ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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一年度最終特別試験 4

 

 

 

 

 

 

 

「よろしくお願いします」

 

 長かったこの試験も遂に最後となる。何の因果なのか選ばれたのはチェス。坂柳さんの得意分野であると同時に、清隆にとっても悪い競技ではなかった。

 

 Bクラスとしての最高は柔道や腕相撲であったのだが、ランダムの抽選にケチを付けても意味がないのでここは受け入れよう。

 

 現代文のテストで平均点を大人数で競うとかじゃなかっただけ、まだマシであった。

 

 最終試験のチェスが行われる多目的室、そこで俺はチェス盤を挟んで橋本と向かい合う形なのだが、共に頭にインカムを装着して試験が開始すると同時に、早速とばかりに司令塔である二人が指示を出してくる。

 

「おいおい、初手からお姫様が出て来るのかよ」

 

「橋本、君の棋力はどんなもんなんだい?」

 

「それなりって言いたいが、笹凪相手にどうこうってレベルじゃないだろうな。お前はお姫様とも戦えるくらいに強いんだろう?」

 

「さてどうだろうね、以前にあのカフェで対局した時は結局引き分けに終わったけど」

 

「それって滅茶苦茶強いってことじゃねえか」

 

 あの時は確かに引き分けだったが、今ではどうだろうな……清隆との対局を繰り返したおかげでこっちの思考力も鋭くなっているし、師匠モードも随分と深まったからな。

 

 もし坂柳さんの実力があの時から大きく変わっていないとすれば、もしかしたら清隆との戦いは一方的な物になるかもしれないが、まあ今はこの対局に集中するとしよう。

 

 俺は清隆の指示に従う立場ではあるが、もしかしたら三十分の時間制限を超えて対局が続くこともあるので、バトンタッチされた時に備えてしっかりと準備しておかなければならない。

 

 初手の初手から、清隆の棋力をトレースしていき、バトンタッチされる瞬間までその構想力を理解して受け入れなければならないだろう。

 

 大丈夫、もう彼とは何度も対局したから、どう動いてどう攻めてどう守るのかがわかる。変なアドリブをこの状況で挟んで来ることもない筈だ。

 

 つまり、俺はもう一人の清隆にこの場ではなれるということである。

 

 インカムからの指示に従って先手の駒を動かすと、橋本も同じように定石とも言える手を坂柳さんから指示されて打って来た。

 

 そのまま俺と彼はラジコンとなって、二手、三手、四手、五手と駒を交互に動かしていく。淀みもなく迷いもない動きだな。ここまでは誰にだって出来る動きでもある。言ってしまえばどう攻めるかの準備のようなもの。

 

 さて本格的に殴り合いだと清隆の思考をトレースしていく。俺が彼ならここに駒を動かすだろうという判断は、インカムから流れて来る全く同じ回答によって同調することになる。

 

 どうやら俺は、もう一人の清隆にしっかりとなれているようだ。

 

「一つ疑問があるんだけどよ」

 

「ん、何かな?」

 

「いやさ、何で綾小路にプロテクトポイントが与えられたんだろうなって思ってな」

 

「そりゃ他クラスからの賞賛票が入ったからだよ」

 

「それだよそれ、何でそうなったのかわからないんだよな」

 

 橋本が坂柳さんの指示に従って駒を動かす。

 

「お前が大量のポイントをばらまいて全部のクラスから退学者を出さないようにしてたのは知ってるぜ」

 

「よくわかってるじゃないか」

 

「そりゃ誰だっておかしいって気が付くだろ。あんな滅茶苦茶な試験で退学者が出ないなんてな。でもだからこそ疑問なんだよ、それだけやったのなら自分に賞賛票を集めるだろうからな」

 

 なるほど、橋本から見れば俺の行動は奇妙に映ったらしい。

 

「俺は別にプロテクトポイントは必要なかったからね。それなら仲の良い友人に持ってもらいたいと思ったんだよ」

 

「で、綾小路か……それで本音はどうなんだろうな」

 

「本音か……橋本はどう思うんだい?」

 

 そこで橋本は駒を動かしながら考え込む。ラジコンとしての務めを果たしながらも俺たちは会話を続けていった。

 

「あ~……実はアイツには凄い秘密がある、とか?」

 

