休みの日だったから渡せなかったからね。今、お返しを贈ってる途中なんだ」
「そうなんだ……じゃあさっきの木下さんも」
「うん、チョコのお返しにね」
「そっか……うん、納得かも。笹凪くん、沢山貰ってそうだから」
「義理ばかりって言うのがちょっと寂しいけどね」
「どう、かな……そんなこともないと思うけど」
小声でゴニョゴニョと呟く一之瀬さんは、何やら期待するような瞳でこちらを見上げて来る。その表情は年相応と言うか、普通の高校一年生と言うか、僅かな幼さが垣間見える表情であった。クラスのリーダーとしての顔を良く見るので、ギャップを感じてしまうな。
もしかしたらこっちの表情が彼女の素なのかもしれない、そんなことを思いながら手に持っていた袋の中からお菓子の詰め合わせが入った小包を取り出す。
「はい、こちらがお返しとなります。チョコをくれてありがとう、とても美味しかったよ」
小包を差し出すと、一之瀬さんは両手でお椀を作って掬い上げるようにそれを受け取った。やはりギクシャクとした感じではあったが、花のような笑顔を見せてくれたので良しとしようか。
「にゃはは……凄く照れちゃう、変な感じ」
「そういうものなのかな……いや女性にとってのバレンタインデーみたいなものなんだから、そう考えると気持ちはわからなくはないかも」
つまり女性からチョコが貰えるのかどうか一喜一憂して、いざ貰えるとなると照れくさくなるあの感じと表現すれば、なるほど一之瀬さんの言うことも一理はあるかもしれない。
男も女も、こういったイベント事を楽しむことに、そこまで差は無いということだろう。また一つ勉強になった。
「そうだ、以前に言っていたDクラスからの嫌がらせだけど、その後どうなったかな?」
「あ、えと、その、気になるんだ?」
「そりゃ勿論、こちらには直接関係がないとはいえ、何だかんだで龍園の動きは注視しているからね」
「そうなんだ……えっと、金曜日になって一気に被害者が増えた感じ。他にも男子3人、女子3人。同じようにつけ回されたり声をかけられたりって報告が上がって来たの」
落ち着くのではなく、より深刻になっているようだ。
「後を付けていた生徒は誰かわかるかい?」
「わかっている範囲では石崎くん、小宮くん、山田くん、近藤くん、伊吹さん、木下さんかな」
比較的龍園の指示に従いやすい面子というか、汚いことでも勝利の過程で挟み込むことに躊躇しない面子だと思った。
「んー。でも直接的に暴力を振るわれたりとか、何かを盗られたりとかじゃないから、どうにもできないよね……でも心のケアは怠らないつもりだよ」
「そっか……一応、今の段階で学校側に訴えておくのもアリだと思うけど」
「でも、動いてくれないと思うよ」
この学校、生徒からの訴えがないとまず動かないし、動いたとしても基本的に決定的な証拠でも無ければ中立的な立場を取るからな。龍園クラスからわかりやすい暴力を受けた訳でもない現状では、大っぴらに動いたりはしないか。
その辺のラインは、きっと龍園もわかっているんだろうけど……もしかしたら一之瀬さんなら訴えはしないと甘い考えを持っている可能性もあるな。
「私、何か対応間違えてるかな?」
「俺が君の立場ならまず学校に訴えるけど、たとえ無意味だったとしてもそういった姿勢を見せることは大切だろうから」
実際に学校が動くかどうかは些細な問題である。出るとこ出ても良いんだぞと伝える必要があるってだけの話だ。
「う~ん……」
少し悩んだ様子を見せる一之瀬さん。ここで迷ってしまうのが彼女の配慮であり優しさでもあると思うけど、きっと弱点でもあるんだろうな。
そもそも、龍園と言い坂柳さんと言い、ちょっと一之瀬さんの配慮に甘え過ぎではないだろうか? 彼女の性格を計算した上でやっているのだろうけど、何でわざわざ相手に心臓を握らせるような真似をするのか俺にはわからない。
この前の坂柳さんの件だって、学校に訴えられていれば一発退場だったというのに、そうならなかったのは一之瀬さんの配慮があったからこそである。
人の美点を土足で踏み抜くべきではないと思う……いや、俺が偉そうに説教できるようなことでも無いけど。
「訴える気がないのなら、警戒することしかできないよ。何をされようとも揺るがない姿勢が大切だろうからね。相手にこんなことしても無駄だって思わせるのも戦略の一つだ」
「だね、落ち着いて対処すれば大丈夫」
元気よく笑ってくれてはいるのだが、少しだけ虚勢も混じっていたので、背中を押すようにこう伝えておこう。
「大丈夫、挫けそうになった時は思い出して」
小指を立てて彼女の前でピコピコ揺らすと、一之瀬さんは安心したように穏やかな笑顔を見せてくれた。
「うん……あの指切りを思い出すと、凄く勇気が出て来るから頼りにさせて貰うね」
「なら良かった、少しは力になれているようだ」
「……少しどころじゃないよ」
呟くようにそう言って顔を俯けさせてしまう。そして右手の小指を包み込むように左の掌で覆い隠してしまう。
「一緒に頑張ろう。俺たちにできるのはいつだってただそれだけだ」
それ以外にやれることはない。何をするにしてもそれから始まってそれで終わるだけだろう。
「それじゃあ俺はこれで」
「あ、良ければ……その、また一緒にお昼どうかな?」
「うん? いや、今日は遠慮しとくよ。友人を待たせているからね、君もだろ?」
一之瀬さんが一人で食事というのも想像できないので、きっとクラスメイトと一緒に食事をする筈だ。他クラスの人間がそこに居合わせても何でという話にもなる。いや、別にCクラスの人はそこまで排他的ではないけれど。
「そっか……ごめんね」
「また誘ってよ」
「うん、そうするよ」
Cクラスも特別試験に向けてしっかりと動いているようだ。そしてそれは龍園たちも同じであり、当然ながら俺たちや坂柳さんだって変わらない。
一年の締め括りだからな、どこも必死ということだ。
二年生と三年生はもう格付けが済んだというか、競争が成立しないような状況らしいので、一年生が一番この学校が行うクラス闘争に必死になっているのかもしれないな。
何であれ、もう一年最後の試験は目の前であった。