ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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章と章の間にある小話となります。それとストックが完全に無くなったので数日くらいの頻度になるかもです。


小話集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「熊っぽい」

 

 

 

 

 

 

 Dクラスは個性の集団だと、私こと松下千秋は思う。

 

 ただしそれは良い意味ではなく、悪い意味での言葉だった。

 

 一部の能力が高いのに何かが決定的に足りない人だったり、協調性が皆無であったり、決定的なまでに人付き合いが苦手であったり、そもそも全体的に能力が低かったりと、方向性は様々だと考える。

 

 言ってしまえば規格の合わない歯車の寄せ集めだ。そしてきっと私もその一つなんだろう。

 

 自慢に聞こえるかもしれないが、私は別に馬鹿でもないし運動音痴でもない。傲慢な言い方をすれば優秀な方だとも思っている。

 

 だが天才だなんて自惚れたりはしないし、努力の天才だとも口が裂けても言えない。

 

 結局、どれだけ頑張ろうとも、優秀という物差しで測れてしまうのが私だった。所謂本物には敵わない、そんな人間だと思う。

 

 何もかもを貫いて引きちぎれるような生き方が出来ないのだ。高円寺くんだったり、堀北さんだったり、ああいった存在にはなれない。だから妥協と諦めと共に私は普通であることに心地よさを感じようとしているのかもしれない。

 

 私が通う学校は苛烈で特殊だ。クラス闘争だったり明確な優劣の差だったりと、普通には程遠い場所であるとも思う。

 

 そんな学校で最底辺に位置するDクラスは、悪い意味で個性の集団であり、Aクラスになるのなんて夢のまた夢かと思っていたが、風向きが変わったのは一人の男の子がいたからだ。

 

 笹凪天武くん、ちょっとびっくりする位に存在感のある、不思議で異常な男の子。

 

 カッコいいとは思う。そして綺麗だとも思う。男子にこんなこと言うのはどうかと思うけど、美しい人だね。すれ違えば視線で追いかけてしまうような人は初めて見た。

 

 容姿だけではなく、無視することの出来ない存在感、ああいうのをカリスマと言うんだろうか?

 

 偶に、喉を鳴らしてしまうような存在感を放つ彼は、予想通りというか学年でも有名人となっていく。

 

 クラスの女子の間でも平田くんと並んで人気がある。彼が軽井沢さんと唐突に付き合うことになったことで、今となっては一番人気になったと思う。

 

 女子たちが作る面倒なグループの力関係であったり牽制であったりで抜け駆けするのは難しい。

 

 けれどいい物件なのは間違いない。機会があれば距離を詰めようとする人だって多いはずだ。

 

 同じ年齢の子供っぽい男子とは比べられないくらいに落ち着いていて、勉強も運動も飛びぬけてる、喋っていて楽しいし堅物でもないのでちょっとした冗談だって乗ってくれる。それであの存在感だ、狙わない女子なんていない。

 

 きっと私もその一人なんだと思うけど、恋慕よりは興味の感情が強いかな。

 

 そんな彼がより存在感を放ったのがこの無人島での試験なんだろうね。ルールを聞かされてすぐに滅茶苦茶な作戦を実行したのは正直驚いた。

 

 普通の人はあんな作戦は思いつかない。思いついたとしても実行はしない。実行しようとしてもまず動かせない。それでも彼は押し通したのだからもう感心するしかない。

 

 彼がいればAクラスになるのも不可能じゃない。そんな風に考えてる時点でかなり入れ込んでるのかな。

 

 これが恋慕かどうかわからないけど、強い興味はある。

 

「熊っぽい」

 

 私の隣で佐藤さんがそう呟く。

 

「確かに、熊っぽい」

 

 私もそれに同意した。視線の先にいる笹凪くんを見て。

 

 彼は川に足だけ付けてジッと川底を見つめている。全く身動ぎをしない様子はいっそ非現実的で、マネキンが立っているんじゃないかと勘違いしてしまう程に静かだった。

 

