ようこそ未熟者がいく教室へ   作:にやまな

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章と章の間にある小話集となります。


小話集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍園と仁王像」

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿みたいに熱い日が続く夏のど真ん中、ただでさえ面倒事が多いというのに、今日はとびっきりの面倒事が俺の予期せぬ形でやってきた。

 

 学園寮の一角、私室がある部屋の廊下、そこに仁王像が二体置かれているのがエレベーターから出た瞬間に見えてしまう。

 

「……」

 

 それが完全に無関係な奴の、どうしようもない趣味であったとしたならば何も言うまい。だがその仁王像は何故か俺の部屋の前に置かれていた。

 

 意味がわからねぇ……なんでこんなことになってやがる?

 

 やたらと迫力のある、それこそ今にも動き出しそうな二体の仁王像は、まるで部屋の主を出迎えるかのように手を扉に向けている。

 

 ご丁寧にその頭にはリボンが括られており、まるでクリスマスプレゼントであるかのように主張していた。

 

 それを確認した瞬間、スマホを取り出してこれをやらかしたであろうゴリラに連絡を取った。アイツが寮前でこの呪われそうな仁王像を作っていたのは、一年なら全員が知っていたことだからだ。

 

「ゴリラがッ!! はしゃぎ回ってんじゃねえぞ!!」

 

 笹凪天武、俺がこの学校で最も警戒して注目している、極上の獲物にして怪物。そしてどうしようもないゴリラは、こちらの怒りなどまるで伝わっていないかのように穏やかな声をしている。

 

「この馬鹿デカい仁王像はお前の仕業だろうが!! どういうつもりだ!!」

 

『あぁそれはね、せっかく作ったから君にあげようかと思って。でも部屋を訪ねてもいなかったから扉の前に置いて帰ったんだ。大事にしてあげて欲しい』

 

「テメエッ――クソ、あの野郎、切りやがった!!」

 

 こちらの都合など知るかとばかりに通話は切られ、そこから何度着信しようがゴリラ野郎が応答することはなかった。電源を落としやがったな。

 

 クソが、なんの嫌がらせだこれは……。

 

「石崎、アルベルト、今すぐ俺の部屋に来い」

 

 あのゴリラに人間の常識を語った所で無駄だろう。アイツはどうしようもないゴリラで頭まで筋肉で出来てるような男だ。おそらく何故と問いかけても意味がない。

 

 この呪われそうな迫力を持つ仁王像を持って帰れと言っても、おそらく受け入れない。なぜならゴリラだからだ。

 

 何より恐ろしいのは、あのゴリラがこの行為を下手したら善意でやっているかもしれない点だろう。

 

 誰か、あのゴリラに人間の常識を教えやがれ……鈴音、お前には期待してる。

 

「龍園さん、どうし……えぇ、なんですかコレ、本当にどうしたんですか?」

 

「oh……nioh」

 

 呼び出した石崎とアルベルトは部屋の前に置かれている二体の仁王像を見て呆然とした様子を見せる。極めて常識的な反応だ、ゴリラは見習え。

 

「これをゴミ捨て場に置いてこい」

 

「良いんすか? なんか高そうに見えますけど」

 

「ゴリラの嫌がらせだ……わざわざ付き合う必要はねぇ、さっさと捨ててこい」

 

 この嫌がらせの報復は必ず行う。舐められたままでいられるか。

 

 そんな決意を抱いたはいいが、俺はあのゴリラの執念と嫌がらせに対する行動力を舐めていたと知ったのは、次の日の朝だった。

 

 

「なんだと……」

 

 

 翌日、早朝、部屋の扉を開けた瞬間に、昨日捨てさせた筈の仁王像が、部屋の前に並んでいやがった。

 

 苛立ったのは言うまでもない。どうやらあのゴリラは夜中の内にわざわざゴミ捨て場から仁王像をここに運んだらしい。

 

