月城さんからそれなりの賠償を受け取った俺たちは寮への帰路を歩いていた。色々とこれからのことで相談したいこともあったので、三人で帰ることになったからだ。
その道中、俺と清隆のスマホにはクラスメイトたちから労いと感謝の言葉が幾つも届くことになる。一年の最後をAクラスに勝利するという最高の結果で締めくくれたことで、興奮を隠しきれないらしい。
こちらもそれぞれにメールを送って健闘を称えた後、今回の試験の立役者の一人である鈴音さんにも感謝の言葉を送っておこう。
あの二周目作戦は素直に感心したからな。もし最終試験に出ていたのが俺じゃなければほぼ嵌め殺されていただろうし、鈴音さんの作戦勝ちとも言えるのだから。
「フフ、お二人とも、クラスメイトに慕われているようですね」
ひっきりなしにメールが届く俺と清隆を見て、坂柳さんがそんなことを言った。
「まぁな、お前とは違う」
「清隆、なんか坂柳さんに辛辣じゃない?」
「そんなことはない、別にオレに思う所は何もないからな」
「そう言うのは、もっと不機嫌な顔を隠しながら言うものですよ綾小路くん」
少し挑発する二人だが、こちらに視線をやってから溜息を吐く。
「天武くんの前で喧嘩は止めておきましょうか」
「異論はない」
二人は何やら納得して頷くと、寮への帰り道を歩き出す。
「今回は私の完敗です……思い上がっていたのでしょうね」
そして坂柳さんはポツリポツリと語りだした。
「天才の証明も、ホワイトルームの否定も、そして私自身の願いも……今では何とも空虚に感じてしまいます。綾小路くんが言ったように、そんなことに拘っている場合ではないのでしょう」
清隆はそんなことを言ったのか、女の子にはもっと優しくすべきだと思う。
「敗北は必要だと思うよ。どんな人にもだ」
「おや、この世で最も敗北から遠い人がそれを言うのですか?」
「それは誤解だよ坂柳さん。俺はきっとこの世で最も敗北を知っている人間だ」
敗北も挫折も師匠から星の数ほど刻まれた。既に心は粉々である。
「だからこそわかる。俺も君も、そして清隆も、まだまだ高校生で未熟でしかないのだと。偉そうに聞こえるかもしれないけど、それで良いんだと思うよ……寧ろ俺はそうじゃなきゃ困る、ここが限界だなんてあまりにも簡単すぎる」
「そうですか、そう言えるのが天武くんの強みなのでしょうね」
クスクスと笑う彼女は、次に清隆に視線を向ける。
「だそうですよ綾小路くん、万能の天才を作ろうとしているホワイトルーム出身者はどう思いますか?」
「それで良いんじゃないか。確かにここが限界では簡単すぎる」
「フフ、言いますね。思い上がりだと注意したい所ですが、まあ私が言っても仕方がないことでしょう……私たちはまだ高校一年生、世間一般では子供と言われるのでしょうね」
「月並みな言葉かもしれないけど、成長はここからだと思うよ」
「そう納得しましょうか……私も色々と課題が見えて来ましたよ。この敗北が無ければ気が付かなかったと考えれば、得難い経験と言えるのかもしれません」
良い言葉だと思う。敗北して折れてしまう人は多いけど、それを力に変えていけるのならきっと以前よりも強くなれるのは間違いない。
坂柳さんは、また強敵になりそうだな。
「綾小路くん、そして天武くん、改めてお見事でした。学校側からの介入すら跳ね除けての勝利、文句の付けようがありませんね」
「勝利にも敗北にもケチがついてしまったがな」
「たとえそうであったとしても、勝利は勝利、敗北は敗北ですよ」
彼女は頭に被っていた帽子を手に取ると、それを胸の前に持っていって僅かに頭を下げる。そしてもう片方の手ではスカートの端をほんの少しだけ持ち上げてカーテシーの姿勢を作る。
「だから言わせてください。お見事だと」
