思っていた以上に八神が脆かった。それが彼を蹴り飛ばした瞬間に抱いた感想である。
いやさ、相手がホワイトルーム生ってことで警戒してたし、何だったら負けるかもしれないっていう認識を持った上で、決して油断せずに対処しようと思ったんだ。
何より私の知っているホワイトルーム生の基準というか、標準が清隆なので余計に力が入ったのかもしれない。清隆とは何度も模擬戦をしているし訓練もしているし改造訓練もしているからその肉体強度や身体能力も把握しているから、それを基準に考えてしまっていたんだろう。
結論から言うと、もっと限界まで加減すれば良かったと後悔してしまった。
接近してのハイキック、手痛いカウンターを返されないように警戒しながらの一閃、おそらく清隆や二十号ならば対処できたであろうその蹴りに、八神はなんの反応も対処もできないまままともに食らうことになり……もの凄く吹き飛ぶことになる。
二十号ならこれくらいの攻撃は避けただろう、清隆なら防いだかもしれない、つまり私は八神という脅威を暫定的に二十号程度と認識していたということだ。
まずは様子見、感触を確かめる為のハイキック、その一撃で決着がつくとは思っていなかったと言ってしまうと、ちょっと傲慢だろうか?
けれど体をくの字に曲げた八神は、そのまま開け放たれていた生徒会室の中まで吹き飛び、そこにあった机やコピー機などを粉砕しながら跳ねまわり、最終的には壁に突っ込んで静かになるのだった。
あぁ、あのコピー機や机はもう使えないだろうな、そんなことを冷静な部分が考えており、冷静でない部分は盛大に八神の身を案じているのがわかる。
死んでないよな? 八神の戦力を過大評価した結果、思っていた以上の力で蹴り飛ばしてしまったのだ、そんな心配も自然なことなのかもしれない。
慌てて生徒会室の中に入り、師匠モードの観察眼で壁に突っ込んだ八神を観察していき……骨折程度で済ませられたことを確認してから盛大に安堵の溜息を吐くのだった。
良かった、死んでない。なら何も問題はなさそうだな。全て正当防衛として片付けられそうだ。
「茶柱先生、坂上先生。それに桔梗さん、ご無事ですか?」
生徒会室の中には先生たちと生徒たちがいたのだが、どうやら八神に巻き込まれて吹き飛ぶことはなかったらしい。わかりやすい怪我は確認できない。先生もそうだし木下さんや小宮、桔梗さんだってそれは同じである。
逆に廊下で倒れ伏している南雲先輩や真嶋先生は重傷と言った感じだ……せっかくある程度回復して退院できたというのに、南雲先輩はまた病院送りかもしれないな。八神の沸点が低すぎた為に起こった悲劇なのかもしれない。
なんて言い訳を内心でしながら、私はくの字に曲がって痙攣している八神を見下ろすのであった。
「あ、あぁ、大丈夫だ」
ここ最近、いや、無人島からこっち、茶柱先生には何か恐ろしい野生動物でも見るかのような視線を向けられることが多くなったのだが、今もそれを感じている。ゴリラと同じ檻の中にいるかの様に警戒心をむき出しにしているのだ。
茶柱先生の視線は私と、くの字に曲がった八神を行ったり来たりしており、最終的には教師としての職務を思い出したのか、懐からスマホを取り出して各方面に連絡を入れていく。
「や、八神くんは大丈夫なのかな?」
「ん、大丈夫ですよ。危険な状態ではありません、意識を失っているだけですので」
桔梗さんは冷や汗を流して、床に転がった八神をそれはもう苦々しい顔で見つめている。一応、八神を追い込むことを頼んで来たのは彼女であり、少しは責任でも感じているのかもしれない。
彼女は八神を黙らせたかったのだが、まさかここまでの事態になると思っていなかったのだろうか。八神の凶行もそうだけれど、その八神の現状に恐怖していることがわかる。
まぁ桔梗さんからしてみれば私や八神が振るう暴力はどこか遠い世界のものだったのかもしれない。なかなか現実感を得られないのかもしれないな。
「怪我はありませんか?」