「坂柳さんが執着しているようにも見えたって所か……まあそれを知ることに大した意味はないよ。誰にだって秘密はあるんだ、わざわざ掘り返すようなものでもない」

 

「今のはお姫様への皮肉か?」

 

「そんな訳ないだろ、俺はそこまで暇じゃないよ」

 

 因みに今のセリフだって別に皮肉で言っている訳じゃない。俺は坂柳さんに思う所は何一つとして無いし、女の子には優しくしなさいと師匠から言われているから責めるつもりもなかった。

 

 あの一件は変な様子見なんてしないで速攻で終わらせなかった俺が間抜けだったで語れてしまう話だ。一之瀬さんには俺が馬鹿だったことで損な役回りを押し付けてしまったのだろう。本当に申し訳なく思っている。

 

「けれど想像するだけなら自由だ。色々と考えて自分なりに納得すれば良いさ」

 

「やれやれ、お前さん相手に交渉は難しそうだな」

 

「そうでも無いと思うけど」

 

「だって欠片も揺さぶれないからな。暖簾に腕押しって言うか、ずっと軽く躱されそうだ」

 

「諦めるのはよくない。こっちはこっちで舌戦を繰り広げよう……あちらと同じようにね」

 

「へいへい……そんならさ、笹凪は好きな相手はいないのか?」

 

「お、恋愛系の話で来るか、受けて立とうじゃないか」

 

 インカムから伝わって来る司令塔からの指示を受けてチェスをしながらも、こちらはどこか穏やかな感じで会話が進んでいく。俺たちは言ってしまえばラジコンだからな、頭の片隅で清隆の構成力をトレースして戦局を予想しながらも、残ったリソースは橋本に向けておけば問題ない。

 

 頭の中では師匠モードの俺がとても頑張っている。集中することは彼に任せておけばこっちは楽なものである。

 

「好きな相手かぁ、なかなかに難しい問題だ……この学校には魅力的な子がとても多いからね」

 

「わかるぜ、やっぱそう思うよな」

 

「だよね、勘違いじゃないよね……他の学校のことはよくわからないけど、ちょっとおかしいレベルだと俺は思ってたんだ」

 

 インカムから伝わる清隆の指示に従って、また駒を動かす。

 

「それでさ、この学校は実力主義を掲げている訳だから、もしかしたら容姿も実力の内と考えてるんじゃないかって想像してたりするんだよね」

 

「なんだと……いや、確かにこの学校の女子たちを見ると、完全には否定できないのか」

 

 橋本も何やら衝撃を受けたかのように考え込む、しかし手はしっかりと駒を動かしていた。

 

「きっと学園長の趣味なんだ」

 

「変態だな、この学校の学園長は」

 

 まさかの評価である。坂柳さんのお父さんは娘の手下から変態扱いされてしまうなんて。後で坂柳さんに告げ口しておこうかな。

 

「橋本はモテるって話は聞くけど、彼女がいるって話は聞かないよね」

 

「まぁな」

 

「本命がいるとかかな?」

 

「どうだろうな、何せこの学校の女子はとにかくレベル高いから、ちょっと目移りするんだよ」

 

「Aクラスだと神室さんとか綺麗だよね」

 

「あ~、確かにな、綺麗だけどツンツンしてて……まあそこが可愛くはあるんだけどよ」

 

 どうやら橋本はツンデレ好きであるらしい。いや、別に神室さんがそういうキャラだと言う訳じゃないんだけどさ。

 

「坂柳さんはどうだい、交際相手としてはさ」

 

 そんな提案をすると、橋本はもの凄く苦い何かを噛んだかのように渋面を作ってしまう。

 

「君、その反応は幾ら何でも坂柳さんに失礼だって」

 

「いやいや、お前、あのお姫様だぞ……見た目はそりゃ可愛いけど、中身はプレデターみたいな人だし」

 

「酷い、坂柳さんにチクッておこうかな」

 

「おい止めろッ!? ちょっとした冗談だから本気にすんな!!」

 

 橋本との会話は面白いな。彼は人見知りとは程遠い人間だからとても話しやすい。きっと長所でもあるんだろう。

 

「俺の話はいいっての、それより笹凪はどうなんだよ。狙ってる女子とかさ」

 

「ん~……なかなか縁がないんだよね。そりゃ凄く青春っぽいから恋人は欲しいと思うんだけどさ。でもそういう意識で付き合うのって駄目っぽいんだよね」

 

