ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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春休み 3

 

 

 

 

 

 

 

 この一年色々あったと今更ながら振り返る。師匠の勧めでこの学校に入り、初めての学園生活にキョロキョロとして落ち着かなかったことを思い出す。

 

 不安もあったし、期待もあった。ずっと師匠と暮らしていて、自分と師匠と敵の三人で閉ざされていた世界だったけど、テレビの向こうにしかいない筈の高校生を体感できることで、楽しみ半分不安半分だったのは間違いない。

 

 この学校は普通とはかなりかけ離れているけど、それでもネクタイをしてブレザーに袖を通して、制服というものを身に纏った時に、笑みがこぼれてしまったことは良い思い出だ。

 

 それからポイントシステムだったり、クラス闘争だったり、友人や仲間との縁であったりと、休む間もなく次々と色んなことが押し寄せて来て、気が付けば一年である。

 

 あっという間だったな。咲き始めた桜を眺めながらそんなことを思う。

 

 寮のすぐそばにある桜並木の中で清隆と戦ったのも良い思い出である。あの自販機近くで鈴音さんが生徒会長だったお兄さんに詰め寄られて投げ飛ばされそうになっていたことも何だかんだで変な縁となった。

 

 これが一般的な高校生活かどうかはわからないけど、この学園に入って良かったと断言できるくらいには、生活は充実している。

 

 そんなことをしみじみと思いながら、寮の近くにある桜並木たちを眺めていた。

 

 手には自販機で購入したココア。そろそろ冷たい物が欲しくなってきたな。

 

 生温いココアをチビチビと飲みながら桜の香りを感じ取っていると、そんな俺に声をかけてくる人がいた。私服姿の鈴音さんである。

 

「何をしているのかしら?」

 

「飲み物買って、一息ついてたのさ。そっちは?」

 

「こちらも買い物よ、新学期に備えて色々とね」

 

 確かに鈴音さんの手にはケヤキモールで買ってきたであろう物資と食材が詰まった袋がある。無料商品もある辺り節約も心がけているようだ。

 

「堀北先輩との別れはしっかりできたのかい?」

 

「えぇ、大丈夫よ……話したいことは沢山あったけれど、二年後に幾らでも時間は作れるでしょうから」

 

「ん、その通りだね」

 

 一年前の鈴音さんを思い出す。入学したばかりの頃のハリネズミモードの彼女を。

 

「何をニヤついているのかしら?」

 

「一年前の君を思い出していたんだよ。ツンツンしてて可愛らしかったなって」

 

 すると鈴音さんはムスッとした顔になって近づいてくると、買い物袋を持っていない空いた方の手で俺の耳を引っ張るのだった。

 

「イタタタ」

 

「余計なことを言わなくて良いのよ」

 

「ごめん、でも事実だったからさ」

 

 揶揄ったお詫びに、俺は自販機で飲み物を購入して鈴音さんに渡す。

 

 そして二人で自販機横のベンチに座って、春の風を感じ取るのだった。

 

 風に揺られて桜の花びらが緩やかに落ちて来て、その一枚が隣にいる彼女の髪に引っかかった。

 

 鈴音さんもそれに気が付いたのか、花びらを摘まんで払い除けた、その動作はとても絵になっており、美しいと感じてしまう。

 

「この一年、色々とあったよね」

 

「思い返してみればあっという間だったわ」

 

「きっと来年の今頃も同じことを言ってるんじゃないかな」

 

「そうかもしれないわね」

 

 クスっと微笑んだ鈴音さん。一年前には見れなかった表情である。

 

「鈴音さんはこの一年で随分と笑うようになったよ」

 

 すると彼女は少しだけ照れたような顔をする。

 

「いけないことかしら?」

 

「いいや、笑顔の君は素敵だ」

 

「……貴方のその軽薄なセリフは一年たっても変わらなかったわね」

 

「軽薄かな? ただ思ったことを言っているだけなんだけど」

 

「だ、だから、そういう所よ……」

 

「でも笑顔の君は魅力的だ」

 

「……馬鹿」

 

 照れた様子でまた彼女は俺の耳を引っ張ろうとするので、慌てて謝罪することになった。

 

「一年前の貴方も似たようなことを言っていたのを覚えているかしら、いきなり交際を申し込んで来たことを」

 

 丁度、この自販機横のベンチに近い場所だったな。堀北先輩と喧嘩していた鈴音さんを助けた後のやらかしである。今思えば随分とアレな発言であったと思う。幾ら何でも恋を教えて欲しいから交際しましょうはないだろう。アレが世間一般からかなり乖離した考えであるということはこの一年でよくわかった。

 

 師匠に恋を知れと言われたからなのか、手っ取り早く恋人を作ろうとしていたからな……いや、鈴音さんが魅力的なのは事実なので、この子ならばと思ってはいたんだけど。

 

「あれに関しては本当にすまない。出来心というか、焦りがあったというか、今ではとても反省しているよ」

 

「本当に?」

 

「あぁ……あの時の俺は、ちょっと焦ってたんだと思う」

 

「それほど恋人が欲しかったということ?」

 

