この一カ月、俺がやれることは全てやってきた。何よりも男子チームに闘争心というものを根付かせたことが大きいだろう。
結果が振るわなくたっていいのだ、例え最下位になっても絶対に勝つんだという意思を共有させること、それが重要であった。
まぁ、なんだ、やり過ぎて各方面に怒られただけでなく、女子チームからは割と引かれてしまったのだが、最終的には強い意思と団結をクラスで共有できたと思う。
清隆は色々と裏で動いていたようだが、俺は正面戦闘を任されたのでそっちに集中することになる。
「全員、やる気は十分か?」
「おう、何も問題はねぇ。勝つぞ」
俺の問いかけに須藤は力強い言葉でそう返す。それに続くようにクラスメイトたちの頷きも広がった。
「この一か月間、諸君らはよく動き、よく食べて、よく心を整えたことだろう。月並みな言葉になるが、各々の努力は確かな地力となっている」
徐々に思考や意識が師匠モードに近づいていった。大きな戦いを前にするとどうしてもそうなってしまう。興奮している証拠だろうな。
「例え出場した競技で最下位になろうとも責めはしない。だが、勝利を目指す過程に一切の妥協と甘えを挟みこむな、運動ができないからと言い訳するな、勝利へとただ邁進するんだ。男の人生はそれで良い」
師匠モードをできるだけ遠ざけようとするのだが、ダメっぽい、俺も初めての体育祭に興奮してしまっているらしい。
「あの、男子だけじゃなくて女子もいるんだけど」
軽井沢の言葉も尤もである。確かに男子チームだけで挑む訳ではない、言葉を変えよう。
「全くもってその通りだ。では、紳士淑女の諸君……己の矜持に恥じぬ戦いにしよう」
俺がそう言うと強い意思と言葉がクラスメイトたちに広がった。この体育祭に乗り気ではなかった運動が苦手組、幸村や博士たちだってそれは同じだ。一カ月前より少しだけ男前になった彼らは、きっと頑張ってくれることだろう。
そこで俺が完全に師匠モードになってしまった。駄目だな、体育祭の雰囲気がいつもより精神に影響を与えているのかもしれない。
ならば、この師匠モードでクラスメイトを引っ張っていくとしよう。結局、真っすぐ突っ込んで暴れるのが一番俺に合っているのだから。
「魂を燃やせ、血潮を燃やせ、甘えを捨てろ、昨日の自分を超えていけ……人生はそれで良い、勝つぞ?」
「「「おうッ!!」」」
士気は上々、やる気は漲っている。それで十分だ。
体育祭の開幕を告げるかのように火薬の炸裂音が空から聞こえて来た。同時に全校生徒が行進を行ってグラウンドに集合していく。
この学校は外部との接触が大きく制限されているので保護者が見学するということはないのだが、施設内で働いている大人たちが見物しているので程よく賑わっている。俺も行きつけのラーメン屋の店員がいたので軽く頭を下げた。
「用意周到ね。結果判定用のカメラまで設置されている」
グラウンドに集まって開会式の宣言を聞いている堀北が、陸上競技などで使われる競技用のカメラを発見してそう言った。
「曖昧さを無くしたいんだろう。僅かな差でも白黒つける筈だ」
「そうね」
「緊張しているのか?」
「え? そ、そうかもしれないわね」
ビクッと体を反応させた彼女は、少しだけ驚いているようにも見える。
「あの、その雰囲気は止めてくれないかしら……その、体育祭よりも貴方に緊張してしまうのだけど」
「すまない。だが気持ちが昂って戻って来れそうにない、許せ堀北」
「……は、はい」
俺も何とかしたいとは思ってる。けど師匠モードが解除できないんだ。頭の中に冷静な俺と興奮している俺が共存しているという不思議な状態となってしまっている。
いつの間にか名前も呼び捨てになってしまっているし、少し口調も変わっている自覚もあるのだが、こればかりはどうしようもない。
人生で初の体育祭なのだ、興奮を隠すことはできなかった。
堀北は俺の雰囲気や口調に違和感を持っているようだが、最終的にはモジモジと体を震わせながら大人しく視線を下げてしまう。
「に、兄さんに……ちょっと、似てる……うん、悪くないわね。こういうのも」
そして最終的には僅かに頬を赤くしてそんなことを呟いていた。
似ているだろうか? 確かに鋭い雰囲気なのは変わらないだろう……もしかして彼女にはそんな風に見えるのだろうか? だとしてもそれで頬を赤くするとか、ブラコンもここに極まっている。
「堀北、大丈夫か? 頬が赤いぞ」
「だ、大丈夫よッ、えぇ、何も問題はないわ……それよりも、参加表のことは大丈夫なのね?」
「問題は無い。ちゃんと皆にはダミーを発表しておいた。直前に変更があって多少は混乱したが、問題はない」
「そう、なら大丈夫そうね」
