「妹が絵のモデルになっているらしい」
何事も経験である。あまり興味がないものであってもそれに触れることによって、何かしらの閃きや知識を得ることができるかもしれない。
それは趣味に合わない映画であったり、本であったり、経験の少ないスポーツなども挙げられるだろう。
何を得て力にできるのか、それは己自身に委ねられている。日々怠惰に過ごすだけでは意味が無い。
常に研鑽、常に成長、それこそが学生の目指すべき姿であり、生徒会長という立場に就く以上は全ての生徒の模範とならねばと考えている。
そんな俺は芸術という分野にそこまで造詣が深くないという自覚もあり、見分を広める為にも触れておきたいものではあった。
全ては経験、そしてそこからどう成長に繋げるか、例え興味がなくともどう生かして成長に繋げるかは己次第なのだろう。
一般的な教養と知識程度しか芸術方面に関わっていない、果たしてそれは生徒の模範たる生徒会長のあるべき姿なのだろうか?
否である、そこに得るべき何かを見つけてこそ、成長なのだ。
「わかるか?」
「話が長いです」
馴染みの銭湯に併設されているサウナルーム、そこで俺は今年の新入生の一人であり、先日眼鏡を粉砕されてしまった男子生徒と話していた。
笹凪天武、生徒会が回覧できる情報だけを見ればAクラス相当でありながら、Dクラスに配属された異端児が、同じサウナにいた。
「生徒会長、なんでここにいるんです?」
「俺がいたらいけないか?」
「そうは言いませんけど、上級生の圧力が凄いんで落ち着けません。せっかく銭湯に来たのに……清隆は回れ右して逃げたし」
恨めしそうにサウナの外にいる友人を睨む笹凪は、どうやら出るタイミングを逃しているらしい。
「話を戻すぞ。笹凪、お前は美術部だな?」
「それはそうですけど」
「俺はそういった方面に造詣が深くない。一般的な教養程度の理解しかないだろう……だがそれに甘んじることはできない」
「それはさっきも聞きましたけど……」
「どうすれば良いと思う?」
「教科書でも眺めてはどうでしょうか?」
「そんなことは当然している」
「では、絵を描いてみるのは?」
「ほう……そう言えば、美術部では人物画の課題が出されたそうだな」
「良く知ってますね」
「美術部に所属している同級生から聞いたのでな」
「で? 結局何が知りたいんです?」
「……お前は誰をモデルにして描いたんだ?」
笹凪の視線がこちらに向けられる。どこか呆れたような瞳であった。
「妹さんですけど……え、何ですか、もしかして見たいとか?」
「勘違いをするな、俺は見分を広めたいだけだ」
「……」
「なんだ、その目は?」
「いえ、何でもありませんけど……見たいのなら美術部の顧問に見せてくれって言えばいいじゃないですか」
「それはできん、顧問の職務を妨害することになるからな。評価を付けた後は各生徒に戻されると聞いている、その時にでも機会はあるだろう」
「はい……わかりました、ではその時にでも」
「わかれば良い」
何事も知って触れて理解する、これに尽きる。
「しかし意外ではあった……」
「何がですか?」
「鈴音がそういった仕事を持ちかけられたことも、受け入れたこともだ」
「そうですかね……いえ、そうですね」
「孤独であることと孤高であることを勘違いしている上に、どんな時でも俺しか見ていない妹だ……絵のモデルなど遠い世界の出来事だったと思うが」
「入学当初の彼女ならば確かにそうかもしれませんね」
「ほう、今は違うと?」
「自分に何が足りないのか、そしてどうすれば補えるのか、きっと掴みかけていると思いますよ……友人だっています」
「友人か……鈴音にな」
「そうじゃなきゃモデルの仕事なんて受け入れてくれませんって」
「お前は鈴音と友人なのか?」
「えぇ、一緒にAクラスに上がろうと約束しました。テスト前には赤点組の面倒も見てましたし、彼女を認める人も多くなってきましたね」
そうか、あの子に友人が出来たのか……だとしたらこの学校に来たのも少しは意義があったのかもしれない。
「スタートラインに立ったってことくらいは、認めてあげたらどうです?」
「……調子に乗るかもしれんからな、まだ様子見としておこう」
笹凪は苦笑いを浮かべている。
