勉強会のシフトだったりグループ分けは鈴音さんや平田たちに任せて、俺は一旦部屋に帰ってマネーロンダリング用の作品と、高円寺から貰った紹介状を活用した富裕層向けの品評会用の作品を作っていく。
毎度毎度、似たような作品では悪いのでしっかりと考える。造詣もそうだが込める魂も整える必要があるだろう。
思わず視線が引きつけられるような、喉を鳴らしてしまうような、そんな引力があるような作品が良い。
彫刻用の香木を持ち上げてどんな意思を刻み込むか思い描く。
集中力を高めていくとあらゆる邪念が消えて行った。それが最大まで高まり師匠モードに移行すると、無念無想へと至る。
その先にある、僅かな光が見えた瞬間に、俺は香木に彫刻刀を刺しこんでいく。
そこから先の記憶は正直曖昧だ。とても集中していたので時間の流れすら曖昧であった。
けれど、そんな彫刻に集中する俺がいる一方、頭の片隅にはテスト問題を製作する自分もいる。我ながら便利な頭だと思うしかない。師匠曰く多重思考は基本とのことなので教えられたんだよな。
そんな俺の意識を引き戻したのは空腹でも焦りでもなく、懐の中で突然に震えたスマホである。
ふと視線を時計に向けてみると、既に作業開始から一時間以上が経過していた。こちらの感覚では数分といった感じだったのだが、あまり集中しすぎるのも問題なのかもしれない。
懐からスマホを取り出すとそこには櫛田さんからのメールが届いていた。どうやら勉強会の調整や打ち合わせが終ったらしい。
可愛らしい絵文字付きでカフェで待っているというメールだ。テスト問題を共に作るという約束なのでこれから打ち合わせだな。
部屋を出て肌寒さを感じ取りながら、櫛田さんの可愛らしい笑顔を思い浮かべながらケヤキモール内にあるカフェへと足を運ぶ。
まるでデートの待ち合わせみたいだ。カフェに近づくと櫛田さんが座っているのが確認できて、向こうも俺に気が付いたことで小さく手を振って来る……ん、凄くデートの待ち合わせっぽい。
「お待たせ」
「大丈夫、そこまで待ってないよ」
机を挟んで向かいの席に腰を下ろすと、櫛田さんはこちらを気遣うようにそう言ってくれた。優しくてキュンとしてしまう。池や山内が夢中になるのもよくわかる。
「さっそく作っていきたいと思うんだけど、その前に勉強会の打ち合わせがどうなったか聞きたいな、何か問題はあったかな?」
「う~ん、これと言った問題はなかったかなぁ。皆、やる気が凄いし、積極的に手伝ってくれる雰囲気だもん」
「なら良かったよ」
「具体的なことを言うとね、それぞれでグループを作って講師役の人たちが教える形になったよ。詳しい内訳なんかは後で天武くんにもメールが届くんじゃないかな」
彼女がそう言ってくると、まるでタイミングを見計らったかのように平田からグループ分けの内容がメールで届く。
後は講師役の時間割などもな。俺はテスト問題を作ることを任せられているのでできるだけ回数が少なくなるように配慮してくれたらしい。
清隆はどのグループに振り分けられたか確認してみると、どうやら幸村グループに入ったらしい。面子を確認してみると、長谷部さんと三宅、佐倉さんといったクラスに馴染めていない者たちが名を連ねていた。
おそらくそういう名目のグループ分けなのだろう。大勢で一緒に勉強会に参加することが想像できないタイプの人たちを纏めたのかもしれない。清隆はその調整役だろうか?
