綾小路視点
審議は取り下げられた、完全に無関係だったオレはその場に立つことはできなかった上に、佐倉だけを証人として出席させることに不安もあったのだが、その場で結論が出ることなく再審議に持ち込めたのは間違いなく彼女の功績だろう。
引っ込み思案で、極度に緊張に弱い佐倉が、たった一人で審議の場に立てるかどうかは五分五分であったが、良い方向に転がったと見るべきだ。
佐倉愛理、クラスメイトの女子、接点はそこまで無い。
ここ数日の間、色々と勇気づけようとしていたのだが、手ごたえと呼べるようなものなどあまり無く、いたずらに時間が過ぎるだけかと思われていたが、意外なことに歩み寄ってくれたのは佐倉からである。
そもそも笹凪が言うように「しっかりエスコートしてどこにだしても恥ずかしくない女性に導くんだよ」なんていうのはオレには無理な話であり、アイツほど口も上手くない自覚もあるので前途多難であったのだが、予想していたよりも佐倉は勇気のある人物であった。
悩み、戸惑い、そしてそれでは駄目だと踏み出そうとする気持ちがある女子である。グラビアアイドルをしているかどうか、それが自分なのか仮面なのかもあまり関係が無い、佐倉愛理という人間は、本当にどこにでもいる十五歳の少女であった。
誰かが困っていれば、手を差し伸べたいと思えるほどに、普通で平凡なのだろう。随分と緊張はしていたようだが。
「人生で大切な三つのことか……」
オレが彼女に伝えられたのは、以前に笹凪と堀北の会話を自動販売機の裏で盗み聞きした時に知った言葉だけである。正直、憧れも恋も夢も持たない俺が言って良い言葉でもないのだが、佐倉には何かしら響くものがあったらしい。
あの言葉が笹凪の行動原理なのだと分析しているが、そこまで簡単なことでもないと思う。
笹凪天武、オレの友人……うん、友人だと思う。
アイツに関しては本当にわからない部分が多い。人間離れした身体能力を持ち、知識や思考力も持っている。とても大人びているようにも見えて、子供のように笑うこともある。
最初は、もしかしたらオレを追って来たあの場所からの刺客なのではないかと疑う部分もあったが、それにしては人間味があり過ぎるようにも思えるし、そもそもあの異常な身体能力を持った相手があそこにいたのならば、必ずオレと比較対象になっていた筈だろう。
だが笹凪のことはこの学校に入るまで知らなかった。それはつまり奴はホワイトルーム出身ではないということだろう。
あれだけ極まった身体能力を持つ相手があの場所にいたのならば、その肉体を「再現」しようと大規模にカリキュラムの変更もあった筈、それが無いという事実が、笹凪とホワイトルームの関係を断つ証拠にもなる。
つまり笹凪は、人工ではなく天然の天才……あるいは何らかのバグのような存在だということだろう。人類と言う規格から大きく逸脱した、よくわからない何かだ。
油断はできないが、上手く関係を維持して友好的になることができるのならば、これ以上ないほどの切り札にもなるはずだ。
もしかしたら、あの場所から刺客がやって来ることもあるかもしれない。その時にあの怪物をぶつけることができれば問題なく――――。
「いや、ダメだな……」
思考がどうしてもそういった方向に流れてしまうのは、あそこの教育がオレの根底に根付いているからだろう。
友人と言ってくれた相手を、駒のように扱うことを考えている、これはきっと普通の高校生から遠い筈だ。
友人、友人か……それもまた難しい概念だった。
それらしく振る舞おうとしている時点で、きっと何かがズレているんだと思う。
そこでふと、ここ最近、関わることになった女子生徒の言葉を思い出す。佐倉は言っていた、勇気を出すと。勇気とは何かもまた難しいものである。
「……ッ」
何か確信があった訳ではない、しかしそう言った時の佐倉の顔と、彼女の背景にある深刻な問題が突然に結び合った。
池から教えて貰った位置情報の追跡方法で確認して、佐倉の位置を確認する……彼女の行動範囲から大きく逸脱した場所を表した瞬間に、スマホを弄りながら走り出す。
「笹凪か、佐倉が危険な状態にあるかもしれない、手伝ってくれ。今位置情報を送る」
『ん……了解』
言葉少なくスマホを切ると、玄関口で靴を履き替えて佐倉がいるであろう場所に走り出す。
「綾小路!!」
その瞬間、校舎からとてつもない大声が届いた。視線を向けてみると屋上付近に笹凪の姿を確認できる。
いや、何をするつもりだアイツ? どうしてフェンスから身を乗り出して飛び降りようとしているんだ?
