ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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一年前の話 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カサンドラさんの着替えを終えて、幾つかのカロリーメイトと水を購入して腹八分目にすると、ショッピングモールの地下駐車場に向かう。

 

 そこには借りて来たばかりのレンタカーがあるのだが、乗り込むのはそちらではなくこの駐車場に置かれていたどこかの誰かの車であった。

 

「あの借りた車には乗らんのか」

 

「俺たちを監視している人たちはあの車に注目しているでしょうからね、ここで乗り捨てます。元々、そのつもりだったので大丈夫ですよ」

 

 多少の時間稼ぎができる囮にはなるだろう。

 

「まぁ、すぐに気が付かれるでしょうけどね」

 

「それは何故だ?」

 

「こちらが考えることは、相手も思いつく、そう教えられて来ましたので」

 

 そんな説明に納得したのか、カサンドラさんはうんうんと頷いて見せる。

 

 こういった事情から、この駐車場にある誰かの車を拝借することになった訳であった。車の持ち主には本当にすまないと思う。

 

「三号さん、この車のナンバーから持ち主ってわかりますよね?」

 

『問題ないよ』

 

「車を借りていくつもりなので、迷惑料として俺の口座からこの車の持ち主さんに幾らか振り込んでおいてください」

 

『了解した、高級車が一括で購入できるくらいは振り込んでおこう』

 

 せめてもの謝罪とお詫びの印として、金で解決しておこう。愛車が突然に無くなってもこれで多少は気分が紛れる筈だ。

 

 当たり前のことだけど拝借する予定の車には鍵がかかっている。きっと持ち主は今頃ショッピングモールで買い物中なのだろう。

 

 仕方がないので、ガラスを粉砕して中に手を入れて鍵を手動で開く。警報装置など付いていない古い車なのでサイレンは鳴らなかった。そして次に運転席に座ってハンドルを握りしめると、力づくで動かしてハンドルロックを破壊していく。これで自由に動かせるようになった。

 

「三号さん、エンジンのかけかたを教えてください」

 

『まずハンドル下付近のカバーを外してくれ』

 

 手を添えて強引に毟り取る。

 

『幾つかケーブルが見えたと思うけど、その中から――』

 

 三号さんの説明を受けながら幾つかのケーブルを弄り回して漏電させると、誤作動を起こして車はエンジンがかかるのだった。

 

 こんな犯罪知識ばかり持っているから三号さんは捕まってしまうのだ。いや、助かったので問題はないんだけども。

 

「では大使館まで急ぎましょうか」

 

「不謹慎ではあるが少し興奮するな。まるで映画のワンシーンのようではないか」

 

 車泥棒を堂々としてそんなこと言われても困る。確かにB級のハリウッド映画とかにはありそうなシーンだけどさ。やってる方は割と罪悪感がある。たとえ大金をこの車の持ち主に振り込むのだとしてもだ。

 

 それでもやってしまった以上は最大限に有効活用しよう。誤作動でエンジンがかかった車を発進させて、目指すのは大使館である。

 

 車を走らせショッピングモールの駐車場を出て、法定速度を守りながら頭に叩き込んだ地図とナビ通りに動いて目的地を目指すことになるのだが、不躾な視線というか舐めまわすような気配が遠くなっているのがわかった。

 

「こちらを露骨につけ回している車はないようだな。やはりあのレンタカーを注目しておったのだろう」

 

 後部座席で、車の後方を眺めていたカサンドラさんからそんな報告が届く。うなじに走る悪寒もないので、おそらくその言葉通りこちらを見失ったらしい。

 

「こうなった場合、敵はどう動くと思う?」

 

「闇雲に探しても意味はないでしょうから、おそらく目的地付近で待ち構えていると思いますよ。貴女が逃げ込む安全地帯はこの国ではそう多くはありません」

 

「で、あるか……だとすると大使館に近づけばまた危機が迫るのであろうな」

 

「他にどこか安全な場所があればそちらに行くのですが」

 

