天沢一夏視点
振り下ろされた刃と、あたしが持っていた棍棒がぶつかりあう。高所からの強襲に加えてぬかるんだ足場もあってか勢いに押し負けるかと思ったけど、予想していたよりも軽い感触に拍子抜けした。
「あれ……軽ッ」
上空からの襲撃者、迷彩模様の怪人は空中で迎撃された衝撃を殺してくるりと回転しながら着地する。
フワリ、そんな表現がよく似合う着地だったと思う。雨でぬかるんで水たまりがあったのに、迷彩の怪人が着地してもそこに何の異音も発生することはなかったんだしね。
水を踏みつける音も、ぬかるんだ地面に足を滑らせることもなく、羽のような軽やかさでそこに立つ。
「……」
「……」
そして無言で見つめ合うんだけど……あれ、この子って――。
「なぁんで銀ちゃんがここにいるのかなぁ……笹凪先輩との契約でリタイアした筈だよね?」
「ん~……あぁ、やっぱり一定ラインまで認知されるとそうなるもんなんッスね」
「質問に答えて欲しいんだけど」
「リタイアした生徒が無人島にいちゃいけないとは一言も説明されて無いッスよ」
「そういうのを屁理屈って言うんだけどなぁ」
「なら学校側の落ち度ッスね」
「私が告げ口したら退学になっちゃうかもね?」
迷彩模様に包まれた鶚銀子、私の駒の筈の同級生は嫌に饒舌だ。
そもそもあたしの知るこの少女はもっとも普通で安定志向で、運動も勉強もどこまでいっても普通で、長い前髪でいつも表情を隠して目立つ誰かの一歩後ろでひっそりと生きているような、そんな生徒だ。
そんな生徒の筈なんだけど……もしかしたらあたしは鶚銀子という少女のことを何一つ理解していなかったのかもしれないと、ここにきて思ってしまう。
駒にする為にボッチの彼女に甘い言葉で囁いて、あたしに依存させて支配する、そんな計画だったけど――。
もしかしてあたしは、何かを決定的に踏み間違っていた?
「退学になったらなったで、別に良いんじゃないッスか。元からここには仕事で来てるんで、月城の情報を得られればそれでお役目ごめんなんで」
「月城? どうして理事長の名前が出てくるんだろ?」
「あぁ、誤魔化す必要はないッスよ……ホワイトルーム出身の天沢一夏さん」
「へぇ……やっぱりそうなんだ、つまりあたしが知る鶚銀子なんていう少女は最初から存在しなかった訳ね」
「ホワイトルーム出身ってことは否定しないんッスね」
「もう確信してるんでしょ? なら意味ないじゃん」
なんだろうなこれ、もしかしたら初めての感情かもしれない。知識としては知っていたけど、実感したのは初めてなんじゃないかな。
「……すっごくイラっとする」
「生理っスか?」
違うっての馬鹿、いつもあたしの後ろに付いて来てこっちの顔色ばっかり窺ってるアンタがどこにもいなかったことに苛ついてるんだけど。
あたしがいないとまともにオシャレもできなくて、流行もわからなくて、映画館で券の買い方もわからない、そんな手のかかる駒がただの幻想でしかなかったってことが、凄く気持ちが悪い。
いつだってあたしが支配していた筈なのに、誘導していたのに、何だかんだで世間知らずな子なので世話だって焼いた……そうだよね?
