入学二日目、まだ授業が始まったばかりということもあり、殆どが方針説明などのガイダンスが基本となっているらしい。
日本最高の進学校であることから高度な授業が進められるようではあるが、明らかに付いていけないと思われるレベルの生徒がチラホラと見受けられるのが1―Ⅾというクラスであった。
教師側の対応もそれを助長しているようにも思える。コンビニでゴミ箱を蹴り飛ばしていた須藤という生徒はさっそく居眠りをしているし、スマホを弄る生徒や授業中であるにも関わらず雑談する生徒すらもいる。
細かく教員が注意すればすぐに真面目に授業を受ける筈なのだが、担任の茶柱先生は勿論のこと、他の先生たちも淡々と進めるだけであった。
これが普通の学校なのか、それともここが特殊なだけなのか、小学校も中学校も不登校だった俺には判断することができないが、教師たちの目は授業を聞かない生徒たちに苛立ちではなく僅かな憐れみの視線を送っているのは気にかかる。
やっぱり情報が必要だな、結局はそこに行き着いてしまう。
まだ二日目なのでそこまで焦る必要もないのかもしれないが、師匠は兵は神速を尊ぶとも言っていた。動くときは素早く動くべきである。
昼休み辺りに動くか、昨日は監視カメラの位置を把握するだけだったが、ポイント関連の情報も知っておきたいし。
「よし、お昼だな」
とりあえず上級生辺りに声をかけてみるか。
「……」
「……ん?」
そう思って立ち上がると背後から視線を感じ取る。そこには捨てられた子犬のような瞳をこちらに向ける綾小路がいた。
いや、無表情ではあるんだが、不思議とそんな印象を与えて来たのだ。
「……綾小路、良ければ一緒に食堂でもいかないか?」
「……お、おぉ」
「でも平田とかの誘いに乗っても良かったんじゃないか? 多分、嫌がられたりしないと思うけど」
「いや、あそこには、入り辛いだろ」
「そういうものか……うん、まぁ良いか、友達だもんな俺たちは」
「ああ、友達だからな」
うん、無表情だけど、少しだけ嬉しそうではあるな。
お昼休みを使って上級生に声をかけるという目論見はここに消滅した。別に放課後でも良いか。
因みに視線を横に向けてみると、近づく者全てを遠ざけようとするトゲトゲしい雰囲気を放つ堀北さんがいる。
「ええっと……良ければ堀北さんもどうかな?」
「……」
無言である。うん、わかっていてもキツイものがあるな。
まだ付き合いも浅いのに、どうした訳か彼女が笑っている所を想像すらできなくなっている。
「もしかして、嫌われちゃったかな?」
「安心しろ、堀北はこれで正常運転だ」
「そうか、それは良かった」
「……貴方達は私の何を知っているのかしら?」
少し苛立ったような声色である。だが反応は返って来たので前進と言えるだろう。
「ごめんね、隣人との交友は大事だって言われていたから食事に誘ったんだ」
「必要ないわね、私は一人が好きなの」
「無理にとは言わないよ……あぁ、でも、ポイントに関して堀北さんの意見は聞きたいかな。昨日の無料商品の棚を見て、何か思うことがあったみたいだし、家に帰ってから色々と考えたんじゃないかな?」
「……」
眉を顰めて考え込む、やはり彼女なりに昨日の説明で考えたことや思ったことがあったらしい。
「せっかくなら意見交換でもどうかな? 堀北さんの意見を俺は知りたいな」
「……良いわ、そこまで言うのなら」
「嘘だろ……何かおかしな物でも食べたんじゃ、ぐぉッ」
速い、凄まじい手刀だ。堀北さんの指先が綾小路の脇腹を突いた。
「意見交換が必要だという彼の言葉に一定の理解を示したに過ぎないわ、勘違いしないでちょうだい。別に貴方たちと昼食を一緒にしたい訳じゃないの、良いかしら?」
「はい」
綾小路の返事に俺は思わず笑ってしまった。もしかしたら尻に敷かれるタイプなのかもしれない。
「とりあえず食堂に行こうか、多分あそこにも無料の品とかあると思うよ。あのコンビニみたいにね」
三人で教室から食堂に向かおうとすると、耳朶から思考を溶かすかのような甘い声が聞こえて来る。
「笹凪くんッ、今からお昼だよね、私も一緒していいかな? 私、前から綾小路君や堀北さんとも仲良くなりたかったんだ、どうかな?」
愛らしい笑顔が良く似合う櫛田さんの登場であった。
なんというか、男子が理想とする女子生徒といった感じの人だよな、あまり近づかれると良い匂いがするので自重してもらいたい。
「えっと、櫛田さんはこう言ってるけど……」
「オレは良いと思うぞ」
「……」
振り返って綾小路と堀北さんの反応を探ってみると……堀北さんからは滅茶苦茶に怪訝な顔をされてしまった。
あれ、もしかして仲が悪い?