「ま、そういうことにしておきましょう……絵は顧問の先生から返ってきたらそっちに持っていきますので」
サウナルームから立ち去ろうとする笹凪の背中を見ていると、伝え忘れていたことを思い出して、この無謀な一年生にしっかりと忠告をした。
「あぁそうだ、言い忘れていたが……屋上から飛び降りるのは止めろ。他の生徒が真似したらどうするつもりだ」
こいつは知らないだろうが、アレは結構な騒ぎになっていた。
「佐倉愛理の理解の外」
私には二つの顔があります。グラビアアイドルとして活動する雫と、根暗で臆病な愛理という二つの顔が。
どちらが正しく本当の自分なのか曖昧になってしまうほどに極端な変化があって。そんな自分の二面性を怖いと思う反面、切り替わった瞬間に感じる開放感を好んでもいるんだと思います。
自分に自信のない愛理と、キラキラと輝き明るい雫、どちらも私で、どちらも自分。
学校では引っ込み思案でも、ネットの中では不思議と明るく振る舞える、自分でも少し怖いくらいに。
もしかしたらそんな二面性を気持ちが悪いと思われてしまうのかもしれません。それがまた誰かと接することを臆病にさせて、より雫を輝かせていく、変な悪循環のようなものなのでしょうか。
「あ、あの、あ、綾小路くんッ……お、おはようございま……あう」
彼と休日に出会ったのは偶然です。雫として自撮りできる場所を探そうとしていた時に、偶々、寮の入口で鉢合わせました。
「佐倉か、おはよう」
「お、おはようございますッ」
人と接する時は緊張で上手く話せません。もしかしたら呆れられてしまったかもしれないと彼の顔を窺うと、特に怒った様子も呆れた様子もありませんでした。
そ、そうだよね。綾小路くんはここ数日の間、ずっと審議に立つことに緊張していた私を励ましてくれた、凄く優しい人です。こんなことで怒ったりしませんよね。
「どこか出かけるのか?」
「えっと……その、写真を撮ろうと思って……あ、綾小路くんは?」
「オレは、あ~……ちょっと頼みごとをされてな」
「た、頼み事、ですか?」
「天武と、高円寺ってわかるか?」
「う、うん……」
笹凪くんも高円寺くんも、Dクラスだけでなく一年生の間で有名な人です。
「あの二人が……何故か昨日から戦ってる」
「え?」
戦ってる?
「け、喧嘩、とか?」
「いや、そうではないんだが……なんというか、う~ん」
綾小路くんの右手にはビニール袋が、そこにはコンビニで売っている幾つかのサンドイッチとお茶が入っていた。
「天武から連絡が来てな、少し手が離せないから食べれる物を持ってきて欲しいと……時間に余裕があるなら付いてくるか?」
「えっと、一緒に?」
「あぁ、嫌ならいいんだが」
「そ、そ、そんなことないよ……ただ、あの……はい、行きます」
休日に綾小路くんと一緒に行動する……凄く変な感じがする。この前までの私だと想像もできないことだった。
それに、綾小路くんには伝えたいこともまだある。
「あの、綾小路くん……その、審議のことで」
「もう終わったことだ、あまり気にするな。そもそも責めていない、あそこで決着がつかずに再審議に持ち込めたのは佐倉の頑張りがあったからだ」
審議が始まるまでの間、彼は沢山勇気付けてくれました。
きっと私があの場所に立てたのは彼の言葉があったから。
伝えたいことも、感謝も、沢山あるのに、隣で歩いている綾小路くんの横顔を見ると言葉にならない。緊張もあるけれど、それとは違う感覚もあって、凄く凄く変な感じになってしまう。
「いた、まだやってるのかアイツら……」
チラチラと彼を窺っていると、寮から少し離れた位置にある桜並木が見えてきます。通学路の途中にあるそれは、春ごろには満開の桜を咲かせていたけれど、初夏となった今では緑で満たされていた。
そんな桜並木の太い枝の上に、どうした訳か人の影が二つ。
「グレ~トッ……君との対話は、この私を更なる高みに上らせているようだ。さぁもっと、次の高みへ向かおうじゃないか、君の力を見せるんだマイフレンドッ!!」
一人は高円寺くん。
「俺は君に似た人をよく知ってる……だからその気持ちはよくわかるよ」
もう一人は笹凪くん。
二人は桜並木の枝の上で笑い合うと、そのまま飛び上がって空中で拳と拳をぶつけ合い、足と足で蹴りあう。
私は、何を見てるんだろ?
