「美術部の異様な雰囲気」
美術部では最近、喉を鳴らす音が聞こえることが多い。
それは緊張であると同時に、奇妙な興奮から来るものであった。
「……こいつがいると、やり辛いのよね」
原因となっているのは私と同じ美術部の新入部員が原因である。ボソッと小さく呟いた私の声は誰にも届くことはなく、異様な雰囲気となっている美術部に溶けて消えていく。
「あ、神室さん、今日は来たんだ」
もの凄く部活動に熱心な訳ではない私だが、入部した手前、完全に幽霊部員にならない程度に参加しているのだが、そこまで熱心な訳ではないのでこの言い分も間違いではない。
同じ新入部員の一人がそんなことを言ってくるが、相手も別に皮肉で言っている訳ではないので怒ったりはしない、そもそも彼女の視線もすぐに美術部に広がる異様な気配の発生源に向かったからだ。
そこにいたのは私と同じ一年の新入生、Dクラス所属の男子生徒、名前は笹凪天武。
まぁ、見惚れるのはわからないでもない。ユニセックスな見た目をしていてちょっとビックリする容姿だからだ。すれ違えば思わず視線で追いかけてしまうことも無理はなかった。
確か女子の間で噂されているイケメンランキングでは上位だった筈。色気がある部門では堂々の一位だ。
それだけならば別にこの美術室をこんな異様な雰囲気にすることはないのだが、彼は偶に言葉では言い表せれない迫力のようなものを放つことがある。
どうやら今日は、その迫力が発揮されているらしい。
「……」
キャンパスを前にどこか機械的な動きで筆を動かす笹凪には、視線を引きつける引力のようなものが感じられてしまう。
普段は穏やかな顔で話しかけて来て、クスクスと笑って親しみやすい雰囲気を持っているのに、こうなると少しの恐怖を感じられるほどだ。
どこか危険な、しかし暴力的な雰囲気ではなく、底の見えない谷底を覗いたような感覚だろうか、敢えて表現するならば。
私は少しだけ似た雰囲気を知っている、同じような底知れなさを感じる相手をもう一人だけ。
色々とあって弱みを握られてしまったそいつの瞳も、似たような不気味な迫力を持っている。
あっちが不気味であるならば、こっちは重苦しくて鋭いと表現すべきだろうか。
恐ろしいと思う反面、不思議と視線が引きつけられて、この容姿だ。緊張と動揺と困惑で喉を鳴らしてしまうのも仕方がないのだろう。
男子はどちらかと言えば怖いと思うのかもしれない、女子であってもそれは変わらないだろうが、変な色気もあるのだから沼に嵌るのだ。
危険で、しかし魅力的な、そんな笹凪が、私は少し苦手であった。
こいつがこうなると美術室は変な空気に満たされるし、正直に言わせてもらえばやり辛いのだ。寮に帰って一人で活動した方がまだ気楽である。
「……」
美術室の空気など知ったことかとばかりに、無言で筆を動かす笹凪の瞳には、きっと誰も映っていないのだろう。
この異様な緊張と雰囲気に満たされた美術室が解放されたのはそれから数十分後のことである。笹凪が小さく溜息を吐いたことで一気に緊張が遠ざかっていく。
同時に、こいつが放っていた迫力と、視線を引きつける引力のようなものが消えたことで、そこら中から同じように小さな溜息が広がった。
「あれ、神室さん、来てたんだ」
「来たら悪いわけ?」
「そんな訳ないさ、俺はこうしてお話しできる機会があって嬉しいよ」
気安く喋りかけて来る笹凪に先ほどまでの迫力や引力はない。穏やかな微笑みを浮かべており、危険な魅力はどこかに消えている。
「テスト大丈夫だった? 大変だったよね」
「Dクラスに心配されたら終わりね」
「ん、確かに、人の心配してるような状況じゃなかったのは間違いないね」
「……アンタは大丈夫だった訳?」
「なんとかね。上手く乗り越えられたと思うよ、苦労したけど」
頬を掻いて苦笑いを浮かべ、困った雰囲気を出してはいるが、私はこいつが首席で入学したことを知っている。
頭が良い、というか切れる。まだSシステムやクラス分けの説明が詳しく公開されてない段階でこいつは頻繁に私にAクラスの様子や情報を訊いて来たからだ。
今にして思えば、あれは情報収集だったのだろう。
「夏にはバカンスがあるらしいから楽しそうだよねぇ」
なんてことを言いながら笹凪は、またキャンパスに向き直ってあの雰囲気を作り始めていった。
チラッと覗いた彼の瞳は、底の見えない深海のように思えた。
私は、その瞳が苦手であった。
「生徒会書記はどうやら恐れられているらしい」
「会長、眼鏡どうされたんですか?」
