宝泉には申し訳ないことをしたと思っている。実際にナイフを突き刺したのは彼なのだが、それをすると予測して、そうなるように仕向けたのはこちらなので、どうしても良心の呵責がある訳だ。
俺たちが宝泉に求めているのは一年生全体に対する広告塔である。清隆を追い込もうとする裏特別試験に参加している一年生が何人いるかは定かではないが、彼らはこの短い期間に二度も病院送りになった宝泉を見てこう思うだろう。
あのゴリラが病院送りにされるくらい、二年生たちは強いのだと。
4000万という大金を目の前にチラつかせて冷静さを失った一年生の一部は、そこでようやく躊躇と自重を思い出すことだろう。動きは慎重になるだろうし、大胆な作戦に出ても潰されると理解した筈だ。
だって宝泉の現状がそれを雄弁に説明しているからな。だから彼はこれ以上ないくらいに広告塔としての役目を果たしてくれている。
けれどまぁ、こっちの都合良く宝泉は重傷を負って病院送りになってしまったのは事実だ。そこは素直に謝罪したいと思っていたけれど、よく考えれば一番悪いのは月城さんなので、やっぱりあの人を海に捨てようと心に固く誓うしかない。
宝泉も被害者だ。月城さんとホワイトルームに振り回されたと考えると、俺は彼に普通に同情していたりする。
もし月城さんが4000万という高校生にとって目が飛び出るほどの報酬をチラつかせなければ、間違いなく自分の太ももをナイフで突き刺すだなんていう暴挙に及ぶことはなかったし、俺の脇腹に蹴りを入れて骨折することも無かった筈だ……そう信じたい。
宝泉はあれからまた入院したそうだ。片方は骨折、もう片方は刺し傷、腕は罅が入ってやはり骨折、まともに動かせるのは腕一本という状況は、広告塔としては完璧なのだが先輩としては心配してしまう。
いや、まぁ、その内の半分以上が俺の責任ではあるんだけど、それでも彼の自爆が主な原因である。
それらを抜きにして、俺としては純粋に宝泉を心配していた。そこに嘘偽りはない。
「やぁ宝泉、調子はどうだい?」
ここは学園内に併設された病院、そこまで規模は大きくないけれどしっかりとした機器が容易された場所である。そこに宝泉は入院していたので、俺は見舞い品の果物を片手に顔を出している。
彼がいる病室の扉を開けると、宝泉はそれはもう言葉では表現できないほどの渋面を作る。わさびと苦虫を同時に噛み潰したのだろうか。
「テメェ……どの面下げてここに来やがった」
病室のベッドの上には宝泉がいる。新しく出来た刺し傷によって両足がまともに動かせない状況になっており、腕は片方がギプスで固定されてぶら下げている状態だ。これではまともに動けないだろう。
そんな状態だというのに、宝泉は相変わらず獰猛な肉食獣を思わせる顔つきでこちらを睨んで来るのだが、残念なことになんの説得力もない。まずは体を癒して欲しい。
「どの面も何も、俺は君に対して配慮すべき何かは1つもない。その手足の現状は殆どが君の自爆だよ」
「……」
眉間に皺を寄せ、犬歯をむき出しにすると、今にも飛びかかって来そうな雰囲気となるのだが、それに待ったをかける。
流石にこれ以上重症化すると俺は申し訳なくて仕方なくなる。ヤンチャな奴ではあるけれど後輩であることは間違いないので、どうしても可愛く思えてしまうのだ。
「さて宝泉、俺がここに来たのはお見舞いであると同時に、警告でもあるんだ」
「警告だと?」
「いや、忠告かな……宝泉、君が今回やったことは、実は龍園が去年にやった戦略とよく似ているんだ」
似ているというか、ほぼ同じである。細部は僅かに異なるけれど、デジャブすら感じるほどに似たような経験であった。
「こちらからしてみれば、また同じ方法かと思えるくらいに拙い作戦だった。目の前に4000万をチラつかせられたら仕方がないことかもしれないけど、もう少し冷静になるべきだったね」
「……最初からこっちの動きや思惑はわかってたってことか」
「あぁ、だから君を広告塔にしようと思ってね。この裏特別試験と言うべきものに参加している一年生全員に見せつける為に」
「だとしたらこの状況はお前の予想通りってか……はッ、女々しい面の割にはえげつないことを考えるじゃねえか」
「いや、流石にここまで重症になるとは思っていなかったさ。その、ごめん、そこは計算外だったよ」
まさか宝泉がここまで大胆かつ考え無しに動くとは予想していなかった。よくて軽傷程度だった筈なのに、何故かこんな状況である……だからこうしてお見舞いに来たのだ。
