文化祭準備
体育祭が終わって暫く、11月も目前になった段階でもう夏は完全に姿を消して肌寒さが少しだけ目立つようになった季節、高度育成高等学校では以前から告知されていた文化祭へと徐々に移行していた。
体育祭の終わりと同時に生徒会選挙も行われて……いや、候補者が一人しかいなかったので選挙が行われることもなく鈴音さんが無事に生徒会長として立つことになった。
最初は帆波さんと鈴音さんの一騎打ちになるという話であったのだが、帆波さんの突然の生徒会離脱によって選挙は流れることになり、自動的に鈴音さんが生徒会長となる。
その時の南雲先輩の顔ときたら、色々と煤けていて虚無を宿した瞳をしていたと思う。
いざ待ち望んだ勝負になると思っていたのに、盛大に空振ってしまったことで反動が凄かったのだろうか。朝比奈先輩曰く趣味を無くしたおじいちゃんみたいとのこと。
まぁその内に復活してまたストーカー気質を発揮するだろう。それまでは放置で良いと思う。
問題なのは生徒会だろうか、帆波さんが突然に離脱したことでまたもや人が足りない事態となってしまった。いよいよ九号を引っ張って来るしかないのだが、とりあえず目の前に迫った文化祭の準備を進めて行く方針である。
文化祭、そう文化祭だ。高校生活において体育祭や修学旅行と並ぶ青春イベントの一つだろう。青春渇望症の俺にとっては絶対に外せないものでもあった。
メイド服で女装と言うのはちょっとアレだけれど、それでもクラス全体で出し物をするのだからこれほど楽しみな時間もない。
俺たちのクラスは勿論のこと、全校生徒が文化祭に意識や集中を向ける中、生徒会もまたそちらに向けて動き出していくことになる。
今回の文化祭は月城さんの置き土産であるらしい。あの人の発案であると同時に策略でもあるのだろう。体育祭と同様に外から来賓を招いて行うイベントということだ。
ただ体育祭と違うのは、その来賓が独自にポイントを使ってお客様になるという点だろう、その売り上げを全学年で競い合うという訳である。
退学になったりすることもなく、報酬も美味しいイベントである。特に一位から四位までに入ればクラスポイントが100貰えるのが良い。四位以下でも50ポイント、そして最下位近くでもマイナスにはならない。全学年、全クラスで争う形なので順位は一位から十二位まで決められる。
なので帆波さんの生徒会離脱によって枯れかけていた南雲先輩もやる気を出すのかもしれないな。売り上げで競い合うと提案するかもしれない。まぁ入院生活が長かったせいで三年Aクラスの出し物はあの人ノータッチらしいけど。
一度戦うと言った以上、付き合って上げるべきなんだろうけど、どうなるだろうな。
そんなことを考えながら今日もまた生徒会で文化祭の準備を進めることになる。つい先日までそこには帆波さんの姿もあったのだが、生徒会を辞めてしまったことでもうどこにも見当たらない。
少し寂しさを感じながらも、ここ最近の帆波さんの様子が気になっていたので、一度どこかで話をしてみるべきなのかもしれないな。
彼女のクラスは体育祭で四位になったことで龍園クラスと交代するようにDクラスになってしまったことも、悩みの一つなのだろう。
上手くいかない内はどうしたってメンタルも崩れる。Dクラスになってしまったことで心折れてしまい、それが原因で生徒会を辞めてしまったのだとすれば、ちょっと考え物である。
「天武くん、一つ考えたのだけれど、生徒会主催で文化祭のリハーサルは出来ないかしら?」
この度、正式に生徒会長となった鈴音さんは、文化祭準備で忙しくなっている中でそんなことを提案した。
「ん……ぶっつけ本番でやるよりは、前準備があった方が良いかな」
「えぇ、当日になって問題が浮き彫りになるよりはその方が傷は少ないと思うの」
準備は整えました、しかし本番になって致命的なミスがありましたでは話にもならない。実際に来賓を迎え入れる前に予行演習は必要だろう。
「他の人たちは納得してくれるかい? 当日までどんな出店をするのか秘密にしているクラスもあるみたいだけど」