「……諸事情があってな、破損してしまった」
「だから今日は予備の眼鏡なんですね」
生徒会長、堀北学くんが愛用している眼鏡が変わっていることに気が付いたのは彼が登校してすぐのことでした。なかなか聞き出すタイミングがなく放課後になり、生徒会室で職務を終えた後、今は帰宅中です。
もうすぐ大きな特別試験が行われることもあって、その打ち合わせや調整の為に彼は私を食事に誘ってくださり、そこでようやく話を切り出せました。
放課後に二人っきりで食事……も、勿論堀北くんにそんなつもりはないんでしょうけど、まるで放課後デートのようです。
打ち合わせもある程度終えて話を訊いてみると、どうやら事故で壊してしまったそうです。
ただ不思議なことに少しだけ嬉しそうだったのが印象的ですね、眼鏡が壊れてしまったのに。
「なかなか興味深いものを見れた。今年の一年生は面白い者が多い、異色と言っても良いな」
「確かに個性的な子が揃ってますよね。今年は特にそうですけど」
今年の一年生には私たち生徒会でさえ把握できていない判断基準があると堀北くんは考えているようで、そこは私も同感ですね。
私たち三年生、一つ後輩の二年生、そして今年の新入生、きっとそれぞれ何かしらの判断基準があって、今年は特にその揺れ幅が多いように思えてしまう。
「橘は注目している新入生はいるか?」
「私はやっぱりBクラスの一之瀬さんですね。リーダーシップがあって、とてもいい子そうでしたから」
「……確かにな」
堀北君は評価しつつも冷静に判断します。きっと生徒会に入ることは許可しないのでしょう。
「後はAクラスの葛城くん、こちらも強いリーダーシップでクラスを牽引しているようですから」
「同意見だ……しかしな」
きっと堀北くんは葛城くんも生徒会に入ることを許さないでしょう。彼の中にある懸念が一之瀬さんと葛城くんを遠ざける筈だから。
「後はほら、あの子です、部活動説明会の前に私たちに質問してきたDクラスの……確か笹凪くんでしたね」
「あぁ、奴か、確かにな」
まだ入学して間もないのにこの学校やシステムを理解して質問して来た新入生、主席入学だというのに何故かDクラスに配属された異端の子、笹凪天武くん。
彼の名前を出した瞬間、堀北くんが興味深そうな顔をしたのが、少しだけ印象的でした。
「彼はやっぱりSシステムの本質に気が付いて……あれ?」
噂をすればなんとやら、私たちが食事と打ち合わせを行っていたこの店に、その笹凪くんが入店して来ました。
どうやらクラスのお友達と一緒のようです。
そして彼もこちらに気が付いたのでしょう、へにゃりと眉を下げて申し訳なさそうな顔をしながらこちらに近づいて来るではありませんか。
「こんにちは、お二人もお食事ですか」
「あぁ、そちらもか?」
「テスト明けなので、親睦会と打ち上げです。橘先輩もこんにちは」
「はい、笹凪くん。テストお疲れさまでした」
「ありがとうございます」
彼の眉はへにゃりと下がったままです、その視線は堀北くんに向けられていました。
「その、会長、眼鏡なんですけど、本当にすいません」
「この前も言っただろう。勉強代にしておくとな」
「え、会長の眼鏡は笹凪くんが壊したんですか?」
「はい、流れで」
「な、流れでッ!?」
「落ち着け橘、事故のようなものだ、俺は気にしていない。お前もあまり気にしすぎるな」
「そう言っていただけるとありがたいんですけど」
笹凪くんの困った視線は何故かこちらに向かいました。
「……実は一年生の間ではとある噂が流れていまして」
「う、噂ですか?」
「はい、実は生徒会書記の橘茜は生徒会長を傀儡にして裏から学園を牛耳る真の実力者で、敵対したら最後、骨の髄までしゃぶりつくされて再起不能にされてしまうと……口癖は「ケジメを付けろ」で、それを証拠に三年生たちの何人かは小指を失ってしまったとかで」
「そんな噂されてるんですか!!? え、私って一年生にそんな風に思われてるの!?」
「はい、学校の掲示板で絶対に敵対するなって書かれてました。だから橘先輩が傀儡にしている生徒会長の眼鏡を壊してからというもの、いつ後輩イビリが始まるか怖かったんです」
「しませんよそんなこと!? 私を何だと思っているんですか!?」
「ん、会長を傀儡にして学園を支配する……ヤクザの組長的な人だって書き込まれてましたから」
大慌てで学校の掲示板を確認してみると――。
「あぁッ、本当に書き込まれてる!?」
確かにそこには私が小指を切り落とすのが大好きな人だという書き込みが、しかもそれなりの数で!!
