「手刀を見逃さなかった人」
正直なことを言わせて貰うなら、綾小路清隆の身柄や情報収集なんてどうでもよかった。
年齢も四十近くになったことで現役時代よりも衰えを実感してきたし、ホワイトルームにいる気持ちの悪いガキどもを蹴ったり殴ったりして貰う給料でそれなりの生活もできている。
もしかしたらこれが充実しているということだろうか?
そんなことを思ってすぐさま頭を振った、これは充実ではなく妥協の先にある生活だと。
元々は自衛官で特殊作戦群に席を置いていた。あそこにいる鷹の目の超人と一緒に表でも裏でも国家の為に戦っていた時はまぁ落ち着く暇も無かったか。
命のやり取りを日常にして過ごす日々、ストレスを感じるのが普通なんだろうが、俺はどちらかと言うとやりがいや充実感をそこで感じていたらしい。
ナイフにこびりついた血と錆の匂いを鼻孔で感じる瞬間、掌に残った生暖かい感触や薬莢から届く焦げた感触なども好ましく思える人間だからこそあの部隊でもやっていけたんだろう。
そんな俺も一線から退く年齢になったことで、背広組になるのかそれとも退職金を片手に田舎に帰るのかを選択することになり、そんな時にホワイトルームにスカウトされた訳だな。
現役時代に蓄積した技術と経験をガキどもに教えるだけで結構な金が貰える。きっとそれは見方によっては良いセカンドライフなのかもしれない。なにせ特殊作戦群にいた頃はいつも死が隣り合っていたからな、それに比べればガキどもを蹴り飛ばして痛めつけているだけなのでとても楽だ。
楽だし、給料は高い、だが残念なことに俺は教師や教官って奴にとことん向いていないらしい。ガキどもが何をしていても充実感は感じられなかった。
天沢も八神もそれなりには鍛えたが結局は頑張った子供程度の実力しかつけられなかったし、俺がいた部隊にはそんな奴らが大勢いたので何も特別なことでもない。
しかし一人だけ印象に残ってる奴がいる。それが綾小路清隆だ。
不気味なこのガキはそれなりに成長したと思う。散々痛めつけたがそれら全てを技術と経験に昇華させたのはコイツだけである。
教えれば全てを吸収したし、鍛えればそれだけ強くなった。この異常さはどこか俺がいた部隊の隊長と通ずるものがあったな。
こいつは将来どうなるんだろうと、ホワイトルームにいるガキどもの中で唯一そう思える相手だった。
だがまぁ、綾小路清隆も俺の充実感を満たしてくれるような存在ではなかったのは残念である。
歳食ってから若い頃は良かったなんて言う大人になるとはな、部隊で忙しくしてた頃は思いもしなかった。
だが嘆いた所で何かが変わる訳でもない、今日もまたホワイトルームでガキどもを蹴り飛ばして、ある程度成長した奴らを転がして、一定のラインまで技術を修めた奴らを調子に乗らせない為に徹底的に叩き潰す、その繰り返しを今日も続ける。
そんな時だ、ガキどもを蹴り飛ばすだけで高い給料をくれる太っ腹な雇い主が俺をこの学校に潜入させようとしたのは。
詳しい事には興味がなかったので聞き流したが、要は学園にいる綾小路清隆がどれだけ成長したのかという記録やデータを取りたかったのだろう。そして可能ならば連れ戻すことも視野にいれているらしい。
どうでも良かった。そう、俺はこの夢想家の男にもその息子にもなんの興味も持てなかったのだ。
それでもこうしてスーツを着て政治関係者の身分を偽りながら学園に潜入しているのは、給料分の仕事をしなければならないというある種のプロ意識のなせるものだろうか。
俺と一緒に学園に潜入した同僚連中のスタンスもまちまちではあるが、どこかで綾小路清隆と接触するつもりなんだろう。
そこである程度のデータを取れれば良し、もっと上手くいって連れ帰れればなお良し、高望みをしても仕方がないので俺は給料分だけ働くだけである……少なくとも学校に来賓として潜入した時はそんなことを思っていた。
まさかここで退屈が裏返るとは思わなかった、アイツを見た瞬間に背筋が震えて現役時代の充実感が体中に広がることになったからだろう。
心臓から全身に広がっていく熱はいつぶりだろうか、うなじに突き刺さるヒリつくような感触はいつぶりだろうか。
そいつを見た瞬間に、俺の中にあった渇きはどこかにいったのは間違いない。
「おっと、大丈夫ですか?」
