ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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章と章の間にある小話となります。


小話集

 

 

 

 

 

 

 

 

「別に恋心だけの為だけじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 鈴音さんと交際することになった。

 

 今、思い返してもまさかの展開である。望んでいながらもどこか遠いものだと考えていただけに、意表を突かれた形なのかもしれない。

 

 鈴音さんに真っすぐ踏み込まれて全力の右ストレートをお見舞いされた訳である。なんともシンプルなその一撃は躱すことが難しく、もっと言えば守り切るにはあまりにも威力過剰であったので、ものの見事に一撃KOとなってしまった。

 

 うん、真っすぐに見つめられてああ言われてしまうと、もうどうしようもなかったんだろう。俺はチョロいと言うことである。

 

 告白されて素直に嬉しかったので、その時点でもう負けていたのだと思う。

 

 今はまだ好奇心が強いのだけれど、それが恋に変わっていくような確信めいた物もあるので、不思議な感覚でもあった。

 

 うん、変にひねくれたことは言わなくて良いな。俺は彼女と交際することができて素直に嬉しいんだろう。

 

 さてそんな俺にはやらなければならないことがある。それは新しくできた恋人とのデートであったり、勉強や鍛錬であったりするのだけれど、それよりも早く片付けなければならない問題があった。

 

「須藤、ちょっといいかい?」

 

 それは鈴音さんへ思いを寄せている須藤への報告である。以前に隠し事するなと言われてしまったので筋を通さなければならない。

 

 彼は山内や本堂たちと一緒に豪華客船の開放スペースの一つ、テニスコートやバスケットコートがある場所でスポーツを楽しんでいたので声をかける。

 

「おぉ、どうしたんだ、お前も参加してくか?」

 

「それも良いけれど、結構ハードな練習してるみたいだね」

 

 山内と本堂や博士たちの姿もバスケットコートの中にある。池がいないのはきっと篠原さんと一緒にデートでもしているからなんだろう。

 

「ずっとぐうたらしてても体が鈍るからな、夏休みが終わったら体育祭も近くなるしよ。きっちり調整しておかねえと」

 

 ストイックなようでなによりだ。他の面子はぐったりしているけど、彼等にもそういった思いがあったから参加したのかもしれない。

 

「それよりも話があるんだ、まぁお茶でも飲みながら話そう。奢るからさ」

 

「悪いな」

 

 汗を拭って笑顔を見せる須藤、無邪気な顔を見せられるとちょっと申し訳ない気分になってしまうが。筋は通さないといけない。

 

 とりあえずバスケットコートとテニスコートの間にあるコモンスペースに設置されている自動販売機でスポーツドリンクを購入して須藤に投げ渡す。

 

 彼は蓋を開いてそれを飲んだ。運動した後なので喉が渇いていたのだろう。勢いよく飲み干していく。

 

「実は鈴音さんと交際することになった」

 

「ごっふぁッ!?」

 

 そんな彼に対して話しておきたかった内容を飾らず伝えるのだった。

 

「うッ、ごほごほッ……お、お前、いきなりなんてこと言いやがる。クソ、スポドリが変な所に入りやがった」

 

 咽て咳き込む須藤は当然ながら困惑した様子である。

 

「いやッ、えッ……マジで言ってんのかよ?」

 

「あぁ、無人島で言っていただろう、隠し事は無しだと……伝えておくのが筋だと思ったからさ」

 

「お、おぉ、そうなのか」

 

 しかし意外にもそこまで悲しんだ様子はなく、それどころか納得したような雰囲気を見せてきた。

 

「すまない。須藤の気持ちは知っていたけれど、横恋慕のような形になってしまった」

 

「謝んなよ、別に怒っちゃいねえ」

 

「そうなのか?」

 

「まぁな、なんつ~か、自分でもビックリするくらい納得してるぜ。いや、そうなるかもなって何となく思ってたのかもな」

 