「恩師に言われてたんだ。夢と憧れと恋を見つけなさいって……これはあの時にも話したっけ」

 

「そう言えば言っていたわね。確か、一つ見つけて未熟者、二つ見つけて半端者、三つ見つけてようやく一人前だったかしら」

 

「そう、それを見つける為にこの学校に来たと言っても過言ではないんだよ」

 

 鈴音さんは俺の軽薄な目標に少しだけ考え込むような顔になる。

 

「憧れは持っていた、夢も見つけられた……後は恋だけ。ただまぁ、軽い考えで探すようなものじゃないんだろうことはこの一年でわかったよ」

 

 求め過ぎていたのだと思う。うん、今ならそれがよくわかった。多分師匠が言っていた恋を探せと言う意味をはき違えていたんだろう。

 

 憧れは簡単に超えられるものでもないし、夢は楽に達成できるものでもなく、恋だって軽々しく扱えるものではない。俺はこの一年でそう学んだのだ。

 

「鈴音さんはどうかな、どれか見つけられたかな?」

 

「急に言われても困るわね」

 

「そりゃそうだ」

 

 いつか鈴音さんにも夢や恋を見つけるのだろうか。憧れは既にお兄さんに向けているようだけど。

 

「ま、焦るようなことでもないし、慌てるようなことでもない、恋しいと思える感情をゆっくりと探していくよ。答えを急いている時点できっと一人前とは言えないだろうからさ」

 

 その内、きっとどこかで誰かに恋をするのかもしれない。嫉妬することになるのかもしれない、それがわかれば俺はようやく一人前だ。

 

 そして重要なのは、そこが終わりではなく始まりであるということ。そこを忘れてはいけない。師匠に課せられた目的を達成してそれで満足していては、きっと俺はぶん殴られるだろう。

 

 きっと入学当初の俺は理解出来ていなかったんだと思う。三つ見つけて一人前になれという師匠の言葉を盲目的に信じていて、それを一日でも早く達成して褒められたくて行動していた筈だ。

 

 だから鈴音さんにあんな滅茶苦茶な交際を要求してしまったんだろう。沢山反省しなければならない。

 

 恋とは焦るものでもない、都合よく求めるモノでもない、少し大人になったということだ。

 

「そう……少し軽薄な所もあるけれど、天武くんなりの考えがあったことはわかったわ」

 

 鈴音さんもあんな急な交際要求に呆れていた様子ではあったが、何だかんだでこの一年色々と協力して助けてくれたのだから、懐の深い人だと思う。

 

 可愛らしい人である、彼女を知る度にそう考えるようになった。

 

「私は、その、恋愛というものはよくわからないわ……何となく遠く感じているのよ」

 

「よくわかるよ。なんか恋愛感情って遠いよね」

 

「えぇ……交際というのも理解が遠いわ。兄さんには、まだ幼いからだと言われたけれど」

 

「堀北先輩とそんなことを話したのかい?」

 

「別れ際に、この一年を少しだけ話したのよ。試験はどうだったとか、友人は出来たとか、何を思ったのか、何が足らなかったのか……恋人はいないのかとも訊かれたわね。よくわからないと言ったら、少し笑われてしまったけれど」

 

 あの人、自分のことは棚に上げてそんなことを言っていたのか、自分も高校三年間で恋人を作らなかった癖に。

 

 ずっと隣にいた橘先輩とはどうなんだろうか。もしかしたら今頃交際している可能性もあるのかな。

 

「よく学び、経験して、何よりも高校三年間を楽しめと最後に言われたの」

 

 また悩むような顔つきで、鈴音さんは頭に乗った桜の花びらを取り払う。そして次に視線はこちらに向いて、今度は俺の頭の上に乗った花びらを取り払った。

 

「だから、色々と考えているのよ……恋愛に関しても、くだらないとは言えないわね」

 

「ん、良い事だと思うよ。お互いにまだまだ遠い感情だけど、学んで行けばいいさ」

 

 彼女はまたクスッと笑った。とても穏やかな表情である。

 

「そうね……学んで行けばいいわね」

 

 いつか彼女も誰かに恋する日が来るのだろうか? もしかしたらそれは俺よりも早いのかもしれない。

 

 鈴音さんが誰かと交際する……パッと思いつくのは清隆である、次点で須藤か?

 

 何だかんだでお似合いなように思えて、しかしイマイチ似合わない、不思議な組み合わせであった。

 

「ねぇ、天武くん」

 

「何かな?」

 

 尋ねて来たというのに、鈴音さんはそこで黙ってしまう。色々と考えているようで、瞳は落ち着きなく揺れ動いているが、内心を完全に測れない。

 

 ただわかるのは、彼女は今迷っているということだろうか。

 

「貴方の言葉を借りるのなら、恋……いえ、そう言った感情を知らない間は一人前ではないということよね」

 

「俺はそう思っているけど、別に他人にまで押し付ける気はないよ」

 

「いえ、納得できる部分もあるから、それは良いの……ただ、そう考えると、私はまだまだ足りない部分も多いということになるのよ」

 