 そんな彼は目にも止まらぬ速度で腕を振りぬく、すると川の中にいたであろう魚が弾き飛ばされて岸に転がっていく。

 

 うん、熊だ。鮭を取ってる熊でしかない。

 

「笹凪くん、調子どう?」

 

「悪くはないよ、ただ川魚だけだとやっぱり数は集まらないね」

 

「まぁそこは仕方ないんじゃない? クラス全員分だと難しいだろうし」

 

「そうだね、このまま粘るより、海の方がまだ数は集められるかもしれないから、そっちに行ってみるよ」

 

「頑張ってね」

 

「あぁ」

 

 穏やかに笑って海に向かう笹凪くん、こんな無人島に放り込まれて殆どの人が不安を感じている筈なのに、彼だけはいつも通り超然としていて落ち着き払っている。

 

 ああいう人を本物と言うのだろうか? 結局は優秀止まりの私にはわからない。

 

 ただAクラスを目指す為の原動力に彼がなれるのは間違いないと考える。彼がこのクラスにいたことはどこのクラスよりも大きな優位性だから。

 

 いつまでも変な意地や諦めに浸かって歯痒い思いをしているよりも、そろそろそっちに力を注ぐべきなのかもしれない。私はこの無人島試験でそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠曰く、投石は最も原始的な兵器」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この無人島での試験も五日目になり、クラスの皆はこの状況に慣れ始めたと思う。引っ込み思案で臆病な私にできたことは、綾小路くんと一緒にトウモロコシやスイカを運んだことくらいで、特別なことなんて何もできてないけど。

 

 笹凪くんのように、ちょっとよくわからない作戦を考えることもできない、そして運動だって上手くできない私は、トウモロコシを運ぶことしかできないでいた。

 

「ご、ごめんなさい……私も、笹凪くんみたいに、役に立ちたいのに」

 

「佐倉、あまり気にするな。人には向き不向きがある……それと天武と自分を比べるのは止めた方が良い。あれは比較の対象としてはかなり特殊だ。人間とゴリラは違う生き物なんだ」

 

 た、確かに、普通の人はスポット装置を引きちぎったりはしないと思うけど。

 

「それに、佐倉はトウモロコシとか運んでくれた……何もしていないとは言えないだろ」

 

 綾小路くんはそう言って釣竿を振って海に糸を垂らす。

 

 五日目になると島から採れる野菜は殆どなくなってしまったから、魚を釣りたいのかもしれない。

 

 後、ちょっと興味があると綾小路くんは言っていた。あまりそうは見えないけど釣りを楽しんでいるのかな?

 

 そんな彼の隣に座って私も釣竿を振るのだけど、上手くは行かずに釣り針がジャージに引っかかってしまう。ここまでくると運動音痴とかそういう次元じゃないのかもしれない。

 

「大丈夫か?」

 

「ご、ごめんね。えっと、アレ? あれ?」

 

「動くな、オレが取るから」

 

「あ、あ、あ綾小路くんッ!?」

 

 ち、近い、綾小路くんが近いッ!! 指が私に触れてるよ!?

 

 ジャージに引っかかっていた釣り針は彼が取ってくれたけど。心臓が痛い位に激しく動いている。ちょっと息も苦しい。

 

「ほら、取れたぞ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 こんなにドキドキしてるのはきっと私だけなのかな? 綾小路くんはいつも通り落ち着いてる。

 

 彼はとても大人びた人なので、慌てている様子も想像できない。

 

 いつか綾小路くんのそんな顔を見れる日がくるのかもしれない。それは今じゃないんだろうけど。

 

「おや、清隆に佐倉さんじゃないか? 釣果はどうだい?」

 

 気になる男の子との距離感に悩んでいると、海岸に笹凪くんがやってくる。偶に凄く怖い雰囲気を発する人だけど、本当は凄く優しい男の子だって知っている。今も穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「全く振るわないな。こういうのを坊主と言うのかもしれない」

 