 落ち着いてから改めてスポーツドリンクを飲んで喉を潤す。

 

「堀北はあれだ、遠い憧れみたいな感じだったんだろうぜ、お前と同じようにな。だからショックって感じでもないな……いや、ショックはショックなんだが、なんて言えば良いんだろうな、こういうの」

 

 自分の頭をガリガリと掻きながら大きな溜息を吐いて、しかしどこかさっぱりした顔つきで須藤はこう言うのだった。

 

「まぁなんだ、良かったなって、そう言わせてくれよ」

 

「あぁ」

 

 そして須藤はまた笑顔を見せた。内心では色々と思う所はあるのだろうが、それでも笑って見せたのだ。

 

 何というか、随分と爽やかな男になったと思う。入学当初の彼と比べてみると尚更そんな印象があるな。

 

「しかしあれだな、お前と堀北が付き合うってなると……あ~、あれだ、勉強会とか遠慮した方が良いのか?」

 

「馬鹿言うな、続けてくれないと困る。俺も須藤も鈴音さんもな」

 

「だが彼氏がいるんだ、変な噂になったり……いや、問題はねえのか、何か佐藤とか池とか篠原なんかも参加したいみたいなこと言ってたしよ、二人きりって感じでもねえだろうしな」

 

 そう言えば鈴音さん主催の勉強会には参加したい人が増えるかもしれないと言っていたか。

 

「続けてくれればいいさ、須藤の為にもなる……それとも、ちょっと気まずい感じかな?」

 

「無人島でも言ったかもしれねえけど、俺が勉強するのは鈴音目当てじゃねえよ……いや、それもあったんだが、何よりも自分の為だ」

 

 スポーツドリンクを飲み干してから、須藤はゴミ箱の中に空になったボトルを投げ入れる。

 

「あ~……あれだ、実は大学の進学とかも考えてるんだ」

 

「へぇ、プロのバスケット選手を目指していたのに?」

 

「勿論、諦めた訳じゃねえよ。ただちゃんと勉強してしっかり進学すればまた別の進路も見つかったりするかもしれねえだろ。プロは実力勝負で……いや、負けるつもりはねえけどよ、どうしようもないことだってある。その時に大学を出てたかどうかでまた変わるかもしれねえからな」

 

「うん、プロを目指すのなら大学に入ってからでも遅くは無いだろうしね」

 

「あぁ、もしプロになれなくても、学歴があれば何らかの形で関われるかもしれねえからな。やっぱバスケは好きだからこればっかりは諦めきれねえ」

 

「何らかの形……マネージャーとか、或いは運営側みたいな感じか」

 

「おう、まぁ馬鹿には務まらねえだろうから、今から勉強だ」

 

「なら余計に勉強会には参加しないとな」

 

「すまねえ」

 

「謝らないでくれ、須藤の心意気は凄いと思うよ。夢を見つけて、ちゃんと足場を固めて、何が必要なのか知って、努力を重ねているんだ」

 

「褒めるなよ、この学校じゃそれが出来て当たり前って感じを押し付けてくるんだ。俺だけの話でもないぜ」

 

 本当に成長したと思う。あの喧嘩っ早い男が今では好青年である。

 

 やっぱりあれだな、ちゃんとAクラスで卒業させてあげたいな。

 

「夢があるのは良い事だ、人を強くしてくれる」

 

「だな……そう言えば笹凪、こういうこと訊くのもあれだけどよ、お前って将来の目標とかあるのか?」

 

 確かに、須藤とそういった話はしたことがなかったか。

 

「笑わないで聞いてくれよ?」

 

「笑わねえよ」

 

「実は俺は……正義の味方になりたいんだ」

 

 普通なら素面かどうかを疑う言葉でもあるし、良い歳して何を言っているんだと呆れられてしまうんだろうけど、俺の夢と目標はもうそこだと定めているので誤魔化すこともできない。

 

 あぁ、でもよかった、俺はまたこうして夢を語り合える人が増えたんだな。

 