「だから、すまないね……これはせめてものお詫びの気持ちだ」
そう言いながら俺はお見舞い品として持ってきたバナナの束を病室の机の上に置いた。これなら片手でも食べやすいだろうと思って購入したものである。別にゴリラの立場を彼に押し付けて俺への印象を払拭したいとかそういうことではない。
俺がバナナの束を彼に贈ると、宝泉はまた忌々しそうに表情を歪めてしまう。
「まあこれからは目の前にある4000万に踊らされずに、少し冷静に行動すると良いよ。君がやったことや考える作戦は、きっと去年に龍園がやったことと大差がないだろうから、ハッキリと言わせて貰えば無意味なんだ……あぁ、それともこう言った方が良いかな、猿真似じゃあ俺たちには勝てないって」
視線に鋭さと苛立ちが混じる。気の弱い者ならばそれだけで震えてしまうような瞳であったが、生憎と子犬程度の認識しか持てないので無意味だ。
「まずは冷静になり、慎重になることだ一年生、君がやったことは龍園がもうやった……君は君らしく戦って勝つ方法を考えなければならないだろう。猿真似をしているだけじゃ劣化龍園でしかない」
「言うじゃねえか、ここでテメエを殺しても良いんだぜ」
「自分すら騙せない嘘に意味はない……出来る訳がないとわかっているはずだ」
奥歯を鳴らす音がこちらにまで聞こえて来る。それでも実際に残った腕だけでこちらに戦いを挑まないのだから、怒りの中に冷静さもあるのだろう。
「体を癒しなさい、そしてニヤニヤ笑ってないで己の全てを賭して挑んで来い。君より一つ年上の先輩からの、偉そうなアドバイスだ」
相手がどう思っているかは知らないけれど、可愛い後輩への先輩らしい言葉である。
椅子から立ち上がって敢えて宝泉を見下ろす。こちらが上手であるかのように振る舞うことも時には重要だ。彼のような男なら尚更奮起するだろう。
「テメエらは俺が殺す、忘れるな」
案の定、彼は冷静さの中に炎のような怒りを宿しながらそう言ってくる。やはり後輩は可愛いものだ。
けれど、残念なことに、彼の言葉は龍園の猿真似を超えてはいない。
「宝泉……その言葉は、もう去年に龍園から聞いているよ。どうやら君はまだ、彼すらも超えられていないらしい」
そう伝えると彼はそれはもう忌々しそうな顔を見せて来る。おっかないので病室から逃げるように退散するのだった。
とりあえず宝泉はこれで良いだろう。多少は冷静になる筈だし、躊躇も覚えた筈だ。4000万に人生を完全に狂わされる前に冷静になることは出来ると思う……多分。
その上で、全てを賭して挑んで来ると言うのならば何も言うまい、一つ先達として叩き伏せるだけだ。彼にはその権利があるし、俺にはそうする義務がある。
もしかしたら俺が成長した彼に負ける未来だってあるのかもしれない。可能性とはそういうものだ。そしてもしそんな時が来るとするのならば、俺はまた一つ強くなれるということなのだろう。
そんな未来を想像して、少しだけ楽しくなりながら病院を出ると、そこには俺と同じようにお見舞いの果物を持った七瀬翼さんと出くわすことになる。
こちらと違って七瀬さんの手にある果物はバナナの束ではなく、色々な果物の盛り合わせである。こんなことされると俺が贈ったアレが嫌味になってしまうじゃないか。
「七瀬さん、君もお見舞いかな?」
「あ、笹凪先輩、もしかしてそちらも宝泉くんの様子を見に来られたんですか?」
「まぁ、一応ね、俺の責任も多少はあるだろうから」
優しい子である。暴虐の限りを尽くしそうなクラスメイトだというのに、彼女はしっかりと配慮しているということだ。
「宝泉くんはどうでしたか?」
「思っていたよりも元気そうだったかな。お前を殺してやるって言われたよ」
「それは……すみません。彼は言葉遣いが少し乱暴なので」
「あぁ、気にしてはいないよ。この学校では似たようなことをよく言われるから」
龍園とか挨拶代わりに言って来るからもう慣れてしまった……嫌な慣れだな。
「七瀬さんも苦労すると思うけど、宝泉は貴重な戦力だと思う。しっかりと手綱さえ握れるのならば、一年生では敵無しになるかもしれないね」
俺の素直な考えを伝えると、七瀬さんは少しだけ意外そうな顔をする。
「意外です、笹凪先輩は宝泉くんを評価していらっしゃるんですね」
