前話で私の勘違いから矛盾が生じたので、幾つか描写を変更しました。クラスポイントだったり、茶柱先生関連であったりと、ご指南ありがとうございます。
「櫛田桔梗の憂鬱」
私が特別な人間じゃないと自覚したのはいつ頃だっただろう?
はっきりとした認識はないけど、あの人には勝てないなと思うことが、学年を上がる度に多くなったと思う。
それは勉強であったり、運動であったり、それ以外の何かであったりと、本当に様々だ。
優秀と言う物差しで全てが語れてしまう私とは異なり、才能と努力を兼ね揃えた誰かと言うのは、私が思っていた以上に多いんだと知った……知ってしまった。
そこでどこにでもいる人たちみたいに、まぁ仕方がないよねと思って身の丈に合った生き方をできれば良かったのかもしれないけど。私にはそれができなかったんだよね。
勉強でも運動でも一番になれないのなら、誰よりも慕われる人間になれば良いと思うようになっていた。多分、その時からだ、私がいつも仮面をかぶるようになったのは。
誰かの理想でありたいと、こんな人がいて欲しいと、親しみやすい誰かになりたいと、そうやっていつも誰かの評価や認識を気にしながら生きていく。
上手くはやれていたと思う。馬鹿な男の子たちは親し気に微笑みかければすぐに鼻の下を伸ばしてくれるし、女の子たちは誰にも言えないような悩みを私にだけは打ち明けてくれる、そうやって私は才能と言う壁に挑もうとしていたのかもしれない。
上手くは行っていたと思う、うん、途中まではね。
いつも誰かの為にと振る舞うのは想像以上にストレスが蓄積されると知ったのは、割と早かったと思うな。
うん、だからアレは、仕方のないことだったんだよ。皆、許してくれるよね?
だって私は、何にも悪くなんてないんだから。
「今日は付き合ってくれてありがとう櫛田さん」
「ううん、良いよ、偵察も大事だもんね。それにこういうのってスパイ映画みたいで楽しいかも」
夏休みが終わって暫く経ち、体育祭が始まると教えられて数日。私と、もう一人とある男の子は休みの日を利用してスパイごっこをしていた。
スパイ云々はただの建前で、実際はこの男の子……笹凪天武くんからの謝罪を行う為の場でもある。
誰からも慕われる人間である私は、当然ながらそれを受け入れる。受け入れない私なんて私じゃない。
「ありがとう、とても失礼なことを口走ってしまったからね、謝りたいと思っていたんだ。今日は俺が何でもごちそうするから、奴隷のように扱ってくれ」
「ふふふ、確かにあんなに失礼なこと言われちゃったからなぁ、今日は何でも言うこと聞いて貰おっかな」
「ん、全て受け入れようじゃないか、君にはその権利があるとも」
私の目の前にいるのは笹凪天武くん、クラスメイトであり……私が知る限り、世界で最も特別な男の子。
勉強も、運動も、容姿や雰囲気だって、どこにでもいる誰かとは決定的に違う。
入学当初、初めて彼をバスで見た時、言葉を失ったほどだったなぁ。誰かを見て喉を鳴らしたことなんてあの日が初めてだったよ。
男の子のような、そして女の子のような、ユニセックスな不思議な容姿をしている彼は教室に入ってからも同じような印象をクラスメイトたちに与えたと思う。実際に男子も女子も言葉を無くしていたと思う。だって彼って非現実的な容姿と存在感をしているし、夢の中の住人のように思えてしまうんだもん。
男の子は、笹凪くんを視たら美人だと思うのかもしれない。女の子は逆にカッコいいと思うのかもしれない、とても不思議な人だ。
神秘的な人、私が彼を表すのならそんな表現をすると思う。
そんな彼が容姿だけでなく、あらゆる面で何もかもが特別な人だと知ることになるのは、数カ月もいらなかった。
夏休みに入る頃にはクラスの中心人物になっていたし、それどころか学年全体で一目置かれる人になっていた。