「天武くん、どうしたの?」
「いや、この人が急に倒れたからさ、熱中症かな?」
「また? ついさっきも似たような理由で倒れている人がいたけれど」
「まだ残暑があるからね。鈴音さん、悪いんだけど先に競技の申請を済ましておいてくれるかな、この人は俺が保健室まで運んでおくからさ」
「わかったわ、遅れないように気を付けなさい」
一人の女子生徒と男子生徒が学校の廊下でそんな会話をしている。その足元には俺と同じくホワイトルームで教官をしている男が倒れこんでいた。
勿論、熱中症などではない。残暑はあるが倒れるほどではないのだからありえない。
倒れている理由は別にある、俺は少し離れた位置から見ていたからよくわかった。あの男は男子生徒とすれ違う瞬間に目にも止まらぬ手刀を叩きつけられて意識を失ったのだ。
大半の人間にはわからなかっただろう、本当に一瞬のことである。綾小路清隆を探す為に校舎を彷徨っていた同僚も、隣にいた女子生徒も、それこそ監視カメラの向こうにいる奴らだってその鋭すぎる一撃を観測することはできなかった筈だ。
恐ろしく早い手刀、俺じゃなきゃ見逃していただろう。
退屈が裏返る瞬間は突然だった。その男子生徒を見た瞬間に俺は忘れていた何かを取り戻した気分にさえなったのかもしれない。
こいつなら俺の渇きを潤してくれる、そんな確信と共にそいつの顔を眺めてみると、どうやらホワイトルームの中で情報が共有されている例の特殊なゴリラであると確信するのだった。
なるほど、これが超人か、俺がいた部隊にも似たような奴がいた。偶にこういう奴がいるからあそこは面白かったと今になって理解することになる。
「あぁ九号、保健室近くの監視カメラって……そっか、ならちょっと派手に動いても大丈夫そうだね」
その男子生徒はポケットから取り出したスマホでどこかと連絡を取ると、通話が終わった瞬間に隠れて様子を窺っていた俺へと視線を向けて来る……まぁバレるだろうな。
「そこの人、出て来なよ」
「運命的だと思わないか?」
「はい?」
「ずっと何かが足りないと思っていた……食後の後にコーヒーが出て来なかったみたいに、朝起きた時に歯磨きを忘れたみたいに、ケーキの上に苺が無かったみたいに、わかるだろ?」
「いえ、初対面の人にそんなこと言われても共感できないと言いますか」
「渇きだよ、渇望だよ、人生において大切な何かが欠けている感覚だ。俺にとってそれはガキどもを蹴り飛ばすことでもなければ、似合わないスーツを着て学校に潜入することでもない」
「はぁ」
「強者との戦いだけが満たしてくれるんだ、命のやりとりをしている時だけが生の実感を得られる……お前もその筈だ、そんな俺たちがこうして出会った、運命的じゃないか」
「えぇっと……う~ん」
「あぁ、皆まで言うな、わかっている……言葉ではなく、こいつで語り合おう。俺とお前は同類、どれだけ洗い流そうとも体に染みついた闘争と血の匂いを消せない殺人中毒者なんだからな」
「……ホワイトルームってこんなのしかいないのか、怖ッ」
御託はいい、盛大に楽しもう。もうホワイトルームの都合も綾小路清隆のデータ取りもどうだっていい……俺は俺の人生に足りなかった物をここで満たす。
食後のコーヒーのように、風呂上りのビールのように、酒の隣にある煙草のように、俺を満たしてくれ――――。
「清隆、この人も段ボールに詰めておいてよ」
「コイツも見たことある顔だな」
「ホワイトルームの教官だったんだよね?」
「あぁ、ちょっと待ってろ、こいつらを詰めてからだ」
「これで五人目か、結構な数がいるね」
「全員こうなってしまえば何の障害にもならないがな……よし、この段ボール箱に入れておいてくれ」
「配送先は埼玉にあるホワイトルームで受取人は清隆のお父さんとして……せっかくだし着払いとかにしておく?」
「そうだな、せっかくだから嫌がらせをしておこう」
「段ボールを開いた人は腰を抜かすかもしれないね」
「だとしたら面白いことになりそうだな」
「その先は地獄だぞ」
「ねぇねぇ、ウチとペアを組んで体育祭に出ませんか?」
鶚銀子という生徒のことは、実はそこまで印象に残っていなかったというのが僕の本音だった。
名前は知っている、同じクラスであることも知っている、だけど考えてもパッと顔や印象が思い浮かばない、そんな生徒だというのが僕の認識である。