「あぁ~……ちょっと都合が悪いみたいだ。ごめん櫛田さん、また今度、誘ってくれないかな」
「えッ、ダメだったかな、皆とお話したかっただけなんだけど」
堀北さんの表情は変わらない、どころかますます怪訝になっていく。これ以上放置すると一人で昼食すると言い出しそうだな。
「ごめんね、堀北さんは人見知りっぽいからさ、すぐに手が出るし言葉はキツイしで、今も脅されて無理矢理従わされているんだ……残念だけど俺と綾小路は暴力に屈してしまって小間使いのように扱われているんだ。櫛田さんを巻き込むことはできないッ」
「そ、そうなんだ……」
背後から衝撃、どうやら堀北さんの手刀が俺の脇腹に炸裂したらしい。うん、師匠程ではないな。
「また今度、誘ってよ、俺はいつでも歓迎するからさ」
「わかった、じゃあまた今度だね、約束だよ?」
そう言って櫛田さんは俺たちから離れていく、去り際の堀北さんに向ける視線が印象的であった。
「堀北さんと櫛田さんて……いや、いいか」
踏み込むようなことでもないのだろう、少なくとも今は。
「……言いたいことがあるのならばハッキリと言いなさい」
配慮したつもりなのにこの調子だ。
「……もしかして、仲悪い?」
「……」
怪訝な顔つきがより深まる。或いは彼女の中でも答えの出ていないことなのだろうか?
まぁ、相性の悪い相手というのは必ず存在する。クラスは四十人もの人が暮らす一つの社会なのだから、どうしたって避けられないことなのだろう。
「とりあえず食堂にいかないか?」
「そうだな、綾小路、俺も空腹だ」
三人で食堂へと向かい、目当ての物はすぐに見つかった。
「無料商品……ここにも」
堀北さんはやはりそれが気になるらしい。
「試しに頼んでみようかな、もしかしたらよく世話になるかもしれないし」
山菜定食は無料で購入できる。状況次第では頻繁に購入することになるだろう。これで舌が受け付けないほどの味であったらお昼時は地獄になってしまう。
「上級生らしき人たちもそれなりに注文しているように見えるわね」
「うん、つまりはそういうことなんじゃないかな」
「節約する必要に迫られているということよね……新学年が始まったこの時期にも関わらず」
深く考え込む堀北さん、既に彼女の中ではポイントに関して大きな疑念が渦巻いているらしい。
十万円と同価値のポイントを渡されて好きに使えと言われると、普通は驚きと興奮が先に来る。そしてどうしてという疑問が薄まることだろう。
だが少し冷静になって考えてみると、あの担任の先生が言っていたことは本質からずれていることに気が付く者は多い筈だ。
そして、一度引っ掛かりを見つけるとそこから様々な疑問も湧き出て来る、今の堀北さんのように。
「あっちが空いてるし、そこにしよっか」
試しに山菜定食を購入すると、それを受け取って食堂の隅にある席に腰かけた。
隣に綾小路が座り、正面には堀北さんが座る。正面からよく見るとこの子は本当に美人さんだな。
「美味いのか?」
「ん……不味くはないかな、寧ろ普通に美味しい」
良くも悪くも普通だ。師匠の下にいた時は山の中で取れた山菜などがよく夕食に出て来たので懐かしの味もある。
「でも毎日となると、さすがにな」
「そういうもんか」
「無料で食べられるならこれで十分とも言えるけど」
隣の席に座った綾小路は普通に美味そうな定食を注文して食べていた。
「綾小路、その唐揚げを恵んでくれても良いんだぞ?」
「……肉が欲しいのなら山菜定食を頼まなければ良かったんじゃないか?」
尤もな言い分だ、しかし一度くらいは頼んで味を確かめておかないとダメだろう。下手したら毎日これを食べないといけない生活になるかもしれないんだしさ。