視線を引きつける引力と、喉を鳴らしてしまうような迫力と、誰も敵わない頭脳に身体能力、そして誰かの心に語り掛けて耳朶から精神を溶かす変な説得力を持つ彼は……ハッキリ言ってしまえば、私にとってどうしようもないくらいに恐ろしく疎ましい存在だったと思う。
だって仕方がないもん、一目見ただけでよくわかる。この子は何もかもが特別で満たされた人なんだって……嫉妬しないなんて嘘だ。
「ねぇ笹凪くん、私食べたいクレープがあるんだけど、良いかな?」
「はいはいお嬢様、何でもご命令ください」
グラウンドで休みの日も部活動を頑張っている生徒たちを偵察して、私が知る限りの情報を解説してからしばらく後、私と彼はケヤキモールにまで足を運んで、そこで彼の謝罪と贖罪を受け入れる為のあれこれを行う。
あんな滅茶苦茶なことを言ってくれたのだ、せっかくの機会だし、ここは彼にたくさんごちそうして貰うとしよう。どうやら彼もそれを求めているようなので遠慮はいらないかな。
ここで気にしてないよと遠慮するのも優しい私らしいけど、男の子に気安く接して距離を縮めるのも私らしいと思うしね。
だから沢山ごちそうして貰おう。
「改めて今日はありがとう、他クラスの有力生徒もある程度把握できたよ。お礼と謝罪をしっかりさせて欲しい」
「もう、あんまり気にしないで。笹凪くんも悪気があった訳じゃないんだもんね?」
「もちろんだ。あの時は変な酔っぱらい方をしていたみたいでね……決して本心ではないんだ」
「ふふ、わかった、許してあげる」
ここで優しくそう言うのが、皆が求める櫛田桔梗だ。
ケヤキモールのカフェで落ち着き、買い物に付き合って貰って、クレープを奢って貰う。
「でも、こうしてるとなんだかデートみたいだね?」
「ん、そうだね、俺はそのつもりでいるけど」
私がそう揶揄うように言えば、大抵の男の子は照れてだらしのない顔をするのだが、笹凪くんは平然と受け入れて、逆に私を恥ずかしがらせようとしてくる。こういう所もまた少し苦手なのだ。
できればもっと慌てて欲しいな、そうじゃなきゃ私に魅力がないみたいに思えてしまうんだもん。
「そんなこと平然と言って、笹凪くんのことだから色んな子にデートしたいとか言ってそうだなぁ」
「女の子とデートしたいと思うのは男子なら当然のことだよ、ましてや櫛田さんは一緒にいて楽しい人だからね、きっと俺は明日には色んな男子に目の敵にされるんだろうな」
確かにケヤキモールを二人で歩いていればどうしたって目立つ、ましてや私も笹凪くんも有名人だからなおさらだ。
もしかしたら私の天敵、堀北鈴音の耳にも入るかもしれない。
私にはもう一人天敵がいる。しかも男子ではなく女子に。
「もしかしたら堀北さんに怒られちゃうかもよ?」
「どうして彼女が怒るんだい?」
「え? それは、だってほら、笹凪くんと堀北さんは仲が良いし」
「親しくはしているが、交際している訳じゃないからなぁ……彼女は魅力的な女性だとは思っているけれど、恋愛感情がある訳じゃないよ。あれ、これは船の上でも言ったっけ?」
確かに似たようなことを聞いたと思う。けれど彼の内心はわからない。本当にそうなのかはわからないのだ。
けれど確かなことは一つだけわかるな……彼はともかく、堀北鈴音の方は彼を意識している。
正直驚いた、あの女が異性に注目して意識する日が来るなんて。
恋愛感情かどうかはわからないけど、間違いなく笹凪くんに一定以上の興味や感情を向けているのは間違いない。
そして彼もそんな距離感や感情を悪くは思っていないのだろう。このままある程度の時間が過ぎれば、すぐに堀北鈴音は自分の中にあるのが恋愛感情だと気が付くのかもしれない。
そうなれば付き合うのかな? だとしたらそれはそれで苛立たしい。
あの性格も態度も最悪な女が、私の天敵が、笹凪くんがいるからクラスに溶け込めただけのコミュ障が、まるで私なんて眼中にないとばかりに青春を謳歌する……こんなに苛立つ現実はないと思うな。
うん、だからこれも仕方がないことなんだよね?