彼女なりの敬意を示しているのはわかるけど、杖が必要な人がやるべきことではない。実際にその姿勢は数秒と持たずに崩れてしまい、俺は慌てて彼女の体を支えることになった。
「気を付けて」
「ありがとうございます」
またクスリと笑った坂柳さんは杖で自分の体を支え始める。
「さて、綾小路くん、そして天武くん。一つ提案なのですが、これから先は協力体制を作りませんか?」
「それはAクラスとBクラスでか?」
「いいえ、クラスを抜きにした月城理事長代理への対策同盟ですね。私にとってもお二人にとっても共通の脅威であると思いますが、どうでしょうか?」
視線が清隆と結び合わされる。そして特に不満も感じられなかったので同意することにした。
「オレは反対はしない」
「こちらも問題はないかな」
「私としても、一刻も早く父に復職して欲しいので、そのほうがありがたいです」
「ただまあ、俺たち三人で何が出来るのかって話もあるけどね」
疑問を呈するようにそう言うと、清隆と坂柳さんは少し呆れたような顔になってしまう。なんでそんな表情になるんだろうか。
「坂柳、具体的な策はあるのか?」
「策と呼べるほど立派はものではありませんが、やはり味方を増やすことでしょうね」
「この閉鎖された学園でか」
「えぇ、とはいえ月城代理の物理的な排除はかなり有利な場を作らないと難しいでしょうから、父が復帰するまでの時間稼ぎが出来る程度の猶予を稼がなくてはなりません」
「物理的な排除は難しいかな? かなり脆い人だと思うけど」
「だが生徒は巻き込めないぞ」
「そうなると教師たちでしょうか。やはり巻き込むにしてもそちらでしょうね」
「ねぇ、海に投げ捨てれば全部解決だよ」
「この学校の教師か……」
「信頼できませんか?」
「大半がな」
「それかぶん殴れば良いと思う」
「では信頼できる味方ではなく、上手く利用する形としましょうか」
「その方向が良いだろうな」
おかしいな、二人が俺の話を聞いてくれない。一応はこの協力関係の一人だと思うんだけどな。それに難しく考えるよりももっとシンプルで良いと思う。
ぶん殴って黙らせるも良し、海に沈めて魚の餌にするも良し、それ以上に早い話はないのだから。
けれどきっと、そんなことを説明すると、この二人はゴリラを見る目になるんだろうな。悲しい事である。
「何であれ、これから先はそんな感じで頼む。証明だの勝負だのはもうごめんだ」
「そうもいきません。せっかくなのですから、この後もう一局どうでしょうか?」
「戦いは一度限り、そういう話だったと思うが?」
「そこまで肩肘張った物でもありませんよ。証明でもなく、否定でもなく、純粋に競い合いたいのです。今回の反省点を踏まえて改良点がざっと数十ほどありますので、その改善もしたいと考えています」
「そうか、まあそれならまあ構わないが」
「天武くんもご一緒にどうですか?」
「ん、ご一緒しようじゃないか」
「天武、せっかくだから何かメシを作ってくれ」
この食いしん坊め。だが今回は司令塔として頑張ってくれたので、こちらも一肌脱ごうじゃないか。
「ふむ、天武くんの手料理ですか……達者なのですか?」
「あぁ、美味いぞ。ホワイトルームでオレが食べてたのはきっと残飯だったんだ」
力説する清隆は拳まで固くしている。彼がホワイトルームでどんな食生活をしていたのか知らないが、あまりいい思い出ではなかったらしい。
唐揚げを美味しそうに食べるし、この前作ったサンマ料理も舌に合ったようだ。
「坂柳さんもどうかな?」
「ではお言葉に甘えましょうか。フフフ、楽しみですね。あ、材料が足りないようならこちらから提供いたしますよ」
「それはありがたい提案だ。因みに何があるんだい」
「そうですね、確か冷蔵庫には真澄さんに買ってきていただいた鮭が幾つか」
「鮭は大好物だ。アレはどう料理しても美味いからな」
どうやら清隆も期待しているらしい。それなら腕を振るうとしようかな。