「あくまで自主参加に留めるつもりよ、強制じゃないわ」
「やりたいクラスだけでってことか、それなら良さそうだね。俺たちのクラスはメイドカフェで接客業だけど、実際にそういった経験がある人も少ないだろうし……いや、中学でアルバイトしてた人とかいるのかな」
いたとしてもメイドカフェで働いていた人はいないと思う。アルバイトと言っても中学生でできるのなんて本当にごく僅かな仕事だけだろうしな。
ぶっつけ本番よりもリハーサルがあった方が良いだろう。それは何も俺たちのクラスに限った話ではない。
物は試しであるし、やらないよりはやった方が良いだろうから告知してみるか、この学校では初めての文化祭でもあるし、事前に経験を積んで改善点が見つかるのならば悪い話でもないだろう。
「アルバイトの経験があるとしても新聞配達とかその辺じゃないかしら。メイド喫茶でなくとも接客の経験がある人なんてこの学校にはいないでしょうしね」
普通の学校ならお小遣い欲しさにカフェで働いたりとかするんだろうか? そう考えるとこの学校ではそういった当たり前の高校生の経験値が得られないのかもしれないな。
いや、だからこその文化祭なのだろうか、外部の人と接する機会が少ないのはこの学校の欠点でもあるだろうし、是正したいという考えも根底にはあるのだろうか。
「ウチのクラスもリハーサルには参加するんだよね?」
「接客の経験が無い人ばかりなのだから、ぶっつけ本番で挑ませる訳にもいかないわ」
「そりゃそうだ」
こうして文化祭が始まる前にリハーサルが行われることになった。参加するしないは自由であるが、他所のクラスの偵察もできる上に改善点も事前に見つかるだろうから生徒の反応はそこまで悪いものでもないだろうな。
鈴音さんは学校側との調整や段取り決めに動いているので、俺はとりあえずOAAで生徒へと告知をやっておくとしようか。全体チャットを使って生徒会からの告知という形にしておこう。
「楽しそうね」
文化祭に向けて様々な調整をしている俺に鈴音さんがそんなことを言ってくる。
「そう見えたかい?」
「えぇ」
「いやほら、文化祭って初めてだからさ、ちょっとワクワクしちゃって……楽しむことも大切だろうし」
「そう……そんなにメイドとして働くことが楽しみなのね」
鈴音さんの容赦ない攻撃が俺の心を傷つけてくる、できるだけ考えないようにしていたというのに。
「そ、それは言わないでくれ」
「どうしてかしら、あんなに似合っているのに」
どこか楽しそうに、揶揄うようにそんなことを言われても困る。
この学校の生徒会長は恋人にメイド女装をさせてこんなに楽しそうな顔をする人になってしまった……これで良かったのだろうか。
「看板娘として期待しているから、しっかりお願いするわね」
「……はい」
逃れられないと悟った俺はあっさりと白旗を上げることになる、悲しいね。初めての文化祭でワクワクしていたのにメイドにさせられるなんてさ。
「素直でよろしい。それじゃあ職員室に向かって学校に話を通して貰おうかしら、リハーサルでは備品や食材などの消耗品は各クラスからではなく学校側に用意させたいのよ」
「了解」
どこのクラスだって予算には上限があるので無駄にしたくはない。消耗品は学校側から出すという形ならばリハーサルにも参加しやすいだろう。
なので命令通り学校側と交渉である。俺は鈴音さんを置いて生徒会室を出ると、その足で職員室に向かうことになるのだった。
ある程度の上限は設けるつもりではあるが、領収書を提出すればその分の予算は学校側から出させるとしよう。
なんて落としどころを考えながら校舎の中を歩いていると、学校の隅っこにあるコモンスペースに深刻な顔をした男子生徒を発見することになる。自動販売機の前にあるベンチに座って目つきを鋭くしていることでその場の雰囲気がピリピリとしていた。
人気のないスペースなのでとやかく言うつもりもないのだが、あちらも視線を上げて俺を発見したのでせっかくだから声をかけることにする。