「櫛田さん? 急にどうしたんだい?」
「ごめんね、笹凪くんがデートだって思ってくれてるなら、こういうのも良いかなって?」
「俺としては嬉しくあるけど、悪目立ちしないかな?」
「デートならこれくらい普通だよ」
私は彼の腕に手を伸ばして袖を引っ張るような形になる。けれど腕は組まない、私はそこまで安い女じゃないし、そんな所を目撃されるとクラスのアイドルである私の印象が崩れてしまう。だから言い訳ができるくらいの感じが限界だ。
それに、こうして接していると笹凪くんはもしかしたらより異性として印象付けられるかもしれない……それこそ堀北鈴音よりもずっと。
私はふと、こんなことを思う……もし私と笹凪くんが付き合ったら、あの女はどんな顔をして、どんな思いを抱くだろうかと。
自分が意識している相手が、私と腕を組み、デートをして、キスをしたら、どんな様子を見せてくれるだろう?
嫉妬に狂う? 苛立つ? 怒る? もしかしたら傷心する? なんであれそんな堀北鈴音ならぜひ見てみたい。
私はそんな天敵の顔を思い浮かべて、少しだけ機嫌がよくなるのだった。
めんどくさくていやらしい男子とのデートなんて楽しくはないけど、なんだかんだで笹凪くんはそんな感じがしない。天敵だけど、変な説得力もあるから接し易いのだ。
何より、あの堀北鈴音が意識している男子というのがとても重要である。
悔しがって震えて眠れ、ば~か。
「高円寺から見た笹凪天武」
この学園で最も注目している者を私に問うのだとしたら、迷うことなくマイフレンドであるクラスメイトを挙げようじゃないか。
既存の物差しで測れないと言うのはとても貴重で意味のあることだ。人はそれを天才、或いは怪物と呼び、恐れ敬いひれ伏して来た。
極稀にいるのだ、生まれた時から天の祝福を受けた人間と言うのが。それはこの私もそうであり、彼もまた同様だ。
この私が唯一認めた存在、ただそれだけで彼の価値と意味がどれだけ大きいかよくわかるというものだろう。
どこにでもいる一掴み幾らかの誰かではない、己は己であり、オンリーワンの何かを持つことが重要なのだと多くの者が理解していない。
まぁ無理もないことだろう。誰もが私たちのように生きられないということ位は、私にだってわかるとも。
こちら側とあちら側、人類社会にはいつだってそんな境界があった。ただそれだけのことをとやかくは言うまい。
重要なのはただ一つ、私はマイフレンドを好んでいるという点だけだ。それで全てが説明できてしまう。
「高円寺、いらっしゃい」
「マイフレンドの誘いとあればやぶさかではないとも、興味深い提案もしてくれたようだしねぇ」
夏休みも終わり優雅な一時も遠ざかった頃……いや、それは間違いだ、私は常に優雅に生きているので毎日が夏休みのようなものだしね。
なんであれそんな時だ、マイフレンドから部屋に誘われたのは。
電話越しで興味深い話もしていたので、直接会って話すだけの価値があると判断した訳だ。
彼の部屋に入ると、まずはお香と香り木の匂いが鼻孔を擽った。彼がよく漂わせている香りだ。清楚な、或いはゴージャスな香水の匂いも嫌いではないが、偶にはこういった素朴な匂いも悪くはないのかもしれない。
玄関から部屋の奥に行くとまた趣が変わっていく。そこに広がっているのは無数の大小様々な彫刻や絵画などである。部屋の真ん中にはブルーシートが引かれており、そこには彫りかけの仏像が鎮座していた。
部屋の隅に視線を向けてみると、そこでは小型の3Dプリンターが稼働しており、中には洗練されたデザインのチェスの駒が加工されているのが見える。競技用としても使えるだろうが、どちらかといえば観賞用のようなデザインをしているだろう。
洒落たカフェの片隅にひっそりと飾られていれば、雰囲気を作るのに役立つのかもしれない。
「呼んでおいてすまないが、もう少しだけ時間が欲しい。冷蔵庫でも漁って適当に寛いでおいてくれ。今は集中を切らしたくないんだ」
「ふむん。まぁ構わないとも、私は寛大だからね」
それに興味深い光景も見れそうだ。彼は私の言葉など届いていないとばかりに、ある種のゾーン、極限の集中状態まで意識を高めると、そのままブルーシートの上にある仏像を仕上げていった。