 幸福なことだと思う、人に恵まれた人生を歩んで来たと思っていたけど、改めてそう認識するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教師たちから見た生徒」

 

 

 

 

 

 

 

「今年の二年生、ちょっと、いや、だいぶおかしくない?」

 

 無人島試験と、その後に開催されたレクリエーションも終わったことで、ようやく私たち教員も一息つけることが出来るようになった。

 

 労いと、ちょっとしたご褒美もかねて私たち三人は船の中にあるバーの椅子に腰を下ろしている。生徒たちには解禁されていない酒類も大人たちだけならば楽しむこともできるだろう。

 

 同期のチエが度数の高い酒を一気に飲み干して開口一番に放ったのが今の言葉である。

 

「佐枝ちゃんと真嶋くんも、そう思わない?」

 

 そんなチエの言葉に私と真嶋は視線を結び合って、仕方がないとばかりに同意するのだった。

 

「無人島試験もまさかの結果だったよねぇ、一年生と三年生をほぼリタイアさせて報酬を独占するだなんて、思いついてもやらないでしょ? しかも大半が医務室送りだし……試験っていうか、もう抗争じゃない」

 

 確かに船の医務室はもう限界ギリギリだという。軽傷の生徒は自室療養を命じるくらいにはキャパが満たされている。

 

「いや、そうじゃねえよ、真面目に試験やれってツッコミたい……やっぱおかしいよ二年生は」

 

 また酒を飲んでチエはだらしなくバーの机に上半身を預ける。

 

「まぁ確かに、予想外の展開ではあった」

 

 真嶋が同意するようにそう言うと、私も同感なので頷きを返す。

 

 ただ二年生全体がと言うよりは、一部の生徒による個人プレーの影響であると信じたくはある。

 

「だが過激なのは一部だけだ、多くの生徒は真面目に試験をこなしていたさ」

 

「佐枝ちゃん、それ本気で言ってる? そっちの生徒が散々暴れまわった結果だと思うんだけど……なに、800点超えって? 人間辞めましたって言ってるようなものじゃない。しかも三年生をボコボコにしたんでしょう」

 

 確かに笹凪と高円寺ペアが出した点数は前代未聞だった。凄いと思うよりは戦慄するほどであり、発表を聞いた瞬間には生徒も教師も凍り付いたほどだったな。

 

 三年生とのイザコザはあったらしいが、細かいことはわからないし笹凪自身も学校に訴えるつもりは無いようなのでうやむやになってしまっている。

 

「Aクラスの坂柳さんも随分と無茶したって聞くよ? 一年生を罠に嵌めて賠償を要求したってさ」

 

 チエの視線が今度は真嶋に向く。絡まれたくないと思ったのか彼は酒を飲んで視線を逸らした。

 

「一番暴れたのはDクラスの龍園だ、アレに比べたら坂柳は可愛いもんだろ」

 

 そして生贄とばかりに一番の問題児の名前を出す。真嶋はよほどチエに絡まれたくなかったらしい。

 

「あぁ、彼ね、ほんっと滅茶苦茶やってくれたわ、後始末するのが私たちだってわかってるのかな? あんなに怪我人出しておいて被害者側にちゃっかり立ってるし……やりたい放題やってくれたもんだわ」

 

 総じて、今の二年生は頭がおかしいという評価にチエの中ではなっているらしい。

 

「やっぱりあれだよね……生徒の質って言うか、クラス分けの基準が何か変わったよね」

 

 それは私も真嶋も同意する所であった。

 

「以前までのクラス分けの基準は、AとBが争い合ってCとDは悪く言えば搾取される為に存在しているような印象だったし、ここ数年はそれが基準になっていた……ある意味では停滞とも言える。確か理事会でもただレールの上を走っているだけだと議論されたらしい、学校側も是正したかったのかもしれないな」

 

「真嶋くんもそう思うんだ? 佐枝ちゃんも同じなの?」

 