 このクソ重たい仁王像を、何度も何度も運ぶ執念はどこから出てきやがる……。

 

 

 

「石崎ィ!! アルベルトぉ!! 今すぐ部屋に来てこいつを捨ててこい!!」

 

 

 

 あぁ、そうだとも、俺はここに来てまだゴリラの執念を舐めていたんだろうぜ。

 

「なん……だと?」

 

 更に翌日、捨てた筈の仁王像はまた部屋の前に並べられていた。頭の奥で何かが切れた音がしたと同時に、すぐさまゴリラに電話をかける。

 

 幾度かのコール音の後、こちらの状況などまるで理解してないとばかりに、ゴリラは欠伸と共に通話に応じた。

 

「おい……クソゴリラが、いよいよ死にたいらしいな」

 

『急にどうしたんだい?』

 

「とぼけんじゃねぇッ!! 何度も何度もゴミ捨て場から仁王像を運んでんだろうがッ!!」

 

『龍園……それはどういうことだ? 俺はそんなことしてない』

 

「あぁん?」

 

『俺はそんなことしてないって。君にあげた物なんだ、君がどうしようと君の勝手だ。ゴミ捨て場に持って行ったのなら、それで話は終わりだろう?』

 

「テメエ、この期に及んでとぼけてんじゃねえぞ」

 

『全く心当たりがないから俺も困ってる……いや、まさか』

 

 深刻な声色がスマホの向こう側から届く、本気でこちらを心配するかのように。

 

 どういうことだ? 仁王像を運んだのはゴリラじゃない?

 

『龍園、注意して聞いてくれ……美術界には呪いの美術品というものが存在するんだ。髪が伸びる日本人形、人々を不安にさせる絵画、所有者を次々と殺す血塗られた宝石、独りでに移動する西洋人形、曰く付きの美術品というのは長い歴史の中で多く生まれて来た……もしかしたらその仁王像も、そんな魔性が宿ってしまったのかもしれない』

 

「何の話をしてやがる」

 

『冗談で言ってる訳じゃない……あるんだ、所謂オカルトって奴がさ』

 

「……」

 

『きっとその仁王像は、君に捨てられたくなくて、自分たちだけで戻って来たんじゃないかな……怖いなぁ、怖いなぁ』

 

 そんなことを言いながらゴリラは通話を切った。まるで恐ろしい何かから逃げるかのように。

 

 一人残された俺は、部屋の前に置かれている呪われそうなほどに迫力のある仁王像たちと視線がぶつかってしまった。

 

 オカルトだと? 馬鹿も休み休み言え。

 

「石崎、アルベルト、度々悪いが、また頼みたい」

 

 まぁなんだ、一応、念の為、万が一に備えて部屋の前に塩くらいは撒いておくか。

 

 石崎とアルベルトに運ばれていく仁王像たちの目は『俺たちをまた捨てるのか?』と問いかけているように見えなくもないが、気のせいだろう。

 

 いや、そもそもオカルトなんてありえねぇ……絶対にだ。奴の話術に乗せられそうになっているに違いない。

 

 仁王像が独りでに動いて帰って来る? 三文小説にもならないくらいにつまらない冗談だ。

 

 だが俺はクラスを統べる王、些細なことだろうがそこが後顧の憂いならば断っておくに越したことはないだろう。

 

 

 オカルトなんざ信じてはいねぇ、だが1パーセントでも可能性があるのなら見過ごす訳にもいかなかった。

 

 その日の夜、俺は寝ることなくその時を持った。午前中に捨てさせた仁王像がどのように部屋の前に戻ってきているか確認する為に。

 

 耳を澄まして扉に近い位置で待機すること数時間、時刻は深夜三時を回った辺り、遂に部屋の前で動く気配を感じ取る。

 

「来たか……」

 

 オカルトか、それともゴリラか、答えはわかりきっていたことだがゴリラだった。

 

 

「わ、わ、わ、忘れ物ぉ~」

 

 

 よくわからない歌を口ずさみながら、ゴリラはゴミ捨て場に置いてあった筈の仁王像を俺の部屋の前に設置するのが、扉の覗き穴から確認することができる。

 

 あのクソゴリラがッ!! 何がオカルトだ!!