さてどう綾小路から唐揚げを奪い去るべきかと考えた所で、正面に座る堀北さんから小さな咳ばらいをされてしまった。
「私なりに、昨日貴方が言っていたことを考えたの」
そう言えば意見交換っていう名目で誘ったんだっけ、唐揚げを奪い合っている場合ではなかったな。
「言われてみると不審な点も多いように感じたわ……茶柱先生も本質をはぐらかすような言い回しだったし、店の中に置かれた無料商品に加えて、食堂にも同じような品があるもの」
「上級生たちも、それなりに注文してたからな」
「その必要に迫られていると考えても良いわね」
それは何故? 毎月十万ポイントを使い切ってしまったからだろうか? できなくはないだろうが、そもそも貰えるポイントが少なかったと考えることもできる。
「……ポイントは減る、その考えを否定できるだけの材料が一つも無いわ。今も食堂では明らかに余裕のある人と、余裕の無い人が見て取れる、これも一つの判断材料かしら」
「ん、俺も堀北さんと同意見だよ。じゃあ次は、どうしてポイントが減るのか、そして減ったポイントをどうすれば増やせるのかを考えよう……茶柱先生の言っていた、実力で測るって奴」
「……貴方はポイントを増やせると考えているのね?」
「減るんだから増やせもする筈だよ……減点式だと挽回の余地がなくなる」
「……」
堀北さんは思考力が高い人なんだろうな、一度考えだしたら色々と深く潜り込んで答えを探そうとする。柔軟性があるかどうかはわからないが瞬発力はあるのだろう。
「学生の実力なのだから、やはり学力でしょうね」
「テストの点数で貰えるポイントが増えたり減ったりする訳だ。ん、ありそう」
滅茶苦茶ありそうだ。百点取ったらボーナスとか。
「綾小路はどう思う?」
これまで黙って話を聞いて来た清隆にパスを投げると、彼は無表情でこう返す。
「……部活動での活躍とかも、あるんじゃないか」
「部活動かぁ、大会で優勝したりとか、文化系だとコンクール入賞とかしたらいいのかな……ん、ありそう」
「まぁ、なんとなくそう思っただけだ」
「いや、良い着眼点だと思うよ。勉強や部活で結果を残す、どちらも優秀な学生って感じだし、その辺のことは先輩あたりに聞いて回ろうかな」
「……上級生に尋ねるつもりなのかしら?」
「ん、俺たちよりも長くこの学校で過ごしているんだから、当然ながら俺たちよりも多くのことを知っている筈だ。ポイントのことも、その減り方や増やし方もさ」
「当てはあるのか?」
「ないけど、優しそうな人に尋ねれば良いんじゃないかな。誠実に頼めば誠実に答えてくれるって師匠も言ってたしな」
まだ入学して日が浅い、ポイントの件がどうなるにせよ、焦るような時間ではないだろう。
「貴方、名前はなんて言ったかしら?」
「え? 覚えられてなかったの!? 自己紹介したよね?」
堀北さんの発言がグサリと心に刺さる。お前の名前覚えてないからと言われたのは初めてのことである。
「堀北、さすがに酷いと思うぞ」
無表情が基本の清隆でさえ、僅かに呆れたような顔をしている。
「貴方の名前もよく覚えていないわ」
「……」
あ、綾小路も沈んだ。
覚えていないというよりは、覚えるつもりが無かったんだろうなぁ。
「えぇ、では改めて自己紹介をしようかな……俺は笹凪天武です。どうか宜しくお願いします」
「……綾小路清隆だ、今度は忘れるなよ」
「そうね、貴方達の態度次第では覚えておいてあげなくもないわ」
これも前進なのかもしれない。ここまで極まった孤独主義者に名前を憶えて貰えるなんて、うん、これも青春か? うん? そうなのか?