「皇居はどうだ? ここから近い筈だし、当然守りも固かろう?」

 

「皇居? いえ、いきなり行っても絶対に入れませんよ」

 

「私は知り合いなのだが」

 

 この人は本当にどんな身分の人なんだろうか? 皇居に住んでいる人と知り合いって……。

 

「皇居を訪ねるのは難しいですよ……皇居警察は凄腕の集団だと師匠は話していましたけど、流石に巻き込めません」

 

 確か皇居警察にも国が指定した超人が何人かいた筈だ。下手に俺が接近するとそのまま戦争になるかもしれないので、できれば避けたい。

 

 やはり大使館に直接向かうしかないか……正面突破だな。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後10時間』

 

 

 

 

 予想通りと言うか、想定通りと言うか、目的地である大使館付近まである程度近づくと、虫の知らせのようにうなじに悪寒が走った。

 

 あぁ、これはあれだな、やっぱり待ち構えられているらしい。

 

 そりゃそうか、俺だってそうする。つまり相手だってそうする、ただそれだけの話だ。

 

 このまま一気に車を加速させて大使館の頑丈な門を突き破るべきかと思ったけれど、それを許してくれないのが相手であった。

 

「天武、車が近づいてくるぞ」

 

「把握しています。どうやら捕捉されたようですね」

 

 どうやってこちらの接近を把握したのだろうか? 大使館付近の建物から近づく車両や人間を全て観察していたのだとするのならば、大した把握力だと思う。

 

 

 こちらの車に接近してくる大型の車は、煽り運転の如く横並びになると、そのまま僅かにハンドルを切って車体をぶつけて来る暴挙に及んだ。

 

 それがわかっていたので急ブレーキを踏んで回避するのだが、その程度で諦める筈も無く、車は進路を塞ぐように前で停車するのだった。

 

 道を変えて別ルートで大使館を目指しても似たような結果になるだろうな。急がば回れが通用しない状況である。

 

 立ち塞がる困難は越えていく、シンプルでわかりやすくて結構だ。

 

「カサンドラさん、頭を下げてジッとしていてください。突っ込みます」

 

「存分にやれ」

 

 アクセルは全開、躊躇なく道を遮っている車に突っ込んで強引に通過させて貰うとしよう。猛スピードで激突して車を押しのけた瞬間に、車体は大きく揺れてフロントガラスにも罅が入るけど、それでも突破することができた。

 

 大使館までそう距離がある訳ではない。入ってしまえばこちらのものである。駐在武官などもいるだろうから丸投げでも構わない。

 

 そして追手もそれはわかっている。なので押しのけられた車はすぐさまアクセルを全開にしてこちらを猛追してくるのだった。

 

「しつこいな」

 

 言っても意味はないことだけどどうしても愚痴ってしまう。そしてまた並走するように近づいて来た車の運転席にいた男と視線が絡み合うことになる。

 

 目と目で通じ合った瞬間に、こう思う。

 

 あぁ、こいつは強いなと。

 

 きっと向こうも同じことを思った筈だ。言葉は無くても不思議と意思は共有することができた。

 

 同時に、俺と彼はハンドルを切って車をぶつけ合うことになる。

 

 二度、三度、四度と車をぶつけ合い、五度目でとうとう走行が不可能な程に車は破損してしまうのだった。

 

 それは相手の車も同じであり、強引な接触によってタイヤが外れたことで車体を地面に擦りながら最後には電柱に突っ込むことになる。

 

 こちらの車は路肩で遂にエンジンが壊れてしまった。すまない、ここで乗り捨てることになることを許してくれ。

 

「正面から乗り越えるのだな?」

 

「裏口からこっそりと大使館を訪ねる理由もないので」

 

 堂々とノックして普通に入れば良い。その前に立ち塞がる何かがあるのならば排除すれば良い。難しく考える必要はどこにもなかった。

 