「そうか? 本気で好きじゃなくてもお試しで付き合ってみるのも悪くないけどな」

 

「お試しで? なるほど、そういう軽い感覚で交際する男女も世にはいるのか……ありがとう橋本、凄く勉強になった」

 

「お、おう、そうか……やっぱお前と話すとなんか調子狂うな」

 

 変な動揺を向けられながら、それでも橋本は戦局を次に動かす。

 

「笹凪と仲が良い女子って言うと、やっぱ堀北か?」

 

「あぁ、そうだね、彼女とは親しくさせて貰っているよ。それにとても頼りにさせて貰っている」

 

「へぇ、なら俺が堀北に告白して試しに付き合ってみたらどう思うんだ?」

 

「ん、それはそれで良いんじゃないかな」

 

「動揺しないんだな」

 

「きっと俺は……まだまだ幼いんだろうね」

 

 この学園に入学して、少しだけそう言った感情をわかりそうになってはいるけど、まだどこか遠い。

 

 何かもう一つ切っ掛けでもあれば、何かを得られるような、そんなことを思う。

 

 男の嫉妬は見苦しいとも言うけれど、そもそもそういった感情を持てない俺はやはり幼いんだと言うべきなのかもしれない。

 

 それに、正義の味方になると決めたあの時から、自分以外の誰かは全て守るべき対象のように思えてしまう。特別な誰かというのを作れない精神状態になっているのだろうか。

 

「嫉妬一つ出来ない男に……恋は遠いのかな」

 

「笹凪?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 チェス盤の横に置かれていたペットボトルに手を伸ばし、蓋を開いて喉を潤すと、橋本も思い出したかのように同じことをした。

 

「さて、君とのお喋りはとても面白いものではあるが……そろそろこちらに集中しようか」

 

「だな……まあなんつうか、俺はもう追いつけてないんだけどよ、レベルが高すぎて」

 

 完全にラジコンになっている橋本には、司令塔の二人の戦いに付いていけてないようだ。無理もない、高校生レベルを超越したゲームだから、大抵の人がそうなってしまうだろう。

 

「これって今、どっちが勝ってるんだ?」

 

 橋本から見た戦局はそんな感じらしい。つまりそれほど高度な戦いということだ。

 

「ん、六対四……七対三で清隆優勢かな」

 

「マジかよ……いや、こっちの方が少し駒が少ないのはわかるけどよ」

 

「坂柳さんは時間も結構使っているよ」

 

「そっちの司令塔はすぐに打ち返してくるよな」

 

「調子が良いんだろう」

 

 そして今も、橋本が駒を動かして一秒も経たずに最適解の一手を指示される。ここまで俺と清隆の構想力は完全に一致しているな。

 

 こちらが僅かな時間で打ち返すと、今度は橋本のターンになるのだが、彼はインカムから伝わる筈の坂柳さんの指示を待つだけである。

 

 そのまま十秒、二十秒、三十秒と時間が過ぎ去っていくのは、彼にとってはとても苦痛な時間なのかもしれない。

 

「頼むぜ、お姫様ッ……」

 

 そして五十秒ほど過ぎた段階で、ようやく坂柳さんからの指示が届き、彼は駒を動かすことができたのだが――。

 

「了解」

 

 こちらはそれに僅か一秒で対応してしまう。清隆はノリノリのようだ。

 

「おいおい……」

 

 そしてまた橋本は坂柳さんの指示を待つことになる。きっとこの数十秒は彼にとって冷や汗を感じる瞬間なんだろうな。

 

 どれだけ長考して最善と思われる一手を指そうとも、こちらは僅か一秒で返してくるのだ。そのプレッシャーと鋭さは見えない刃となって相手に届く。

 

 既に戦局は一方的な展開となっている。それこそ蹂躙とさえ言っても良い状況だ。

 

 坂柳さんは強い。それは間違いない。実際にあのカフェで対局した経験がある俺はそれを知っている。

 

 あの時は結局、引き分けになってしまったんだよな。

 

 だがあれから俺は清隆と何度も対局して百回以上の勝利と敗北を積み重ねて来た。あの坂柳さんとの対局から遥かに思考力は鋭くなっている。

 

