綾小路視点
笹凪天武という男の話をしようと思う。
オレの友人であり相棒、そしてオレが知る限り、最も人間離れした人間だ。クラスの中心人物として頭角を現すであろうことは入学式の時点でわかっていたことだが、こちらの想定を遥かに超えて活躍してくれたと思う。
一般的な発想や考えを逸脱した思考力と行動力は素直に賞賛できる。オレだけでなくおそらくクラスメイトの全てが天武がこのクラスにいてくれて良かったと思っているだろう。
強い意思と、他の追随を許さない身体能力、極まった思考力と発想力、そして視線と意識を引きつける存在感。
その異質異常な身体能力に目を奪われがちではあるが、天武が最も優れているのは実はそのカリスマ性なのではと考えている。
世の指導者の中には、演説一つで世論を変えてしまう者もいるという、おそらく天武も同じような力を持っているのだろう。
引力、と言っても良いのかもしれない。その言葉は不思議と耳朶に残り、精神に干渉してくる、そんな力を持っている男だ。
平時でもそんな雰囲気があるのだが、天武が言う所の師匠モードになると、その引力と存在感が一気に跳ね上がる。
それを恐ろしいと感じる者もいれば、妖しい魅力に感じる者だっている筈だ。どちらにせよカリスマと言うべきなんだろう。
演技や練習によって辿り着ける偽物のカリスマではない、真の意味でその言葉と動作に重みを付与する、本物の存在感がそこにはあった。
そんな天武は、グラウンドに集まった男子たちに、今日もまたあの逆らい難い雰囲気を発しながらこう檄を飛ばす。
「貴様らはクソだ!! いや、それ以下のゴミムシだ!! トロトロ走るんじゃない!!」
体育祭開幕までのあと半月ほど、オレたちBクラスは今日もまた戦士の入口に立つ為の訓練を続けていた。
天武曰く、一カ月で身体能力は跳ね上がったりしない。整えるべきは心の方らしい。
言いたいことは、まぁわかる。納得もできる。だからといってクラスの男子全員に重しを付けて走らせるのはどうなんだろうか?
「なんたる様だ、貴様らは戦士でも無ければ人間でもない!! ただその体からクソをひねり出す為に存在するクソ袋でしかない!!」
天武が言う所の師匠モードでそんなことを言われてしまうと心に来るものがある。不思議と逆らえないのだ。内心では不満を抱えていても言葉にすることができない。おそろしい男である。
「いいか俺の楽しみは貴様らが苦しむ顔を見ることだ!! 金玉をぶら下げておきながらゴミムシ同然に生きることしかできない宇宙で最も哀れな生き物を踏みつけることだ!!」
この訓練が始まる前に、天武はなにやら外国の映画を見ており、どうやらそれに感化されてこんな訓練をしているらしい。
だから今日もBクラス男子たちは重しを背負って走る……オレは何をしているんだろうな?
幸村は死にそうな顔をしているし、池や山内だってそれは同じだ。須藤と高円寺辺りは何故か平気な顔をしているが、アレらは特殊な人間だろう。
よく高円寺を参加させられたものだ、どうやって説得したんだろうか?
「さぁ走れ走れ走れッ!! この世で最も劣ったクソムシにできるのはそれくらいだろうが!!」
こんな訓練をオレたちはもう半月ほど続けている。最初は脱走者も出たのだが、天武に引きずられて戻って来るので誰もが諦めているらしい。
この戦士の訓練を乗り越えるしか、残された道はないのだ。
「ぐぁ……も、もう、無理」
「また貴様か山内……所詮貴様の根性などその程度のものだ、一体どこに金玉を捨てて来たんだ。もう走れなくなったのか?」
過酷なランニングに耐え切れなかったのか、山内がグラウンドに倒れこむ。仕方がないことではあるがそれを鬼軍曹は許しはしなかった。
「ならば家に逃げ帰って貴様が大好きな櫛田桔梗とやらの写真を抱いて寝るがいい!! まぁ尤も、貴様のような金玉を捨てたとんでもない腰抜けが惚れるような相手だ、さぞや救いようのないアバズレなのだろうな」
「き、桔梗ちゃんの悪口を言うなよぉ!!」
惚れている相手の悪口を言われて山内はボロボロだった筈の体を起こして勇敢にも天武に殴りかかった。しかしそれを軽く躱すと軽やかにカウンターを決められてしまう。
再び地面に倒れ込んだ山内は涙と鼻水で顔を汚しながら、悔しさと屈辱感で震えている。
「何度でも言ってやろう!! 櫛田桔梗はアバズレだ!!」
やめておけ天武、グラウンドの端っこでこっちも見ている櫛田がとんでもない形相で睨んでいるぞ……その辺にしておいたほうが良い。