「す、すいません、俺は決して橘先輩と争うつもりはなくて、ポ、ポイントもあまり持ってませんし」
「私はカツアゲなんてしませんよ!?」
「でも、耳を揃えてしっかり上納金を納めないと、ケジメとして小指を持っていくんでしょう?」
「しませんから!?」
「……ふッ」
「会長も笑わないでください!!」
「すまない、お前たちのやり取りをみているとどうもな……さて笹凪、あまり掲示板の情報に踊らされるな、多少の冗談程度ならば許されるが、度が過ぎれば顰蹙を買う」
「あ、やっぱり本当のことじゃなかったんですね、良かった」
「まさか揶揄っていた訳じゃなくて、本当に怖がってたんですか?」
「俺はまだこの学校のことも先輩たちのことを良く知らないので」
「……よ~く覚えておいてください、私はそんなことしませんから。そして掲示板の書き込みにはしっかりとそれは間違いだって反論するんですよ」
「わかりました、橘先輩は後輩思いの善良な人物で、この学校の良心そのものだと書き込んでおけばいいんですね? 大天使橘茜だと」
「そこまで大袈裟にしなくても良いですから!?」
「ん、クラスメイトに呼ばれてるんで俺はこれで、デートの邪魔してすいません」
「デ、デートッ!?」
「何を勘違いしているのか知らないが、俺と橘はそういった関係ではない」
堀北くん、わかっていましたけど、そこまでハッキリ言わなくてもいいのでは?
「え、あぁ、そういう……頑張ってくださいね」
まさか後輩に同情される日が来るとは……。
「やはり今年の一年は面白いな」
「そ、そうですね……あはは」
後日、学校の掲示板には大天使橘茜の文字で埋め尽くされてしまいました。あの子はもしかしたら暇なんでしょうか?
「絶対に人を殺したことがあるランキング一位」
私、一之瀬帆波は少しだけ変わった所のある学園に通う高校一年生だ。色々とあった中学時代、そこから心機一転する為に入学したこの場所は、とても過酷であると同時に楽しい場所にもなった。
クラスメイトたちも良い人ばかり、皆仲が良くて、笑顔が素敵で、クラス間闘争という学校側の制度も皆となら超えていける、そう確信できるほどに雰囲気が良い。
皆の為に頑張ろう、私に何ができるかわからないけど、クラス委員長として恥じない振る舞いをするんだ。
信頼できる友達と、頼りになる仲間たち、そんな彼ら彼女らの思いを裏切る訳にはいかないんだから。
大丈夫、大丈夫、きっと私はここでやり直せる。
そんな私には、少しだけ悩みがある。それはクラス闘争が始まってすぐに起こった他クラスからの干渉である。
Cクラス、色々と噂は聞くけどあまり良いものじゃない。真に受けて信じ込むのは駄目だけど、実際にクラスメイトがちょっかいをかけられたのだから、悪い噂は根も葉もない訳ではないと思う。
「おいおい、俺たちは肩をぶつけられたんだぜ? それを謝罪なしとはいかねえだろ」
「君ってCクラスの子だよね? 昨日も一昨日もその前も私たちのクラスメイトにぶつかってたような気がするけど、どうしてそんなことするの?」
「こっちは被害者だ。俺がぶつかってんじゃねぇ、そっちがぶつかってきてんだ」
私は両手を広げてクラスメイトを守るように背中に隠す。そしてそのまま彼女の体を徐々に押しながら後退させていき、できる限り監視カメラの死角から逃れようと動いた。
「おい、逃げようとすんなよ!!」
Cクラスの男子生徒が掌を伸ばしてくる。背後で小さな悲鳴が上がって、私の手とは何もかもが異なる暴力的なそれから逃れるように顔を背けようとするのだが、触れられる前に待ったをかける声が届く。
「何をしているんだい?」
声をかけてきたのはDクラスの有名人、笹凪くんであった。
不思議な、言葉で表すことができない、奇妙な存在感を持つ彼に視線を引きつけられる。それはCクラスの男子生徒も同じみたいで、ギョッとした顔をしていた。
気持ちは、笹凪くんには悪いけどわからなくはないかも。
振り返って彼がいれば誰だって驚く、だって変な引力みたいなものを持っているからだ。
何より瞳が怖い、こんなことを思っちゃいけないんだけど、やっぱり怖い。
とても力強くて、思わず喉を鳴らしてしまい、視線を結び合うことができず顔を反らしてしまいそうになる、眼力。
