夏休みもそろそろ後半、茹で上がるような暑さが連日続く中で、俺はとある人物から呼び出しを受けていた。
美術部の課題も無事百点満点を顧問の先生から苦笑いと一緒に貰い、置き場所に困っていた仁王像も龍園の部屋の前に飾り付けたことで解決したのでとても気が楽な状態だったのだ。
クラスメイトから誘われて一緒に遊んだり、清隆とチェスしながら作戦会議をしたり、高校生らしく夏休みを謳歌していたのだが、見慣れない電話番号から通信があったのが今朝のことである。
「どちら様でしょうか?」
『私だけど』
「うん? もしかして神室さん?」
驚くことに電話をかけてきたのは神室さんであった。同じ美術部だけど彼女はつれない態度なので未だに連絡先を知ることができないでいたのだが、一体誰から教えて貰ったんだろうか?
「連絡してくれて嬉しいけど、誰から教えて貰ったんだい?」
『橋本、アイツは知ってるでしょ、アンタの連絡先』
確かに橋本とは連絡先を交換している。船の遊戯室で不自然に接触してきた彼のスマホを拾った時に、そのまま意気投合して一緒にビリヤードをした仲だ。
橋本経由で神室さんが電話してきたと、そういえばあの二人は同じAクラスだったなとここで思い出す。
「もしかして遊びに行こうって誘いかな?」
夏休みだしな、同じ美術部員として親交を深めるのも良いだろう。何より神室さんとは前から距離を縮めたいと思っていたのでとても嬉しい誘いである。
『馬鹿言わないで、何で私がアンタと遊びに出掛けるのよ』
「そう断言されると凄くショックだ……心ときめかせてたのに」
『はぁ……要件を伝えるわね。アンタと話したいって奴がいるの、今日時間ある?』
「時間はあるよ、部屋にいても仏像を彫ることしかやることないしね」
『なんで仏像? まぁ暇なら今から指定する所に来て』
「了解。因みに話したい人って誰かな?」
『坂柳、知ってるでしょ』
なるほど、Aクラスの二大巨頭の一人か、つまり神室さんとデートは出来ないということだな。そこは少し残念だった。
「坂柳さんね、わかったよ。すぐに向かう」
女性を待たせるのも悪いので急いで行動しよう。神室さんから送られてきた位置情報を確認してから服を着替えて素早く移動する。
相手が相手なので油断はできないが、こうして時間や場所を指定して待ち合わせるのは凄く高校生っぽくないだろうか? 俺はやりたかった青春項目の一つを今埋めているのかもしれない。
神室さんから送られてきた位置情報はケヤキモールにある完全個室のカフェであった。店の外から中の様子を確認することは出来ず、店内も区切られているので秘密の会話をするには持って来いの場所でもある。
暗い話をするにしても、秘密の共有をするにしても、持ってこいの場所と言えるのかもしれない。後はカップルの憩いの時間とすることにも向いているのだろうか。
店内はとても静かであった。区切られているので当たり前のことでもあるのだろう。
「すいません、待ち合わせしているのですが」
こういう個室を提供する店は予約制も多いと聞く、そう思って受付の店員に確認を取るとやはり坂柳さん名義で大部屋が予約されており、そこで待たせてもらうとしよう。
「うわ、高いな」
程よく広く落ち着いた雰囲気の個室はあまり馴染みのない空間でもあるな。アンティークの置物やシックな壁紙なども馴染みのない物だ。育ったのが山奥の神社なのでこういうオシャレなカフェの個室がそもそも未経験である。
試しにメニューを開いてみると、コーヒーや軽食などがやけに高く設定されている。学生相手にこれで採算が取れるのかと疑問に思うほどであった。
いや、でも、この学校の学生は場合によっては十万以上のポイントを毎月貰えるような生活を送れるのだ、これくらい強気な値段設定でも問題ないのかもしれない。ポイント貧乏にはなかなか縁が無い場所ではあるだろうが。
暫くメニュー表と睨めっこをしていると、個室の扉から柔らかなノックの音が響く。
「どうぞ」
そう声をかけると扉が開き幾人かの男女が姿を現した。先頭にいるのは杖を持った装いの坂柳さん。そのすぐ後ろに神室さんと続いて橋本が入って来て、最後に強面の男子も入って来る……最後の一人は確か鬼頭という名前だったかな?