平田の所は女子が多く、櫛田さんの所には男子と女子が半々、堀北さんの所には赤点組が多い。そして俺は回数こそ少ないが各グループに顔を出すことになっている。おそらくはマンネリ防止の為だろう。師匠モードで声をかけるとクラスメイトは集中するからな。
「ん……だいたいわかったよ。特に問題もないだろうし、俺たちは俺たちで作業を進めようか?」
「そうだね」
ずっと黙々と作業しても疲れるので飲み物と軽食を注文して穏やかに進めるべきなんだろうな。
「天武くんはどんな問題を作るつもりなのかな?」
「まず大前提として、相手クラスから退学者が出ない程度のテスト問題にするつもりだね。学力に不安があるような生徒でも頑張れは赤点を回避できるような感じの」
「そうなんだ。私、すっごく難しい問題を沢山作るのかなって思ってたかも」
「もちろん、そう言った問題も作るよ。けれど学校側が求める基準なんかもあるだろうし、何より他所のクラスと言えど退学者が出るのは心苦しいからね。俺たちはクラス闘争の真っ只中ではあるけど、同窓生であり同級生でもあるんだ、共に競い合い、共に笑い合いたい」
大真面目に愛と勇気と青春の結末を求めているからね。誰に笑われても俺はそれが高校生のあるべき姿だと思う。騙し合いや足の引っ張り合いに全力を尽くす学生なんて絶対にごめんだ。
「そっか、優しいんだね」
「そうかな? 誰かに不幸になって欲しくないと思うのは、とても自然なことだと思うけど」
「……あはは、うん、そうだね」
「あぁ、誰かの幸せを願うのが、人の正しい在り方だ。だから俺は、退学者が出るようなテストを作るつもりはないよ」
「でもそれだと勝つことは難しいんじゃないかな?」
「葛城クラスや一之瀬さんクラスが相手ならばそうだろうね。けれど龍園クラスが相手ならばそこまで圧倒はされないと思う。俺たちと彼らのクラスはそこまで大きな学力差はないからね。寧ろここ最近のクラスの雰囲気や姿勢なんかを見ればもう逆転している可能性も高い」
退学者は出すつもりはないけど、別に勝利をくれてやる訳でもない。上手い具合に工夫しないとな。
理想を言えば、最低でも赤点を回避できるラインだろう。けれど平均で60点前後が理想だな。まぁこればっかりは相手側が提示してくる問題も関係してくるので何もかも理想通りとはいかないだろうけど。
「じゃあ、今回の相手はDクラスになるんだね」
それは櫛田さんにとっても理想的な展開だろうな。龍園に情報を売りつけられるだろうし。
「あぁ、そうなるね。ただ他のクラスがどう動くかは不透明だから、くじ引きの運任せになることもあるだろうけど」
できれば一之瀬さんクラスと葛城クラスで戦って欲しい。ただ葛城は堅実で慎重な男なので、仕掛けて来るとしても俺たちか龍園クラスだろう。
くじ引きになったら俺が引くとしよう、運が良いらしいから。
「まぁ今は龍園クラスを相手と想定して動こうか、さっそく問題を作っていこう」
「うん」
ただ、ここで櫛田さんと作った問題が使われることはないんだよね。今も彼女と作業している俺と、脳内でテスト問題を作っているもう一人の俺がいる。本命はそっち側である。
師匠と組手をしながらいつも問題を解いて、その日の献立を考えていたので多重思考はとても得意なのだ。やっぱり師匠は凄い。
櫛田さんも疲れた様子もなくニコニコとした顔で自分の作った問題を見せて来てくれる。まだまだ手探りな状態だから参考になる考えもあった。
こうしていると楽しいな。櫛田さんの内心や思惑はともかく、俺は彼女が嫌いではないし好んでいるとさえ言える。
そんな彼女とこうして二人っきりの時間を作り、仮初とはいえ課題に挑もうとしているのだ、とても青春っぽいのでいつか本当の意味で同じような時間を作りたい。
師匠曰く、青春は大切。
「よぉ、お利口ゴリラ。今日は鈴音と一緒じゃないみたいだな。アイツには飽きたのか?」
だから龍園、水を差すのは止めて欲しい。君はもっと配慮できる男の筈だ。