「違うと思うのならばやる気と根性を見せるんだ!! 重しを抱えてあと十往復!!」
「チクショウッ!! チクショウ~~~ッ!!」
「そうだ走れ!! 少しは男を見せろ!! クソをひねり出すだけのクソ袋でないと証明してみせろ!! ケツがデカいだけのアバズレを追いかけている場合ではない!!」
あ、ヤバい、櫛田がこっちにニコニコとした笑顔で近づいて来た。そして背後から天武の肩を掴む。
「笹凪くん、ちょっとこっちでお話しよっか?」
「あ、はい」
その後、天武は滅茶苦茶櫛田に怒られたらしい。
後日、また訓練が開始される。この辺りになると不思議なことに訓練に不満を訴える者はいなくなった。ただ機械的に体を動かして体を痛め続けるだけの毎日である。
幸村は相変わらず死にそうな顔をしているが、虚ろな瞳のまま皆の行動についてくるだけになってしまった。生きた屍のようになっている。
どこから持ってきたのか、Bクラスの男子たちは剣道着と防具を身に纏い、手には竹刀を持って二人一組となり打ち合いを続けていた。
「いいか!! 今の貴様らは人間以下のゴミムシだ!! 名も無きクソだ!! 俺の訓練に生き残れたその時!! 初めて戦士の入口に立てるだろう!!」
天武の逆らい難い声と存在感でそう言われると、体の奥から熱が込み上げて来る。ここまで人格否定をされて悔しいという思いと怒りは手に持っていた竹刀に込められるのだ。
この剣道の訓練が始まった初日、防具と武器があることから気が大きくなって勇敢にも何名かのクラスメイトが徒党を組んで天武をリンチしようとしたのだが、一瞬で制圧されて心を折られてしまったらしく、今では大人しく竹刀を振っている。
「俺は貴様らを憎み、軽蔑している、俺の仕事は貴様らゴミムシの中からどうしようもないフニャチン野郎を見つけ出し切り捨てることだ!!」
込み上げて来る怒りを竹刀に乗せて目の前の相手にぶつけていく、そして目の前の相手もまた同じようにこちらに竹刀をぶつけてくる。その繰り返しだ。
「勝利の足を引っ張るゴミムシ野郎は容赦しないから覚えておけ!! その股座にぶら下がったチンケな物をしっかり滾らせて付いて来い!!」
何度も何度も竹刀で相手と叩き合う、技術も何もないそれはただ闘争本能だけを底上げするかのような訓練であった。
「ワザと負けて目立ちたいか!! 痛いフリをして同情を引きたいか!! 負け犬根性が染みついているからそんな思考になるんだ!! 目の前にいる相手をただ叩き潰せ、それ以外の結果はいらん!!」
何故だろうな、ホワイトルームを思い出す。なので正直止めて欲しい。
グラウンドのど真ん中でこんなことをしていれば、当然のことながら目立つ、どこからか生徒会に苦情が伝わったのか、生徒会長の堀北兄がやって来て眼鏡を指で整えながらこう言った。
「笹凪、苦情が幾つか生徒会に寄せられている。説教をするから付いて来い」
「あ、はい」
その後、天武は生徒会長に滅茶苦茶怒られたらしい。
更に数日後、懲りることなく天武の訓練は続いていた。今日はサンドバックを無心でただひたすらに殴り続けるだけの訓練である。
やはり技術も何もない、闘争本能を増幅させるだけの行為ではあるが、クラスメイトたちは鬼気迫る顔で拳を振るっていた。
サンドバックにはどこから入手したのか、邪悪な笑みを浮かべた龍園の顔写真が張り付けられており、オレたちはそれをひたすら殴り続ける。
あの幸村でさえ、今や何の躊躇も無く龍園の顔写真を殴りつけている。他の男子たちだって同じだ。グラウンドには何度も何度も殴打の音が響く。
誰もが皆、龍園の顔写真を殴りつけていた。
「泣くことも笑うことも許さん!! ただ目標を駆逐しろ!! 貴様らがどれほど愚かであろうとそれくらいはできる筈だ!! 池、何をやっている? そんなへっぴり腰で敵が殺せるか!! こうだ、こうッ!!」
天武が拳を握って龍園の顔写真が張り付けられたサンドバックを殴りつけると、中から爆薬が炸裂したかのようにサンドバックは砂をまき散らして弾け飛んでしまう。
「腰に力を入れろ、このウジムシがッ!!」
「yes、sir!!」
可哀想に、池はもうそれ以外の言葉を喋れなくなってしまったらしい。
「いいか屑ども、掴んだら必ず壊せ!! 突っ込んだら必ず引っこ抜け!! それで九割方は殺しきれる、復唱しろ!!」
「「「掴んだら必ず壊せ、突っ込んだら必ず引っこ抜け!!」」」
一糸乱れぬ復唱がグラウンドに響き渡る、そんな俺たちを何事かと偵察しているのは他所のクラスだろうか? こっちを見てドン引きしているのが確認できた。