「そんな時もあるさ。別に食料が足りない訳でもないから、気長にやりなよ」

 

「あぁ、そうしよう」

 

「佐倉さんも、無理する必要はないからね?」

 

「う、うん……」

 

 笹凪くんはまた穏やかに笑って、海岸で隆起していた岩石に手を伸ばしていく。

 

「天武も魚を取りに来たのか?」

 

「ん……新しいスポット装置も見当たらなかったからね、川よりはこっちの方が取れそうだし」

 

「そうか……それで、釣竿は使わないのか?」

 

「あぁ、魚はこうやって取るんだって師匠が教えてくれたんだ」

 

 笹凪くんは手を伸ばした大きな岩石の一部を毟り取ってしまう……え?

 

 そのまま握りしめた岩を両手で握って細かく砕いていくと、ゴルフボール位の大きさの石に変えてしまう……え?

 

 何度か掌で転がしていくと、その石は尖った部分が無くなっていった……あれ?

 

「ん……割と浅瀬にもデカめの魚がいるみたいだな」

 

 最後に笹凪くんは岩石の上にたって海を見下ろすと、遠くを見つめるような瞳になってから、大きく振りかぶって丸く加工した石を投げつける。

 

 プロ野球選手のような、という表現すら及ばない速度で石は投げられて、遠く離れた位置に着水して水柱を上げた。

 

 それを何度か繰り返した後に、笹凪くんはジャージを脱いで身軽になると、泳いで石を投げつけた場所まで進んで行き、すぐに戻って来る。

 

 帰って来た彼の手には釣竿では釣れないような凄く大きな魚が二匹……私は何を見たんだろ?

 

「佐倉、考えたら負けだ」

 

「う、うん……」

 

 た、確かに、笹凪くんのようにクラスの力になるのは、私には無理だと思う。

 

「佐倉なりに何か貢献できることを探せば良い。さっきも言ったが天武は比較対象としてはかなりアレだからな」

 

「そ、そうだね……」

 

 笹凪くんを知ってから何度か思ったことを、私は今日も思う。

 

 あの人は本当に私と同じ高校生なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北鈴音の脳が破壊された夜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北さん、船に戻ったらしっかり薬を飲んで、ちゃんと食べて寝るんだよ? わかった?」

 

 試験からリタイアすることを決めた後、私の隣に並んで歩いている笹凪くんはしつこい位にそう言ってくる。

 

 以前の私ならきっと余計なお世話だと冷たく言い返したのかもしれない。けれどここまでクラスの為に頑張ってくれた彼に対してそんなことを伝える気にはなれない。

 

 何より、こちらを心配そうに気遣う彼を見ていると、不思議と逆らえない。へにゃりと曲がった眉が少しだけ愉快にすら思えた。

 

 笹凪天武くん、クラスメイトであり、私の友人。

 

 まさか私に友人ができるとは入学当初は思いもしなかった。それを必要としたこともなかったし、意味を見出すこともできなかった。

 

 もしかしたら四月頃の私が今の私を見たら、鼻で笑うのかもしれない。

 

 だがこれで良いのだと思う。一人で何もかもを乗り越えられると考えていた幼い私はもういないのだから。

 

 そろそろ海岸に停泊している船が見えて来るという段階で、彼はとてもこちらの体調を気遣ってくれている。誰かに心配されることが屈辱ではなく安堵に変わったのはいつ頃だっただろうか。

 

 特に彼の持つ独特の声色でこちらに気を使われるのは、言葉では言い表せない独特の気分になってしまう……決して悪い気分ではないのが救いだ。

 

 耳朶から染み入る言葉の一つ一つが心地いい、クラスメイトの女子たちが姦しく彼の噂をしていた時に偶々聞こえて来た「耳に良い声」という評価も今では凄く頷ける。こんなに落ち着くのは遠ざけられる前の兄さんと一緒にいる時以来だと思う。

 

 彼の声は耳朶に残る不思議な声だ。印象に残りやすいとでも言えば良いのかもしれない。

 