「お待たせしてしまいましたか?」
「いや、そんなことはないよ。待たせるのも悪いと思って先に来ていたんだ。女性を待たせる訳にもいかなかったからね」
「ふふふ、そうでしたか、笹凪くんは紳士的な方のようですね」
「そうしろと教えられて来たんだ。俺がというよりその人の教えが素晴らしかったんだろう」
なにせ師匠だからな、あの人は神で、全ての路は師匠に通じているんだ。その言葉に間違いがある筈がない。
「なるほど、素晴らしい教えです」
そう言って坂柳さんは緩やかに席に座った。机を挟んで俺の正面だ。他の面々もそれぞれ腰を下ろすのだが、どうした訳か俺たちと微妙に距離がある。
まるで護衛のような立ち振る舞いであった。実際に坂柳さんはそういった役回りを橋本や鬼頭に期待しているのだろう。
橋本も鬼頭も運動能力は高いようだ。須藤ほどではなくても学年では上から数えた方が早いのかもしれない。
「改めて自己紹介をしましょうか? 私は坂柳有栖、お見知りおきを」
「初めまして坂柳さん、俺は笹凪天武です。宜しくお願いします」
挨拶は大事、しないと師匠に殴られる。
「えぇ、宜しくお願いしますね」
美しく微笑む坂柳さん、なんというかとても絵になる人であった。
彼女の瞳は俺を観察しており、こちらもまた彼女を観察している。気になるのは彼女が持っている杖だろうか。
「この杖が気になりますか?」
「あぁ、杖を持った相手には以前に酷い目に遭わされてね、つい警戒してしまった」
ただの老人だと思ってたら、仕込み刃を杖に隠したおっかない人だったんだよね。とても強い人だったと記憶している。
坂柳さんは観察する限りそんな物騒な相手ではないと思う。杖が無ければ不安になるような体幹は演技ではないだろう。もしこれが見破れないほどに高度な演技であったなら俺はもう首を落とされているかもしれない。
「そう怯えることもありませんよ、私に笹凪くんを傷つけることは不可能でしょうから。先天的な疾患を有しておりまして、杖は歩行の補助です。いきなり刃を見せるようなことはないでしょう」
「そうだったのか、安心したよ」
少し離れた位置で神室さんが「何今の会話?」と橋本に質問しており「俺が知るかよ」と返されていた。
「せっかくですからコーヒーでもいかがですか?」
「ありがとう。けれどココアの方が嬉しいかな。恥ずかしながら苦い物が苦手なんだ」
「ふふ、ではココアとケーキセットを注文いたしましょうか」
子供っぽい男だと思われただろうか? でもブラックコーヒーは舌が拒否してしまうんだ。
坂柳さんが机の上に置かれていたベルを鳴らすと、すぐに店員がやって来て注文を聞いてくる……何というか馴染みが無さすぎて凄く困惑するやり取りであった。上流階級とはこんな感じなのだろうか。
注文して待つこと数分、再び現れた店員が机の上にココアとケーキセットを並べていく。僅かに味わって舌を慣らすとそこでようやく話を進めるタイミングとなった。
「さて、笹凪くん。今日お呼びしたのは他でもありません。私は是非とも、貴方とお会いしたかったんです」
「そうなのか、だとしたら光栄だ。誰かの興味の対象になれるのは好意的に解釈できるだろうしね」
「えぇ、確かに興味があります。なにせ貴方が特別試験であれだけ大暴れした結果、こちらの予定が大幅に狂ってしまいましたから」
あれ、もしかして恨まれてる?
