四日目の朝、この日になると上位と下位のグループの順位が発表されることになるので、この試験においては一つの目安となる日だと思う。更に二日後にはサーチ機能も解禁されるので後半に向けて一気に試験が激化することがわかる。
どのグループにとっても緊張の朝がやってくるということだ。それは俺たちだって変わることはなく。テントの中で兎の彫刻を掘る俺も今か今かとその時を待っている状態だった。
ここまでの三日間はおよそケチが付けられないくらいに完璧な状況であったのだけど、ここから先はそこまで楽にとはいかないだろう。特に南雲先輩は自分たちの上に二年生がいることは我慢ならないだろうからな。
まだ空が群青色を維持している頃合い、朝日と夜が良い具合に混ざり合う時間帯になる頃には、彫刻を止めてテントを片付けていた。
作った兎の彫刻は近くの木の洞にでも置いておこう。特に意味のある行為ではないけどなんとなく神秘的な雰囲気を醸し出せるかもしれない。
さて今日も頑張るかと体の調子を確かめている時だ。鞄のポケットにある無線機が情報を伝えたのは。
今回の試験、同じクラスの面子だけで構成されているグループには、無線機を初期ポイントで買うようにという指示が鈴音さんから出ている。理由は当然ながら緊急用の連絡手段と情報交換の為である。
そんな無線機が誰かの声を発したということは、つまりクラス全体で共有しなければならないことがあったということだろう。
『オレだ……綾小路だ。聞こえているか?』
ちょっと大きめの折り畳み電話のような形をした無線機が届けたのは清隆の声である。おそらく同じ周波数を指定しているクラスメイトたちの無線機にも同じ声が届いているだろう。
『混線するから返答はしないでくれ。聞こえているという前提でこちらの情報を届ける……端的に言うと、篠原が孤立した』
確か篠原さんは龍園クラスの小宮たちとグループを組んでいた筈だ。孤立したとはどういうことだろうか。
『具体的な状況はわかっていないが、小宮たちが怪我を負って篠原だけが無事な状況だ。今現在、復帰するのも難しいと判断しているから、ここから先は一人で行動することになるかもしれない』
何らかの理由で同じグループの小宮たちが怪我をした、篠原さんだけが無事な状況、だとしたら取るべき行動は三つしかない。
リタイアするか、単独で挑むか、或いはどこかのグループに合流するかだ。
『説明は以上だ』
清隆の説明が終わる。おそらく同じ周波数にしているクラスメイトたちはそれぞれ届いた情報を受け取って困惑していることだろう……さてどうしたものか。
そんなことを考えていると、また無線機が声を届ける。ただし今度は清隆のものではなく鈴音さんのものであった。
『状況はわかったわ……篠原さんが孤立したのなら、取るべき行動は大きく分けて三つよ。単独で挑むか、リタイアするか、どこかのグループに合流することね』
まぁそうなる。選択肢は三つしかない。
『幸いなことに既に一年生がリタイアしているから、篠原さんがもしリタイアしたとしても退学になることは無い……けれど私としては他のグループに合流して試験を続行することを望むわ』
おそらく、今の鈴音さんの言葉は同じ周波数にしているクラスメイトたち全てに届いていることだろう。クラスのリーダーとして認められている彼女の言葉がだ。
『その理由は色々あるわね。一つは上位50パーセント以内に入れればそれでも報酬を得られるから、状況次第ではクラス全員に声をかけて動くことだってありえるでしょうね。その時に一人でも欠けていれば何か不都合が生じるかもしれない』
そこで鈴音さんは言葉を途切れさせて一息置いた。
『けれど……何よりも大きな理由として、今回の試験をクラスメイト一人一人の成長の場にできればと思っているわ。だから、安易に楽な方に動くのではなく、苦労や試練を経験して欲しいと考えているのよ』
この言葉を聞いているクラスメイトたちはどう思うんだろうか。鈴音さんが思い描いている未来や考えを共有できるんだろうか……そうなって欲しいと願いながら俺は彼女の言葉を待つ。
『今現在、私たちのクラスは特定の個人に大きく依存している。負担を強いている状況だと言っても過言ではない……私自身も、甘えている部分があると自覚はしているわ』
気が付くと、六助も起床していて無線機から届く鈴音さんの声に耳を傾けていた。
『きっとそれは、クラスとして健全な状況ではないのでしょうね……一人一人が成長して、誰かに甘えるのではなく共に支え合える関係になって欲しいと願っているの。だからこの試験を安易にリタイアするのではなく続行して欲しい、成長の場にして欲しい、私はそう考えている』