「あ、あの、綾小路くん……あれはいったい」
「佐倉、あまり気にするな……」
「……うん」
枝と枝の間を飛び交いながら何度も空中でぶつかり合う高円寺くんと笹凪くんは、とても楽しそうなので、喧嘩をしている訳ではないらしい。
なら、良いのかな? え、良いのかな?
「おや、清隆、それに佐倉さん、来てたのかい?」
「天武、お前が呼んだんだろ」
呆れたようにそういった綾小路くんは、持っていたビニール袋を差し出した。
「すまない、そうだったね。つい夢中になってしまったようだ」
「ハッハッハッ、仕方がないことだとも、意義ある時間とはそういうものさ」
いつの間にか木の上から笹凪くんと高円寺くんが下りて来て、ビニール袋の中に入っていたサンドイッチやお茶を手に取っている。さっきまで凄い勢いで戦っていたとは思えないほどに爽やかに。
この人たちは本当に私と同じ高校生なのかな? うぅん、そもそも……。
「佐倉、考えたら負けだ……」
「……はい」
同じ悩みと思いを共有した私たち、そのおかげで少しだけ綾小路くんと仲良くなれたような気がする、そんな日だったと思う。
「文化人が見つけた人生の終着点」
私は今年で七十、そろそろ人生というものの終わりを考えるような年齢になったと思う。
若い頃はがむしゃらに勉学に励み、ただ働いていただけのどこにでもいる若者であった。自分が特別優秀だとは思っていないが、運とバブル景気に助けられて起こした企業はそれなりに大きくなり、親孝行も十分にできた。
気立ての良い妻は一昨年に亡くなり、二人の息子と一人の娘も成人になり立派に成長しているので、とても身軽になった。
偶にやって来る孫に小遣いをあげて、会社を任せた息子にアドバイスを送りながら、緩やかに最期に備える、そんな日々が続いている。
報われた老後なのだと思う、幸福であるとも思った。
そんな私の唯一とも言える趣味は芸術鑑賞である。そしてその分野への支援だろうか。
私自身はそこまで才能に恵まれはしなかったが、若いころからの趣味が高じて文化人などと呼ばれることもある。
幸いにも資金は潤沢にあったので日本の芸術分野への投資や、才能はあってもなかなか芽の出ない人物への細やかな支援などを行っており、それの影響もあるのだろう。
コンクールの審査員などにも呼ばれることもあり、老後の楽しみの一つでもあった。
「……」
そんな私は一つの作品を見て言葉を無くしていた。全国から集まった高校生たちの作品が展示された会場のど真ん中で。
その絵を見た瞬間に雷に打たれたような衝撃に襲われたのだ。言葉を失って喉を興奮と渇きで鳴らし、背筋を駆けまわる異様な悪寒と歓喜に身を任せてしまう。
この作品がなんなのかわからない。長年に渡って様々な作品に触れて来たのは間違いないが、そのどれとも異なる異質な気配と雰囲気と表現を持った作品であった。
残念ながら私の拙い語彙ではこの作品を言葉で称賛することはできないらしい。
一つだけわかること、理解できたことは……この絵を描いた人物は、間違いなく狂気と深淵に片足を突っ込んでいるということだけだった。
これはなんだろうか、興奮なのか歓喜なのか、絶望なのか希望なのかわからない。
だが答えは得られたと思う。私の人生はこの絵と出会う為にあったのだという、曖昧な確信が。
この作品を守ろう。このコンクールでだけ晒されてそれで終わりとならないように。十年、二十年、更には百年先までしっかり残り後世の人たちに残せるように。
それが私の人生の終着点であり、使命なのだとこの瞬間に理解した。
百年先の未来で、美術の教科書を開けばこの作品が載っている、そんな未来を想像して私は涙を流す。
「すまないがコンクールの責任者と話がしたいのだが……この作品を買い取りたい」
良い人生だったと、今なら胸を張って言えた。
「とある医療ドキュメンタリー小説」
過酷な現場とは何か、それは戦場での医療だろう。不足する物資に食料、包帯一つすら満足に調達できないような深刻な現場はあまり経験したいものではない。
勿論、国境なき医師団と言う集団に属する以上は、その責務と立場に恥じぬ生き方をするのが仕事ではあるのだが、どうしても難しい現場というものは存在してしまう。
この本で紹介するのはそんな過酷な現場。とある国で起こった内戦と、そこで孤立する医師団の状況をレポートと共に説明していこう。