 そんなこともないと思うけどな。少なくとも一年前の彼女とは比べられない程に成長したと思っている。それは単純な頭の良さや運動能力といった意味ではなく、人としてという意味だ。

 

「その、私も……そういった相手を作った方が良いのかしら?」

 

「良いんじゃないかな。個人的には清隆とか須藤とかおすすめだけど」

 

「何故その二人の名前を出したのかはわからないけど、論外ね」

 

 なんでだ、どちらも仲が良いじゃないか……もしかしたらどこかであの二人は今頃くしゃみをしているかもしれないな。

 

 鈴音さんはベンチに座った状態で大きく溜息を吐く。そこまで呆れられるとあの二人が可哀想になってくるから止めて欲しい。

 

「まあ焦る必要はないって、ゆっくりで良いから見つけていけばいい。それが大人になるってことなんじゃないかな」

 

「天武くんはそういった相手はいないのかしら?」

 

「今の所さっぱりだ」

 

 綺麗だとか、魅力的だとか、そう思える人はこの学園には沢山いるけど、だからといって付き合いたいとはならないのが不思議であった。

 

 きっと堀北先輩は、鈴音さんに言ったようにこんな俺を幼いと言うのかもしれないな。当然、自分のことを棚に上げて。

 

「誰かが恋を教えてくれればいいんだけどね」

 

 残念なことに、そんな都合の良い相手はいなかった。

 

 或いは、残された二年で、俺は誰かとそう言った関係になって……晴れて一人前になれるのだろうか?

 

 よくわからないな、今はまだ楽しみにしておくことしかできない。

 

 隣に座る鈴音さんは暫く口を閉ざす。僅かに気まずい時間が流れていき、どうしたものかと考え始めた段階で、また春の風が吹き抜ける。

 

 また頭の上に花びらが乗ることになるのだが、肩に乗ったそれを優しく払い除け、そして白魚のような手が俺に乗った花びらも払い除けた。

 

 そこでまた視線が絡み合う。相変わらず怜悧で美しい瞳と表情がそこにあった。

 

「そこまで恋がしたいというの?」

 

「一人前になる為にね……ただまあ、こんな考えな時点で色々と失礼ではあるんだろうけどさ」

 

 目的と本質にズレがあるのは自覚していた。誰かに恋して付き合うのではなく、一人前になりたいから恋をするという、決定的なズレがある。

 

 そこを修正することが、俺がやるべき最初の心構えなのかもしれない。

 

「そう……なら、お互いに精進しないといけないわね」

 

「あぁ、そうだね」

 

 またクスリと笑った鈴音さんは、手に持っていた空き缶を自動販売機の隣にあるゴミ箱に入れた。

 

 

「恋が知りたいのなら、教えてあげなくもないわよ」

 

 

「……え?」

 

「知りたいのでしょう?」

 

「そりゃまぁ……けれどどうやって?」

 

 腕を組み、顎に手を当てて鈴音さんは考え込む。そしてとびっきりの悪戯でも思いついたかのような表情をしてこんなことを言って来る。

 

「さぁ……どうやってするのかしらね」

 

 誤魔化すように、煙に巻くようにそう言って、クスクスと笑う。俺は揶揄われたのだろうか?

 

 彼女は悪戯でも成功したかのように、とても意地悪な顔をしてしまう。

 

「その内、教えてあげるわ」

 

「堀北さんもよく知らない癖に」

 

「失礼ね、少なくとも貴方よりは博識よ、間違いなく」

 

 何故か根拠のない自信を見せる鈴音さんは、ベンチから立ち上がって軽く背伸びをした。

 

「もう、すっかり春ね」

 

「あぁ、良い季節だ」

 

 そして俺もベンチから立ち上がって同じように桜並木を見つめる。

 

 やがてどちらともなく歩き出して、寮への帰路を進み出す。

 

「鈴音さん?」

 

 

 その途中だ、隣を歩く鈴音さんが、その指先で俺の袖口を掴んだのは。

 

 

 手を繋いだ訳でもない、腕を組んだ訳でもない、ただ摘まむように袖が掴まれる。

 

 何故そんなことをするのかと隣を歩いている彼女を見つめてみると、少しだけ顔を赤くしながらも、してやったりといった顔で待ち構えていた。

 

「言ったでしょう、私は貴方よりも博識だと」

 

「……なるほど」

 

 よくわからない理論だが、別に悪い気はしない。

 

 ただ少し意地悪な気配を感じたので、仕返しとばかりに俺は袖口を摘まむ鈴音さんの手を逆に掴み返す。

 

「ち、ちょっと……」

 

「恋を教えてくれるんだろう? なら、俺も知っていることを教えてあげる。恋するとこういった行為に幸福を見出すらしい。実際にそうなのかは知らないけれど、実験してみよう」

 

「そ、そう……実験ね」

 

「うん、実験だ。どうかな、幸福を感じるかな?」

 

「よくわからないわ……ただ――」

 

 彼女は桜を背景にして少し照れて、けれど僅かに微笑んでこう言った。

 

 

「嫌な気分にはならないわね」

 

 

 

 これが、新学年が始まることになる一日前のことだった。

 

 

 

 

 

 

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