二日目の夜に須藤の、三日目の朝に山内の成長を感じられたけれど、今度は鈴音さんの成長を実感することができた。入学当初の彼女からは考えられないような言葉であった。
心の奥に優しい気持ちが溢れて来る。気遣われていることもそうだけれど、誰かに思って貰えるのはとても嬉しいことだと思う。
『篠原さんはそこにいるの? 聞こえているのなら、綾小路くんと代わって貰えないかしら?』
『うん……聞こえてるよ』
返答はあった。無線機に乗って俺の下にも篠原さんの声が届く。
『貴女はどうしたいの?』
『リタイアはしたくないよ……だって、悔しいもん、こんな形で終わりだなんて』
『私が貴女の立場なら同じことを思うわ……なら、やるべきことは一つよ』
『他のグループと合流だね』
『えぇ、幸いなことにこの四日目から合流する権利を課題で得られるようになる。そこを狙いましょう』
『でも、私にできるかな?』
『どこかのグループがそれを獲得すれば、そのグループと合流すれば良いわ。ただ男女で組む場合は人数や割合に制限があるから注意が必要でしょうね。私は単独で行動しているから大きな問題もない。今日は合流の権利を得る為に行動するつもりよ……私に限った話ではなく、クラスの皆も積極的に狙いにいって頂戴。やるべきことは一つ、篠原さんを助ける、わかりやすいでしょう?』
あぁ、わかりやすい。クラスメイトを助ける為に合流の権利を獲得する。とてもシンプルだ。
『たとえ篠原さんと合流できる環境や状況でなかったとしても、得た権利は必ず有利に運べる。だから優先順位の上位に置いて行動すること、わかったわね?』
それがクラスのリーダーの指示であった。この周波数にしている無線機を持つクラスメイトたちに共有されたことだろう。
『焦る必要はないわよ篠原さん、貴女は一人じゃない』
『うん、ありがとう。私、頑張るよ。仮にリタイアするんだとしても、やれるだけやって意味のあるリタイアじゃないとね』
思わぬアクシデントがあったようだけど、話は纏まったみたいだ。クラス全体の成長を願い、そして俺への負担を減らしたいと言う鈴音さんの考えや思いには頭が下がるばかりである。
「……誰かに守られて支えられるか」
寧ろそれは俺がやらなければならないことだったけど……そうだよな、別にクラスメイトたちは弱くもなんともない。一人一人が成長して、前へ進んでいける。当たり前のことだった。
「父親目線で接するのも……傲慢なのかもしれないな」
彼ら彼女らはそこまで弱くない、俺はそんなことを思った。皆は守るべき対象ではなく、共に戦う仲間なんだと実感したということなのかもしれない。
皆を守るだなんて傲慢だ、対等なクラスメイトだとしっかり自覚しないといけないだろう。
「ありがとう」
それを気が付かせてくれた彼女に無線機を介してお礼を伝えた。大切な何かを教えてくれたのだから、お礼は当然だ。
『頑張って……クラス全体が、貴方の勝利を願っているのだから』
返答は小さく短いものであった。けれど確かに伝わった。胸の奥に温かい何かが溢れて来る感覚がある。
誰かに思って、力になってくれるという事実は、心が穏やかになるものだな。
「よし、六助、今日も頑張ろうか」
「フッ、任せたまえ。私はいつだってパーフェクトなのだから」
「あぁ、知ってるよ」
試験は四日目なので順位が発表されることになる。早速タブレット端末を確認して順位を見てみると――。
「うん、予定通り一位だね」
一位はこちらのグループであった。基本移動でも課題でも荒稼ぎした三日間なので当然と言えばそれまでである。
「南雲先輩のグループは……圏外だな。流石に遊び過ぎたか」
上位十組の中には三年生グループが目立つけど、そこに南雲先輩のグループは入っていない。遊びだなんだと余裕を見せているからだろう。
ただ実際に遊んでいられるだけの状況なのがあの人と三年生たちなので、別に間違ってはいない。その油断と余裕が致命傷なのか否かがわかるのは試験が終わって順位が確定した時だけだ。
もし一位が南雲先輩であったら、余裕も遊びも正しかった。けれどそうじゃなかったらただの間抜けであったというそれだけの話である。
「では行こうかマイフレンド」
「あぁ、立ち塞がる悉くを凌駕して結果をもぎ取ろう」
こちらは遊びも余裕も最初から存在しない。これまでと同じように徹底的にポイントを得ていくだけである。
一先ずはエリア移動だな。朝一の指定エリアがランダムだったので少し走らなければならない。
まぁ問題はないだろう。誰よりも速く走れば勝てるというシンプルな話なのだから。
六助と一緒に今日もまた無人島を駆け抜ける。地面を蹴り、木の枝を足場にして、岩や不安定な足場すら利用していく。最短最速で、一切の無駄がなく、自然の障害物すら利用しての疾走は次々とライバルたちを追い越していき、朝一のエリア移動は無事に一位を取れた。