「どんな方向性であれ、突き抜けた何かを持つ人物だから、そこは間違いないと思うよ」
それは俺たち二年生にも同じことが言える。龍園であれ坂柳さんであれ一之瀬さんであれ、飛びぬけた分野を持っているのは間違いない。それを評価して脅威に思うのは自然なことであり、一年生であっても同様だ。
俺はもしかしたら一年生に殺される未来をあるかもしれないと思うくらいには、一年生たちを評価しているのだから。
当たり前だな、俺は別に師匠と違って無敵でも最強でも無い。ただ思い描いた未来に向かって努力することしかできない男なのだから。
「まあ今は大人しくさせておきなよ。怪我が治る頃には、彼も少し冷静になっているだろうからさ」
「そうさせていただきますね」
七瀬さんは素直で良い子だ……裏特別試験を把握していたり、ホワイトルーム生ではないと断言も難しいので、そこが少し残念ではあるが。
それに彼女は、どこか清隆を意識しているようにも思える。視線を向ける回数だって多い。上手く隠そうとはしているようだけど。
「あの、笹凪先輩」
「ん、何かな?」
病院の入口付近で俺たちは見つめ合う。強い意思と力が宿った美しい瞳を向けられる。
「笹凪先輩は……その、綾小路先輩と親しくされているんですよね?」
「そうだね、仲間であり、友人だと思っているよ」
「……もし、綾小路先輩に裏切られたとしても、そう思えますか」
「物騒な物言いだね」
「あ、すみません、つい」
「君が何を思って、どんな考えでそんなことを言ったのかはわからないけれど……その質問に答えるのならそれはそれで構わないと答えるだろうね」
「……え?」
「裏切られたのならばそれで構わない」
「……」
「一度信頼すると決めたんだ、裏切られたとしても別に良いじゃないか」
訳が分からないと言いたそうな顔をする七瀬さんに、俺は思わず微笑んでしまった。
「綾小路先輩には……笹凪先輩が知らないような本性があるんじゃないかと、ボクは思うんです」
ボク? どうしていきなり一人称が変わったんだろうか?
師匠モードの俺も人が変わったというか、思考や口調が変わるのだけれど、それと似たような切り替わりが七瀬さんにもあるのかもしれない。
ここ最近は二重人格も否定することが難しいくらいに、師匠モードとのギャップが凄まじいからな、他の人が似たような精神状態の切り替わりを持っていたとしても不思議ではないか。
口調が変わった七瀬さんとまた見つめ合う。美しい瞳はそのままに、しかしその奥底にある考えまでは読み切れない。
「清隆の本性か……そういう君は、その本性とやらを知っているのかい?」
「……いえ、そうではありませんが」
強い光を宿した瞳は逸らされて地面を眺める。
彼女は彼女で、宝泉とはまた異なる方向性の何かを持っているらしい。
「あ……すみません、急にこんなことを言ってしまって……私はこれで」
ぺこりと礼儀正しく頭を下げた七瀬さんは、果物の詰め合わせ片手に病院の中に入っていく。宝泉のお見舞いに行くのだろう。俺はそんな彼女の背中を見送ってから寮に向かって歩き出す。
今年の一年生たちは、色々と面白い子が多いと言うことだろう。宝泉もそうだけど大人しそうで礼儀正しい七瀬さんもまだ底を見せていない。ホワイトルーム生疑惑のある天沢さんに八神、同じく底が見えない宇都宮に椿さん。
そして他の一年生たちの中にも、或いは油断ならない力を持った存在がいる可能性がある。それこそ俺に主観に過ぎない観察では何の保証にもならないのだから、絶対とは言い切れない。
これからどうなるだろうかと思い描いて、俺の頬は少しだけ緩むことになる。
この特別試験と、裏特別試験は、ただの前哨戦に過ぎない。これから始まる一年のほんの始まりに過ぎないということだろう。
もしかしたら来年の今頃も同じことを思っているのかもしれないな。
今後どうなるにせよ、俺がやるべきことは変わらない。勝利も敗北も、力及ばない現実も成長に繋げて、ただ突き進むだけである。
その先で師匠の言う天下無双の漢になるだけだ。まだまだ道のりは遠いけれど、去年一年で少しだけど近づけたような気もする。ならばこの一年だって同じことをするだけだ。
「さて九号、これから忙しくなるだろうけど……きっちり勝つぞ」
「御意」
暗がりからこちらも観察する気配にそう告げて、俺は一年の始まりを実感するのだった。
きっと、この一年も気の休まる時間が無いのだろうな。そう考えれば、頬も緩むというものだ。