クレープを初めて食べた時はへにゃりと笑って、ホラー映画を観た時はビビりまくって、ファッション雑誌を食い入るように眺めていたあたしの駒は今、刃を握って前に立っている。
棍棒を握っていた右手に力が入っていく。左手に包み込んだ石だって同様だ。
あたしは今、もの凄く苛ついている。
「あのさぁ――」
喋りかけると同時に握っていた石を投げつける。一応は奇襲になった筈だけど、銀ちゃんはそれを平然と手に持った刃で弾いてしまう。
普通の女子高生にできることじゃないよね。ビックリするどころか瞬き一つしないまま防いだんだからさ。
「ずっとあたしを騙してたんだ? 傷ついちゃったなぁッ!!」
胸の中にある苛立ちをそのままに棍棒で殴り掛かる。格闘技だけでなく武器術も一通りホワイトルームで教わっていたので体は鋭く無駄無く目標を叩こうとする。
あたしの知る銀子ちゃんはこんな暴行を防ぐことも躱すこともできないけど、今目の前にいる鶚銀子は平然と回避した。
羽のような軽やかさで後方に飛び、距離を取ったかと思えば独特の歩みと重心移動で押し寄せて来る。フワフワとして不思議な体捌きだった。
「で、結局銀ちゃんは何がしたいの? こっそり無人島に入ってさ、そんな恰好して、わざわざ姿を隠してたのに前に出て来て……何が目的?」
ポケットの中に忍ばせていた石を握って再び投げつける。当然のように防がれるけどそれを見越した上で棍棒での接近戦だ。
後二歩という距離まで近寄った段階で、ぬかるんだ地面を蹴り飛ばして大量の水気を含んだ土を顔面に浴びせて、その隙を突いて殴り倒す。
卑怯とかそういう話はどうでも良い。ホワイトルームでは最後に立っていればそれでいいと教えられて来たんだからね。
けれど飛び散る土は迷彩柄のマントで身を隠すように防がれる、あたしの視界にも迷彩柄が一杯に広がって姿を隠されてしまうけど、そんなことは構わず殴りつけた。
手ごたえはない、ただ雨でビショビショになったマントを殴りつけただけの感触だけだね。体はどこにもない。
「何がしたいかと聞かれると……ん~、一夏ちゃんと話がしたかったッスね」
「あのね、あんまり苛つかせて欲しくないんだよねぇ」
「なんでそんなにイライラしてるんッスか? 別に貴女にとっては特に思い入れのない駒が自分の与り知らぬ所で勝手に動いてただけッスよね……それともなんッスか? 友情でも感じちゃってました?」
「……」
いつのまにか銀ちゃんは樹上にいた。枝の上に腰かけてこっちを見下ろしている。
「ねぇ一夏ちゃん、ホワイトルームってどんな所なんッスか?」
「そんなこと聞いて何の意味があるのかなぁ?」
「ウチの雇い主が色々知りたがってるんでやがります。その場所にいた人なら詳しいことも知ってるんじゃないッスか? どんなことが行われていて、どこを目指してるのとか」
「あぁなるほどね……つまり銀ちゃんはどこかの誰かに雇われてるって訳ね。それってペラペラ喋って良いことじゃないな~」
「問題ないッスよ。そっちの戦力でどうこうできる存在じゃないんで」
枝の上に乗ってあたしを見下ろしてくる銀ちゃんは、やっぱりあたしが知らない瞳をしていた。いつも長い前髪で顔が隠れがちで、あまり表情の変化がない陰キャだったけど、今は背筋が震えるような鋭さがある。
「そっちが本性ね……だったら、間抜けはこっちだったのかな」
少しだけモヤッとした感覚がある。最初からそんな瞳をしていれば駒にしようだなんて思わなかったんだけどなぁ……。
「で、話してくれるんッスか?」
「あたしは君ほど口が軽くはないんだよねぇ」
「そうッスか……まぁそれなら、単純にこっちで性能を測りますんで、頑張ってくれでやがります」
次の瞬間、樹上にいた銀ちゃんの姿は消えていた。決して油断していた訳じゃないけど、手に持っていた刃の一つが地面に落とされたので、そこに視線が奪われた瞬間に気が付けば姿が消えて来た。
単純な視線誘導の技術だったけど、この場でそれをやられるとはね。
「きひひ」
さてどこに行ったんだと警戒を強めていくけど、真後ろから奇妙な笑い声が届いたことで慌てて棍棒を振り抜いて……やっぱり空振ってしまう。
「反応速度はボチボチッスね」
前髪を僅かに揺らすだけで回避されちゃったか、手を抜いた訳でもないし躊躇があった訳でもない、つまりこっちの考えや計算よりも上にいるということかな。
あたしの中にある鶚銀子の情報を再び更新して一歩飛びのき、今度は単純な視線誘導に引っかからないと注意深く観察していると――――気が付けば銀ちゃんは私の目の前にいた。
瞳の先に瞳がある、あと1センチ前に顎を動かせばキスでもできそうなほどに近い距離にまで接近されてしまった。