そんな訳で寮まで帰って調理の準備をしていると、清隆と坂柳さんがやってくる。その手にはそれぞれ食材入りのビニール袋を手にしていた。
「お邪魔しますね」
「いらっしゃい、坂柳さん」
まさか彼女を部屋に招待する日が来るとは、人生とはわからないものである。
「こちらどうぞ」
「ありがとう、鮭はいいものだ」
「あぁ、美味いからな」
清隆はその手に肉を持っている、彼はとりあえず肉を渡しておけば問題ないと思っている男なのでこれで良いんだろう。
「俺は調理してるから二人は寛いでおきなよ」
丁度チェス盤もここ最近の清隆との訓練で作った物がある。二人はこちらに食材を押し付けて早速とばかりに対局を始めるのだった。
二人ともすぐさま集中力を高めてチェス盤を見つめると、恐ろしいことに師匠モードになって機械的に駒を動かしていく。
台所から眺める分には機械同士が戦っているかのように迷いなく淀みが無い。清隆が駒を動かせばすぐさま坂柳さんが対応して、そしてまた清隆が動かす。その繰り返しをずっと続けていた。
師匠モードの影響で思考が加速しているのだろうな。悩むという時間がなく共に一秒チェスを続けている。
一秒で最善を考えて、また一秒で対応する。傍から見ればただ何も考えずに駒を動かしているだけにも見えるだろう。
超高速の駒捌きが続くこと数十手、徐々に盤上から駒が減っていき、遂にはどちらも王手をかけられない状態になって引き分けとなってしまうのだった。
それでも師匠モードを解かない二人は、すぐさま駒を並べ直して先攻後攻を入れ替えると第二局となった。
あちらは楽しそうなのでこちらは料理を頑張るとしよう。坂柳さんが鮭を持って来てくれたのでそれをメインにするとして、ただ焼くだけではアレなのでホイル焼きにでもしようかな。
切り身の下処理をして、塩と胡椒で少々味付け、野菜と一緒にバターを載せて、隠し味にコンソメとハーブも乗せて、後はホイルで包んで焼けばいい。
スープも必要だ、お米もいるかと考えた段階で、そう言えば坂柳さんは米を食べるのかという素朴な疑問が湧いてくる。いや、何か彼女はお米と味噌汁よりもナイフとフォークでどこか優雅に食事をしてそうなイメージがあるからな。
お米と味噌汁を出して「なんですかこれ、犬の餌でしょうか」なんてことを言っている坂柳さんを想像して、流石に失礼過ぎると思って思考を横に追いやった。
また台所から二人の様子を窺ってみると、既に二度目の対局が終わったのか、今度は評論をしている。どこが駄目でここはこうするべきだった、ではこちらは、もしかしてこの手は、そんな会話が続けられている。
月城さんの介入があったのでどこかケチが付いてしまったからな、その鬱憤を晴らしているらしい。
「そうだ。天武くんにお聞きしたいことがあるのですが。貴方は学校の外から資金を引っ張って来ているのですよね?」
評論が終わった後、坂柳さんはこちらが用意したお茶を飲みながらそんなことを言ってくる。
「どうしてそう思うのかな」
「推測ですよ。月城代理はポイントを綾小路くんに渡す際は貴方のアレらに紛れ込ませると言っていました。つまり天武くんは2000万ポイントもの額を受け取っても不自然ではないやり取りをしていると考えまして。加えて言うのならば、以前にも美術品の売却で大きな収入を得たと美術部からの噂を耳にしましたので」
推測と言っているけど、彼女の中では既に結論が出ているのだろう。
「正解だ。確かに俺は学園の外から資金を引っ張って来ているよ」
「クラス内投票では大量のポイントを配っていましたね……貴方の目標はもしかして、全ての生徒をAクラスに上げることですか?」
「その通りだ」
すると坂柳さんは呆れたような、そして感心したような、とても複雑な顔を見せる。
「この学校のシステムに真っ向から喧嘩を売るような姿勢ですね」