いつものニヤニヤした顔で俺たちが使っている席に近づいてくる彼は、興味深そうに俺と櫛田さんの間にあるノートに視線をやった。
彼が近づいてくるとわかった段階でノートは閉じたので盗み見られる可能性は低い。そもそもここに書かれている問題が使われることもないのだが、こういった仕草やポーズが大事だろう。
「櫛田、お前がこいつと一緒とは珍しいな」
「そうかな? 私と天武くんは仲良しだよ?」
「そいつは知らなかった。そこのゴリラはいつも鈴音の尻を追いかけてるからな。お前なんざ眼中にないと思ってたぜ」
「……」
櫛田さんがニコニコしながらも凄く苛立った様子を見せる。やめなさい龍園。
「なぁ龍園、君は今回の特別試験、どう挑むんだい?」
「はッ、わざわざ解説する間抜けがどこにいる」
「それはそうだね。聞いた俺がバカだったよ」
そもそも龍園が正攻法で試験に挑むとは思えない。彼はいつだって邪道を好むからだ。
俺は邪道を理解して選択肢に加えながらも最終的には王道を進む方が良いと思っているからな。出す結論が折り合わないことも多かった。
王道と邪道を理解して初めて嫌がらせは策略となる。それを龍園が理解しているのかどうかわからない。
彼はまるで遠慮など知らないとばかりに俺たちが使っているカフェの机に接するように、わざわざ椅子を引っ張って来て腰かける。
「櫛田ぁ、お前に良い話をしてやろう。今回の試験、こっちにテスト問題を渡せば報酬をくれてやる」
「龍園くんは何を言ってるのかな? そんなこと、私がする筈がないよ。クラスを裏切ることなんてしないもん」
「ククク、どうだかなぁ」
櫛田さんの苛立ちが凄いことになっている。視線も刃のように鋭い。
「そうだよ龍園、櫛田さんがそんなことする訳がないじゃないか」
俺がそう言うと龍園はまるで「心にもないことを」とでも言いたげな視線を送って来る。
あぁ、これはもう駄目っぽいな。どうやら龍園は櫛田さんを既に信用も信頼もしていないらしい。彼女から齎される情報をもう重宝することはないのだ。
彼は気が付いている。俺が櫛田さんを裏切り者だとわかっていることを。
体育祭の参加表を変更された時点で櫛田さんに見切りをつけたのだろう。それでも裏の繋がりを未だに残しているのは、何かしら使えることがあるかもしれないという保険なのかもしれない。
或いは、櫛田さんに付けた首輪を使って裏切りをより深めて嘲笑いたいのか、なんであれ龍園は櫛田さんをもう信用していないのだ。
何の信用もできない情報しか持ってこないスパイなど、何の価値もないのだから。
櫛田さんが可哀想ですらあった。彼女はただ一人で踊っているだけになってしまっている。それに気が付いてもいない。
「まぁ良いさ。心変わりしたんならいつでも声をかけてこい、報酬は弾んでやる。それよりもお前たちに訊きたいことがあってな……そっちのクラスにいる黒幕のことだ」
「黒幕?」
櫛田さんが首を傾げてそう呟く。何を言っているのかわからないとばかりに。
「お前らのクラスには悪知恵の働く性格の悪い奴がいるって話だ」
「自己紹介かな?」
「黙ってろお利口ゴリラ。で、どうなんだ櫛田? 心当たりはあるのか?」
「急にそんなこと言われても困っちゃうなぁ、全然心当たりもないしね」
「そうか、まぁ今はそれで良いだろう」
そう言って彼はスマホを弄って何やらメールを送信している。どうやら彼の中にある疑惑はまだ継続しており、黒幕探しと言うか、清隆に指を引っ掛けようとしているようだ。
清隆の存在を知ったとして龍園にできることなんてありはしないと思うのだが……お前が絡もうとしている男はだいぶアレな奴だぞ? やめとけ、どうせ殴り返されるだけだから。アイツは自分は一般人だと思っているだけのゴリラだからな。
「じゃあな櫛田」
「俺にはわかれの言葉はないのかい?」
無視されてしまった。彼はもしかしたら俺が嫌いなのだろうか?