それは別に僕だけの話ではなくて、多分だけどクラス全体、もっと言えば学年全体で同じ評価や印象を持たれているんじゃないかな……いや、もしかしたらそういった印象すらも持たずに首を傾げる人が大半かもしれない。
容姿と言動で良い意味でも悪い意味でもよく目立つ天沢さんの陰に隠れてあまり目立たないから余計に印象が薄い。天沢さんが陽キャで目立つから更に鶚さんの印象が薄くなっているんだろうな。
そんな鶚さんがどうした訳か体育祭を目前に僕に声をかけてきた。物凄く意外でビックリしたのは言うまでもない。
「むふふ、実は良い儲け話があるんッスよ」
鶚さんてこんな喋り方するんだと今になって知ることになる。もっとオドオドした感じかと思っていただけにこれまた驚く。
鶚さんが言うには今度の体育祭で個人賞の一位を取るとチケットかポイントかを選ぶことができるらしく、そこで得たチケットを卒業間近の先輩たちに高値で売りつけるというものであった。
なるほどと納得する。確かに使用制限のあるチケットは上級生たちにとっては僕たち一年生よりもずっと価値があって重みもあるだろう。一位を取った時に選べる200万ポイントよりも高値を出して買い取ってくれても不思議ではない。
需要と価値がある場所に持って行って儲けを出す、ごく当たり前の転売であった。
けれど疑問がある、そもそも僕と鶚さんで一位を取れるのかという話だ。
「そこは心配いらね~です。ほら、無人島で頭のおかしい先輩たちが暴れたせいで今の一年生は運動ができる生徒の大半が出場できないッス」
なるほど、確かに宝泉くんだったり宇都宮くんだったりと、OAAでA評価を貰っているような生徒は軒並みドクターストップがかかっていると聞いている。それなら一歩及ばない程度の生徒でも十分にチケットを狙えるってことか。
鶚さんの運動能力はB評価、僕も中学時代に陸上をそこそこやっていたこともあって同じくB評価、そんな僕たちが組めば可能性はゼロじゃないという鶚さんの言葉に僕は頷きを返す。
この学校に来て暫くたつけどポイントの重要性は語るまでもない、大きく儲けられるなら凄く助かる。もしどこかでAクラスから落ちたとしても上手いこと2000万を貯められたら返り咲くこともできる。
そんな訳で僕は鶚さんと組むことになるのだった。そしてこれが想定以上に上手い判断だと思い知るのは実際に体育祭が始まってすぐだった。
「それじゃあ適当に、後は流れで行くッス」
「はい?」
二人三脚では鶚さんは僕を側面に張り付けて世界記録を上回り。
「とりゃッ」
綱引きでは気の抜けるような掛け声と共に人の束を引っこ抜き。
「せいッ」
テニスでは金網を貫通するような剛速球を打ち放ち。
「そいッ」
卓球では球をグネグネと曲げて見せて。
「ふふん、ウチ最強ッス」
柔道の勝ち抜き戦では先輩たちを一人で全て沈めてしまった。
あれ、鶚さんってもしかして凄い人なのか? 僕は本当に流れに従っているだけで十種目全てで勝利することができるのだった。
これまでそんなに目立つようなことはなかったけれど、鶚さんはちょっとアレな子だったということか。オリンピック選手もビックリするような身体能力を発揮して余裕で一位を取ってしまった。
「にへへへ、楽勝でやがります」
無事にチケットを取れたことで僕たちは契約通りそれを先輩たちに売却して400万を得ることになる。大金を得たということで鶚さんはとても嬉しそうだ。
ピョンピョン飛び跳ねて喜びを表現しており、そんな動きによって長い前髪も跳ねることでその向こう側にある表情も垣間見えることになる。
それを見た瞬間に僕は言葉を無くした。
だって鶚さんと言えばあまり目立たないし印象も薄いし、いつも視線を下げていて前髪で顔を隠している人だ。その上で天沢さんみたいに派手な見た目の生徒の後ろ側にいるような人なのに……そんな根暗な印象を吹き飛ばすほどに、前髪に隠れていた彼女の容姿は美しかった。
言葉を無くすとはこういうことなんだと思う。恋に落ちるとはこの状態なんだろう。
そう、僕は鶚さんに恋をしたのだ。
「あ、あのさ、鶚さんってどんな人が好みなの……あ、いや、変な意味じゃなくてねッ」
「ん~、好みの雄っスか?」
雄? なんで男って言わないんだろ?
