伊吹さんという不安要素はあるものの、最高のスタートダッシュを決められたDクラスは試験初日の夜を迎えていた。
島中を走り回っていた探索組は疲労を感じているのか眠るのが早かったし、それは設営班も同じなので、学園で生活を送っている頃とは比べ物にならないほど早く眠りにつくことになってしまう。
娯楽がないというのも早めの眠りを誘発しているのかもしれない。ずっとお喋りしていても長くは続かないだろうし、ある程度で切り上げて明日に備える流れとなった。
皆がテントの中で眠りに付く中で、俺は一人篝火の前に丸太を置いて座っていた。
伊吹さんというスパイがいることで、寝てはいけない理由ができたことが一つ、もしかしたら他クラスからの潜入工作員のような者が来るかもしれないのが一つ、後は単純に一週間くらいなら熟睡する必要がないのも理由だろうか。
都会の喧騒から離れた自然に囲まれた夜というのも理由の一つかもしれない。視線を上げると学園ではまず見ることのない満天の星空が広がっていた。
「寝ないのかしら?」
師匠と暮らしていた山奥の神社のことを思い出していると、俺が座っている丸太に同じように腰かける人物がいた。堀北さんである。
「堀北さんこそ」
「いつもこの時間帯に寝る訳じゃないから、どうにもね」
「俺も似たようなもんかな」
嘘である、熟睡の必要がないだけだ。今も体と脳は半分寝ている状態である。明日の夜は反対側も寝させよう。
「体調はどうかな?」
「問題ない、とは言えないけど……耐えられる範囲よ」
「そっか、あまり無茶しないようにね」
視線を篝火から少し横に向けてみると、同じ丸太に座った堀北さんと見つめ合う形になる。火の光に照らされる彼女の顔は少し幻想的に見えた。
「わかっているわ……頼りになる友人もいることだしね、一人で無茶はしない」
四月頃の堀北さんに聞かしてあげたい言葉である。
「そもそもあんな滅茶苦茶な作戦を考えて、実行するような人に無茶がどうのと言われたくないわね」
堀北さんの視線が向かう先は六つのスポット装置である。既に更新を済ましたそれはまた八時間後にポイントを吐き出してくれるだろう。
「でも凄く効率的でリスクの低い作戦だろう?」
「えぇ、そこに関しては反論の余地がないわね」
彼女もスポット装置をここに持ってくる度に妙な顔をしていたっけな。俺の行動はそこまで不思議なことなんだろうか。
「……」
そこで黙りこくってしまった堀北さんの視線は目の前にある篝火付近を彷徨っている。
「何か悩みがあるのかい?」
「ッ……別に、そういう訳じゃ……いえ、そうね」
「ん、俺で良ければ聞こうじゃないか」
「……私は、何も貢献できていないと思ったのよ」
「……」
「そんなことはないとは、言わないのね」
「自覚があるんだろう?」
「えぇ……実際に何も出来ていないもの」
堀北さんの視線が篝火から俺に移ったのを感じ取る。
「試験の説明を受けてすぐ、トイレが必要かどうかでクラスが真っ二つになったでしょう? あの時の貴方は見事だったわ。不満や怒りを上手く誘導して試験を乗り越える為の目標に向けさせて、綺麗な落とし所に持って行った」
「結論ありきの議論だったけどね」
「それでも、不満や反対意見を無視せずに話し合いを成立させたんだもの、アレを見ていて思ったの……仮に私が笹凪くんと同じように仲裁に入ったとして、クラスメイトたちは素直に耳を傾けて納得してくれたかしら」
あぁ、彼女はそんなことを考えていたのか。
「きっと無理でしょうね。私にはそこまでの信頼がないもの」
「そうでもないよ」
「慰めの言葉ならいらないわ」
「違うよ。事実を言っているだけさ。もしかしたら堀北さんは気が付いていないかもしれないけど、今の君は赤点組の救済に奔走して貢献した責任感のある人って感じだからさ」
「私が?」
「ん、堀北さんが」
「……」
信じられないのだろうか、最近はハリネズミモードが鳴りを潜めているので、距離感が近くなっているのに。
「でもまぁ堀北さんの危機感というか、不安感もわからなくはないかな……これからAクラスを目指していくのなら、自分の意見や意思や作戦をクラスに反映させられるような立場や信頼が必要になると思うしね」
「そうね……でも、どうすれば良いのかわからないわ」