「神崎、もの凄く不景気な顔をしているぞ」
「そんな顔はしていない」
「そうか、なら俺の勘違いか」
「いや……実際に思う所はあったから、間違いではない」
すると神崎は重たい溜息を吐いた。放置するのもあれなので話をするとしよう。帆波さんの様子も訊きたかったからな。
コモンスペースにある自動販売機でココアを購入すると、それが入った紙コップ片手に神崎と同様にベンチに腰掛けた。ただ彼は俺をどこか苦手としていると言うか、警戒しているので隣ではなく真後ろのベンチに座ることになる。
互いを視界に入れずに背中合わせで会話する形だ。
「笹凪、噂を聞いたのだが、お前は体育祭でチケットを得て三年生に売却したらしいな」
「別に隠すようなことでもないから否定はしないよ、その通りだ」
「具体的にはどれくらいの額だ?」
「一枚1000万だ」
「なるほど……堀北もチケットを得ていたから最低でも2000万は確保したということか、よく考えたものだ」
「チケットの価値はそれぞれの学年で違う、わかりやすい転売と言えばそれまでだけど」
「だが、実際に形にして成果を得るのは簡単ではない。体育祭では坂柳クラスが猛威を振るったからな、個人賞すら危うかっただろうに」
「そこはほら、龍園クラスが頑張ってくれたから」
「そう言えば、珍しくあの男はお前たちに突っ掛からなかったな」
おかげで個人賞をスムーズに取れたと思う。アレが無ければ下手すればチケットの権利すら確保できなかった可能性もあるからな、そんな訳で報酬だってちゃんと渡した。
四枚のチケットは全て朝比奈先輩に4000万で売りつけて、その内九号とそのペアの男子生徒から買い取った額を差し引いて最終的には3200万の利益を上げられたので、それを更に折半だ。
「大したものだ、お前のような男にとっては特別試験での勝利もポイントを稼ぐことも、簡単なことなんだろうな」
「……そう言われてもちょっと困る」
「俺には難しいことだ……当たり前のように正攻法でしか挑めないからな」
「結局の所、それが一番強いと思うけど」
奇策や謀略に必死になるよりは正面突破で勝てるのが一番良いし、それができる者が一番強い。小技がダメな訳じゃないけどそれが王道になってしまえば肝心な時に何の役にも立たないだろう。
「勝てるのならばな……だが、勝てないのならば意味がない。そして俺たちのクラスは遂にDクラスになってしまった」
「一時的なものじゃないか、また挽回すれば良い」
「簡単に言ってくれるな、こちらのクラスでは不可能だ」
「……もうAクラスになるのは諦めたのかい?」
「どうだろうな、Aクラスになれるのはお前のような生徒がいるクラスだろう」
「帆波さんがいるじゃないか」
「その一之瀬も、生徒会を辞めるという話を聞いたぞ……何があったんだ?」
「以前にあった騒ぎと過去の件で遠慮するとは言っていたけど」
「だとしても生徒会を辞める理由にはならない筈だ……これから得られる利益と立場を自ら捨てているようなものだろう。Dクラスに落ちたことで、もう諦めてしまったんじゃないか」
「クラスでの戦いに専念するとは考えられないのかい?」
「そう言っていたのか?」
「俺に訊かれても困る。神崎、君のクラスメイトで、君のクラスのリーダーで、君のクラスの問題だよ」
「尋ねたら答えてくれると? 不可能だ……一之瀬はお前に傾倒しているようにも見える」
「もし彼女が挫けそうなら君たちで支えれば良い」
「不可能だ、表面上は何も問題がないからな」
「相談だったり、話し合いの場を設ければ良い」
「不可能だ、俺がそうした所で打ち明けてくれるとは思えん」
「なら帆波さんに近しい女子生徒の協力を得るというのはどうだろうか? それなら話をしやすいんじゃないかな」
「……不可能だ、一之瀬の周りにいる女子たちは全員が何も問題はないと思考を停止しているだろう」
この感じ、神崎も悩んでもがいているように見えて心が折れているみたいだな。何もかもに投げ槍になっているようにも思えた。