あ、行った。
当たり前のように屋上から飛び降りた笹凪は、その途中で幾度か壁に手を引っ掛けながら勢いを弱めて着地すると、何事も無かったかのようにこちらに駆け寄って来る。
うん……もう笹凪に関して考察するのは止めよう、きっと意味がない。アレはもうバグのようなものと認識するしかない。
「状況は?」
ちょっとありえない速度でこちらに近づいて来た笹凪は、偶に発する鋭い迫力を身に纏いながらそう問いかけて来る。
「走りながら説明する、付いてきてくれ」
「あぁ」
この状態の笹凪は口調と性格に少し変化がある。相手を圧倒する迫力と、視線を引き寄せる引力のようなものがあり、ある種のカリスマを有していた。
「佐倉が危険かもしれない……ストーカー被害にあっているんだ」
「ほう、なら排除するしかないな」
迫力と引力が強まっていく、何かを毟り取るかのように少しだけ曲げられた指先が不気味であった。
「しかしストーカーか、推定戦力は?」
猛スピードで走りながらも呼吸を乱す様子がない笹凪は、緊張や困惑も感じられず、ただ静かに状況を知りたがっている。
荒事に、随分と慣れている、そんな様子が垣間見えてしまう。
「武装はどれくらいと推定される? 爆薬や銃の類は携行しているだろうか? 人数は一個小隊くらいか?」
「え? いや、さすがにそれはないと思うが……」
この現代日本でそんな物を持ち出せる人間なんて限られているだろう。ましてやストーカーが運用できるような戦力ではない。
それ以前に、こいつは脅威と聞かされてまずそういった戦力を想定するのか? ますます笹凪がわからなくなった。
「出て来ても刃物とか金槌くらいだ」
「そうか、良かった……なら問題はなさそうだな」
笹凪が放つ圧力が徐々に消えて行く、どうやら安心しているらしい。
「普通、それでも恐ろしいと思うんだがな……」
「なに、そうなのか?」
何故、オレが常識を教える側になっているんだろうか? いや、今はいいか。
「いた、あそこだ」
家電量販店の搬入口に佐倉と向かい合っている男がいる。なにやら言い争っているようだ。
やはりストーカー被害で合っているようで、しつこく付きまとわれているらしい。
「今から僕の本当の愛を教えてあげるよ……そうすれば雫もわかってくれる」
「いや、離してください!!」
ストーカー男が手を伸ばして佐倉を捕まえようとした段階で、オレと笹凪が前に出る。
「綾小路、彼女を守れ」
「あぁ」
二人の間に割って入る、そして佐倉を強引に引っ張って距離を取らせた。
「な、なんだお前たち!? どこから出て来た!?」
「あ、綾小路くんッ!? それに、笹凪くんも……」
「佐倉、よく頑張った、ここから離れるぞ」
「え、あッ……あの、て、て、手がッ」
手を引いて距離を取り振り返る、そこでは既に笹凪が動いているのが確認できた。
そしてストーカー男の手には包丁が握られている。どうやら逃げるのではなく立ち向かおうとしているらしい。かなり及び腰ではあるが。
笹凪が発しているあの雰囲気が消えているからだろうか、なんであれ命知らずだと思うしかない。
「果物包丁か……それではな」
「う、うわぁぁぁぁぁああッ!!?」
半狂乱になりながら包丁を突き立てて来るストーカー男の凶刃を、笹凪は何でもないように掴み取って強引に引き抜いてしまう。
アイツは今、包丁を鷲掴みにして力づくで奪い去ったように見えたが、どうして怪我一つしていないのだろうか? 指が切り落とされてもおかしくない行動だと思うのだが。
奪い去った包丁はペキンッと音を立てて根元から折れてしまう。こら、そんな小枝を折るかのような動作で破壊するもんじゃないぞ。
「これから何度でも思い出せ、恋や愛は押し付けるもんじゃない……尊い人の言葉だ」
次の瞬間、笹凪の体がブレる。意味がわからない脚力で地面を割り砕いて踏み込んだかと思えば、勢いそのままにストーカー男の顎先を掠めるように拳が振るわれて、意識を刈り取ってしまうのだった。
脳震盪の症状が酷いのだろう。そのまま膝から崩れるように倒れてしまう。
あまりにも手慣れた動きと加減に、言葉を無くすしかない。プロの職業軍人らの動きは見慣れているが、笹凪の動きはそういう次元にはなかった。
「終わったぞ……佐倉さんは大丈夫か?」
「佐倉、怪我はないか?」
「え、あ、は、はいッ……あの、て、手をッ」
「あぁ、すまない……」
オレと触れ合っているのは気持ちが悪いということだろうか……だとしたらとても悲しい。
「あの、ありがとうございます……それに、巻き込んでしまって」
「いや、気にする必要ないよ」
何でもないようにストーカー男を拘束していく笹凪は、本当に気にしていないのかいつも通りの様子である。凶刃に晒されたとは思えないほどに。
やはり慣れているのだろうか? ますますわからなくなった。
「それに気が付いたのは綾小路だ、お礼ならそっちに言いなよ」
佐倉の視線がこちらに向けられる。ストーカー男と対峙した恐怖故か少し涙目になっており、緊張も見て取れる。
「あ、綾小路くんも、ありがとうございます……」
「あまり気にするな……オレは何もしていないからな」
「そ、そんなことないッ……あ、ち、違うんです、ただ、その……綾小路くんには沢山勇気づけられたから」
「……そうだったか?」
「はい……沢山」
「なんだ、ちゃんとエスコート出来てたんじゃないか」
「茶化すなよ」
「ごめんごめん」
クスクスと笑う笹凪は興味深そうにこちらを見ている。
いや、オレと言うよりは佐倉を観察しているようにも見えた。
「……そうか、恋が見つかったのか、羨ましい限りだ」
最後にボソッと何かを呟いたようだが、それは聞き取れなかった。
オレがこの学校で何かを成せるとは思わない。ごくごく平凡な高校生として、普通の日常と言うものを過ごして学んでいく、ただそれだけだ。
あの場所では得られなかった何かを、足りなかった何かを、そして必要だった何かを、ここならば得られるのかもしれない。
そして何より、笹凪天武……アイツならばオレを――――いや、それは考えるべきことではないか。
オレは普通の高校生、それでいいのだと思う。
それ以上を求めるつもりはないし、まさにそれを楽しもうと思っている。
くだらないことで笑い合ったり、好みの女子生徒の話で盛り上がったり、テストや課題に一喜一憂したり、そんな当たり前の高校生というものを目指す。
あの場所の影響が及ばないここならば、それができる筈だ。
「綾小路、少し話がある、付いて来い」
どうやらそれは間違いであったらしいと、茶柱先生に呼び出されたことで知ることになるのだった。