「龍園くん、変な感じだったよね?」
カフェから出て行った龍園の姿が見えなくなると、櫛田さんは不審そうにしながらそう言った。彼女も違和感を抱いているのかもしれない。
「そうだね、でも彼が変なのはいつものことじゃないか」
「確かに、言われてみればそうかも」
この学校二大変人の片割れだからな。因みにもう片方は高円寺である。少なくとも俺はそう思っている。
「でも誰を探してるんだろ、天武くんは心当たりがあるのかな?」
「さぁ、ウチのクラスにいる頭の良い誰かを探したいんだろう、彼が言うにはね」
「頭の良い人かぁ、幸村くんとか平田くんとか……後は天武くんと堀北さんもだね」
「テストの成績で見れば櫛田さんもじゃないかな」
「えぇ~、私はそんなことないよ。悪知恵なんて働かないもん」
「そうなのかい? 俺の中で櫛田さんは男を手玉に取る悪女枠だからなぁ」
「もう、またそんなこと言って、怒るからね?」
プンプンと、そんな擬音が似合いそうな感じで怒る櫛田さん、可愛い。
「ごめんごめん、でもそんな櫛田さんも見てみたいな」
「もしそんな私がいるとしたら……本当に見たい?」
「複雑な人間と言うのは魅力的に思えるから、できることならね」
「ふふ、残念だけど天武くんが期待しているような子はどこにもいないかな」
そうか、それは残念だな。そういった人間の方が魅力的だと思うんだけど。
共にテスト問題を作りながら和やかに談笑を続けていく。こんな時間も悪くないと素直に思えるな。
「天武くんはどうなのかな? 皆は知らない本当の自分とかいるんじゃないの?」
「それはもちろん」
「え? あ、そうなんだ……」
「俺に限らず、誰にだってあると思うよ。どんな人でも誰かと接する時は大なり小なり態度を変えるものだ。親と接する時、友人と接する時、他人と接する時、一人でいる時、温度差があるのは当然のことだし、それはおかしなことでもないさ」
「ふぅん、そうなんだ。でも天武くんがそうなるのってあんまり想像できないかも」
「そんなことはない。俺だって嫌いな奴を前にすれば舌打ちしたくなるし、女の子を前にすればカッコつけたいと思う。怖い人がいれば震えて土下座するよ」
師匠が切れたら一秒以内に土下座する自信があるな。何だったらそのまま靴も舐める。だって死にたくないし。
「誰だって、誰かを前にして何かを演じるものさ。それが悪いだなんてことはないだろ?」
「……そうかもしれないね」
「俺だって今も平静を装いながら、櫛田さんとカフェにいる状況に実は内心ではドキドキしてたりするんだ」
「ふふ、そうなんだ。実はドキドキしてるんだ?」
「男なら誰だってそうなるよ」
絶対にそうなる。これは間違いない。清隆だってあのクールな顔つきの裏では絶対に女子を意識している筈だ。
「確かに、なんだかデートみたいだもんね」
「テスト問題を作るからアレだけど」
「でも私は天武くんとこうして一緒にいられると楽しいよ」
「ん、俺もだよ」
大真面目にそう返すと彼女は照れたように頬を赤くした。そして僅かに視線を彷徨わせて最終的には机の上にあるカップに行き着く。
そこに残っていたカフェオレを飲み干して、頬に残っていた熱をなんとか消し去っていく。
「あはは、天武くん、そういうこと真顔で言うのは止めたほうが良いと思うな」
「そうかい? 俺は恥ずかしがっている君の顔が見れて楽しいけどね」
「もうッ」
何だかんだで櫛田さんもリラックスした様子であった。ストレスを溜め込みやすい人であることは観察していればわかるので、少しでも楽になったのならば素直に嬉しい。
「今日はここまでにしようか?」
「うん、そうだね。次はどうしよっか?」
「勉強会の方もあるからそっちの都合が良い時にしよう。余裕があるようなら連絡してきて欲しい」
「わかった、それじゃあまた今度だね」
俺もカップに残っていたココアを飲みほしてから席を立つ。既に外は真っ暗であった。
「遅くまで付き合わせてしまってすまない」
「私から言い出したことなんだから全然大丈夫だよ。それに、ふふ……」
カフェから出て学生寮に返る途中で櫛田さんは可愛らしく微笑んで見せる。
「天武くんと一緒だと楽しいからね」
俺の肩に手を置いて口元を耳に寄せてそう囁いてくる櫛田さん、ドキッとするので止めて欲しい。後、良い匂いもするから心臓に悪い。
「おやすみ、また明日」
「ん、おやすみ。良い夜を」
男子と女子では上と下で部屋がわけられている。なので必然的に俺の方が早くエレベーターを降りることになる。
一歩外に出て、まだエレベーターの中にいる櫛田さんにそう伝えると。彼女は笑って俺を見送ってくれた。
「櫛田さん、あまり無理はしないようにね」
「え?」
徐々にエレベーターの扉が閉まっていく。その隙間から見える彼女は俺の言葉に驚いているようにも見えた。
「何か嫌なことがあったらストレス解消に付き合うって話さ」
「あ、うん」
扉はそこで完全に閉まる。その直前に、僅かな隙間から見えた彼女の顔は、何とも言えないものとなっていたのが印象的である。
そんなこと言われるとは思っていなかったのだろうか? よく観察するとだいぶストレスを抱え込んでいるのはよくわかるんだけどな。
エレベーターの扉が隠してしまった彼女の顔を思い出して、複雑な人は魅力的だと改めて思う。
清隆が見たという暴力的な彼女もいつか見たいな。そんなことを考える夜だった。