人の魂や意識を引きつける存在感はグッと増して、その状態で仏像を彫っていく彼の姿はとても様になっている。陳腐な言い回しになってしまうが、神秘的とすら言っても良いだろう。
誰かに見惚れる、この私がだ、実に興味深い存在感と言える。
魔性を宿したかのような雰囲気で仏像を彫るマイフレンド、そんな彼が彫った仏像にもまた魔性が宿っていく。視線を引きつけ意識を掴んで離さないようなそれは、引力とも表現できる。
「君のそれは王者の覇気ではなく、魔性のそれだねぇ」
そんな声も届いていないのか、彼は神秘的な存在感をそのままに仏像を彫っていき、仕上げを終えた瞬間に大きく息を吐いた。
「お待たせ、すまないね」
「興味深い光景だったとも、それを邪魔するほど私は無粋ではないし、愚かでもないさ……はッ、はッ、はッ!!」
「なら良かった、本題はお茶でも飲みながら話そうか」
そう、本題は別にある。私は鬼気迫る魔性の彫刻を眺めに来た訳ではない。
「コーヒーと紅茶と、あとは炭酸飲料なんかがあるけど、お好みは?」
「ふむ、では紅茶をいただこうか」
「ではそうしよう」
用意された紅茶を飲んでから、さっそくとばかりに彼はこう話を切り出した。
「それで、紹介状の件なんだけど」
「マイフレンドの願いなんだ、用意すること自体は問題ないが、私にできるのはそれくらいのものだよ」
「構わないよ、後はこっちの実力の問題だからさ」
「まぁ君の作る作品にはある種の魔性が宿っている。手にしたいと思う者は存外多いのかもしれないがね」
特に、有り余った資産を持った、見栄というのを大事にする連中は、時に思っていた以上の資金を様々な作品に注ぐものだ。
真に美しさや芸術の価値がわかっている者が、その中にどれだけいるのかという疑問は横に置いておいても、多額の資金が動くという事実が彼にとっては重要なのだろう。
「だとしたら嬉しいな」
「しかし面白いことを考えるものだ、学園の外から資金を引っ張って来るとはね」
「君だって似たようなことをしているだろう? 前に聞かせてもらった個人契約、あれを参考にしたんだ」
「この学園のルールは穴だらけで不完全なものも多いからねぇ、あれだけわかりやすい隙だったのだから、当然突くとも」
「そうだね。君の契約しかり、俺の売却しかり……一手間二手間加えれば、ポイントは幾らでも外から持ってこれるってことだし、きっとそれ以外にも色々な方法がある筈だ」
「イエス、他の者たちが何故同じことをしないのか、疑問に思うほどだとも」
あれだけ穴だらけの規則なのだ、寧ろ突いてくださいと誘っているようなものなのだが、多くの者にとっては我々のやっていることは理解できないことらしい。全くもって嘆かわしいことだ。
「敢えてそうしているんじゃないかな、ばれない様にやれって学校側は言いたいのかもしれない」
「理解できていない者が大半のようだがねぇ」
「それは仕方がないさ、やっていいとは言われていないからね。ただ学校側はそれも実力だと認めているだけだ」
クスクスと笑うマイフレンドは、出来上がったばかりの魔性が宿った仏像の頭を撫でる。
「まぁ紹介状はありがたく貰っておくよ。お礼はポイントで構わないかい?」
「あぁ、それで良いとも」
スマホを弄ったマイフレンドは私の懐に2000万ポイントほどを振り込んで来る。ここでつまらない額を送らないのは実に彼らしいと言うしかない。
私が彼に用意するのは、私と私の実家の影響力で信頼を確保する紹介状だ。それも富裕層限定の品評会への。
普通は実績や経験を積んだ上で、縁と運があればそういった場へ作品を出品できることが殆どだが、そこは問題はないだろう。
どうやら彼は、学校側に露見しない形で外部と接触する方法も確立しているようで、それならば紹介状を作ることも難しくはない。
「自信はあるのかね? ああいった場に足を運ぶ者は相応の資産も持っているが、同時に目利きもしっかりと持っている者たちばかりだ、一部例外はいるがね」
「駄目なら駄目で構わないさ。他にも当てがあるからね……あの手この手で資金を学園に引っ張って来るとしよう……まぁ直接それをやると問題がありそうだから、幾つか手間と人を経由してしっかりと自然な売却という形を整える必要があるだろうけど」