Cクラスの男子生徒は冷や汗を流しながら狼狽えてしまう。気持ちがわかってしまうのが笹凪くんに申し訳なかった。
「お、覚えてろよ!!」
彼は何故か笹凪くんにではなく私にそういって足早に去っていく。
「大丈夫かい? 一之瀬さん」
「あ!! 大丈夫だよ、助けてくれて本当にありがとう!!」
「さっきの、Cクラスの生徒かい?」
こちらに話しかけて来る笹凪くんからは、先ほどの圧力のようなものを感じなくなっている。とても穏やかで親しみやすくて、笑顔が素敵な男の子だった。
偶にだけど彼はああいった雰囲気になる。前に図書室で出会った時も同じような迫力を感じたことを思い出す。
「うん、最近、ちょっと嫌がらせされることが多くて」
「それは大変だね。Cクラスはガラの悪い奴が多いとは聞くけど」
「たぶん、龍園くんの指示なんだと思うんだ」
「龍園……確かCクラスのリーダー的な人だったかな。しかしそうなると組織的な嫌がらせってことか、目的はポイントだろうか」
「ポイントもそうだけど、各クラスの性格や対処能力なんかも知りたいんじゃないかな……なんていうかねぇ、決定的なことまではしてこないんだよ。押して引いてを繰り返してるみたいな」
「そうか……加えて言うのなら、学校側の対応も知りたがってる感じかな」
それもありそうだと思う。どこまでやれば学校側は介入してくるのかを知りたいのかな。
「Dクラスも気を付けた方が良いと思うな」
「そうだね、確かに注意する必要がありそうだ……心配してくれてありがとう」
「にゃはは、良いよ良いよ、助けて貰ったのはこっちなんだから」
彼は穏やかに微笑んで見せる。そこに先ほどまでの圧力はどこにもなく、心が休まるような包容力のようなものさえあった。
こういうのをギャップというのかな? 女の子たちがうっとりするのも頷けるかもしれない。
彼とこんなやり取りをしてからというもの、Cクラスに嫌がらせされたり、監視カメラの死角で詰め寄られたりすると、彼がフラッと現れては睨みつけて撃退することが多くなったと思う。
そのせいだろうか、後日、彼は「絶対に人を殺したことがあるランキング」で龍園くんを抜かして堂々の一位を記録してしまう。
凄く優しくて穏やかな男の子なんだけど、あの圧力を知っていると納得してしまう私がいるのだった。
「ハリウッド超大作、サムライは二度死ぬ、日本より愛をこめて」
「そんな、嘘ッ、彼が死ぬはずないッ!!」
「はッ、死んだよ。あれだけの爆撃と銃撃を受けたんだからな。不死身の男といえど確実に死んでるはずだ。仮に生きていたとしてどうやってここに辿り着く? 海の上にある船にな、しかもここには私の部下が大量にいる、淡い希望は持たないことだな」
「嘘、嘘よッ!! 彼は約束してくれた、私を必ず守ってくれるって!!」
「わめいてないでこっちに来い!! お前の首には懸賞金がかかっているんだからな、逃げられる筈もないだろう」
「例え私を人質にしてもお父様は揺るがない!! 必ず我が国の未来を切り開く選択をしてくれる筈よ!!」
「ククク、どうだかなぁ、あの石頭の政治家と言えど人の親、大事な娘が人質に取られていたら怯んでくれるだろうよ……さぁ、こっちに来い!!」
「いやぁ!? 助けてッ!! お願い!!」
私はありったけの力を込めて彼の名を叫ぶ。政府からの依頼を受けたとかで、ここまで共に行動して私を守ってくれた不思議な護衛の名を。
「テンブ!!」
彼は死んでない、銃で撃たれたって、刃物で襲われたって、何十人もの暴漢を前にしたって、彼は倒れることがなかったんだから。
「ふッ、無駄な足掻きを、王子様はとっくに死んじまったよ。シャロンお嬢さん」
捕まる訳にはいかない、私が捕まってしまったら祖国の腐敗を止めようとしているお父様に迷惑がかかってしまう。だから護衛役を雇ってアメリカに私だけを亡命させようとしたんだから。
「お願い、助けて、テンブ!!」
「やれやれまったく、死んだ男なんかより私がいるというのに」
「いや、お前では俺の代わりは務まらないよ」
「誰だッ!?」
振り返った先、そこにいたのはここ数日の間、ずっと傍らにいてくれた男の子だった。