「あ~……神崎、とりあえず不可能だを一言目にするのは止めた方がいいぞ。言葉には強い意思と意味が宿る、不可能だと言い続けていればそれがやがて形になってしまう」
「誰もが皆お前のように強い訳ではない」
ダメだな、かなり堪えているようだ。ここ最近の帆波さんクラスの状況をそれだけ苦々しく思っているんだろう。
「仮にもし、君がAクラスで卒業して希望の進路を得られたとしよう。進学だろうと就職だろうと、不可能だが口癖の相手を重宝すると思うかい?」
「だったらどうすれば良い」
「君がクラスの状況を変えれば良いだろう。帆波さんを支えるなり、新しく引っ張っていくなりしてさ」
「不可能だ」
「それを言うな、本当に癖になってしまうよ」
そう言えば師匠もよく大言壮語くらいが丁度良いと口にしていたな。慢心して思い上がるのは論外だけど、気弱過ぎるのもまた考え物であった。
「君はAクラスになりたいんだろう?」
「当然だ」
「なら余計に不可能だと言うべきじゃない、それは君を殺す言葉だよ」
「仮に俺一人が努力した所で何が変わる、今のクラスの状況に危機感を持っているのは俺だけだ、誰もが皆流されるだけで過ごしている……それでもまだ一之瀬を中心とした団結力があればよかったんだが、その一之瀬ですら今は頼りなくなっている」
手に持っていた紙コップに入っていた飲み物が空になっていたので、くしゃりと握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てる。
「安心しなよ、君は必ずAクラスになれるから」
「何を根拠にそんなことを言っている」
「ここに俺がいるからさ……だが、Aクラスで卒業するのと、Aクラスに相応しい存在であるかはまた別物だ。それを理解しなければきっと意味がないよ」
「努力はしてきたつもりだ」
「なら不可能だという言葉は吐くべきじゃない」
「……」
黙ってしまった神崎を置いて俺はベンチから立ち上がる。
「まずは自分にできることを精一杯やってみるべきだ。クラスの状況を変えたいのならば行動して、仲間が必要なら探して、帆波さんを支えるならちゃんと意思を結び合え」
「……」
「それができない男がAクラスで卒業できたとしても何も成せないぞ……君は勘違いしているようだが、Aクラスでの卒業はゴールではなくスタートだ」
人生は長いし卒業特典を得たとしてもそれで人生の全てが保証される訳でもない。それを理解できていない生徒がこの学校には多すぎる。
極論、Aクラスで卒業できなかったとしても実力で結果をもぎとれば良いだけだ。もしかしたらそれは強者の理論だと神崎は言うのかもしれないけれど、社会でこれほど重要なこともないだろう。
「ただ、帆波さんとは少し話してみようと思う。俺としても生徒会を辞めることは気にしているからね」
「そうか……そうしてくれ、俺たちの言葉は一之瀬には――」
「神崎、言葉は形となり、呪いになる。それを忘れるな」
「……あぁ」
「がむしゃらに足掻いてみるといい、それでダメなようなら俺が力になろう」
「ライバルだというのにか?」
「ライバルに手を貸しちゃいけないのかい? 神崎、俺の目標はね、全員をAクラスで卒業させることなんだ」
「そんなことは不可能だ」
「大丈夫、何も問題はないよ……君は君にできることを全力で頑張れ、まずはそこからだ」
それだけ言い残して校舎の片隅にある自動販売機前のベンチから立ち去ることになった。当初の目的は職員室だったことをここで思い出す。
今後神崎がどうなるかはわからないが、あれほど沈んだ状態でいつまでも嘆かれても困るので、何とかして立ち直って貰いたい。ただAクラスに押し上げるだけでは意味がないからな。
帆波さんとも話し合わないと、神崎同様に沈んでいるのならばテコ入れが必要である。
俺は一年の終わりの頃に結んだ約束をまだ果たしてくれるものだと思っている。あの指切りはとても大切なものだったんだから。
できることならトドメを刺すのは彼女であって欲しい。