「坂柳さんに対する警戒の表れと、他クラスにとっては一日でも長くAクラスには身内争いを続けて欲しいという都合が合わさった結果だよ」
「そうでしょうね。もし私が貴方の立場なら同じような展開を望むでしょう」
「だよね」
超えるべき相手が身内争いを抱えているなんて、こんなに都合の良い状況はないんだから。
「あぁ、でもご安心ください。別に文句を言いに来た訳ではないんですよ」
「それはよかった。このまま袋叩きにされるかと思ったよ」
「そんなことはしません。龍園くんじゃないんですから」
「おや、龍園のことは知ってるんだね」
「それはもちろん、とても興味深い方ですから」
クスッと不敵に笑う坂柳さんは可憐であると同時に恐ろしい雰囲気もあった。見た目通りの存在ではないと深く観察しなくてもよくわかってしまうな。
さて、どんな用件で呼び出されたのだろうかと推測していると、俺の懐からスマホが震えだして着信の音が広がった。
「対応してくださっても構いませんよ」
「ありがとう、お言葉に甘えさせて貰うよ」
許しを貰ったので俺はスマホを耳に当てて通話を繋げると、次の瞬間に鼓膜を破るかのような勢いで大声が届く。
『ゴリラがッ!! はしゃぎ回ってんじゃねえぞ!!』
どうやらスマホの向こうにいるのは龍園らしい。とても激怒していると声だけでわかってしまう。
「龍園、いきなり大声を出すもんじゃないよ」
『この馬鹿デカい仁王像はお前の仕業だろうが!! どういうつもりだ!!』
「あぁそれはね、せっかく作ったから君にあげようかと思って。でも部屋を訪ねてもいなかったから扉の前に置いて帰ったんだ。大事にしてあげて欲しい」
『テメエッ―――』
彼が何かを言い出す前に通話を切ってスマホの電源を落とす。これで静かになるだろう。
「大した要件ではなかったみたいだ」
「あら、よろしかったのですか? 龍園くんはとても怒った様子でしたけど」
「彼はいつもあんな感じだ、気にする必要はないさ」
「そうですか」
坂柳さんは何が面白いのかクスクスと笑うだけである。不覚にも可愛らしいと思ってしまった。
「話を戻そうか……それで、どんな要件があって呼び出されたのかな?」
「今後のご相談でもしようかと」
「具体的にはどんな相談かな?」
「単刀直入にお伝えすると、笹凪くんと協力関係を結びたいと思っています」
「なるほど」
どうしたもんかと考え込む。この人はAクラスで影響力の強い人なので、友好関係を結べるのは素直に嬉しい上にありがたい事この上ない。
「しかし疑問もある。君と協力関係を結んだとして俺にどんな利益があるのかな?」
「尤もなご意見ですね……ふむ、将来的なAクラスへの移籍はどうでしょうか?」
試すかのようにそんなことを言った坂柳さんの美しい瞳は、俺を注意深く観察している。
「残念だけれど、あまり興味はないかな」
「あら、それはどうしてでしょうか?」
「俺はAクラスで卒業する特典に大した価値を感じていないからね。進学や就職も、そんなものは学校や国に頼らなくても自分の力で勝ち取るよ」
「強者の理論ですね」
「そう言われると困ってしまうが……まぁ、自信はあるから否定はできないのかもしれない」
そもそも俺は将来どんな仕事に就くんだろうか? 高い確率で師匠の仕事を引き継ぐことになるだろうし、その為に必要なのはAクラスでの卒業特典でないことは確実だろう。
「俺がAクラスを目指しているのは、学校側がそこを勝利条件に設定したからに過ぎない。付随する特典も、推薦や就職先の斡旋も必要ない。本当にそれだけなんだ。Aクラスへのお誘いよりも、そこを目指すことそのものに価値と意味を感じている」
「なるほど、確かにそれではAクラスへの勧誘は意味がないでしょうね。ではプライベートポイントを支払う報酬ではどうでしょうか?」
またこちらを探って観察するような瞳が向けられた。色々な言葉や報酬で揺さぶって何かしらの引っ掛かりを見つけようとしているのかもしれない。
「そちらも今のところは必要ないかな」
「あぁ、そう言えば、笹凪くんは膨大なポイントを獲得するらしいですね」
「よく知ってるね、誰から聞いたんだい?」
「さぁ、誰でしょう」
不敵に微笑む坂柳さん、その後ろの席で神室さんが少しだけ居心地が悪そうにしている。どうやら俺がポイント長者になったことは噂レベルではあるだろうが広まって来ているらしい。おそらくは美術部を中心として。
「そもそも坂柳さんは俺と協力関係を結んで、何をしたいのかな?」
「そうですね……単純に貴方に興味があることが第一、次は葛城くんから主導権を動かしたいのがあります」