 どうせ何をどうしようが立ち塞がってくるのだ。ならぶん殴って黙らせれば良いだけの話である。

 

 電柱に突っ込んでひしゃげた車体は黒煙を吐き出しており、もしかしなくても爆発しそうな勢いではあるが、そんな車の中から一人の大柄な男が姿を現した。

 

 瞳の奥に暗い光を宿した男である。服の上からでもわかる研ぎ澄まされた肉体と、ゆるやかでありながら大樹を連想させるほどに安定した体幹と足運びだけで、相当鍛えられていることがわかってしまう。

 

「カサンドラさん、車から出ないようにしてください」

 

 そう言い残して動かなくなった車から出ると、こちらに近づいてくる男と向かい合う。

 

 改めて観察すると、やはり間違いはなかったらしい……この人は強い。

 

「こちらの部下が散々世話になったらしいな」

 

 見た目は外国人全開なのに、とても流暢な日本語を喋るなと、変な感心をしながら向かい合う。

 

「どんな怪物かと思えば、まだガキじゃないか。アイツらを責めるべきなのか、お前を賞賛すべきなのかわからないな」

 

「御託は結構です、道を開けて頂きたい」

 

「要求するのはこちらだ。その女をこちらに渡せば痛い目に合わなくて済むぞ少年」

 

「断る……そこをどけ」

 

 自然と師匠モードに移行していた。そんな俺を見ても目の前の男は臆することはなく、ただ静かに意識を高めていき、あちらも極限の集中状態になって見せる。

 

「女一人を守る為に死ぬつもりか? 英雄願望は頭の中だけにしておけ」

 

「抜かせ、それくらいできないで男を名乗れるか」

 

 ここまでくれば、言葉は不要か。

 

 相手もそれがわかったのか、静かに戦闘に意識を切り替えていった。

 

 軍用ナイフを左手に、右手に拳銃、体にはボディアーマー、靴は足音の響きから鉄板入り、おそらくそれ以外にも色々とあるのは観察しているだけでわかる。

 

 それらの装備に加えて、この男の体は明らかに一般の枠から逸脱しているのが感じ取れてしまう。熱量が凄まじいのだ。

 

 今思い返してみれば、俺のこれまでの人生は、こういう人と出会うことが多かったと思う。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後8時間』

 

 

 

 

 

 戦いの始まりは静かなものだった。どちらも示し合わせたかのように一歩踏み出して距離を縮めていく。

 

 傍から見れば、互いに無言で距離を詰めているように見えるだろうが、俺とこの人の間には目に見えない無数の牽制が繰り広げられていた。

 

 拳銃を構える動作を幻視すれば、それがただのフェイントであると見切り、軍用ナイフに手を伸ばすイメージを感じ取ると、それもまた対処する。

 

 こちらも殴り掛かかろうとしたり、蹴り飛ばそうとしたり、そんな牽制を行うのだが全て対処されてしまう。

 

 実際に行動に移している訳ではない。しかし確かに俺たちの間には数十もの見えないやり取りがあった。そうやって見えない牽制を繰り返しながら距離を詰めていき、ナイフと拳の射程圏内に入った瞬間に、全く同時に行動に出る。

 

 やったことは単純、俺は彼を殴り飛ばし、彼は俺を蹴り飛ばした。無数の見えない牽制の中に織り交ぜられた本当の攻撃はこうして互いの顔と脇腹に突き刺さった。

 

「ぐッ」

 

「……ッ」

 

 拳から伝わって来る感触は、車のゴムタイヤである。断じて人間を殴った感触ではない。

 

「小僧、妙な鍛え方をしているな……ゴムタイヤでも蹴り飛ばした感触だ」

 

 あちらも同じことを思ったのか、似たような印象を持ったらしい。

 

「殴り合いでの決着は時間がかかりそうだな……卑怯とは言うなよ」

 

「構わん、それも戦いの作法だ」

 

 右手に拳銃を、左手にナイフを構える辺り、この人は武術家ではなく軍人か傭兵上がりなのだろうか。

 

