「後輩にゴリラがいてちょっと怖い」
自慢じゃないが……いや、完全に自慢だが、俺はいつだって何でもできた。運動だろうと勉強だろうと特に苦労することもなく、気が付けば一番になっている。それが俺の人生であった。
顔だって良い、カリスマだってある、成功が約束された人生とさえ言えるのかもしれない。
それが俺、南雲雅の人生であった。
誰も俺に敵わない、誰も並び立てない、そんな訳がないと誰かが笑ったような気もするけれど、そいつも最後には俺には勝てないと視線を逸らしてしまう。
まさに強者の在り方と表現できる。これ以上ないくらいに輝かしい人生なのかもしれない。
けれどふと思う、俺はただ俺以上の誰かに出会うことの無かっただけの男であり、ただ狭い世界でふんぞり返っているだけの裸の王様なんじゃないかと。
この学校ならもしかしたら、大して期待はしていなかったけれど、一つ上に堀北先輩がいると知って少しだけ現実を知ることになる。
もしあの人と同学年なら俺の実力は正しく証明されたのではないか、ただ競い合う誰かがいなかっただけの大間抜けじゃないと理解できたのではないか、そんなことを思う。
けれどあの人は学園を去ってしまった。俺と同学年にまともに戦える奴はいない。相変わらずつまらない時間だけが過ぎていく。
なら一つ下の学年はどうかと見下ろしてみて、暇つぶしのオモチャでも探していると、こっちの足を掬い上げて派手に転ばしてくる奴がいたじゃないか。
ちょっと遊んでやろうかと思えば、そいつはこちらの計算も思惑も踏み砕いて来るような奴だった。
こいつなら俺と対等に戦える筈だ、そして俺が本物の実力者だと証明できる筈だと思って余裕綽々でいたら……あの混合合宿だ。
間抜けにもほどがあると言うしかない。今思い出しても怒りとやるせなさで思わず頬が緩むが、だからこそとも言える。
何故こいつは俺と同学年じゃないんだと残念だと考えて、同じくらいに同学年じゃなかったことに安堵して、その事実に吐き気を感じてしまった。
実力の証明をしたかったのに、それができる相手が同学年じゃなかったことに安心してしまった訳だ、笑い話にもならない。
笹凪天武、アイツが生徒会に入ってからというものの、扉を開くときいつだって緊張が体に走る。だからいつも深呼吸してから生徒会室の扉を開くようになった。
「あ、南雲先輩、このコピー機ってどこに置けばいいんですか?」
「前の古いコピー機があった所で良いだろ」
生徒会室には既に笹凪がいた。こいつは本来なら台車に乗せて動かす筈の大きめのコピー機を何故か小枝のように持ち上げて右往左往してやがる。割と大型のコピー機なので下手しなくても50キロ以上は確実にある筈なんだが
う~ん……ゴリラだなぁ。
「いや、大きさが合わないんですよね。ちょっとこっちの方がサイズが大きいので」
「うん? ならちょっと冷蔵庫をズラすか」
「あ、こっち動かして良かったんですね」
そう言って笹凪は、片手に大型のコピー機を持った状態で、空いたもう片方の手で冷蔵庫をズラす。別に滑車が付いている訳でもないのに、冷蔵庫はズルッと動いて隙間を大きくする。
そして広がった隙間にコピー機を押し込む……本当にこいつの体はどうなっているんだか。
「この生徒会室もだいぶ趣が変わりましたよね。堀北先輩が生徒会長だった頃は、もっとシンプルで実用性第一って感じでしたけど」
「そりゃお前、あの人はまさにそんな人だったからな」
「人によって部屋の雰囲気も変わる。当たり前のことでしたね」
「カーテンとかもオシャレだろ」
「ちょっと明るすぎません? 花柄って……」
「いやいやわかってねえな、こういう方が女子受けが良いんだっての」
「そういうもんですかねぇ」
よくわかっていない感じで笹凪はお茶を作り始める。何もかも握りつぶしそうな手をしている癖に、意外にも器用なのかこいつの淹れるお茶は上手かったりする。橘先輩に淹れて貰ったものを再現しているらしい。
「そうだ、二年は特別試験が無事終わったそうじゃないか」
「まあ一位は取れなかったんですけど、最下位にはならなかったのでボチボチって感じです。入学したばかりの一年も巻き込んだ試験だったので、最初はどうなるか不安だったんですけどね、鈴音さんが上手く動いてくれましたよ」
「鈴音か、アイツも悪くない動きをするよな」
「おかげで俺も動きやすくて助かってますよ」
淹れられたばかりのお茶を渡されて、それで喉を潤しながらそんな会話をしている。だが当たり障りのないやりとりなんて興味はなく、知りたいのはもっと奥深くにある本質だ。
「まぁ、特別試験の裏で色々ありましたけど、宝泉が病院送りになったので一年生たちも少し冷静になるでしょうね。どこかの誰かが唆したせいで目の色が変わってましたけど、自重と躊躇を思い出した筈です」