「あ、うん、大丈夫。八神くんが暴れ出した時はビックリしたけど、天子ちゃんが来てくれて助かったよ。あのまま暴れたままだときっと怪我人が出ただろうから」
桔梗さんはようやく安全だと理解したのか安堵の溜息を可愛らしく漏らす、その姿は一見すると暴力に震えるか弱い少女のように見えるけど、くの字に曲がった八神を見下ろす視線には僅かな愉悦が見て取れた。
ざまあみろ、言葉にこそしないがそう言いたそうである。過去をネタに脅して来た相手がここまで追い詰められて醜態を晒した挙句、退学不可避の状況にまでなってしまったのだから、桔梗さんとしては嬉しいようだ。
こんなことをしておいてアレだけど、できることなら八神にはもっと落ち着いて対処して欲しかった。難しいのかもしれないけど変な執着に固執するのではなく穏やかに過ごして、なんだったら生徒会役員として頑張ってすら欲しかったけれど、結果はこれである。
難しいな、色々と、暴行まで働いた上にそれを他者に見せつけてしまった以上は退学が免れないだろう。
彼の高校生活はもう終わってしまった、可能ならば天沢さんのような気軽さで生きて欲しかったんだけど……無理だったらしい。
茶柱先生の連絡によって駆け付けた警備員や、病院の職員などが続々と生徒会室前に集まって来て、南雲先輩や真嶋先生、そして八神が担架に乗せられて運ばれていく。
龍園と石崎と山田も怪我を負っているのだけれど、流石は不良組と言うべきなのか自力で立ち上がって平然としている辺り、やはり殴られ慣れているんだろうな。
不良組は別にして、来賓や無関係の生徒が怪我をしなかったのでまだマシか……いや、南雲先輩も無関係なんだけどさ。
八神は今後どうなるんだろうか、警備員に付き添われて運ばれていく八神を眺めながらそんなことを思う。ホワイトルームに帰った所でもしかしたら知らない子扱いされるかもしれないし、清隆のお父さんの判断次第では切り捨てられる可能性もある。
ちょっと手を回しておくか、九号経由で外と連絡をとって綾小路さんに圧力をかけておこう。最後まで面倒みなさいと。それが私にできるせめてもの配慮なのかもしれない。
ホワイトルーム生の中でも優秀だっていう話だから、まだ利用価値だってある筈だ。私が卒業してから潰しに行くまでの短い間だけど重宝されてくれればちょっとは慰めになる。
「天子さん、一体何があったの?」
騒ぎを聞きつけたのか、野次馬の中から鈴音さんも姿を現した。
「八神が事情聴取の途中で暴れ出したみたいです」
「事情聴取? 一体なんの話をしているのよ」
「無人島で複数のグループに怪我を負わせた疑惑がありましたので、後、それ以外にも色々火遊びをしていたようです。それを先生たちが調べている途中に突然暴れ出したという状況ですね」
そんな説明に鈴音さんは信じられないといった顔をする。生徒会で働いている八神を知っている分、衝撃が大きかったのだろう。真面目で清潔感のある男子という印象だったからな。
「怪我人は?」
「南雲先輩と真嶋先生くらいかな、龍園たちは割と平気そうだしね」
一番重症なのが何の関係もない南雲先輩である。今回ばかりは完全に被害者なので心の底から同情するのだった。
「そう、まさか文化祭がこんな形で終わるだなんてね」
「来賓の方々にも知られちゃったかな?」
「完全には誤魔化せないでしょうね、これだけ騒ぎになっているのだから」
そりゃそうだ、今も野次馬の中には来賓の姿がチラホラと見受けられる。せっかく招待された文化祭で暴力事件を目撃とか、この学校に大きな不信感を持たれてもおかしくはない。
また坂柳理事長の胃痛が酷くなるな。体育祭でも来賓を怪我さしたことでかなり小言と嫌味を言われたらしいので、今回もと来ればいよいよストレスで吐血するかもしれない。
また今度、胃薬でも差し入れしておこう。悪いのは全てホワイトルームという方向性に意識を操作するついでにだ。
「何はともあれ、文化祭を無事に終わらせようか」
「もう無事に終わることはないのだけれど……はぁ、仕方がないわね」