 向けられた銃口と、指の動きを見切って射線を見切り、放たれる弾丸を回避しながら距離を詰めていくが、するとナイフが鋭く振るわれる。

 

 速く、鋭く、柔軟で、頑強で、経験もあり、何よりただ純粋に強い。正直に言わせて貰えば強敵である。単純な殴り合いでも押し切れない相手なのに、平然と武器も使ってくるのだから、滅茶苦茶やりにくい。

 

 ただそれも戦いの作法だ。武器の使用くらいは当然の権利である。笹凪流はそれを名誉と思う変態武門である。

 

 ただそれ以前に、あまり銃やナイフを脅威とは思えなかった。対処方法は師匠から過剰なまでに叩き込まれているのだから。

 

 銃口と指先の動きで射線とタイミングを見切れば銃はどうにでもなる。実際に次々発砲される弾丸は一発もこちらに当たってはいない。

 

 寧ろ問題なのはナイフの方かもしれない。体の一部とさえ思えるほどに馴染んでおり、そちらは身体能力と技量が高い位置で絡み合ってまさしく凶器とかしている。

 

「チッ、銃は無駄か……偶に戦場で出会うな、貴様のような連中に」

 

 相手も拳銃よりもナイフのほうがまだマシだと思ったのか、意識と戦闘がそちら寄りに傾く。なので戦いはより身近に、そして血と肉を削り合う形になるのだった。

 

 単純な戦闘能力は肉薄している。身体能力もそこまで大きなものでもない。なので一方的な展開になることはなく、ナイフの先端とこちらの手足が幾度も相手を削ろうと迫ってそれを回避するような戦いになってしまう。

 

 

 あぁ、これは長引くな。互いにそんなことを思ったのは間違いない。

 

 

 深夜とは言え人の多い都心である。目撃者もいれば通報者だってその内に現れる。長引けばそれだけ相手にとって面倒な事態になるので持久戦は望む所ではあるが、それを目の前の男が受け入れる筈もなかった。

 

 こちらの拳がナイフの牽制を潜り抜けて相手の脇腹に叩きつけられる。ゴムタイヤでも殴りつけたような感触が伝わると同時に男の体は数メートル後方に吹き飛ぶのだが、彼は僅かに顔を歪めるだけで体幹を乱すこともなく姿勢を整える。

 

 滅茶苦茶強いじゃないかこの人、知り合いの超人たちが何人か思い浮かぶけど、その人たちと大差が無いくらいに頑強だった。

 

 さてどうするか、こうなると完全な隙を突いてそこに全身全霊を叩きこむしか手がないぞ。

 

 問題なのはその隙をどう作るか。そして当然ながら、相手も同じことを思っているのだった。

 

 さてどうでるかと観察していると、男が持っていたナイフに力が籠められる、それを確認して再び接近しようと試みるのだが、次の瞬間にこれまで役立たずだった右手に持った拳銃が突然に火を噴いてしまう。

 

 右手に持っていた拳銃がとある方向に向けられている……俺ではなく、車の中からこちらの様子を窺っていたカサンドラさんへと。

 

 間違いなくナイフに意識を向けていた。それは間違いない、しかし右手に別の意思でも宿ったかのような動きで正確に弾丸は放たれた。

 

 しまった……そう思った時には遅かった。鋭く素早く迷いなく引き金は引かれて、破裂音と共に弾丸は車の中にいる彼女へと放たれてしまうのだった。

 

 日本車はアメリカの車と違っていざという時に弾丸の盾にできるほど扉が頑丈にはできていない。たとえ拳銃の弾丸であったとしても普通に貫通する。

 

 つまり、カサンドラさんを殺しきるには十分であるということだ。

 

 

 

「そら、脇がガラ空きだぞ」

 

 

 

 護衛対象を撃たれたという焦りと衝撃……それはつまり、俺と彼がこの長引くであろう戦いの中で欲していたわかりやすい隙でもある。

 