競技に出場する参加表は二種類あった。片方がダミーでもう片方が本命だ。スパイ対策であり、直前になって変更されたことにクラスメイトは困惑したのだが、こればかりは仕方がない。
「彼女にも困ったものね」
「一度、話し合った方が良いだろう」
「えぇ、その時が来れば……」
夏休みの戦略会議で堀北さんを交えて話し合った時に、彼女には櫛田がスパイであることを伝えている。驚いた様子であったが今ではそれを受け入れているようだ。
思う所は色々とあるらしい、同時に、二人が同じ中学だったと聞かされたのもその時だ。
あまり他者に関心がなかった中学時代の話であり、堀北も曖昧な感じであったが、そこから櫛田との関係も少し見えて来たと思う。
まぁ、今は体育祭に集中だな。参加表の土壇場での変更で驚き、顔を青ざめさせている櫛田は放置で良いだろう。
「笹凪くん、頑張りなさい」
「あぁ。そちらも気を抜くな」
俺が拳を差し出すと、少し驚いた堀北は照れながらも拳を前に出してくる。それを軽くぶつけ合って俺たちは勝利を目指して動くことになる。
まずは圧倒的な勝利を持って、クラスに流れを呼び込むことにしよう。俺は後ろで細かく動き回るよりも、それが一番強いのだから。
さっそく百メートル走が行われる場所に歩いていくと、そこでは共に走ることになる各クラスの走者の姿があった。
「お前か……」
「鬼頭、それにアルベルトか」
「oh……」
最も注目すべきはAクラスの鬼頭だろうか、次点で龍園クラスのアルベルトだ。どちらも学年で上から数えた方が早い身体能力を持った生徒である。
因みに、橋本経由でAクラスの参加表は手にしている。坂柳さんの主導権争いに乗っかる形であった。本命の参加表はその辺を考慮して各生徒を配置している。
「易々と勝たせるつもりはない」
「そうか」
鬼頭の視線が俺を射貫こうとするが、あまりにも弱弱しい、師匠モードに押され気味になっているらしい。これでもあまり脅しつけないように可能な限り抑えているのだが、まだまだ迫力が強いようだ。
「悪いが二位の景色を楽しんでくれ……最初の競技で、最初の一歩だ。くれてやるつもりはない」
「既に勝ったつもりか?」
「ただの勝利に意味はない、完全完璧な、文句のつけようのない勝利が欲しいんでな……そして証明しなければならない、俺には誰も勝てないのだという、証明を」
それが俺の仕事とも言えるだろう、並び立つことが叶わない力を持って、対戦相手から悉くやる気を奪い去る。そんな存在になることが体育祭で求められている俺の立場だ。
こいつには何をどうしようが勝てないのだと、そもそも生物として住まうステージが異なるのだと、それを証明する戦いである。
俺たちはクラウチングスタートの体勢となり、始まりの時を待つ。
その時が近づくにつれて、師匠モードが深くなっていくのがわかった。左右にいる鬼頭とアルベルトは冷や汗を流して緊張を高めているようだ。
審判が空に掲げたピストルが弾ける音を響かせた瞬間に、俺は俺が持つ全ての力を爆発させて走り出す。
徐々に加速する意味はない、0から100へと一気に到達して後はそれを維持するだけである。
一切の加減なく走り出した結果、足を乗せていた踏み込み台は砕けてしまったが、それだけの力で進みだした体は弾丸のように突き進み全てを置き去りにして白いテープを切ることになる。
カメラ判定をするまでもない、近代スポーツを鼻で笑うような記録であり、オリンピックの世界記録を大幅に更新することになった。
圧倒的な、そんな言葉でもまるで足らないような走りは、証明になったことだろう。誰も勝つことなどできはしないのだという証明に。
グラウンドに広がるのは歓声でもざわめきでもない、沈黙だ。一年も二年も三年も、そして見学者や教員たちも、全員が唖然として黙ってしまっている。
「勝ったぞ、皆も続け」
そんな沈黙の中、俺は勝利をかかげてBクラスの方に手を振ると、ようやくそこから歓声が広がった。
士気は十分、滑り出しも完璧、つまらない小細工は封殺した。後は己の全てを賭して勝利を目指すだけである。
「とんでもない走りだったな。世界記録を大幅に更新したそうだぞ」
Bクラスのテントに戻ると、清隆がそう言って来た。
「あぁ、これで証明にはなっただろう」
「そうだな、文句のつけようがない、お前が最強だ……同じ競技に出る奴には同情するしかない」
「清隆も上位を取ってくれ。安心しろ、俺がそれ以上に暴れまわって印象を消そう」
「確かに……これなら目立たないだろうな」
師匠モードであれだけの記録を出した今、グラウンドにいるほぼ全ての人間の視線は俺に向けられている。こちらの一挙手一投足にどうしても注目することになってしまうのだ。常識的な範囲での競い合いで一位を取ったからといって、だからなんだで終わってしまう。