 

「やってくれたなぁ、おいッ!!」

 

「ヤバい、ばれた!!」

 

「お前ら出て来い!!」

 

 制裁を加えようと扉から出た瞬間に、ゴリラは脱兎の如く逃げ出そうとするが、それを遮るかのようにエレベーター前にある部屋の扉が開いて石崎とアルベルトが姿を現す。

 

「テメエ、龍園さんに散々迷惑かけてこのまま逃げれると思ってんのか!!」

 

「badboy」

 

「ゴリラを押さえろ、絶対に逃がすな!!」

 

「悪いな、脱出ルートは一つじゃない」

 

 ゴリラは自信あり気にそう言うと、何の躊躇もなく寮の廊下の至る所にある窓ガラスを開き、そこから飛び降りて見せる。

 

「死ぬ気かよ!?」

 

 慌てて石崎が手を伸ばして阻止しようとするが、指先は空を切ってゴリラを掴むことはなかった。

 

 さすがに死んだか? いや、あいつの身体能力は異常なレベルだ、これくらいの高さなら何も問題はないはず。

 

 そんな予感は正しかったのだろう。窓から地上を眺めてみると、そこには赤いシミもゴリラの死体も確認できず、ただ凄まじい速度で走り去っていく影だけが微かに見える。

 

「どうなってんだアイツの体は……」

 

「石崎、ゴリラに理屈を求めるな」

 

 そんなことよりも今は重要なことがある。あのバカでかい仁王像だ。

 

「今度こそ二度と持ってこれないように、徹底的に粉々にして焼却炉にぶち込んどけ!!」

 

 ようやくあの呪われそうな迫力を放つ仁王像からおさらばできる。それが重要だった。

 

 

 後日、笹凪からは悪ふざけの謝罪としてかなりの額のプライベートポイントと、無人島での肉の礼としてハムとソーセージの詰め合わせが贈られて来ることになる。

 

 食い物とポイントに罪はねえ、これで納得しておいてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天才と超人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界には数多くの才能が存在する。幼いながら高度な思考や知識を持つ者、人類最高峰の身体能力を持つ者、或いは音楽や芸術的な才能を持つ者。

 

 持論ではあるが、人類の性能はDNAに刻まれた以上のスペックを出すことはできない。努力と鍛錬である程度の差は埋められたとしても、根本的な違いがそこにはあるのでしょう。

 

 それが才能、或いはギフトと呼ぶべき力。

 

 極限の努力が天才に迫り勝てるのだろうか? 果たしてそれは天才と呼べるのだろうか? あの白い部屋にいる彼を見た時からそれは私の至上命題になったのかもしれません。

 

 私の記憶に強く刻まれている人物は二人、白い部屋にいる少年は今も記憶の片隅に、そしてもう一人は目を焼き尽くすほどの存在感と光で瞼の裏に今もいますね。

 

 緩やかに瞼を閉じると、あの美しく力強い光を不思議と思い出す。人間が遥か太古に置き忘れてしまった何かを持つ、そんな女性。

 

 父の知り合いだというその人と出会ったのは五歳の頃、僅かな時間でしたがチェスを教えてくれましたね。

 

 私が知る限り、至高という言葉がこの世で最も似合う、そんな人に愛弟子がいると知った時の驚きは大きかったものです。

 

 だってそうでしょう、あの人に付いていける存在だなんて……それはどれほど巨大な才能の原石なのかと考えずにはいられません。

 

 そんな至高の人が導いた愛弟子、笹凪天武くんが今、私の目の前にいる。

 

 はしたないと自覚しながらも、唇が緩んでしまいます。

 

「ん……強いね、坂柳さん」

 