「そうかな、俺はそうは思わないけど」
みそ汁は坂柳さんに何となく似合わないので、トマトを使ったスープを作りながらそう答える。
「この学校が掲げているのは実力主義だ。そして、実力を証明する方法は何も一つじゃない」
「なるほど。実際にそれができるのならば、確かにこれ以上ない程の実力の証明と言えるでしょう」
「簡単じゃないだろうけどね、この学校のシステム的にさ」
「そうでしょうね。額は別にしても、いつかどこかで何かを切り捨てる時が来るかもしれませんから」
「そうならないようにしたいとは思ってるけど、まあ俺に出来るのは努力だけだ」
「……」
やはり坂柳さんは俺を心配するかのように見て来る。鈴音さんもそうだけどそんなに心配されるような生き方をしているだろうか。
「大丈夫」
だから心配はないんだと伝える為に、美しい瞳を見つめながらそう言うと、彼女は納得したように頷いた。
「あ、でもできれば坂柳さんにも手伝って欲しいかも」
「私にですか?」
「あぁ、できればで良いんだけどね。こちらとしても負担を押し付けるのは申し訳ないから、気が向いたらで構わないんだけどさ」
坂柳さんはどちらかと言えばシビアかつ冷静に手札を切り捨てするタイプの人なので、無理強いすることはできない。なのでお願い以上は無理だろう。
「難しい問題でしょうね、私も自分のクラスにかかり切りになるでしょうから」
「葛城派が今回の敗北で息を吹き返すからか?」
先程とは違って緩やかな駒運びをしながら、坂柳さんの正面にいる清隆がそんなことを言った。
「えぇ、きっと彼らはここぞとばかりに主導権を取り返そうとするでしょう」
「オレたちにとってはありがたい展開だ」
「そうなのでしょうね。いつまでも一枚岩になれないのは健全ではないと思っているのですが、なかなか上手くいかないものです」
彼女は駒を指先で弄りながら暫く考え込む。
「ですが、良いでしょう。私にできる範囲でという前提ではありますが、天武くんに協力しましょう」
「構わないのかな? 結構な無茶を言っている自覚はあるんだけど」
「それもまた一興だと思っただけです」
それに、と言葉を区切って彼女はこちらを見つめて来る。
「綾小路くんに勝利するよりもずっと難しいでしょうから」
「なるほど。まさにその通りだ。一人に勝つよりも160人を導く方がずっと難しいだろう」
「えぇ、そしてこの学校のシステムでそれが実現するのならば、これ以上ないほどの証明にもなります」
彼女らしい言葉であった。けれどとても嬉しい言葉でもある。
「何か君の力が必要になったその時は、声をかけようかな」
「そうしてください。まあもっとも、退学のリスクが高いのは学力が低い生徒なのでそこはAクラスは心配いりませんけどね」
「そこが問題なんだよね。入学当初に比べればだいぶマシになったけど、ウチのクラスはまだまだ不安な生徒もいるからさ。後、龍園クラスにも」
その点で言えば坂柳さんのクラスも一之瀬さんのクラスもそこまで心配はいらないだろう。
いつものように微笑む彼女に俺も微笑みを返してから、出来上がった料理を机の上に運んでいく。
未だにチェス盤を見ながらああでもないこうでもないと言い合う二人にも手伝って貰うとしよう。評論はいいけど食事中はチェスをするのは許しません。
ただまあ、こういった光景を見るのは嬉しくもある。殺伐とした蹴落とし合いや戦いよりも、こうして穏やかに競っている方がずっと健全で楽しいと思う。
これがこの学園が掲げる競い合いの本当の形なんじゃないかな。悪だくみや悪事が得意な人ほど有利になる環境はかなり本質からズレているようにも感じられる。
なんであれこの光景は嫌いじゃない、凄く青春っぽい。
もうこの学校に来て一年が経つんだな。そんなことを思いながら夕食を運ぶのだった。