不足する医療物資は勿論のこと、次々に運ばれてくる怪我人の多さによって国境なき医師団のキャパは僅か数日で限界を迎えようとしていた。
何よりクーデター軍の電撃作戦によって仮設病院が置かれた都市が孤立してしまったことで、満足な医療というのが遥か遠くに置き去りになってしまったのだろう。
不安とストレスは蓄積していく、流れる血を止める包帯すらまともに無い状態にいつまでも甘んじることはできず、医師団は患者たちを連れて都市からの脱出を考えていたらしい。
「頼むッ、ヘリを一つでも多く寄こしてくれ!! 大勢の患者がいるんだ」
医師団が頼ったのは国境付近まで来ている国連の治安維持軍であった。しかし都市を包囲するクーデター軍が形成する航空防衛網に引っかかる為に、ヘリでの救出は難しいというのが彼らの返答だったのだ。
『もう少しだけ持たせてくれ、今そっちに知り合いを走らせている』
「持たせろだと!? もう目の前にクーデター軍が迫ってるんだぞ!!」
『それでもだ!! こっちも最善を尽くしている、航空防衛網に穴ができたら必ずヘリで救出する!!』
通信はそこで切れてしまったと当時の現場にいた医師は語る。
「先生、銃声がもうそこまで!!」
「クソ、民間人も大勢いるんだぞッ」
「ヘリは来ないんでしょうか?」
「わからん、だがいつでも患者たちを移送できるように準備だけはしておくぞ」
「はい!!」
仮設病院のすぐそばまでクーデター軍は迫っていたと当時のレポートには書かれており、実際にこの仮設病院の近くでは激しい戦闘が続いていたのは間違いない。
それでも医師団と患者たちが無事に脱出できたことには理由がある。
「先生、アレは誰でしょうか?」
「なんだ……彼は一体」
医師団が見たもの、それは迫るクーデター軍に立ちはだかる一人の少年の姿であった。恐ろしいことに徒手格闘で奇襲をすると、そのまま相手を翻弄しながら次々と無力化していく。
恐ろしいほどに手際よく、ありえないほどの速度で走り、夢でも見てるのかと思えるほどに現実感のない光景であった。
やがて銃声や軍靴の音が聞こえなくなった時、その少年はこの仮設病院に近づいてきてこう言ったらしい。
「もう大丈夫ですよ、脅威は去りました」
男のようにも、女のようにも見える、不思議な存在はそう伝えて安心させるようにクスッと笑った。
「え、あ、いや……だが航空防衛網がまだ」
「そっちも大丈夫です、師匠が暴れまわってるでしょうから。ヘリもすぐに来ますよ」
「は、はぁ……」
「患者の移送、手伝います」
「か、感謝する」
彼は何で、どこから来て、何故助けてくれたかはわからない。
しかし、当時の医師団を率いていた主任医師は、後にインタビューでこう語るのだった。
『彼が何であったのかは今でもわからない。もしかしたら過酷な戦場が見せた都合の良い幻だったのかもしれないし、妄想であったのかもしれない……しかしただ一つだけ確信がある』
『アレは間違いなくNINJAだってことさ』
「はッ!? ゆ、夢か……」
眠っていたベッドから体を起こすと、オレの胸の上から先日図書室で借りて来たドキュメンタリー小説が転がった。
あまり読むジャンルでは無かったのだが、試しにと借りた本である。
内容は過酷な戦場医療を耐え抜いた医師団と、彼らが残したレポートと後のインタビューを織り交ぜながら進むものであり、戦場という特殊な環境の深刻な医療現場を淡々と描くものであった。
当然ながらNINJAなんて単語が出て来ることなどありえないし、どうした訳か天武が出て来るなんてこともありえない。
きっと、変な夢を見たのはこの本を読んだのが原因なのだろう。
「最近、夢見が悪いな……」
うなされていたからなのか、汗もかいてしまっている。
そこでふとオレは、スマホから笹凪の連絡先を引っ張り出して電話をかけた。
理由を述べるのならばただ何となくと言うしかないのだが、一つだけ訊いてみたいことがあった。
「天武か、少し訊きたいことがあるんだが……」
『ん、何かな?』
電話の向こうから聞こえて来る友人の声はいつも通りである。間違ってもクーデター軍に素手で突っ込むような様子ではない。
「お前はNINJAなのか?」
『清隆……急にどうしたんだ!?』