 予約したカフェの個室で笹凪くんはそう呟く、私たちが挟む机の上にはチェス盤と駒が置かれており、たった今対局が終った所でした。それも私の勝利で。

 

 先攻後攻を入れ替え二度の対局、どちらも私の勝利となりましたが、笹凪くんは悔しがるでもなく苛立つでもなく、納得したようにそう言ったのです。

 

「小手調べはこの辺で終わりにしましょうか?」

 

「そうは言われてもね、二戦ともこちらの敗北で終わってしまったんだ。文句のつけようがない完全敗北だよ」

 

「ふふ、そうは言いますが、まだ余力のあるように感じましたよ?」

 

「そうでもないさ」

 

 クスっと、笑みを浮かべた笹凪くんは口直しとばかりにココアを飲もうとしますが、カップの中が空であったと気が付いて戻していく。

 

「ふむ、少し不服ですね、私は全力を出すに値しないと言われているような気分になってしまいます」

 

「ん、だとしたら、なるほど、失礼なことをしたのかもしれないな……」

 

「そうですね、では貴方のやる気をを引き出す為にも、ここは勝敗に報酬を付けましょうか?」

 

「報酬?」

 

「えぇ、どのようなものを望まれますか?」

 

「なら、ココアのおかわりをお願いできるかな? そっちが勝ったらどうするんだい?」

 

「その時は、笹凪くんはAクラスに来て貰い、私の協力者になって貰います」

 

「……俺はAクラスでの特典には興味がないと言ったと思うけど」

 

「そうですね、ですがこれは交渉の条件ではなく、勝敗の報酬の話ですから。この勝負で笹凪くんが敗北すれば、貴方は私の戦利品となるのですよ」

 

「なるほど、これは一本取られたな……それなら、この一戦は負けられないらしい」

 

「ふふ、その気になられたようで良かったです、では真剣勝負と行きましょうか?」

 

 カフェの机を挟んだ向こう側にいる笹凪くんの雰囲気が変わっていく。

 

 ただでさえ人の視線を引きつける引力が漏れ出ているというのに、それを抑えようとしなくなる。そして引力とは真逆の迫力のようなものも吹き出ており、矛盾した存在感でありながら不思議と調和が取れていく。

 

 あぁ、私はこの存在感を知っている。瞼を閉じれば思い浮かべることのできるあの人によく似ているからだ。

 

 人類が太古に置き忘れてしまった何かを、彼もまた持っているのだろう。

 

 これだけの輝きを見せられれば、大半の人間は黙るしかありません。生物として住まうステージが異なると言葉も無く説明されてしまうからです。

 

「ッ!!」

 

 私の背後で鬼頭くんが立ち上がった気配があり、雰囲気の変わった笹凪くんとの間に割って入ろうとしますが、彼が一歩踏み出した瞬間に視線一つで縫い付けられてしまいました。

 

 その心意気は素晴らしく、護衛役として完璧な振る舞いです……ですが、相手が悪すぎましたね。彼を責めることはできないでしょう。

 

「鬼頭くん、ありがとうございます。ですが大丈夫なので、席に座ってください」

 

「危険だ……」

 

「あまり、この時間に雑音を挟みたくないんです」

 

「わかった……」

 

 鬼頭くんも笹凪くんが放つ雰囲気と迫力に歯向かうことはできないのか、大人しく席に腰を下ろしました。相手が悪すぎるだけで護衛役としては百点満点ですね。橋本くんはぜひ見習って欲しいものです。

 

「さて……始めましょうか」

 

「坂柳」

 

 雰囲気だけでなく言葉遣いも変わってしまった彼は、瞳の奥にある狂気を隠そうともしないまま私の名前を呼びました。

 

「己の矜持に、恥じぬ戦いにしよう」

 

 その瞳がこちらを射貫く度、その意識が肌を撫でる度、体と精神が押しつぶされてしまいそうな重圧となってこちらに向かってくるのがわかる。

 