学園の外から資金を引っ張って来る様々なルートの一つということらしい。たった一つの方法に全てを賭けない姿勢は好感が持てる。
「ふむ。一つ疑問なのだが、資金を引っ張って来て、君はどこを目指しているんだい?」
「俺の最終目標かい? う~ん、実現可能かどうかは別にして、最終的には俺たちの学年に24億ポイントがある状態だね」
「はッ、はッ、はッ!! なるほど、なんとも壮大だ。それが可能だと本当に思っているのかね?」
なるほど、だから学園の外から大量の資金を引っ張って来る必要がある訳か。
「できるできないじゃないさ、勝算の有無でもない。もしかしたら達成できないかもしれないね……けれどそんなことは大した問題じゃない。俺にとって重要なのは、カッコいいか否かだ」
面白いと、そう言うしかないな。ここまでの目標を掲げられたら。
あぁそうとも、面白いとも、どこにでもいる誰かには思いつかない、思いついたとしても実行しない、そして実際にそれを実現可能だと思わせるだけの能力を持つ彼が、それをやると言ったのだ。
改めて認めよう、君はオンリーワンの存在だ。不可能に笑って挑める、そんな存在だ。
「俺が目指しているのはいつだってケチの付けようがない完膚無き完全完璧な勝利だ。男はそれを目指してこそだ、そうだろう?」
「グレィト、ならば私も多少は助力しようじゃないか」
「おや? 手伝ってくれると?」
「興が乗った、理由はそれだけで十分さ」
「ふふ、そうかい? ならさっそく相談したいことがあってね。マネーロンダリング用の……いや、この表現はさすがにあれだな、言い方を変えよう。品評会に出品した俺の作品を偶然にも高額で購入してくれる会社や企業を、ネット上か学校の外に作りたいと思っているんだけど、アドバイスをくれないかな?」
「ふッ、その辺は厳しく行かせて貰うとしようか。甘い考えでやっても必ず失敗するだろうからね」
「それで良いよ、厳しくないと意味がない……あからさま過ぎるとアレだから、基本的に外に作った幾つかの会社は俺とは無関係だ。まだ調整段階だから高円寺の意見も取り入れて考えたい」
「今は一円とパソコン一つあれば会社は作れるが、言葉にするほど簡単ではないことくらいはマイフレンドもわかっているだろう? しかも君の作品を購入するという建前の資金洗浄組織だ、疑われないように相応の形は整えなくてはねぇ」
「あぁ、俺はその辺のノウハウが無いから高円寺にアドバイスが欲しいんだ。後、迷惑でないのなら人も貸して欲しい。その人たちへの報酬はもちろん俺から支払おう。学園の外にノーリスクで接触できる方法もあるから君からの指示や言葉を届けることもできるだろう」
「ふむ、そういった報酬もそうだが、そもそも資金洗浄したいだけの資金の当てが学園の外にあるのかね?」
「それについては問題ない。この学校に来る前は恩師の手伝いで色々と働いて稼いでいたんだ。使う必要もなかったから口座に丸投げだったけど、かなりの額があった筈だよ。それを目立たないように小分けにしてポイントに変換したいんだ。高円寺と違って個人契約ではなく作品の売却という形でね。その為にも偽の需要と供給を作って――――」
そうして彼は達成できるかどうかもわからない目標に向けて、無邪気に計画や作戦を説明してくる。困難に挑むことを楽しむかのように。
この学園に24億を引っ張ってこようという呆れられそうな計画である。しかし彼はまるで童心に戻ったかのように笑っている。
素面で狂気に片足を突っ込み、邪道を舐め尽くしながらも王道を進もうとするマイフレンドを、私は美しいと表現しよう。それは私にとって最大限の称賛であった。
彼のような男が世の中にはもっと必要だ。悲しいことに、同じことを言えない者のなんと多いことか。
誰かに指を指されるような生き方こそが重要だ。不可能だと笑われて、無駄だと呆れられようともそれを目指す。大いに結構。
空を飛ぶ為に飛行機を作ったように、命をかけて大海を越えて新大陸を目指したように、月を歩きたいと願ってロケットを作ったように、病を消し去りたいと薬を作ったように、いつだって世界はそういった者たちが動かして来た。
断言しようじゃないか、マイフレンドは間違いなくそちら側の人間だと。