「生徒の質やクラス分けに何らかの選考基準が加えられたのは間違いないだろう」

 

「だよねぇ」

 

 またチエがグラスに入った酒を飲み干す……ペースがかなり早いな、悪い酔い方をしそうだ。

 

「なんでよりによってこの年なんだろ。一之瀬さんなら絶対にAクラスになれると思ってたのに」

 

 まるで自分の所の生徒に失望しているかのような発言に、真嶋が眉を顰めながらも反応する。

 

「まだ勝負はついてないだろう?」

 

「うぅん、もうダメだと思う……一之瀬さんは優秀だけど、ただそれだけ。他の学年ならともかく二年生では勝てない。良くも悪くも真面目だからねぇ……特にこの世代には、とびっきりの怪物がいるしね」

 

 またチエの視線がこちらに返って来る。面倒な絡まれ方は私も嫌なので酒に逃げるとしよう。

 

「あの子なんなの? なんでこんな場所にいるんだろ……運動も勉強も、人間離れしてるし、実はサイボーグとかじゃないの、学ぶことなんて無いんだからさっさとどっか行けば良いのに」

 

「チエ」

 

「星之宮」

 

「はいはい、ごめんなさ~い」

 

 生徒に対するいきすぎた発言に私と真嶋が同時に嗜めた。

 

「はぁ、でも実際にそうじゃない……それほど長く教師をしてきた訳じゃないけどさ、笹凪くんみたいな生徒はもう現れないと思うよ。今までの価値観とか流れを全部ぶっこわしてさ」

 

「まぁ確かに、一般的な基準の優秀とは大きく離れた生徒だろうな」

 

「なんだ、真嶋くんだってそう思ってるんじゃん」

 

「去年の堀北や今の三年の南雲、それ以外にも優秀な生徒は大勢いるが、どこまで行っても優秀という言葉で表現できる、できてしまう……だが笹凪に関しては、どちらかと言うと怪物と表現すべきなんだろう、勿論悪い意味ではない」

 

 酷い言い分ではあるが、真嶋の言葉を完全に否定できないのが笹凪という生徒だな。

 

「佐枝ちゃんは自分の所にその怪物くんがいてラッキーって感じ? それ以外にも高円寺くんや堀北さん、平田くんに櫛田さん、それにもう一人もいるもんね~……下剋上も視野に入る訳だ」

 

 まだあの時のことを気にしているのだろう、こいつは私の後ろを歩くことを受け入れられないだろうからな……いや、囚われているのは私も同じなんだろう。

 

 私もチエも、あの時から根っこの部分は何も進んでいないのだから

 

 下剋上か、それを否定するつもりはないが……そんなことがどうでも良くなるくらいの爆弾がこちらのクラスにはあるからな。

 

 真嶋も同じ気持ちなのか、視線を彷徨わせて僅かに恐怖を宿した瞳をしている。

 

「なに二人とも? 視線で通じ合って?」

 

「なんでもない」

 

「そんなことないって、あ、何か二人で隠し事してるんだ? いやらしいことしてる訳ねぇ、はいはいそうですか」

 

「チエ、誤解するな」

 

 思い出しているのはあの砂浜の光景だ。月城理事長の不正現場を押さえる為にボートを使って赴いてみれば、そこに広がっていたのは手足を折られた五十人の暴漢と、その横に証拠物品のように並べられた本物の刃物や銃である。

 

 そんなあってはならない非現実的な光景と状況を見せつけられて唖然としている私と真嶋に、笹凪はさも当然の如くこう言って来たのだ。

 

 武装勢力が無人島に侵入したので排除した、と。

 

 気負うでもなく、緊張するでもなく、誇張することもなく、とても自然体で転がっていたゴミを片付けましたとでも言うかのような気楽さだった。

 

 アレを見た瞬間に私と真嶋は思考を放棄したと思う。あまりにも現実離れした光景だったからな。

 