 あぁ、良かった、貴方は間違いなく、あの方の弟子なのですね。

 

 

 天才という器を、本物の狂気で改造した存在だと確信が得られました。

 

 

 彼は天才ではない、怪物でもない、ましてや凡人でもない。それらとは何もかもが異なる存在だった。

 

 彼を評する言葉で最も正しい表現……それはきっと超越者、超人だ。

 

 

「ふふッ」

 

 はしたないとわかっていながらも、いやらしい笑みが隠せない。こればかりは許して欲しいものですね。

 

「楽しみましょうか……天武くん」

 

 興奮と熱に背中を押されるまま名前を呼んでしまう、これではまるで男女の情事のようになっていますね、冷静にならないと。

 

 

 視線と視線が絡み合う、不思議な光を宿す彼の瞳に映る私は、自分でも驚くほどに興奮しているのが見て取れます。

 

 今更、取り繕っても意味はないので、今はこの時間を楽しむとしましょう。

 

 だから私は慈しみながら、そして愛おしそうに、触れがたい何かを汚すかの如く、緊張と共に駒を動かしました。彼に挑むという時間を噛みしめるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「葛城の悩みを解消する最も効率的な最適解」

 

 

 

 

 

 

 

「本気でやるつもりか?」

 

 俺はこの作戦を考えた人物に、数え切れないほどした質問をまた繰り返す。

 

 いい加減しつこいと言わんばかりの顔をする相手は、一年生の中でも突出した存在感を放つ男、名を笹凪天武。

 

 異質異常な身体能力を持ち、他の追随を許さないような思考の瞬発力を持つ、悔しながら一年生では最高の総合力を持つ男だ。

 

 特別試験で関わる中で、その異常性をいかんなく発揮した結果、今では誰もが一目置く存在となったことだろう。

 

 そんな笹凪にまた俺は同じ確認を行う。自信もやる気もあるのだろうが、それでも止まって欲しいと願いながら。

 

「しつこいよ葛城、やると決めたならどっしり構えて結果を待つんだ」

 

「他者の命を危険に晒してまで望むことではないと考えているだけだ。やるにしても、もっと別の方法を考えるべきだろう」

 

「その方法が思い浮かばなかったから、この作戦で行くんだろう? 大丈夫だよ、俺の身体能力は知っている筈だ。この程度の距離なら大した問題じゃない」

 

 そう言って笹凪は大きめの水筒の蓋を開けて、中身が空であったことを確認してからスマホを投入した。

 

「ほら葛城、妹さんへのプレゼントと発送票もここに入れるんだ。強く蓋を締めておけば水浸しになることもないだろう。ここまで来たら腹を括るんだ」

 

「……わかった」

 

 散々悩んだ結果、俺は妹への誕生日プレゼントを水筒の中に投入する。

 

 すると笹凪はその場で衣服を脱ぎだして既に装着していた水着姿となる。脱ぎ去った衣服は折りたたんで布団などを薄くして収納する為に使う真空袋の中に投入した。そしてそれも水浸しにならないように丁寧に密封していく。

 

 服とスマホと妹へのプレゼント、それら三つが水に浸からないことを確認した笹凪は、それらが入った鞄を背中に背負う。どうやらその鞄は濡れても構わないらしい。

 

「それじゃあ、ちょっと泳いで向こう岸にまで行ってくるよ」

 

「本気でやるんだな?」

 

「困ってるんだろう?」

 

「それはそうだが……」

 

「この程度の距離で溺れるような体じゃないよ。ほぼ間違いなく向こう岸に着いて、ちゃんとポストにプレゼントを入れる所を動画に撮って帰って来るさ」

 

 そう、それが笹凪が考えた作戦であった。

 

 この学校は海上の埋め立て地に建てられており、出入り口は厳重に管理された橋が一つだけ、そこを通る以外に外部に接触する手段がなく、この学校は物や人の流れは必ずそこを経由しなければならない。私的な物品のやり取りは必ず露見してしまう。