「テンブ!! 良かった、生きていたのね!!」
「あぁ、待たせたなシャロン……怖かっただろう、もう大丈夫だ」
「……ククク、なるほど。どうやら不死身の男という噂は本当らしい。一つ訊いておこうか、この船にどうやって?」
「泳いで来たに決まってるだろ、因みにアンタの部下は全員寝てるよ」
「……」
筋肉の鎧を纏った男の存在感が跳ね上がる。それに応じるようにテンブの存在感も跳ねあがった。
「銃を使わないのか? 別に構わないが」
「そんな勿体ないことはしないさ、これほど極上の獲物なんだ。久々に嬲りがいがあるってものさ」
「そうかい、使った方が良いと思うけどな」
「無粋だとは思わんかね? 銃だのガスだのドローンだの、男の戦いなど拳一つで十分だ」
「その意気やよし、だが勝つために全力を尽くさない姿勢は感心できないな」
「お前だって銃を持っていないだろう?」
「そりゃそうだ、ぶん殴った方が早いからな」
「それでこそ殺しがいがある」
「……後悔するなよ」
そこからの戦いはまさに激闘だった、拳と拳で語り合う男の世界であり、血で血を洗う聖戦である。
女の私には立ち入ることの叶わない力の相克はいっそ美しく、嫉妬してしまうほどに二人だけの世界だった。
それでも私のテンブは最後まで立っており、彼はいつものように穏やかな笑顔で私に手を差し伸べる。
「お待たせ、お姫様。舞踏会には間にあったかな?」
「テンブ!!」
彼に抱き上げて貰った瞬間に、迷いも不安も消し飛んでいく。彼がいればもう大丈夫だと確信できるのだった。
「さて、アメリカまでもう少しだ。香港を経由して日本、そこからハワイだな」
「貴方との旅も、もうすぐで終わり……ね、ねぇ!!」
私の胸に宿った想いは、きっと別れに耐えられない。ならばいっそここで。
けれど彼はそれ以上を言わせないとばかりに人差し指で唇に触れて来る。ズルい男の子だ。
「シャロン、その先を言ってはいけないよ。君が見て知った男は、ただの幻、一夜の夢でしかないんだ。そんな男のことなんて忘れてしまいなさい」
「……ズルい人ね、貴方は」
「かもしれないね」
「でもいいわ、私の誘いを断ったことを後悔するくらいに良い女になってやるんだから」
「それは楽しみだ」
忘れられる筈がない、こんなにカッコいい男の子のことなんて。
彼がくれた恋と憧れは、きっと人生を変えてしまうほどに、大きなものなんだから。
サムライは二度死ぬ、日本より愛をこめて、完。
「あ、もしもし師匠ですか? 引き受けた仕事なんですけど、無事に終わらせられました。護衛対象はワシントンまで届けましたよ、はい……じゃあ俺はせっかくなんで、ちょっとこっちで観光でも……え? 今すぐ帰ってこい? 明日から学校? あれって冗談じゃなかったんですか?」
「はッ!?」
オレは慌てて目を覚ます。あまりにも奇妙な夢を見てしまったことで、うなされていたのか体は汗でびっしょりだった。
なんて夢を見ているんだろうか、笹凪が何故かハリウッド映画のように大暴れしているような夢である。
ベッドから起き上がると、オレの部屋には池と山内と須藤と博士の姿があった。
そういえば、昨日は高校生らしく夜中に部屋に集まって映画の鑑賞会をしてたんだったな。
机の上にはスナック菓子とペットボトル、そして部屋を眺めると須藤たちはいびきをかいて眠っているのが確認できる。
そして積まれたDVDの塔の一番上にある物を手に取った。
「ハリウッド超大作、サムライは二度死ぬ、日本より愛をこめて、か……」
昨晩に、最後に観たのがこの映画であった。きっと変な夢を見たのはこれが原因なのだろう。
「あれ、起きてたのかい、綾小路……おはよう」
「あぁ、おはよう笹凪、朝早くにどこに行ってたんだ?」
「日課のランニングだよ」
そう言った笹凪はジャージ姿に着替えており、既にかなりの距離を走って来たらしい。
「綾小路、なんか変な顔してるけど、どうしたんだい?」
「なんでもない、少し夢見が悪かったんだ」
「そうか、まぁそんなこともあるかもね」
笹凪はクスクスと笑っていた。
そこに夢の中で暴れまわっていた雰囲気は皆無で、本当に奇妙な夢を見てしまったものだと思うしかないのだった。