再び視線が結び合う。不安と焦燥に駆られた堀北さんの顔がこちらに向けられている。
彼女はずっと一人で過ごしてきたので、きっとそのやり方がわからないんだろう。
「君が優秀で責任感のある人物だってことはクラスの皆がもう知っているんだ。なら後はほんの少し歩み寄るだけでいいよ……そうだね、朝起きたら挨拶したりとか、皆の仕事を手伝ったりとか、それだけで良いんだ」
「……」
「今の堀北さんは、もうそんなものは不要だなんて切り捨てたりはしないだろう?」
俺が彼女の表情を覗き込むようにそう言うと、少しだけ照れて視線を逸らされてしまった。
「そ、そうね……」
照れているのか頬も赤い、きっと篝火の光だけじゃない。
「大丈夫だよ。俺は君が頑張ってることも、努力家なことも、本当は優しい人だってことも、ちゃんと知っている」
「……」
堀北さんの頬が更に赤くなる。羞恥に震えているようにも見える。
「俺たちは友人だ。困難を分け合えるし、目標だって語り合える。だから一緒に頑張ろう……君はもう一人じゃない」
「え、えぇ……そうね」
視線をプイッと反らして篝火に戻してしまった彼女は、とても可愛らしかった。
「せっかくだしこれからのことを話し合おうか?」
「具体的には?」
「まず今後のクラスの方針について……今回の試験をこのまま上手く進められればDクラスは一気にBクラス位にはなれると思うんだ」
「他のクラスがここまで常識外れの作戦をしてこない限りは、そうなるでしょうね」
「清隆が言っていたんだけど、今の俺たちが例えばAクラスになったとしても、おそらく維持はできないって……堀北さんはどう思うかな?」
そう問いかけると、彼女は静かに考え込む。少しでも早くAクラスに上がって生徒会長に認めてもらいたい堀北さんにとってはあまり考えたくないことなのかもしれないな。
「それは……」
「四月頃のDクラスの様子を思い出してみてくれ、あれが俺たちの本来の実力なんだと思う」
「酷い状態だったものね」
「あぁ、ここ最近は団結力も出て来たし雰囲気も悪くはない。けれどまだまだAクラスを目指してその立場を維持するには早いと思う」
「ではどうするつもりなの?」
「う~ん、そこが悩みどころでね。これは個人的な考えなんだけど、Aクラスとの差を100から200位で落ち着かせて、後もうちょっと、後もう少しって感じの雰囲気をクラスで共有したいんだ」
「言いたいことはわかるけど……そう上手く行くのかしら」
「今後の流れ次第かな、一年間でどれだけの特別試験が行われるかも不透明だし、クラスポイントがどれだけ変動するのかもわからない……わかっていることは、まだ一年の夏だってことさ」
「焦る必要はないと、そう言いたいのね?」
「もしかしたら堀北さんには受け入れがたい考えかもしれないけどね」
「いいえ、そんなことないわ」
意外にも堀北さんは批判的な意見を述べなかった。納得してくれたらしい。
「……確かに、今は総合力の向上が必要な時なのかもしれない」
「ん……ありがとう」
「どうしてお礼を言うのよ」
「もしかしたら怒られるかもしれないって思ってたから」
「馬鹿ね、納得できる言い分だったから、そんなことしないわ」
「そう? 四月頃の堀北さんなら凄い不機嫌になって睨みつけて――痛い痛い」
ビシビシと俺の脇腹に堀北さんの手刀が命中する。じゃれ合い程度のそれは少しくすぐったい。
「揶揄うのは止めなさい」
「ごめんなさい」
「……確認するけれど、今後はクラスの成長を主軸に置く、それで良いのね?」
「そうだね。今以上に強い団結力と信頼、そして学力の向上だったり、課題は山積みだ。ようは三年生最後の特別試験でAクラスになっていれば良いんだから、そこを目標にして進んで行こう」
「わかった、私も手伝うわ」
「お願いするよ、堀北先生」
「先生?」
「よく赤点組の面倒を見てくれているからね。清隆とも話したことがあるんだ、怖い先生だって」
「そこまで怖かったかしら?」
自覚はないのか、でも面倒見がいいのは間違いない。
「それより……笹凪くん、貴方、綾小路くんを名前で呼んでいるのね」
「ん、少しきっかけがあってね。俺たちは本当に友人になれたんだと思う」
「そう……」
「名前と言えば、須藤は堀北さんのことを名前で呼びたがってたんだけど……」