 そんな彼がこちらをしきりに気遣って声をかけてくれる、頑張ったと褒めてくれる、凄いと認めてくれる、その度にむず痒いような、熱いような痺れみたいなのが体を走るのだ。

 

 凄くズルいと思う。言葉一つでこんなにも私を満たしてくれるのだから。

 

 一人が好きだった私はもういない、それで良しとしていた私は死んでしまった。

 

「ねぇ、もう少しだけ話していかないかしら?」

 

 いよいよ船に乗ってリタイアする直前で、私は彼の袖を引いてそんな提案をしていた。

 

「構わないけど、体調は本当に大丈夫なんだね?」

 

「えぇ、今すぐ倒れるような状態じゃないもの」

 

「そっか……ならお喋りしようか」

 

 穏やかに笑った彼は船が見える海岸にあった隆起した岩の上に腰かける。そして自分の隣をポンポンと叩いて私を急かした。

 

「ありがとう……色々と感謝したいこともあったの。それを伝えておきたかったのよ」

 

「感謝?」

 

「えぇ、今回の試験は貴方がいなければここまで上手く行かなかったと思うわ、だから感謝したいの……それに、私に足りない物はなんなのか、どうすればそれを得られるのかも教えてくれた、色々とありがとう」

 

「誰かに褒めて貰えたり感謝されるのはとても嬉しいから、そう言われると心地いい気分になるね」

 

 彼らしい言葉だと思う。照れるでもなく謙遜するでもなく、本音でそう言うのは。

 

「まぁ今回の試験は清隆も色々と手伝ってくれたから……俺的には彼にMVPを上げたいかな」

 

「……確かに、リーダーを終了直前で変更させるのは意外性のある作戦だったわね」

 

 スポットを引きちぎって一ヶ所に集めるよりかはよっぽど現実的で常識的だと思うけど。

 

「あのおかげでスポット回収作戦も完全な物となった。この二つの作戦が出揃った段階で他のクラスが何をどうしようがDクラスの勝利は確定していたんだよね……本当に助かったよ」

 

 そう言った彼はとても安堵した様子であり、綾小路くんに強い信頼を向けているようにも見える。

 

 ここ最近は、特にこういう顔をするようになったと思う。今回の特別試験でも二人はよく一緒に行動していて、きっと様々な意見を交わして作戦を調整していたんだろう。

 

 私ではなく、綾小路くんと、一緒にだ。

 

 そもそも彼らはどうして仲良くなったのだろうか? 気が付けば名前で呼び合うようになっていた上に、やけに二人で話すことも多くなったと思う。

 

 綾小路くんも特別試験が始まる前の船の上で友達アピールが激しかった……まるで私に見せつけるかのように。

 

「綾小路くんを随分と信頼しているのね?」

 

「もちろんだ、彼は友人だからね……俺はつくづく人の縁に恵まれてると思うばかりだよ」

 

「そ、そう……」

 

「不思議な確信があるんだ。前に師匠と出会った時と同じ感覚がある、きっと特別な何かがあるんだって思わせるような、そんな出会いだったんだと思うんだ」

 

 どうしてだろうか……頭の奥で変な音がする。笹凪くんが綾小路くんの話をする度に、変な音が響くのだ。

 

「死ぬときにこの出会いを思い出すかもしれない、きっと俺たちはそんな友になれる」

 

 の、脳が、壊れてしまう……。

 

 とても楽しそうに綾小路くんのことを話す彼を見ていると、頭がおかしくなりそうだ。

 

 そして彼はとびっきりの笑顔でこう言うのだった。

 

「この学校に来て彼と出会えたのは、とても良い縁だったと思ってるよ」

 

「……」

 

 

 そう、そういうことなのね。

 

 綾小路くん、変な所もあるしよくわからない人だったけど。たった今、私は貴方のことを完全に理解したわ。

 

 どうやら貴方は私が超えなければならない存在だったみたいね。

 

 良いわ、認めてあげる……貴方は今日から私のライバルだと。

 