油断した訳じゃない、けれど彼女はあたしの瞬きを見切って踏み込み距離を詰めた、それだけの話。
瞼を閉じる一秒にも満たない隙を、見逃さなかったということだ。
こいつ、本当に……あたしや拓也よりも強い? ううん、それどころか――。
「このッ!?」
キスでもできそうな距離で見つめ合っている訳にもいかず、棍棒を振り回して迎撃するけど、また銀ちゃんはフワリと飛び上がって距離を取ってしまう。
「んん……力も体力もあるッスね」
「偉そうに観察しないで欲しいんだけどッ」
このまま主導権を握られたままじゃダメだ。ホワイトルームの教官もそうだけど流れを握られると一気に持っていかれると経験で知っている。
攻勢あるのみ、棍棒で殴りつけて急所を抉る。何度も教えられたことを行えば良いだけだ。
だから一歩踏み出す……勝てないんじゃないかという思いを心の奥に隠しながら。
「躊躇も無い、勢いもある、何より焦りながらも体幹がブレない……一夏ちゃんてホワイトルームでは底辺なんッスか? それとも上澄みなんッスかね? それで報告内容も変わるでやがります」
「……」
もうお喋りは止めよう、ただ心を冷たく尖らせて叩き潰す、あたしを騙していたことを後悔させてやる。
さっきと同じように泥を顔目掛けて蹴り上げて、フェイントを織り交ぜながら棍棒で殴りつける。今度はマントで身を隠すことはできない筈だ。
どう対処する? 警戒しながら相手の出方を窺っていたのだけど……銀ちゃんは何もしない。
ただ、一つだけ、蚊でも払うかのような動作で目の前に迫った土を払い除け、その延長線上であたしが振り下ろした棍棒を割り砕いた。
握りしめた棍棒が一見華奢にも見える腕と勢いよく重なった瞬間、伝わって来た感触は巨大なゴムタイヤでも殴りつけた圧倒的な密度のある何かである。
その瞬間に、初めてあたしは目の前にいる少女が、全身がとてつもない密度の筋肉を圧縮した存在なんだと理解してしまう。
棍棒は脆くも割り砕かれてしまった……あぁでも、それで攻勢を緩めるような教育は受けていない。武器が無くてもやりようは幾らでもあるからね。
でも、どこに?
一瞬迷ったのはあたしの落ち度だ、そしてその一瞬であたしの視界はひっくり返る。逡巡しながら伸ばされた手を掴まれてクルッと投げ回されたんだと思う。
背中に雨でぬかるんだ地面の感触が広がった。冷たいとか気持ち悪いとか思うよりも早く体勢を立て直して回し蹴りを顎先目掛けて放つのだけど、スニーカーが銀ちゃんにぶつかることはなく、彼女はいつのまにか少し離れた位置にある木の隣にまで移動していた。
「複数の格闘技を織り交ぜた独自のスタイルに、計算された体作り……あれッスね、オリンピック選手みたいな感じッスね。このまま成長すればメダルとかも普通に取れるでやがります」
隣にある木に銀ちゃんは手を伸ばす。太くて頑丈で深く根を張ったそれは、あたしの胴回りくらいの太さがあるものだった。
「総じて一夏ちゃんを評価するのなら、一流のアスリートって感じでやがります。なるほどなるほど、つまりホワイトルームはオリンピック選手を量産する施設って感じなんッスかね、でもまぁ――――」
そして何気なく、草むしりでもするかのような感覚で、いっそ軽やかさすら感じるほどに平然と……鶚銀子はその木を引っこ抜くのだった。
「人を超えてはいないッス……超人と呼ぶには、あまりにも幼い」
何十キロ、いや、何百キロはあるそれを引き抜いて、まるで小枝のように持ち上げられてしまえば、あたしはただただ絶句することしかできない。
え、なにあれ……どういうこと?
これは、あれは……ホワイトルームで習わなかった何かだ。
ホワイトルームにはいなかった――怪物だ。
「とりゃ」
どこか気の抜ける掛け声と共に、推定数百キロの木は、小枝のように横薙ぎにされることになる。
その動作たるや、まるで箒で埃を払うかのようにも見えてしまう。
茫然としていたあたしは、その木の先端にある膨大な枝葉の塊にぶつかって吹き飛ばされることになるのだった。
枝と葉がクッションになったとはいえ、体に伝わって来る衝撃は車にはね飛ばされたのと大差がない感じで、嫌な音も体の奥から響くように広がってしまう。
「うッ……あぐッ」
どれくらい飛ばされたかな……二、三度、地面を跳ねたあたしの体は、最後には水たまりに落下することでようやく止まることになる。
次の瞬間に広がるのは木々の衝突を受け止めた左腕を中心とした半身からの激痛で……呼吸もできないくらいの痛みによってのたうち回ることになってしまった。
ちょっとくらいは加減して欲しいんだけど、一応は、仮初とはいえ友達だったんだしさぁ……。
「一夏ちゃん、大丈夫ッスか?」
こっちを吹き飛ばした犯人は近づいて来てそんなことを訊ねてくるのだから、本当に苛つかせてくれる相手だよね。