さて次は課題だとタブレットを確認してみると、一番近い位置に「走り幅跳び」の課題が出没しているのでそちらに向かおうかな。
今日で四日目、現時点での順位も発表された。俺たちは二位と大差を付けてぶっちぎってはいて、南雲先輩のグループは圏外だけど、試験の本番はここからなので改めて気を引き締める必要がある。
これだけのリードがある、ではなく。もっと圧倒的な差を作っておくべきだと考えるべきなんだろう。
森の中を駆け抜けながら目指す走り幅跳びの課題に関しても勝率が高いということもそうだけど、貰えるポイントがそこそこ高いことも理由の一つに挙げられる。
ここから先は妨害も激しくなるだろうから、どの課題を受けるのかもしっかり選ばなければならない。高得点が貰える課題には積極的に参加していきたいものだ。
「課題に参加します」
走り幅跳びが行われる場所についてすぐに担当職員にそう伝えると、その後は暫く待ちの時間になる。他の生徒が参加するまで待機だ。
二年生は俺と六助を見た瞬間に無駄だと判断して回れ右をする。一年生は普通に参加する。そしてこちらの身体能力を把握している三年生も同じように回れ右をするかと思っていたが、彼らは積極的に参加するようだ。
「無線機で連絡を取っているようだねぇ」
三年生たちの動きを六助も察している。昨日までは運動系の競技でこちらと接することになると回れ右をすることが多かっただけに、不審な動きでもあった。
無線機に語り掛ける三年生たちの唇の動きを呼んでみると「発見した」だ。きっと南雲先輩に連絡しているんだろう。
「それで、どうするのかね?」
「特に何も。サーチ機能はまだ解禁されていないんだ。もしあの人たちが俺たちの妨害をしようとしても、ただ全力で走って置き去りにしてしまえばいい」
「ならば六日目までは追い駆けっこになるようだ。やれやれ、せめてレディたちに追い回されたいものだよ」
もしサーチ機能が解禁されれば俺たちの進路や目標に人を配置することもできるのかもしれないけど、今はまだそれも難しい。
「おそらくあの三年生たちは課題が終われば俺たちに付きまとって来るんだろう。けれど、追いつけると思うかい?」
「フッ」
そうとも、出来る筈がない。つまりあの人たちの行動は全て無駄にしかならない。せいぜい追いつけない相手に必死で付いて来て欲しい。そして体力を消耗してリタイアしてくれ。
走り幅跳びの課題が始まった。特に語ることは何もない。俺と高円寺で一位と二位を取って三位は三年生が取った。それだけだ。
特別なルールや法則もなく、純粋に身体能力を競うだけの試験ならば必ずと言っても良いくらいにこの結果になるのだからありがたい。一人だと二位も他所のグループにくれてやらないとダメだからな。
問題なのは課題の結果ではなく、三年生たちの動きなんだろう。そしてその動きは歯牙にかける必要もない。
こちらはただ、全力で走り抜けるだけなのだから。
「あッ、待て!?」
課題が終わった瞬間にこちらの進路を妨害するかのように立ち塞がった三年生たちの頭を飛び越えて走り出す。何やらわめいていたけどあっという間に声は聞こえなくなった。
悪いけど、サーチ機能が解禁されるまではこちらの動きを捉えることは不可能だ。六日目まで無駄な行動を繰り返してくれ。
こちらはそれまでにもリードを広げておこう。
もし俺たちを捕捉できたとしても、誰も追いつけないのだから意味がない。そういうことだ。
後、考えなければならないのはどの課題を受けるか、だな。やはりポイントの取得量が多い課題が中心になるんだろう。後は物資と相談しながらだな。
行く先々で三年生に追いかけ回されることになるのだけど。サーチ機能が無いので先回りされることもなく、ただ全てを置き去りにするだけの時間が進むのだった。
六日目まではこれでいけるか、サーチ機能が使えるようになれば話は変わるんだろうけど。
基本移動で指定されたエリアを踏みつつも、課題を突破していき、今日もポイントを荒稼ぎしていくことになるのだった。
南雲先輩は今頃は遊び過ぎたと焦っているんだろうか。しかしこちらは序盤のツケを払わせるつもりなんてない。追いつくこともできないまま一方的にリードを広げていくとしよう。
この試験において重要なのは指揮官としてどれだけ優れているかじゃない……いや、それも大切ではあるんだけど、何よりも重要なのは純粋な力だ。
策略を引きちぎり、計算を無に帰して、あらゆるものを凌駕する力、それが重要である。
遊んでいる場合じゃなかったと相手が思ってくれているのならば、その時点で試験に対する覚悟と意思が足りていなかったということなんだろう。
油断も余裕もこちらにはありはしない。俺たちは最初から最後まで全てを置き去りにするつもりだった。