 こちらの動揺を見逃す筈も無く、男が持ったナイフがこちらの脇腹に滑り込むように一瞬で突き刺さってしまう。

 

 脇腹を中心にジクッとした痛みと熱が広がっていくのがわかる。

 

 筋肉で締め上げているので突き刺さらないかと思っていたが、この人の膂力は俺と大差がないレベルであり、そんな人がナイフを振るえばどれだけこちらの体が頑丈であっても普通に突き刺さるということだろう。

 

 反省点だな、こんなわかりやすい隙を晒した俺が間抜けであったという、それだけの話だ。

 

 なのでこの失態は、次に生かすしかない。

 

「なに、何故……馬鹿な」

 

 急所にナイフが突き刺さったことで勝利を確信していた相手だったが、しかしこちらはそのナイフを掴んでいた手を力強く握りしめて、手首を粉砕してみせる。

 

 勝ったと思っていたのだ。それは俺が欲しかったわかりやすい隙でもあるのだから、見逃す筈もなかった。

 

 手首をねじ折られてナイフからようやく手が離れる。相変わらず脇腹に刺さったままの刃物はそのままにして、腕を砕かれ動揺している相手に一気に肉薄していく。

 

 全身全霊、己の全てを込めた一撃は、隙だらけの相手に真正面から突き刺さるのだった。

 

 男の体は吹き飛ぶ。そのまま彼が乗っていた電柱に衝突した状態で停車していた車に突っ込み。スライドドアを粉砕して車内に叩き込まれてしまう。

 

 この男の頑丈さを考えると、それで終わる筈もなかったので、車にも距離を詰めて一気に持ち上げる。

 

 車内にいた男は、急に天地がひっくり返ったような感覚になったことだろう。

 

「そう言えば、師匠が前にこんなことをしていたな」

 

 師匠のように戦車を持ち上げて小枝のように振り回すことなんて俺には出来ないけど、普通の車を振り回すことくらいならまだ可能だ。

 

 

 この車は虫籠、中にいる男はそこに囚われた虫、そして俺はその籠を振り回す立場にあった。

 

 

 なのでここからやるのは徹底的な揺さぶりだ。乗用車を持ち上げて、何度も何度も地面に叩きつけていく。何度も何度も飽きるほどに。

 

 その度に車内に囚われている男は激しく揺さぶられて振り回されることになる。天地もわからないまま車内を転がり回る状態だ。

 

 そんなことを数十、或いは数百繰り返せば、乗用車は徐々に形を変えていき最後にはプレス機で圧縮されたかのようにブロック状になってしまうのだった。当然ながらその中心にはあの男がいる。

 

 これでもう出て来れまい。以前に師匠が戦車で同じことをやっていたのを真似た技だったが、意外に上手くいくものだ。

 

 何度も何度も地面に叩きつけられてブロック状に圧縮された車だったものを放り投げて、俺は急いでカサンドラさんの元に走る。

 

「ご無事ですか!?」

 

 撃たれたのだから無事な筈もない。それでも僅かな祈りを込めて車の扉を開くと、そこには血を流している筈の彼女の姿はなく、どうした訳か微笑みすら浮かべている様子で待ち受けているのだった。

 

「えっと……怪我は?」

 

「安心せよ、大事はない。何せ私は幸運の星を持っているのでな」

 

 そう言ってカサンドラさんは、親指で銀色のメダルを弾く。それは幸運の女神が刻印されたお守りである。持ち主に幸運を齎すと言われている土産物だ。

 

「え、嘘ですよね。そのコインが守ってくれたんですか?」

 

「何を不思議なことがある。私はそういう星の下に生まれたのだぞ。守られて当然だろうが」

 

 車の扉を貫通して、そのままカサンドラさんに命中する筈だった弾丸は、彼女が肩から下げているショルダーバックの中にある幸運のメダルに阻まれたらしい。

 

 

