「お帰りなさいませご主人様」
店に入って来たお客様にはまずジャブを食らわして思考を奪う。師匠モードになった私は全身全霊の微笑みで龍園たちを出迎えるのであった。
龍園を中心に石崎と山田、いつもの三人は俺を見て三者三様の反応を見せる。
「やっべ可愛いッ」
石崎はわかりやすいな、肩を揺らしていかにも苛立ってますといった感じだったのに、私を見た瞬間に鼻の下を伸ばしてだらしない顔となった。チョロいので彼はなんの問題もない。
「Beautiful」
山田は素直な男である。紳士的にこちらを褒めて来る。まぁこちらも想像通りの反応であった。
問題なのは邪悪な笑みがよく似合うこの学校で一番の曲者である龍園だろう。彼だけはこちらを見た時の反応が読めないからね。さてどうなるだろうか観察してみると、龍園は眉間に皺を寄せてとても難しそうな顔をしているのが見える。
「なん、だと? いや、まさか……あれは夢の中の話であって」
「こちらのテーブルへどうぞ」
私を見た後に驚いて何やらブツブツと呟いている龍園とデレデレしている石崎と山田を空いているテーブルへと案内して椅子に座らせてメニュー表を渡しておく。おそらく偵察に来たんだろうけど、彼らとの協力関係は体育祭以降も一応は続いているので強くは出れない。
龍園クラスはこちらに対抗するように和装喫茶とのことらしいが、上手いこと対立関係を作って広告と宣伝に繋げられればと思っているので、わざわざリハーサルの日に馬鹿らしい嫌がらせはしないだろう。
つまりこの三人は純粋に偵察に来た訳だ。或いは噂に聞くメイドを見に来たのかもしれない。
「ま、真澄さん、今の内に撤退します。覚悟無しに足を踏み入れていい場所ではないようです」
「そ、そうね」
龍園たちを席に案内すると坂柳さんと神室さんがそさくさと退店しようとしているのが見えた。今すぐこの蟻地獄から抜け出したいという思いがあったのだろうか。
杖を突く坂柳さんに寄り添って神室さんはメイド喫茶を出て行く、しかし扉の前で振り返って戦慄した表情でこちらを見つめてきたので、とびっきりの微笑みを返しておいた。
「くッ」
「見てはいけませんよ真澄さん、心臓を掴まれてしまいます」
そんな会話をしながら坂柳さんと神室さんはメイド喫茶を去っていく。フラフラしながらだ。ただメイドとして歓待しただけなのに彼女たちはボロボロな様子なのは少し不思議である。
まぁ彼女たちはあれでいいか、とりあえず龍園たちをしっかりと持て成すとしようか。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、あのよ、このメニュー表にあるスマイル0ポイントって奴なんだけどよ」
「はい、スマイルですね……にこ~」
「か、可愛い」
「one、more、please」
「にこ~」
石崎と山田の注文に素直に答えてとびっきりの笑顔を見せつけると、彼らは深く考えることもなく鼻の下を伸ばす。見慣れない女子生徒がいるとか、こいつは誰だとか一切考えずにメイドに夢中になっているのはかなり間抜けだと思う。
「いや、ありえねぇ……絶対にありえねえ、誰かそうだと言ってくれ」
さて龍園はどうだろうかと流し目で確認してみると、相変わらず頭を抱えながらブツブツと呟いている……これはこれで珍しい反応なのは間違いないので新鮮ではあった。
しかし勇んで乗り込んで来たというのにこの有様とは、何が彼をここまで追い詰めているんだろう。
石崎と山田はなんだかんだで楽しんでいるのに、親玉の龍園だけは何もしていないのに溺れ苦しんでいるかのような有様である。
「ご主人様、注文は何にされますか?」
「……コーヒーを三つだ」
「ご一緒にケーキセットもいかがですか?」
頭を抱えた状態で注文してくる龍園は、こちらに少しだけ視線を向けて来る。彼にしては非常に珍しくその瞳には恐怖が宿っているのが見えてしまう。
自分の理解を超えた何かを見た時のように、底知れない深海を俯瞰したかのように、或いは宇宙的な恐怖を感じ取って精神がガリガリと削られているかのような瞳である……流石にちょっと失礼ではなかろうか。こんなに可愛いのに。
「男性におススメなのは抹茶ケーキですよ、甘いのが苦手な方でもお口に合うかと」
「なら、そいつも頼む……」
最終的に宇宙に放り出された猫みたいな顔になった龍園は、特に抵抗することなくケーキを注文してくれた。
「コーヒー三つと抹茶ケーキの注文承りました」
厨房にそう伝えるとそっちを担当しているクラスメイトが応じてくれる。彼女たちは私を見てもそこまで宇宙的な恐怖を感じていないように思えるのだが、龍園との違いはなんなんだろうね。
「いやぁ、メイド喫茶って初めて来ましたけど、意外と悪くないもんですね。龍園さんもそう思いませんか?」
「……」