 何よりも師匠モードが更に深まったのは間違いない。もし今、俺と坂柳さんがチェスで戦ったらどうなるだろうかと考えてチェス盤を眺めてこう納得した。

 

 あぁ、これなら勝てるなと。

 

 あのカフェでの対局から彼女の棋力はそこまで成長していないらしい。それをこの状況が証明している。

 

 もう一度言うけど坂柳さんは強い。それこそチェスの世界で名を広げていても不思議ではないほどに。

 

 

 

 だけど、神の一手には届かない。

 

 

 

 それを証明するかのように、こうして追い込まれているのだろう。

 

「姫さんッ……これで終わりじゃないよな」

 

 願うように、そして祈るように、冷や汗を流しながら指示を待つ橋本は、縋るようにインカムから流れて来た声に従って駒を動かす。

 

 だがこちらは無慈悲に、いっそ残酷な程に、首を切り落とすかのように、僅か一秒で完全完璧な一手を叩きつける。

 

 その度にあちらの長考は長くなる。さっきからずっとこの繰り返しであった。

 

 このまま続けばほぼ間違いなく清隆が勝利するだろう。横綱相撲の如く、素人とプロの如く、何もかもを凌駕して清隆が勝利する。それは水が上から下に流れるかのように自然な法則に思えた。

 

 橋本のそれを理解できたのか冷や汗が止まらず、とても焦った様子でチェス盤を眺めている。

 

 タップリと一分以上を使って戦局を動かそうとも、こちらは余裕を持って一秒もかけずに打ち返す。

 

 相手からしてみれば、この世の終わりのような気分になるかもしれないな。それほどの力を見せつけている。

 

 このまま難なく勝利する、頭の中にいる師匠モードの俺もそこまで見えている。もし司令塔の時間制限になった場合はこちらにバトンタッチするので、それに備えて清隆の動きと思考をトレースしていたのだが、この調子ならそうなる前にケリが付きそうだな。

 

 もう詰みまで近い。この戦い、俺たちの勝利だ――――。

 

 

 そう思っていたのだが、インカムから流れて来る指示に、師匠モードの俺が待ったをかけてしまう。

 

 

 なんだこれは、どうしてこの局面でこんな無駄な手を打つ? 既に詰めまで見えて来ているというのに。

 

 何らかの間違いかと思ってインカム越しの指示を待つのだが、やはり結果は変わらない。

 

 清隆は、ここでわざわざ負けるような決定的なミスを俺に打たそうとしているのだ。

 

「どういうことだ?」

 

 師匠モードの俺はそこに打つべきではないと言っている。同時にうなじにはチリチリとした変な感覚が広がっていた。

 

 この感覚を俺は知っている。死にそうになる時や、危機が迫っている時に、いつも走る感覚であった。

 

 以前に、学園長に頼まれて清隆のお父さんと出会った時も似たような感覚があったな。

 

 あの時はつい月城さんを一方的にぶん殴ってしまったんだったか。いや、アレは銃を持っていたあの人が勝手に足を滑らせたで解決したんだったか。

 

 問題はそこではない……どうして清隆はここでこの手を打つことにしたかだ。

 

「ん……」

 

 師匠モードに移行して思考を加速させる。そして星の数ほどの帰路を俯瞰して計算していく。

 

 出した結論は、ここで清隆の指示通りに駒を動かせば戦局は不利に繋がると言うことだけだ。

 

「……」

 

「……ひぇ」

 

 チェス盤の向こう側にいる橋本が、師匠モードになった俺を見て恐れるような声を出して青ざめた表情を見せている。

 

 だがそれも今はどうでも良い……清隆の指示だ。

 

 考えられるのは変なアドリブを入れて遊びだしただろうか。もしくは俺が気が付いていないだけで深い考えがあるとか。

 

 或いは、坂柳さんと交渉して花を持たせることに決めたのか。

 

 

 もしかしたら――――。

 

 

 とある可能性に行き着いて、より師匠モードを深めていく。

 

 可能性としては、絶対とは切り捨てられない。

 

 だがそこまでやるかという思いも僅かにある。けれど否定もできない。

 

「……そうか」

 

「お、おい、笹凪?」

 

「そうかそうか」

 

「あの、その雰囲気を止めてくれねえか? 背筋が震えて物凄く落ち着かないんだが」

 

「……」

 

「……」

 