「やっぱあれッスね、最低でも握力が一トンは欲しいッス」
「え?」
いやいや、ゴリラじゃないんだから、一トンとかありえないよ。
でもあれかな、鶚さんってもしかしたら筋肉がある人が好きってことなのかもしれない。
だとしたら僕はどうだろうか? 中学時代は陸上でそれなりに動いていたけれど、細マッチョは維持できていると思うんだ。
色々と情報収集をする必要があるのかな、髪型とかどういうのが好きなんだろうと考えて僕は初めてファッション雑誌を購入したりもした。
そんな情報収集の中で、僕は鶚さんと親しくしている先輩の一人、笹凪先輩に話を聞くことにもなる。
僕が恋をしていること、初恋であること、いつも鶚さんのことを考えて夜も眠れないこと、どうすれば彼女に振り向いてもらえる男になれるのかを教えて欲しいと頼み込んだのだ。
すると笹凪先輩は、それはもう苦い顔をすることになり、僕の方にポンと手を置いて、自殺しようとしている人を説得するかのような雰囲気でこう言うのだった。
「やめておくんだ、その先は地獄だよ」
どうして笹凪先輩はそんなことを言うんだろうか?
鶚さんはあんなに凄くて可憐で美しくて優しいのに、酷い人だと思う。
まぁいいか、焦る必要なんてどこにもないんだ。とりあえず鶚さんは筋肉のある人が好みらしいので、今から格闘技系の部活に入ろうと思う。
そしていつか告白しよう、鶚さんに認めて貰えるような男になる為に。
「そういう星の下に生まれてしまった男」
「あれ、南雲先輩、退院できたんですね」
久しぶりに学校に来て生徒会に顔を出すと、そこには笹凪の姿があった。
「よぅ、体育祭ではやりたい放題してくれたみたいだな」
「そんなことはしていません」
「よく言うぜ、三年生から5000万も奪っておいてよ」
「でもおかげで南雲先輩の体制は崩壊しなかったじゃないですか。感謝こそされても非難されることはないと思いますよ」
生徒会で書類仕事をしていた笹凪は仕事を一旦止めて椅子から立ち上がると、俺にお茶を用意してきた……何故か橘先輩を思い出す段取りの良さであった。
差し出された紅茶を飲む、美味いのが妙に腹が立つな。
「足と腕はまだ治っていないみたいですけど、それでも退院できたんですね」
「コルセットが取れたからな、ようやくだ」
無人島で誰かわからないが俺を突き落とした奴のせいで夏休みからここまでずっとベッド生活だ。俺がいない間に二年はやりたい放題するし、三年は不平不満を垂らすだけの集団になってしまった。
何より生徒会が新体制へ移行してしまっている。席はまだ残っているがもう生徒会選挙も間近に迫っているので俺の居場所はどこにもない。
本当に、どうしてこうなってしまったんだろうな。
「まぁ無事復帰できたのならよかったです」
「それは皮肉か? それとも煽ってるのか?」
「前から思ってましたけど南雲先輩はひねくれた受け取り方をしすぎじゃないですかね、純粋にそう思っているだけですって」
「そういうことにしておいてやるぜ」
本題は別にある、こいつとジャブを繰り返していることに意味はない。
「それよりだ笹凪、こうして尊敬する先輩が復帰したんだからよ、祝いに一勝負どうだ?」
「え、嫌ですけど」
「つれないこと言うなよ」
「まずは体を完全に癒してください」
「腕と足が治ったら勝負を受けるのか?」
「受けませんよ、無意味なんですから」
俺を相手にそこまで言えるのはコイツくらいだろうな。普通なら腹を立てる所だが、笹凪の瞳には本当になんの興味も好奇心もない……ただ凪いでいて欠片も感情が揺れ動いていない。
お前など戦うに値しない、そう言っているかのようにも思えて少し苛立ちが出てきたのだが、そんな感情を見透かすような視線を感じ取って慌てて引っ込める。
「俺に勝った所で貴方の人生になんの影響も与えませんよ。実力の証明がしたいのならば、一人でも多くの生徒をAクラスに上げられるように努力してください。俺に勝つよりも遥かに大きな意味があるでしょうから」