 私の頭に正体不明な不快な音を響かせた責任は取ってもらうわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人斬り抜刀斎?」

 

 

 

 

 

 

 やけに月が大きく見える夜のことだった。

 

 繁華街から少し離れた薄暗い路地裏。ゴミが散乱しており野良猫やカラスがそれを漁っているような場所にその男はいた。

 

 片手に持つのは血に汚れる刀、一切の飾りや遊びがないそれはこの時代では美術品以上の価値を持たない日本刀を、一つの完成された武器であることを証明していた。

 

 剣先から赤い血が流れて地面にシミを作る。どうやらこの刀はつい先ほどまで武器としての本領を発揮していたらしい。

 

 それを証明するかのように、この薄暗い路地裏にもパトカーのサイレンが届いていた。凶行に走った誰かを追い詰めるかのように。

 

「あぁ構わないとも、何人でも来るがいいさ……こいつも血を欲しているからなぁ」

 

 刀を持った男は刃にこびりついた血を舌で舐めとり、興奮を露わにした。

 

「おいおい、明治じゃないんだからさ。人斬り家業なんて止めた方が良いと思うけどね」

 

「誰だ、貴様は?」

 

 薄暗い路地裏に立ち入って来る者が一人、男なのか女なのかよくわからない、不思議な存在感を放つ人であった。

 

 軽やかな足取りに緊張はなく、凶器を握った相手を前にしても変わることなく日常の延長としているのがよくわかる。

 

「どうも、初めまして。でも貴方に名乗るつもりはありません……まぁ俺のことは気にしないでください。知り合いの刑事さんに依頼された用心棒みたいなものなので」

 

「はッ、用心棒? 笑わせてくれる……お前はこちら側の人間だろうに」

 

「一緒にしないで欲しいかな。俺は人斬りを楽しもうと思ったことはないよ」

 

「それだけの肉体を持っていながらよく言う。他者をねじ伏せ蹂躙することが楽しくて仕方がないだろう」

 

「駄目だな、話が通じない……はぁ、まぁ良いか」

 

 そこで二人は薄暗い路地裏でぶつかり合うことになる。何か合図があった訳ではないが全く同時に、そして示し合わせたかのように呼吸を合わせて。

 

 片や徒手空拳、片や凶刃を持つ男、戦いは一方的なものになるかと思われたが、両者の衝突は長引くことになる。

 

 凶刃は無数の軌跡を描きながらそれほど広くはない路地裏を埋め尽くす。そこに人が潜り抜けられる隙間はなく、無数の致命傷を残す筈なのだが、そうはならなかった。

 

 驚くことにその凶刃の全てを指先と拳と体捌きをもって、反らし、いなし、そして遠ざけたからだ。

 

「ははッ!! やるではないか、良いぞ、それでこそ斬りがいがあると言うものだ!!」

 

「ドン引きするようなこと言わないでくれ」

 

「さぁ楽しもう!! コイツも久々の上物に喜んでいるぞ!!」

 

 手に持った凶刃が月明りを反射して妖しく光る。血に濡れていたそれは不気味な存在感を放っており、人の視線を引きつけ狂気に惑わす雰囲気を纏っていた。

 

 その刀を握ったら最後、試し切りをしたいと人は思うのかもしれない。

 

「妖刀の一種か……師匠は毎回毎回面倒事を押し付けて来るんだから」

 

 再び凶刃を持った男は無数に刃を翻しながら迫る、それを迎え撃つのはやはり拳と掌であった。

 

 路地裏に数え切れないほどの切り傷を残した刃はコンクリートすらも容易く両断したのだが、少年の身を切り裂くことは叶わない。

 

「アンタは強い。加減はできそうにないから……死んでも恨むなよ」

 

 少年の雰囲気が切り替わった。狭まった瞳孔は感情を無くし、何かを毟り取るかのように曲げられた指先は不吉を宿し、あらゆる視線や意識を引き寄せるかのような引力が発生していく。