溜息交じりに鈴音さんは生徒手帳で時間を確認すると、既に午後四時に差し掛かろうとしている段階であった。つまり文化祭はいよいよ終わりということである。
最後の最後にケチが付いてしまったけれど、長かった文化祭はもう終わりと言うことだ。
楽しかったな、メイド服はアレだけれど、何だかんだで楽しめた……八神もアレだけど、うん、そういうことにしておこう。
「お疲れさま、鈴音さん」
「まだ気を抜くのは早いわよ、それにこの暴力事件の後片付けも必要だから、もう少し気を張っておきましょう」
「そうしましょうか、まずはこの場を片付けないと」
とりあえず粉砕された生徒会室の扉だったり壊れた備品や机だったりを確認してから予算表を作らないといけない。明日も明後日も使う場所なのだから急いでな。
「笹凪、この場の片付けは必要ない。現場保存をしておけ、全て終わってから片付ける」
さてメイドらしくお掃除だと気合を入れていると、茶柱先生が待ったをかける。
「あぁ、あれですか、警察とか来ます?」
「暴力事件が起これば警察が介入してくるのが社会の基本だ。多少の喧嘩程度ならばともかく、重傷者が出るほどの事態だから尚更な」
「お、おぉ……この学園にそんな常識的な判断ができただなんて」
驚愕である、なんだったらこの学園に来てから一番驚いたまである。この閉鎖空間の監獄みたいな学校がそんな道理を示すだなんて。
だが納得でもある、学園としてもみ消したいんだろうけど、生徒はおろか外部から招いた来賓まで目撃されてしまったのだ、ここで下手に内で処理すればそれはそれで厄介なことになるかもしれない。
また坂柳理事長の胃痛が酷くなりそうだ、それもこれもホワイトルームが悪い。
「生徒会から一人、事情説明の為に同行してくれ」
「わかりました、じゃあ私が引き受けます」
警察に色々と説明しないといけないらしい。教師から一人、生徒から一人だして中立性を示すと同時に、警察が来る以上は私自身も正当防衛であることを主張しておかないといけないので素直に事情聴取に同行するとしようか。
鈴音さんが少し心配そうな顔をしているけれど、何も加害者として捕まる訳ではないので安心して欲しい。文化祭終わりの打ち上げには参加できないだろうけど、こればかりは仕方がなかった。
こうして茶柱先生と一緒に警察への説明を引き受けることになったのだが、彼女は私をとても訝しむような視線で見つめて来る。
「ところで笹凪、お前はまさかその姿で警察と話すのか?」
「うん? まぁ今は天子モードなので」
「そ、そうか……」
何故かドン引きされてしまった。私だって好き好んでこの姿をしている訳ではないのだけれど、着替えるタイミングを逃してしまった。一旦教室に戻って着替えようかと思ったんだけれど、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきたことでそれも阻止されてしまう。
仕方がないのでこのまま警察に同行して茶柱先生と一緒に事情説明をするとしよう。結果発表を皆と聞けないのは少し残念だけど、八神を追い込んだ者として後始末はしっかりしないといけない。
茶柱先生は私を呆れるやら恐ろしいやら色々と混じり合った複雑な視線で見て来る。無人島以降はちょっと避けられぎみだけどまたそれが加速しそうだな。
寂しくはない、そう言う風に見られるのは慣れている。
それからの話をしておこうか。警察が到着すると同時に私と茶柱先生は事情説明をすることになった。監視カメラの映像を提出するだけでなく、どうしてこうなったかの説明である。
警察の人たちは「なんでメイドなの?」と言いたそうな顔を凄くしていたけれど、職務に真面目なのか深くは突っ込んで来ないのでありがたかった。
八神は肩と鎖骨が骨折していたので一時的に病院送りにされて、その後のことは私にはわからない。そこから先のことは学園の外の出来事なので後で九号から情報を売って貰うとしようか。
八神のそれからはわからない。病院で治療を受けた後に当局の世話になるのか、それともホワイトルームに戻されるのか、或いは敵対派閥に身柄を攫われるのか……どうであれ粗末な扱いをされないように圧力を加えておこう。