「俺にはなんのことかさっぱりだが、やんちゃな奴が落ち着いたなら上々だろうよ」
「ですね、4000万なんて払われるかもわからないポイントで人生を狂わされるかもしれないと知っただけ前進と思いましょうか」
やっぱりこいつは、今回の一年の動きや思惑についてほぼ把握しているようだな。
不思議な光を宿した、こちらの何もかもを見透かすような瞳が俺を見ている。嘘も演技も通用しないと直感させる力がそこに宿っている。
これだ、この不思議な光を宿した瞳だ……これが、苦手だった。堀北先輩とも、鬼龍院とも異なる、異質な眼差し。人によっては美しいと思う者もいるのかもしれないが、俺は不気味と思う側だった。
「そう睨むなよ、さっきも言ったが俺には何のことだかわからないっての」
「まぁ良いんですけど、犠牲者は一人で済んだので」
あの今年のヤンチャ枠だった宝泉だとかいう生徒は今は病院だ。両足と片手がボロボロなので、もしかしなくても長期入院は確実だ。既に生徒会は病室で授業を受けられるように機材や書類などを動かしている。
「綾小路とか言ったか、どういう生徒なんだ?」
「南雲先輩にはなんの関係もないことなのに、どうしてそんなことが気になるんですかね」
「意地悪言うなよ、ちょっとした興味だ」
「う~ん……あんまり関わらない方が良いと思いますけど」
「なんでだよ?」
「いや、だってほら、せっかくAクラスで卒業できるかもしれないのに、卒業と同時にいかつい人たちに囲まれて攫われるとかもありそうですから」
こいつは何を言っているんだ、そんなことある訳ないだろうに。
「ん……まぁ、その辺は自覚しろって言うのは難しいのか、普通の民間人だもんな」
小さな声でブツブツと何やら呟く笹凪は、諦めたように溜息を吐く。
「まぁ良いさ、色々と面白そうな後輩が多くて俺は嬉しいぜ……それよりもだ、今年も夏休み期間に特別試験が行われることになっている。前々から学校に掛け合って温めてた奴だ。この試験で勝負しないか?」
「俺に勝ったからって、何も得る物など無いでしょうに。因みに聞いておきますけど、どうやって勝敗を決めるんですか? 混合合宿で堀北先輩に提案したみたいに、どちらが多く退学者を出せるとかならごめんです」
「なんでだよ、その方が面白いだろ」
「いやいや、この学校は実力を高めて証明してみせろってスタイルなんですから、その証明のやりかたは1つじゃないと思いますよ」
「だから、他人を蹴落とすってことじゃないか」
「それもまあ一つの証明ですけど、幾ら何でも簡単すぎます……どうせ実力を証明するのなら、120人を蹴落としたと誇るよりも、120人を救い上げたって言った方がカッコいいじゃないですか……それに、俺が目指している場所はAクラスで卒業しても叶えられないものなので、これくらいしないと」
「なるほどな、それがお前の考える実力の証明ってことか、だがこの学園のシステムじゃあ不可能だ」
「でしょうね……まぁ俺も、難しいものだとはわかっていますよ。ただ、議論の余地なくそれをやった奴の方が凄いのは間違いありませんからね。どうせ実力を証明するのならその方がカッコいい」
こういう奴だからこそ、俺は面白いと思うし、恐ろしいとも思うんだろうな。
ならば挑まなければならない。俺自身の証明の為に、裸の王様じゃないと胸を張る為に、そして何よりコイツと同学年じゃなかったことに一度でも安心してしまった過去を消し去る為に。
俺は、裸の王様じゃないと証明しなければならない。
「ユニークな後輩」
二年生となり初めての特別試験が始まった。オレとしては堀北や天武などにクラスのことは丸投げして、ホワイトルームからの刺客に集中したいというのが本音であった。
月城の宣言を信じるのならば、一年生の中にホワイトルーム生がいることになり、オレもそれは疑っていない。
最悪なのはホワイトルーム生とパートナーを組むことである。プロテクトポイントがあるので一発退場にはならないだろうが、温存したいというのが本音であった。
そんな訳で重要なのはその見極めだ。一年生の時点で全員が容疑者なので注意が必要だが、さてどうするかと考えていると相棒である天武から一年生を紹介されることになる。
信用できるかどうかは横に置いておいて、最終判断はこちらに任せるとのことだ。
一応、どういう人物なのか情報は受け取っているが……天武と同じタイプの人種らしいので、ホワイトルームとは別方向の注意が必要なのかもしれない。
天武曰く、かなりゴリラ寄りとのことだ。
少しの不安と、僅かな緊張と共に一年生の寮の隅までオレはやってきた。扉の表札にはこれから会う一年生の名前が張り付けられている。
鶚銀子……カラスギンコ……いや、ミサゴギンコと読むべきなのか?