さっき振り回していた太い木をどこかに投げ捨てて、悍ましいほど冷たい視線も鳴りを潜めて、本当にあたしを気遣うかのような目を向けて来る。
「すみません、ウチ手加減が苦手なんで。でも良かった、やっぱり素手で殴らなくて正解ッス。これくらいで済んだんですから」
「ッ……はぁ? 腕、折れちゃってるんですけど、これくらいとか言わないでくれる?」
「いや、ウチが全力で殴ると、多分死んでたと思うッスよ? だから加減して木でぶん殴ったんッスよ。感謝して欲しいッス。ウチ優しい」
本気で言ってるのが本当に質が悪い……。
銀ちゃんは水たまりに背中を引っ付けて仰向けに倒れるあたしを、しゃがみ込んだ姿勢で見つめてきた。
長い前髪の隙間から見える瞳は、あんなことをしたというのにこっちを気遣っているようにも見える。
やっぱりあたしは、鶚銀子という少女を根底から勘違いしていたってことなのかな。
この子は怪物だ、きっとその表現が一番似合う。天才という言葉すら生温い。
「さて、お話しましょうか一夏ちゃん」
「今更何を話したいのかなぁ……きっと、銀ちゃんの興味を引けるものはないよ」
「そうッスか」
すると銀ちゃんはその場に腰をおろして三角座りの姿勢となった。雨は降っているし地面はドロドロだけど、そこはあまり気にしていないらしい。
二人で雨に打たれながら暫く無言の時間が過ぎ去る。最初に口を開いたのはあちらからだった。
「ウチ、一夏ちゃんのこと好きッスよ」
「はぁ?」
「オシャレとか詳しいし、色々物知りだし、映画券の買い方とか教えてくれるッスから。一緒にクレープ食べたりとか、買い物したりとか、楽しかったッス。ウチは高校生って奴を楽しみたくもあったんで、なんていうか、ああいうのに憧れてたんでやがります」
「……笑わせないで欲しいなぁ、そっちもわかってるんでしょう? あたしが利用しようとしてただけだってさ。なに? 友情とか感じちゃってたのかなぁ? だったら馬鹿みたい」
「そりゃまぁ、でも一緒に過ごした時間は確かにそこにあったじゃないッスか」
「……」
「お互いの立場もあって、多分きっとしがらみもあるんでしょうけど、こうして腹を割って話し合える時間が欲しかったんッスよ」
だからわざわざ姿を晒したということらしい。銀ちゃんの実力ならあたしに気が付かれることもなく後ろからブスリとも出来た筈なのに。
「だからまぁ、それだけは伝えておきたかったんッスよね」
「……」
ニコッと笑ったように思えた。普段は長い前髪で表情が隠れがちなので、この子もそんな顔をするんだなと、場違いなことを考えてしまった。
今までは、ずっと上辺だけだったから知る機会が無かったということなのかな。
「ま、ウチは一夏ちゃんのこと、友達だと思ってるってことは知っておいて欲しかったでやがります」
そこで銀ちゃんは立ち上がり、再び仰向けで倒れているあたしを見下ろして来た。
「まぁ、それはそれとして、仕事はしっかりとこなさないとダメっス」
「……え?」
「ウチの仕事は護衛、そんで月城の内偵でやがります。近づく脅威は排除しなければならないんで、めんごッス」
銀ちゃんは右足をこちらに向けて来る。まるでこれから蹴り飛ばそうとするかのように。
「え~っと……あたしのこと、好きなんだよね?」
「ん? 好きっスよ……でもそれはそれ、これはこれッス」
長い前髪の隙間から見える瞳はとても無邪気で、けれど不思議な冷たさが混じっていて……虫を解体する子供のような何かがそこにはあった。
「ウチらは刃の下に心を置く者なんで、友情は大切だけど、任務が最優先。船に帰ったらまた一緒に遊びましょう、それで良いんじゃないッスかね。あぁ、動かないでくださいね、さっきも言ったけど、ウチは手加減が苦手なんで、チョロチョロ動かれると勢い余るッス」
そして鶚銀子は容赦なく、あたしの顎先を蹴り飛ばしてくるのだった。
意識を失う直前、とても穏やかな笑顔であたしを見てきたのだけど、やってることとその顔が全然一致してないことに気が付くべきだと思う。
まぁ、とりあえず……。
このまま舐められたままで終わるのはアレだから、怪我を治したら襲撃しようかな。
あたしはそんなことを決意しながら、この場での勝利を譲ることになる。
ホワイトルームで何度も教えられたことだ、最後に勝っていればそれで良いって。だから二度目があるのならそこに賭ける、たとえ届かなくても三度目で倒しきればいい。
友情なんて欠片も興味はないけれど、こいつにだけは負けたくないと思ってしまったのが運の尽きなのかな。
それはきっとある種の執着で、欲求でもあるんだと思う。
綾小路先輩以外にも、あたしがこの学校にいたいと思える理由が生まれた瞬間でもあった。