 いやいや、どんな偶然なんだ……ありえないだろう。

 

 だが現にメダルはへの字に曲がって陥没している。カサンドラさんを弾丸から守ったことを証明するかのように。

 

「うむ、やはり私は幸運だな。我が星は正しく私の未来を守ったということだ」

 

 そして己の持つ幸運を一切疑わないカサンドラさんは、陥没したメダルを眺めながらただ美しい微笑みを見せるのだった。

 

「はぁ、良かった」

 

「大義であったぞ天武よ、見事敵を打倒したようだな。褒めて使わす、流石は我が騎士だ」

 

「か、感謝いたします」

 

 ありえない幸運に助けられて無事だとわかった瞬間に、ドッと疲れが押し寄せて来る。後は脇腹の痛みも。

 

「それよりも其方!? 脇に刃物が刺さったままだぞ、すぐに治療をせねば!!」

 

「あ、大丈夫です。見た目ほど重症ではありませんから」

 

「そんな訳があるか、待て抜こうとするな、血が吹き出るぞ!?」

 

 カサンドラさんの警告を無視して、脇腹に刺さったままのナイフを引き抜く。しかし大量の出血に陥ることはなかった。

 

「だから大丈夫ですって……戦闘中は筋肉の締め上げと呼吸法で内臓を押し上げて肋骨の下に隠しているので、だから内臓は無傷なんですよ」

 

「言っている意味はわからんが、其方が人間を辞めていることだけは理解した……本当に大丈夫なんだな?」

 

「後でホッチキスで塞いでおけば問題ありません」

 

 この内臓上げのやり方を教えてくれたのはやっぱり師匠である。やはりあの人は神だ。また救われてしまった。

 

「それよりも、大使館に急ぎましょう。後もう少しですから」

 

「うむ、最後の最後までエスコートして貰うか」

 

 車内にいたカサンドラさんに手を差し出すと、彼女はそれを掴み返してくれた。

 

「ところで天武よ、あの男なのだが」

 

「あぁ、しっかりと無力化しましたよ、ほら」

 

 視線はプレス機で圧縮されたかのようにブロック状になった車だった物に向けられる。その中心にいるのがあの強敵だ。

 

「……滅茶苦茶やりおるな。人が素手でやったとは思えん」

 

 何度も何度も地面に叩きつけていれば自然とああなる。十トンを軽く超えるであろう装甲だらけの戦車が相手だと難しいけど、隙間だらけの乗用車なら割と簡単だった。

 

「相手は死んだか?」

 

「いえ、生きていると思いますよ。あれくらいで死ぬような相手ではありません……動けないとは思いますが」

 

 そんな予感を証明するかのように、ブロック状に圧縮された車だった物が突然に震えて、僅かな隙間から男の右手が突き出てくる。

 

 

 

「小僧ッ!! まだ終わっていないぞ!!」

 

 

 

 そしてブロック状の車の内部からそんな声が聞こえて来てしまう。やはり生きているようだ。

 

 脱出されても面倒な上に、追撃されれば更に面倒だ。俺は突き出て来た腕の手首をしっかり掴んで粉砕しておく。

 

 掴んだら必ず壊す。これも師匠の教えである。

 

 左右の手首を粉砕されてしまえば、流石にこの男と言えど脱出は難しいはずだ。

 

 なので俺たちは、ブロック状に圧縮された車だった物から手が伸びている奇妙なオブジェをその場に放置して、大使館を目指すのだった。

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後5時間』

 

 

 

 

 そこから先は平穏無事だった。先程までの喧騒と闘争が悪い夢であったかのように静かで、平和過ぎて不安になるほどですらある。

 

 何の困難もなく大使館の前まで辿り着き、何の障害も無くカサンドラさんは受け入れられることになる訳だ。

 

 そして、それは別れの時を意味しているということだろう。

 

 大使館の中に一歩踏み込む。その先は日本ではなく外国だ。つまり俺は簡単に入ることは許されない空間である。

 