偽善だが、やらないよりもマシである。ゼロよりは1の方がマシ程度ではあるが。
事情説明が終わる頃には文化祭も完全に終了しており、時刻は午後7時過ぎとなっていた。スマホに届いたメールによると打ち上げは明日になったとのことで、このまま部屋に帰ることになる。
当然メイド服だ。教室に戻った時にはある程度の片付けが終わっており、私の着替えはどこにもなかったのだ。
トボトボと部屋に帰ることになるのだけど、私の部屋の扉が施錠されていないことでどうやら客人がいることに気が付く。
少しだけ扉を開く……爆発物や罠類は無いようだな、そして部屋の中から漂ってくる僅かな甘い香りによって客人の正体が鈴音さんであると推測するのだった。
合鍵を渡してあるので不思議ではない、文化祭終わりに二人でちょっとした打ち上げをしようとも話していたので、どうやら待たせてしまったらしい。
「鈴音さん?」
部屋に入って声をかけてみるが返事がない、しかしその理由はすぐにわかった。
「寝てるのか」
待ちぼうけている間に眠ってしまったらしい。鈴音さんは机に突っ伏すような姿勢で寝息を立てており、その傍らにはビニールラップが巻かれたホットサンドが置かれている。
「待たせてしまったみたいですね、ごめんなさい」
細やかな打ち上げをしようと約束していたのに悪いことをしてしまった、反省しないといけないだろう。
部屋の片隅には教室になかった私の着替えも置いてあったので、これでようやく私から俺に戻れそうだな。
ささっとメイド服を脱いで着替えるとようやく落ち着くことができた。やはりスカートよりもズボンの方が動きやすい。
天子モードは精神汚染が激しいので今後は封印しようと思う。やはり己らしく振る舞うのが一番ということか。
「鈴音さん、お疲れさま」
眠っている鈴音さんにそう労う、眠っているので返事はなかったけれど。
自然と指が彼女の頭に伸びて、艶やかな髪を撫でることになった。
「ん……」
「ごめん、起こしてしまったかな」
そうやって撫でていると鈴音さんは目を覚ましてしまう、可愛らしい寝息を聞けないのはちょっと残念だな。
「あぁ、帰っていたのね」
「ついさっきね。ごめん待たせてしまったようだ」
「構わないわよ、ある程度長くなるだろうとは思っていたから……食事はどうしたの?」
「実はまだなんだ」
「私もよ、作っておいたから食べましょうか」
「うん、ありがとう」
ホットサンド以外にもスープもあるらしいので、温め直すとしよう。
「あ、そうだ、文化祭の結果、どうだったんだい?」
「一位を取れたわ、無事ね」
「そりゃよかった、頑張ったかいがあるというものだよ」
「ただ坂柳さんクラスや龍園くんクラスも四位圏内に入っていたから差は生まれなかったのだけれどね」
台所に立ってスープを温め直している鈴音さんは、溜息交じりにそう言っている。結果は伴ったがクラス闘争という点でみれば大きな差にはならなかったので仕方がないだろう。
「なに、次また頑張ればいいさ。体育祭の時とは違って一位を取れたのは間違いないんだから」
「えぇ」
「体育祭も終わったし、文化祭も終わった、生徒会長にもなれたから、ようやく落ち着けそうだ」
「無人島での試験が終わってからずっと忙しかったものね」
本当にそうだと思う、休まる時間が随分と少なかった。
でも大きなイベント事は全て終わらせることができたので、やっと羽を休めることができそうだ。
食事を終えたら文化祭の話をしながらゆっくり過ごそう。
「よし鈴音さん、イチャイチャしよう、あれだけ頑張ったんだからそれくらい許されると思う」
「馬鹿……先に食事を済ませるわよ」
こうして文化祭は終わることになる。予定通りだったことも、想定外だったこともあったけれど、振り返れば何だかんだで面白い時間だったと思えるのだから、きっと有意義なイベントだったんだろう。
来年はどうなるかな。また文化祭があるのならば、楽しめると嬉しいなと俺は思う。