「はいわかりましたって言うとでも思っているのか?」
「もう半年もすれば卒業なんですから、足元よりも前を見るべきだと思いますけど」
「逆だ、もう半年で卒業だからやり残したことをやるんだろうが」
「その体でですか?」
確かに腕と足は治っていない、杖がないとまともに移動もできないだろう。だが勝負するだけなら別に体を動かす必要もない。
「頭と策略を使うだけなら口さえ動いてればどうにでもできるだろうぜ。丁度、生徒会選挙も近いからな」
「生徒会選挙で戦うつもりですか?」
「あぁ、聞いてるぜ、お前は鈴音と付き合ってるそうだな。なら当然、次の選挙でアイツを支持する筈だ。なら俺が帆波を支持する……それともお前自身が生徒会長に立候補するのか?」
「そのつもりはありません。俺はほら、生徒会長になってやりたいことが無いので」
「なら鈴音を支持するって訳だ、良い感じに対戦できる状況だろ」
「いえ、鈴音さんを支持するつもりもありませんよ」
「はぁ?」
「帆波さんだろうと鈴音さんだろうと、どちらが生徒会長になっても俺は困りませんから」
「お前にとっては同じクラスの鈴音に生徒会長になって貰った方が有利になるだろうが」
この学校の生徒会長は大きな権限があるし試験のルールに影響だって与えられる。それを求めない筈がないのだが、笹凪は相変わらず瞳に何の興味を映していない。
「有利不利であまり物事を考えたことがなくて……それに俺にとって重要なのはAクラスになることではなくて、Aクラスに相応しい生徒を一人でも多く増やすことですから、そもそも目指しているゴールが違うので、俺と南雲先輩はどこまで行っても話が噛み合わないかと」
Aクラスで卒業することに興味はなく、そこに相応しいだけの生徒をどれだけ増やせるかが重要と言う笹凪は、本当に俺とは違う視点を持っているらしい。
お前など興味がないのだと、そう言われている気がしてまた苛立ちが大きくなった。
「たとえお前にその気が無かったとしても、必ず帆波と鈴音は争うことになるだろうし、そうなればお前は付き合っている鈴音を支援することになる、違うか?」
「う~ん、そうなるんでしょうか? 別に帆波さんが生徒会長になっても問題はないと思いますけど」
「鈴音はどう思うだろうな、付き合ってる相手が対立候補を支持したりすれば良い気分にはならないだろうぜ」
「そう言われると確かにその通りですね」
「だろ? なら俺が帆波を支援すれば自然と俺とお前の代理戦争になる訳だ」
「なりますかね、どっちが勝っても俺は困らないんですけど」
「もっとやる気を出せよ」
「すみません」
いつまでもどこまでも凪いでいる、その瞳がどこを向いているのかもわからない。もしかしたら俺よりもずっと先を、ずっと遠くを見ているのかもしれないが、目の前にいる相手を見ないのはどうかと思うぜ。
「もしお前がこの勝負を受けないのなら俺にも考えがあるぜ」
「何をするつもりですか?」
「さてな、だがもしかしたら誰かが困るかもしれないな」
「はぁ……」
気の抜けた溜息交じりの返答は、まるで聞き分けのないガキを諭すかのような疲れが混じっていた。
「それで、もしこの勝負を受けるとして、どうするんですか? 勝っても負けても、俺は何も困りませんけど」
「そうだな、負けた方が退学するってことでどうだ?」
「だからそういう所がダメなんですよ……そもそも、覚悟があるんですか?」
「あぁ?」
「負けたら退学する、その覚悟があるのかと聞いているんです。この期に及んで自分は絶対に負けないなんて思ってなどいないでしょう?」
そこで笹凪の瞳に初めて感情が見える。こちらを心配するような憐憫交じりの視線だ。
「もう一度訊きます、覚悟がありますか?」
「……」
笹凪と戦って負けた場合、俺は退学することになる。
敗北した状況を想像してみる、きっとこれまでならば絶対にありえないだろうと判断しただろうし、そんな想像すらできなかったに違いないが――――。