そんな表札を眺めながら部屋の扉をノックする。するとあちら側からガチャガチャとやけに大袈裟な音が何度も聞こえて来る。
「どもッス」
「あぁ……天武の紹介で訪ねたんだが」
「聞いてるっスよ、パイセンの現地協力者だと」
「その表現は正確じゃない……友人だ」
「……あの人に友人がいることが未だに信じられね~です」
寮の私室の扉が開き、中から顔を出して来た女子生徒が鶚銀子、第一印象は特にこれといったものは持てなかった。
可愛らしい後輩とも、目立つ奴とも、特別な何かを感じるものもない……それでも敢えて目の前にいる一年生女子を表現するならば『希薄』という言葉がよく似合う。
目の前にいるのに、そこにはいない。そこにいる筈なのに、どこにもいない。そんな少女だった。
天武は他者の視線を引きつける引力とでも言うべきものがあるのだが、この鶚銀子という少女はその真逆、誰の視線も引きつけないのかもしれない、だから希薄という表現を使った。
「どうぞッス、綾小路パイセン」
「邪魔するぞ」
今日、オレがここに来たのはこの女子生徒がホワイトルームの関係者であるかどうか確認する為である。天武の紹介ではあるが、だからといって油断することが出来ない。
天武も最終判断はこちらにまかせると言っていたからな、ここで見極めさせて貰おう。
部屋の中に入ると鶚はすぐに扉を閉める。そして扉のロックを次々施していった。最初からどの部屋にも備え付けられているチェーンロックとU字ロックは勿論のこと、自分で改造したのか様々な施錠をしていく、ざっと十個ほど。
警戒心が強いというか、防犯意識が高いというか、ここまで来ると何て言えば良いかわからないな。
「随分と……防犯意識が高いんだな」
「これだけやっても爆薬を使えば一発でやがりますよ、気休め程度みたいなもんです」
「……そうか」
次に視線は部屋の中に向けられる。やけに暗いなと思っていると、窓に鉄板が張り付けられて外界と遮断されていることがわかった。
これでは外の光は一切入って来ないだろうと考えるのだが、鶚は特に気にしていないのか窓を塞ぐ鉄板に何の意識も向けていない、それが当然とばかりに。
部屋の片隅では見覚えのある3Dプリンターが稼働していたので、何となく中身を覗き込んでみると、中では細々とした部品らしき物が作られているのがわかった。
鶚は出来上がったばかりのその部品を取り出すと、作業机の上に座って既にそこにあった他の部品と組み合わせていく……オレの見間違いでなければだが、組み上がっているのは銃のように見えるのだが、気のせいだろうか?