 カサンドラさんは国境の向こう側で緩やかにこちらに振り返る。左右に屈強な武官を従えながらだ。

 

「天武よ」

 

「はい」

 

「大義であった」

 

 そして微笑む。思わず見とれてしまうほどに美しい表情で。

 

「役に立てましたかね、貴女を無駄な危機に晒してしまった気もしますけど」

 

「何を言う、我が幸運の星が呼び寄せたのだ。つまり其方は我が尊い血を守る為に必要だったという証明である……そして見事に守り切った、誇るといい」

 

「えっと、ありがとうございます」

 

 国境の向こう側でまたカサンドラさんは微笑む。

 

「さて、我が騎士よ。私は寛大だ、其方に報酬を用意しよう。何を望む?」

 

「出会った時にも言いましたけど、今すぐパッとは思いつきません。まぁ貴女の笑顔が最高の報酬ですよとカッコつけさせてください」

 

「ふむ、心地の良い言葉ではあるが。欲が無いというのはそれはそれで愚かであるぞ……う~む、其方が身も心も私に捧げるというのならば、この肢体をくれてやっても良いのだがな」

 

「嬉しい提案ですけど、もっと自分を大切にしてください」

 

「欲のない男であるな……ん、良かろう、ならばわかりやすく金銭の報酬とするか」

 

 するとカサンドラさんは顎に手を当てて深く考え込む。

 

「よし、日本円で24億を其方に与えよう」

 

「滅茶苦茶な額をさも当たり前のように渡そうとしないでください……そもそもなんで24億なんですか?」

 

「何故だろうな、何となく頭にその数字が思い浮かんだのだ。まぁ遠慮することなく貰っておくと良い。私が稼いだ金であるし、私が死ねばどこぞに寄付でもされていた金額だ。それに、不思議と其方にはそれくらい必要なのだと何となく思うのでな……ほれ、口座番号を教えろ」

 

 まあくれると言うのならば貰っておこう。お金があって困るようなこともないのだから。

 

「それともなんだ、24億では足りぬと申すのか?」

 

「そんな訳がないでしょ、十分すぎて寧ろ申し訳なくなってくるくらいですよ」

 

「全く、贅沢な奴だ、足らぬとはな」

 

 一言もそんなことは言っていない。けれどカサンドラさんは強引にそんな方向に話を持っていくと、大使館と日本を区切る国境の向こう側から両手を伸ばして頬に触れて来る。

 

 そして少しだけ背伸びをして、ごく自然にキスをしてくるのだった。

 

 触れ合った唇と唇はそのまま数秒ほどくっ付き、名残惜しさを残しながら離れていく。

 

「足りぬ分はこれで許せ。尊い者からの口づけだ、十分であろう?」

 

「えぇ、貰いすぎて困るほどです」

 

「ふふふ、ならばいつか返しに来い、ここで結んだ縁を忘れずにな」

 

 

 そして別れの時がやってくる。カサンドラさんはどこか寂しそうな顔を一瞬だけ見せて来るが、掌にある陥没したメダルに視線を落としてから、すぐさま不敵な笑顔を作る。

 

「縁と恩は一生だ。いずれまたどこかで会うこともあるだろう……では、さらばだ」

 

 カサンドラさんはそう言い残して背を向け、左右に屈強な武官を引き連れながら大使館の中に入っていくのだった。

 

 そして頑丈な門が閉じていき、国境は閉鎖されることになる。残された俺は唇と鼻孔に残る熱と甘い香りを感じ取りながら、大使館に背を向けることになってしまう。

 

 ジクジクと脇腹は痛みを訴えている。内臓は無傷だがさっさとこれも閉じないとな。

 

 そんなことを考えながら一仕事終えた開放感に浸っていると、眩しい光が視界の中に入って来るのだった。

 

「……夜明けか」

 

 視線を光の方に向けてみると、そこでは太陽が僅かにだが頭を覗かせており、一日の始まりを知らせているのが確認できる。

 