「だとしたら困るな、俺としては一日でも長く身内争いを続けて欲しい」
「あら、そんなことを思ってはいらっしゃらないのでは?」
「ん……どうしてかな?」
「笹凪くんにとっては、あの契約を結んだ時点で葛城くんがどうなろうがそこまで重要ではない筈です。Aクラスに出血を強制させる契約さえ続くのであれば、誰がリーダーであろうと大差はない、違いますか?」
「そうだね、何も反論がない」
Aクラスから得た資金で特別試験を有利に立つ。それができれば坂柳さんがリーダーになって葛城が失脚したとしても問題はないだろう、契約さえ続くのならば。
「どうしようか……君は俺を揺さぶれるだけの条件を提示できないみたいだ。けれど坂柳さんの言葉を否定できる材料も無い」
「つまり……どちらでも良いということですね」
「端的に言うと、そういうことになってしまう」
「Aクラスへの移籍も駄目、ポイントによる買収も駄目、そして貴方はAクラスに挑むという行為そのものに価値を感じている……ふふ、とても交渉が難しい相手だとよくわかります」
「ごめんね、面倒な男で」
「構いませんよ、何もかもが平凡な男性よりもずっと魅力的ですから」
「ありがとう、そう言って貰えるのはとても光栄だ」
「では改めてお聞きしましょう、貴方は何を欲しますか?」
「君が提示できる報酬で最も俺が欲しいと思うものがあるとするなら……う~ん」
色々と考えてみるが、やはりこれといった物が思い浮かばない。立場もポイントも現状で満ち足りているからだ。
「坂柳さん、俺と絆を結んではくれないだろうか?」
「絆?」
「あぁ、時に争い、時に協力して……将来を語り合ったり、くだらないことを話したり、そういう関係を築きたい」
「……それは、何故でしょうか?」
「師匠……あぁ、いや、恩師の教えでね。多くの絆を結びなさいと言われている。だから俺は多くの敵と味方と友人を作りたいと思っている。友人が嫌ならば敵で、敵が嫌ならば友人で、もしくは味方や仲間でも構わない……俺はそこに強い価値を感じている」
「……」
坂柳さんはこちらを観察しながら深く考え込んでいる。俺の要求は意外な物に感じたのかもしれない。
「理由はそれだけですか?」
「他に理由が必要だと言うなら、幾らでも引っ付けるよ。Aクラスで影響力を持つ君と友誼を結びたいとか、或いは気が変わってAクラスへの移籍に前向きになるかもしれないからとか……後はそうだな、坂柳さんは美人だからお近づきになりたいとか」
最後のはさすがに気持ち悪いだろうか……うん、でも彼女が美しい人なのは間違いないから仕方がないと思う。
「ふふふ、思っていたよりも高校生らしい方のようですね」
どうやらそこまで気持ち悪がられてはいないようだ。
「仕方がないさ、男は皆バカなんだ、後ろの二人にも訊いてみると良い」
「そうなんですか? 橋本くん、鬼頭くん」
揶揄うように彼女がそう問いかけると、黙って話を聞いていた二人が体を反応させた。どうやら飛び火することになるとは思っていなかったらしい。
「え~、あぁ~……ノーコメントでお願いします」
「右に同意だ……」
「なんて言ってるけど、可愛らしい人とお近づきになりたいみたいだよ。男子高校生なんてそんなものさ」
「なるほど、勉強になりますね」
橋本と鬼頭は居心地が悪そうに視線を反らして身を小さくしてしまった。
そんな二人と俺を神室さんは呆れた目で見ている。ごめんね、こんな話を聞かせちゃって。
「ふふ、わかりました。では笹凪くん、私と縁と絆を結びましょう。貴方がそこに価値を感じるというのなら、それが私に払える最大の報酬でしょうから」
「ありがとう、坂柳さん。今後どうなるかわからないけど、この縁を俺は大事にしたいと思う」
「えぇ、こちらこそ」
坂柳さんから白い掌が伸ばされる。見た目通り華奢で脆そうな指先であった。
俺も手を伸ばしてその掌を掬い上げるように結び合う。とても華奢なので壊れてしまわないように配慮しながら。
こうして俺はまた友人が増えることになる。清隆といい龍園といい、そして目の前にいる坂柳さんといい、この学校には一癖も二癖もありそうな人が多いことに気が付く。
良い事なんだろう。敵だろうが味方だろうが縁は縁、大事にしたいと思う。
「ではこの友誼を記念して、せっかくですからチェスでもいかがですか?」
「何故、チェス?」
「その人を知り、理解したいのならば、趣味や得意な分野に触れるべきでしょう」
「なるほど、お手柔らかに頼むよ」
「それは保証できませんね……心躍る時間になるでしょうから」
妖しく微笑む坂柳さんはとてもおっかない雰囲気がある……怖いので少しだけ後悔したのは内緒であった。