いや、気のせいだな、女子高生が3Dプリンターで銃を偽造するなど、ホワイトルームで知った知識の中にはないのだから、見なかったことにしよう。
「う~ん……やっぱり金属製じゃないから強度面で不安が残るッスね。まぁ一発限りの使い捨てなら十分でやがりますか」
悩むようにそんなことを言う鶚は、思い出したとばかりにこちらに視線を向けて来る。
「七号から話は聞いてるっスよ、今回の試験でパートナーを組むかもしれないと……あぁ、綾小路パイセンのことはある程度把握してるっス、どう育ってどう過ごしてどうしてここにいるのかも」
「天武から教えて貰ったのか?」
「まさか、あの人が口を割るわけないじゃないっすか。ウチの雇い主から情報提供があったんでやがります。ここに内偵する前に全校生徒の情報は開示されましたんで、当然貴方の情報も把握してるッス」
だとしたらだ、あの男……オレの父親やそれに関する様々な情報も把握しているということだろう。
「超人九号と言ったか……そっちは確か、政府に雇われているという話だったな」
「そうッスよ。パイセンのお父上のライバルにね」
政敵ということか、あの男がこの学園に介入しているのだから、その敵対者が同じように学園に介入しても何も不思議なことでもない。あの男は大きな権力を持ってはいるが、別に誰も彼もを無視できる訳でもないのだから。
鶚銀子は政府側の人間、だとしたらこちらとしても都合が良かった。
彼女は作業机の上にある様々な小物や薬品などを組み合わせて作業をしながら、何でもないようにこんなことを言ってくる。
「展開次第ッスけど、もしかしたらウチがパイセンのお父上を処理することもあるかもしれませんので、先に謝っておくッス」
「お前に出来るのか?」
「さぁ……でもまぁ、ウチが殺しきれなかったのは今の所は七号だけなんで、大丈夫なんじゃないッスか」
超人……天武が言うには、国家、社会、経済、法や秩序などに深刻な被害を齎すとされる個人を差すんだったか。だとしたら彼女もそういった手段や力を持っているということだろうか。
作業机の上で偽造銃を……いや、それらしき物を作りながら、世間話でもするかのような口調で物騒なことを言ってくる鶚は、やはり存在感が希薄であった。
それ以外にも家庭用の農薬であったり、ガラス片やパチンコ玉などが机の上にあり、それらを組み合わせて手榴弾らしき物まで作っているようだが……うん、オレの気のせいだろう。
「それで、パイセンはウチと組むってことで良いんですかね?」
「……そうだな、背に腹は代えられない。少なくともお前がホワイトルームの関係者ではないと判断はできる。宜しく頼めるか?」
「了解っす。我が主の現地協力者……いえ、友人なんですから、つまりウチの友人でもあるってことッスよ。手伝うでやがります」
手が伸ばされて来たので、こちらも同じように手を伸ばして握手をした。
掌から伝わって来る感覚は、やはり希薄としか言いようのないものである。温もりがあるような無いような、感触があるようなそうでないような、まるで幽霊と握手しているかのような錯覚に陥ってしまう。
天武は地中に深く根を張った大樹を思わせるような体幹を感じ取ることができるのだが、鶚からはその真逆でどこまで行っても軽くて頼りない感触しかない。
この結び合った手を上に上げると、そのまま風に流されて飛んでいくのではないかと疑ってしまうほどに、鶚は羽のような体幹を持っていた。
なるほど……天武とは異なる方向性の、異常異質な体だな。しっかり鍛えられているのに、羽のような印象を与えて来るのだから。
こんな鍛え方もあるのかと素直に感心するほどである。同時にどんな鍛錬を積み重ねてきたのかと興味もあった。
こうして俺と鶚はパートナー契約を結ぶことになる、短い間であったがこの一年生は天武とはまた違う意味で色々と濃いことを理解する。同時にこれだけ色々とアレならばホワイトルーム生である可能性は限りなく低いと言えるだろう。
少なくともオレが月城の立場であれば、偽造銃や爆薬を平然と作るような者を学園に送ったりはしない……常識的に考えればそうなる。
協力関係を結んだことで用は済んだので部屋を出る。するとすぐに扉の向こう側ではガチャガチャと施錠をする音が立て続けに届いた。やはり警戒心が強いらしい。