「龍園さん? どうして宇宙に放り出された猫みたいな顔になってるんですか?」
「……」
石崎と会話する余裕もないのか、龍園は再び頭を抱えてしまっていた。
そんな彼らを観察しながら厨房から抹茶ケーキとコーヒーを三人分受け取ってトレイの上に載せる。神室さんの言う通りインスタントとお取り寄せケーキなので出すだけならばそこまで手間もかからない。この辺は回転率を意識すると悪くない感じかもしれないな。
「お待たせしました、こちらコーヒーと抹茶ケーキになります」
私が三人が座っているテーブルに近づいて商品を提供すると、龍園は露骨にビクッと体を震わせてしまう。どうして彼はここまで私を恐れているのだろうか。
「なぁ、この写真撮影とかも頼めるんだよな?」
「はい、勿論です、別途料金は頂くことになりますが」
「そんな高いもんでもないからよ、お願いしたいんだが」
「わぁ、ありがとうございます!! チェキ会入りました~!!」
チョロいな石崎、彼からなら幾らでもポイントを毟り取れそうなくらいの手ごたえがある。
「松下さん、撮影役お願いしますね」
「了解~」
近くのテーブルに商品を運んでいた松下さんにカメラを渡して撮影をお願いしてから、石崎と一緒に写真撮影へ移行していく。
「あ、石崎さん、ネクタイ曲がってますよ」
「やっべ……滅茶苦茶良い匂いがする」
撮影前に身だしなみを整えるのだが、石崎はちょっと制服を着崩していたのでネクタイを締めてあげる。すると自然と距離が縮まるので石崎は更にだらしない顔になってしまう。
鼻孔をフガフガと鳴らしながらそんなことを言ってくる。特別なシャンプーやリンスを使っている訳でもないんだけど、彼的にはとても良い匂いに感じたらしい。
「それじゃ撮るよ~、はいチーズ」
カメラを持った松下さんが合図を送ると、私と石崎は隣り合ってしっかりと笑顔で写真を撮るのだった。最後の最後まで彼はニヤつきを隠せないでいるな。
「なんなんだこれは……ここが地獄か?」
龍園は相変わらず頭を抱えているし、山田は次は俺だとばかりに写真撮影を注文している。
普段あれだけやりたい放題している三人ではあるが、可愛いメイドを前にするとこんなもんである。チョロくて助かるよ本当に。
「天子さん、次も撮るよ、はいチーズッ」
今度は山田との撮影である。ニッコリと笑いながら密着して最高の笑顔で記録を残す。
普段寡黙で主張の少ない山田もこれには笑顔を見せている。紳士な男ではあるがやはり可愛らしい女子との撮影は思わず唇が緩むらしいな。
「……この世の終わりじゃねえか」
いつまでたっても頭を抱えてばかりの龍園は、とにかく己自身を落ち着かせようと必死になっているようにも見える。
それでもこのままではいけないとでも思ったのか、何度か深呼吸を繰り返した後、目の前に置かれたコーヒーカップを持ち上げて味わっていく。
だがカップを持つ手は恐怖で震えており、注がれたコーヒーはボタボタと零れてしまっていた。何があそこまで彼を怯えさせるのだろうか、私たちはただ写真撮影をしているだけなのに。
デレデレと表情を緩ませる石崎と山田は使い物にならないと判断したのか何かを言って来ることもなく。龍園はただただ震える体を落ち着かせることに集中しているらしい。
「ご主人様、さっきから震えてますけど、どうかしましたか?」
「おい止めろ、絡んでくるんじゃねえ」
「え~、そんなこと言わないでください、寂しくなっちゃいますよ」
「……」
龍園が震える手を押さえつけて強引に飲もうとしたコーヒーが、彼の口から魂的な何かと一緒に零れ落ちてしまう。それを何とか強引に押し戻すと、大量の冷や汗を流しながら席を立とうとするので慌てて袖を掴んで押し留める。
なに逃げようとしてんだ、私がこんなに恥をかいてるんだからその分もっとポイント置いてけよ。
「龍園くんも、写真撮影どうですか? ここでしか経験できないことですよ」
「……」
「なんと今なら、ラミネート加工もできちゃったりします。これは一生の思い出になりますね」
彼はチラッと視線を自分の手下へと向ける。私と撮った写真を見てそれはもう満足そうな顔をしているので、是非とも同じ経験をしてもらいたいのだ。
「君だって本当は可愛いメイドさんとニコニコしながら写真撮影したい筈です。恥ずかしがらなくてもいいんですよ、こんな時まで斜に構えてカッコつけなくてもね。あ、そうだ、せっかくですからこの美味しくなるおまじないもどうですか? とってもおススメなんですよ」
「おまじない? それってどういうものなんだ?」
私を見て宇宙猫みたいな顔になっている龍園よりも、石崎の方が食いつきが強い。どうやら彼は私を俺だとは気が付いていないようで、ずっと鼻の下を伸ばしているのだ。
「あれですよ、あれ、ほら美味しくな~れって奴」
「あぁアレな、それもやってくれるのかよ」