 真嶋やチエの言葉を肯定する訳でもないが……怪物という表現がよく似合う生徒だ。一般的な常識や考えから逸脱した存在なんだと理解させられた。

 

 あれ以来、私の中に生まれたのは恐怖に近い感情だ……もう笹凪を一生徒として見れないかもしれない。教師としては情けない話ではあるが。

 

 どうにかして利用してやろうと考えていた私をぶん殴ってやりたい。下手な関わりかたをして良い存在じゃないと。

 

 確かに私のクラスには優秀な生徒が多く揃ったが……あそこまで何もかも超越した存在がいると教師としては嬉しいやら恐ろしいやらで情緒不安定になってしまうものだ。

 

 きっと真嶋も同じ気持ちだ。レクリエーションの打ち合わせで笹凪と顔を合した時も、常に震えて冷や汗をかいていたからな……あの光景を見せられたら仕方がないことなんだろう。

 

「それよりも、次の特別試験ってあれな訳じゃない?」

 

 だいぶ酔いが回ったチエが次の話を切り出す。今度行われることになっている、私たちにとっては因縁の特別試験のことを。

 

「よりによってあれが来るとはねぇ~……どうなると思う?」

 

「どうだろうな、アレは人の醜さを表に引きずり出す試験だ、どうなるかなど誰にも読めない……あぁ、だが、クラス内投票の結果を見る限り、二年生は平然と乗り越えるかもしれないな」

 

「真嶋くんはそう思うんだ……まぁ確かに、私たち世代にはいなかった怪物がいるもんねぇ。クラス内投票でもわざわざ他のクラスに塩を送ってたし、何がしたいんだろあの子、意味がわからないよ」

 

 大いに悩むところではあるが、不思議と不安はなかった。今でも夢に思うあの特別試験だが、二人の言う通り二年生にはどうしようもない怪物がいる。

 

 学校側の都合や考えなど蹴り飛ばして、これこそが真の実力者だと証明しようとしている怪物が。

 

 だからだろうか、あれだけトラウマになっていた特別試験が控えているというのに、私の中に不安は存在しないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう絶対にゴリラには関わらない!! 絶対にだ!!」

 

 

 

 

 

 

 全てが終わった、私の完全敗北という形で。

 

 勿論、私が綾小路くんを退学させれないまま学園を去るというシナリオも想定の内だった。しかしその想定の中にここまでやりたい放題されて敗北する計算は入っていなかったのも事実だった。

 

 現に私の足と腕の一本、鎖骨や肋骨の一部が骨折しており、顔は暴行によってパンパンに腫れあがっているのだから、それが想定や計算である筈がない。

 

「よく生きていたものだ……本当に」

 

 超人七号のレポートを見る限り、今私が息をしているのは奇跡に近い。体はボロボロだが幸運であったと言うべきなんでしょう。

 

 まぁ尤も、私をここまでボロボロにしたのは綾小路くんなのですけどね。

 

 彼は彼でおかしな成長をしている、小枝のように私の手足を折り、司馬先生をボールのように投げ飛ばしたりと、ホワイトルームに残されていた情報とあまりにも食い違っている。

 

 あれではもう人間とは言えない……超人だ。

 

 ホワイトルームは天才を量産する施設、人を超えた何かに足を踏み入れる為の環境ではない。ただでさえ綾小路くんはイレギュラーな存在だというのに、それが更に壊れ始めている。

 

 恐ろしい限りだ、やはりこんな仕事を引き受けるべきではなかったということですね。

 

 私と同様にボロボロになった司馬先生には療養を理由に自主退職をすることになり、それは私も同じ。少し身軽になったので最後の挨拶くらいはしておきましょうか。

 

 痛む体を何とか松葉杖で支えて向かう先は、この船の中にあるコンサートホールであった。

 

 既に就寝時間を過ぎている筈ですが、部下の報告によると綾小路くんはそこにいるようです。あのゴリラと一緒に。

 