何であれだ、これでこの特別試験は安全圏を確保できたことになる。一抹の不安は拭えない相手であるが、とりあえずはこれで良いだろう。
部屋を出て二年生の寮に帰る道のりで、これからの一年生の動きを予想していると、不思議なことに頭の中にいる彼女の姿や印象が希薄になっていくような気がした。
どんな顔をしていたか、どんな声をしていたか、ついさっきまで一緒にいた筈なのに、どうした訳か印象が薄い。
もしかしたら可愛かったのかもしれないし、声は低かったのかもしれない、或いはその逆である可能性だってあっただろう。
何であれ、鶚銀子という少女は希薄であった。あれだけ色々と滅茶苦茶な物を作っていたのに、どうしたわけか印象に残らない。
もしかしたら明日学校の廊下ですれ違っても、オレは名前も忘れてしまっていて、彼女を彼女だと認識できないのかもしれない……不思議とそんなことを思った。
「天沢一夏はまだ知らない」
あたしと拓也は同じ年齢、同じ場所、同じ教育を受けて、異なる方向を向いていた。
情があるか無いかで言えばある、何だかんだでずっと一緒にいたし、きっと幼馴染と言う表現が一番近いんだろうけど、世間一般のそれと違ってどうしたって歪な何かがそこにはある。
うん、綾小路先輩に強い憎悪を抱いている拓也と、信仰にも近い感情を抱いているあたし、同じ環境で育ったというのにこうも異なる方向を見ているのは少し不思議だった。
「綾小路が君のクラスにいる生徒とパートナー契約を結んだのは知ってるかい?」
「あ~、そう言えば今朝のOAAではそうなってたっけ」
校舎の片隅、誰も使わないようなコモンスペースであたしと拓也はひっそりと情報交換をしていた。話題となっているのは綾小路先輩とパートナー契約を結んだ一年生だった。
あたしと同じクラスの……なんていうか印象の薄い子と契約を結んだらしい。正直なんでと思わなくはないけれど、別にあたしは拓也と違ってそこまで綾小路先輩を退学させることに積極的ではなかったので、正直どうでもよかった。
ただ羨ましいとは思っている。だってパートナーと言う言葉だけでトキメクのが乙女心というものなのだから。
もし私がパートナーになれたのなら……そんな妄想も悪くはない。けれど奪われてしまったので、料理を振る舞って貰うことで今は我慢するしかない。
あたしがそんなことを考えていることに気が付いているのかいないのか、拓也はこの人気のないコモンスペースにある自動販売機に背中を預けた状態で柔和な笑みを浮かべている。
「なに、先を越されて焦ってるとか?」
「まさか、あの男と決着を付けるのに、この試験は相応しくないよ。もっと場を整えて、しっかりと引きずり出さないと」
「月城代理も可哀想~……せっかく連れてきた私たちがどっちも綾小路先輩を退学させる為に動いてないんだからさぁ」
「今じゃないってだけだ……まずは学年を支配する。綾小路をねじ伏せるのはこちらの駒を増やしてからさ。こんな試験でもなければ、シンプルな暴力でもない……僕の方が優秀なのだと証明するのは、ここさ」
そんなことを言いながら拓也は人差し指で自分の頭を差す。どうやら頭脳戦で綾小路先輩に勝利したいらしい。その為にはまず学年を支配することにしたようだ。
これで変に夢見がちな所があるというか、ロマンチストな部分があるのかもしれない。相応の舞台に綾小路先輩を引きずり出して戦い勝利することを夢想しているのかな。
同じ環境で育ったのに、そこだけは異なるのだから、本当に不思議だった。
「一夏、君はとりあえず、パートナー契約を結んだ生徒をこちら側の駒にしてくれ。その生徒は現時点において綾小路と最も距離が近く交流がある一年生だ、これを機に交友関係が続くことだってある」
「は~いはい、口説いとくよ」
駒第一号にしようと考えているのだろう……あの子名前なんだったけなぁ。一年生の情報は全部頭に入っている筈なのに、不思議と印象に残ってないや。
「その生徒なんて名前だったかな……確か」
拓也は顎に指を当てて考え込む。あたしも同じように考え込むけど、あまり印象に残っていないのでこれといった顔は出て来ない。
なんとなく、ぼんやりと輪郭は思い浮かぶのだけれど、それだけだ。
「まぁ、同じクラスのそちらに任せるよ」
「りょ~かい」
そこまでやる気はないけれど、別に反対する理由もないのでここは従っておこうかな。