「お前たちの弱さは技術以前の問題だ!! そんな貴様らにできることはただ魂と血潮を燃やすことだけだ!! 身を焦がすほどの怒りを拳に込めろ!!」
天武のカリスマ性のある声と存在感に引っ張られてクラスメイトたちはより力強く龍園の顔写真を殴りつける。
オレもまた同じように力を込めて殴りつけた。
そうやってただ拳を打ち付けていると様々なことが思い浮かんでは消えて行く。この学校に来た意味、あの父親の顔、ホワイトルーム、そしてオレ自身の存在。
それら全てを粉砕するかのようにサンドバックに張り付けられた龍園の顔写真を殴り飛ばすのだ……すると、不思議なことに気が晴れていく。
つまらないことで悩んでいたと、そう思えて来るのだ。
そうか……これが自由ってことなのか、こんな単純なことだったんだな。
「笹凪……いい加減にしろ」
「あ、はい」
ただ、こんなことをしていればやはり目立つ、天武はまた生徒会長に連れていかれるのだった。
その後、天武は生徒会長に滅茶苦茶怒られたらしい。
体育祭開催まであと数日、この一か月間、あらゆる罵倒と苦痛をその身に浴びて来たBクラス男子チームは、全員が一人の男の顔になっていた。
「今日を持って貴様らは無価値なクソ袋を卒業する」
あれだけ死にそうな顔をしていた幸村も、この世の終わりのような雰囲気でなんとかついて来た池や山内も、不思議と男らしい顔つきになったとさえ思う。博士でさえ少しやせたようにも見えた。
誰もが皆、背筋を伸ばして、力強く立っている。まるで戦士のように。
そんな男子チームをグラウンドにある壇上から眺めた天武は、この一カ月間、見せることのなかった穏やかな顔を見せる。
「今日より貴様らは、一人の戦士である!!」
壇上に立つ天武はいつも以上に力強い存在感を放っている。その姿は人間が太古に忘れてしまった何かを持つ、どこか神秘的とも言える雰囲気であった。
ああ、きっと彼は矢の雨が降ろうとも、銃弾に晒されようとも、立ち止まることなく進んで行けるのだろうなと、根拠の無い確信を抱かせる、そんな男である。
「これから先、貴様らは戦地に赴くことになるだろう。戦友の絆に結ばれた貴様らがくたばるその日まで、Bクラスは貴様らの兄弟であり、戦友だ!!」
グラウンドの端っこで、眉を顰めて疲れた顔をしている茶柱の姿が確認できた。お前たちは何をしているんだと言いたげな瞳をしている。
「ある者は道半ばで倒れるだろう、またある者は二度と帰ってはこれまい……だが肝に銘じて置け、そもそも戦士とは死ぬために存在している!! 死こそが戦士の誉なのだ!! つまらん生き方をするくらいなら盛大にカッコつけて死ね!!」
茶柱の隣には生徒会長の姿もあるな、こちらもやはり疲れた顔をしている。何故だろうか? オレたちはこんなにも一致団結しているのに。
「だが例え貴様らが死のうともBクラスは永遠だ!! つまり、貴様らもまた永遠であるということだ!! 故に、Bクラスは貴様らに永遠の奮戦を期待する!! どうだ!? 楽しかろう!!」
「「「gung ho!! gung ho!!」」」
ここにBクラス男子チームは完全な戦士の集団となった。文句無しだ天武、お前はやはり期待以上の成果を上げてくれる。
「笹凪、ちょっと生徒指導室まで来い、お前にはクラスメイトを洗脳している容疑がかかっている」
「ちょっと、待ってください茶柱先生、今良い所なんです」
こちらの様子を窺いながらも茶柱がそう言った。空気の読めない女である。
「お前たちもだ、悪質な洗脳に引っかかるな」
「「「……」」」
「な、何故……誰も、何も言わないんだ?」
何故も何も、上官からの許可もなく勝手に発言するようなバカはこの場にはいない。あの女は教員なのにそんな常識すら知らないのだろうか? それでよく教師が務まるものだ。
「と、とにかく、今すぐ生徒指導室に来い、わかったな?」
「あ、はい」
その後、天武は茶柱に滅茶苦茶怒られたらしい。
これだけ怒られてようやく懲りたのだろう。天武もさすがにやり過ぎたと反省したのか、クラスメイトたちの洗脳と言うか意識の高さを解除する為に色々と奔走するのだった。
うん、オレも少し冷静ではなかったかもしれないな……天武の雰囲気に引っ張られていたんだと思う。
次々と洗脳を解除されていくクラスメイトを眺めながら、オレも自らを戒めるのだった。
ただ、クラスの総合的な運動能力は上がったのは間違いないのだろう。それだけは揺るがないと思う。