 

「ははぁ!! それでこそだ!! これほどの肉を味わうのは数百年ぶりだとよ!!」

 

「刀に意思があるかのような言いぐさだな」

 

 凶刃と武人がぶつかり合う。長年に渡って付き合いがあるかのように阿吽の呼吸で刃と掌を翻し、踊り狂うように路地裏を駆け巡る。

 

 凶刃は幾度も少年に肌に届いたが致命傷には及ばず、少年の指先は幾度も男の身を毟り取っていくが、それもまた致命傷に届かない。

 

 互いの身を削り合うような戦いはいつまでも続くかと思われたが、少年の指先が最後に凶刃を握る男の手首を掴んだことで唐突に終わりとなってしまう。

 

 粉砕された手首では怪しい刀を握り続けることは叶わず、抵抗も出来ないまま男の意識は刈り取られるのだった。

 

「滅茶苦茶強いじゃんかこの人、何が楽勝だよ……師匠の無茶ぶりは今更だけどさ」

 

 少年は全身に刻まれた薄い傷口に戦慄しながら冷や汗を拭う。そして地面に突き刺さった怪しい刃を視界に収める。

 

 思わず狂気に引き寄せてしまうような強い引力を纏う刃である。握ったら最後、狂気の向こう側に足を踏み込んでしまうような何かを感じることが出来てしまう。

 

 ただの刃でなく、美術品でもない、数多の血を啜って完成した凶刃であった。

 

 彼はその刃を掴みあげる。その瞬間にこちらに流れ込んで来るような狂気を感じ取ったのだが、それを押しのけて徐々に力を込めていく。

 

 その力に抗えきれなかったのだろう。血に汚れた刃は真っ二つに折れて粉砕されるのだった。

 

「あッ、もしもし……はい、俺です。例の人斬りですけど確保しました。位置情報を送りますんでパトカーをお願いします……あぁ、いえいえ、師匠の命令なんでお気になさらず。警部ももうすぐ定年なんですから、あまり無理せず穏やかに過ごしてください」

 

 最後に携帯電話を取り出して少年は穏やかな口調でそんな報告を誰かにする。だからなのかサイレンの音がこちらに向かってくるのがわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!? ゆ、夢か……はぁ」

 

 あまりにも夢見が悪かったからなのか、オレは慌ててベッドから飛び起きる。それと同時に池から借りたとある漫画本が胸から転がっていった。

 

 周囲を見渡してみると、ここが豪華客船の船内であることがわかる。そうだった、特別試験が終わって無人島から帰って来たんだったな。

 

 床に転がった漫画を手に取ってタイトルを眺める。池が気に入っている漫画でおすすめだと布教してきたそれは。とある探偵が様々な事件を解決していく痛快サスペンスアクションであった。

 

 少年漫画らしく派手なアクションと駆け引きが特徴的で、あまり漫画を読まないオレも思わず魅入るような話も多く、つい読み込んでしまったのだ。

 

 当然ながら天武が出て来る訳がないし、人斬りに変えてしまうような危ない刀が現実にある訳がない。

 

 どうやらそのまま寝落ちしてしまったらしい。変な夢を見たのはこの漫画が原因なのだろう。

 

「清隆、どうしたんだ? なんか汗びっしょりだけど」

 

 夢見の悪さにうなされていたのか汗が酷い、それは同室の天武が部屋に入って来てすぐに気が付く程である。

 

「調子が悪いんなら、医務室にいったらどうだい? 確かこの船にもあった筈だけど……」

 

「気にしないでいい、少し夢見が悪かっただけだ」

 

「そうなのか……なら良いんだが」

 

 特にこの高校に入学してからは頻繁に変な夢を見るようになった。決まって天武が暴れ出す類のものである。

 

 そこでオレは、ふとこんなことを思う。

 

「天武、聞いてくれ……」

 

「ん、何かな?」

 

「オレは……夢オチ要員になってるんじゃないか?」

 

「急にどうしたんだい!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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