 同じ場所に担任の茶柱先生もいる辺り、もしかしたら今後行われる特別試験で何らかの情報提供を受けているのかもしれません。

 

 これは弱みになるか? そんなことを考える思考を強引に打ち切った。踏み込むべきではないと本能が察したかのように。

 

 ただ別れの挨拶をするだけ、それならば私はおそらく生還できる……多分、きっと。

 

 コンサートホールに近づくとピアノの音色が耳に届く、それと彼等の話声も。

 

「へぇ、清隆ってピアノ上手なんだね」

 

「無駄にしつこく教えられて来たからな」

 

 エリーゼの為にがコンサートホールに響いている。どうやら奏者は綾小路くんのようですね。

 

「天武は何か弾けないのか?」

 

「さっぱりだ。鍵盤の位置とか音階はわかるけど、それだけだ……とはいえ、せっかくの機会なんだ、教えて欲しいな」

 

「良いだろう、まずは猫ふんじゃったを演奏できるように目指そうか」

 

「なんでそのチョイスなんだい?」

 

「簡単だからだ」

 

 そんな会話をしながら綾小路くんはゴリラにピアノを教え始める。茶柱先生はそんな二人から少し離れた位置でコンサートホールの椅子に腰かけて眺めていた。

 

 邪魔したことで私の首が引きちぎられたりしないだろうか? そんな迷いを内心では抱きながらも、それでも最後の挨拶くらしはしないと考えてコンサートホールに一歩踏み出した。

 

 ピアノの音は止まらない、あの二人はこちらに気が付いているようですが、わざわざ出迎える必要も無いということでしょうか。

 

 この場所には少し不似合いな猫ふんじゃったが奏でられる中、私は徐々にピアノへと近づいていく。丁度演奏が終わったと同時に彼らはようやくこちらに視線をやるのだった。

 

「月城理事長代理、何故ここに?」

 

「なに、ちょっとした挨拶ですよ、お別れのね……だからそう警戒しないでください、茶柱先生」

 

「警戒しない訳にはいきません、貴方は試験の最中に違法な武装勢力を介入させたんですから」

 

「そんなことは無かった、それで納得して全てを忘れなさい。それが貴女の為ですよ」

 

「……」

 

 民間人である茶柱先生を深入りさせると私の首が物理的に飛ぶことになるので、警告するのが限界でしょうね。

 

 元より警察に駆けこまれた所で大した問題にはならない。あまりにも非現実的な上に被害者も存在しないことになっているのですから。

 

「月城さん、あまり担任の先生を苛めないであげてください」

 

「そんなつもりは毛頭ありませんよ。これは警告です、民間人へのね」

 

「何をしにここに来たんだ?」

 

 こちらの会話をぶった切るように綾小路くんが敵意全開でそう言って来た。

 

 随分と感情的な印象を受けますね、ホワイトルームに残された情報ではもっと冷淡で枯れている印象でしたが、この学園生活で色々と感情の発露を学んだということでしょう。

 

「さっき言ったように挨拶ですよ。私はもう学園を離れます、司馬先生も同様です。これが最後となるでしょうからね」

 

「そうか、ならこっちに来て一緒にピアノでもどうだ?」

 

 どうしてそんな展開になるのでしょうか……絶対にごめんだ。

 

「止めておきましょう。弾いている最中にピアノの蓋を閉じられて指を圧し折られそうだ」

 

「チッ」

 

 舌打ちをされてしまいましたね、本気でするつもりだったようです……随分と嫌われてしまったものだ。

 

「まぁまぁ、挨拶くらい良いじゃないか」

 

 そんな綾小路くんをフォローするのが笹凪くんであった。彼は彼で七号レポートとは異なる印象を与えてくるので、こちらも学園生活を得て色々と成長したということでしょうか。

 