 

 ならば、別のルートから物を動かしてしまえば学校側に見つかることは無いと言ったのが笹凪で、この男はその手段として向こう岸まで泳ぐという手段を提示した。

 

 正直に言わせて貰うならば、他人の命を危険に晒してまで妹へのプレゼントを贈るつもりはない。ないのだが、笹凪は不思議な説得力があり、ズルズルとここまで来てしまった。

 

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 

「特に深い理由はないよ。誰かが困っていたらとりあえず手を差し伸べるさ。そして俺にできることならやれば良い、海を泳いで向こう岸に行くなんてそこまで難しいことでもない、空を飛んで行くよりもずっと簡単だ」

 

「……」

 

「あ、でも、タダ働きはあれだから、ちゃんとポイントは貰うからそのつもりでいてね?」

 

 笹凪はこちらの返答を待つこともなく、監視カメラの無い学園の端から、海の中に飛び込むのだった。

 

 そして凄まじい速度で泳いでいく。あまりにも早すぎるので自分の目を疑う程である。

 

 その数十分後、何も問題はなかったのか、俺のスマホにはしっかりとポストに妹へのプレゼントが投函される動画が送られてくることになる。

 

 嬉しくはある、だが安堵の方が遥かに大きかった。二度とこんな滅茶苦茶な行動を許容する訳にはいかないと、固く誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠のお仕事」

 

 

 

 

 

 

 

 目の前にいるのは凶器と爆薬を持った男、そして狙いは私、わかりやすいくらいに強者と弱者が線引かれたこの関係は、この場の主導権がどちらにあるのかとハッキリと示していた。

 

 暴力を持って自らの思想や望む結果を引き寄せる、そんな連中は古今東西どこにでもいて、それはこの現代日本でも変わることはない。現に私の前には銃と爆薬をチラつかせてこの飛行機をハイジャックする男たちがいた。

 

「議員、私が望むことはそう多くない、ただ同胞たちの釈放だけなんですよ。美しい友情を守りたいだけなんです」

 

「美しい友情? 行き過ぎた思想を持ったテロリストが何を偉そうに」

 

「おやおや、ご自身の立場がまだ理解できていないようだ。この飛行機には沢山の民間人が乗っておられることをご存知ないらしい。試しに親子連れでも処理いたしましょうか? そうすれば議員も我々に協力的になるかもしれない」

 

「無駄なことはするな、政府はテロに屈することはない」

 

「おぉ、素晴らしい度胸だ。ではさっそく――――」

 

「待て」

 

「気が変わるのが早いようで何より」

 

「まずは民間人の解放が条件だ。人質は私一人がいればそれで十分だろう。この飛行機から解放してやって欲しい……そうすれば私が政府との窓口になろうじゃないか」

 

「またそれですか……既に譲歩して百人は解放しているというのに」

 

「だから、人質は私だけで十分だ」

 

「議員一人だけなら、尊い犠牲と判断されてしまうかもしれないので、それは難しい」

 

 だろうな、まぁこのままのらりくらりと時間を稼ぐしかない……おそらくはまぁ、そろそろアレが来るだろうから、もう少しの辛抱だ。

 

 既にこの飛行機がハイジャックされて十時間は過ぎ去っている。相応の準備は整っている筈だ。

 

 それはつまり、あの女がいよいよ出張って来るということである。

 

 のらりくらりと会話を長引かせているだけでは限界があるのだ、頼むから早く来てくれ。

 

 そんな祈りが通じたのかどうかはわからないが、この飛行機に巨大な破砕音と振動が広がるのだった。

 

 あぁ、ようやく来たか、これでやっと解放される。

 

 

「なんだ? おい、何があった!?」

 

 目の前にいた男が慌てて無線で通信を行い状況確認をしようとするのだが、それよりも早くそいつはやって来た。

 