拓也と別れて教室に足を運ぶ、お昼休みなので多くが食堂に行っているけれど、何人かは教室で食事をしている……目的の生徒もそこにいた。
一瞬、彼女で間違いはないかと不安に思ったけれど、何度か霞がかかった記憶と情報を擦り合わせて不安を消し去る。
「ねぇねぇ、お昼一緒にどう?」
教室の隅っこで誰の視界にも収まらないこの生徒のことを、あたしはまだよく知らない。話したこともなければ意識したこともない。他の生徒もそれはかわらないけれど、彼女は飛びぬけてそういう性質を持っているのかな。
記憶に残らない人ってどこにでもいると思う。とにかく目立たなくて、何事も無難に終わらして、誰の思い出にもならないそういう人物だと思う。
名前は……なんだったっけな、この子はとても希薄に思えるのでやっぱり印象に残らない。今だって目の前にいるのに消えてしまいそうな存在感しかない。
「……」
「ん~、そんなに見つめられるとなんかドキドキするかも、もしかして君ってそっちの気がある感じ?」
ちょっとした冗談を伝えるが、目の前にいるクラスメイトは目立った反応は返さない。虚ろな瞳でこちらを見つめて来るだけだ。
コミュ障という奴なんだろう。だから誰の意識にも残らないことに気が付いた方が良い。
「なんの用ッスか?」
「別に何にもないけど~……ボッチ飯してるから何となく声をかけただけ。そもそも君の名前もよく知らないし、良い機会だから教えてよ」
「鶚銀子」
「ふぅん、変わった名字ってよく言われない?」
「いえ、特には」
最低限の会話は出来るようだけど、必要以上には絡んで来ない、そう言えばこうして声を聞くのも初めてのような気がした。
主張はなく、我も強くない、それほど能力が高い訳でもなく、だからといって欠点がる訳でもない。
普通だ……そうだ、彼女は普通という言葉がよく似合う。きっとこうしてあたしが声をかけなければ、いつまでもクラスの片隅で誰の記憶にも残らないまま寂しく過ごすのかもしれない。
だからこそ扱いやすくもあった。孤独な少女だからこそ依存はさせやすいし、扱いやすくもある。駒にするには持って来いの人物だろう。
正直、そこまで優秀な相手ではないけれど、綾小路先輩と一年生の中で一番距離が近いというだけで、駒にする価値がある。
だから甘く囁いてあげよう、望む言葉を贈ってあげよう、その心があたしに傾くように。
「ねぇ鶚さぁん。あたしと友達になろっか?」
「良いッスよ」
ほら、コミュ障だけどグイグイ踏み込めば何だかんだで悪い気はしていない。積極的に声はかけられないけど、向こうから来ればその限りでもない。そういう人は多いとホワイトルームで習った。
これなら簡単に駒にできそうだ。同性という立場もそれを助けている。
「じゃあ友達記念に、一つ良い儲け話を教えてあげる。実は簡単に2000万が手に入る方法があるんだ」
「は、はぁ……」
「大丈夫大丈夫、危ないことなんて何もないからさ……テストで悪い成績を取れば、それだけで大金が手に入るって話」
「え、でも、意図的に点数を下げるのは駄目なんじゃないッスか」
確かにそういう罰則はある、学校側がそうだと判断されると実際にペナルティを受けるのは間違いないかな。
けれど、結果が伴いさえすれば大した問題はない。だってこの学園で一番偉い人がそれを主導しているんだから、罰則なんて与えられる筈もなかった。綾小路先輩とパートナーである彼女だけは例外とさえ言えた。
「で、でも、ウチは自信ないっす……いきなりそんなこと言われても」
「そうかもね~……大丈夫、時間はたっぷりあるんだから、友達のあたしを信頼してくれる機会だって沢山あるからさ、一緒に頑張ろうよ」
共に寄り添い合い、支え合う関係を演出していけばいい。この取るに足らない存在感の薄いボッチにはそれが一番効く筈だ。
あたしに依存させて、あたしの判断や言葉無しに行動できなくする、利益を与えて孤独を埋めて同じ時間を過ごせばあっという間だろう。
簡単な話だね……少なくともあたしはこの時はそう思っていた。
これがあたしと鶚銀子の始まり。
あたしたちはこれから互いに友達と偽りながら関係を構築していき、破綻するその時まで笑顔で会話することになる。
そして取るに足らないと思っていたこの雑魚に、あたしはどうしようもないくらいに振り回されることになるのだった。
果てに殺し合い、その先で……本当の意味で親友となることを、この時のあたしはまだ知らない。