誰かに不可能だと笑われて、バカだと呆れられて初めて、人は歴史に名を刻む資格を与えられるということだ。
「師匠の夢」
長く生きたと思う。
極限まで鍛えた人類を超越した肉体は、いつしか老いすら緩やかなものになり、通常よりも多くの経験をできたとも。
同時に多大なる才能に恵まれた人生でもあった。私以上の人類は存在しないと断言する者もいた。
あらゆる強者を屠り、あらゆる困難を跳ね除け、あらゆる邪悪を打ち破り続けること幾星霜、数え切れないほどの死闘をくり抜けた先に広がっていたのは、隣に並ぶ者のいない永遠の孤独であった。
私より上はいない、下に視線を向ければ山のような屍が広がる、そんな光景。
だというのに私の体は今もなお成長を続けている。並び立てる者がいるなど許さないとばかりに。
もし神や仏がいるのならば残酷と言うしかない、一体何を思って私のような存在を生み出したというのか。
明らかに異常だ。何かしらの致命的な失敗がある。私一人だけで人類という種の性能を数十世代は先取りしてしまっている。いい加減にして欲しいものだ。
並び立てる者など一人もいないと見切りをつけて、仙人のように山の奥に籠ることになってから暫く経つ。
それでも他者との交流を断ち切れなかったのは、我ながら未練というしかない。長く生きた間でできた様々な縁を、思いのほか大事にしていたのかもしれない。
我が孤独はいつになったら終わるのだろうかと思うことが日常になった頃、ある日この山奥に飛行機が墜落した。
乗客には悪いが運が無かったと言うしかない。人の生き死にはそういうものだ。定めとしか言いようがないだろう。
「これでは全滅だろうな」
住居にしている神社にまで届くほどの墜落音だったのだ。現場である山の中腹に向かってみると、そこには見るも無残な惨状が広がっていた。
バラバラに砕けて炎上した機体に、なぎ倒された木々、飛行機は原型を留めてはおらず、そんな状態ならば当然ながら生存者などいる筈がない。
「これも定め……せめて供養をしよう」
近くにあった手ごろな木を加工して、ここに仏でも飾っておけば、多少は報われるかもしれない。そう思ってこの惨状を眺めながら掘り出そうとするのだが……そんな時だ、この地獄の中で生きる人の気配を感じ取ったのは。
「ほう、生存者がいるのか」
だとしたら奇跡的な存在だ。生存は不可能と断言できるのに、それでも生き残ったのだから。
炎を避けながらバラバラになった機体の一部に近づいていく。そこにあったのは、飛行機の中に設置されていたであろう冷蔵庫だった。
扉を開く、すると中から小学生にもなっていないであろう子供が転げ落ちてくる。
自らそこに入ったのか、それとも偶然か、或いは神や仏の気まぐれか、何であれ生きている。
「……」
少年はこちらを見上げて驚いている、そしてきっと私も同じような顔をしているのだろう。
「これは驚いた……まさに運命だ」
この絶望を生き抜いたこともそうだが、この子供が私の前にいるという事実は、もう運命だ。
「坊や、どうやら君は、私と同じ存在のようだ……偶にいるんだ、君や私のような存在が」
理由はない、しかし確信があった。この子供は私と同じ存在なんだと。
ありえないほどの幸運と才能を持ち、とてつもない困難が押し寄せて来る、そういう星の下に生まれた存在だ。
だからこれは運命だ。神が引き合わせたのだ。私とこの子が、この広い地上でわざわざ出会う可能性なんてありえないのだから、これは誰かの意思がある。
永遠の孤独はここに終わることになった。私の全てを継承するに値する子供を見つけることが出来たのだから。私の夢はこの子が叶えてくれるだろう。
「坊や、名は?」
「天、武……」
天の武か、これまた運命的だな。
「そうか、天武、私と共に来るか?」
「……」
「君の家族はおそらく死んだ。だが嘆くことは無い、それは定めだったのだ。大いなる流れの中に還ったに過ぎない」
「は、はい……」
まだ事態を呑み込めていないのか、あやふやな返事しかしないが仕方がないだろう。
だが彼も確信があるようだった。この出会いは運命だと。
「私の全てを君に教えよう」
この子ならば私の孤独を消し去ってくれる、その確信が間違いでなかったと、すぐに知ることができた。
鍛えれば鍛えるだけ強くなっていき、教えれば教えるだけ賢くなっていく。そしてその上限が存在しない。