 笹凪天武――笹凪製陸戦兵器甲型二種とレポートには記されていた。その性能は言ってしまえば戦車と大差がない。戦車の火力と装甲と突破力を人が持っているということだ。

 

 そして何より恐ろしいのが、彼の師匠を見る限りまだまだ発展途上であるということ……なんで私は彼と戦うような環境に身を置いてしまったんだろうか。

 

 ゴリラは遠くから眺めるもの、同じ檻の中に入ってはいけない。それがこの学園で私が学んだことでもある。

 

「えぇ、挨拶だけです、お別れのね」

 

 笹凪くんは綾小路くんの背中を押して私の前にまで連れて来てくれた。

 

「おめでとうございます綾小路くん。貴方の勝ちですよ……ですが、私が学園を去るシナリオも用意されていたことをお忘れのないように」

 

「そうか、そのボロボロの有様も計算の内だというのなら大したものだ」

 

 皮肉まで言えるようになって、本当に感情的になりましたね。

 

「君は賢い、そして強い、仲間にも恵まれている。しかしどれだけ優れていても子供であることは変わりません。あの人はそこを織り込み済みで私を送り込んでいることを理解した方が良い」

 

「かもしれないな、だがそれがなんだと言うんだ?」

 

「なるほど、もう何の執着もないようですね。お父上にも、あの場所にも」

 

「あぁ、最高傑作綾小路清隆は、もう完全に否定された。それだけの話で、オレはまだ発展途上だ、何の執着を向ける必要があるんだ」

 

 確かにもう天才というよりは超人ですからね……ゴリラと言っても良い。

 

「フッ、どうせなら最後に自主退学を勧めてみようと思いましたが、止めておきましょう。この学園に留まる理由があの人への反発ですらなくなっているのですから」

 

 ならば言うべきことはなにもない。なので私はギプスが巻かれていない方の手、左手を前に出す。

 

「綾小路くん、いずれまたどこかで縁があることを祈っています」

 

「あぁ」

 

 左手での握手が結ばれる、時間にして数秒ほどして何の迷いも無く離れてしまった。

 

「笹凪くん、君とも握手をして構いませんか?」

 

「勿論です。俺も最後に警告をしておきたかったので」

 

 警告? どういうことかと考えている間に私の左手は彼に握られることになった。

 

 その瞬間に深く根を張った大樹を幻視するほどの体幹と圧力を感じ取って、私は握手が悪手であったことを理解する。

 

「実はこの度、恋人ができまして」

 

「なるほど……学生らしくて良いですね」

 

 握手された手を引いてみるが、一向に離れてくれない。それどころか力は増すばかりだ。

 

「それで警告をしておきたかったんです。でもこの学校だと外へメッセージを送ることは難しいので、月城さんから清隆のお父さんに伝言をお願いできますか?」

 

「な、何でしょうか?」

 

 力が増していく、万力で固定されたかのように。

 

「俺に向かって来る分には構いませんけど、周囲の人間や民間人を巻き込むのは看過できません。もし貴方の勢力がそこを踏み間違えた時は、その首を引きちぎりに行くと伝えておいてください」

 

「……グッ」

 

 骨が軋み激痛が広がっていく。だがどれだけ抵抗しようとも掴まれた手は決して外れはしなかった。

 

「後、佐倉愛里さんを巻き込みかけたそうですね……なのでこれは警告です。決して一線を踏み間違えないようにと」

 

「ぐおおおおッ!?」

 

 そして私の左手はその場で握り砕かれることになってしまう。五つの指の全てがあらぬ方向に曲がった段階でようやく手を離されることになる。

 

 少しは遠慮や配慮をしてほしい……こちらはただでさえ骨折だらけだというのに。

 

「伝言、伝えていただけますね?」

 

「つ、伝えておきましょうッ」

 

 どうして私はこうなってしまうのだろうか……それもこれもこんな場所に来てしまったことが原因だ。

 

 

 私はもうゴリラとは関わらない、絶対にだ!!

 

 

 

 

 

 

 

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