 橋本が何か言っているようだが、最後には黙って顔を青くしてしまう。悪いとは思っているがこればかりはどうしようもない。

 

 腹の奥に変な感覚があった。上手く表現できないそれは熱となっていき、体中に広がっていく。

 

 だがここで爆発させる訳にもいかない。しかし力加減を誤ってしまったことで、俺は指先に掴んでいた駒を割り砕いてしまった。

 

「こ、駒……割れちまったぞ?」

 

「問題ない、別に使えない訳でもないからな」

 

 半分ほどのサイズになってしまったが使う分には問題ない。機能を果たせないこともない。だからその駒を俺の判断で進めた。

 

 すると橋本は動揺しながらも坂柳さんの指示を受けて駒を動かす。今度は随分と早い。

 

 それにこちらも一秒で対応すれば、また橋本が坂柳さんから指示を受けて一秒で返す。

 

 そこから先はとにかく鋭いペースで駒が動き続けていく。こちらが一秒で返せば、あちらも同じ速度で返してくる。その繰り返しだ。

 

「お、おいなんだよこれ!? なんで急にペースが上がったんだ!?」

 

「しっかり付いて来い橋本、この期に及んで足を引っ張ったら許さないぞ」

 

「敵側のお前がそれを言うのかよ!?」

 

 今、俺たちがやっているのは一秒チェスのようなものだ。加速する思考は一秒で星の数ほどの岐路を見せて、活路を選び抜く。

 

 俺がそうすれば、橋本を操る坂柳さんもそう返す。その繰り返し。

 

 頭に付けているインカムは相変わらずこちらが不利になる指示を下すだけ……邪魔だなこれ。

 

 息を付かせぬ攻防、加速する思考が選び抜く最善と最高の一手で互いに身を削り合う。

 

 

 あぁ間違いない、俺たちは今、神の一手に触れられる位置にいる。

 

 

 この鋭い切り返し、ここまで押されていた坂柳さんはもしかしたら吹っ切れたのかもしれないな。

 

 強い、素直にそう思う。

 

 そして同時に残念だと思ってしまう。今の坂柳さんと、出来る事ならば五分の状態から戦いたかったと。

 

 彼女は序盤に清隆に押され、それなりの数の駒を失ってから覚醒したらしい。この状況で俺にバトンタッチされてしまったのだが、駒数の関係でどうしても不利になってしまう。

 

 こっちは清隆が残してくれた駒があるのだ。もし長考が必要になったとしても落ち着いて動けるだろう。

 

 彼女が一秒で判断するのは、見えていることもそうだが同時に持ち時間が少ないという状況だからだ。

 

 とても悲しい。

 

 凄く残念だ。

 

 今の坂柳さんが相手ならば、きっと俺は余裕綽々での勝利など出来はしない。そんな凄みすらも感じてしまう。

 

 だからこそ残念だ……たった今、司令塔として関与することが出来る三十分が終わってしまった。

 

 戦局は、未だこちらが優勢。最後の猛攻を俺は全て受けきることが出来た。

 

 後もう三十分あれば……いや、たらればの話に意味はないか。

 

「お姫様……もう、無理ってことかよ」

 

 橋本がインカムを取り外して絶望した顔をしている。ここから先は俺と彼の戦いだが、もう諦めてしまっているらしい。

 

「諦めるな」

 

「リアリストだからな、お前に勝てるとは思ってないんだ」

 

「……そうか」

 

 

 そこから十八手動かした段階で、俺はチェックメイトを相手に叩きこむことになる。

 

 

 この戦いは、Bクラスの勝利となった。それは喜ぶべきことなんだろう。

 

 あぁ、とても嬉しい、それは間違いない。

 

 だけど腹の奥から全身に広がっていく熱は未だに消えはしない。

 

 矜持をかけた戦いにしようと指切りをしたことを思い出す。結果的に勝てはしたが、こんなにも煮えくり返るような気分になるとは考えていなかった。

 

 誇りは、重要だ。

 

 願いも、大切だ。

 

 純粋な戦いを尊ぶべきだ。

 

 この戦いで、一欠片の恥もなく進んで行けるという確信もあった。

 

 

 

 あぁ―――。

 

 

 

 そう言えば、東京湾が近いな。

 

 

 

 

 

 




幸運「じゃあ後よろしく」

悪運「了解」
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