だから私は徹底的に何もかもを吸収させていった。体中の筋肉を叩きつけ、ありえない鍛錬を促し、その体を改造していく。
壊れない、この子はそれでも壊れない、ならばもっと雑に扱っても良いな。
幾度が死の縁まで追いやっても這い上がって来たので、また蹴り落とす。その繰り返しの先に期待以上の成果を見せてくれた。
少なくとも、私が弟子と同じ年齢の頃は、ここまでの力はなかった。
「君なら私を超えられるだろう」
「ごはッ!?」
あの飛行機事故から幾年、もう日常となった神社の中庭で今日も実戦を繰り返す。向かって来た弟子の体に瞬きする間に数十もの殴打を叩きこんで、吹き飛んでいく彼に私はそう言った。
あれだけ打ち込んでも打撲程度で済ませる辺り、体もだいぶ出来上がったと言えるね。実戦経験を積ませているし、そろそろ一人で仕事を任せても良いのかもしれない。
「俺が、師匠を超える? 絶対に不可能だと思うんですけど……」
「あぁ、それはね、武の路を進む者ならば誰もが思うことだ。けれど弛まぬ鍛錬を繰り返し、限界を超え続けていると、ある日こう思うようになる……今ならこの人を殺せると」
「はぁ、そういうものですか……」
「私がそうだったからね、いつか弟子もそう思う日がくるだろう」
「俺は別に師匠を殺したりしませんよ」
それは困るな、君に終わらせて貰いたいんだが……。
今にして思えば、私と弟子と敵とで完結した世界に置いたのは間違いだったかもしれない。
弟子の中で私は価値観の全てであり頂点になってしまった。そこで世界は完結してしまった。
戦士としてはそれで良いのだろう。武人としても弟子としても文句はない。しかし人としてはまだ未熟であると言うしかない。
ふと、私は弟子に数百の打撃を加えながらこんなことを思う。私は弟子に兵器として超えられたいのか、それとも人として超えられたいのかと。
考えるまでもない自問自答だ。ただ兵器としての性能差で負けたいのならば、比べる相手は人ではなくも鋼鉄とコンピューターの塊の方が相応しいだろう。
そうだ、人として、敗北したいのだ。
考えてみれば、武人としては順調でも人としてはまだまだ未熟である。弟子の世界は私と敵だけしかいないのだから。
「ふむ、弟子……君は学校に通ってみたいと思うかい?」
「学校? それってあれですよね? 俺位の年齢の人たちが沢山いる所でしたっけ?」
「そうだ、若人たちの学びの場だ……君は小学校も中学校も行っていなかったからね」
「いいですよ別に、それより技を教えてくださいよ。あの何もかも粉々にする奴」
「馬鹿を言え、未熟者に使えるようなものではない」
やはり武人としては順調でも人としては未熟そのものだな。これでは駄目だ。
「うぅむ……弟子、君には夢はあるかな?」
「師匠のようになりたいです!!」
地面に叩きつける、更に背中に踵を落とす。
「では憧れはあるかい?」
「師匠のことはカッコいいと思います!!」
今度は空中に蹴り上げて吹き飛ばす。そして私も飛び上がって落下するまでの間にまた数十の殴打を叩きこんでから地面に落とす。
「では恋をしたことはあるかい?」
「師匠のことは綺麗だと思います!!」
地面に突き刺さっていた我が弟子は、体を引っこ抜いてそう言った。
「おぉ……我ながら弟子の教育を誤ったな」
武人としてはこれで良い、だがやはり人としてはまだ幼いな。
教養と常識は教え込んだが、やはり世界が狭すぎる。
「ん……学校に通わせようか」
「師匠?」
「学校に通って、よき縁を結ばせよう」
「どうしたんですか?」
「いいや、何でもないさ……」
いつか彼は恋をして、夢を見つけるだろう。憧れだけは他の誰かに渡すことはできないが、他はくれてやるとしよう。
そしていつか人として成熟したその時に、彼は私を越えていく。
この孤独を終わらせにやってくる、これは確信だ。
この子を見てから思い描く夢を今日も見る。
私の孤独を終わらせにやってくる弟子に殺される、恐ろしくも甘美な夢。
いつの間にか私の夢はそうなっていた。きっと私は彼に殺される、そういう定めだったのだろう。
なんて美しい夢だろうか、私は今日もまた乙女のように夢想するのだった。
綾小路「夢オチじゃない、だと?」