「そう言えば……今日から高校生なんだな」

 

 色々とあったけどそれが俺の本題であることを思い出して、急いでホテルに帰るのだった。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後2時間』

 

 

 

 

 大使館にカサンドラさんを送り届けてから、タクシーを捕まえてホテルに帰ることになる。その途中でコンビニによって消毒液とホッチキスを購入しておくことも忘れない。

 

 何事もなくホテルまで辿り着き、制服が置かれていた部屋の中に入った瞬間に、服を脱いでシャワー室に直行して脇腹の治療を行っていく。

 

 内臓は無傷だがナイフが刺さった脇腹に消毒液をぶっかけて、後はホッチキスで強引に傷口を塞げばそれで良いだろう。

 

 師匠に改造された体はこれくらい雑に扱っても問題はない。以前にも似たような治療をしたことがあるので慣れたものである。

 

 傷口はこうして塞がれることになる。何か問題があるようならば入学式が終わった後に病院で本格的な検査と治療を受けることにしようか。

 

 それよりも今は学校である。何せ俺は今日から高校生な訳だからな。

 

 ベッドの上に置いてあった制服に手を伸ばして着替え始める。ズボンを穿いて、シャツを着て、ブレザーに袖を通し、ネクタイもギュッと締めていく。

 

 鏡を見て装いを確認すると、どこからどう見ても普通の高校生の姿がそこに映っている。

 

 

 そう、俺は今、高校生なのだ。

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後1時間』

 

 

 

 

 

 ホテルを引き払って不要な私物は段ボールに詰めて師匠と過ごした神社へ送り返す手続きを行ってから、いよいよ俺はこれから通う学校に向かうことになった。

 

 指定されたバス停で時間を潰し、やってきたバスに乗車すると。俺と同じ制服を着ている高校生らしき人が何人か見受けられるのがわかる。

 

 きっと俺と同じように、これから入学する新入生なのだろう。同級生ということだ。

 

 読書をしている長い黒髪の美人さん、その隣に座っているどこか無感情にも見える茶髪の男子生徒、足を組んだ姿勢で手鏡を眺めながら髪型を整える金髪の男子生徒、それ以外にも同じ制服が何名かいるな。

 

 同じ高校生、同じ学校、同じ学年……もしかしたら俺はこの中にいる誰かと友人になったり、もしかしたら恋人になったりするのだろうか?

 

 だとしたら、とても高校生らしくて嬉しいと思う。

 

 

 俺は今日から高校生……とても楽しみだった。

 

 

 

 

『少年が老人に席を譲るまで、後16分』

 

 

 

『学校に着くまで、後32分』

 

 

『クラスメイトと出会うまで、後39分』

 

 

『友人が出来るまで、後――――』

 

 

『夢を見つけるまで、後――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『少年が恋をするまで、後――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて一年生編は完結となります。せめてここまでは絶対に書こうと思っていたので、ようやく一区切りを付けられました。ほぼ休みなく更新できたのは我ながら奇跡だと思う。

さて、一年生編はこれで終わりとなりますが、当然ながら二年生編も書きたいと思っています。

ただまだまだ原作の二年生編の流れが不透明なのでこれまでのような更新頻度は難しいかもしれません。しかしモチベーションは煮えたぎっている上に、宝泉とか月城さんとか宝泉とか月城さんとか、ゴリラにぶん殴って貰わないといけないのでやる気はあります。

ここまで来れたのは絶えず評価や感想をくれた皆様の応援、そして未熟な私の文章を根気よく修正してくださった報告者様、まだまだ至らない所も多く不快にさせてしまう表現や誤字なども多かったのですが、それでも支えてくださった読者あってのことでしょう。本当にありがとうございます。

 そして何よりも、素晴らしい原作者様の存在あってのこと、本当に面白い作品に出会えて感謝しかありません。


 それでは皆様、二年生編でまた会いましょう。
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