とても興奮した様子の石崎に、メニュー表の一角を指し示す。
「特製のオムレツを頼んでくれるのなら、その時にでも」
「是非お願いします!!」
石崎は本当にチョロくて助かる。ちょっと将来が心配になるくらいに単純であった。文化祭当日もこんな客ばかりなら本当に楽できるんだけどね。
「オムレツ入りました~」
ただ提供するのは本格的な物ではない。そもそも調理免許だったり資格を持っていない私たち生徒が提供できる商品は少ない。変に手作りに拘った結果、材料費が高くなったり食中毒になったりすれば問題なので、このオムレツも冷凍した物をレンジで温めるだけである。
これで良い、下手に手製にすれば料金面でも衛生面でも問題が生まれるからな。そんな訳で温めてケチャップで「カッコいい石崎くんへ」と書き込めば完璧である……彼は単純だからな。
「お待たせしました、オムレツでございます」
レンジで温めてケチャップで落書きしただけのそれを石崎の前に置くと、彼はとても期待した瞳で私を見てくる。
仕方がない、やると決めたからには全力である。勝利とは己の全てを総動員して勝ち取るものなのだから、ここで変な躊躇とかはいらない。
だから私は自己暗示でとびっきり可愛らしいメイドであると思い込みながら、全身全霊でおもじないをするのだった。
「オムレツさん、美味しくな~れ、キュンッ!!」
両手でハートを作って愛情を送り込む、これを恥ずかしいと思う私はもう死んでいるらしい。
「好きですッ!!」
「YES!!」
「……おぇッ!!」
反応は正反対に分かれた。石崎と山田はもう天子の魅力にメロメロになっているのだが、龍園はこの世の醜悪の全てを垣間見たかのように気分を悪くしているらしい。
幸せそうにオムレツを平らげる石崎を、龍園は道に転がって飛ぶこともできない哀れな小鳥でも見るかのような視線で見ている……君は本当に失礼な男だな。
「げ、限界だ……帰るぞ、アルベルト、石崎、覚悟もなく踏み入るべきじゃなかった」
酷い言いようである。私は勝つ為に全力でメイドを遂行しているだけなのに。
「そ、そんな、龍園さんもうちょっとだけ楽しみましょうよ、俺はもっと写真を撮ったりラブラブキュンキュンしたいッス」
「……」
残念だったな龍園、石崎も山田も既に落としているんだ。君の味方はもう一人もいない。
そして親玉の龍園でさえ既に満身創痍といった状態である。勇んでメイド喫茶に来たというのに特に騒いだり妨害したりといったことはせず、ただここにいるだけで精神的に参ってしまっているらしい。
冷や汗をかいて気分が悪そうにしている龍園は、こちらにメロメロになっている石崎と山田の頬を結構な勢いで引っぱたいて正気に戻してしまう。
「帰るぞ馬鹿共」
「あ、あれ、俺たちは一体何を?」
「……OH」
フラフラとした足取りで三人はメイド喫茶を出て行こうとするのだった。しかし扉に手をかけた瞬間に龍園はこちらに振り返って真っすぐ見つめて来る。
その瞳にあるのは純度の高い恐怖である。まるで宇宙的な恐怖に触れたかのように精神的な負担とストレスが多いかのようにも見えてしまう。
彼が何を見てどう思ったのかはわからないが、間違いなくそこには恐怖の発露があった。
「そうか……宇宙は空にあったってことか」
最後の最後まで精神を削られながら、龍園たちは去っていく……お前、こんなに可愛いメイドを見てそんなこと言うとか本当に失礼だな。
素直にメロメロになっておけよ、そんな宇宙的な恐怖を感じた猫みたいな顔になるのは止めたまえ。
妨害や偵察に来たかと思えば特に何かするでもなく退散する龍園たち、本当に何をしに来たんだ彼らは。
まぁ大きな騒ぎを起こさず退散させることができたのはヨシとしようか、彼らとはこの文化祭でもちょっとした協力関係があるのでそこまで派手なことはしないだろうとわかってはいたが。
それでもライバル関係であることは変わらないので、難癖付けて来ても不思議ではなかったのだが、天子のあまりの可愛らしさにあの龍園ですら冷静にはなれなかった。
これはつまり大抵の客を魅了できるということである……この勝負勝ったな。
さてこのまま接客業の経験値を高めて本番に挑むとしよう、天子にあと必要なものがあるとすれば経験だ、それが満たされれば古今独歩のメイドになるに違いない。
誰でも来い、全てを平らげて経験値に変えてやる。そんな風に意気込んで再び教室の入口で待機していると、無遠慮に扉が開いて新しい客が入って来るのだった。
「ふッ、ここが笹凪のクラスがやってる店か、多少は凝ってるようだから期待しておいてやるぜ」
次に現れたのは南雲先輩であった。この人まだ怪我が治り切っていないのにわざわざ様子見に来たのか、生徒会も辞めて文化祭の出し物にもノータッチって話だから、もしかして暇なのだろうか?