「ただし、何かわかったら報告しなさい、これから上級生に聞きに行くのでしょう?」
「……」
「異論があるのかしら?」
堀北さんの指先が鋭くこちらを狙う、まさに蛇のように。
「いえ、何もありません」
俺と綾小路は暴力に屈してしまった……まぁこれくらいならば可愛いものか、笑って受け入れられるくらいの対応だ。
放課後である。昼休みに上級生からポイント関連の情報を得ようとしていたのだが、食堂での一件で完全に予定が狂ってしまった。
さすがにゆったりとはできないのですぐに行動に移したいのだが、席から立ち上がった俺に声がかかる。
「ねぇねぇ、笹凪くん、これからカラオケでもどうかな?」
喋りかけて来てくれたのは軽井沢さんや佐藤さん、松下さんや篠原さんといった、クラスでも明るい系の女子たちであった。
既にグループが出来つつあるのか、昼休みなどでは一緒に昼食の席についているのが確認できた。
そんな彼女たちの中心には平田の姿がある。入学初日から率先して自己紹介をしたり、雰囲気作りを引っ張っていった男子生徒である。
イケメンと、美少女たち、派手で賑やかで、きっとこのままクラスの中心になっていくのだろうと推測できた。
「笹凪くん、僕も君と遊びたかったんだ、良ければどうだい?」
「誘ってくれてありがとう平田……けれど、すまないね、この後、どうしても外せない予定があるんだ」
「そうなのかい?」
「あぁ、決して平田や軽井沢さんたちと遊ぶのが嫌な訳じゃないんだ、予定が空いていたら是非とも交流を深めたいと思っている。だからまた今度、お願いするよ」
できるだけ気さくに、相手に不快感を与えないように、そして次の約束を願う言葉も忘れない。クラスの中心人物になるであろう人たちの不快感を与えるのは避けたかった。
少なくとも、堀北さんのように他者を遠ざけるような雰囲気は皆無である筈だ。これならばまた誘ってくれるだろう。
「わかったよ、それじゃあまた今度」
「あぁ、楽しみにしているよ」
平田にもその意思が伝わったのだろう、穏やかに微笑んで険悪な意思は感じられなかった。
ただ、平田の隣にいた軽井沢は少しだけ逡巡するような表情を見せて、どうすべきか迷っているような、そんな視線が俺と平田の間で行き交っている。
だが最終的には平田の傍に寄り添うような立ち位置になり、その迷いらしきものは綺麗に消え去っていく。
明るく強気な印象を与える彼女ではあるが、今しがた見せた迷いの中には弱さが見て取れる。
迷いは誰にでもあるということだろう。
「よし、行くか」
平田たちのグループと別れて教室を出る。池や山内といった男子生徒たちから嫉妬に狂った視線に耐え切れなかったこともあるので素早くだ。
目的は情報収集、主に上級生狙いである。
そう言えば平田はサッカー部に入るとか言っていたっけな、俺も何か入った方が良いんだろうか? 綾小路は部活動で活躍すればポイントが貰えるんじゃないかって言っていたし、多分間違いではないんだろう。
そう考えると部活の先輩から情報を引っこ抜くっていうのも悪くないのかもしれない。
都合よく口の軽そうな人でもいれば良いなと考えていると、前方でお団子ヘアーが目立つ女子生徒を発見した。
隣には力強い体幹を感じ取れる男子生徒もおり、他の生徒たちと同じように体育館へ向かうようだ。
確かあの二人は入学式で見かけたな、生徒会役員だったと紹介されていたはず。
「あの、すいません」
「はい?」
「どうした?」
声をかけると二人は振り返ってこちらに視線を向けて来る。やはり生徒会の役員に間違いない。
「生徒会長の堀北学さんと、書記の橘茜さんですよね? 突然に声をかけてすいません、質問したいことがあるんですが、よろしいでしょうか? 自分は1―Ⅾの笹凪天武です」
こちらを観察してくる四つの瞳、特に生徒会長の方は鋭く無駄がなく、1-Ⅾという単語に少し興味を向けていた。
「これから部活動説明会がある、時間がかかるようならば質問はその後にしてくれ」
「あぁ、いえ、そう長く時間は取らせません。生徒会のお二人はお忙しいでしょうから、一つだけこの場で質問させてください」
「良いだろう、言ってみろ」
こちらを試すような視線は今も消えていない。
「ポイント関連について一つ……来月も十万ポイントは貰えますか?」
「それについては答えることはできない」
俺の視線は生徒会長から隣にいた橘さんへと移動する。
「は、はい、それについては答えることはできません」
「なるほど……答えたくない、ではなく、答えることができない、ということですね?」
「そういうことだ」
「ありがとうございました。それが聞ければ十分です……あ、いや、もう一つだけ。先生たちに質問しても同じような返答ですかね?」
「おそらくな」
「そうですか」
箝口令が引かれているのかな、だが答えられないと言っている時点で答えを教えているようなものである。
「お忙しい中、質問に答えていただきありがとうございます」
「……笹凪天武か、励むと良い」
「頑張ってくださいね、笹凪くん」
橘先輩は笑顔でそう言ってくれたが、生徒会長の方は変わらずこちらを観察するような瞳を隠してもいない。
もしかして俺のことを知っているのか? 生徒会長なんだし生徒の情報なんかも閲覧できるのかもしれない、自分の中にある情報と目の前にある印象を擦り合わせているかのような視線だ。
部活動説明会に向かう二人を見送ってから、俺は反対方向に歩き出す。
生徒会の二人があの調子ならば他の上級生も似たようなものだろう。尋ねるだけ無駄になってしまうので、これからは監視カメラの位置を確認しておこう。まだ完全には把握できていないからな。
しかし、思っていた以上に面倒な学校なのかもしれないな、ここは。
まぁ、師匠曰く、困難もまた青春らしいから、こんな状況でも楽しむくらいが良いのかもしれない。