 形容し難い粉砕音と共に、頑丈な筈の飛行機の壁を吹き飛ばして外から人影が侵入してくる。驚くことに素手でそれをやってのけたその人物は、壁の破片や強化ガラスをまき散らしながら男を吹き飛ばす。

 

 銃で武装した男は引き金に指をかけることすらできないまま、トラックに轢かれたかのように吹き飛ばされて飛行機の壁や床を跳ねながら最終的にはトイレに突っ込んだ。

 

 それは暴力の化身だった。破壊の使者だった。災害を人の形に加工したかのような存在だった。

 

 見た目だけはこの世の物とは思えないほど美しい女性なのに、その一挙手一投足は嵐と破壊が付随することになる。

 

 飛行機の壁を突き破って機内に侵入したその女は、目にも止まらぬ速さで次々と獲物を刈り取っていく。まるで百獣の王のように。

 

「弱者しかいない、悲しいね」

 

 そう言い残してあの女は次の獲物を探して嵐と破壊を巻き起こしながら機内を突き進んでいくのだった。

 

 相変わらず、とんでもない女である。本当に人間なのだろうか?

 

「議員、ご無事ですか?」

 

 だがこれで安心だと溜息を吐くと、男なのか女なのかよくわからない人物から声をかけられた。まだ若くこんな場所にいるのは不釣り合いに見えるのだが、不思議と有無を挟ませない存在感を持っていた。

 

「飛行機、壊しちゃってごめんなさい」

 

「まぁ彼女はいつもあんな感じだからな……」

 

「あまり叱らないでください、師匠も悪気がある訳じゃないんです。説得したんですけど壁を壊した方が早いって言って聞かなくて」

 

「それは良く知っている……まぁあの人を叱れる人間はこの国にはいないから、心配しなくてもいいよ」

 

「ありがとうございます。それじゃあ俺はコックピットの方を制圧してきますので。議員はもう少し待っていてくださいね」

 

「あ、あぁ……大丈夫なのか?」

 

「はい、何も問題はありません」

 

 少年、或いは少女は、特に気負うこともなく駆けだす、飛行機で最も頑丈な筈の扉をシーツを剥ぎ取るかのようにこじ開けると、そのままそこを占拠していた連中を制圧してしまった。

 

 銃声が幾度が響いたが、コックピットから操縦士たちと一緒に無傷で出て来た時は、変な夢でも見ているかと思ったほどである。

 

 確かあの怪物女には弟子がいると聞いたことがあるな、何の冗談かと思ったがどうやら事実であったらしい。可哀想に、怪物に育てられるだなんて。

 

 そう言えばその話を聞いた時、綾小路先生辺りは、苦虫を噛み砕いたかのような渋面を作り、同時に憐れむような顔をしていたっけな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいはい、またこれか、もう慣れた」

 

 

 ここ最近、というか入学してからよく見るようになった夢からオレは目覚める。

 

 知ってた、そろそろ来るとも思っていた。なんだったら楽しみにしていたまではある。こうなったら自棄だ。

 

 目を覚ましてベッドから体を起こすと、付けっぱなしだったテレビには、過去の凶悪事件を紹介する歴史ドキュメンタリー番組が流れていた。きっと変な夢を見たのはこれが原因なのだろう。

 

 実際に日本で起こった事件を紹介して、コメンテーターや芸能人が何やら議論する、そんな番組である。

 

「おはよう清隆……晩飯、そろそろできるよ」

 

 部屋の中には天武の姿がある……そう言えばチェスをしながら作戦会議をしていたんだったな。負けた罰ゲームとして天武が食事を作っている間に、どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「怖いよねぇ、こんな事件が起こったらさ」

 

 天武はできたばかりの晩飯を台所からこっちに持ってきた時に、テレビに流れている凶悪事件を眺めてそんなことを言った……何故か懐かしむかのように。

 

「そうだな……」

 

 何も言うまい、オレが見たのはただの夢なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

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