俺がそう言うと彼女は少し不満そうな顔を見せる。
「えぇ、無遠慮にもね」
「あれ、許してあげなかったのかい?」
「……どうして許す必要があるのよ」
「親しい人とは名前で呼び合うものなんじゃないのかい?」
俺と清隆はあの夜の手合わせ以降そうなった。
「私と須藤くんはそこまで親しい訳でもないと思うけど……」
「よく面倒を見てあげてるじゃないか、世間一般ではそれは親しい関係なんだと思うんだけど」
「そうかしら?」
「そうなんじゃない?」
「……なら、私と貴方はどうなのかしら?」
「俺と堀北さんは親しい友人じゃないか」
「その割には、名前で呼ぼうとしないのね」
確かに言われてみればそうだな、でも女性との距離感は大事だって師匠も言っていたし、あまり馴れ馴れしくするのも悪いような気もする。生徒会長と堀北さんのイザコザを仲裁したあの夜の日に、恋を教えてほしいだなんて無遠慮に要求したことも、今考えればかなり気持ち悪いと思われたのかもしれないな。そこは反省すべき点だろう。
「そうね、須藤くんはともかく……貴方が呼びたいのなら考えてあげなくもないわよ」
「ん、俺は遠慮しておく。あまり女性と馴れ馴れしく接するのも悪いしね。須藤の方はもう少し優しく接してあげてよ」
「……」
「痛いんだけど……」
堀北さんが俺の耳を引っ張って来る、脇腹にチョップされるより痛いので止めて欲しい。
「ふんッ」
最終的にもの凄く不機嫌になって腰かけていた丸太から立ち上がると、そのまま女子チームのテントに戻っていくのだった。
「おやすみ、良い夜を」
「……おやすみなさい」
それでもしっかりとそう言ってくれるのだから、彼女は素直な女性なんだと思う。
再び一人になった俺は、椅子代わりにしていた丸太の近くに落ちていた拳ほどの大きさを持った石を見つけてそれを指先で弄んでいく。
美術部員としては、良い感じの石があると削りたくなってしまう。よく師匠が色々と作っていたのでその影響もあるのかもしれない。
残念なことにこの無人島に私物の持ち込みは禁止されてしまっているので、彫刻刀や石ノミなどが無い。
仕方がないので素手で削って形を整えるしかないだろう。そう考えて指を石に立てると少しづつ削り取っていく。
何もやることがない夜の暇つぶしなので凝った物を作る必要もない。さて何を作ろうかと考えていると、どうした訳か昼に見た清隆や茶柱先生や伊吹さんの顔が思い浮かぶ。
あのチベットスナギツネみたいな、虚無を宿した死んだ目を思い出したことで、手に持った石の形は決まったのだと思う。
「狐でも彫るか」
指を立ててゴリゴリと削り取っていく。そんなことを続けていくと、背後から近づいてくる気配に気が付く。
「高円寺か」
「おや、気が付かれてしまったようだねぇ」
「君の気配は独特だからね」
そこは清隆と同じだ。
「そもそもずっとこっちを見ていただろうに」
「ふッ、クールガールとの逢瀬を邪魔するほど無粋ではないとも」
意外である、彼がそんな気遣いをするだなんて。
「リタイアはしないのかい? 夜になったら船に戻ると思っていたんだけど」
「イエス、するとも。ただ友人との約束を果たすことも重要なのさ」
高円寺はノートの切れ端をこちらに渡してくる。そこには彼が午前中に木の上を走り回っていた時に見つけたスポットの位置が記されていた。
「幾つかは既に他所が占有したようだがねぇ、あまり大っぴらに動くこともできない事情があるのだろう、近場にしか手を伸ばしていないようだ」
そりゃそうだろうな、リーダーがばれたくないって普通は思うもん。リスクは最小限にする筈だ、俺と同じで。
「どのクラスからも離れているスポットならまだ回収できるだろう」
「ありがとう、高円寺、明日にでも取りに行くとするよ」
「ふッ、それでは私は船で優雅に暮らすとしよう、さらばだマイフレンド」
こうした情報を残してくれただけ、彼なりに貢献してくれているのかもしれない。ちょっとした気まぐれでしかないのかもしれないが、すぐにリタイアすると思っていただけに、予想外の行動とも言えた。
海岸に停泊している船に向かう高円寺の背中を見送って、再び手の中にある石を削り取っていく。
そうして試験初日の夜は更けていく。石が狐の形に変わる頃には、朝日が昇っているのだった。