「行ってこい、そして何より楽しんで来い。それで良い」
「あぁ」
清隆もまた百メートル走に出場する為に移動していく、きっと一位を取ってくれることだろう。
クラス全体の滑り出しも上々だな。須藤が一位を取り、小野寺や堀北も一位を記録している。他クラスで足の速い奴が固まる所には俺や須藤が配置されて、他の場合も上位を狙えるように配置したから当然の結果とも言えるが。
橋本経由で得た参加表も大いに役に立ってくれている。一之瀬さんとは主力が被らないようにある程度の調整を行っている、龍園クラスは参加表のダミー作戦でしょっぱなから躓いてしまっている。
正直、負ける要素が何もなかった。
後はただ、一方的に蹂躙していくだけである。
「堀北、よくやった」
百メートル走で見事一位を記録した堀北に声をかけると、緊張と驚きと少しの興奮に彩られた顔でこちらを見て来た。
「さすがだ、次も頼む」
「当然よ、必ず一位になる……だからその」
「なんだ?」
「も、もっと、その感じで褒めてくれないかしら……」
俺は堀北兄の代わりじゃないんだから、重ねられても困る……いや、それでやる気が出るのなら何も問題はないか。
「わかった、その時にな」
「えぇ、忘れないで頂戴ね」
次の競技に向けて彼女もやる気が漲っている。やはり褒めて伸ばした方が良いんじゃないか説が濃厚だな。
「さて、こちらも行こうか」
百メートル走が終れば次はハードル走だ。ただ全力で走ればそれで良しな競技ではなく、ハードルに触れたり倒したりすると減点となるのだが、そこまで難しいものでもなかった。
やるべきことはさっきと何も変わらない。己の全てを注ぎ込んで勝利を目指すだけである。
「お、お前が相手かよ……」
「う~わ、嫌だねぇ、怪物と一緒なんて」
「石崎と橋本か」
ここに橋本が配置されることは知っていたが石崎がいるのは知らなかった。龍園クラスの参加表は手に入らなかったので完全に偶然である。だが石崎の身体能力は高めなので好都合であった。ここで心を折っておこう。
橋本もチャラチャラしているように見えて高い身体能力を持っている相手である、まぁ彼は参加表をこちらに流した張本人なので俺がここにいることも想定済みのようではあったが。
そして一之瀬クラスからは快速マンこと柴田が参加するようだ。主力となるのはこの面子だろうか。
順当に進めば、俺が一位となり柴田が二位となるだろう。橋本と石崎のどちらかが三番手になり、他はどうなるかわからない。
「うげ、笹凪もここかよ」
「柴田、ここも勝たせてもらう」
「くっそぉ、見てろよ。最初から負けるつもりで走ったりなんてしないからな」
石崎や橋本と違って闘争心は消えてはいないらしい、その在り方は一カ月前のウチのクラスにはなかったものである。誰もがそうあれたならばあんな厳しい訓練なんてする必要がなかったんだがな。
やる気と闘争心は素晴らしい、けれど俺が徹底的な証明を求められている、一切の手加減なく突き進むだけだ。
俺がスタートラインに立つと、グラウンドにいた全ての者の視線が集中するのがわかった。中には緊張と畏れから固唾を呑んでいる者もいる。先ほどの百メートル走が印象に強く残っているのだろう。
異様な沈黙と困惑の中、それでもピストルはスタートの合図を放つ。
ケチのつけようがない完全完璧なスタートダッシュを決めると、百メートル走と同じように踏み込み台を蹴り砕いて一気に0から100へと加速して、立ち塞がるハードルの全てを越えていく。なんてことはない、師匠が俺に押し付けた修行の難易度に比べれば児戯にも等しい。
バカみたいに重たい仁王像を背負って険しい山の中を走り回る日々だったんだ、これくらいの障害は何の妨げにもならなかった。
あらゆるものを置き去りにして、俺はまた世界記録を大幅に更新することになる。
けれど数字にはあまり価値を感じない、この程度のことは師匠なら簡単に達成できるからだ。
どれだけ記録を塗り替えようとも、その先には必ず師匠がいる。それすなわち、全ての面において俺は未熟であるということに他ならない。
だからまた研鑽を続ける、果てしない鍛錬を積み重ねる、数え切れないほどの実戦を体に刻み込む。
その先に師匠はいるのだと、そうしなければあの人は超えられないのだという確信が、この体を動かすのだ。
もしかしたら俺は空を飛ぼうとしているのかもしれない。師匠を超えると言うことは、つまりそういうことである。無理無謀は承知の上で、それでも目指す。
だから俺はまた世界記録を更新する。その度に師匠の背中に近づくような気がするのだった。