今ならば、そんなもしもの状況がハッキリと想像できてしまった。以前の俺ならば自分が敗北していることなんて妄想ですら浮かばなかっただろうが、今はそうではない。
そんな自分の変化に絶句していると、また笹凪はこう問いかけて来た。
「覚悟はありますか?」
「いや……その条件での戦いは止めておこう」
「よい判断です。自分は絶対に負けないなんて言おうものなら流石に呆れかえってましたよ」
クスリと、少女のような可愛らしい笑みを浮かべたことで、俺は何かを踏み間違えなかったことを確信することになる。もしあのままの条件で戦うことを提案していれば、おそらく笹凪はもう俺になんの興味も向けることはなかっただろう。
「賭ける物もなく、失う物もなにも無いという条件ならば、次の生徒会選挙で戦ってみるのも良いかもしれませんね」
「本当か?」
「自分は絶対に負けないなんて妄想をしている南雲先輩よりも、恐怖を知った今の貴方の方が魅力的ですからね、それも良いんじゃないかと思いましたけど……あ、でもポイントも退学も賭けませんからね?」
「それでいいぜ、俺とお前で真剣勝負だ」
「その言葉は一切信頼しませんけど……まぁ、ちょっと同情もしていたんで」
「同情? どういうことだ?」
「いや、ほら、せっかく色々な催しや試験を考えてくれてたのに、無人島で怪我をしたことで南雲先輩は参加できなかったじゃないですか。企画の発案者なのにそれは可哀想だなって思っていて。卒業まであまり時間もありませんし、そう考えたら一度くらいは貴方に付き合うのも吝かではないと言いますか」
「何だったって良い、その言葉を忘れるなよ」
「はいはい、わかりましたよ」
少し困ったように、しかし仕方がないと諦めたかのように、同情交じりではあるが笹凪はこちらの意思に応じてくれるようだ。
ようやくこの時が来たか、やっとだ、どれだけ待ちわびたか。互いを敵と認識して死力を尽くす戦いを実現することができる。
もう同学年に敵はいないし、Aクラスでの卒業も確定している、卒業までただリハビリをするだけの時間かと思っていたが、やっと振り向いてくれたか。
そうと決まればさっそく動くとしよう。次の生徒会選挙で帆波を何としてでも勝たせないとな。
当然ながら勝負を受けると決めた以上は笹凪だって全力で鈴音を支援するだろう。お互いに勝利を奪い合うことになる。
この瞬間に笹凪は俺を敵だと認めたということだ、病院のベッドではまず感じることの無かった熱のようなものが全身に広がっていくのがわかった。
勢いとやる気を無くす前にまずは相談だな、帆波と打ち合わせしてしっかりと計画を組まないと。
そんなことを考えながらニヤついていると、その帆波と鈴音が生徒会室に入って来た。さっそくとばかりに今度の生徒会選挙の話をするのだが、俺の中にある熱を圧し折るように帆波はこんなことを言うのだった。
「私は、生徒会長に相応しくありません……生徒会も、身勝手だとわかっていますが、辞めようと思っています」
沈んだ表情で帆波がそんなことを言った段階で、俺と笹凪の勝負は破綻することになるのだった。
どれだけ願っても噛み合わない、何度願ってもすり抜けて行く、俺の人生はこんなことばかりだ。
後一年早く生まれていれば、もしくは一年遅く生まれていれば何かが変わったのだろうか。
そう言えば去年の夏休みにケヤキモールに来た占い師はこんなことを言っていたな。
お前はそういう星の下に生まれて来た、とことん巡り合わせが悪い人生だと。
強敵を望んでも現れないし、勝負をしたいと思ってもすり抜けて行く、もし戦いが成立したとしても満足のいく勝利も敗北も得られない。
俺はそういう巡り合せを持った星の下に生まれてきたのだろうか、帆波が生徒会を辞めると言い出したことで、そんなことを思うのだった。
結局俺は、いつまでも満足はできないのかもしれない。